GUNDAM TRIANGLE   作:カンキ

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今回は朱麗編・前編です。

ギアナ高地へ向かった朱麗が見たもの。そして、これまで謎に包まれていた朱麗の出生と、ムーン・ムーンで過ごした幼少期が明らかになります。

過去と現在がつながる物語を、どうぞお楽しみください。


第10話 朱麗・前編

 

 

ここは、ギアナ高地。

 

かつてエンジェルフォールと呼ばれた大瀑布。その麓に広がる大森林の中に、朱麗は立っていた。

 

しかし、滝の音が聞こえない。

 

朱麗は濡れた岩の上で足を止めた。

 

木々の切れ間から見える地形は、記憶にあるものとよく似ている。川の曲がり方も、遠くにそびえる岩壁も、かつて師匠と修行した場所そのものだった。

 

だが、そこにあるはずの滝も、カナイマの町もなかった。

 

修行の合間に食料を買いに下りた町。

滝を目当てに集まる人々の声。

夕方になると灯りのともった通り。

 

今は、川と森があるだけだった。

 

「……ここも、違うのか」

 

朱麗は背負っていた荷を下ろした。

底に残っていた保存食は、昨夜すべて食べ尽くしている。

 

川の水は飲めた。だが、雨で火を起こせない日が続き、身体は思うように動かなくなっていた。獲物の気配を追って森へ入っても、追いつく前に足が止まる。引き返す距離だけが、日に日に長くなっていった。

 

朱麗は目の前の景色を、もう一度見渡した。

 

似ている。

だからこそ、違いが分かった。

 

「やはり……俺の知っている地球ではないのか」

 

荷を持ち上げようとした手が滑った。

膝が岩に当たる。

 

立とうとしても、足に力が入らない。

 

「すまない……。こんなことになるとは……」

 

川の音が遠ざかっていく。

 

閉じかけた目に、見知らぬはずの古い通路が浮かんだ。

 

『師匠?』

 

頭の中で、誰かの声が響いた。

 

『師匠……しっかりして!』

 

その声に引かれるように、朱麗の意識は遠い記憶の中へ沈んでいった。

 

 

     ◇

 

 

かつて、一年戦争の最中。

 

地球連邦軍の少尉と、ジオン軍技術士官の妹だった女性は、戦場で運命的な出会いを果たした。

 

本来ならば敵同士だった二人は、互いを知り、愛し合い、ついには双方の軍から離れる道を選んだ。

 

地上での平穏な暮らしが、このまま続くと思われた。

 

だが、やがて二人の素性は知られ、再び追われる身となった。

 

地球に安住の地を失った二人は宇宙へ渡り、長い逃避行の末、一つの閉鎖されたコロニーへと流れ着いた。

 

その名は、ムーン・ムーン。

 

二人をかくまい、集落へ連れてきたのはカレルという男だった。

 

集まった人々を前に、カレルは静かに口を開いた。

 

「この二人は、戦いを持ち込みに来たのではありません。戦いから逃れてきたのです」

 

奥に座るエルド=ムーンは、二人を険しい目で見据えた。

 

「外で生まれた汚れた技術で、この地まで汚すつもりではあるまいな」

 

男が答えるより先に、隣の女性が口を開いた。

 

「私たちは、ここで静かに暮らしたいだけです」

 

「エルド殿。この二人は、もともと敵同士でした」

 

カレルの言葉に、人々の間からざわめきが起こった。

 

「それでも、二人は共に生きることを選んだ。二人が求めているのは戦いでも、外の技術でもありません。ただ、帰る場所なのです」

 

エルドはしばらく黙っていた。

 

やがて、男へ尋ねた。

 

「武器を置けるか」

 

「ああ」

 

男は短く答えた。

 

「ここで暮らすことを許されるなら、ここの決まりに従う」

 

エルドが頷くと、カレルはもう一つ願い出た。

 

「それから、どこで二人の名が漏れるか分かりません。ここでは別の名で呼ぶことをお許しください」

 

男は、解慕漱(ヘモス)。

女は、柳花(ユファ)。

 

二人はそう名乗り、ムーン・ムーンで新しい暮らしを始めた。

 

 

     ◇

 

 

年月が過ぎた。

 

