銀貨三十枚の少女〜猟師と元奴隷のゆったり山暮らし〜 作:マフ30
背中越しにラピスがせっせと部屋の掃除に励んでいるのを感じながらジャベルも夕食の準備に取り掛かる。
独り身の時ならパンとベーコンに一杯のエールで満足だが今日からは育ち盛りの同居人が増えたのだからそういうわけにもいかない。
健全な献立というのを考えるべきだろうと彼なりに奮起する。
「無駄に広いこの家のかまども本懐だろうよ」
火を起こしたかまどの右端に水を入れた鍋を置く。
本来の所有者だった老富豪はここに友人でも招いて頻繁に宴会でもする気だったのか飲食店顔負けな本格的なかまどをこの家にこさえていた。
几帳面に積まれたレンガ製のかまどの上に敷かれた真っ平らな金属板はまだ二つも鍋を置ける余裕がある。
「とりあえずはスープだな。あとは人参と芋でも炒めるか」
お湯が沸くのを待ちながらジャベルは台所の中心に置いている調理台を兼ねた脚の長いテーブルの上にまな板を用意して適当に選んだ野菜を切っていく。
まずは畑で採れたキャベツをざく切りにして火にかけている鍋に入れていく。
お次に薄くスライスして軽く水に晒した玉ねぎも加えていく。
「おおっ⋯⋯もう煮立ったか! 早えぇって 」
火の勢いが強かったのか思っていたよりもずっと早くに沸騰した鍋の湯に悪態をつきながらジャベルは街で買い足したブイヨンキューブを適当に放り込む。
吹きこぼれる前に鍋を火力の弱い位置に移して、優しくお玉でかき混ぜれば透明感のある綺麗な琥珀色のスープが出来上がりだ。
「塩は⋯⋯あいつ薄好きかもしれんし後でいいか。もう少し弱火で煮込んどけ」
二品目の炒め物は実に簡単だった。
切った野菜を平鍋に油を引いてじっくりと焼けばいい。
人参は軽く皮を剥いて一口大。
ジャガイモは毒がある芽をくり抜いてから皮付きのままくし切りだ。
調理油に少し削り取った猪肉ベーコンの脂身を使うので味付けはあえてしない。
弱火でじっくりと焦がさないように炒めると人参の甘みが増して美味くなる。
「
「お疲れさん。もう少しで出来るから手ぇ洗って居間のテーブルに座ってな。長椅子は飯食ってから運ぶとしよう」
「あの……お邪魔でなければ近くで見ていてもいいでしょうか?」
両手の指を胸の前で所在なさげに絡ませながらラピスはそんなことを言った。
「好きにしな。これからベーコンを焼くからな。跳ねて飛んでくる油には自分で気を付けろよ」
「はい」
足早に手を洗い、外で服についた埃やチリを払ったラピスはそわそわと好奇心を抑えられない様子でジャベルの傍に寄ると彼が料理をする姿をジッと見つめる。
視線の先ではまな板の上に置かれた大きなベーコンの塊に良く研がれたナイフの切っ先がスクっと入って身の締まった肉が面白いように切れていく。
一切れ、二切れと厚切りのベーコンが切り分けられていくのにラピスが無言で目を輝かせていると不意に視線が服の袖を捲ったジャベルの腕に移った。
「……傷がたくさん」
右腕だけでなく、左腕にも刀傷と思われる傷跡がいくつもあった。
よく見ればジャベルの首筋にも薄っすらとだが古い傷跡らしいものがラピスには見えた。恐らく、彼の体中の色んな所にあるのだろうと彼女は何となく確信に近いものを感じていた。
「よし、ラピス。いよいよだ……良いもん見せてやる」
ジャベルの声で我に返ったラピスは高鳴る胸の鼓動をこそばゆく思いながら彼の背中に添うように横から顔を出してかまどと熱々に熱された平鍋を見守る。
オリーブオイルを引いておいた平鍋にそっと分厚く長い一切れのベーコンを敷けばジュオオオ!と油が勢いよく弾けて、甲高い音を鳴らしながら肉が焼かれる。
高温で焼かれていくベーコンはあっと言うに間に食欲をそそられる焦げ目を作り、表面に滲んだ溶けた脂がランプの暖色の灯りに照らされて巨大な宝石のようにキラキラと輝く。
「美味しそうです……!」
そんなベーコンがこんがりと焼けていく様と台所に広がる暴力的なほどの野性味を帯びた濃厚な肉が焼ける香りを吸い込んでラピスは興奮気味に両手を握り締めていた。
「待たせたなぁ。飯にするぞ!」
※
外はすっかり日が暮れて、とっぷりとした濃紺の夜空が広がる。
風は冷たく、そびえる山は怖いほど静かだが菜の花畑に挟まれた石造りの家は吊るされたランタンから放たれる柔らかな光と出来立てほやほやの食事とで春の陽気がまだそこになるような熱気を保っていた。
「ようこそわが家へ。改めてになるがこれからよろしくなラピス」
テーブルには街で買ったパンとジャベルが作った春野菜のスープや根菜の炒め物に、豪快に切った猪肉のベーコンが何枚も並ぶ。
ジャベルはエールを注いだ木製の杯を傾けていま一度、今日から共に暮らすラピスを歓迎した。
「はい。私のようなものを引き取ってくださりありがとうございます。精一杯お役に立つようがんばりますのでよろしくお願いします、ご主人」
「おっし! 堅苦しい挨拶や区切りはここまでだ。今日の主役はお前さんだ! いっぱい食えよ!」
「は、はい……ではいただきます」
本当に自分がこんな豪勢な食事を食べてもよいのか?
