『ブルーアーカイブ』の非公式二次創作SSです。

【あらすじ】
夏を迎えたアビドスで、対策委員会の生徒が一人ずつ姿を消す事件が起きる。

名前を呼ぶ声。記録から消えていく存在。百鬼夜行に伝わる「帰り道」の怪異。

セリカ、アヤネ、ノノミ、そしてシロコまで失ったホシノは、かつてユメを失った頃のように追い詰められていく。先生は残されたホシノと共に、生徒たちを取り戻すため、存在しない駅から出発する怪異列車へ乗り込む。

会話中心の長編シリアスSSです。
キャラクターの口調や関係性には注意していますが、独自解釈およびif設定を含みます。

【注意】
・連続失踪事件、怪談、ホラー表現
・小鳥遊ホシノの強い曇らせ
・梔子ユメに関する原作ストーリーのネタバレ
・シロコ*テラーを含む最終編以降の要素
・百鬼夜行の怪異、カイザーPMC、ゲマトリアに関する独自設定
・精神的に追い詰められる描写
・軽度の戦闘、負傷表現

以上の要素が苦手な方はご注意ください。


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第1話

 

セリカ「だから、絶対に返事しちゃ駄目だからね」

 

 夏の夕暮れだった。

 

 アビドス高等学校の対策委員会室では、古びた空調が唸りながら生温い風を吐き出していた。

 

 窓の外では、赤く染まった砂が校舎の壁を撫でている。少し前まで鳴いていた蝉は、暑さに疲れたように声を潜めていた。

 

 セリカは机の上へ、五枚の小さな札を並べた。

 

 白い紙に赤い糸が縫いつけられ、中央にはそれぞれの名前が書かれている。

 

シロコ「ん。お守り?」

 

セリカ「この前のバイト先で余ったからって、店長にもらったの。百鬼夜行のお祭りで仕入れたらしいわ」

 

ノノミ「まあ。全員分あるんですね~」

 

アヤネ「ですが、少し変わった形をしていますね。この赤い糸にも意味があるのでしょうか?」

 

セリカ「そこまでは知らないわよ。怪談つきのお守りだって聞いただけ」

 

先生「それで、返事をしてはいけないんだね」

 

セリカ「そう。日が沈んだあと、誰もいない場所で誰かに名前を呼ばれることがあるんだって」

 

 セリカは自分の札を持ち上げた。

 

セリカ「呼んでくるのは、一番会いたい人の声。でも、返事をしたら駄目。答えた人は、その声がする場所に連れていかれるの」

 

ノノミ「それは怖いですね~」

 

シロコ「連れていかれたあとは?」

 

セリカ「誰にも覚えてもらえなくなる。写真からも、名簿からも、全部消えるんだって」

 

アヤネ「では、こちらのお守りは?」

 

セリカ「名前を忘れないためのものらしいわ。本人が消えても、名前を書いた札だけは残るとか」

 

ホシノ「うへ~。ずいぶん都合よくできた怪談だねぇ」

 

 ホシノは机に頬杖をついたまま、札を裏返した。

 

 表には『小鳥遊ホシノ』と書かれている。

 

ホシノ「こんなので守られるなら、おじさんたちも苦労しないよ」

 

セリカ「どうせ迷信なんだから、細かいことはいいの。店長がわざわざ人数分くれたんだから、持っててよね」

 

先生「私の分は?」

 

セリカ「ないわよ」

 

先生「少し残念だな」

 

セリカ「なんで本気で欲しそうなのよ!」

 

シロコ「ん。私のを半分にする」

 

セリカ「駄目! お守りを破ろうとしない!」

 

ノノミ「それでしたら、先生の分は私が作って差し上げますね~」

 

ホシノ「先生は人気者だねぇ。おじさんなんて、もうお守りを持ち歩く歳でもないんだけど」

 

セリカ「ホシノ先輩も持ってて。なくしたら罰金にするから」

 

ホシノ「横暴だなぁ」

 

 口ではそう言いながら、ホシノは札をポーチへしまった。

 

 その瞬間だった。

 

 空調の音が止まった。

 

 砂が窓を擦る音も、遠くの蝉の声も消える。

 

 音という音が、校舎から一斉に吸い出されたようだった。

 

 誰かが対策委員会室の扉を叩いた。

 

 一回。

 

 二回。

 

 三回。

 

 誰も声を出さない。

 

 磨りガラスの向こうに、人影は見えなかった。

 

 それでも扉の外から、優しい女の声がした。

 

???『セリカ』

 

 セリカの肩が跳ねる。

 

???『迎えに来たよ、セリカ』

 

セリカ「お母さ――」

 

ホシノ「セリカちゃん」

 

 ホシノの声が割って入った。

 

 セリカは両手で口を塞いだ。

 

セリカ「い、今のは違うから! 返事じゃないわよね!?」

 

アヤネ「大丈夫です。最後まで答えてはいません」

 

ノノミ「きっと誰かのいたずらですよ~」

 

シロコ「確認する」

 

先生「私も行くよ。一人では出ないほうがいい」

 

 私とシロコが扉へ近づく。

 

 ホシノはいつの間にか席を立ち、セリカの前へ移動していた。

 

 扉を開ける。

 

 廊下には誰もいなかった。

 

 西日が窓から差し込み、床に長い影を作っている。

 

 砂埃の積もった床には、小さな足跡が残されていた。

 

 裸足の足跡だった。

 

 それは扉の前から始まり、昇降口へ向かって続いている。

 

シロコ「外から入ってきた跡がない」

 

先生「扉の前で、急に現れたみたいだね」

 

 足跡を辿ろうとしたとき、背後から何かが落ちる音がした。

 

 振り返る。

 

 ホシノのポーチから、先ほどの札が落ちていた。

 

 札を縫っていた赤い糸の一部が、焼け焦げたように黒く変色している。

 

ホシノ「……嫌な色だねぇ」

 

 ホシノは札を拾った。

 

 いつもの眠そうな笑顔だった。

 

 けれど、その指先はわずかに震えていた。

 

 

 翌朝、セリカは学校に来なかった。

 

アヤネ「連絡がつきません」

 

 対策委員会室に入るなり、アヤネはそう告げた。

 

 セリカの机は残っている。しかし教科書にも、ノートにも、名前は書かれていなかった。

 

 出席簿にも、当番表にも、黒見セリカという生徒は存在しない。

 

先生「自宅には?」

 

アヤネ「確認しました。ですが……」

 

 アヤネは端末を握る手に力を込めた。

 

アヤネ「セリカちゃんのご家族は、セリカちゃんのことを知りませんでした」

 

ノノミ「そんな……」

 

シロコ「おかしい。セリカは昨日まで、ここにいた」

 

アヤネ「商店街にも問い合わせました。アルバイト先の店長も、セリカちゃんを覚えていません」

 

先生「シャーレに残っている記録も調べてみるよ」

 

 端末を開き、過去の報告書を検索する。

 

 対策委員会から提出された書類は何十件も残されていた。だが、作成者の欄からセリカの名前だけが抜け落ちている。

 

 写真を開く。

 

 そこには私とホシノ、シロコ、ノノミ、アヤネが写っていた。

 

 本来ならセリカが立っていたはずの場所には、不自然な空間がある。

 

シロコ「消されている」

 

ノノミ「ですが、私たちは覚えています」

 

 ノノミが机の上へ札を置く。

 

 そこには、はっきりと『黒見セリカ』と残されていた。

 

ホシノ「お守りの怪談だけは、本当だったってことかな」

 

先生「まだ何が起きたのかは分からない。でも、普通の失踪ではないね」

 

アヤネ「昨日の足跡を調べます。校内の監視映像と、近隣の交通記録も確認します」

 

シロコ「私も行く」

 

先生「二人一組で動こう。返事もしないように。誰の声が聞こえても、必ず端末で本人を確認してから話すんだ」

 

