【完結】アカギ〜実力至上主義の教室に舞い降りた天才〜   作:GC

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第64話「対面」

体育祭の前日、校庭は別の場所になっていた。

 

白線が引き直されて、テントが四つ立った。赤と白の旗が、朝からずっと風に鳴っている。

 

午前で授業が終わって、午後は全員が駆り出された。俺は折り畳みの長机を運ぶ組に入れられて、校舎の裏から校庭の端まで、七往復した。

 

「赤木、そっち持て」

 

「ああ」

 

須藤が反対側を持った。この男は、黙って物を運んでいる時だけは、まともに見える。

 

「なあ」

 

「なんだ」

 

「お前、明日どうすんだよ」

 

「走るんだろ」

 

「そうじゃねえよ。棒倒しだよ。お前、あれ出んだろ」

 

「出るらしいな」

 

「らしいなって、お前」

 

須藤が机を下ろして、腰を伸ばした。

 

「相手Aだぞ。向こう、体格でかいのばっか前に出してくるって話だ」

 

「そうかい」

 

「そうかいじゃねえって。……まあ、お前は倒されねえだろうけどよ」

 

そう言って、自分で笑った。

 

俺は何も言わなかった。

 

倒されるか倒されないかで人が動くと思っている間は、こいつはまだ楽なところにいる。

 

机を並べ終えた先に、白組のテントがあった。

 

Bクラスの連中が集まっていて、その真ん中に一之瀬がいた。

 

一人ひとりに何か言っては、肩を叩いている。叩かれた方が、笑って何か返す。それが順番に回っていた。

 

聞こえたのは、一言だけだった。

 

「勝ち負けより、転んだ人を置いていかない。それだけは守ろうね」

 

言われた連中の顔が、揃って緩んだ。

 

同じ組の人間を、あそこまで本気で勘定に入れる奴は珍しい。

 

嘘が無い。嘘の無い言葉は、聞いた方が勝手に力を出す。

 

明日、あの組は伸びる。

 

一之瀬が、こちらに気づいた。

 

「あ、赤木くん」

 

「よう」

 

「明日、敵同士だね」

 

「そうらしいな」

 

「手加減はしないよ」

 

「されても困る」

 

呼ばれて、一之瀬はテントの方へ戻っていった。

 

戻る足が速かった。

 

待っている人間が多い奴は、歩き方が変わる。

 

赤組の側では、Aクラスが几帳面に整列していた。

 

列の間隔が揃いすぎていて、遠目には人間の集まりに見えなかった。一つの道具のように見えた。

 

そこに、杖はいなかった。

 

俺は、それを数に入れておいた。

 

 

 

 

 

机を運び終えて戻る途中、校庭の中ほどで足を止められた。

 

「よぉ」

 

龍園だった。白い鉢巻を首に引っ掛けている。Cは白組だ。

 

「ククク、明日はせいぜい頑張ろうぜ?」

 

「勝手にしろ」

 

「潰しといてやるよ」

 

「好きにしろ」

 

「つまんねえ返事すんじゃねえ」

 

龍園は笑った。笑ってから、鉢巻を指で回した。

 

「ま、どうせ明日の話なんざ、お前の中じゃ何番目かも分からねえんだろ」

 

「そうでもねえ」

 

「ほう」

 

「明日で何かが決まる奴が、この学校には何百人もいる。俺の何番目かとは関係ねえ話だ」

 

龍園が、少しだけ目を細めた。

 

「……相変わらず、間尺に合わねえことを言う」

 

「そうかい」

 

「一つ言っとくぞ、赤木」

 

指が止まった。

 

「お前、俺にまだ払ってねえもんがある」

 

「あるな」

 

「認めんのかよ」

 

「無いと言ったら、あんたが困るだろ」

 

龍園は数秒黙って、それから声を出して笑った。

 

「ククッ、覚えとけよ」

 

そう言って、白組のテントの方へ歩いていった。

 

払っていないものがあるのは、本当だ。

 

取りに来るかどうかも、あの男が決める。取り立てを待っている間だけ、人は妙に律儀になる。

 

 

 

 

 

赤組のテントの前で、名を呼ばれた。

 

「赤木」

 

葛城だった。手に進行表を持っている。角が折れるほど何度も繰った跡がついていた。

 

「明日の棒倒しだが、赤組は合同で組む。Dの前衛は、そちらで決めてあるか」

 

