アカギ〜実力至上主義の教室に舞い降りた天才〜   作:GC

4 / 44
第4話「取立」

 その朝は、いつもより教室が静かだった。

 

 静かといっても、落ち着いているわけじゃない。全員が同じものを見ていて、誰も声を出せずにいる。そういう静けさだ。

 

 机の上に置かれた光る板を、皆が食い入るように覗き込んでいる。

 

「……なあ、これ壊れてねえか」

 

 最初に声を出したのは、須藤だった。

 

「俺のとこ、0になってんだけど」

 

「え、俺も」

「俺もっすよ。振り込まれてないっす」

 

 池と山内が、青い顔で板を突き合わせている。

 

 教室のあちこちで、同じ言葉が上がり始めた。ゼロ。ゼロ。俺のもゼロだ。

 

 誰かが誰かに訊き、訊かれた方も同じ顔をしていて、それが波紋のように広がっていく。

 

 俺は自分の板を出そうともしなかった。出したところで、俺の指には応えない。

 

 だが、確かめるまでもなかった。

 

 これが、勘定だ。

 

 教室の顔を、順に眺めていく。

 

 池は、何度も同じ場所を指で叩いていた。叩けば数字が戻るとでも思っているような手つきだった。

 

 山内は、隣の生徒の板を覗き込んでいる。自分だけじゃないと確かめて、少し安心した顔になった。人と同じなら大丈夫だと思える人間は、こういう時に一番使いやすい。

 

 平田は、周りに声をかけて回っていた。落ち着こう、何かの手違いかもしれない、と。

 

 手違いであってくれ、と願う顔だ。

 

 堀北だけが、板を見ていなかった。

 

 まっすぐ教壇の方を、まだ誰も立っていない場所を見ている。

 

 あの女は、もう理由の方を考えている。

 

 

 

 

 

 チャイムが鳴り、茶柱が入ってきた。

 

 教室が静まるのを待つ必要もなかった。全員がもう、この女の言葉を待っていた。

 

「先生! ポイントが振り込まれてないんですけど!」

 

 誰かが叫ぶ。他の何人かが続いた。

 

 茶柱は教壇に立ち、名簿を置いた。

 

「振り込まれていないのではない。0だから振り込まれなかった。それだけのことだ」

 

 声に、慰めも詫びもなかった。

 

「先月、お前たちのクラスポイントは1000だった。今月、それが0になった。だから支給額も0だ」

 

「なっ……ちょ、待ってくださいよ! なんで0なんですか!」

 

「説明しよう」

 

 茶柱は、手元の紙を持ち上げた。

 

「遅刻。欠席。授業中の私語。携帯電話の使用。この一ヶ月で、このクラスが積み上げた分だ。すべて数値化され、その都度、クラスポイントから引かれている」

 

 教室が、しん、とした。

 

「一件ごとの減点は大きくない。だが、お前たちは一ヶ月の間、それを止めなかった。誰一人としてな」

 

「須藤。お前の遅刻は、この一ヶ月で8回」

 

 名指しされた須藤が、びくりと肩を揺らした。

 

「池、山内。授業中の携帯使用、それぞれ30回を超えている。他にも該当者は多い。……読み上げるか?」

 

 誰も、返事をしなかった。

 

 全部、数えられていた。

 

 あの女が一度も口を開かなかった一ヶ月、こちらのやったことは一件残らず数えられていた。数えていないふりをして、ただ数えていた。

 

 俺は、教壇のあの女の顔を見ていた。

 

 表情はほとんど動いていない。困ってもいないし、怒ってもいない。

 

 当然だ。この女は、初めからこうなることを知っていた。

 

「先生、なんで言ってくれなかったんですか!」

 

 平田が、初めて強い声を出した。

 

「注意してくれれば、僕たちだって――」

 

「なぜ、私が言わなければならない?」

 

 茶柱は、平田を見た。

 

「入学式で説明したはずだ。生活態度、協調性、規律。それらすべてが評価されると。聞いていなかったのか」

 

「それは……聞いてました。でも」

 

「聞いた上で、守らなかった。それだけの話だろう」

 

 平田が言葉に詰まった。

 

 その通りだ。この女は嘘を一つもついていない。全部、最初に言ってある。

 

 言った上で、黙って見ていただけだ。

 

 俺は思わず、小さく息を吐いた。

 

 ……悪くねえ。

 

 

 

 

 

「もう一つ、伝えておくことがある」

 

 茶柱は、名簿を閉じた。

 