ノノミ「ホシノ先輩は?」

 

ホシノ「おじさんは少し、カイザーの施設を見てくるよ」

 

先生「一人では行かせられない」

 

ホシノ「別に乗り込むわけじゃないよ。ちょっと話を聞くだけ」

 

シロコ「ホシノ先輩の『話を聞く』は、たまに銃声が混ざる」

 

ホシノ「信用ないなぁ」

 

先生「私が一緒に行くよ。シロコとノノミは、アヤネの調査を手伝ってくれる?」

 

アヤネ「分かりました」

 

 全員が動き始める中、ホシノだけがセリカの机の前に残った。

 

 引き出しを開け、何も書かれていないノートを一冊ずつ確認している。

 

先生「ホシノ」

 

ホシノ「先生。記録が消えてもさ」

 

先生「うん」

 

ホシノ「本人まで、最初からいなかったことにはならないよね」

 

先生「ならないよ」

 

ホシノ「……そっか」

 

 ホシノはノートを元の場所へ戻した。

 

ホシノ「じゃあ、早く連れ戻さないとね」

 

 

 その日の夕方、私は百鬼夜行のキキョウへ連絡した。

 

 応答までには少し時間がかかった。

 

 やがて端末の画面に、百花繚乱の詰所らしき部屋が映る。

 

キキョウ『先生から電話とは珍しいね。何か面倒事?』

 

先生「急にごめん。百鬼夜行の怪異について、聞きたいことがあるんだ」

 

キキョウ『怪異というだけでは範囲が広すぎる。特徴は?』

 

先生「知っている人の声で名前を呼ぶ。返事をした人は姿を消して、周囲の記憶や記録からも消えるんだ」

 

 画面の中で、キキョウの表情が変わった。

 

キキョウ『……それは、どこで起きているの?』

 

先生「アビドス。すでに一人、いなくなった」

 

キキョウ『先生。そこにいる全員の名前を紙へ書いて。端末じゃなく、手書きで。それぞれが自分の名前を書いたあと、他の人にも上からなぞってもらって』

 

先生「互いの筆跡を重ねるんだね」

 

キキョウ『そう。名前を呼ぶ怪異に対して、自分が誰で、誰と繋がっているのかを決めておく』

 

ホシノ「それで連れていかれなくなるの?」

 

 隣から声を挟むと、キキョウがこちらへ目を向けた。

 

キキョウ『そこにいるのは、小鳥遊ホシノ?』

 

ホシノ「初めまして、百花繚乱のお嬢さん」

 

キキョウ『残念だけど、確実に防げるとは言えない。本来、その怪異は人を連れ去るものじゃないから』

 

先生「本来は?」

 

キキョウ『百鬼夜行の古い伝承にある、「返り路」と呼ばれるものだと思う。帰る場所を見失った人に道を示す怪異。祭りの夜や、山で遭難した人の前に現れるとされている』

 

ホシノ「じゃあ、どうしてセリカちゃんを?」

 

キキョウ『分からない。ただ、伝承と違いすぎる。誰かが意図的に性質を歪めている可能性が高い』

 

 画面の外から、足音が近づいてきた。

 

ナグサ『キキョウ。何か起こっているの?』

 

 キキョウの隣に、ナグサが姿を見せる。

 

キキョウ『アビドスで、返り路らしき怪異が人を攫っている』

 

ナグサ『返り路が?』

 

先生「ナグサも知っているの?」

 

ナグサ『記録で読んだだけ。返り路は、基本的に人へ害を与えない。帰る場所を教えても、強制的に連れていくことはないはず』

 

キキョウ『百鬼夜行から祭具が持ち出されていないか調べる。先生は周辺で、鳥居や線路を模した道具を探して』

 

先生「分かった。助かるよ」

 

ナグサ『先生』

 

先生「どうしたの?」

 

ナグサ『呼ばれても、過去の人に返事をしてはいけない』

 

 ナグサの言葉に、隣のホシノがわずかに身じろぎする。

 

ナグサ『怪異は本人を蘇らせるわけではない。こちらが持つ記憶を使って、最も望ましい姿を作るだけ』

 

ホシノ「……心配しなくても、幽霊に騙されるほど子どもじゃないよ」

 

ナグサ『そう』

 

 ナグサは一度だけ目を伏せた。

 

ナグサ『分かっていても、答えたくなることはあるから』

 

 通話を終えたあと、ホシノは札へ自分の名前を書き直した。

 

 私もその上から、同じ文字をなぞる。

 

ホシノ「先生の字、あんまり上手じゃないねぇ」

 

先生「ホシノに言われるとは思わなかったな」

 

ホシノ「おじさんの字は、味があるっていうの」

 

先生「私の字にも味があるんじゃないかな?」

 

ホシノ「これは焦げた味だね」

 

 ほんの少しだけ、ホシノがいつもの顔で笑う。

 

 しかし、その笑顔は長く続かなかった。

 

 

 翌日、アヤネが消えた。

 

 校内放送の録音には、消える直前までの会話が残されていた。

 

アヤネ『先生、旧放送室の地下からセリカちゃんの端末反応が出ています』

 

先生『今、ホシノと向かっている。アヤネは委員会室から動かないで』

 

アヤネ『はい。ですが、反応が移動しています。これは……』

 

 雑音が入る。

 

 何かを引っかくような音。

 

 その向こうから、セリカの声がした。

 

セリカの声『アヤネちゃん』

 

アヤネ『セリカちゃん?』

 

セリカの声『暗いの。何も見えない。お願い、助けて』

 

アヤネ『場所を教えてください。すぐに――』

 

先生『アヤネ、答えないで!』

 

 私の声が届くより先に、放送室の照明が落ちた。

 

 駆け戻ったとき、アヤネは消えていた。

 

 椅子だけがゆっくり回り、ヘッドセットからセリカの泣き声が流れ続けている。

 

 机には、赤い糸が黒く変色した札が残されていた。

 

ノノミ「アヤネちゃん……」

 

シロコ「地下の反応も偽物だった。私たちを引き離すための罠」

 

先生「もっと早く気づくべきだった」

 

ホシノ「先生のせいじゃないよ」

 

 放送室の入り口に立ったホシノが言った。

 

ホシノ「指示を守らなかったアヤネちゃんが悪い」

 

ノノミ「ホシノ先輩?」

 

ホシノ「返事をするなって言ったでしょ。それなのに、声がセリカちゃんに似てたくらいで答えた」

 

先生「アヤネはセリカを助けようとしたんだと思う」

 

ホシノ「それで自分まで消えたら意味ないじゃん」

 

 ホシノは笑っていた。

 

 いつもの気の抜けた笑顔ではない。

 

 薄い膜を顔に貼りつけたような、何も届かない笑顔だった。

 

ホシノ「おじさん、間違ったこと言ってる?」

 

先生「間違いだとは言わない。でも、アヤネの気持ちまで否定する必要はないよ」

 

ホシノ「先生は、残された側じゃないからそんなことが言えるんだ」

 

 そのとき、廊下の奥から声がした。

 

???『ホシノちゃん』

 

 明るく、少し頼りなく、それでもホシノの名を呼ぶことが心からうれしいような声。

 

 ホシノの体が硬直する。

 

???『今度こそ、迎えに来てくれたんだね』

 

ホシノ「……違う」

 

???『ホシノちゃん』

 

ホシノ「違う!」

 

 ホシノが銃を抜き、誰もいない廊下へ向ける。

 

 私はすぐに銃身を押さえた。

 

先生「ホシノ、撃たないで」

 

ホシノ「離して」

 

先生「銃を下ろしたら離すよ」

 

ホシノ「平気だって言ってるでしょ!」

 

先生「今のホシノを一人にはできない」

 

ホシノ「おじさんは、間違えない」

 

