8月14日、夜。試験、最終日の最後の一時間が始まろうとしていた。
夕食の後、部屋で少し時間を潰した。何をするでもなく、窓の外の暗い海を眺めていただけだ。焦る理由も、急ぐ理由もねえ。どうせ、こっちにできることは一つもねえ夜だった。
窓に映る自分の顔を、しばらく眺めた。この2ヶ月、色んな卓に座ってきたが、特に感慨があるわけでもねえ。ただ、そういう夜がついに来た、というだけの話だ。
談話スペースに顔を出すと、夜の自由時間、残りの組の何人かが板を片手に集まっている。誰もが画面を気にする素振りを見せながら、それでいて気にしてないふりをしていた。この4日間、こういう夜が何度もあったんだろう。今日が最後だってだけの話だ。
坂柳も、部屋の隅で杖を立てたまま、静かに座っていた。誰かに話しかける様子もない。伊吹も、少し離れた席で腕を組んだまま動かなかった。談話スペースの空気は、これまでの夜と何かが違っていた。誰も、それを言葉にはしなかったが。
21時半になった。
解答受付が始まった合図は、どこにも表示されなかった。ただ、何人かが一斉に板へ視線を落とした。それだけで、始まったことは分かった。
俺には、送る権利がねえ。板を開いたところで、送信の枠自体が最初から塞がれている。守る側にも攻める側にも回れねえ、ただ結果を待つだけの駒だ。物足りねえと言えば物足りねえが、それはそれで悪くねえ座り方だと思えた。
誰が、どこの組へ、何を送っているのかは、こっちには見えねえ。見えねえまま、時間だけが過ぎていく。伊吹は、談話スペースの隅で腕を組んだまま動かなかった。一之瀬は、何度も板を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返していた。
高円寺だけが、早々に席を立った。
「私は退屈な待ち時間には付き合わない主義でね」
誰にともなく言い残して、悠々と部屋を出ていく。フハハ、という笑い声だけが、しばらく廊下に響いていた。誰も、それを引き止めなかった。あいつが最後まで居座ったところで、場の空気が変わるわけでもねえ。あの男が本気で何かを気にしたことなんぞ、この学校に来てから一度も見た覚えがねえ。
平田が、隣の椅子に静かに腰を下ろした。
「赤木くんは、今日、随分と落ち着いてるね」
「落ち着くも何も、話し合いで何も決まってねぇんだ。もう適当に名前を送るか、送らないしかねえだろ」
「それもそうだね」
平田は、それだけ言うと、窓の外に目を向けた。何かを訊きたそうな空気があったが、結局は何も訊いてこなかった。この男には、この男なりの分別があるんだろう。
9時45分を過ぎた頃、坂柳が杖を突いて席を立った。誰にも声をかけず、談話スペースを出ていく。何を送ったのか、あるいは何も送らなかったのか、その背中からは読み取れなかった。
伊吹が、こっちへ視線を寄越した。何かを言いかけて、結局は口を閉じた。あいつにしちゃ珍しい間だった。普段なら、思ったことをそのまま吐き出す性分だ。今日だけは、何かを飲み込む理由があるらしい。
「――なんだよ」
「別に」
それだけ言うと、伊吹は視線を逸らした。追及する気はねえ。この学校に来てから、誰かが何かを飲み込む顔には、もう慣れちまってる。堀北も、綾小路も、龍園も、皆同じだ。全部を明かす人間なんぞ、この学校にはいねえ。
22時になった。受付は、それで終わりだ。
あとは、結果を待つだけだった。
誰も、口を開かなかった。談話スペースに残った連中も、それぞれの部屋に戻った連中も、今はただ画面が光るのを待っている。それだけは、この学校のどのクラスも同じはずだ。
1時間、こういう間の悪い待ち時間を過ごすのは、昭和の卓でも珍しくなかった。局が終わって、次の局が始まるまでの、あの手持ち無沙汰な時間だ。何をするでもなく、ただ座って待つ。焦る奴から先に崩れる。今も、その理屈は変わらねえ。談話スペースの空気が、それを証明していた。板を何度も開閉する奴、貧乏揺すりを止められねえ奴、それぞれのやり方で、この一時間をやり過ごそうとしていた。
23時。
板が短く震えた。
『――夏季グループ別特別試験、試験結果の詳細』
文面は事務的だった。各グループの結果と、クラスごとのポイント変動。個人の名前を名指しする一文は、どこにもねえ。子組の欄には、結果2――優待者は守り通された、とだけ書かれていた。
