龍園との話は、長くはかからなかった。
話し合いの部屋に着いた時には、もう13人のうち大半が席についていた。堀北も、いつもの位置に静かに座っている。目が合ったが、互いに何も言わなかった。坂柳が静かに議事を進めようとした、その矢先だった。
船内放送が鳴った。
『――卯組の優待者が判明しました。報告された組は現時点で試験を終了してください。』
部屋の空気が、一瞬で止まった。
「……え?」
一之瀬が、間の抜けた声を漏らした。誰も口を開かないまま、数十秒が経った。放送は、それで終わりじゃなかった。
『――申組の優待者が判明しました。報告された組は現時点で試験を終了してください。』
『――丑組の優待者が判明しました。報告された組は現時点で試験を終了してください。』
『――午組の優待者が判明しました。報告された組は現時点で試験を終了してください。』
『――酉組の優待者が...』
『――戌組の優待者が...』
立て続けに数えて、六つ。伊吹が、腕を組んだまま眉一つ動かさずにいるのが目の端に映った。ぴくりともしねえ。他のクラスの連中がざわつく中、あいつだけがまるで天気の話でも聞いているような顔をしている。
「――私たちの組は呼ばれないよね?」
一之瀬が、震える声で部屋全体に問いかけた。
放送は、なおも続いた。名指しされる干支に、法則も脈絡もないように聞こえる。だが、聞いている側からすりゃ、そう見えるように仕組んであるだけの話だ。続けて、二つ。もう、誰も驚かなくなっていた。
八まで数えたところで、放送はぴたりと止まった。それきり、続きは鳴らなかった。十二組のうち、最後まで残っているのは、この子組を含めて四組だけだった。
「――もう、こんなに消えてる」
一之瀬の顔から、血の気が引いていくのが分かった。
堀北は、腕を組んだまま黙って画面の外を見つめていた。驚いているのか、何かを考え込んでいるのか、表情からは読み取れねえ。ただ、一瞬だけこっちに視線をよこした。何か言いたそうな目だったが、結局は何も言わなかった。
高円寺が、ゆったりと足を組み替えた。
「面白いじゃないか。誰かが、随分と手回しが良いようだね」
「あんた、何か知ってんの」
伊吹が、鋭い目を高円寺へ向けた。
「私は何も知らないよ。ただ、見ているだけさ」
高円寺は、笑みを崩さなかった。フッ、と短く息を吐いただけだった。
平田が、場を落ち着かせようと口を挟んだ。
「まだ、うちの組は大丈夫だから。慌てなくていいんじゃないかな?」
言いながら、平田自身の目にも、隠しきれねえ落ち着かなさが滲んでいた。
坂柳は、杖の頭に指を這わせたまま、しばらく黙って部屋の空気を読んでいた。それから、ふと視線を伊吹へ向けた。
「――伊吹さん、随分と落ち着いていらっしゃいますね」
「別に。動じる理由がないだけ」
「そうですか」
坂柳は、それだけ言うと、小さく笑った。ふふっ、という短い笑いだった。だが、目は笑っていなかった。
坂柳は、それ以上は誰にも言わなかった。ただ、俺の方へ、一度だけ視線をよこした。値踏みするような、確かめるような目だった。
「――今日という日を、赤木くんはどんな顔で終えるつもりなんでしょうね」
直接俺に面と向かっては訊かなかった。訊かなくても、もう十分だという顔だった。
「さあな」
それだけ返した。
一之瀬は、まだ落ち着きを取り戻せずにいた。
「これ、絶対おかしいよ。こんな短時間で立て続けに終わるなんて、普通あり得ない」
「普通、ね」
伊吹が、低く笑った。
「この学校で、普通が通じたことなんて一度でもあった?」
一之瀬は、それ以上何も言い返せなかった。かといって、納得したわけでもねえ。誰かを疑うでもなく、ただ落ち着き先を探すように、視線を部屋の中で何度も往復させていた。