先生「うん」

 

ホシノ「もう二度と、間違えないから」

 

 引き金にかかった指が震えている。

 

 やがてホシノは力を抜き、ゆっくりと銃を下ろした。

 

ホシノ「あれは、ユメ先輩じゃない」

 

先生「分かってる」

 

ホシノ「分かってるんだよ、そんなこと」

 

 ホシノは私の手を振り払い、廊下の壁にもたれた。

 

ホシノ「分かってるのに……声だけは、忘れてなかった」

 

 その横顔へ、かけるべき言葉を見つけられなかった。

 

 

 ノノミは、私たちの目の前で消えた。

 

 百鬼夜行から取り寄せた古い記録を調べていたとき、床に突然、水たまりが現れた。

 

 水面には、存在しない赤い鳥居が映り込んでいる。

 

 そこから白い手が伸び、ノノミの足首を掴んだ。

 

ノノミ「きゃっ……!」

 

シロコ「ノノミ!」

 

 シロコが発砲する。

 

 弾丸は白い手を貫通し、床だけを砕いた。

 

 ホシノが飛びつき、ノノミの両腕を掴む。

 

ホシノ「引っ張って!」

 

先生「分かった!」

 

 私とシロコも加わる。

 

 けれど、ノノミの体は浅い水たまりへ腰まで沈んでいた。

 

 あり得ない。

 

 床下に空間はない。

 

 それでも水面の向こうから、顔のない人影がノノミを引きずり込もうとしている。

 

???『お嬢様』

 

ノノミ「……」

 

???『皆様がお待ちです』

 

 ノノミは返事をしなかった。

 

 代わりにホシノの顔を見上げる。

 

ノノミ「ホシノ先輩。手が……」

 

 ホシノの手のひらから血が滲んでいた。

 

 砕けた床の破片が刺さっている。それでもホシノは離さなかった。

 

ホシノ「こんなの、なんでもない!」

 

ノノミ「ですが、このままでは先輩まで」

 

ホシノ「離さない!」

 

 ホシノは泣きそうな顔で叫んだ。

 

ホシノ「ノノミちゃんまでいなくなったら、おじさんは――」

 

 ノノミの札を縫う糸が、赤から黒へ変わる。

 

 一本ずつ、糸が切れていく。

 

ノノミ「ホシノ先輩」

 

ホシノ「謝るな」

 

ノノミ「はい」

 

ホシノ「大丈夫だなんて言うな」

 

ノノミ「……はい」

 

ホシノ「帰ってくるなんて、簡単に約束するな!」

 

 ノノミはしばらく黙っていた。

 

 やがて、いつもの柔らかな笑顔を浮かべる。

 

ノノミ「では、お願いしてもいいですか?」

 

ホシノ「なに」

 

ノノミ「今度は、ちゃんと迎えに来てください」

 

 最後の糸が切れた。

 

 掴んでいた腕の感触が消える。

 

 ホシノの両手が床へ叩きつけられた。

 

 水たまりも、白い手も、ノノミも消えていた。

 

 床には、札だけが残っている。

 

ホシノ「……また」

 

先生「ホシノ」

 

ホシノ「また、手を離した」

 

先生「違う。最後まで掴んでいたよ」

 

ホシノ「同じだよ」

 

 ホシノは札を拾い上げた。

 

ホシノ「残らなかったら、同じなんだよ」

 

 

 その夜、私とシロコは砂漠の外れにあるカイザーの放棄施設へ入った。

 

 ホシノも来ると言い張ったが、手の治療を理由に校舎へ残した。

 

 地下倉庫には、百鬼夜行から持ち出されたと思われる祭具が並べられていた。

 

 鳥居を模した柱。

 

 黒い鈴。

 

 線路のように組み合わされた細長い石。

 

シロコ「カイザーが怪異を運んだ?」

 

先生「その可能性は高いね」

 

 奥には、祭具と接続された観測装置があった。

 

 黒い金属と、幾何学模様。人の感情や神秘を測定するような、カイザーの技術体系から外れた機械。

 

 以前、ゲマトリアと対峙した際に見たものと似ている。

 

シロコ「先生。これを知っている?」

 

先生「……心当たりがある」

 

シロコ「誰?」

 

先生「生徒を人としてではなく、研究対象として見る大人たちだよ」

 

シロコ「カイザーとは違う?」

 

先生「違う。カイザーが利益のために祭具を運び、別の誰かが怪異を実験へ利用したんだと思う」

 

 装置の側面に触れる。

 

 画面に四つの波形が表示された。

 

 セリカ、アヤネ、ノノミ。

 

 そして、まだこちら側にいるはずのシロコ。

 

先生「シロコ、離れて!」

 

 叫ぶと同時に、装置の背後で空間が裂けた。

 

 白い腕がシロコの肩へ絡みつく。

 

シロコ「先生、来ないで」

 

 シロコは銃床を床へ突き立てた。

 

 さらに何本もの手が現れ、体を裂け目へ引き込もうとする。

 

先生「手を伸ばして!」

 

シロコ「先生まで捕まる」

 

先生「それでも放せないよ!」

 

 手を掴む。

 

 けれど、人間一人の力では抗えない。

 

 空間の向こうから、崩壊したアビドスが見えた。

 

 誰もいない教室。

 

 黒い空。

 

 白い砂。

 

 その中に、黒い外套をまとった少女が立っていた。

 

シロコ*テラー「離れて」

 

 銃声が響く。

 

 シロコに絡みついていた腕が消し飛ぶ。

 

 シロコ*テラーは裂け目の向こうから手を伸ばし、こちらのシロコを引き寄せた。

 

先生「待って!」

 

シロコ*テラー「このままだと、先生も巻き込まれる」

 

シロコ「もう一人の、私」

 

シロコ*テラー「時間がない」

 

先生「二人とも、一緒に戻る方法を探そう」

 

シロコ*テラー「できない」

 

先生「まだ試していないよ」

 

シロコ*テラー「先生は、変わらない」

 

 一瞬だけ、シロコ*テラーの目が柔らかくなる。

 

 だが、裂け目は急速に閉じ始めていた。

 

シロコ*テラー「先生。ホシノ先輩に伝えて」

 

先生「自分で伝えてほしい」

 

シロコ*テラー「死んだ人に呼ばれても、答えないで、と」

 

シロコ「待って。先生を置いていけない」

 

シロコ*テラー「今は、こちらへ来たほうが生き残れる」

 

シロコ「でも」

 

シロコ*テラー「大丈夫」

 

シロコ「それは、嘘」

 

シロコ*テラー「……ん。そうかもしれない」

 

 裂け目が閉じる。

 

 掴んでいたシロコの手が、私の手の中から消えた。

 

 装置には四つの波形が並んでいる。

 

 全員が、向こう側へ連れていかれた。

 

 

 校舎へ戻ると、ホシノは対策委員会室にいた。

 

 五つの机を並べ直し、セリカの席に教科書を、アヤネの席に無線機を置いている。

 

 ノノミの席にはティーカップ。

 

 シロコの席には、自転車の整備道具。

 

 自分の机だけが、部屋の端へ移動されていた。

 

ホシノ「シロコちゃんも、消えたんだね」

 

先生「……ごめん」

 

ホシノ「先生が謝ることじゃないよ」

 

先生「でも、止められなかった」

 

ホシノ「だから、先生のせいじゃない」

 

 ホシノは穏やかに笑った。

 

 その静けさが、何より恐ろしかった。

 

先生「その机を戻そう」

 

ホシノ「おじさんの場所はいらないよ」

 

先生「どうして?」

 

ホシノ「席が一つ空いてれば、みんなが戻ってこられるかもしれない」

 

先生「そんな決まりはない」

 

ホシノ「あるかもしれない」

 

 ホシノは自分の札を机に置いた。

 

