アカギ〜実力至上主義の教室に舞い降りた天才〜   作:GC

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第54話「席順」

翌日の放課後、特別棟の大教室に人が集まった。

 

赤組の合同打ち合わせ、という名目だった。AクラスとDクラス、両方から三十人ほど。教室の前半分にAが座り、後ろ半分にDが固まっている。誰が決めたわけでもないのに、境目がきれいに引かれていた。

 

出る気は無かったが、結局来た。向こうがこっちの数字を全部持った上で何を出してくるか、それだけは見ておきたかった。

 

前の扉が開いて、杖の音が入ってきた。

 

 

 

 

 

坂柳有栖。始業日に廊下ですれ違って以来だった。あの時は、同じ組になったという話を一つ置いていっただけで、中身には触れずに去っていった。

 

「お集まりいただき、ありがとうございます」

 

声は張っていないのに、教室の後ろまで届いた。

 

「赤組は、AクラスとDクラスの合同です。組として勝てば双方0、負ければ双方マイナス100」

 

「それと、もう一つ」

 

坂柳は、そこで一度言葉を切った。

 

「組の勝敗とは別に、クラスごとの合計点で学年内の順位も出ます。一位は50の加点、二位は増減なし、三位は50の減点、四位は100の減点です」

 

教室の空気が、わずかに変わった。

 

「つまり、組としては味方で、クラスとしては競合ということになりますね」

 

坂柳の隣には、背の高い男が立っていた。葛城だ。手元の書類を配る係に回っている。龍園から聞いた話からすれば、この並びが今のAクラスの形なんだろう。

 

配られた紙を見て、教室が少しざわついた。

 

団体戦の割り振り案だった。綱引き、騎馬戦、それぞれの出場者と配置が、既に埋まっている。Aの名前も、Dの名前も、区別なく並んでいた。

 

「昨日の測定結果を基に、こちらで一度推奨案を組んでみました。後ほど各クラスで希望を出していただきますが、基本的にはこの案に沿っていただく方が、赤組としての勝率は高くなります」

 

「……これ、うちの記録、全部反映されてるんだね」

 

平田が、紙から顔を上げた。

 

「ええ。いただいた数字は全て使わせていただきました」

 

数字を渡したのは、こっちだ。渡したものが返ってくる時には、もう別の形になっている。そういう手順だった。

 

案そのものは、よく出来ていた。速い奴が個人競技に回され、遅い奴は団体戦の頭数に吸収されている。誰も無駄に晒されない配置になっていた。

 

ただ、組として勝つための配置と、クラスの順位を取るための配置は、同じもんじゃねえ。

 

個人競技の枠を見た。点が積み上がるのはそっちだ。そして、そこに入っているDの名前は、須藤を除けば数えるほどしかなかった。残りは全部、Aの名前で埋まっている。

 

団体戦で勝てば、組としては勝つ。組が勝てば、Dも減点を免れる。そこまでは本当だ。

 

だが、クラスごとの合計点で並べた時、頭数として使われただけのDは、四つのうちのどこに落ちる。

 

坂柳は嘘を一つも言っていない。順位の話も、自分から先に出した。出した上で、この案を配っている。

 

先に言ってしまえば、誰も後から文句を言えねえ。うまいもんだ。

 

平田が手を挙げた。

 

「綱引きの人数、うちの方が多いけど、これは」

 

「Dクラスの方が平均の握力が高かったからです。純粋に、その方が勝率が上がります」

 

「そうか。……ありがとう」

 

平田が座った。反論の余地が無かったからだ。数字を根拠に組まれた案は、数字でしか崩せない。そして、数字はもう全部向こうの手の中にある。

 

紙の下の方に、自分の名前があった。

 

綱引き。それだけだ。個人競技の欄に、俺の名前は無い。

 

妥当な配置だった。平凡な数字の男を、目立つ場所に置く理由は無い。誰が見ても納得する。

 

 

 

ただ、そこに一つだけ引っかかるものがあった。綱引きの並び順で、俺の位置が最後尾になっていた。アンカーだ。綱引きの最後尾は、一番体重と粘りが要る場所で、本来なら須藤みたいな男が入る。

 

 

 

その須藤は、先頭から二番目に置かれていた。

 

「おい、須藤の位置、逆じゃねえか」

 

顔を上げると、坂柳がこっちを見ていた。既に見ていた、という顔だった。

 