誰も、俺の名前には触れていない。触れようがねえ。この一通だけじゃ、誰にも分かりようがねえ話だ。この試験の仕組み自体が、そういう風にできてる。誰が誰を割ったのか、誰が誰に守られたのか、その中身までは誰にも渡さねえ。渡すのは、数字だけだ。
クラス別の変動欄に目を移す。
Aクラス、−150
Bクラス、−150
Cクラス、+100
Dクラス、+200
数字だけがそこに並んでいる。何がどう転んでこの数字になったのか、この文面からは一切読み取れねえ。読み取らせる気がねえんだろう。それでいい。中身を知ってるのは、この学校でも数えるほどしかいねえ。
しばらく画面を眺めていた。数字を数え直したところで、意味は変わらねえ。それでも、しばらくは眺めていた。揺らぎはなかった。負けを覚悟して張った手が、覚悟通りに落ちただけの話だ。
部屋を出て、Dクラス用の談話スペースへ向かった。子組の連中が集まっていたあの部屋とは、別の階にある部屋だ。堀北や須藤たちが板を片手に集まっていた。他にも、Dクラスの連中が続々とこの部屋に集まってきている。
「――俺らのクラス、200だってよ!!!」
須藤が、興奮を隠しきれない声で言った。
「AもBも、150マイナスってやばいよな!」
「Aは無人島でめっちゃ稼いでんだからいいだろ!」
池が、板を覗き込みながら声を上げた。
「Cもそんなに勝ってないし、うちの独り勝ちじゃねえか」
「やっと休日に贅沢できるくらいのポイントもらえるようになって嬉しいわ」
皆、各々機嫌が良さそうだった。
「Cもうちには全然及ばねえよな」
「調子に乗るのはまだ早いわよ」
篠原が、池を軽くたしなめた。それでも、頬が緩んでいるのは隠せていなかった。
「何がどうなってこの数字になったのか、誰も分かってないんだから」
その場にいた何人かが、顔を見合わせた。誰も、はっきりとは答えられない。
「――堀北、約束破って悪いが、隠し通すのは無理だろうからここで話させてくれ」
男子の一人が、思い出したように口を開いた。堀北から名前を一つ渡され、わけも聞かずに送信した奴だ。
「堀北、なんであの名前が正解だって分かったんだよ。俺、理由も聞かずに送っちまったけど」
「え?そうなの?堀北さんが優待者をみんな当てたってこと?」
「マジかよ、凄すぎないか?でもなんで黙ってたんだよ」
「......詳しくは言えない。答えに見当がついたのと、あまり騒いでほしくなくて黙っているようにお願いしたの、それだけ分かってもらえれば十分」
堀北は、それだけ返して話を打ち切った。クラスの大勝ということで、男子は、それ以上は突っ込まなかった。
堀北は、黙って画面を見つめたままだった。何かを確かめるような目だった。
「結果自体は悪くない。だけど……」
堀北は、それ以上は言わなかった。言いかけて、こっちに視線を寄越しただけだった。何かを察しているような目だったが、それを言葉にはしなかった。
「――赤木、お前んとこの組はどうだったんだよ」
須藤が、無邪気に訊いてきた。
「守り通された、だとよ」
「お、じゃあ結果2ってやつか。手堅いな」
須藤は、それだけで納得した顔をした。深追いする気はねえらしい。
堀北だけが、まだこっちを見ていた。何か言いたそうな顔をしていたが、結局はそれ以上何も言わなかった。この女には、この女なりの勘定があるんだろう。訊く気はねえ。
談話スペースの隅で、何人かが今日の結果について話し込んでいる。誰の声にも、隠しきれねえ高揚が滲んでいた。無人島試験の時とは違う、素直な喜びだった。あの時は、点を削り合った末の生き残りだった。今回は、理由も分からねえまま棚から落ちてきた勝ちだ。喜び方の質が、少しだけ違って見えた。
須藤が、思い出したように付け加えた。
「てことは、他の組もめちゃくちゃ終わったのは、堀北がやったってことなのか、すげぇなあいつ!」
「さあな」
誰も、答えを持ってねえ。それでいい。今夜のところは、それでいい。分からねえまま浮かれる連中を見ているのも、悪い気分じゃなかった。
結果を知ってなお、誰にも真相を明かさねえまま眺めている自分に、少しだけ苦笑いが出た。昭和の卓でも、勝った理由を得意げに語る奴ほど、次の勝負では脇が甘くなった。黙ったままでいるのが、性に合ってる。
しばらくして、談話スペースを後にした。廊下の途中、堀北が一人、窓辺に立っているのが見えた。
「――さっきの続き、聞かせろ」
