1989年7月13日 曇り
「で? それだけじゃ面白くねぇな。お前がクガーニャと戦うなら、どう崩す?」
アタッシュケースに腰掛けたヴェラム先生が、空になったカップを揺らしながら意地悪く笑った。
その視線は、膝の上で眠るノノの銀髪を撫で続けているゼルビンさんに向けられている。
「私がクガーニャさんと戦うなら、ですか?」
ゼルビンさんは、少しだけ困ったように眉を下げた。
「……何もさせずに封殺する、と言いたいところですが、それではお話になりませんね」
「ヒッ……」
柔和な笑顔のまま放たれた『何もさせずに封殺する』という言葉に、嘘偽りや虚勢は一切混じっていなかった。
オーラに一切の揺らぎがないというのに、背筋を這い上がるようなプレッシャーに、わたしは小さく悲鳴を上げて身を竦ませた。
この人、本気だ。本気でわたしを瞬殺できる手札を、呼吸をするように持っている。
◆
(……どうしてこうなったんだっけ)
圧倒的なプレッシャーの前で硬直しながら、わたしは少しだけ時間を遡って思考を巡らせた。
事の発端は、数十分前。灰色の雲が薄れ、切れ間から柔らかな初夏の日差しが差し込み始めた頃だった。
心地よい風が通り抜け、ノノから手を引かないと決意したわたしの心は穏やかだった。
「じゃあ、ついでにクガーニャのはどうだ。一週間もコイツの修行を見ていただろう」
先生のそんな思いつきのフリから、ゼルビンさんによるわたしの能力考察が始まったのだ。
「いつでも相談に乗るって、さっき言ったじゃねえか」
「おや、早速ですか?」
ゼルビンさんは撫でる手を止めずに、オッドアイをわたしへと向けた。 まさか、わたしの能力『霊峰の守護獣(ワイルド・スピリット)』の考察までしてもらえるとは思っていなかったわたしは、少しだけ肩をびくつかせて姿勢を正した。
「ここに来た際の勘で言えば『強化系』ですし、違えてはいないと思いますが……」
ゼルビンさんが、まるで雑談の延長のような呑気なトーンで言った。 わたしは思わず、目を丸くして身を乗り出した。
「えっ!? 勘って……水見式も『発』も見せてないのに!? いくらなんでも……!」
驚くわたしに、ゼルビンさんは薄く微笑んだ。
「ええ、普通は難しいと思いますよ。ですが、それでは面白くありませんから、もう少し理屈立てていきましょうか」
そう言うと、彼はゆっくりと瞬きをした。 ノノとヨルを抱えたその姿は、相変わらず隙だらけの隠居人にしか見えない。だが、その口から紡がれる言葉は、わたしの全てを丸裸にするほど鋭かった。
「先ずは、見てわかる情報から整理しましょうか。獣を模したオーラを纏う念能力。これだけなら『変化系』という線も有り得ます。ですが、舞の要素を取り入れた独特の動きをする度に、貴女の身体能力の向上が見受けられました。したがって、逆も有り得ますが……『変化系複合の強化系』というのが、発動状態を見た私の初見の見解ですね」
(……嘘でしょう?)
わたしは息を呑んだ。見た目から『変化系』と誤認されるのがオチなのに、たった一度の動きで本質を完璧に言い当てられた。
淀みなく解体されていく自分の能力。まるで、服を着ているのに脳髄まで丸裸にされたような、圧倒的な居心地の悪さに背筋が凍った。
「深掘りするならば……クガーニャさん。貴女の出身は、ビースカフマロ近くの山岳民族の一つではありませんか?」
「……っ!」
(先生にすら、出身地の細かい地名までは教えていないのに……!)
