突然の借金返済の催促の言葉に鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしているフェルナンドにジャベルは肩眉を吊り上げてさらに続けた。
「忘れたとは言わせねえぞ? 一年半ぐらい前にお前が小狡い行商人に偽物の商品掴まされて川に身投げする勢いで泣き喚くもんだから俺が傭兵時代に褒美でもらった剣を売り払って銀貨三十枚を工面したはずだったと思うんだが?」
脅すつもりはジャベル本人に微塵もないが狩猟用の大小のナイフを腰の左右に帯びているものだから渋い顔一つしようものなら迫力が何倍にも増す。
「も、もちろん覚えてるってば!」
「ならいい。急で悪いとは思ったんだが店の景気がいまは良さそうって聞いてな」
「あ。そうだ⋯⋯ちょっとここで待ってて!」
鳶色の双眸に睨まれたフェルナンドは引きつった笑みのまま頷いたかと思うと何かを閃いたのか急に店の奥へと引っ込んでしまう。
知らない仲ではないのでジャベルが彼の後を追って母屋の方へと向かおうとするとフェルナンドはどういうわけか一人の女の子を連れて戻って来た。
「ほら、こっちへ。彼は僕の友達のジャベル。山に近い町外れに暮らしていて猟師をしているんだ」
「なんだこの子? お前の親戚か?」
簡素な服に袖を通した少女はフェルナンドの説明を聞き終えるとジャベルの顔をジッと見つめてぺこりと頭を下げた。
年齢は十三、四ぐらいだろうか。
鮮やかな緋色の長い髪と翡翠色の瞳が特徴的だ。
それからもう一つ、年頃の女の子が身に着けるアクセサリーにしては物々しい古めかしい黒革の首輪が彼女の首には付けられていた。
「ジャベルっていまも独り身だよね? 恋人みたいないい仲の人なんていないよね?」
「喧嘩売ってんのかお前は? いるわけねえだろ」
「よし。良かった」
フェルナンドはジャベルの問いには答えず、一方的に知りたいことを聞き終えると笑顔を張り付けたまま云々と頷いている。
「あのさージャベル。これは相談と言うか提案なんだけど今日のところは銀貨三十枚の代わりにこの子を譲り渡すってことじゃダメかな?」
「……待て。待て待て待て。なんて?」
ぎこちない笑顔と冷汗にあからさまに震えた声で飛び出したフェルナンドのとんでもない発言はジャベルの思考を数秒間停止させた。
「順を追って説明しろ。お前何時から人身売買にまで手ぇ出すようになったんだ?」
「この国、一応奴隷は合法⋯⋯」
「そういうこと言ってんじゃねえ」
フェルナンドの口からでは屁理屈にしか聞こえないが実際にアルアイン王国では今でも一部の富裕層や歴史の古い名家では奴隷を所有している。
ジャベルが知る限りでもこの国の奴隷は他国と比較しても恵まれた待遇で扱われているはずだ。とはいえ、貸した金を返してもらいに来てみれば代わりに奴隷の少女を渡されるだなんてそう簡単に受け入れられるものではない。
「はー……嬢ちゃん、悪いが少しだけここで待っていてくれるか?」
「はい」
天を仰いで大きなため息を吐き出すとジャベルは奴隷の少女に一言断りを入れるとフェルナンドの首根っこを掴んで店の隅へ移動する。
「おう、話してみろ。何がどうなったって?」
「実は昨日から街に来ている隊商の一人に父ちゃんの頃からのお得意さんがいるんだけど、その人から託されちゃって」
少女に聞こえないように声の大きさに気を付けながらフェルナンドは事の経緯を話し始めた。
「なんでも隣の国のある豪商が急死して遺産整理の名目で溜め込んでた美術品や貴金属や宝石と一緒に所有していた奴隷たちも親族がそれぞれで引き取ったそうなんだけど⋯⋯まあ、その、ね」
「自分たちは欲しくないが世間体のためにも捨てるわけにもいかず、お前のお得意さんに押し付けたか」
「うん」
「で? なんでそれをお前までたらい回しの面子に加わってるんだよ?」
「だってさ! お得意さんも自分の商売もあるし働き手になるならまだしもあんな子供じゃ持て余すから僕が引き取らないなら適当に処分するか軍人さんに試し切り用にこっそり売るかなんて言い出すから!」
昨日のやり取りを思い出してか無意識にフェルナンドの声が大きくなるのでジャベルは苦い顔をしてすかさず彼の脇腹を軽く小突いた。
「この際、お前への問答は止めよう。けどなフェルナンド、お前ちゃんと嫁さんやお袋さんに相談してあの子を引き取ったのか?」
「フフ……昨日夜が更けるまでいい歳してとことんお説教食らいましたとも」
「当たり前だ」という言葉を飲み込んでジャベルは流石に気の毒になって労わるように彼の背中を優しく叩いた。
よく見ればフェルナンドの目は腫れていて微かに充血していた。
捨て猫の類を拾ってくるのとは訳が違うのだから、家人たちの怒りは最もだが商人なのに妙なところで人情家というかお人好しな男なので奴隷の少女の行く末が見過ごせなかったのは本心なのだろう。
「母さんたちは修道院か教会にでも預かってもらえって……」
「真っ当だな」
「でも、それじゃああの子の残りの人生に自由なんて殆ど無くなっちゃうだろ? 食うのに困らないかもしれないけど、皺くちゃの婆さんになるまで清貧一筋だなんてつまらないよ!」
「だとしてもだ。俺に引き渡したところで面白おかしい人生が送れるわけじゃないだろ?」