話し合いは、それきりまともに進まなかった。誰かが口を開けば、すぐに放送の続きを気にして黙る。その繰り返しだった。だが、放送はもう鳴らなかった。誰がどのようにこんなことを仕組んだのか、というところまでは、分かっているのは、俺と龍園だけだ。
一時間が過ぎ、話し合いは終わった。誰も、今日ここで何かの決を採る空気じゃなくなっていた。
部屋を出る時、坂柳とすれ違った。
「――今日、少しお話ししませんか」
「後でな」
それだけ返して、先に歩き出した。
部屋から出るとき、後ろから静かな声で堀北が囁いた。
「うまくやったわ、下船までは8人には一切何もいうなと口止めしておいたわ」
甲板に出ると、綾小路が壁に寄りかかって海を眺めていた。
「聞いてたのか」
「さあな」
いつも通りの、平坦な返しだった。だが、目だけは違った。八組が短時間で立て続けに消えた、その仕掛け自体の輪郭くらいは、もう掴んでるんだろう。中身までは踏み込んでこない。それが、こいつなりの距離の置き方だ。
「須藤に、礼を言われた」
思いついて、それだけ伝えた。綾小路は、少しだけこっちを見た。
「言われるようなことをしたのは、お前だろう」
「筋は通ってる。だが、あんたが渡した札がなけりゃ、礼を言われる機会そのものがなかった」
綾小路は、何も返さなかった。ただ、いつもより少しだけ長く、こっちの顔を見ていた。
「――借りにしとくか」
「好きにしろ」
それだけ返して、綾小路は先に歩き出した。借りの中身も、返す時期も、決めてねえ。
昼が近づくにつれ、甲板を行き交う人の数が少しずつ増えてきた。最終日を前にした、いつもより張り詰めた空気が漂っている。
午後、廊下で須藤とすれ違った。
「他の組がバタバタ終わったな」
「うちの組はまだ生きてる」
「マジかよ。うちの組は普通に終わったぞ」
須藤は、それ以上は突っ込んでこなかった。
「お前が優待者だったら、もう誰も当てれないかもな」
「――そうか」
「そうかって、他人事かよ」
須藤は、笑いながら肩を軽く小突いて先に歩いていった。腫れ物扱いする気配は、微塵もなかった。
午後は、それぞれの部屋で時間を潰した。話しかけてくる奴も、避けて通る奴もいなかった。ただ、廊下ですれ違う顔ぶれの何人かが、こっちを一瞬だけ見て、それきり目を逸らした。何かを察してはいるが、確信までは持てない。そういう顔だった。
夕方、最後の話し合いが始まった。長机に13人が揃う。もう、この試験でこの部屋が使われるのは、これが最後になる。
「明日で最終日ってことだけど、まだ絞れてないのが正直なとこだよね」
一之瀬の声には、いつもの人当たりの良さの下に、微かな焦りが滲んでいた。
「絞れてないんじゃなくて、絞る気がねえだけでしょ」
伊吹が、腕を組んだまま切り返す。
「全員一致でいくなら、今夜のうちに固めときたい。誰か、これって人はいる?」
沈黙が落ちた。誰かが口を開きかけては、また閉じる。それを何度か繰り返した。
「――正直に言うけど」
一之瀬が、ためらいがちに切り出した。
「私、平田くんが怪しいと思ったことあるよ。誰にでも公平で、優待者にしちゃ出来過ぎなくらい印象が薄いから」
「僕?」
平田が、困ったように笑った。
「違うと言い切れるものは何もないけどね。でも、僕にはただ、成り行きに見合った振る舞いをしているだけの自覚しかないよ」
「それが逆に怪しいんだって」
伊吹が、鼻を鳴らした。
「でも、あんたも十分怪しいけどね。誰よりも落ち着いてる」
「あたしが優待者だったら、とっくに音を上げてるっての」
伊吹は、それだけ言うと視線を逸らした。嘘をついてる顔じゃねえ。落ち着いていること自体が、疑われる材料になっていることに、あいつ自身は気づいていないらしい。
「私に聞くかい?」
高円寺が、ゆったりと足を組み替えた。
