銀貨三十枚の少女〜猟師と元奴隷のゆったり山暮らし〜 作:マフ30
雑貨店『小世界』を後にしたジャベルたちはその足で他の商店を数軒回り、数日分のパンやチーズと言った食料を買って家路に就いていた。
既に周囲に民家は殆ど見られず、街の住民がそれぞれの田畑を世話するのに使う農具を置くための小屋や倉庫がちらほらと建っているぐらいの草原をジャベルとラピスは荷物を幾つも抱えて歩いている。
「よお、疲れてないか?」
「大丈夫です。あの……こんな立派な服までもらって本当に良かったのでしょうか?」
ジャベルの後ろをついて歩くラピスはゆったりとしたブラウスに赤いコルセットを巻いて下は動きやすそうな青のスカート姿だった。
彼女を引き取る際に「オマケ」としてフェルナンドから店に置いてある服を何着か譲ってもらった一部だ。
「いいに決まってる。それどころかお前さんはフェルナンドの奴に懺悔と贖罪をする機会を与えてやったんだ。胸を張ってもらった服を着ると良い。似合ってるぞ」
「……はあ」
どう反応して良いのか返事に困っているラピスの手にも街を出る前に買い足した彼女用の日用品が入った籠が握られている。
当然、他の商店でラピスのことを尋ねられたジャベルは本当のことを長々と話すわけにもいかなかったので適当に猟師を志している知り合いの子供を預かることになったとごまかすことにした。
「悪い、悪い。ご覧の通り俺はくだらないことばっかり喋って、碌なことはたまにしか言わない男だ。話半分に聞いておけば大丈夫だ」
「
「そうかい。じゃあ、大切な話をするときはちゃんと前置きをするように気を付けるとしよう」
簡単な相槌だけでも誰かから返事がきて会話が出来る嬉しさにジャベルは自分でも思っている以上に機嫌が良いようで荷物の重さも忘れるほどだ。
身を置く環境が目まぐるしく変わり、ずっと縮こまった様子だったラピスがいくらか肩の力が抜けたようなのを確認してから、ジャベルは少し真面目な面持ちで切り出した。
「しつこいかもしれないが首のそれ、本当に苦しくないのか?」
「……はい。どうか、これはこのままでお願いします」
ラピスは目を伏して未だ首に巻かれた年季の入った黒革の首輪を慈しむように片手で撫でる。アクセサリーと言うには少々無理がある代物だ。
フェルナンドの店で着替えた際に奴隷であったことを象徴するようなこの首輪をジャベルたちは取り外してあげようと思っていたのだが他でもないラピスがそれを拒んだのだ。
「申し訳ございません。召使いの身でありながらワガママを言ってご主人を困らせてしまい……」
「俺は別に困っちゃいないさ」
ジャベルたちが彼女に首輪を外したくないわけを聞いたところによるとなんでもこれはラピスが仕えていた最初の主人が幼い子供の肌は鉄の首輪では怪我をするだろうと彼女を気遣って特別に用意した思い出の物だという。
好々爺だった先々代の主人は奴隷たちへの扱いも親身で優しい人物だったそうで両親や他の家族のこともよく覚えていない幼いころから奴隷だったラピスのこともよく可愛がり、文字の読み書きなども教えてくれたのだという。
彼女にとってこの革製の首輪は大切な思い出の詰まった唯一の私物なのだ。
「そうさな。その首輪も大切なもんだろうがこれからの暮らしでお前さんにとっての大事な物がいくつも増えてくれるのなら、ご主人としては嬉しく思うよ」
「あの、えと……ありがとうございます。それから、ごめんなさい」
「なぁんで謝るんだよ?」
「きっと、ご主人は私に良くしてくれていて、たくさんお言葉もかけてくれているのに……私はその、ご主人を喜ばせられるような気の利いたことがなにも言えなくて」
「ガキにそんなことで気を遣ってもらうなんて思っちゃいないよ。それにラピスがいなきゃそもそも会話も出来ない。隣にいてくれるだけで大助かりだ」
「そんことは……」
「なあ、顔を上げて前を見て見ろ」
道行く先に彼が暮らす家の屋根が見え始めた時だ。
広がる景色にラピスは思わず足を止めた
「わぁ……きれい」
彼女の瞳には古びた石造りの家を挟むように咲き誇る二つの菜の花畑が映っていた。
斜陽に照らされ、薄ら寒くなってきた風に吹かれて揺れる花たちはまるで黄金の海原のようにも見えた。
「良い眺めだろ?」
「はい! あの花はなんという名前なんでしょうか?」
「菜花だ。菜の花ともいうこともある。この辺じゃあどこでも勝手に咲いてるよ。俺にとっては色々と役にも立つからあんな風に手を入れてちょっとした花畑にさせてもらっているがね」
「すごく……いいところですね」
「そうだろう? さて、花見も良いがそろそろ陽が落ちる。家を案内するからちょっと急ぐぞ」
※
ジャベルが自宅として暮らしている石造りの家屋は玄関続きの広い居間を中心に右側に台所、
その上、母屋のすぐ隣には捕らえた獲物の解体場を兼ねた納屋まである。