心臓がドクンと跳ね上がる。
「貴女の衣服に散りばめられた装飾と、その重心を落とした、獣を模したような伝統の武術と舞。私の知る幾つかの村々とは少し差異がありますが、間違いなくあの地に根付くモノの一つです」
ゼルビンさんの視線が、わたしの手首につけられた民族特有の意匠が施された腕輪や、髪をまとめる帯へと向けられた。
「そして、あの地域にはさまざまな生息動物を対象にしたアニミズム信仰が深く根付いており、独特の舞は神聖な儀式に用いられていたと記憶しています」
「……」
わたしは、言葉を失った。 古物商でありコレクションハンターだとは聞いていたが、まさか辺境の山岳民族の文化や信仰、装飾品の意匠から武術の型に至るまで、これほど深い造詣を持っているとは。
民俗学を志す身として、その圧倒的な知識量に鳥肌が立つ思いだった。
「だとするならば、舞による強化を行うこの能力の本質は『信仰』です」
ゼルビンさんの声が、静かに、けれど確かな重みを持って響く。
「信仰対象を模したオーラの衣を纏い、舞を用いた『神降ろし』を利用した自己暗示によって、信仰対象のイメージに合わせた身体強化を行う。それならば、『変化系複合の強化系』でまず間違いないでしょう」 「……完璧です。ぐうの音も出ません」
わたしは乾いた笑いを漏らしながら、降参するように両手を上げた。
(見ただけで、わたしの精神的なアプローチの根幹まで……)
まるで、心臓を素手で握られているような気分だ。隠していたわけではないが、これほどまでに完璧に自分を解体されると、いっそ清々しさすら覚える。
「オーラの爪や尾、装飾品の意匠、そしてあの山岳地帯の生態系から推測するに……対象となる霊獣は『ピューマ』では?」 「……はい。我が部族の、誇り高き霊峰の守護獣です」
わたしは息を呑み、深く頷いた。
「纏ったオーラの爪と尾による、立体的で人間には難しい機動を可能とし、舞えば舞うほどしなやかに強くなっていく。スロースターターとも言えますが……」
ゼルビンさんはそこで言葉を区切り、目を細めて優しく微笑んだ。
「ただただ、自身の、自身の民族の在り方を体現した、実に良い能力です」
「っ……あ、ありがとうございます……!」
思いがけない称賛の言葉に、わたしは思わず顔を熱くして俯いた。
ハンターとしての実用性や効率よりも、わたしのルーツを、誇りを肯定してくれた。嬉しさのあまり、無意識のうちに右手で腰の短剣の柄を、愛おしむようにギュッと握りしめていた。緩んでしまう頬を、必死に下を向いて誤魔化す。
だが、空気が和んだのも束の間。
「ハンターの能力の大半が、その生業に用いる為の能力であり、戦闘にも応用が効く能力だと考えれば、充分な能力とも言えます」
ゼルビンさんの声からスッと温もりが消え、冷徹な分析者のそれへと切り替わる。
さきほどまでの心地よい初夏の風が、急に肌寒く感じられた。
隣でヴェラム先生が、カチャリとカップをソーサーに置く音がやけに大きく響く。
「──ですが、命を懸ける場面で、それは言い訳にはなりません。戦闘能力としては、先ほどスロースターターと評した通りです」
ピリッとした空気に、わたしの背筋が自然と伸びる。
「それなりの回数、舞わなければ最高出力に到達できず、何度も舞えば、それが制約だと敵にバレる。そうなれば、手練れは当然、簡単には舞わせてくれなくなります」
「うっ……」
今朝の修行でも、まさにヴェラム先生に死角を突かれ、腹部に重い一撃をもらった痛みが鮮明に蘇る。
「初動でもなかなかの俊敏性とパワーを有している様ですが、実戦において、舞う隙を稼いでくれる味方が居なければ、扱いの難しい能力といったところでしょうか。もちろん、事前に舞える襲撃側であったり、極地での走破能力としては申し分ない出来ですが」