「残念ながら、私は自分以外の誰であるかにも、誰が優待者であるかにも、大した興味は持てないのさ」
「君が優待者なら一番厄介だよね。当てられても、そもそも興味なさそうだし」
一之瀬が、半分呆れたように言った。
「その通り。だからこそ、私を疑うだけ無駄だと言っているんだよ」
高円寺は、笑みを崩さないまま、フハハ、と小さく笑った。誰にも本気で取り合う気がねえ、いつも通りの態度だった。
「――皆さん、少し落ち着きましょう」
坂柳が、杖の先で床を軽く叩いた。
「疑い合うだけの話し合いに、意味はありません。代わりに、一つ提案があります」
「提案?」
一之瀬が、怪訝そうに聞き返した。
「優待者を直接名指しするのではなく、それぞれが今日の試験と無関係な質問を一つずつ出し合いましょう。答えを一番早く、一番正直に返せなかった方から、何か一つ、これまで隠していたことを話していただく。他愛のない遊びです」
部屋の空気が、わずかに張り詰めた。名指しを避けながら、答え方の間そのものを値踏みしようという肚だ。この女らしい遠回りな罠だった。
「――面白そうじゃない」
伊吹が、乗り気とも皮肉ともつかない調子で言った。
「私からいきましょうか」
坂柳の視線が、一瞬だけ窓の外の甲板へ流れた。
「赤木くん、今日一日、龍園くんとはどんなお話を?」
直球だった。回りくどい問いに見せかけて、核心を突いてきた。
「なんのことだ、大した話はしてねえよ。世間話だ」
間を置かずに返した。考える素振りを見せる方が、かえって怪しまれる。
「――随分と、早いお答えですね」
坂柳は、それだけ言って小さく笑った。ふふっ、という短い笑いだった。この一手で何かを引き出せると本気で期待していたわけじゃねえ。ただ、こっちの反応の速さそのものを測っていたんだろう。
「あんたはどう見てんの」
伊吹が、話の矛先を変えるように訊いた。
「――さあ。ただ、誰かが随分と手回しの良い勝負を打った、ということだけは分かります」
坂柳の視線が、一瞬だけこっちを掠めた。何も言わず、また前に戻る。
それまで黙っていた堀北が、ここで初めて口を開いた。
「――結果を急ぐ必要が、そもそもあるのかしら」
全員の視線が、堀北に集まった。この女の声には、他の連中とは違う響きがあった。手探りで喋ってる奴の声じゃねえ。
「ここまで数が減ったなか、この試験はもう普通の駆け引きじゃなくなってる。だったら、誰かの勘で誰かを名指しするより、時間いっぱい様子を見た方が賢明だと思うけど」
「慎重だね」
一之瀬が言った。
「慎重、というより。今、下手に動く方が損だと思っただけ」
堀北の声には、いつも通りの硬さがあった。中身までは誰にも読ませねえ、あの整理された口調だ。だが、迷いのなさだけは、いつもより際立って見えた。
「――一理ありますね」
坂柳が、小さく頷いた。
「今夜、決を採るかどうかは、皆さんの判断にお任せします。私からは、これ以上申し上げることはありません」
それきり、坂柳は口を閉じた。誰も、それ以上議事を引き継ごうとしなかった。
誰も、俺の名前を今日は出さなかった。話し合いの中身に、耳を貸す気は最初から起きなかった。もう聞く必要がねえ話だ。
高円寺だけが、一度こっちに視線を寄越した。何かを察している目だったが、何も言わなかった。フハハ、と小さく笑っただけだった。
平田が、場を丸く収める役に回っていた。「まだ時間はある」とだけ言って、話を打ち切ろうとする一之瀬と伊吹の間に立つ。だが、その声にも、いつものような芯の強さはなかった。
「――そろそろ、時間ね」
堀北が、静かに言った。
「そうですね、これで打ち切りにしましょう」
誰も、それに異議を唱えなかった。誰かの名前を挙げるだけの根拠が、この場の誰にも揃っていない。それだけの話だ。
結局、最終日も誰の名前も上がらないまま、話し合いは終わった。