「知らねえ」

 

「知らない、で済む話ではない」

 

「決めた奴に訊いてくれ」

 

葛城は、少しの間こちらを見ていた。

 

怒っている顔ではなかった。処理すべき項目が一つ片付かない、という顔だった。

 

「……平田に確認する」

 

「そうしろ」

 

行きかけて、葛城が止まった。

 

「訊きたいことがある。お前のクラスは、明日どこを狙っている」

 

「知らねえよ」

 

「二度目だ」

 

「二度訊いたのはあんただろ」

 

葛城が、短く息を吐いた。

 

「俺は、渡された図の通りに並べただけだ。図を引いた人間が現場にいないのでは、途中で変えることもできん」

 

俺は、Aの整列の方を見た。

 

やはり、杖はいない。

 

「あんたの上は、来ねえのか」

 

葛城の顔が、一度だけ動いた。

 

「……体調の管理は、本人の裁量だ」

 

「そうかい」

 

「俺が言えるのは、そこまでだ」

 

そう言って、葛城は進行表を持ち直して歩いていった。

 

折れた角が、そのままになっていた。

 

現場に出てこない人間が組んだ配置を、出てきた人間が守る。

 

守っている間は、負けても誰のせいにもならない。

 

そういう形にしてある卓を、俺は何度か見たことがある。

 

たいてい、途中で誰かが降りる。

 

 

 

 

 

片付けが終わったのは、日が傾き始めた頃だった。

 

水を飲みに、校舎の裏の自販機まで歩いた。

 

人気の無い場所だった。壁の影が長く落ちていて、風が通らない。

 

小銭を入れて、缶を一つ落とした。

 

その音の後ろから、別の音が近づいてきた。

 

コツ、と。

 

コツ、と。

 

一定の間隔で、硬いものが地面を突く音だった。

 

俺は缶を取り出してから、振り返った。

 

「こんにちは、赤木くん」

 

坂柳有栖が立っていた。

 

一人だった。神室も、他の誰も連れていない。

 

「よう」

 

「お一人になるのを待っていました。校庭は、人が多すぎますから」

 

「待った、か」

 

「ええ。少しだけ」

 

杖の先が、地面の上で小さく円を描いた。

 

「明日が本番ですね」

 

「そうらしいな」

 

「あなたは、楽しみにしているようには見えません」

 

「楽しみにするもんでもねえだろ」

 

「ふふっ。そうでしょうね」

 

坂柳は笑った。笑って、すぐに消した。

 

消すのが早かった。

 

 

 

「堀北さんから、ご連絡をいただきました」

 

「そうかい」

 

「勝負を、お受けすると」

 

「そうだな」

 

「私は、断られると思っていました」

 

缶のタブを起こした。

 

小さな音がした。

 

「誰に断られると思ってた」

 

「堀北さんにではありません。あなたにです」

 

「俺か」

 

「あの形では、あなたの側に何も懸かりません。懸からない勝負を受ける理由が、あなたには無いはずです。ですから、堀北さんは断られて帰ってくるだろうと」

 

「断ったぜ」

 

坂柳の目が、わずかに広がった。

 

「堀北が頼んできた。勝負を受けた上で、負けてくれとな。断った」

 

「……そうですか」

 

「その上で、勝負は受けた」

 

「順番が逆です」

 

「そうかい」

 

「頼みを断って、勝負だけ受ける。その形は、私の想定にありませんでした」

 

声は落ち着いていた。

 

ただ、杖を握る指が、一度だけ握り直された。

 

想定に無かったものが出てきた時、人の顔は決まった動き方をする。

 

強がるか、黙るか、話を変えるかだ。

 

こいつの場合は、少し楽しそうになった。

 

「確認をさせてください」

 

「言ってみな」

 

「堀北さんは、私の出した条件を、全てあなたに話しましたか」

 

「五つ、全部な」

 

「では、五つ目も」

 

「俺には何も懸からねえ、ってやつか」

 

「ええ」

 

坂柳が一歩、近づいた。

 

杖の音は変わらなかった。

 

「あなたをお呼びしたのは、私個人の都合だけではありません。ですが、あなたの側に賭け金を積ませれば、卓につく前に降りてしまうかもしれません。あなたは、降りることを厭わない人ですから」

 

「厭わねえな」

 

「ですから、何も懸けなくていい形にしました」

 