「……おっしゃる通りです」
実戦における致命的な弱点を的確に抉られ、わたしは返す言葉を失い、小さく肩を落とした。
すると、ゼルビンさんはわたしからスッと視線を外し、隣で黙ってコーヒーカップを揺らしていたヴェラム先生へと顔を向けた。
「その点で言えばヴェラム、能力に慣らさせる意図もあるのでしょう、ですが少々加減が甘いのでは?」
「……は?」
思わず間抜けな声が漏れた。
あれほどボロボロに吹き飛ばされた今朝の修行で、先生が手加減をしていたとでも言うのだろうか。
「現状、半端に舞えてしまっている事で多少の無茶をしてでも舞って仕舞えばどうにかなると思い込んでいる節が見受けられます」
「うっ……」
図星だった。ダメージ覚悟で強引にステップさえ踏めば、出力を上げてパワーで対抗できるかもしれない。心のどこかで、そんな甘い計算をしていたのは事実だ。
「その気になれば、もっと多彩に潰せるでしょうに、なまじ力技でどうにか出来てしまうからと手を抜き過ぎては思考が育ちませんよ。ただ、潰せばいい敵では無いのですから、武闘派ではないと面倒くさがってはいけませんよ」
静かな、けれど容赦のないダメ出し。
どうやら先生は、わたしの能力を伸ばすためにわざと『強引に舞える隙』を残し、あえて単純な力技でねじ伏せていたらしい。先生がアタッシュケースの紙を本格的に使って搦め手で来ていれば、わたしはステップの一つすら踏めずに完封されていたということだ。
「……るせぇな。お前も大抵、シルバタール任せだろうが」
痛いところを突かれたのか、先生がバツが悪そうに舌打ちをし、子供のように憎まれ口を叩いた。
「シルバタールは万能ですし、そもそも私に弟子は居ませんから」
「チッ……」
ゼルビンさんに涼しい顔で完璧な正論を返され、先生は忌々しそうに眉間を揉んだ。
そして、ふっとニヤリと口角を上げると、今度は矛先をゼルビンさんへと向けた。
「……なら、偉そうに説教を垂れたついでだ。お前なら、コイツをどうする?」
「おや、弟子の育成に、口出ししていいので?」
「俺は念の基礎と応用は叩き込んだが、能力の構築までは専門外だ。それに、俺の指導不足を指摘したんだ。専門家様なら、こいつの能力をどう調整するのか代替案くらい出せるんだろうな?」
半ば意地になったような先生の言葉に促され、ゼルビンさんは「調整するなら、ですか……」と、少しだけ視線を上に向けて思考を巡らせた。
「即席なので、余り期待しないで下さい」 「いえ! お願いします、是非!」
わたしはゴクリと唾を呑み、ゼルビンさんの次の言葉を一言も聞き漏らさないように身構えた。
「問題点は、舞うという複数回の制約をこなせず、最高出力を出せないこと。なら、アプローチは大きく分けて三つ」
「三つも……!」
「ええ。一つ目は、多くの回数をこなせないのなら、『少ない回数で瞬間火力を叩き出す』方向性です」
ゼルビンさんは、わたしの腰のあたりに視線を向けた。
「先ほどの修行では、爪での攻撃で不用だったのかと思いますが……伝統武術の中には、短剣術もあったと記憶しています」 「……はい。普段は護身用として帯びているだけですが、確かに短剣の型も存在します」
「その腰の短剣を『牙』に見立て、舞の強化を一点に載せて消費する……いわゆる、必殺の大技の追加です。これなら瞬間火力は出ますが、その分、強化が消費されると再び舞う必要が有り、大きな隙となり得ますから、扱いには注意が必要ですね」
「なるほど……!」
わたしはハッとして、腰の鞘に収まった装飾の施された短い短剣に手を触れた。
「……『牙』!」
腰の短剣の柄を強く握りしめる。
(……一撃必殺……!)