「聞かせて、どうする気」
「別にどうもしねえ。ただ、気になっただけだ」
堀北は、しばらく黙って窓の外を見ていた。
「――綺麗に決められるはずが、どこか歪みを感じる。それが少し、気持ち悪いだけ」
「気持ち悪い、か」
「ええ。こんなの、普通のやり方じゃない、なんであなたは答えがわかったうえで、DクラスをCクラスに売ったのか、それは私にはまだ理解できない」
俺は、何も言わなかった。
「――礼は一応いっとく」
言うと、堀北は怪訝な顔をした。何に対しての礼か、本人にも分かってねえ様子だった。こっちにも、はっきりした説明はできねえ。共有網から外してくれたことか、今日一日、余計な詮索をしなかったことか。多分、その両方だ。
「――何に対しての礼かしら」
「さあな」
それだけ返して、先に歩き出した。
廊下の角で、伊吹とすれ違った。
「――結果、みたか」
「当たり前でしょ」
「そうかよ」
それ以上、続く言葉はなかった。伊吹は、それだけ言うと先に歩いていった。何かを確かめたかっただけらしい。踏み込む気配はなかった。あいつなりに、今日一日で何かを飲み込んだんだろう。中身までは、こっちも詮索する気はねえ。
窓の外はもう真っ暗だ。船はゆっくりと港に向かっている。明日の朝には、下船だ。長かったこの4日間も、明日で一区切りつく。
布団に入ってからも、しばらく目は冴えたままだった。数字が並んだ通知の画面を、頭の中でもう一度なぞる。結果2。守り通された。それだけの、事務的な一文だった。
昭和の卓なら、こういう夜は一人で酒でも呷るところだ。だが、この体にゃ酒も煙草も似合わねえ。窓の外の暗い海を眺めて、それで終いだった。それで十分だった。
見せ牌、という言葉がふと頭をよぎった。伏せていた牌を、あえて相手に見せる手筋のことだ。何の得もない、下手をすれば手の内を全部読まれる愚行にしか見えねえ。だが、時には、見せること自体が一番の攻めになる。
今日、いくつもの牌が同時にめくれた。他の八組は、誰の意図か分からねえまま、次々と伏せていたものを晒された。
俺が守り通されたのは、坂柳が勝負を降りたからだ。
だが、いつまでも伏せたままでいいとは思わねえ。伏せたまま卓を降りるより、いつか自分の手で見せ牌を切る方が、よほど性に合ってる。伏せる強さと、見せる強さは、似ているようでまるで別物だ。今日という日は、その両方を同時に試された気がした。
誰かが見送り、誰かが見送られなかった。それだけの試験だった。優待者だと知られるかどうかは、もう俺自身の勘定の外にある話だ。知られていようが、知られていまいが、明日からやることは変わらねえ。この4日間で増えた顔ぶれの分だけ、次の卓の面子も賑やかになる。それだけの話だ。
龍園から預かった名簿のことを、ふと思い出した。あれは、これで用済みだ。だが、龍園との勝負は、今夜で終わるわけじゃねえ気がする。
坂柳から、あれ以上声をかけられなかったことも、少しだけ引っかかっている。談話スペースでは、最後まで一言も交わさずに席を立っていった。何を計算しているのか、まだ読めねえ。読めねえことが、悪い兆候だとは思わなかった。むしろ、読めねえ相手ほど、この先が楽しみになる。
龍園と割った八組、坂柳の値踏み。それぞれが、まだこっちの手の中で転がったままだ。誰も、全体の絵を見ちゃいねえ。見えているのは、それぞれが握った一枚か二枚の牌だけだ。
眠れねえこと自体は珍しくもねえ。頭の中で、明日から先の段取りを一つずつ組み立て直しているうちに、いつの間にか寝ているもんだ。
ここから先、アカギの過去について一人に公開していこうと思っています。誰に知って欲しいでしょうか。(続きが気になるからはお手隙の際に高評価もよろしくお願いします)
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須藤
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綾小路
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堀北
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坂柳
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龍園