「ふふ。気づかれましたか」

 

「答えになってねえ」

 

「先頭に力のある方を置くと、序盤で一気に持っていけます。最後尾は、押し返された時に耐える場所ですから」

 

「耐えるだけなら、俺じゃなくていい」

 

「そうですね。ですが、耐えるのが得意そうな方でしたので」

 

教室の何人かが笑った。冗談として処理されたらしい。

 

坂柳は笑っていなかった。

 

 

 

 

 

打ち合わせが終わって、人が捌けていく。廊下に出たところで、杖の音が後ろから追いついてきた。

 

「赤木くん。少しだけ」

 

「なんだ」

 

「先日は、廊下で立ち話にもなりませんでしたね」

 

「用件が無かったからだろ」

 

「ええ。今日はございます」

 

坂柳は、少し首を傾けた。

 

「体育祭、楽しみにされていますか」

 

「その質問、昨日もされた」

 

「あら。どなたに」

 

「Bクラスの一之瀬だ」

 

一瞬だけ、坂柳の目の動きが変わった気がした。だが、それだけだった。

 

「彼女は、どうお答えになりましたか」

 

「訊いたのは向こうだ。答えたのはこっちだ」

 

「では、なんとお答えに」

 

「楽しみにする理由がねえ、と言った」

 

「正直な方ですね」

 

「嘘をつく理由もねえ」

 

坂柳が、小さく笑った。

 

「赤木くん。この行事は、あなたには向いていません」

 

「知ってる」

 

「走る速さも、腕の力も、あなたの持ち物ではないでしょう。数字は昨日、全部拝見しました」

 

「で、何が言いたい」

 

「別に。ただ、向いていない場所で何もせずに終わる方を、私は一度も見たことがありませんので」

 

「勝手に見込むな」

 

「そうかもしれません。では、話を変えましょう」

 

坂柳が、少しだけ間を置いた。

 

 

 

「彼、の話をしてもよろしいでしょうか」

 

 

 

「......表向きはいつもどおりだろ」

 

「ええ、存じています。伺いたいのは、そちらではありません」

 

「じゃあ何だ」

 

「彼は、これまでに何かに本気になったことがありますか」

 

妙な訊き方だった。成績でも、素性でもない。本気になったことがあるか、と訊いてきた。

 

「知らねえよ」

 

「そうですか」

 

「知ってたとして、あんたに話す義理もねえ」

 

「ふふ。そうでした、あなたはそういう方でしたね」

 

坂柳は、それ以上食い下がらなかった。食い下がる必要が無かったんだろう。訊いた時点で、こっちが何を知らないかは向こうに伝わっている。

 

杖を突き直す音がした。

 

「では、当日を楽しみにしています」

 

杖の音が遠ざかっていく。葛城が少し遅れて後を追い、こっちに一度だけ会釈をして通り過ぎた。

 

向いていない場所で、何もせずに終わる。

 

その通りだ。今回に限っては、本当にその通りになる。あの女が何を期待しているのか知らねえが、無いものは出てこねえ。

 

 

 

 

 

階段の踊り場で、葛城が待っていた。配り終えた書類の束を、まだ抱えたままだった。

 

「赤木か。島以来だな」

 

「あんたは変わってねえな」

 

「変わる必要が無い。……さっきの綱引きの件だが」

 

「案を作ったのは、あんたか」

 

「いや。俺は目を通しただけだ」

 

葛城は、束を持ち直した。

 

「目を通して、直す必要が無いと判断した。それだけは伝えておく」

 

「わざわざか」

 

「あの配置に意味があるかどうか、俺にも分からん。分からんものを黙って通したことを、後で誰かに問われた時のためだ」

 

言い訳をしに来たわけじゃなかった。この男は、自分が何をしたかを記録に残しておきたいだけだ。

 

「島の一件で、あんたは沈んだな」

 

「......お前は龍園と仲が良かったんだな。事実だ」

 

「それでも、まだ書類を配ってるんだな」

 

「クラスは俺の持ち物ではない。沈んだのは俺で、クラスではない」

 

それだけ言って、葛城は階段を降りていった。

 

 

 

 

 

教室に戻ると、配置希望の用紙がまだ鞄に入ったままだった。

 

締切は今日だ。机に広げて、欄を眺めた。

 