ホシノ「誰か一人が残る代わりに、四人が戻ってくるなら安いでしょ」

 

先生「それは駄目だよ」

 

ホシノ「先生には関係ない」

 

先生「あるよ」

 

ホシノ「これはアビドスの問題だ!」

 

 机が蹴り倒される。

 

 置かれていたティーカップが床へ落ち、割れた。

 

ホシノ「おじさんが守るって決めた! それなのに、全員いなくなった!」

 

先生「うん」

 

ホシノ「ユメ先輩のときもそうだった! 何もできなかった! また同じことになった!」

 

先生「同じじゃない」

 

ホシノ「何が違うの!」

 

先生「今は、ホシノが一人じゃない」

 

ホシノ「一人だよ!」

 

 ホシノの声が、空っぽの部屋に響いた。

 

ホシノ「もう、みんないないじゃん!」

 

先生「私がいる」

 

ホシノ「先生に何ができるの!」

 

先生「分からない」

 

 ホシノが息を止める。

 

先生「何が正しいのか、まだ分からない。みんながどこにいるのかも、確実に連れ戻せるかも分からない」

 

ホシノ「だったら――」

 

先生「それでも、ホシノ一人を代わりに差し出すのは間違っている」

 

ホシノ「綺麗事だよ」

 

先生「そうかもしれない。でも、綺麗事を言うことまで諦めたら、あの大人たちと同じになる」

 

ホシノ「あの大人たち?」

 

先生「ゲマトリア。怪異を歪めたのは、おそらく彼らだ」

 

ホシノ「先生は知ってたの?」

 

先生「今、痕跡を見て気づいた。もっと早く結びつけるべきだった」

 

ホシノ「また先生の知ってる大人が、おじさんたちを実験に使ったんだ」

 

先生「そうだと思う」

 

ホシノ「なら、先生が責任を取ってよ」

 

先生「取るよ」

 

 ホシノが私を見る。

 

先生「でも、責任を取ることと、一人で全部背負うことは違う。ホシノも同じだ」

 

ホシノ「おじさんは、もう疲れた」

 

 ホシノは床へ座り込んだ。

 

ホシノ「どうして、またおじさんだけ残るの」

 

 声が震えていた。

 

ホシノ「待ってたのに。信じてたのに。今度は守れると思ったのに」

 

先生「怖かったんだね」

 

ホシノ「そんな言葉で片づけないでよ」

 

先生「片づけない。私も怖いから」

 

ホシノ「先生も?」

 

先生「みんなを連れ戻せないかもしれない。次はホシノが消えるかもしれない。私の判断が間違うかもしれない。怖いよ」

 

 私はホシノの隣へ座った。

 

先生「だから、一人で決めたくない。ホシノはどうしたい?」

 

ホシノ「……取り戻したい」

 

先生「うん」

 

ホシノ「何をしてでも」

 

先生「その中に、ホシノ自身を捨てることは入れないでほしい」

 

ホシノ「約束できない」

 

先生「なら、今は約束できなくてもいい。ただ、私を置いて一人で行かないで」

 

ホシノ「先生は、ずるいね」

 

先生「そうかもしれない」

 

 端末が鳴った。

 

 キキョウからだった。

 

キキョウ『先生、祭具の移送記録を見つけた。百鬼夜行から盗まれた返り路の御神体が、カイザーの貨物列車でアビドスへ運ばれている』

 

先生「怪異へ入る方法は?」

 

キキョウ『旧アビドス駅。今夜、存在しない臨時列車が停車する』

 

ナグサ『私たちも向かう』

 

先生「危険だよ」

 

ナグサ『百鬼夜行の怪異が利用されている。それに、もうアビドスだけの問題ではない』

 

キキョウ『何か起こっていると分かっていて、電話の向こうから指示を出すだけでは百花繚乱の名が廃るからね』

 

先生「ありがとう。待ってるよ」

 

 通話を切る。

 

 ホシノは立ち上がり、盾を背負った。

 

ホシノ「行こう、先生」

 

先生「うん」

 

ホシノ「みんなを迎えに行く」

 

先生「一緒に行こう」

 

 

 日付が変わる頃、私たちは旧アビドス駅へ到着した。

 

 しかし駅前には、カイザーPMCの部隊が待ち構えていた。

 

カイザーPMC兵「対象を確認。小鳥遊ホシノ、およびシャーレの先生を拘束する」

 

ホシノ「先生、下がってて」

 

先生「一人で無理をしないで」

 

ホシノ「大丈夫。すぐ終わるよ」

 

 ホシノが盾を構える。

 

 その瞬間、駅舎の照明が消えた。

 

ファウスト「困りますね」

 

 暗闇の中から、聞き覚えのある声が響く。

 

ファウスト「これから列車に乗ろうという乗客を、切符も確認せず拘束するとは」

 

 カイザー兵の足元で閃光が弾けた。

 

 混乱の中、紙袋を被った少女がホームへ飛び込んでくる。

 

ファウスト「そのような横暴、このファウストが見過ごすと思いましたか!」

 

先生「ヒフ――」

 

ファウスト「ファウストです!」

 

ホシノ「まだ最後まで言ってないよ」

 

ファウスト「言おうとしたのは分かります!」

 

 ファウストの背後から、キキョウとナグサが姿を現す。

 

キキョウ「先生、話はあと。ホームへ向かって」

 

ナグサ「ここは私たちが引き受ける」

 

先生「二人だけで大丈夫?」

 

キキョウ「百花繚乱を甘く見ないでほしいね」

 

ナグサ「それに、二人だけではない」

 

 駅の外で複数の銃声が響く。

 

 百花繚乱の生徒たちが、カイザー部隊の退路を塞いでいた。

 

ホシノ「おじさんたちだけで十分だよ。これ以上、巻き込む必要は――」

 

ファウスト「巻き込まれたのではありません」

 

 ファウストが紙袋の奥から、はっきり言った。

 

ファウスト「私が、自分で来ると決めたんです」

 

ホシノ「でも」

 

ファウスト「仲間が危険な場所へ向かうと知って、黙って待っていることはできませんから」

 

 ホシノが言葉を失う。

 

ファウスト「覆面水着団の絆を、甘く見ないでください!」

 

先生「ヒフミらしいね」

 

ファウスト「ファウストです!」

 

 ホームへ駆け込む。

 

 錆びた線路の上に、赤い光が浮かんでいた。

 

 時刻表には、存在しない『二十五時』の文字が表示されている。

 

 遠くから列車の音が聞こえた。

 

 だが、近づいてきた車両は怪異のものではなかった。

 

 ハイランダー鉄道学園の紋章をつけた機関車が、火花を散らしながらホームへ突入してくる。

 

ヒカリ『まもなくぅ、旧アビドス駅ぃ、旧アビドス駅ぃ』

 

ノゾミ『怪異のお客さまは乗車禁止! 先生たちは早く乗って!』

 

アオバ『勝手に放送内容を変えないでください! それと制限速度を百二十も超過しています!』

 

ヒカリ『だってぇ、止まらないんだもん』

 

アオバ『止めるのが運転士の仕事でしょうが!』

 

 激しい音を立て、列車がどうにかホームへ停車する。

 

 扉が開いた。

 

ノゾミ「乗車券はあとでいいから、早く!」

 

先生「どうして三人が?」

 

アオバ「百鬼夜行側から、存在しない路線を走れる列車が必要だと依頼を受けました」

 

ヒカリ「路線図にないならぁ、新しく登録すればいいよねぇ」

 

ノゾミ「終点はアビドス! 途中下車は禁止!」

 

アオバ「そんな簡単な話ではありません。怪異側が線路を書き換え続けています。こちらが一つ駅を作れば、向こうは三つ偽の駅を増やす状況です」

 

先生「それでも走れる?」

 

アオバ「走れないと答えたら、諦めますか?」

 

先生「諦めないよ」

 