ヘモスとユファには、瑠璃(ユリ)という息子が生まれた。

やがてユリも一人の子を授かり、その子は朱麗と名づけられた。

 

当初、よそ者である二人を警戒していた人々も、長い歳月の中で少しずつ心を許していった。

 

そんなある日のことだった。

 

「じっちゃん。これ、まだ動くと思う?」

 

幼い朱麗が差し出したのは、泥を落としたばかりの小さな部品だった。

 

ヘモスは顔をしかめた。

 

「どこで拾った」

 

「水路の向こう」

 

「そこには近づくなと言っただろう」

 

「近づいてないよ。棒で引っかけたんだ」

 

言い返す朱麗の背後で、ユファが小さく笑った。

 

朱麗は部品を掌で転がし、表面に残る細い傷を見つめている。何に使われていた物なのか、知りたくてたまらない顔だった。

 

ヘモスは、その手から部品を取り上げた。

 

「捨ててきなさい」

 

「でも、じっちゃんなら分かるんでしょ?」

 

答えられずにいると、朱麗はユファを振り向いた。

 

「ばあばなら?」

 

「私にも見せて」

 

ユファは部品を受け取り、傷のある面を指先でなぞった。

 

「……ずいぶん古い物ね」

 

「動く?」

 

「今日は、ここまで」

 

ユファは部品を朱麗へ返した。

 

朱麗は不満そうに唇を結んだが、それ以上は聞かなかった。

 

その横顔を見つめ、ヘモスは小さく息をついた。

 

「ああいうところは、ユリにそっくりだな」

 

ユファの指が止まった。

 

朱麗が顔を上げる。

 

「父さんも、こういう物が好きだったの?」

 

「……ああ」

 

ヘモスは、それだけ答えた。

 

朱麗には、父親はすでに死んだと伝えてある。

物心もつかない頃に姿を消した父のことを、二人は長く語らずにいた。

 

 

     ◇

 

 

朱麗が十二歳になった頃。

 

古い水路のそばで、子供が一人、崩れ落ちた板材の下敷きになった。

 

雨を含んだ土は崩れやすく、助けに来た大人たちも迂闊に近づけない。板材を持ち上げようとするたび、その上に積もった石が音を立てて動いた。

 

「誰か、支えられる物を持ってこい!」

 

「間に合わない! また崩れるぞ!」

 

板材の下から、子供の泣き声が聞こえた。

 

朱麗は走った。

 

水路の脇に放置されていた、動かないはずの作業機械へ。

 

「朱麗、待て!」

 

ヘモスの声が背中に飛ぶ。

 

朱麗は開いた覆いの中へ潜り込み、記憶を頼りに配線を手探りでつないだ。以前見つけた、途中で切れている線だった。

 

「ここを、こっちへつなげれば……!」

 

一度、鈍い音がした。

 

そして、止まっていた計器に光がともった。

 

作業機械が低く唸り、錆びた腕を持ち上げる。

 

人々が一斉に振り返った。

 

「朱麗、腕をそのまま固定しろ!」

 

「うん!」

 

作業機械の腕が、崩れかけた板材を押さえ込む。

 

その隙にヘモスが駆け込み、下敷きになっていた子供を引き出した。ユファが泥の上へ膝をつき、その身体を抱き寄せる。

 

一瞬の静寂。

 

やがて、子供が大きな声で泣き出した。

 

「よかった……」

 

朱麗は作業機械から飛び降りた。

 

周囲から、安堵の声が上がる。

 

だが、その声は、駆けつけた衛兵の姿を見て次第に消えていった。

 

動くはずのなかった機械。

 

それを動かした子供。

 

やがて朱麗だけでなく、止めなかったヘモスとユファも、その場で連行された。

 

 

     ◇

 

 

扉が閉まる音が、狭い牢の中に響いた。

 

「入れ」

 

見張りの男は三人を押し込むと、外から鍵を掛けた。

 

朱麗はユファの手を握り、男が通路の向こうへ消えていくのを見つめた。

 

「僕たち、牢屋に入れられるようなことしてないじゃないか」

 

「朱麗。あの子を助けるためだったとしても、私たちはここの掟を破ったの」

 

「でも……」

 

「事情が分かれば、きっと出してもらえるわ。だから、今は我慢して」

 

「ほんと?」

 

「ええ」

 

ユファは笑ってみせた。

 

