アカギ〜実力至上主義の教室に舞い降りた天才〜   作:GC

67 / 68
第67話「空切り」

第三会議室は、思ったより狭い部屋だった。

 

長机が一つと、椅子が四脚。南西向きの窓から、午後の光が入っている。壁際に、使われていない椅子が積まれていた。

 

 

 

 

 

坂柳さんは、先に来ていた。

 

奥の椅子に座って、杖を膝の上に横にしている。机の上に、布をかけた箱が一つ置いてあった。

 

赤木くんも、もう座っていた。

 

「坂柳さん」

 

「よくいらしてくださいました、堀北さん」

 

「赤木くん」

 

「よう」

 

私は、赤木くんの向かいに座った。

 

鞄を椅子の脇に置いた時、中で紙の擦れる音がした。

 

持ってくる理由は、一つも無かった。

 

「一つ訊く」

 

「何かしら」

 

「準備したか」

 

私は、机の上で手を止めた。

 

訊かれると思っていなかった。

 

「したわ」

 

「そうかい」

 

「何に使うのかは、分からないままだけれど」

 

「それでいい」

 

それ以上は訊かれなかった。

 

訊かれたら、私は五日間の中身を並べ始めていた。並べれば、どれだけ足りていないかを自分で数えることになる。

 

「言っておくわ」

 

「なんだ」

 

「この前、あなたが言ったこと」

 

「降りるなってやつか」

 

「それだけは守るつもりよ」

 

「そうかい」

 

「私が負けたら、兄は終わる」

 

「そうだ、あんたが終わらせるんだ」

 

それで、この人は黙った。

 

 

 

 

 

「ふふ、主催者が遅れてますね」

 

坂柳さんがそう言った時、扉が開いた。

 

ノックは無かった。

 

「遅れた」

 

綾小路くんだった。

 

「遅かったですね」

 

坂柳さんは、それだけ言った。

 

驚いた顔ではなかった。

 

綾小路くんは、壁際の椅子から一脚取って、少し離れた位置に置いた。

 

置いて、座った。

 

「見てる。邪魔はしない」

 

「どうぞ」

 

坂柳さんは、それ以上何も訊かなかった。

 

「......せめて私に一言ないのかしら」

 

棘を刺すように言った。

 

「悪かったな、怒ってるか」

 

「通り越して呆れてるわ」

 

心の底からそう思っている、実際顔を突き合わせて出てくるのは怒りでも、悲しみでもなく、呆れだった。

 

「いい勝負を期待している」

 

「同じクラスで今後どんな顔で過ごす気かしら」

 

「オレは気にしない」

 

「そう言うだろうと思ってたわ」

 

「お前が勝って、無事教室に来れればの話だがな」

 

教室に冷たい風が吹いた。

 

 

 

 

 

赤木くんが笑った。

 

「フフ、呼んでねえ客が一番早く来るってのは、どこの卓でも同じだな」

 

「一番遅く来たつもりだが」

 

「来るつもりのねえ奴は、遅れもしねえよ」

 

綾小路くんは、答えなかった。

 

「久しぶりだな、赤木」

 

「そうでもねえだろ。先週も見た」

 

「二人三脚のことか」

 

「真ん中で走ってた」

 

「速くも遅くもない位置を選んだだけだ」

 

「ククク、真ん中で走るのが一番疲れるんだ」

 

綾小路くんは、すぐには答えなかった。

 

この二人が話すのを、私は初めて見た。

 

言葉の数は少ない。少ないのに、間が空かない。

 

先に何を言われるか分かっている人間同士の間だった。

 

坂柳さんからの連絡の、最後の一行を思い出していた。

 

赤木くんの他に、どなたもお連れにならないでください。

 

私は誰も連れてこなかった。

 

それでも、一人増えている。

 

増えたことに、坂柳さんは何も言わなかった。

 

連れてくるなと書いた本人が、何も言わない。

 

 

 

 

 

坂柳さんが布を取った。

 

出てきたのは、小さな盤と木の駒だった。

 

盤は六マス四方しかない。駒は二色に分かれていて、こちらの側は一色で八枚。

 

駒の片面に、印が押してある。

 

「今回の勝負はガイスターです」

 

聞いたことのない名前だった。

 

「八枚のうち、四枚が良い駒。四枚が悪い駒です。印はこちら側にしか見えません。相手からは、どれがどれか分からない」

 

「見えねえのか」

 

「ええ。最後まで」

 

私は、盤に目を落とした。

 

五日間で私が覚えたものは、この盤の上に一つも無い。

 

「なぜ、これを」

 

