アカギ〜実力至上主義の教室に舞い降りた天才〜   作:GC

53 / 54
第53話「素点」

9月4日。体育祭に向けた事前測定の日だった。

 

校庭と体育館の両方を使い、学年ごとに時間を区切って回していく。

校庭の隅には、腕章を付けた上級生が何人か立っていた。体育祭の運営には生徒会が噛んでいるらしく、測定の進行にも口を出している。教員が仕切っているようで、実際に人を動かしているのは、あの腕章の方だった。

 

「生徒会って、こういうのも全部やんのか」

 

須藤が、並びながらそう言った。

 

「知らねえよ」

 

「...あれ、会長の堀北さんって堀北の兄貴か?」

 

「そうだろうさ」

 

「マジかよ。聞いてねえぞ」

 

「お前くらいだろ」

 

前の方の列で、堀北が一度だけこっちを見た。それから、また前を向いた。それだけだった。

 

「この測定そのものに点数は付かない。ただし、ここで出た数字は各自の端末に届き、教員側にも残る」

 

真嶋の声が、拡声器も通さずに校庭の端まで届いていた。

 

「誰をどの種目に置くか、参考にするクラスもあるだろう。使うかどうかは各自で決めろ。以上だ」

 

使うかどうかは各自で決めろ。この学校らしい言い方だった。測定に値打ちは無い、ただし使う奴は使う。そう言ってるのと変わらねえ。

 

列が動き出す。四十人が順番に並んで、数字を一つずつ置いていく。そういう作業だった。

 

 

 

 

 

校庭の向こう側には、他のクラスの列も見えた。Aクラスの列は、測定が始まる前から並ぶ順番が決まっているようだった。誰かが割り振ったんだろう。反対にCクラスの列は、半分が寝そべったまま順番を待っている。どちらも、やる気の話じゃない。この行事をどう使うつもりかの差が、列の形にそのまま出ているだけだ。

 

数字を揃えて配るのは学校の仕事で、その数字を何に使うかは各自の仕事だ。真嶋が言ったのは、つまりそういうことだった。

 

測定の途中で、平田が名簿を持って回ってきた。

 

「みんな、測り終わったら記録を教えてね。まとめてAクラスに渡すことになってるから」

 

「Aに?」

 

池が顔を上げた。

 

「赤組は合同でしょ。団体戦の割り振りは、二クラスまとめて決めることになってる。向こうがもう案を作ってくれてるみたいなんだ」

 

「もうそんな取り決めできてんのかよ、気が早えな」

 

「坂柳さんから打診があってね、堀北さんとも話し合って決めさせてもらったよ」

 

平田はそれ以上言わなかった。名簿を抱えて、次の列へ移っていく。

 

こっちの四十人分の数字が、そのまま向こうに渡る。誰が速くて、誰が遅いか。どの種目に誰を置けば形になるか。組んだ以上は当たり前の手続きで、断る理由もねえ。

 

ただ、渡した数字が何に使われるかを決めるのは、渡した側じゃない。

 

 

 

 

 

「うおおっしゃ、見たかよ今の」

 

須藤が握力計を掲げて振り返った。数字は見えなかったが、周りの反応で大体の見当はついた。

 

「お前さ、そういうの気にならねえの」

 

「ならねえ」

 

「つまんねえ男だな、ほんと」

 

「お前はどこを希望する気だ」

 

「どこも出るに決まってんだろ。どうせ全員参加だ。俺は前の方の戦に入れてもらう」

 

「欲張りだな」

 

「勝てるもんは全部獲る。当たり前だろ」

 

迷いのねえ言い方だった。この男は、自分が何で勝てるかを正確に知っている。知っている人間は強い。

 

そう言いながら、須藤はまた列の先頭の方へ戻っていった。記録を出すのが楽しくて仕方ねえ、という顔をしていた。ああいうのは、羨ましいとかそういう話じゃなく、単に別の生き物を見ている感覚に近い。

 

堀北は、前の方の列にいた。測定そのものは淡々とこなしていたが、終わった後で自分の数字を端末に打ち込み直しているのが見えた。配られた記録を、もう一度自分の手で並べ直している。あの女らしいやり方だった。