種目そのものは選べない。100m走も、障害物競走も、綱引きも、棒倒しも、全員がどこかの組に入って出ることになっている。書くのは、何戦目に入りたいか、団体戦でどの位置を希望するか、それだけだ。

 

どこで人に見られるかを選べ、と言っているのと同じだった。前の方の戦に入れば、後の連中に手の内を見せることになる。後ろに回れば、先に他人の手を全部見られる。

 

さっきの坂柳の推奨案の通りでいいなら、白紙で出せば向こうが勝手に処理する。希望欄は、全部空けたまま出した。

 

「赤木、何も書いてねえじゃねえか」

 

須藤が覗き込んできた。

 

「書くことがねえ。あの案の通りでいい」

 

「あんだろ、もっと前の方がいいとか、そういうの」

 

「どこでも同じだ」

 

「もったいねえだろ。俺は絶対、個人枠をもぎ取ってやる」

 

「勝手にしろ」

 

須藤は呆れた顔をして、自分の用紙を提出箱に突っ込んだ。推奨案など無視して、全部の欄がびっしり埋まっていた。

 

堀北は、教室の前で用紙の集計をしていた。平田と二人で、出ていない生徒の名前を突き合わせている。取りまとめの実務は、結局この二人のところに集まる。

 

目が合ったが、向こうはすぐに手元へ戻った。今日は話しかけてこなかった。忙しいのもあるんだろう。

 

集計が終わる頃、平田が声を上げた。

 

「堀北さん、この名簿、生徒会に出すやつだよね。綾小路くんの分がまだ出てないみたいだけど」

 

「ええ。でも時間がないわ。彼の分は空欄扱いで提出する。どうせ適当なところに放り込まれるだけよ」

 

「わかった。僕が行こうか」

 

「いいえ、結構よ」

 

短い返事だった。平田は少しだけ間を置いて、それ以上言わなかった。

 

堀北は名簿を揃えて、封筒に入れた。入れる手つきが、いつもより丁寧だった。

 

「赤木くん」

 

呼ばれて、顔を上げた。

 

「あなたの用紙、何も書かれていないのだけれど」

 

「それで合ってる」

 

「……そう」

 

堀北は何か言いかけて、やめた。封筒を抱えて、教室を出ていった。

 

 

 

 

 

夕方、寮へ戻る道で、龍園に会った。

 

向こうから来た、というより、そこで待っていたという方が近い。

 

「よう、赤木」

 

「白組が、こんなところで何してる」

 

「敵陣の偵察だ、と言ったら信じるか」

 

「信じねえ」

 

「ククッ、そうだろうな」

 

龍園は、フェンスに背中を預けたまま動かなかった。

 

「体育祭だとよ。走って跳んで、点が入る。くだらねえ行事だ」

 

「あんたが言うと、白々しいな」

 

「本気で言ってるぜ。俺は走るのに興味はねえ」

 

「だが、勝つ気はあるんだろ」

 

「当たり前だ。負けたら100持ってかれる。くだらねえ理由で毟られるのは趣味じゃねえ」

 

そこは筋が通っていた。この男は、行事そのものには何の関心も持っていない。ただ、失うのが嫌なだけだ。

 

「一つ訊く」

 

「言ってみろ」

 

「あんたのところと、Bは組んでるんだったな」

 

「形の上ではな」

 

「形の上では」

 

「一之瀬が白組をまとめてる。俺は口を出しちゃいねえ」

 

「昨日、話した」

 

「ほう」

 

「測定の場でな。負けた奴の横に、ずっと立ってた」

 

「そういう女だ」

 

「珍しいな。仕切りたがるかと思ってた」

 

「仕切って勝てるなら仕切る。あの女がやった方が勝率が高えなら、任せる。それだけだ」

 

言い方は雑だったが、中身は冷静だった。この男が一番嫌うのは、損得を感情で曲げることだ。

 

「で、あんたは何しに来た」

 

「夏の分の清算だよ」

 

龍園が、ポケットから何かを取り出して放ってきた。受け取ると、薄く正方形に近い、小さなアルミの小袋が三つばかり繋がったものだった。

 

「なんだこれは」

 

「あ?」

 

龍園が、妙な顔をした。

 

「とぼけてんのか」

 

「とぼける理由がねえ。見たことがない」

 

