歩いて来た道ではなく、これから、何処へ行きたいのか。
私は、きっと独りぼっちで生きる運命なんだろう。
私と関わり合っても、皆きっと悲しむだけ。
なら、始めから交わらなければ、喋らなければ悲しむこともない。
それでいい。と思ってた。……思ってたの、だけど。
「月見(つきみ)さ〜ん! それでさ! こないだの通学路の件なんだけどさ〜!」
いやコイツしつっけえな!!
私の父は転勤が多く、私たち家族は一つの場所に留まることはない。それは、せっかく出来た友達とも別れねばならないことを意味する。
始めは泣いたわ。初めて話しかけてくれた子。教科書忘れた時に机を合わせて見せてくれた子。おんなじ時間を共有し合った仲間。そんな子たちと別れなきゃならないんだもの。
でも人間とは強かなもので、何度も引っ越しと別れを繰り返してるうちに慣れてきて、対処法をも編み出してしまう。
関わりを持ってその関係が終わるのが悲しいなら、始めから関わらなければいい。
冷たい顔をして、取り付く島もなくあしらって、休み時間もずっと一人で。そうしていれば、寂しい思いをするのは私一人で済む。……こうやって、生きていくんだと思っていた。でも。やったらしつこい奴もいる。今度の学校の隣の席の、王子(おうじ)くん。
何が楽しいのやら私を探しては、どうでもよさそうな話題を見つけて振ってくる。まるで今が人生の最盛期みたいに幸せそうな顔で。ほんと、何がそんなに嬉しいのかしら?
「……相変わらず楽しそうね」
「割と月見さんが反応してくれるから楽しいよ! んでさ、こないだ話した麻辣湯屋が、具材が取り放題でぺちゃくちゃぺちゃくちゃ……」
嫌味もまるで通じない。ていうか、正確に見抜かれているのよね。別に話しかけられるのが嫌じゃないこと。私だって人並みの感性を持ってる。話し掛けられれば嬉しいしお話したい。でもそれは、ね。しかし、私反応してるか? あしらってるつもりなのだが。諦めないコイツも凄いと思う。
「まーた王子、氷姫に話し掛けてるよ」
「やめときゃい〜のに〜」
……ほらな。アレが普通の反応だ。男も女も、等しく袖にし続けていた私には、いつしかそんなあだ名がついていた。無駄に容姿に恵まれてるせいもあって、男女構わず話し掛けてきてくれる人も多かったが、今は一人だ。望んだ平穏。だったのだけど。
「うるせ! 俺が誰に話し掛けようが勝手だろ!」
「相変わらずお熱いこって〜」
「ヒューヒュー!」
周りに冷やかされようが知ったこっちゃないみたい。私は少しずつ王子くんに興味を持つようになっていた。彼の信念は何処から来るのだろうと。なので、帰りの時間にでも聞いてみることにした。私がさっさと帰ろうとしても、子犬みたいに後ろをついて回るのよね。
「いや〜! 相変わらず今日も暑いね! 梅雨明けたなんて言ってるけどまだ暑くなるのかよ! キツイね! こないだアース付け忘れて寝たらありとあらゆるとこ蚊にさされてさ、痒くって寝れねえのよ〜いや〜あれにはまいっ……」
「王子くん」
「ん? なになに?」
私が話し掛けると、王子くんは目の輝きを上げながら聞き返してくる。……心なしか、綺麗な茶髪の頭の上には耳。背中側にはぶんぶん横に振れる尻尾を幻視する。やっぱ犬よね。犬。
「何で私なんかに話し掛けてくれるの? あなた学校で人気者じゃない? 私なんか放っておけばいいのに」
「月見さんも人気者だよ? 綺麗だけど近寄りがたいって言われてんだから。もっと笑えばいいのに」
「余計なお世話よ。いいからなんで?」
「……ん〜」
私の少し前を歩いていた彼の瞳を見据える。すると彼は私から視線を逸らして顔を上げ、頭をガシガシと掻いた。どうやら私の質問は彼にとっても簡単ではないらしい。……ふふ。少しだけいい気味。やがて意を決したのだろう。ゆっくりと私に視線を合わせてくる。
「ちと長くなっちゃうんだけどいい?」
「……いいわ。聞かせて」
「俺さ。何となく自分も、自分の周りの皆も無敵でさ。何一つ変わらず生きていけるんだろう、って、勝手に思い込んでいたんだ」
……それはないわよ王子くん。人は移ろい、環境は変わる。変わらないものなんかない。
「そしたらさ、去年。子どもの頃から可愛がってくれた親戚のおばさんが死んじゃって。月並みなんだけど、ひっくり返るような衝撃受けてさ。あんな元気だったのに。あんなにあっさり」