まだ自分が置かれた状況が夢ではないかと半信半疑な心持ちのラピスだったが目の前で美味しそうな香りと湯気を放つ料理の存在感に誘われるようにフォークとナイフを手に取った。
「はむっ」
自分の指よりも太く分厚い一切れを大きな口を開けてガブリと食らう。
瞬間、ラピスの口の中にはいままで彼女が経験したことのない特大の幸せが広がった。
「わあ! ふわあああっ……すごっ、おいしい! 美味しいですご主人」
ほのかに焦げたカリカリの表面を歯が突き破れば、奥には旨味と塩味が凝縮されたもっちりとした猪肉の触感が待っていた。
噛めば噛むほど濃厚な肉の味が少女の口の中に押し寄せる。
脂身もたっぷりな見た目に反して重すぎず、自然な甘みがあって飲み込むのがもったいないと思えてしまうぐらいに美味だ。
「おう! 美味いだろ!」
「とっても!」
「だっははは! 良い顔してくれるじゃねえか!」
「こんな美味しいもの初めて食べました!」
「気前の良いところみせた甲斐があったよ! パンに切れ込みを入れてベーコンを挟んで食っても上手いぞ! 肉汁と油が染みたパンが絶品なんだ」
「試してみます……!」
大喜びでモリモリと夕食を食べるラピスの姿にジャベルは自分の太ももを小気味良く叩いて満足げな笑みを浮かべた。
そして彼はラピスにはベーコンをたくさん食べさせ、自分はエールのお供に根菜の炒め物を口に頬る。
ジャガイモはほくほくとした食感に猪肉の脂身を纏ったことでほのかに塩味が効いている。人参の方はじっくりと熱を通したことで野菜本来の甘みが引き出されていて、下手な菓子よりも上等な甘味とさえ思える。
「肉ばっかり食ってると胃がもたれ……ああ、お前は平気かそりゃあ。塩気ばかりだと口が荒れやすくなる。スープも飲め」
「キャベツがとても柔らかくて美味しいです。これもご主人が育てたんですか?」
「ああ。狩りの合間じゃそんなに本腰入れては無理だから本当に真似事の程度だけど去年からようやく腹の足しになるぐらいには採れるようになったよ」
「ベーコンはもちろん美味しいですがこのスープもすごく好きになりました」
「味の濃い薄いはどうだ? 俺の加減じゃ薄口にしたつもりだけど、塩辛くはねえか?」
「私はこの味が好きです。何杯でもいただけます」
「今日は勘が冴えてたな。弓矢で野鳥を何羽も仕留めれた気分だよ」
昼間にフェルナンドの店で初めて出会った時とは別人のように心が通ったように眩しい表情をするラピスにジャベルも満足して食事を楽しんだ。
「あの、ご主人はとてもお料理が上手ですがどこかのお店で働いていたのですか?」
「おいおい、あんまり褒めるなよ。朝飯を予定よりも一品増やしたくなるじゃねえか」
夕食をほぼ食べ終えそうになって、ふとラピスに問われた質問にジャベルはケラケラと笑っておどける。
「そうだな、三年間ずっとここで自炊していた賜物ってのもあるが昔いた傭兵団が料理番交代制のところだったんで嫌でも上達したのかねえ」
「傭兵? ご主人は兵隊さんだったんですか?」
「まあな。ちゃんと数えちゃいないが二十年以上は傭兵で食ってたか」
「そんなに長く……?」
そういえばちゃんと話していなかったとばかりにジャベルは簡単に自分の生い立ちをラピスに話して聞かせた。
子供の頃に故郷が魔王の軍勢に襲われて、運よく生き残り傭兵団に拾われてそれからは生きるために無我夢中で戦ってきたという。
「あちこちで戦ったな。ジャベルって名前もよ、実は俺を拾ってくれた傭兵団の団長がくれた名前なんだ」
「え?」
「住んでた村が襲われて、親も友達もみんな死んじまったショックでガキの頃の俺は二、三年頭真っ白になっちまってたらしくてな。しばらく名無しでいたんだけど、いつからかジャベルって呼ばれるようになった」
「……そんなことが」
「
首筋の古傷を撫でながら、ジャベルは感慨深そうに過去を懐かしむ。
自身の名前の由来を語ってくれたジャベルの顔を見つめながら、ラピスは何かに気付いたような表情で思い切って口を開く。
「あの……もしかして、私にくれた名前も同じように意味があったりするのですか?」
「え? ああ、一応はな。けど、ありきたりだからガッカリするか俺のセンスに幻滅するかのどっちかだぞ?」
「それでも、知りたいです。ご主人がくれた……私の二つ目に出来た大事なものをちゃんと知りたいです」
「そうきたか。参ったな、そう言われるとご主人として教えないわけにはいかねえわな」
一本取られたなと観念した顔でジャベルは頭を掻くと一息入れてから真面目な面持ちでラピスに面と向かう。
「
「…………はい。ご主人のご命令に応えられるよう、ラピスはがんばります」
照れ臭そうに残ったエールを飲み干すジャベルを見つめながら、ラピスは与えられた自分の名前に込められた意味と三番目のご主人のぶっきらぼうな優しさを噛み締める。
あたたかな夜は更けていく。