外せば隙だらけになる諸刃の剣。だが、もし今まで舞って蓄積したオーラを、この『牙』一点に集中させて解放できたなら……想像しただけで、武者震いで背筋が粟立った。
「二つ目。隙を増やすことを嫌うなら、『舞う時間を稼ぎやすくする』。……どうすれば良いと思いますか? クガーニャさん」
ゼルビンさんは、試すような眼差しでわたしに問いかけた。
「舞う時間を、稼ぐ……?」
わたしは思考を巡らせた。近接戦闘で相手と打ち合いながら舞うのは至難の業だ。強引にステップを踏めば潰される。ならば。
「……距離を、取る? 相手を近寄らせないようにして、その間に舞うとか……?」
「それも良い手段です。では、距離を取るためには?」
「牽制……遠距離攻撃、ですか!」
わたしが答えに辿り着いたのを見て、ゼルビンさんは満足そうに頷いた。
「ええ。強化系ですから、どちらも隣の系統になりますね。変化系か放出系を用いて、伸びる爪や尾、もしくは飛ぶ斬撃などの『中遠距離技』を加えるのが有効です」
「なるほど……!」
「これらには先程の『牙』のような強化の消費の様な制約を付けない分、瞬間火力は出せません。ですが、そこまで広く無くとも遠距離攻撃の手段を確保しておけば、敵も簡単には近寄れず、結果として高出力を出しやすくなります」
(……そうか! 致命傷を与えるための攻撃じゃない。わたしが安全に『舞う』隙を強制的に作り出すための牽制……!)
全く新しい戦術のパズルが、頭の中でカチリと音を立てて組み合わさっていくのを感じた。
ゼルビンさんは、膝の上で微かに身じろぎしたノノの背中をポンポンと優しく叩きながら、三つ目の指を立てた。
「そして三つ目。少し戦闘面だけとは違う方向性にもなりますし、合わなければブレて出力を落としてしまうかもしれませんが……『信仰対象の切り替え』による能力の拡張、幅を広げるのも手です」
「信仰対象の……切り替え?」
「私は、この能力の本質は信仰だと想定しました。そして、貴女の故郷の信仰は多神教的アニミズムです」
予想外の言葉に、わたしは首を傾げた。
「貴女の姓である『ニクティアス』は、あの山岳地帯の古い言葉で『シロフクロウ』に由来する響きを感じます。信仰対象は、願う内容によって変わるものでしょう?」 「っ!? なんでわたしの名前の由来まで……!」
もう、驚きを通り越して恐怖すら覚える知識量だ。 確かに、ピューマ以外にも、様々な動物の精霊に祈ってきた。
「熊やバイソンの様なパワー型の力を宿す、フクロウでの上空からの探索や、夜間の襲撃なんて事もあり得る」
「フクロウで探索……熊のパワー……」
次々と広がる全く新しい戦い方のビジョンに、わたしの心臓は早鐘のように鳴り始めた。底が見えない。自分の能力に、まだこれほどの可能性が眠っていたなんて。
「何処まで出来るかは貴女次第ですが、信仰対象別に系統を分けた技が有っても面白い。パワー型なら強化系の大技、フクロウなら奇襲用のステルス性能や何らかの放出系の遠距離技、ピューマなら先程の変化系の中距離技のように。まぁ、能力の構造上、切り替える度に舞い直す必要も出てきますが、状況に応じた力を下ろせる。これも良し悪しですね」
「すごい……でも、そんなにいくつもイメージを扱えるでしょうか……」
ワクワクする一方で、複数の側面を行うことの難しさを思い出し、わたしは不安を口にした。
「ええ。今すぐにあれこれと手を出せば、どれも半端になりかねません。修行量としても、処理能力としても、追加出来る対象は一つか二つまででは無いかと思いますし、何らかの追加で『制約』も増やす必要が出てしまいます」
ゼルビンさんは頷き、具体的な解決策を提示してくれた。
「イメージの切り替えの補助もありますし、奪われると発動出来なくなる様なリスクも伴いますが……対象を模した『仮面』を被る、なんてのも良さそうですね」 「仮面……!」
部族の神聖な儀式。祭壇の前で、神官たちが獣の木彫りの仮面を被って舞う光景が脳裏にフラッシュバックした。
顔を無意識に覆う。
自分のルーツと完全に合致する、これ以上ないほど強力な自己暗示のアイテムだ。
「後は、統……」
ゼルビンさんは何かを言いかけて、ふと口をつぐんだ。
「……いや。これは流石に飛躍しすぎですね。忘れてください」
「えっ!? なんですか!? 『統』って……」