「…………」
「それでも世界は何ともなかったように回って。それでさ、気が付いた。俺たちは特別じゃない。変わらないものなんかないんだって。……だからこそ、俺は今を生きることにしたんだ」
「……今を?」
「うん。この先どうなるかなんて、誰も分からないじゃん。過去も、未来も実はないんだと思うんだよ。今。今なんだ。今しかねえんだ俺たちには」
目を見開く。思った以上の彼の熱量に。視線を外したまま何処か遠くを見るように彼は続ける。
「……きっと月見さんにも何か事情があるんだろ。俺バカだけどさ、そんくらいは分かるんだ。……でも、俺から見たら月見さんは、その何か、のために今を諦めている。そんな風に見えて。……ほっとけねえのかも」
図星だった。ギリッと。歯を食いしばる。なによ。知った風な口を利いて。アンタに何が分かんのよ。
「……。なら、どうしたらいいのよ。先なんて分かってる。どうせ同じ結果よ。……なら、少しでも悲しくないほうが」
彼は私の表情に少し面食らった後、何でもないようにこう返した。
「……そんなの簡単だよ月見さん。君は君のしたいようにするといい」
「は、はあ? どういうこと……?」
「俺には、今の状況は月見さん望んでないように見えるんだ。ならさ、結果分かってようがなんだろうがさ。取り敢えず好きにやっちゃいなよ! 未来なんざ誰にも分かんねえんだぜ?」
「俺考えんの苦手だからさ! 月見さんも、さっきみたいに剥き出しに怒ったり、笑ったり! 今を好き勝手にやって! 未来なんて知るか!! でいいと思う!」
手を広げて空を抱き込むように話す王子くん。そんな、難しいことをさも簡単であるかのように。そんな事。出来たら苦労しないでしょう?
「……馬鹿で、羨ましいわ」
「お褒めに預かり恐悦至極」
大袈裟なポーズでリアクションする彼を見て、少しだけ吹き出してしまった。……先の事なんか分かんないんだから、好き勝手にか。
「……。まだ、大丈夫かな? 遅くないかしら……」
「おっ! 協力するよ月見さん! 全然遅くないって! クラスのヤツら、皆良いヤツラだからさ!」
「……そうだといいけど」
何故だか私は、彼とこんな話をした夜、良く眠れた。深く寝入って、朝がとても清々しかったことを覚えている。
「お、おはよう……。漣さん、菅井くん……」
「……!?」
「おお!? 氷姫から挨拶されたぞ!? 珍しいこともあるもんだ!」
「び、びっくりしちゃった……! うん! おはよっ! 月見さん!」
明くる日、私は意を決して今まで袖にし続けていた皆に挨拶してみた。
無視されたり心無い言葉を吐かれたり。そういう予想をしていたが、どうやら現実という奴は私の想像できる範囲を超えているらしい。
「ほらね? 先の事なんか分かんないだろ?」
「……うん」
悲しい妄想に囚われて、目の前の今を素通り。予想できる結末もイヤだけど、それもイヤだから。
私は、変わりたい。
もちろん、上手くいくことだけじゃなかった。
当たり前だ。あんなに冷たく当たってきたのだもの。
無視されたりぎこちなかったり。全員と最初から上手く話せるわけない。
でも、そんなのは私がやってきたことを考えれば些細なことだった。
本当はね。私だって今を投げ捨てたくない。今は今しかないんだもん。そんなの分かってた。皆とクラスメートでいられる今日は、今日しかやってこないんだから。私だってさ、本当は皆と話したいよ。友達になって、笑い合いたい。
そうよ。王子くんみたいに生きてみたいんだ。
そうやって、王子くんみたいに毎日しつこく挨拶してたら、皆の反応も変わってきてね。
「なんか氷姫、明るくなったな〜」
「春が来て溶けたんじゃん?」
そんな事を言いながら笑ってくれたり。王子くんはそれを後ろで見ていた。陽だまりみたいな笑顔で。
それから、少しだけどよく話す友達も出来て。王子くんももちろん一緒。
星が今にも降り出しそうな空に、河川敷を皆でお話しながら帰った夜を覚えてる。今日腹立った奴の話題だとか、逆に面白かった話とか。とりとめのない話をしながら皆で笑い合って。
そうそう。皆が勧めてくれるから、私初めてカラオケなるものにも行ったのよ。
初めてマイク越しに聞く自分の声は、なんだか自分の声じゃないみたいで。