アオバ「でしょうね。なら、聞くだけ無駄です。早く乗ってください」

 

 私とホシノ、ファウストが列車へ乗り込む。

 

 キキョウとナグサも続いた。

 

キキョウ「カイザー側の指揮車両は止めた。御神体の回収は百花繚乱の別動隊に任せる」

 

ナグサ「怪異の中へ入れば、外側からの援護はできない。私たちも行く」

 

 扉が閉まり、列車が走り出す。

 

 窓の外から旧駅が消えた。

 

 代わりに、誰もいない百鬼夜行の夏祭りが現れる。

 

 提灯には明かりが灯り、屋台には料理が並んでいる。だが、人の姿は一つもなかった。

 

 次の車両へ続く扉を開ける。

 

 誰もいないはずの客席に、紫色の髪の少女が座っていた。

 

 ヒナだった。

 

ヒナ「遅かったわね、先生」

 

先生「ヒナ。どうしてここに?」

 

ヒナ「百鬼夜行からゲヘナへ、カイザーの武装列車に関する情報提供があった。調べているうちに、この列車へ辿り着いたの」

 

ホシノ「風紀委員長さんまで来るとは思わなかったなぁ」

 

ヒナ「私も、またあなたを追うことになるとは思わなかったわ」

 

ホシノ「だったら止める?」

 

 ヒナは席から立ち上がり、銃を手に取った。

 

ヒナ「止めないわ」

 

 ホシノの目がわずかに見開かれる。

 

ヒナ「小鳥遊ホシノ。今度は、あなたを止めない」

 

ホシノ「……どういう風の吹き回し?」

 

ヒナ「あなたが仲間を連れ戻しに行くなら、協力する」

 

 ヒナはホシノの横を通り、前方車両へ続く扉を開いた。

 

ヒナ「でも、自分だけを置いて帰るつもりなら、そのときは力ずくで止める」

 

ホシノ「結局、止めるんじゃん」

 

ヒナ「当然でしょう」

 

 列車が激しく揺れる。

 

アオバ『まもなく最初の停車駅です! ただし、停車時間は怪異側の都合で変動します!』

 

ノゾミ『つまり、降りたら急いで戻ってきて!』

 

ヒカリ『置いてっちゃうかもしれないよぉ』

 

アオバ『置いていかないように努力してください!』

 

 

 最初の駅は、アビドスの商店街だった。

 

 砂に埋もれていたはずの店々が立ち並び、通りには大勢の人がいる。

 

 しかし誰も、セリカを見ていなかった。

 

 セリカはアルバイト先の前に立ち、道行く人へ必死に声をかけていた。

 

セリカ「店長! 私よ! ずっとここで働いてたでしょ!」

 

店長の姿『人違いじゃないかな』

 

セリカ「そんなわけない! 先週だって、在庫の整理を私が――」

 

店長の姿『うちに君みたいな子はいないよ』

 

 セリカの体が透け始めている。

 

 ホシノが駆け寄った。

 

ホシノ「セリカちゃん!」

 

セリカ「……誰?」

 

 ホシノの足が止まる。

 

セリカ「私を知ってるの?」

 

ホシノ「何言ってるのさ。おじさんだよ」

 

セリカ「おじさん……?」

 

 セリカは自分の札を見た。

 

 そこには名前が書かれていない。

 

セリカ「私、誰なの?」

 

 通りの人々が、一斉にセリカを振り返る。

 

通行人たち『誰でもない』

 

通行人たち『必要とされていない』

 

通行人たち『いなくても困らない』

 

セリカ「うるさい……」

 

店長の姿『借金を返すために働いて、感謝もされず、毎日怒ってばかり。そんな場所へ帰る必要があるのかい?』

 

セリカ「それは……」

 

 ホシノがセリカへ手を伸ばす。

 

ホシノ「帰ろう」

 

セリカ「帰って、どうするの?」

 

ホシノ「みんなが待ってる」

 

セリカ「嘘よ」

 

 セリカがホシノの手を叩いた。

 

セリカ「みんな、私がいなくても困ってない! 私がいなくなれば、喧嘩する人も、文句を言う人もいなくなる!」

 

先生「セリカ」

 

セリカ「先生も、私が面倒だったんでしょ!」

 

先生「面倒だと思ったことはあるよ」

 

 セリカが目を見開く。

 

ホシノ「先生」

 

先生「でも、それとセリカにいなくなってほしいと思うことは、全然違う」

 

セリカ「……そんなの」

 

先生「私たちは、いつも楽しいだけの関係じゃない。意見がぶつかることもある。怒られることも、怒らせることもあるよ」

 

 通行人たちが近づいてくる。

 

 ヒナとナグサが銃を構え、人影を押し返す。

 

キキョウ「急いで! この駅全体がセリカの名前を消そうとしている!」

 

ホシノ「セリカちゃん」

 

 ホシノはもう一度、手を差し出した。

 

ホシノ「おじさんは、セリカちゃんがいなくて困ってる」

 

セリカ「何に?」

 

ホシノ「いっぱいあるよ。部屋が静かすぎるし、誰もおじさんを起こしてくれないし、当番を忘れても怒ってくれない」

 

セリカ「それ、私じゃなくてもいいじゃない」

 

ホシノ「うん」

 

セリカ「……え?」

 

ホシノ「代わりができることは、たくさんある」

 

 ホシノはセリカを真っ直ぐ見た。

 

ホシノ「でも、おじさんは代わりが欲しいんじゃない。セリカちゃんに帰ってきてほしいんだ」

 

 セリカの目から涙が溢れた。

 

セリカ「私は……」

 

 店長の姿がセリカの肩を掴む。

 

店長の姿『帰れば、また借金と苦労が待っている』

 

セリカ「分かってるわよ!」

 

 セリカはその手を振り払った。

 

セリカ「必要とされたいから帰るんじゃない! 私が、あそこに帰りたいの!」

 

 札に『黒見セリカ』の文字が浮かぶ。

 

 通りの景色が崩れ始めた。

 

 一行は列車へ駆け戻る。

 

 扉が閉まる直前、白い手がセリカの足を掴んだ。

 

セリカ「きゃっ!」

 

 セリカの体がホームへ引きずり戻される。

 

ホシノ「セリカちゃん!」

 

 ホシノが腕を掴み、ヒナが白い手を撃ち抜く。

 

 ファウストと先生も加わり、セリカを車内へ引き込んだ。

 

 扉が閉まる。

 

セリカ「……遅いのよ」

 

ホシノ「ごめん」

 

セリカ「もっと早く来なさいよ、馬鹿……!」

 

 セリカはホシノの胸元を掴み、そのまま顔を埋めた。

 

 ホシノは何も言わず、その背中へ腕を回した。

 

 

 二つ目の駅は、無数のモニターが並ぶ管制室だった。

 

 画面の一つ一つに、対策委員会の仲間たちが映っている。

 

 セリカが消える。

 

 ノノミが沈む。

 

 シロコが裂け目へ飲み込まれる。

 

 映像は何度も繰り返されていた。

 

 中央の椅子に、アヤネが座っている。

 

アヤネ「駄目です。もう一度、最初から……」

 

セリカ「アヤネちゃん!」

 

アヤネ「第三班は昇降口を封鎖してください。シロコちゃんは西側へ。ノノミ先輩は――」

 

セリカ「アヤネちゃん、私よ!」

 

 アヤネは振り返らない。

 

アヤネ「偽物は黙っていてください」

 

セリカ「偽物じゃない!」

 

アヤネ「皆さん、そう言うんです」

 

 モニターに無数のセリカが映る。

 

セリカの姿『アヤネちゃん』

 

セリカの姿『助けて』

 

セリカの姿『あなたのせいよ』

 

アヤネ「私が正しい指示を出せば、今度こそ全員を救えます」

 