「運が入らないからです」

 

坂柳さんは、駒を戻した。

 

「札の遊びには、配るという工程があります。配られた時点で、勝ち負けの半分は決まっている。負けた方が、配りのせいにできてしまう」

 

「それがいけねえのか」

 

「言い訳の余地は、どちらにも残したくありません」

 

坂柳さんは、盤の縁を指でなぞった。

 

「それに、これは覚える量がありません。三分で終わります。五日でも五年でも、変わらない」

 

私は、顔を上げた。

 

言い返す言葉を探して、探すのをやめた。

 

五日でも五年でも変わらないのなら、私が使った五日は、この部屋では最初から無かったのと同じだ。

 

「読む以外に、やることが一つもない勝負です」

 

 

 

 

 

説明は、本当に三分で終わった。

 

駒は一マスずつ、縦か横に動く。斜めは無し。相手の駒に乗れば取れる。取った時に、初めてその駒の印が見える。

 

勝ち方は三つあった。

 

自分の良い駒を一枚、相手の陣の奥の角から盤の外へ出せば勝ち。

 

相手の良い駒を四枚とも取れば勝ち。

 

自分の悪い駒を、四枚とも相手に取らせれば勝ち。

 

「三つ目を、もう一度言ってくれ」

 

赤木くんだった。

 

坂柳さんが、少しだけ目を上げた。

 

「自分の悪い駒を、四枚とも相手に取らせれば勝ちです」

 

「取らせれば」

 

「はい」

 

「取られて勝つのか」

 

「そうなります」

 

赤木くんは、盤を見た。

 

見て、もう一度訊いた。

 

「四枚とも、か」

 

「四枚ともです」

 

他のルールは一度で済ませた人が、そこだけ二度訊いた。

 

意味があるのだろうと思った。

 

何の意味なのかは、分からなかった。

 

「並べろ」

 

「それで、よろしいのですか」

 

「くどい、聞いたろ」

 

 

 

 

 

駒は、互いに見えないように伏せて並べた。

 

自陣の手前二列、真ん中の四マスに四枚ずつ。両端の角は空ける。相手の陣の角が、こちらの出口になるからだ。

 

私は長く迷った。

 

奥に良い駒を置けば守りやすい。前に出せば早く着く。どちらにも理屈があって、どちらを選んでも相手には見えない。

 

見えないなら、理屈の通る方を選ぶしかない。

 

私は、良い駒を奥の列に寄せた。

 

顔を上げると、赤木くんはもう並べ終えていた。

 

十秒もかかっていなかった。

 

迷った跡が、どこにも無かった。

 

「では。先手は堀北さん」

 

 

 

 

 

私は、中央の一枚を前に出した。

 

決めていた。攻める。

 

八枚のうち四枚は取っていい駒で、外れても情報が残る。

 

分からないものを分からないまま置いておくと、最後に一番高い値を払う。五日間で覚えたのは、それだけだった。

 

五手目で、一枚取れた。

 

印を見た。

 

悪い駒だった。

 

八手目で、もう一枚。

 

悪い駒だった。

 

十手目で、三枚目。

 

悪い駒だった。

 

指が止まった。

 

三枚。

 

あと一枚取れば、この人の三つ目の勝ち筋が揃う。

 

顔を上げた。

 

赤木くんは、盤を見ていた。

 

三枚取られた側の顔ではなかった。

 

「フフ、取らねえのか」

 

「取らないわ」

 

「まだ表しかみれねえか」

 

「エスパーじゃないのよ」

 

私は、自分の駒を一つ横に引いて、道を塞いだ。

 

そこから先が、この勝負だった。

 

 

 

 

 

この人は、駒を前に出し続けた。

 

出した駒を、私の駒が利いている場所へ、わざわざ入れてくる。

 

取れば四枚目かもしれない。取らなければ、その駒が奥へ進む。奥の角に着けば、一つ目の勝ち方で終わる。

 

どちらも選べない。

 

「あなたの駒、さっきから取られてばかりよ」

 

言えば何か返ってきて、返ってきたものから何か読めると思った。

 

「取られてるんじゃねえ」

 

赤木くんは、次の駒を前に置いた。

 

「渡してるんだ」

 

指が止まった。

 

「……どうして、渡すの」

 

「フフ、この勝負はあんたが決めんだ」

 

私は、何も言えなかった。

 

言われていることの意味は分かる。分かるのに、それを盤の上で自分の手に置き換えることができない。

 

坂柳さんが、首を傾げた。

 

「堀北さん、あなたわかってますよね」

 

声に出たのは、その一度きりだった。

 