聞き慣れた曲のはずなのにアーティストじゃなくて、友達が歌っていると、また違った味があってね。
汗ばむほど真剣に歌って、タンバリン叩いて場を盛り上げて。
楽しかった。楽しかったのよ。
だからね。
「ゴメンな、海月(くらげ)。またお父さん、転勤になっちゃった」
今日ぐらい、恨み言を言わせて? ……ひどいよ、神様。
誰にも言い出せなかった。王子くんにも。
せっかく仲良くなれたのに、また別れなきゃならないなんて。
やっぱり仲良くなるべきじゃなかったかな。だってこんなに悲しいんだもん。
でも。お父さんやお母さんに感情を向けるのは出来なくて。二人とも家族のために精一杯頑張ってるのを知ってるから。
悔しさや、悲しさが胸の中でないまぜになって、どうしたらいいのか分からないまま、その日は来てしまった。
「あ〜。今日は皆に悲しいお知らせがある。今週限りで月見海月さんが、福岡の学校に転校することが決まった。お父さんの仕事の都合だそうだ」
ざわざわっと。担任の先生の言葉にクラスはざわついた。我関せずな人も二割くらい。王子くんは……。ハッとした顔をしていた。
私はどうすれば良かったのかな? やっぱり殻に閉じ籠もって、一人でいたほうが辛くなかったかな。って考えてたんだけどね。なぜか、どうしてもそうは思えなくて。
「そしたら、月見。なんかある?」
先生が話を振ってくれた時、私は教壇の前に出て、皆に頭を下げていた。
「……。ゴメンね皆。私は、ウソつきだ。私、知ってたの。自分が近い内に転校しちゃうこと。だから、初め皆のこと避けてたんだ。別れがつらくなるから」
「でも、私、王子くんに言ってもらって。先の事なんか分かんないんだから、やりたいようにやりなよって。……私、皆と仲良く出来て、良かった。だって、凄く楽しかったから」
「……初めウソつきだったけどさ。最後くらいは本音を言いたい。私ね。はなれ、たく、ないよ。このクラスで。皆といっしょに卒業したい。ヤダよ。一人は、もう、イヤ……」
言葉と共に滲む視界。流れ出る感情を私は留めることができなかった。手で押さえつけてもとめどなく流れるソレをどうにも出来ずに、嗚咽交じりで肩を揺らす。
すると、真っ暗な世界で椅子を引く音、コチラに歩いてくる音。認識すると同時に、柔らかく両肩に手を置かれる。
「だからだったんだな。冷たかったの。ようやく、腑に落ちたよ」
「ひっ……ひっく、ぐす……。お、おうじ、くん……?」
「俺はバカだ。大バカだ。君の気持ち何も分かんないでさ。勝手な考えばかり押し付けて。結果、君は今泣いてる。少し昔の自分をぶん殴ってやりたい気分だ」
「月見さん! 俺! 会いに行くから!!」
「ふえっ?」
「福岡だろ!? 近い近い! コレから少ししたら夏休みだ! 俺バイトしてさ! 旅費稼ぐ! そしたら会いに行くからさ! ……そうしたら、月見さんは一人じゃないだろう?」
「え、えと……」
「持論に責任は持つぜ。福岡だろうがヨーロッパだろうが世界の果てだろうが! 必ず君に会いに行く! ……だからさ。もう、泣かないでよ」
細めた王子くんの目が私の深い所を射抜く。冷えて固まってしまった私の心が、脈打つように解れるのを感じた。
それと同時に体をくの字に曲げて、王子くんは吹っ飛ぶ。
何が起きたのか、初めほんとに分かんなかった。一瞬遅れて、彼は横から来た菅井くんに蹴り飛ばされたということを認識する。
「テメェ王子!! 一人でカッコつけてんじゃねえぞ!! つ、月見さん! おれ! 俺も会いに行くから!」
「私も行くよ月見さん! 向こうの学校でも、一人にさせないから!」
「俺も!」
「私もよ!」
目の前で次々と手を挙げてくれるクラスメートたち。
その光景を見ながら私は、何故か肩を震わせて、泣くことしかできなかった。
「……素晴らしい光景じゃな〜い。涙腺も財布の紐もゆるむわあ〜。お前ら、福岡行くときは俺に言え。少しは援助してやるぞ」
「流石! 先生最高!!」
「皆でグループ旅行すっか!? せっかくだし!」
「イヤそれは高くつくから辞めといて?」
「カッコつかねえな〜! おっさん!」
思いを束ねた花冠を、王子に被せてもらった月の姫。福岡だろうが世界の果てだろうが、その花冠がある限り、彼女はもう一人ではない。
結果は一緒。それでも。