先生「アヤネ、一人で全部を管理するのは無理だよ」

 

アヤネ「ですが、私が見ていなければ、また誰かが消えます!」

 

 アヤネが操作盤へしがみつく。

 

 指先は擦り切れ、血が滲んでいた。

 

アヤネ「私が間違えたから、セリカちゃんが消えた。私が返事をしたから、皆さんを危険に巻き込んだ」

 

セリカ「違うわよ!」

 

アヤネ「その言葉も、もう何度も聞きました!」

 

 管制室の扉が閉まる。

 

 列車の警笛が遠ざかり始めた。

 

アオバ『駅が列車を拒絶しています! あと三分で線路ごと切り離されます!』

 

ノゾミ『早くして!』

 

 セリカは操作卓を乗り越え、アヤネの前に立った。

 

セリカ「じゃあ、確認しなさいよ」

 

アヤネ「何をですか」

 

セリカ「前に私が、当番を忘れたことがあったでしょ」

 

アヤネ「そのようなことは、何度も」

 

セリカ「多いみたいに言わないで!」

 

 アヤネの指が止まる。

 

セリカ「そのとき、あんたは怒らないで自分で全部やった。だから私、次の日に早く来て、こっそり掃除をやり直したの」

 

アヤネ「……知っています」

 

セリカ「見てたの!?」

 

アヤネ「監視カメラに映っていましたから」

 

セリカ「だったら、そのとき言いなさいよ!」

 

アヤネ「セリカちゃんが恥ずかしがると思って」

 

 アヤネが初めて振り返る。

 

アヤネ「本当に、セリカちゃんなんですね」

 

セリカ「そうよ」

 

アヤネ「私のせいで――」

 

セリカ「その話は列車で聞く。今は帰るわよ!」

 

アヤネ「ですが、管制を止めれば、皆さんの進路が」

 

先生「止めなくていい。最後の切り替えを、アヤネ自身でやろう」

 

 アヤネはモニターを見上げた。

 

 無数に分岐する線路。その中に一本だけ、赤い糸で結ばれた道がある。

 

アヤネ「皆さん、私の指示に従ってください」

 

ホシノ「了解、アヤネちゃん」

 

アヤネ「右側の補助盤を破壊してください。セリカちゃんは、私と同時にレバーを」

 

セリカ「分かった!」

 

 ヒナとホシノが補助盤を撃ち抜く。

 

 アヤネとセリカが二人でレバーを倒した。

 

 偽の線路が消え、列車への道が繋がる。

 

 管制室が崩れ始めた。

 

 アヤネは自分の足で椅子から離れた。

 

アヤネ「帰ります」

 

セリカ「当たり前でしょ!」

 

アヤネ「はい。一緒に帰りましょう、セリカちゃん」

 

 

 三つ目の駅は、砂漠の中に建つ大きな屋敷だった。

 

 食堂の長いテーブルに、ノノミが一人で座っている。

 

 周囲には顔のない使用人たち。

 

 テーブルの向こうには、アビドスの仲間たちを模した人形が並んでいた。

 

使用人『お嬢様がアビドスへ関わらなければ、彼女たちは狙われませんでした』

 

別の使用人『あなたの善意は、いつも他人を巻き込みます』

 

ノノミ「そうかもしれませんね~」

 

 ノノミは笑っていた。

 

 ティーカップを持つ手だけが震えている。

 

使用人『帰らなければ、彼女たちは自由になれます』

 

ノノミ「はい」

 

ホシノ「ノノミちゃん」

 

 ノノミの手から、カップが落ちた。

 

ノノミ「ホシノ先輩」

 

ホシノ「迎えに来たよ」

 

ノノミ「……来てしまったんですね」

 

ホシノ「約束したからね」

 

ノノミ「でも、私は帰らないほうがいいのかもしれません」

 

 ホシノの足が止まる。

 

ノノミ「私が皆さんと一緒にいることで、実家やカイザーの事情へ巻き込んでしまう。私がいなければ、もっと自由に生きられるのではありませんか?」

 

ホシノ「そんなことないよ」

 

ノノミ「本当に?」

 

 ノノミの笑顔が崩れる。

 

ノノミ「私のせいで、迷惑をかけたことは一度もありませんか?」

 

 ホシノはすぐには答えなかった。

 

ノノミ「ほら。あるんですよね」

 

ホシノ「あるよ」

 

セリカ「ホシノ先輩!」

 

ホシノ「ノノミちゃんの事情で、危ない目に遭ったことはある。お金の使い方で困ったこともあるし、何を考えてるのか分からなくて不安になったこともある」

 

 ノノミが俯く。

 

ホシノ「でもさ」

 

 ホシノはノノミの前に立った。

 

ホシノ「迷惑をかけなかった人だけが、仲間になれるわけじゃないよ」

 

ノノミ「……先輩」

 

ホシノ「おじさんだって、みんなにいっぱい迷惑かけてる。それでも一緒にいたいって思ってる」

 

 セリカがノノミの片手を取る。

 

セリカ「帰ってきたら、迷惑をかけた分だけ働いてもらうから」

 

アヤネ「勝手に仕事を増やさないでください。ですが、ノノミ先輩がいなければ困ります」

 

ノノミ「皆さん……」

 

使用人『それは一時の感情です』

 

使用人『いずれ、あなたを負担に思う』

 

ノノミ「そうかもしれません」

 

 ノノミは立ち上がった。

 

ノノミ「ですが、そのときはちゃんと話し合います。勝手に消えて、皆さんの気持ちを決めることはしません」

 

 屋敷の窓が一斉に割れる。

 

 顔のない使用人たちが、ノノミへ殺到した。

 

ヒナ「道を開けるわ!」

 

ナグサ「右側は任せて」

 

キキョウ「御神体の影を撃って! 本体を狙っても意味がない!」

 

 激しい銃撃の中、ノノミがホシノへ手を伸ばす。

 

ノノミ「ホシノ先輩」

 

ホシノ「なに?」

 

ノノミ「今度は、離さないでください」

 

ホシノ「うん」

 

 ホシノはその手を強く握った。

 

ホシノ「絶対に離さない」

 

 

 四つ目の駅が近づくにつれ、列車の窓が黒く染まっていった。

 

アオバ『警告します。次の駅は二つの世界に同時に存在しています』

 

ヒカリ『線路も二本あるよぉ』

 

ノゾミ『でも、乗れるのは一人だけって表示されてる』

 

先生「一人だけ?」

 

アオバ『怪異側が乗車人数を制限しています。同一の存在が二人いるため、片方を異物と判定しているようです』

 

 列車が白い砂漠へ停車する。

 

 シロコとシロコ*テラーは、崩れかけた駅舎で無数の白い手と戦っていた。

 

シロコ「先生」

 

シロコ*テラー「どうして来たの」

 

先生「迎えに来たよ」

 

シロコ*テラー「こちらのシロコだけ連れて帰って」

 

シロコ「駄目。あなたも乗る」

 

シロコ*テラー「私は違う世界の存在。乗れば列車が現実へ戻れなくなる」

 

シロコ「なら、私が残る」

 

シロコ*テラー「それは駄目」

 

シロコ「あなたが残るのも駄目」

 

 二人の足元に、一枚だけの乗車券が落ちていた。

 

 白い手が駅舎を覆い始める。

 

アオバ『あと二分で駅が崩壊します!』

 

ホシノ「二人とも乗ればいい」

 

シロコ*テラー「できない」

 

ホシノ「どうして?」

 

シロコ*テラー「切符が一枚しかないから」

 

ホシノ「そんなの、そっちが勝手に決めたルールでしょ」

 

 ホシノは乗車券を拾い上げ、真ん中から破いた。

 

シロコ*テラー「何を――」

 

ホシノ「一枚を二人で使えばいい」

 

アオバ『無茶苦茶なことをしないでください!』

 