龍園は数秒ほどこっちの目を見ていたが、やがて本気だと悟ったらしい。

 

「は……?」

 

龍園の口から、素っ頓狂な声が漏れた。

 

「お前……マジで言ってんのか。なんだと思う、それ」

 

「何かの薬か。絆創膏の類にも見えるが」

 

「ククッ……クハハハハ!」

 

龍園はフェンスに寄りかかったまま、腹を抱えて大声で笑い出した。

 

「お前、常識知らずにも程があんだろ。傑作すぎるぜ、赤木」

 

「笑う要素がどこにある」

 

「まあいい、使い方は教えてやらねえよ。お前、櫛田の部屋に毎日通ってんだろ?今日、あいつにそれ見せてみろ。間違いなく喜ぶぜ」

 

「余計な世話だ」

 

「借りを返してるだけだぜ。夏に、こっちが調べ損ねた分がある。まあ、実用品の差し入れだ」

 

「あれはもう終わった話だろ」

 

「終わったことにしたのはお前だ。俺は積んだ覚えがある」

 

こういう男だ。貸し借りの帳面を、自分の都合で開いたり閉じたりする。だが、開いた時に必ず何かを乗せてくるのも、この男の性質だった。

 

「そうか、もらっとく」

 

「ククッ、そうしろ」

 

龍園はフェンスから背中を離した。

 

「赤木。体育祭、お前はどうする気だ」

 

「決まったところに出るだけだ」

 

「そうじゃねえ」

 

「そういう話しかねえよ」

 

龍園は少しの間だけこっちを見ていた。それから、口の端を歪めた。

 

「つまらねえ答えだ。だが、お前が本当につまらねえ男だったことは、一度もねえ」

 

龍園は思い出し笑いを堪えるように、ニヤリと口角を吊り上げた。

 

「せいぜい、その絆創膏で怪我には気をつけるんだな」

 

そのまま、肩を揺らしながら歩いていった。

 

 

 

 

 

寮の前で、綾小路とすれ違った。

 

正確には、すれ違ってはいない。向こうは寮の方から来て、こっちとは反対の、特別棟の方へ歩いていくところだった。

 

この時間に、あっちに用がある生徒はまずいない。部活の棟でもなければ、購買もとっくに閉まっている。

 

「綾小路」

 

呼ぶと、足が止まった。振り返る動きに、慌てたところは一つも無かった。

 

「......」

 

「どこへ行く」

 

「用事だ」

 

「そうか」

 

それ以上は訊かなかった。訊いても、この男は嘘をつかない代わりに、答えない。黙るという形で返してくるだけだ。

 

「体育祭、お前はどうする」

 

綾小路が、逆に訊いてきた。

 

「希望は出さなかった。あの案の通りだ」

 

「そうか」

 

「あんたは」

 

「まだ書いてない」

 

「締切は今日だぞ。もう堀北が持って行った」

 

「そうだな。なら、空いた枠に適当に入れられるだけだ」

 

綾小路はそう言って、そのまま歩き出そうとした。

だが、数歩進んだところで、不自然に足を止めた。

 

 

 

「赤木」

 

「なんだ」

 

「お前は体育祭がこのまま何も起きずに終わると思っているのか」

 

 

 

振り返らない背中に、いつにも増して抑揚のない声が乗っていた。

 

「何が言いたい」

 

「ただの確認だ。これまで、お互いに取り置いていた。お前がオレの中に留まっていたから成立していた」

 

「俺がどう動こうと、あんたには関係ねえだろ」

 

「関係はある」

 

綾小路が、ゆっくりと顔だけをこちらに向けた。

その目はいつもの無機質な色だったが、今までどこかに残っていた傍観者の気配が、消えていた。

 

「お前は、オレの秤では量れない」

 

言い捨てるでもなく、淡々と事実だけを告げていた。

説明のない違和感だけが、静かに喉の奥に引っかかった。

 

「……そうかい」

 

「オレは、お前が何者なのか、見極めたい」

 

「フフフ、勝手にしろ」

 

「……」

 

綾小路はそれ以上何も言わず、再び特別棟の暗がりへ向き直った。

 

今度こそ足を進めていく。

歩幅も、足音も、今までと何一つ変わらない。

 

歩き方が、いつもと同じだった。急いでもいないし、隠れてもいない。ただ、行き先だけが日常から外れていた。

 

 

 

 

 