街から離れているため、水道こそ通っていないものの一介の猟師の住居としては不相応なぐらい立派な家だ。
「すごい……とても大きなお家ですね」
「ありがとよ」
「……ご主人は実はとても偉い方なのですか?」
「なわけねえさ。元々は偏屈な爺さんが別荘のつもりで建てたらしいが使う前にくたばっちまったらしくてな。街のみんなもどうにか利用したかったけどご覧の通り、辺鄙な場所にあるもんだから持て余して放っておいたのを三年前に流れ着いた俺が安値で買ったのさ」
家のランタンやランプに火を灯しながらジャベルはラピスに自宅を入手した経緯を教えた。冗談めかして「偏屈爺の代わりに変わり者の根無し草に住まわれて気の毒な家だ」と言ってみたがラピスから笑いは取れなかった。
「さて、ラピス。大切な話をいくつかしていくからよく聞いてくれよ」
「はい」
「この家の間取りだが見ての通り右手側が水回りの部屋になってる。井戸は勝手口を出てすぐにある」
「分かりました。薪置き場は裏手あたりでしょうか?」
「おお、正解だ。薪割りする時もあれば山に柴刈りに行くこともある……まあ、おいおい教えていこう」
ジャベルは買って来た荷物をそれぞれ台所や食糧庫の棚にしまいながら、ラピスに家のどこに何があるのかを教えていく。
ラピスは一生懸命それらを覚えようと努力し、また召使いとしてこの家で働くにあたってジャベルが教えていないが必要になりそうな物の在処を自分からも尋ねていった。
そんな姿からジャベルは彼女がいまでこそ急変した環境やよく知らない男の下で暮らすが故の警戒心や緊張から感情表現こそ乏しいが実際はかなり賢い子なのではと推察した。
「慌ただしくあれこれ教えたがこれからも分からなかったら遠慮なく何度でも聞いてこい。一回でなんて完璧に覚えるなんざ無理な話だ」
「……ありがとうございます。がんばります」
「いい返事だ。よし、お次はもっと大事なお前さんの部屋のことだが……」
「え。あの、まさかお部屋を貸していただけるのですか?」
「……貸してあげるのです」
神様か神話の怪物にでも出くわしたような仰天の顔をするラピスにジャベルは彼女の口調を真似ながら得意げに肩を軽く叩く。
「お前の前の主人は随分とケツの穴の狭い野郎だったんだな。一番奥の部屋は物置にも使ってない正真正銘の空き部屋だからな、使い道が出来て一安心だ」
「まさか個室を賜れるだなんて……夢みたいです」
「ただな、悪いが掃除もサボり気味で随分と埃が溜まってるかもしれん。いまからだと薄暗くて難儀だが片付けはお前さんに任せちまっても大丈夫か? 箒や雑巾は食糧庫の隅にあったのを見ていたよな?」
「お任せください」
ジャベルが言い終える前にラピスは両の拳を強く握りしめて、やる気に満ち溢れた様子で答えた。
「それから寝床だがこんなことになるとは思ってなくてな。流石に寝台は二台も無いから用意するのに少し待っていてくれ」
「私は床でも一向に構いませんが?」
「俺が気にするんだよ。そうだな……今夜のところは居間の長椅子を使ってくれ。ラピスの背丈なら背中を伸ばして横になれるだろう?」
ジャベルが言っているものは居間の隅に置かれている丸型テーブルと対になった椅子とは別にある長椅子のことだ。腰掛の長さに合わせた厚みのある布袋が敷いてある。
「部屋の掃除が終わったら教えてくれ。運んでおこう」
「分かりました。すぐに終わらせてみせます」
「おう。無理して怪我はすんなよ。それから夕飯のことだが……」
勇み足で部屋の掃除に向かおうとしたラピスだったがジャベルが口にした言葉に思わず足が止まった。
「立派な赤猪が今朝獲れたんだが生憎、贔屓にしてくれている食堂に売っちまってな。残念だが獲れたての肉はいま家にはないんだ。すまん」
「っ……い、いえ。そんな、飢えないだけの食事をいただけるだけでもラピスは幸せ者です」
突きつけられた無情な言葉にラピスは子供なりに平静を保とうと自らを厳しく律して、聞き分けの良い従順な召使いとして振舞おうとする。
しかし、それでも上げて落とすような言い回しで告げられた残酷な事実にラピスは無礼な態度と思いつつもジャベルに背を向けたまま立ち尽くして、まだその場から動けないでいた。
「なーのーで!」
「っ!?」
突然、背後で重たい何かがテーブルに落ちる大きな物音がしたのでラピスは慌てて振り向き、飛び込んできた光景に言葉を失った。
そして、鼻孔をくすぐる野性味のあるその香りにぎこちなく真一文字に結ばれた口元が綻んでいく。幸せそうに、まるでそれは花が満開に咲くように。
「今夜はこの猪肉のベーコンをたっぷり焼いてラピスの同居を祝おうじゃねえか!」
ラピスの目に飛び込んできたのはよく燻されて飴色になった脂身がほど良い厚みで乗った大きな肉の塊。彼女の頭ほどの大きさの立派な猪肉ベーコンを持ち出して、ジャベルは二人きりの小さな祝宴を宣言した。