「この学校は、優秀な生徒を育成する機関だ。そして、AからDまでのクラスは、入学時点での評価によって振り分けられている」

 

 嫌な間だった。

 

「Dクラスというのは――お前たちのような、欠陥のある生徒を集めた場所だ」

 

 誰かが息を呑む音がした。

 

「学力、素行、協調性、その他。何かしらの問題を抱えていると判断された者が、このクラスにいる。学校がお前たちに期待しているのは、そう多くない」

 

「そんな……」

「ふざけんなよ!」

 

 須藤が机を叩いて立ち上がった。

 

「じゃあ何か! 俺たちは最初っから捨てられてんのかよ!」

 

「捨てているのなら、入学させていない」

 

 茶柱の声は、少しも揺れなかった。

 

「AからDまでのクラスは固定ではない。学年末に、クラスポイントによって入れ替わる。這い上がる道は用意されている。……ただし、そこまで辿り着ける者がいれば、の話だがな」

 

 須藤は、拳を握ったまま座り込んだ。

 

 教室の空気は、もう完全に沈んでいた。

 

 さっきまで、来月また10万入ると信じていた連中だ。その前提が、たった数分で消えた。

 

 俺はその顔を、一つ一つ眺めていた。

 

 賭場で、負けが確定した瞬間の人間の顔を、何度も見てきた。

 

 似ている。だが、まだ甘い。

 

 こいつらの顔には、まだ「何かの間違いじゃないか」という色が残っている。本当に終わった人間の顔は、もっと静かになる。

 

 ――だから、まだ終わっちゃいねえということでもある。

 

 

 

 

 

「……あんた」

 

 俺は、手を挙げずに口を開いた。

 

 教室中の視線が、こちらに集まった。

 

「赤木か。何だ」

 

「一つ訊きたい」

 

「言ってみろ」

 

「ポイントが0のまま、月が変わったらどうなる」

 

 茶柱の眉が、わずかに動いた。

 

「……どういう意味だ」

 

「そのままだ。0が続いて、その先に何がある。0より下はねえんだろ? それとも、あるのか」

 

 教室が、また静かになった。

 

 誰も、そんなことは訊いていなかった。皆が訊いていたのは「どうすれば戻るのか」だ。

 

 だが、そっちは後でいい。

 

 卓に着いて最初に確かめるのは、どうやって勝つかじゃない。どうなったら終わりか、だ。それを知らずに張るのは、素人のやることだ。

 

 茶柱は、少しの間、俺を見ていた。

 

 それから、口を開いた。

 

「クラスポイントは0を下回らない。だが――」

 

 一拍。

 

「退学は、クラスポイントとは別に存在する」

 

「ほう」

 

「三週間後、中間試験がある。一教科でも赤点――規定の点数を下回れば、その時点で退学だ。クラスの状況とは関係なくな」

 

 教室が、爆発したように騒がしくなった。

 

「た、退学って!」

「嘘だろ!?」

「先生、それ本当なんですか!」

 

 俺は、その騒ぎの中で、一人静かにしていた。

 

 ……なるほど。

 

 そういう形か。

 

 クラスの点はいくら削られても、席を立たされることはない。だが、個人の点が足りなければ、その場で首を切られる。

 

 クラス全体を沈めておいて、最後に個人を吊るす。

 

 よく出来ている。

 

 なぜなら――クラスが沈んでいるほど、個人は自分の首のことしか考えられなくなるからだ。

 

 もし点が潤沢に残っていれば、こいつらはまず「金でどうにかならないか」を考えたはずだ。実際、この学校のポイントとやらは、あらゆる便宜と交換できると言っていた。

 

 だが、今この教室に、一人分の首を買い戻せる額を持っている人間はいない。

 

 全部使わせた後で、首の話を持ち出す。

 

 順番が、完璧だ。

 

 誰が誰を庇う余裕もなくなる。

 

 俺は、懐にしまってある四つ折りの紙を思い出した。

 

 赤い字で、12。

 

 この教室で一番先に首を切られるのは、間違いなく俺だ。

 

 

 

 

 

 放課後の教室には、誰も残りたがらなかった。

 

 皆、逃げるように出ていく。顔を突き合わせていると、自分の点数のことを考えてしまうからだろう。

 

 その中で、堀北が俺の机の前に立った。

 

「……あなたの言った通りだったわね」

 

「そうかい」

 

「注意されないのは、注意する気がないからだと。……最後まで言われない、とも」

 

