シュピーゲル 〜不眠の傭兵と猛毒の令嬢、17歳の暗殺事件〜   作:氏家まさら

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エピローグ
【最終話】私が渡しの鏡(きず)


 馬車の御者(ぎょしゃ)が、身を隠していた車体の裏から、恐る恐る顔を覗かせた。

 辺りを見回し――ようやく、小さく息を吐く。

 

 物見の塔では――エレノアが、信じがたいものを見るように雪原を見下ろしていた。やがて力が抜けたように、その場へ崩れ落ちる。

 

「エレノア様――!」

 

 隣でモーゼスが狼狽え、慌ててその身体を支えた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 エルザは、カレンを真っ直ぐに見つめていた。

 

「…………」

 

 細い肩が、僅かに揺れている。

 

 カレンは頭を動かさず、視線だけを物見の塔へやった。

 そして――すぐに戻す。

 

 ザ……。

 

 ザ……。

 

 エルザへ向かって歩き出す。

 

「まったく、姉(ひと)に殺(や)られるくらいなら、いっそ自分(てめえ)で――ってとこかい?」

 

 背後。

 

 雪に横たわるヨハンを、右手の親指で指す。

 

 

「…こ(・)い(・)つ(・)を寄こしたのはア(・)ン(・)タ(・)だろ?」

 

 

「…………」

 

 エルザは答えない。

 

 

「だが、残念だったな。コイツじゃ――アンタは殺せないよ」

 

 

 ザ……。

 

 ザ……。

 

 カレンが近づいてくる。

 

「…………」

 

 エルザは顔を伏せた。

 

 その細い肩が震えている。

 

「…殺すわよ…アンタ…!」

 

 顔を上げる。

 

 あの日と同じように、鋭い牙を剥く。

 

 ザンッ――!

 

「…これで勝ったつもり!?」

 

 馬車から飛び降りる。

 

 純白の雪へ、靴底が沈んだ。

 

 ザン……。

 

 ザ……。

 

 ザン……。

 

 二人が、互いへ向かって歩く。

 

「私に恥をかかせて…!私の前でそんな無様な姿を晒して…!!」

 

 エルザが雪を蹴立てる。

 

 

「絶対に許さない!」

 

 

 ザ……。

 

 二人の足が止まった。

 

 雪原のただ中。

 

 鏡合わせの二人が対峙する。

 

「もう……」

 

 エルザの左手が上がる。

 

 握られているのは、欠けた白の女王(クイーン)。

 

「こんなものは必要ない――!!」

 

 ドカッ――!

 

 左拳が、カレンの右胸を叩いた。

 

「…………」

 

 カレンは避けない。

 

 ただ、その拳を受け止める。

 

 スッ……。

 

 エルザの拳が、僅かに緩む。

 

 「…………」

 

 カレンの右手が上がった。

 

 掌を上へ。

 

 ただ、待つ。

 

 ス……。

 

 一本。

 

 また一本。

 

 エルザの指が解けていく。

 

 パッ……。

 

 欠けた白の女王(クイーン)が、その左手から零れた。

 

 カレンの右掌へ落ちる。

 

 ぐ……。

 

 右手が、その駒を握った。

 

「……っ!」

 

 エルザの肩が大きく揺れた。

 

 一歩。

 

 その額が、カレンの胸へ近づく。

 

「………!」

 

 触れる寸前。

 

 エルザは止まった。

 

 ザンッ――!

 

 踵を返す。

 

 ザン…ザン…ザン…!

 

 カレンは何も言わない。

 

 右手に白の女王(クイーン)を握ったまま、その背中を見ている。

 

 ザン…ザン…ザン…!!

 

 馬車へ戻ったエルザが、乱暴に座席へ腰を下ろした。

 

 ドスッ!

 

 バタンッ――!