 

 

 

 

 

順番が回ってきた。

 

握力。反復横跳び。立ち幅跳び。順番に測って、順番に終わった。

問題は、初めてやらされる反復横跳びとかいう代物だった。

 

床に引かれた三本の線を、ひたすら跨いでは戻る。実戦では何の役にも立たねえ、不自然極まりない反復運動だった。ただ決められた枠の中でステップを踏む。そんな窮屈な動きは、どうにも体に馴染みがねえ。結果としてひどく大振りな、ぎこちないステップを踏む羽目になった。

 

「おい赤木、お前、運動神経は悪くねぇくせに、なんで反復横跳びだけあんなぎこちないんだよ! ロボットかよ!」

 

測定を終えて列に戻ると、須藤が腹を抱えて突っ込んできた。

 

「――さあな。どうもこういう、枠の中で踊らされるような動きは性に合わねえ」

 

「お前にも苦手なもんあんだな。なんかちょっと安心したぜ」

 

呆れたように息を吐き、視線を前に戻す。

 

 

 

 

 

それ以外の数字は、どれも真ん中だった。上から数えても下から数えても、同じくらいの位置に落ちる。四十人並べたら、どこにいるか探すのに少し手間がかかる。そういう数字だ。

 

こちらに来てから畳の匂いも、徹夜も、安酒も知らねえ体だ。よく眠って、三食食って、無理をしていない。だから平凡に育っている。当たり前の話だった。

 

前は、これよりずっと痩せていた。飯を抜くのが当たり前で、夜も寝ていなかった。そのくせ、走る速さだの握る力だのを測られたことは、一度もなかった。

 

測る側にとっちゃ、この欄に並ぶ数字が全部だ。それで足りるなら、それでいい。

 

「赤木くん、50m走の記録、ここに書いてもらえるかな」

 

平田が用紙を差し出してきた。書き込んで、返す。それだけだった。

 

「ありがとう。……あんまり、興味ない感じかな」

 

「ねえな」

 

「そっか」

 

平田はそれ以上突っ込んでこなかった。こういう時に引き際を間違えねえ男だ。

 

持久走の列に移ると、女子の側から歓声が上がっていた。誰かが記録を更新したらしい。数字が一つ動いただけで、あれだけの声が出る。悪くはねえ。ただ、俺には響かねえというだけだ。

 

列の外れに、佐倉がいた。首からカメラを提げたまま、測定ではなく、走っている連中の方にレンズを向けていた。

 

「撮ってんのか」

 

「あ、……はい。委員会の人に、記録用にって頼まれて」

 

「そうか」

 

「赤木くんのも、撮りましょうか」

 

「やめとけ。写しても面白いもんは写らねえ」

 

佐倉は少しだけ笑って、カメラを下ろした。それから、また別の方へレンズを向け直した。誰かが転んで、その周りで笑い声が上がっている。そういう方を撮っていた。

 

 

 

 

 

「赤木くん、次、持久走だって」

 

櫛田が、通りすがりに教えてきた。周りに何人か連れている、いつもの形だった。

 

「ああ」

 

「頑張ってね」

 

「やるときはやるさ」

 

「あはは、赤木くんらしい」

 

それだけ言って、櫛田は連れの方へ戻っていった。教室でのやり取りと、何も変わらねえ。夏休みの間に交わした約束の形が、そのまま二学期に持ち越されているだけだった。

 

 

 

 

 

「なあ、下から10人ってやつ、あれマジなのかな」

 

昼前、校庭の隅で座り込んでいた池が、誰にともなく言った。

 

「下から10人って話か。学年の話じゃねえらしいぜ、全学年まとめてだと」

 

山内が答える。

 

「中間で10点引かれんだよな。10点だぞ10点」

 

山内が続ける。

 

「やべえって。俺、持久走ガチで死ぬんだけど」

 

池が頭を抱えた。

 

似たような会話が、あちこちで起きていた。四十人のうち、何人かは本気で顔色を変えている。この学校の生徒は、点が引かれるという話には慣れているが、慣れているからこそ、どの程度痛いかも正確にわかる。