以後、坂柳さんは一度も口を出さなかった。

 

 

 

 

 

一度だけ、仕掛けた。

 

一枚を大きく前に出した。赤木くんの駒が二つ利いている場所へ、自分から入れた。

 

取らせるために置いた。

 

取ってくれれば分かる。良い駒なら、この人の二つ目の勝ち筋が一枚進む。悪い駒なら、私の三つ目が一枚進む。どちらにしても、次の一手で何を考えているかが読める。

 

取らなかった。

 

「取らないのね」

 

「とらねぇよ」

 

「なぜ」

 

「俺がとったら、俺が勝ったになるだろ」

 

顔が動いたと思う。

 

 

 

「覚悟決めろよ、堀北」

 

 

 

私は、その駒を引かなかった。

 

引けば、考えて置いたと認めることになる。

 

置いたままにした。

 

全ての不利益は当人の能力不足。それくらいは、もうわかってる。

 

 

 

 

 

そこから十二手かかった。

 

塞いだ。塞いだ先をまた塞いだ。駒を削られても引いて、引けなくなるまで引いた。

 

途中で一度、手が震えた。

 

震えたが、止めなかった。

 

最後の局面で、道が二本残った。

 

一本は、私の駒が塞いでいる。

 

もう一本は、空いている。

 

空いた方に、この人の駒が一枚。塞いでいる方の手前にも、一枚。

 

空いた方を塞げば、手前の駒が奥へ入る。

 

手前の駒を取れば、四枚目かもしれない。

 

取らなければ、空いた方から出られる。

 

どちらでも終わる。

 

私は長く考えた。

 

考えても、二本のうちどちらが良い駒なのかは分からなかった。

 

手前の駒を取った。

 

指で持ち上げて、印を見た。

 

悪い駒だった。

 

四枚目だった。

 

 

 

 

 

「……私の負けね」

 

坂柳さんが立ち上がった。

 

「堀北さん、正直なところ拍子抜けしました」

 

「頑張った方よ」

 

「この勝負に負けたら、あなたは兄を失う。本当に理解していますか」

 

「理解しているわ」

 

十分理解している。私の能力不足がこの結果を招いた。それ以上でもそれ以下でもない。

 

「……あなたのことを買い被りすぎたかもしれません」

 

「そうね」

 

「綾小路くん、こんなものを見たくてわざわざこんな場を設定したのですか」

 

綾小路くんは何も言わなかった。

 

「よくわかりませんね。綾小路くん、あなたのことも買い被りすぎていたのかもしれません」

 

「フフ、ごちゃごちゃ外野からうるせぇな」

 

赤木くんが笑った。

 

「......失礼いたしました。改めて、赤木くんの勝ちです」

 

坂柳さんの声が、そのあとに入った。

 

 

 

 

 

盤を見ていた。

 

顔を上げられなかった。

 

泣きはしなかった。声も震えなかった。

 

ただ、そこに座っていた。

 

兄が終わった。私のせいで終わった。

 

それを、私はこの部屋に来る前に一度飲み込んでいる。

 

飲み込んだものを、もう一度飲み込んだ。

 

一度目より重かった。

 

覚えたものは一つも使えなかった。使う場面が来ないまま、負けた。

 

必死に堪えていた涙が込み上げてきた。

 

ただ一つ、言えることはあった。

 

「......言っていいかしら」

 

「なんだ」

 

「降りなかったわ」

 

それだけだった。

 

それ以上は言わなかった。

 

言えば、言い訳の形になる。

 

 

 

 

 

壁際で、綾小路くんが立ち上がった。

 

盤の横まで来て、上から見下ろした。

 

見ただけで、何も動かさなかった。

 

「確認させてくれ」

 

「なんだ」

 

「最後の一枚、取られると思っていたか」

 

「フフ、どっちでも変わらねぇ」

 

綾小路くんの目線が盤面を見た。

 

それだけだった。

 

説明は無かった。

 

綾小路くんは、それ以上訊かなかった。

 

訊かずに、私の方を一度見た。

 

見てから、壁際の椅子に戻った。

 

 

 

 

 

坂柳さんが、盤の上の駒を集め始めた。

 

集めながら、言った。

 

「では、赤木くんが勝ったということで、5月8日の件は外に出ます」

 

「そうかい」

 

「堀北さんの負けにより、あの夜のことは私の手元に残ります」

 

「そうかい」

 

「よろしいですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よくねえよ」

 

坂柳さんの手が、止まった。

 

「なんであんたの手元に残るんだ」

 

「……何を」

 