思わず前のめりになって食い下がったが、ゼルビンさんは苦笑してゆっくりと首を横に振った。
「念は、イメージです」
ゼルビンさんは、諭すように静かな声で言った。
「本人のイメージと合わなければ、理屈では正しく強力でも、結果として弱体化になってしまう事があります。逆に、理屈に合わなくても、本人さえ納得していれば強化はなし得る。特にクガーニャさんの場合、『信仰』を核にしていますから、宗教的解釈も折り合いを付けなければならないでしょう。ですから、よく考えてから採用するかを決めて下さい」
その言葉には、念に対する深い敬意が含まれていた。
「ただの暇人の戯言ですから。全く採用しなくて構いません。貴女の心に合うか合わないか、それだけです」
「……っ、いいえ! 戯言なんてとんでもないです!」
わたしは深々と頭を下げた。
「わたしのルーツを尊重してくれた上で、これほど実戦的で素晴らしいアドバイス……本当に、ありがとうございます! じっくり考えて、自分の『霊峰の守護獣』を拡張してみます!」
心からの感謝を伝えると、ゼルビンさんは「それは良かったです」と微笑んだ。
◆
「──で? 何もさせずに封殺する、以外の面白い答えは無いのか?」
ヴェラム先生の揶揄うような声で、わたしの意識は現在へと引き戻された。
ゼルビンさんは、先ほどの冗談抜きの封殺宣告から一転して、困ったようにゆっくりと瞬きをした。
「そうですね……」
ゼルビンさんは、わたしの装飾品へと視線を落とした。
「『信仰』という分かりやすい誇りをベースにしているのですから、そこを理解して仕舞えば、舞を踊らせないように立ち回るのは当然です。ですが、私なら……その腕輪や髪帯、短剣など、信仰に関連してそうな『物品の破壊』を試みますね。強化案の仮面もそうです」
「っ!」
ハッとして、わたしは無意識に自分の腕輪と短剣を両手で庇うように覆い隠した。
「信仰を崩せば、能力が使えなくなるかもしれない。そこまででなくとも、強化効率を落せるかもしれない。心を乱せるかもしれない。……そう考えるなら、試そう、となります。戦いの後に和解する必要があるなら面倒なのでしませんが」
「……」
冷や汗が頬を伝い落ちた。
こちらの精神的な支柱を正確に見抜き、一番嫌がる部分を徹底的に叩き潰す。一切の情を挟まない、極限の『合理』。これが、裏社会も渡り歩くベテランハンターの戦い方……!
「ですが、誇りである以上、余り隠すわけにも行かないでしょう。下手に隠すと出力が落ちる可能性もある」
ゼルビンさんは、怯えるわたしを見て少しだけ表情を和らげた。
「ですので、胸元などにしまった状態が当たり前の『ネックレス』のような品を、用意しておくのも手ですね」
「服の下に隠せるネックレスなら、戦いの中で狙われにくい……」
わたしは無意識に、右手の本物の腕輪を左手でスッと覆い隠しながら、一つの悪知恵を口にした。
「なるほど……。じゃあ、いっそダミーの装飾品をこれ見よがしにジャラジャラ身につけて、敵の狙いを散らす『ブラフ』にするのもアリですか?」
身を乗り出したわたしに、ゼルビンさんは静かに頷いた。
「ええ。ただ、ブラフとして偽りの装飾品を身につけることは、貴女の『信仰』という価値観と衝突してオーラを濁らせる可能性もありますから、解釈には気をつけてくださいね」
わたしは安堵の息を吐きながら、深く頷いた。
「相手の手札の分からない念の戦いは、決まれば一撃必殺になり得る可能性がある以上、相手の言動や外見から『制約を推測し、如何に満たさせないか』、そして『自分だけが如何に制約を満たすか』が基本です」
ゼルビンさんの言葉は、念の戦闘における真理だった。
「特に貴女のように、外見や行動から制約が推測し易いなら、なおさら妨害に対する警戒と対策はしておくべきです。信仰の入れ替えは出来なくなるかもしれませんが……『タトゥー』、その身に信仰を刻む、なんてのも手段ですよ」
「タトゥー……」
わたしは思わず、ゼルビンさんの左腕……無数のルーツのタトゥーが刻まれた腕へと視線を向けた。 まさか、あれも制約を隠し、あるいは満たすためのものなのだろうか。 すると、ゼルビンさんはわたしの視線に気づいたのか、苦笑いをして肩をすくめた。
「あぁ、私のは張り付いている以上の意味はありませんよ」
「……えっ?」
(……読まれた? 視線? 表情筋の僅かな変化? それとも思考そのものを読み取る念獣……!?)