 堀北の顔は、青いというより、強張っていた。

 

「認めるわ。私が凡庸だった」

 

「別に、あんたの話をしてたわけじゃねえ」

 

 俺は椅子の背にもたれた。

 

「あんた一人が真面目にやっても点は戻らねえ、と言っただけだ。……そいつは今も変わらねえよ」

 

「……ええ。よくわかった」

 

 堀北は、教室を見回した。誰もいない机の列を。

 

「このクラス全体を上げないと、意味がないということでしょう。私一人が完璧でも、引き算は止まらない」

 

「わかってんじゃねえか」

 

「言われたことを、そのまま繰り返しているだけよ」

 

 堀北はそう言って、少しだけ悔しそうな顔をした。

 

 悪くない。この女は、負けを認めるのが早い。それは弱さじゃない。

 

「……ところで、赤木くん」

 

「なんだ」

 

「あなた、中間試験は大丈夫なの」

 

 俺は答えなかった。

 

 答える必要もなかったらしい。堀北は、俺の顔を見て、露骨に眉を寄せた。

 

「12点だったわね、この間」

 

「よく覚えてんな」

 

「……忘れられるわけがないでしょう」

 

 堀北は、深く息を吐いた。

 

「言っておくけれど、あなたが退学になったら、それはクラスにとっても損失よ。人数が減るということは、それだけで――」

 

「安心しろ」

 

 俺は、椅子から立ち上がった。

 

「首を差し出すつもりは、ねえよ」

 

 鞄を持って、教室を出る。

 

 廊下の途中、窓際に一人立っている男がいた。

 

 綾小路だ。

 

 こちらを見ようともしていない。だが、俺が通り過ぎるとき、そいつは口を開いた。

 

「いい質問だった」

 

 足を止めずに、俺は答えた。

 

「何がだ」

 

「0より下があるか、と訊いたことだ。……あの場で、それを訊いた奴は他にいない」

 

「そりゃそうだろ」

 

 俺は少し笑った。

 

「他の連中は、まだ助かる気でいるからな」

 

 綾小路は、それには答えなかった。

 

 少し歩いてから、俺は足を止めた。

 

「あんたは、いつから知ってた」

 

「何をだ」

 

「先月のうちに、こうなるってことをだ」

 

 窓の外を見たまま、綾小路は少し黙った。

 

「……知っていたなら、何か変わったのか」

 

「いや」

 

 俺は正直に答えた。

 

「あんたが止めても、あいつらは聞かなかった。平田が止めても駄目だったんだ。あんたじゃなおさらだろ」

 

「そうだな」

 

 平坦な声だった。同意しているようにも、聞き流しているようにも聞こえる。

 

「だが――」

 

 俺は続けた。

 

「知ってて黙ってたなら、あんたも同じ側だ」

 

 初めて、綾小路がこちらを見た。

 

 表情はない。だが、視線がこちらに向いたこと自体が、答えのようなものだった。

 

「……教師と同じ、という意味か」

 

「見てて、何も言わなかった。それだけは同じだ」

 

 しばらく、返事はなかった。

 

「否定はしない」

 

 それだけ言って、綾小路はまた窓の外に目を戻した。

 

 俺は、そのまま歩き出した。

 

 悪くない男だ。

 

 嘘をつかない人間は、扱いやすい。……嘘をつく必要のない立場に、常に自分を置いているという意味でだが。

 

 

 

 

 

 寮に戻る道すがら、俺は考えていた。

 

 三週間。

 

 その間に、俺は読めもしない紙の上で、点を取らなければならない。

 

 まともにやれば、まず無理だ。

 

 この学校の連中が何年もかけて積み上げてきたものを、三週間で追いつける道理がない。

 

 だが――

 

 勝負というのは、いつだって条件が悪い側から始まる。

 

 持ち点1300から始めた夜もあった。誰もが、もう終わりだと言った夜だ。

 

 あの時、俺がやったのは、勉強でも根性でもない。

 

 卓の形そのものを、変えたんだ。

 

 俺は空を見上げた。

 

 三週間後、この学校は俺の首を取りに来る。

 

 ……上等だ。

 

 取りに来るということは、向こうもようやく卓に座るということだ。

 

 一ヶ月、姿を見せずに数えているだけだった相手が、初めてこちらへ手を伸ばしてくる。

 

 その手が伸びてきた時が、一番読める。

 

この物語に恋愛要素をいれるべきか

  • 必要
  • 一切不用
  • 少しみたい
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。