朱麗は頷いたが、その手はユファの服を握ったままだった。

 

夜になり、昼間と同じ見張りの男が戻ってきた。

 

足音は一人分しかない。

 

男は通路の左右を確かめると、無言で牢の鍵を開けた。

 

「行ってください」

 

ヘモスは動かなかった。

 

「どういうつもりだ」

 

男は扉を押さえたまま答えた。

 

「あなたたちが助けてくれたのは、俺の子です」

 

ユファが朱麗の手を強く握った。

 

「時間がありません。次の見張りが来ます」

 

男の案内で三人は牢を抜け出し、暗い通路を走った。

 

外へ出ると、ヘモスが先に立ち、ユファは朱麗の手を引いて古い設備の残る区画へ向かった。

 

間もなく、背後で警報が鳴った。

 

「ヘモスたちが逃げたぞ!」

 

追手の声が近づいてくる。

 

ヘモスは足を止め、振り返った。

 

「俺が衛兵を引きつける。二人は先に行け」

 

「あなたはどうするの?」

 

「捕まっても、すぐに殺されることはない。ほとぼりが冷めるまで待つんだ。必ず後から行く」

 

「でも……」

 

「朱麗を頼む」

 

ヘモスはユファの返事を待たず、二人とは反対の方向へ駆け出した。

 

「俺はここだ! 捕まえてみろ!」

 

その声に気づいた衛兵たちが、一斉にヘモスを追っていく。

 

ユファは唇を噛み、朱麗の手を引いて走った。

 

 

     ◇

 

 

二人がたどり着いたのは、古い設備の残る草むらだった。

 

ユファは地面に半ば埋もれた錆びついた覆いを見つけ、両手で引き上げた。

 

その下には、一機の古い脱出ポッドが隠されていた。

 

「これ、動くの?」

 

「動かすわ」

 

ユファは操縦席へ身体を滑り込ませ、操作盤の蓋を外した。奥にある端子をつなぐ。

 

反応はない。

 

もう一度、別の端子へつなぎ直す。

 

短い電子音とともに、計器へ光がともった。

 

「……まだ生きてる」

 

安堵したのも束の間だった。

 

ユファの視線が、酸素残量の表示で止まる。

 

残っているのは、規定量の半分。

 

一人なら地球まで届く。

だが、二人ではもたない。

 

ユファは何も言わず、朱麗の肩を押した。

 

「先にお行き」

 

「ばあばは?」

 

ユファは朱麗を座席へ座らせ、震える指でベルトを締めた。

 

「私たちは、別のポッドで後から行くわ」

 

「じっちゃんも?」

 

「ええ。じっちゃんと一緒に、すぐ追いかける」

 

朱麗は開いたハッチの向こうを見た。

 

そこにヘモスの姿はない。

 

「地球に着いたら、迎えに行くわ。それまで待っていて」

 

「約束だよ」

 

ユファは朱麗の頬に触れた。

 

「……約束よ」

 

ハッチが閉まる。

 

朱麗は小さな窓へ掌を当てた。

外側で、ユファも同じ場所に手を重ねる。

 

発進を知らせる警告灯が回り始めた。

 

ポッドが射出位置まで引き込まれ、発射口の隔壁が閉じていく。

 

最後まで、朱麗は窓の向こうのユファを見つめていた。

 

隔壁が閉じた。

 

次の瞬間、激しい衝撃が朱麗の身体を座席へ押しつけた。

 

古い脱出ポッドが、ムーン・ムーンを離れていく。

 

小窓の向こうで、朱麗の故郷が少しずつ遠ざかっていった。

 

朱麗はまだ知らなかった。

 

自分を追ってくるはずの、もう一機の脱出ポッドなど存在しないことを。

 

「待ってるからね……じっちゃん、ばあば」

 

その声を乗せて、ポッドは青い地球へと落ちていった。

 

 

                          (中編へつづく)




最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今回は朱麗の過去を描く前編として、祖父母との暮らしから、ムーン・ムーンを離れるまでを描きました。

人を助けるために使った機械が、朱麗たち家族の運命を大きく変えてしまう。そして幼い朱麗は、祖父母との「また会える」という約束を信じたまま、一人で地球へ向かうことになります。

後編では、地球へ降りた朱麗がどなるのか?

次回もよろしくお願いします。
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