背筋に冷たい汗が伝う。どちらにせよ、この底知れない化け物の前で、迂闊に思考を巡らせること自体が命取りだ。
「対人能力には、よくある制約として、細かい条件は違いますが『相手に触れる』というものがあります。攻撃を受けにくい、触れられにくいという意味でも、先ほどの『中遠距離攻撃』は、イメージ的に問題がなければオススメです」
「……はい。実戦の重みが、よくわかりました。必ず組み込んでみます」
(……もしわたしも相手の立場なら、確実に制約の隙を狙う)
自分の手札が近接戦闘しかないことの恐ろしさに、改めて背筋が粟立った。
「……その点、隣にいるヴェラムのような『事前準備型』の制約も、手間ですが戦闘で崩される事が少なくて良いですよ?」
ゼルビンさんは、ヴェラム先生のアタッシュケースを顎でしゃくった。
「一枚一枚に刻む。崩そうとしても、制約は一枚一枚ですから、滲ませたところでその何枚かしか無効化出来ませんから。そもそも、簡単に滲むような安いインクではないでしょう?」
(……だから先生は、毎晩のように、あんなに時間をかけて、紙の一枚一枚に神字を……)
物凄い速筆で延々と神字を書き込んでいた先生の姿が脳裏をよぎる。あの防御力は、気の遠くなるような手間の結晶だったのだ。
その事実が、今になってストンと腹に落ちた。
「もっとも、使い切れば書き直さなくては何も出来ないがな」
ヴェラム先生が、フンと鼻を鳴らした。
「準備期間が年単位の私より、マシでしょう?」
「もう準備し終わったんだろ、お前は」
「……」
わたしは、二人の会話を聞いて再び戦慄した。
年単位の準備。
それがゼルビンさんのあの『シルバタール』を始めとした『念獣軍団』を生み出すための制約なのだとしたら。そして、その途方もない準備がすでに「終わっている」のだとしたら。
この二人の規格外の化け物たちに挟まれている状況が、急に恐ろしくなってきた。
「クガーニャ、分かったか?コイツはこういうタイプの怪物だ」
ヴェラム先生の言葉にわたしは苦笑いを浮かべるしか無かった。
「ふぅ……」
ゼルビンさんは、小さく息を吐いて伸びをした。
「今日は少し喋り過ぎましたかねぇ。疲れました」
「……一週間も、ノノを抱え続けて平気な人が、何を言ってるんですか」
わたしは呆れたように小さくぼやいた。 本気かどうかもわからない、ゼルビンさんののんびりとしたぼやきが、初夏の心地よい風に溶けていく。
わたしのハンターとしての道は、まだ始まったばかりだ。 強くなるためのヒントは、すべてこの場所にある。
わたしは、ゼルビンさんの膝の上で微かに寝息を立てるノノの銀色の髪を見つめながら、改めて気を引き締めた。
強化系を理屈っぽく解説するとこうなる