「親切だな」

 

「本気でそう思っています」

 

「フフ、あんたが、か」

 

「ええ」

 

嘘は言っていないようだった。

 

言っていないから、質が悪い。

 

「一つ、言っとく」

 

「どうぞ」

 

「懸かってねえ、ってのが違う」

 

缶を口に運んで、一口だけ飲んだ。

 

冷たかった。

 

「俺が参加するってことは、いつだって卓の上にそれ相応のものが乗ってる。あんたが積まなくても、最初から乗ってる」

 

坂柳は、黙った。

 

返事を探している顔ではなかった。

 

言われた言葉を、頭の中でもう一度並べ直している顔だった。

 

「……あなたにとっては、そうなのでしょうね」

 

「他の奴は違うのか」

 

「ほとんどの人は、乗っていることに気づかないまま降りていきます」

 

「なら、気づいてる奴の方が、いい席に座れるってことだ」

 

「ふふっ」

 

今度は、笑いが消えなかった。

 

その笑いを残したまま、坂柳は続けた。

 

「もう一つ、お伝えしておきたいことがあります」

 

「まだあるのか」

 

「このところ、学年の中で、面白い話が流れているようです」

 

「話」

 

「堀北さんが、生徒会長の妹だという話です」

 

俺は缶を持ったまま、坂柳を見た。

 

坂柳は、こちらを見ていた。

 

視線を外さない。外さないで、俺の顔のどこかが動くのを待っていた。

 

「事実だろ」

 

「ええ。ですが、流れる形が綺麗すぎます」

 

坂柳は、杖の先で地面を一度だけ叩いた。

 

「同じ日に、同じ言い方で、四人が同じことを口にする。そういう流れ方は、自然には起きません」

 

「撒いた奴がいるってことか」

 

「一人いますね」

 

「あんたか」

 

坂柳は、答えなかった。

 

「だからなんだってんだよ」

 

缶を振って、中身の残りを確かめた。

 

「噂ってのは、知らねえ奴の口から広がるもんだ。誰が撒いたかは、流れ始めた後じゃ誰も勘定しねえ」

 

「そうですね」

 

坂柳は、あっさり引いた。

 

引いたが、それで終わりではなかった。

 

「では、もう一つだけ。あの夜のことが、私の耳に入った経路について」

 

杖が、地面の上で止まった。

 

「堀北さんは、お気づきでした。お兄様から聞いたのでも、あなたから聞いたのでもない。四人しか知らないのであれば、消去法で一人だけ残ります」

 

「ああ」

 

「あなたも、同じ答えに行き着いているのでは」

 

「綾小路だろ?」

 

坂柳の指が、動かなかった。

 

動かなかったのが、答えだった。

 

「フフ、あいつらしいな」

 

「……らしい、ですか」

 

「他人の手札は、金に換えるもんだ。そういう奴だろ、あいつは」

 

「お怒りにならないのですね」

 

「何を怒る」

 

「あなたの知らないところで、あなたと堀北さんの立場が売られたのですよ」

 

「売られて困るもんは、最初から持ってねえよ」

 

坂柳は、しばらく何も言わなかった。

 

風の通らない日陰に、杖を突く音だけが、時々混じった。

 

「私は」

 

「なんだ」

 

「綾小路くんが、あなたにとって大切な方だと考えていました」

 

「そう見えるか」

 

「見えます」

 

「クク、なら、あんたの目は悪くねえ」

 

「否定なさらないのですね」

 

「否定する理由もねえ」

 

大切かどうかを、口に出す気は無かった。

 

出さなくても、こいつは持ち帰る。

 

持ち帰って、自分の勘定に入れる。

 

それでいい。

 

入れさせるために、口を開けている。

 

「伺っても」

 

「まだあるのか」

 

「あなたは、堀北さんに何かを教えましたか」

 

缶を持ち直した。

 

「教えたな」

 

「何を」

 

「言わねえよ」

 

「なぜです」

 

「あんたが対策する」

 

坂柳が、口を閉じた。

 

閉じてから、笑った。今度は、消さなかった。

 

「……お返しですか」

 

「取引ってのは、そういうもんだろ」

 

「では、こう伺いましょう。それは、明日までに間に合うものですか」

 

「間に合わねえ」

 

即答した。

 

「間に合わねえもんを教えた」

 

「……なぜ、間に合わないものを」

 