「それはそれ、これはこれだよ。ジャベルにも利があるから僕は君にこの話を持ち掛けたんだぜ?」
「む?」
フェルナンドの目の色が変わり、それまでの情けなくて気が引き締まらない物腰が切り替わった雰囲気をジャベルも感じ取った。
「ほら、前にジャベルが自分で言ってたじゃん。暮らしに余裕が出来たら今度は暇な時間や夜になると独りぼっちで寂しいって」
「俺、そんなこと言ってたか?」
「言ってた。ちょっとお酒入っていたから本心が漏れたんじゃない?」
先ほどの狼狽っぷりが嘘のようにフェルナンドの声には途端に芯が入ったような強さが宿る。そして、今度はジャベルの方が図星を突かれて言葉を詰まらせる。
フェルナンドが指摘したことは概ね正解だ。
それにもしも同居人が一人増えてくれれば孤独を埋めることはもちろん、留守番や労働力など普段の暮らしの中でも大きな助けになるのは間違いないのは事実だった。
「……ちょっと彼女と話をさせてくれ」
「ああ。いいよ」
熟考の末に沈黙を破ったジャベルはずっと待たせていた少女の傍まで歩み寄ると膝をつき、彼女と目線を合わせた。
「やあ。改めて、初めましてだな。ジャベルだ。お前さんは?」
「……ありま、せん。前のご主人様からは用がある時は「おい」とか「お前」と呼ばれていました」
少女はぽつり、ぽつりと喋り出す。
不興や無礼を買わないように慎重に言葉を選んでいるようではあったがジャベルの行動に少女は驚きこそしているが怯えているようではなさそうだった。
「少しは俺たちの会話が聞こえていたかもしれないがお前さんのこれからの身の振りについて少し話すとしよう」
少女は声を出さず、こくりと頷きジャベルの話の続きを求める。
「お前さんには三つの選択肢がある」
「え? 三つってどゆこと?」
隣で慌てるフェルナンドを片手で制して、ジャベルは少女に話を続けていく。
「一つ目は修道院に預けられてそこで暮らしていく道だ。規則が多くて厳しくもあるだろうがまず飢えることはないだろう。ある程度の教育も受けられるだろうし、安全だ」
「……二つ目は?」
「さっき
一息つくとジャベルは残った三択目について、今まで以上に少女の目と顔を見てゆったりとした口調で説明を始める。
「最後、三つ目だが……誰の物にもなることなく、自由に生きていくこともできる。餞別に銀貨三十枚ぐらいはこの兄ちゃんが渡してくれる。俺からもちょっとは出そう」
「ちょっと!? なに勝手に言ってんのジャベル!?」
「うるせえ。俺もお前も手前勝手をしたんだ。この子にもする権利がある」
寝耳に水な提案を勝手にされて狼狽するフェルナンドをよそにジャベルは真剣な眼差しであくまで少女に自分たちは対等だと伝えるような物腰で語りかける。
「俺たちに遠慮をする必要はない。お前さんが自分でよく考えて自分の道を選んでいい」
「……あの、では」
「おう」
「ジャベル様のお家にお邪魔したいです。奴隷としてあなたの物にさせてください」
少女は首輪の金具をカチャリと鳴らしながら深々と頭を下げて自分の答えを出した。
「本当にそれでいいのか? 俺としてはありがたいが……」
「……猟師さんのお家の物になれば、たまにはお肉も食べれるかもって」
少し躊躇いがちに少女が自分の答えの理由を話していると彼女のお腹が大きく「ぐうぅ~」と鳴って消え入りそうな声を掻き消した。
「だっははは! 面白いじゃないかお前さん。気に入ったよ、よろしくな」
「……引き取っていただきありがとうございます。私に出来ることは何なりとお命じ下さい」
「なら、今日からはラピスって名乗れ。何時までも「おい」や「お前」じゃ不便だ」
「名前、いただいてもいいんですか?」
微かに頬を紅潮させながらも無表情だった少女だが突然与えられた名前に初めて驚きの色を顔に出した。
「当然だ。それから奴隷ってのも無しだ。ただの猟師が奴隷なんて分不相応で肩が重くなる」
「そういうわけにはいきません。私には何もありません。奴隷以外に私には……私らしい何かが一つもないのです」
「難儀なもんだな。とはいえ譲れないものなら尊重しなきゃなるまい。うん、なら言い方を改めるか……奴隷じゃなく、当面は召使いってことでお前さんを住まわせる。それで折れちゃくれないかラピス?」
「……召使いですか?」
「意味そんな変わんないじゃん」
「いいんだよ! 身分は人間の心の成長に大きく関わってくる。コソ泥として生きれば卑屈なままだが大盗賊として胸張って生きれば後から気高さが付いてくる。奴隷として生きるよりも召使いの方が気持ちが引き締まって背筋伸ばして大きくなれるってもんだ!」
細かく横槍を入れてくるフェルナンドを言い負かすような豪放な調子で持論を語る。
ジャベルが言いたいことは要約すれば気の持ちようという簡単なことなのだがラピスと名付けられた少女にとっては全く未知の価値観だったのか翡翠色のまだ幼い瞳は希望を宿したように輝いていた。
「……ジャベル様。新しいご主人様。ラピスは一生懸命、あなたにお仕えします。だから、よろしくおねがいします」
「おう。でも、様付けは落ち着かないからよしてくれ。そうだな
「……はい。ご主人」
こうして、二人は出会った。
運命めいて感動的な黄金の出会いとは到底言えない二、三流な経緯と理由が精いっぱいな銀色の出会い。
彼らの日々が動き始める。