「俺の勝ち分だ。あんたのもんじゃねえ」

 

「……堀北さんが負けた以上、そういう取り決めです」

 

「ククク、ふざけたことを言ってんじゃねぇぞ。あんたは打ってねえ」

 

赤木くんが、机に手をついた。

 

「打ったのは俺だ。座らなかった奴が勝ち分を持って帰る卓は、卓じゃねえ」

 

坂柳さんは、しばらく赤木くんを見ていた。

 

それから、駒を置いた。

 

「……差し上げます」

 

「いいのか」

 

「差し上げると言いました」

 

「フフ、ずいぶんあっさりだな」

 

「ただ、安くはありません」

 

坂柳さんは、杖を持ち直した。

 

「条件を付けます」

 

「なんだ」

 

「使ってください」

 

杖の先が、床を一度突いた。

 

「渡した以上、どう使うかは私の口出しするところではありません。ですが、放棄は認めません」

 

「放棄か」

 

「そのまま何もしない、というのが一番安い使い方です。あなたが黙っていれば、5月8日のことは誰の口からも出ない。生徒会長の立場は無事に残り、堀北さんも助かる」

 

声が、少しだけ硬くなった。

 

「まさか、そのおつもりではありませんね」

 

「捨てたら、どうする」

 

「捨てたのなら、私が拾います」

 

即座に返ってきた。

 

「拾って、私が使います。ひと月あまり、この場を作るために使いました。使われないのであれば、渡した意味がありません」

 

「フフ」

 

赤木くんが笑った。

 

「安心しろ」

 

「……安心、ですか」

 

「捨てやしねえよ」

 

 

 

 

 

赤木くんは、椅子から立った。

 

立って、机に手をついたまま言った。

 

「さらに賭け金を上げて続行する。倍プッシュだ」

 

 

 

 

 

坂柳さんが、まばたきを一つした。

 

「今、俺が受け取ったもんがある。5月8日の件と、その周りで転がってる話の始末だ。全部、俺のもんだ」

 

「……それは構いませんが」

 

「それを、丸ごと乗せる」

 

私は、顔を上げた。

 

「赤木くん、何を」

 

「乗せた上で、もう一つ乗せる」

 

赤木くんは、坂柳さんを見たまま言った。

 

 

 

「俺の退学だ」

 

 

 

部屋の音が、止まった。

 

野球部の声だけが、遠くで続いていた。

 

「待って」

 

立ち上がった。椅子が後ろに鳴った。

 

「何を言っているの。あなたは勝ったのよ。勝った人が、なぜもう一度」

 

「勝ったからだ」

 

「意味が分からないわ」

 

「勝った分を持って帰ったら、そこで終わりだろ」

 

「終わっていいでしょう」

 

声が大きくなりかけて、止めた。

 

「私が負けて、兄が終わる。それで済む話なのよ。あなたが退学する理由なんて、どこにも」

 

「あんたの兄貴は」

 

言葉が切れた。

 

「まだ終わっちゃいねえ」

 

止まった。

 

「乗せたってことは、まだ場に出てるってことだ。決まっちまったもんは乗せられねえ」

 

「……それは」

 

「勝ちゃ、戻ってくる。負けりゃ、兄貴と一緒に俺も消える」

 

血が引くのが、自分で分かった。

 

たった今、私は兄が終わることを二度飲み込んだ。

 

飲み込んだものを、この人が机の上に戻した。

 

「そんな取引、私は頼んでいないわ」

 

「頼まれてねえよ」

 

赤木くんは座らなかった。

 

「これは俺の勝負だ、あんたは負けた」

 

「……勝手だわ」

 

「そうだな」

 

「……お待ちを」

 

坂柳さんの声が、初めて低くなった。

 

「あなたには、何も懸からない形にしたはずです」

 

「あんたが懸けなかっただけだ」

 

「私が懸けなかったものを、あなたが勝手に」

 

「勝手に乗せる」

 

言い切った。

 

「受け取った分と、俺の退学。二つ積む。それで取りに行くのは――」

 

指が、二人に向いた。

 

一人は、机の向こうにいる。

 

一人は、壁際に座っている。

 

 

 

 

 

「あんたと、綾小路の退学だ」

 

 

 

 

 

坂柳さんの杖が、膝の上から滑って、床に落ちた。

 

乾いた音が鳴った。

 

誰も拾わなかった。

 

壁際で、綾小路くんが足を組み替えた。

決着をつけてほしいのはどれ?

  • 坂柳との再戦
  • 龍園との貸借
  • 綾小路との関係
  • 堀北との距離感
  • 櫛田との停戦
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。