「間に合うもんは、教える値打ちがねえからだ」

 

坂柳は、しばらく杖の先を見ていた。

 

「あなたは、堀北さんに勝ってほしいのですか」

 

「勝つ方には賭けてねえ」

 

「では、なぜ教えたのです」

 

「訊かれたからだ」

 

「それだけですか」

 

「それだけだ」

 

「もう一つ、伺っても」

 

「まだあるのか」

 

「あなたは、堀北さんが勝てるとお考えですか」

 

「さあな」

 

「なぜ受けたのです」

 

「勝てると確信できる勝負は、受ける値打ちがねえからだ」

 

坂柳が、杖を持ち替えた。

 

「……それは、堀北さんの話ですか。それとも、あなたの話ですか」

 

「どっちでもいい」

 

「違うでしょう」

 

初めて、この女が食い下がった。

 

「勝てる勝負を受けるのは、あなたです。堀北さんは、受けさせられた側です」

 

「そうだな」

 

「同じに扱うのは、彼女に失礼ではありませんか」

 

俺は、缶を握り潰した。

 

音がした。

 

「失礼なのは、勝てねえと決めてやることだ」

 

坂柳は、口を閉じた。

 

「日取りをお伝えします」

 

坂柳が、杖を持ち直した。

 

「体育祭の次の週末。土曜日の午後一時に、特別棟の三階でお待ちしています」

 

「そうかい」

 

「それに、明日は全校が動く日です。誰も見ていない日ではありません」

 

「見られちゃまずいのか」

 

「まずくはありません。ただ、見せる相手を選びたいだけです」

 

「種目は」

 

「当日、その場で」

 

「言わねえのか」

 

「言えば、対策をなさるでしょう」

 

「フフ、しねえよ」

 

「あなたはなさらないでしょうね」

 

坂柳は背を向けた。

 

杖が、また一定の音を刻んだ。

 

コツ、と。

 

コツ、と。

 

三歩行ったところで、足が止まった。

 

「赤木くん」

 

「なんだ」

 

「堀北さんは、負けますよ」

 

「かもな」

 

「あなたは、それで構わないのですか」

 

「構わねえなんて、言った覚えはねえ」

 

坂柳は、振り返らなかった。

 

杖の音が、また続いた。

 

日陰から日向へ出た背中が、一度だけ小さく揺れた。

 

笑ったのかもしれなかった。

 

 

 

 

 

寮の前で、堀北とすれ違った。

 

ジャージのままだった。手にビニール袋を提げている。中身は見えなかった。

 

「赤木くん」

 

「よう」

 

立ち止まった。すれ違ったまま行くつもりだったが、向こうが止まった。

 

「訊いていいかしら」

 

「なんだ」

 

「降りるな、と言ったわよね」

 

「言ったな」

 

「あれは、どこで降りることを言っているの。始まる前なのか、途中なのか」

 

思ったより、まともな問いだった。

 

「両方だ」

 

「両方」

 

「始まる前に降りる奴が一番多い。座ったのに、座ってねえふりをする」

 

堀北は、袋を持ち直した。

 

「……私は、どっちに見える」

 

「今日はまだ、どっちでもねえ」

 

「答えになっていないわ」

 

「座ってねえ奴は、どっちにも見えねえってことだ」

 

堀北は、少し考える顔をした。

 

「明日、走るのよね」

 

「出ろって言われてる」

 

「二百メートル」

 

「らしいな」

 

「私も出るわ」

 

「そうかい」

 

それだけ言って、堀北は寮の中へ入っていった。

 

ビニール袋が、歩くたびに一度だけ鳴った。

 

 

 

 

 

夜、部屋の窓を開けた。

 

明日は、白か赤かのどちらかが勝つ。

 

どちらが勝っても、俺には大した違いはない。

 

ただ、勝つ組の側に立っていない方が、坂柳の気分は悪くなるだろう。

 

その程度のことだった。

 

向かいの棟の、二つ下の階の窓に、灯りが点いていた。

 

三日で全部詰め込めとは、一度も言っていない。

 

言っていないのに、あの灯りは消えない。

 

缶の底に残った冷たいものを、最後まで飲み干した。

 

窓を閉めた。

決着をつけてほしいのはどれ?

  • 坂柳との再戦
  • 龍園との貸借
  • 綾小路との関係
  • 堀北との距離感
  • 櫛田との停戦
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