 

「赤木は平気なのか?真ん中くらいか?」

 

池がこっちに聞いてきた。

 

「真ん中は、下から10番目より下にはならねえ」

 

「そりゃそうだけどよ。お前、赤点ギリギリだっただろ」

 

「そうだな」

 

あっさり認めると、池が妙な顔をした。

 

「いや、そこに10点引かれたら本当に――」

 

そこで言葉が止まった。言いかけた先の話を、自分で飲み込んだらしい。

 

「引かれたら、どうなる」

 

「……いや」

 

「言えよ」

 

池は答えなかった。代わりに、少し離れたところで話を聞いていた堀北が、こっちを向いた。

 

「あなた、わかっていて測定に手を抜いているの」

 

「抜いてねえよ。この体で出る数字が、これだけだって話だ」

 

「測定に点が付かないことと、本番で下位に沈まないことは別の話でしょう。ここで手を抜く人が、当日だけ違う走り方をするとは思えないのだけれど」

 

正しい忠告だった。この女の言うことは、いつも正しい。

 

「入ったら入った時だ」

 

「――そういう問題ではないでしょう」

 

「落ちる時に困るのは、落ちたくねえ奴だけだ」

 

堀北が黙った。池も、山内も黙った。

 

別に気の利いたことを言ったつもりはなかった。ただ、事実を言っただけだ。退学が怖いというのは、学校に残りたい人間の理屈で、俺はその理屈を最初から持ち合わせていない。持っていないものを勘定に入れる方がおかしい。

 

しばらくして、堀北が短く息を吐いた。

 

「……あなたと話していると、時々、自分の方がおかしいのかと思うわ」

 

「そりゃあんたが正しいからだろ」

 

会話はそこで終わった。

 

 

 

 

 

少し離れた場所では、平田が数人を集めて団体戦の相談を始めていた。綱引きは人数が要る、騎馬戦は組む相手の背丈が揃っていた方がいい、そういう実務的な話だ。輪の中で、何人かが自分の測定結果を見せ合っている。数字を出して、並べて、誰をどこに置くかを決めていく。

 

体育祭ってのは、こういう時間の方が長いんだろう。本番の一日より、その手前で何をどう配るかの方に、余程手間がかかる。

 

俺はその輪には入らなかった。呼ばれもしなかった。平田は一度こっちを見たが、声はかけてこなかった。あれはあれで、正しい判断だ。

 

 

 

 

 

午後、校庭の反対側では、他クラスの測定が並行して行われていた。

 

Bクラスの列が、こちらから見て一番近い場所にあった。列の作り方が、Dクラスとは違う。誰も急かされていないのに、順番が滞っていない。そういう並び方だった。

 

その中心に、一之瀬帆波がいた。

 

記録を取り終えた生徒が戻ってくるたび、一之瀬が何か声をかけている。数字を覗き込んで、笑って、相手の肩を叩く。良い記録が出た奴だけじゃなかった。むしろ、うつむいて戻ってくる奴の方に、長く時間を割いていた。

 

「ちゃんと伸びてると思うよ!」

 

「いや、でも下から数えた方が早いし……」

 

「去年の自分より速くなってるんでしょ?それは伸びてるって言うんだよ」

 

言われた方が、少しだけ顔を上げた。

 

同じやり取りが、何度も繰り返されていた。それが二十回も三十回も続いて、一之瀬の顔からは一度も笑いが抜けなかった。

 

妙なもんだ。

 

人が人に何かをしてやる時、そこには必ず理由がある。見返りか、義理か、体裁か、後でまとめて払わせるための貸しか。そのどれかが混じっていれば、勘定は読める。読めれば、相手がいつ手を引くかもわかる。

 

この女の場合、その勘定がどこにも見当たらなかった。

 

貸しを作ってる風でもねえ。人気を買ってる風でもねえ。票が欲しいなら、下位の連中に時間を割くより、目立つ奴の隣にいた方が早い。それをやっていない。

 

勘定に乗らねえ善意ってのは、一番読みにくい。

 