夕食後、いつものように櫛田の部屋へ向かった。

 

ドアを開けると、ジャージ姿の櫛田がローテーブルに教科書を広げて待っていた。

 

「遅い。五分遅刻」

 

「悪りぃな」

 

「まあいいけど」

 

英語の過去問を解き終え、櫛田が答え合わせをしている間。ふと、ポケットに入ったままだった小袋のことを思い出した。

 

「おい」

 

「なに? 今採点してるんだけど」

 

「龍園から、妙なものを貰った」

 

「......龍園くんから?」

 

櫛田が顔を上げた。俺はポケットから、三つ繋がったアルミの小袋を取り出し、テーブルの上に置いた。

 

「……」

 

櫛田の動きが、ピタリと止まった。

手にした赤ペンが、ポトリとノートの上に落ちる。

 

「あいつはこれを見せればあんたが喜ぶと言っていた。なんだこれは」

 

「…………は?」

 

櫛田は、テーブルの上のそれと、俺の顔を交互に見た。

いつもなら即座に毒づくはずの口が、パクパクと開閉している。やがて、その顔が一気に茹でダコのように赤く染まった。

 

「ちょっと……っ! なんであんた、そんなもの堂々と出してんのよ!」

 

「なんだと訊いている」

 

「な、なんで私に見せるのよ! ばかじゃないの!?」

 

櫛田は椅子から立ち上がり、顔を真っ赤にして後ずさった。

 

「お前が喜ぶと聞いたからだ」

 

「喜ぶわけないでしょ! 最低! 龍園くんもあんたも、頭おかしいんじゃないの!?」

 

「何を言ってるんだ、あんた」

 

「は……? あんた、本気で言ってるの?」

 

俺の真顔を見て、櫛田は少しだけ冷静さを取り戻したらしい。だが、今度は呆れたような、信じられないものを見るような目つきに変わった。

 

「赤木くん……これ、本当に何か知らないの?」

 

「知らないから訊いている。絆創膏のようなものだと龍園は言っていた」

 

「嘘でしょ……」

 

櫛田は頭を抱え、深いため息を吐いた。

 

「……あのね。これは、その……男の人と女の人が、あーもう! とにかく、怪我を治すものじゃなくて、防ぐものなの! いろんな意味で!」

 

「防ぐ? 毒でも入ってるのか」

 

「違う! もう言わせないでよ馬鹿!」

 

叫んだ後、櫛田はクッションを抱え込んで顔を埋めた。耳まで真っ赤になっていた。

 

「……なるほど。そういう代物か」

 

ようやく龍園が腹を抱えて笑っていた理由が分かった。確かに、こんなものを真顔で訊いてくる奴がいたら、滑稽には違いない。

 

「役に立たないな。捨てるか」

 

俺が小袋を手に取ってゴミ箱へ捨てようとすると、クッションから顔を上げた櫛田が慌てて止めた。

 

「ちょっと待って! 私の部屋のゴミ箱に捨てないでよ! 明日ゴミ出しの時に見られたら、私が使ってるみたいに思われるじゃない!」

 

「面倒だな。なら持って帰る」

 

「……さっさと自分の部屋で捨てて。っていうか、もう二度と私にそういうの出さないでよね。セクハラで訴えるから」

 

櫛田は睨みつけてきたが、その目はまだ少し潤んでいて、怒りというよりは羞恥の方が勝っているようだった。

 

「善処する」

 

「善処じゃなくて絶対!」

 

息を吐き出すと、櫛田はバシッとノートを叩いた。

 

「ほら、さっさと続きやるよ! 次は数学!」

 

赤くなった顔を誤魔化すように、櫛田はいつもより乱暴にページをめくった。

俺はポケットに小袋をしまい直し、シャープペンシルを手に取った。

 

 

 

 

 

部屋に戻って、鞄を置いた。

 

希望は一つも出さなかった。割り振られた場所に立って、割り振られた分だけ動く。体育祭で俺がやることは、それで全部だ。

 

向いていない場所で、何もせずに終わる。それでいい。

 

ただ、この学校で「何も起きない」という札が、そのまま最後まで通ったことは、まだ一度も無かった。

決着をつけてほしいのはどれ?

  • 坂柳との再戦
  • 龍園との貸借
  • 綾小路との関係
  • 堀北との距離感
  • 櫛田との停戦
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