 

 扉が閉まる。

 

 薄い窓ガラスの向こう。

 

 エルザが、まだこちらを見ていた。

 

「…………」

 

 その瞳が僅かに潤んでいる。

 

 肩が震えている。

 

 

「…アンタの顔、本当に醜いわ。カレン」

 

 

「…………」

 

 シャッ……!

 

「…出して」

 

 カーテンが閉じた。

 

 バチン……!

 

 ヒヒーン……!

 

 馬車が動き出す。

 

 ゴト……。

 

 ゴト……。

 

 ゴト……。

 

 雪原を、ゆっくりと遠ざかっていく。

 

 カレンはその場に立ったまま、右手の女王(クイーン)を握っていた。

 

「…………」

 

 やがて、馬車が見えなくなる。

 

 カレンは空を見上げた。

 

 一点の曇りもない青が、銀世界の果てまで広がっていた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 ゴト…ゴト……

 

 屋根もない安物の荷馬車が、凸凹道(でこぼこみち)に車輪を軋ませている。

 

 その荷台に、カレンは一人、背中を丸めて座っていた。

 

 ゴソゴソ……。

 

 右手を懐へ入れる。

 

 取り出したものは、二つ。

 

 眠り薬の小瓶。

 

 そして――欠けた白の女王(クイーン)。

 

 ゴト……ゴト……。

 

 薬瓶を、左手へ。

 

 女王(クイーン)を、右手へ。

 

「…………」

 

 左手の瓶を見る。

 

 中身は、まだたっぷりと残っている。

 

「…ふん」

 

 ポイッ――。

 

 薬瓶が、走る荷馬車の外へ消えた。

 

 ゴト……ゴト……。

 

 右手。

 

 欠けた白の女王(クイーン)。

 

「…………」

 

 カレンが小さく鼻を鳴らす。

 

 ピンッ――!

 

 親指が、駒を弾いた。

 

 白の女王(クイーン)が、冬の陽光を反射しながら高く舞い上がる。

 

 上がる。

 

 止まる。

 

 落ちる。

 

 シュパッ――!

 

 カレンの右手が、それを掴んだ。

 

「…………」

 

 拳を握る。

 

 そのまま、胸へ。

 

 掌の中。

 

 欠けた駒の硬い感触が、確かに残っている。

 

 ゴト……ゴト……。

 

 カレンは顔を上げた。

 

 空を見る。

 

 あの日と同じように。

 

 けれど――。

 

「…………」

 

 

 冬の空は、どこまでも澄み渡っていた。

 

 

 

 ~ THE END ~

 




【あとがき】

◆ED 渡しの鏡◆


♟ ♝ ♞ ♜ ♚ ♛ ♛ ♚ ♜ ♞ ♝ ♟


躓(つまづ)いては傷(きず)つき

裏切(うら)りの毒(どく)で傷(いた)み

自(みずか)らの愛(あい)で傷(きざ)み

虚構(きょこう)の虚(むな)しさに傷(きず)き

傷(きず)けば――傷(きず)が増(ふ)えたと知(し)りました。


私(わたし)の扉(とびら)を開(あ)け

私(わたし)の傷(きず)を渡(わた)し

渡(わた)した鏡(かがみ)に映(うつ)る私(わたし)

それが――私(わたし)の傷(きず)だと知(し)りました。


醜(みにく)い傷(きず)を痣笑(あざわら)い

消(き)えない傷(きず)を味(あじ)わい

真実(しんじつ)の光(ひかり)で傷(きず)を照(て)らし

温(ぬく)もりで傷(きず)を癒(い)やし

傷(きず)けば――傷(きず)に成(な)れたと知(し)りました。


私(わたし)の扉(とびら)を開(あ)け

私(わたし)の傷(きず)を渡(わた)し

渡(わた)した鏡(かがみ)に映(うつ)る私(わたし)

それは――私(わたし)たちの傷(きず)だと知(し)りました。


♙ ♗ ♘ ♖ ♔ ♕ ♕ ♔ ♖ ♘ ♗ ♙
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