いつ降りるかが読めねえからだ。折れる場所が見えねえ相手ってのは、卓では一番厄介な種類に入る。

 

坂柳も龍園も、読める。あの二人は、欲しいものがはっきりしていて、そのために何を捨てるかも決まっている。だから厄介ではない。欲しいものが見えている相手は、いつか必ずそこに手を伸ばす。伸ばした瞬間が、こっちの番だ。

 

一之瀬帆波には、それが無い。

 

「――あれ、赤木くん」

 

気づいたら、向こうがこっちに気づいていた。

 

「久しぶりだね。船の時以来かな」

 

「そうだな」

 

一之瀬が、少しだけ列を離れてこっちに来た。

 

「記録、どうだった?」

 

「平凡だ」

 

「そっか。平凡っていいと思うけどな、私は」

 

「そうか」

 

それだけで終わると思っていたが、一之瀬はまだそこにいた。

 

「あのね、変なこと訊いてもいい?」

 

「なんだ」

 

「赤木くんって、体育祭、楽しみじゃないよね」

 

「楽しみにする理由がねえ」

 

「うん、そんな感じがした」

 

一之瀬は少し笑って、それから自分のクラスの列を見た。

 

「うちのクラス、下位10人のことでちょっと沈んじゃってる子もいてさ。だから、できるだけ一緒にいようと思って」

 

「一緒にいれば、記録が伸びんのか」

 

「伸びないよ」

 

「じゃあ、なんでやる」

 

一之瀬は、少しの間だけ考える顔をした。

 

「うーん……伸びないけど、一人で沈むのと、みんなで沈むのは、違うと思うから」

 

答えになっていなかった。だが、この女は嘘をついていなかった。それだけはわかった。

 

「変わってんな、あんた」

 

「よく言われる。赤木くんにだけは言われたくないけどね」

 

「一つ訊きたい」

 

「うん?」

 

「あんたのクラスは、体育祭で勝つ気があるのか」

 

一之瀬は、今度は迷わなかった。

 

「あるよ。勝ちたい」

 

「さっきの連中を抱えたままでか」

 

「うん。抱えたままで勝ちたい」

 

捨てる気がねえらしい。勝ちたいなら、遅い奴を切って速い奴を並べた方が早い。それを知らねえわけでもねえだろうに、この女は知った上で捨てない方を選んでいる。

 

重い荷物を背負ったまま走る、と本人が決めている。それ自体は勝手だが、卓に着く相手としては、こっちの方が余程読みにくい。

 

一之瀬は軽く手を上げて、列の方へ戻っていった。

 

背中を見送りながら、さっきの答えをもう一度頭の中で転がした。伸びないけど、一緒にいる。

 

損も得もねえ。代わりに、失うものもねえ。あの女は、まだ一度も張っていない。

 

 

 

 

 

夕方、端末に測定結果が届いた。

 

一覧を開いて、自分の欄を一度だけ見た。どの項目も、真ん中の少し下に固まっていた。下から10番目に入るほどではないが、上から数えて楽しくなる数字でもない。

 

閉じて、そのまま鞄に放り込んだ。

 

配置希望の用紙の締切は、今週中だった。用紙は、まだ鞄の底で折り目もついていない。

 

種目は選べない。選べるのは、どの戦に入るか、どの位置に立つか。要するに、どこで人に見られるかを決めろということだ。

 

それで構わなかった。

 

端末の通知が、もう一件届いていた。差出人は平田で、宛先はクラス全員。明日の放課後、Aクラスとの合同の打ち合わせがある、出られる者は出てほしい、という内容だった。場所は特別棟の大教室。

 

出る気は無かった。だが、向こうがこっちの数字を全部持った上で何を出してくるかは、一応見ておく価値がある。

 

体育祭まで、まだ一月近くある。並べられた数字を眺めて浮かれたり沈んだりできるのは、それ自体が平和な話だ。

 

俺の方は、まだ何も張っていない。張るための卓すら、どこにも立っちゃいなかった。

決着をつけてほしいのはどれ?

  • 坂柳との再戦
  • 龍園との貸借
  • 綾小路との関係
  • 堀北との距離感
  • 櫛田との停戦
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。