ノゾミ『でも、一人分の切符を半分ずつならぁ』

 

ヒカリ『二人で一人分だねぇ』

 

アオバ『あなたたちは黙って――』

 

 アオバが言葉を止める。

 

アオバ『いえ、待ってください。同一人物として扱うなら、運賃は一人分。別人として扱うなら、座席を二つ用意すればいい』

 

先生「できる?」

 

アオバ『鉄道会社の規則は、怪異の屁理屈より優先されます。少なくとも、今はそういうことにします』

 

ノゾミ『臨時乗車券、発行!』

 

ヒカリ『お客さま二名、ご案内しまぁす』

 

 列車の扉が大きく開く。

 

 しかし怪異が二人を逃がすはずもない。

 

 白い手がシロコとシロコ*テラーを引き離す。

 

シロコ「くっ……」

 

シロコ*テラー「私を置いて!」

 

ホシノ「その台詞、聞き飽きたよ!」

 

 ホシノが盾で白い手を押し潰す。

 

 セリカとアヤネ、ノノミが続いた。

 

セリカ「勝手に残ろうとしないで!」

 

アヤネ「全員分の席は確保しています!」

 

ノノミ「帰ってから、ゆっくりお話ししましょう!」

 

 ヒナとナグサが左右から援護し、キキョウが護符で怪異の動きを封じる。

 

 ファウストがシロコ*テラーへ手を伸ばした。

 

ファウスト「早く!」

 

シロコ*テラー「私まで助ける理由はない」

 

ファウスト「助けたいと思ったからです!」

 

シロコ*テラー「私を知らないのに?」

 

ファウスト「知らない人を助けてはいけないなんて規則はありません!」

 

 シロコ*テラーは、差し出された手を見つめた。

 

 やがて、恐る恐る握る。

 

 全員が列車へ飛び込んだ。

 

 扉が閉まる。

 

 二枚に裂かれた切符が光り、シロコとシロコ*テラーの手の中で、それぞれ一枚の乗車券へ変わった。

 

 

 全員を回収した。

 

 それなのに、列車は現実へ戻らなかった。

 

 窓の外に、砂に覆われる前のアビドスが現れる。

 

 明るい校舎。

 

 大勢の生徒。

 

 借金も、廃墟もない街。

 

 列車は最後の駅へ停車した。

 

アオバ『終点です』

 

先生「ここは?」

 

アオバ『乗客の一人が、最も帰りたいと願っている場所です』

 

 扉が開く。

 

 ホームに、背の高い少女が立っていた。

 

ユメの姿『ホシノちゃん』

 

 ホシノの呼吸が止まる。

 

ユメの姿『遅かったね』

 

ホシノ「ユメ、先輩……」

 

 ホシノが列車を降りる。

 

 ヒナも続こうとしたが、先生が腕で制した。

 

先生「少しだけ、待とう」

 

ヒナ「でも」

 

先生「最後に選ぶのは、ホシノだよ」

 

 ホシノはユメの前まで歩いた。

 

ユメの姿『ずっと待ってたよ』

 

ホシノ「うん」

 

ユメの姿『今度は、迎えに来てくれたんだね』

 

ホシノ「うん」

 

ユメの姿『ここなら、何も失わないよ。借金もない。砂漠もない。みんなも笑ってる』

 

 ホームの向こうに、対策委員会の仲間たちの姿が現れる。

 

 セリカも、アヤネも、ノノミも、シロコもいる。

 

 誰も傷ついていない。

 

ユメの姿『だから、一緒に帰ろう?』

 

 ホシノが手を伸ばす。

 

 その指先が、ユメへ触れかける。

 

ホシノ「……先生」

 

先生「ここにいるよ」

 

ホシノ「みんなも?」

 

セリカ「いるわよ」

 

アヤネ「ここにいます」

 

ノノミ「ずっと一緒ですよ」

 

シロコ「ん。待ってる」

 

 ホシノは目を閉じた。

 

ホシノ「そっか」

 

 そして、ユメへ伸ばしていた手を下ろす。

 

ホシノ「ごめんね、ユメ先輩」

 

ユメの姿『どうして謝るの?』

 

ホシノ「見つけてあげられなくて、ごめん。あのとき、ちゃんと話を聞けなくてごめん。一人にして、ごめん」

 

ユメの姿『だったら、今度は一緒にいよう』

 

ホシノ「それはできない」

 

ユメの姿『どうして?』

 

ホシノ「おじさんには、帰る場所があるから」

 

 ユメの姿から笑顔が消える。

 

ユメの姿『また置いていくの?』

 

ホシノ「違うよ」

 

 ホシノは涙を拭わずに笑った。

 

ホシノ「先輩は、おじさんの中にちゃんといる。だから、こんな偽物のアビドスで待ってなくていい」

 

ユメの姿『ホシノちゃん』

 

ホシノ「さよなら、ユメ先輩」

 

 駅全体が激しく揺れる。

 

 ユメの姿が崩れ、無数の白い手へ変わった。

 

 黒い観測装置が地面からせり上がり、その前に仮面を被った男が現れる。

 

仮面の男「実に残念です、小鳥遊ホシノ」

 

先生「ゲマトリア」

 

 生徒たちが先生を見る。

 

仮面の男「帰りたいという願い。失われた者への執着。それらが神秘をどのように変質させるのか、あと少しで観測できたというのに」

 

先生「生徒を実験に使うのは、ここで終わりだよ」

 

仮面の男「先生。あなたに、この怪異を否定する権利があるのですか?」

 

先生「私が否定するんじゃない。帰る場所を選ぶのは、生徒たち自身だ」

 

 装置から黒い鎖が伸び、列車へ絡みつく。

 

アオバ『動力低下! このままでは現実へ戻れません!』

 

ヒカリ『線路が消えてくよぉ!』

 

ノゾミ『早く装置を壊して!』

 

仮面の男「装置を破壊すれば、帰り道も消えます」

 

キキョウ「御神体と装置の接続だけを切る!」

 

ナグサ「先生。指示を」

 

先生「怪異そのものは傷つけない。カイザーの動力装置と、ゲマトリアの観測部分を分離しよう!」

 

ヒナ「分かったわ」

 

 ヒナが先頭に立つ。

 

 銃声が響き、カイザー製の外装が吹き飛ぶ。

 

 ホシノが盾で黒い鎖を受け止め、シロコとシロコ*テラーが左右へ展開した。

 

シロコ「右を狙う」

 

シロコ*テラー「私は左」

 

セリカ「私たちは中央!」

 

アヤネ「敵の出力が上がります! 十五秒後に撃ってください!」

 

ノノミ「道を開けます!」

 

ファウスト「覆面水着団、突撃です!」

 

セリカ「今その名前を使うの!?」

 

 ノノミの射撃が装置の防壁を削る。

 

 セリカが内部へ弾丸を撃ち込み、アヤネが回路を解析する。

 

アヤネ「今です!」

 

 シロコとシロコ*テラーが同時に引き金を引く。

 

 二つの弾丸が観測装置を貫いた。

 

 黒い仮面の男の姿が揺らぐ。

 

仮面の男「まだ核が残っている」

 

 装置の中心から巨大な腕が伸び、ホシノを掴んだ。

 

ホシノ「くっ……!」

 

先生「ホシノ!」

 

仮面の男「一人が残れば、他の全員は帰ることができる。小鳥遊ホシノ。あなたが最も望む結末でしょう?」

 

 ホシノは抵抗を止めた。

 

ホシノ「……そうだね」

 

セリカ「ホシノ先輩?」

 

ホシノ「みんな、列車に戻って」

 

先生「駄目だよ」

 

ホシノ「先生。今度はちゃんと全員を連れ戻せた。これでいいでしょ」

 

ヒナ「小鳥遊ホシノ」

 

ホシノ「止めないって言ったよね、風紀委員長さん」

 