坂柳が杖を手に取って部屋を出ていく。振り返らなかった。今日で最後になるかもしれねえ問答を、あの女は特に惜しむ様子もなく切り上げた。
部屋を出たところで、高円寺に呼び止められた。
「――赤木ボーイ、少しいいかな」
「なんの用だ」
「なに、たいした話じゃないのさ。ただ、私は退屈が何よりも嫌いでね。今日みたいに、答えの見えている芝居を最後まで黙って見せられるのは、正直、少々つまらない」
「回りくどいな。用件を言え」
「単刀直入に言おう。あの放送の鳴り方、そして君の今日一日の落ち着きぶり。二つ並べれば、私でなくとも察しはつく。誰にも言うつもりはないがね、それは君のためじゃない。単に、退屈しのぎとしての価値を、まだ私が値踏みし終えていないだけの話さ」
高円寺は、笑みを崩さないまま、まっすぐこっちの目を見ていた。冗談を言っている顔じゃねえ。だが、断定するだけの確信までは持っていない目でもあった。
「値踏みが終わったら、どうする気だ」
「さあ、どうしようか。君次第だろうね」
それだけ言うと、高円寺はフハハ、と笑って背を向けた。脅しでも取引でもねえ、あの男なりの気まぐれな警告だった。だが、軽く聞き流していい相手でもねえ。無人島の初日、集団行動を鼻で笑って一人で降りたあの男だ。得だと踏んだ瞬間、誰の顔色も伺わずに動く。それだけは、嫌というほど分かってる。
部屋に戻り、窓の外を見た。もう暗い。明日、この試験は終わる。
布団に入る前に、もう一度だけ、今日一日を思い返した。堀北、綾小路、坂柳、龍園。四人分の腹の内を覗こうとしては、はぐらかされた。それぞれの手の中に何を握っているのか、まだ読めねえ。だが、裏に伏せたままの牌をいちいち気にしていちゃ、自分の手すら進められねえ。
龍園との取引について、あの男は、こっちの狙いを深く探ろうとしなかった。損得だけで動く男だと思っていたが、今日のやり取りには、それだけじゃ説明のつかねえ熱があった。昭和の卓でも、そういう手合いはいた。損得しか勘定しねえ顔をしていながら、いざ本気の相手を前にすると、勝手に熱を上げる連中だ。今日渡した札一枚で、龍園がどこまで面白がるかは、まだ読み切れねえ。
坂柳から声をかけられたことも、頭の隅に残っている。今日という日をどんな顔で終えるつもりか、と訊いてきたあの目は、ただの世間話の目じゃなかった。あの女がこの一手をどう受け止めるかは、まだこっちにも想像がつかねえ。だが、想像がつかねえこと自体が、今は悪くねえと思えた。
堀北のことも、頭の隅から離れなかった。堀北がいなければ、今回の卓は勝つことができなかったが、共有網から外した理由はまだ明かされちゃいねえ。だが、この女が損得抜きで動いていることだけは、疑う余地がねえ。
明日、いくつかの牌が同時にめくれる。俺の分も、その中の一枚だ。
窓の外の海は、もう真っ暗だ。それでも船は止まらずに進んでいる。あとは、どこに落ち着くかを見届ければいい。
ここから先、アカギの過去について一人に公開していこうと思っています。誰に知って欲しいでしょうか。(続きが気になるからはお手隙の際に高評価もよろしくお願いします)
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須藤
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綾小路
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堀北
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坂柳
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龍園