ヒナ「ええ。あなたが前へ進むなら、止めない」

 

 ヒナは黒い腕へ銃口を向けた。

 

ヒナ「でも、それは前じゃない」

 

ホシノ「みんなが帰れるなら同じだよ」

 

ヒナ「同じではないわ」

 

ホシノ「おじさん一人で済むんだ!」

 

先生「一人で済むなんて言わないで!」

 

 ホシノが息を呑む。

 

先生「ホシノが残ったら、みんなはホシノを取り戻すために戻ってくる。今の私たちと同じことをするよ」

 

セリカ「当たり前でしょ!」

 

アヤネ「委員長を置いて帰るわけにはいきません!」

 

ノノミ「今度は私たちが、ホシノ先輩を迎えに来ます」

 

シロコ「ん。何度でも来る」

 

シロコ*テラー「一人で残っても、誰も救われない」

 

ホシノ「でも……!」

 

ヒナ「いい加減にしなさい」

 

 ヒナの声は静かだった。

 

 それでも、ホシノの言葉を止めるには十分だった。

 

ヒナ「あなたは仲間の意思を尊重しろと言うくせに、自分を助けたいという意思だけは無視するのね」

 

ホシノ「それは」

 

ヒナ「帰りたいのか、帰りたくないのか。小鳥遊ホシノ、あなた自身の言葉で答えなさい」

 

 ホシノは黒い腕に掴まれたまま、仲間たちを見る。

 

 セリカは泣きながら怒っている。

 

 アヤネは端末を握りしめている。

 

 ノノミは笑顔を作れずにいる。

 

 シロコは真っ直ぐホシノを見ている。

 

 先生も、手を伸ばしている。

 

ホシノ「おじさんは……」

 

 ユメの姿が、崩れる駅の向こうに現れた。

 

ユメの姿『ホシノちゃん』

 

 ホシノは目を閉じる。

 

 そして、自分の札を強く握った。

 

ホシノ「帰りたい」

 

 札の赤い糸が輝く。

 

ホシノ「みんなと一緒に帰りたい!」

 

 黒い腕に亀裂が走る。

 

 セリカたちの札も、次々と光り始めた。

 

ホシノ「黒見セリカ!」

 

セリカ「ここにいる!」

 

ホシノ「奥空アヤネ!」

 

アヤネ「はい!」

 

ホシノ「十六夜ノノミ!」

 

ノノミ「ここにいます!」

 

ホシノ「砂狼シロコ!」

 

シロコ「ん。いる」

 

 シロコ*テラーが目を伏せる。

 

 ホシノは彼女へ手を伸ばした。

 

ホシノ「もう一人のシロコちゃん!」

 

シロコ*テラー「私も……ここにいる」

 

 最後に、自分の名前が書かれた札を掲げる。

 

ホシノ「小鳥遊ホシノ!」

 

先生「ここにいるよ!」

 

 札を縫う赤い糸が、全員を繋ぐ。

 

 黒い腕が砕けた。

 

 ヒナとナグサが同時に発砲し、キキョウが御神体へ護符を叩きつける。

 

キキョウ「今だよ、先生!」

 

先生「アヤネ!」

 

アヤネ「切り離します!」

 

 アヤネが端末を操作する。

 

 観測装置と御神体を繋いでいた回路が断ち切られた。

 

 怪異の駅が崩壊を始める。

 

アオバ『全員、乗車してください! 最終列車が発車します!』

 

ノゾミ『急いで!』

 

ヒカリ『置いてっちゃうよぉ!』

 

 全員で列車へ走る。

 

 仮面の男の姿は、崩れる装置と共に消えていった。

 

 ホシノが最後尾で足を止める。

 

 駅の向こうに、ユメが立っていた。

 

 今度のユメは何も言わない。

 

 ただ、昔と変わらない笑顔で、ホシノへ手を振っている。

 

 ホシノも小さく手を振り返した。

 

 それから、列車へ飛び乗る。

 

 扉が閉まった。

 

ホシノ「今度は、おじさんも一緒に帰るよ」

 

 列車は崩壊する怪異を抜け、朝焼けの砂漠へ走り出した。

 

 

 翌日。

 

 アビドス高等学校の記録には、全員の名前が戻っていた。

 

 セリカの家族も、商店街の人々も、彼女のことを覚えている。

 

 アヤネの端末には、大量の未処理通知が届いていた。

 

 ノノミの関係者からは何度も連絡が入り、シロコの自転車はなぜか百鬼夜行の山中で発見された。

 

シロコ「ん。あとで取りに行く」

 

セリカ「今日は休みなさい!」

 

 対策委員会室には、久しぶりに全員が揃っていた。

 

 ヒフミは机の下へ紙袋を隠している。

 

 キキョウとナグサは、回収した御神体を百鬼夜行へ戻すための手続きを進めていた。

 

 ヒナはゲヘナへ帰る前に、窓際でコーヒーを飲んでいる。

 

 ヒカリとノゾミは校庭に停車させた列車で遊び、アオバが二人を追いかけていた。

 

アオバ「勝手に警笛を鳴らさないでください!」

 

ヒカリ「出発進行~」

 

ノゾミ「次はゲヘナまでノンストップ!」

 

アオバ「運行許可が出ていません!」

 

ヒナ「……私は別の方法で帰るわ」

 

先生「そのほうがよさそうだね」

 

 ホシノは自分の机に突っ伏していた。

 

セリカ「ホシノ先輩、ちゃんと寝るまで見張るから」

 

ホシノ「おじさんなら平気だよ」

 

アヤネ「少なくとも三時間以上、連続した睡眠を取ってください」

 

ノノミ「添い寝が必要でしたら、私がお隣にいますね~」

 

シロコ「私もいる」

 

ホシノ「うへ~。おじさん、信用ないなぁ」

 

ヒナ「当然でしょう。前科があるもの」

 

ホシノ「風紀委員長さんまで厳しいねぇ」

 

先生「みんな心配しているんだよ」

 

ホシノ「先生はどっちの味方なのさ」

 

先生「ホシノが自分の席で眠れるようにしたい人たちの味方かな」

 

 セリカが毛布を持ってくる。

 

 文句を言いながらも、ホシノは立ち上がろうとしなかった。

 

 ノノミが温かい飲み物を用意し、アヤネが空調の温度を調整する。

 

 シロコはホシノの隣へ椅子を置いた。

 

 ホシノは毛布の中に顔を隠す。

 

ホシノ「先生」

 

先生「どうしたの?」

 

ホシノ「少しだけ、ここにいて」

 

先生「うん。みんなと一緒にいるよ」

 

ホシノ「……それなら、いい」

 

 やがて、ホシノの呼吸が穏やかになる。

 

 机の上には六枚の札が並んでいた。

 

 セリカ、アヤネ、ノノミ、シロコ、ホシノ。

 

 そして、シロコ*テラーが残した名前のない札。

 

 窓から吹き込んだ風が、札を揺らす。

 

 名前のない札の隣に、見覚えのない一枚が落ちていた。

 

 古びた紙。

 

 色あせた赤い糸。

 

 中央には、かすかな文字が残っている。

 

『梔子ユメ』

 

 顔を上げる。

 

 校庭の向こうに、背の高い少女が立っていた。

 

 少女は眠っているホシノを見つめ、うれしそうに微笑んでいる。

 

 瞬きをしたときには、もう誰もいなかった。

 

 名前を呼ぶ声も聞こえない。

 

 ただ、ホシノの手が毛布の中から伸び、隣にいるシロコの袖を掴んだ。

 

シロコ「ん。ここにいる」

 

 眠ったままのホシノが、小さく笑う。

 

ホシノ「知ってるよ」

 

 窓の外では、夏の蝉が鳴いていた。

 

 その声はもう、途切れることなくアビドスの空へ響いていた。


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