山賊たちが迫る霊山。ロロを守ろうと懸命に走る朱麗。そして、二人の運命を大きく変える出来事が起こります。
前編、中編から続く朱麗の過去。その結末を、どうぞお楽しみください。
枝が頬を打った。
朱麗は拭いもせず、斜面を駆け上がった。
息が苦しい。足の裏が熱い。
いつもならカガチとふざけながら登る道が、今夜はどこまでも続いているようだった。
――父ちゃんたち……今夜、ルルさんたちの洞窟を襲う。
そんなはずはない。
ゲドは、帰りの遅い二人を待っていてくれた。
ダガンは、ここを自分の家だと思えと言ってくれた。
だからこそ、知らせなければならなかった。
本当に来てしまう前に。
木々の向こうへ、洞窟の灯りが見えた。
「ルルさん!」
入口へ駆け込んだ朱麗に、子供たちが振り向いた。
「朱麗?」
ロロが立ち上がる。
その奥で、ルルが縫いかけの衣を膝から下ろした。
「こんな時間に、どうしたのです」
「逃げて……! みんな、早く!」
息が続かない。
ルルに肩を支えられ、朱麗はようやく言葉をつないだ。
「ダガンさんたちが来る。ルルさんとロロを、無理やり町へ連れていくつもりなんだ」
洞窟の中が、静かになった。
「カガチが教えてくれた。縄も、武器も……だから、ここにいちゃ駄目だ!」
ルルは朱麗の顔を見つめた。
頬についた擦り傷へ指を添え、それから入口の暗がりへ目を向ける。
「……そうですか」
驚いた声ではなかった。
「ロロの修行は、まだ終わっていません。この山で、もう少し時間をかけなければならないのですが……」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ!」
朱麗の声に、小さな子がびくりと肩を震わせた。
ルルは、その子へ手を伸ばした。
「ええ。今夜は、ここを離れましょう」
静かな声だった。
子供たちを一人ずつ見回し、年長の子へ水袋と食べ物を持たせる。
「裏の道を使いなさい。小さい子の手を離さないように」
「ルル母さんは?」
裾をつかんだのは、アベルだった。
まだ小さな手が、白い布を握りしめていた。
「私は、ここでお話をします」
「いやだ。母さんも一緒に来て」
ルルはしゃがみ、アベルと目の高さを合わせた。
「あなたに、お願いがあります。小さい子たちが怖がらないよう、そばにいてあげてください」
アベルは首を振った。
ルルはその手を包み、すぐにはほどこうとしなかった。
◇
「朱麗」
子供たちが支度をする間に、ルルが呼んだ。
「ロロを、お願いできますか」
ロロが、母親を見上げた。
「山の向こうに、小さな村があります。谷川に沿って下り、白い岩のところで東の道へ。尾根を越えた先です」
ルルは床の砂へ、指で道筋を描いた。
「あの町の人たちには、教えていない場所です。私の名を伝えれば、かくまってくださるでしょう」
朱麗は、その道を目で追った。
「ルルさんも、後から来るんだよね」
ルルはすぐには答えなかった。
代わりに、自分の首元へ手を添えた。
細い紐を外す。
その先で、三角形の小さな石が揺れた。
「ロロ。こちらへ」
ロロは母の前へ進んだ。
ルルが、娘の首へペンダントをかける。
いつも母の胸元にあったものが、自分の胸へ触れた。
「この石も、この霊山のものです」
ロロは三角形を、両手でそっと包んだ。
「お母さんが、ずっと持っていた……」
「ええ。離れている間は、これを身につけていなさい」
ルルは、岩壁へ目を向けた。
灯りの届くところに、小さな鉱石が幾つも埋まっている。
「この山には、あなたの感覚を育ててくれる石が、たくさんあります。この一つだけで、同じ修行ができるわけではありません」
「……はい」
「皆がここを捜さなくなったら、戻っていらっしゃい。修行の続きは、そのときに」
ロロはペンダントを握りしめた。
「お母さんと、一緒に?」
ルルは娘の髪を撫でた。
「今は、無事に逃げることを考えなさい」
ロロの唇が、少しだけ動いた。
言いかけたものを飲み込むように、きゅっと結ばれる。
それから、背筋を伸ばした。
「分かりました。これも、修行の一つなのですね」
いつもの、大人びた声だった。
ルルは微笑み、娘を胸へ抱き寄せた。
ロロの手が、母の背中に回る。
朱麗は、その手が震えているのを見ていた。
「……行こう、ロロ」
差し出した手を、ロロが取った。
ルルは二人を裏の通路へ送り出した。
「朱麗」
振り返ると、ルルは深く頭を下げた。
「知らせに来てくれて、ありがとう」
朱麗は何も言えなかった。
ロロの手を強く握り、暗い通路へ入っていった。
◇
アベルは、まだ入口の方を見ていた。
年長の子に手を引かれても、足が進まない。
ルルは一人、灯りのそばに立っている。
「早く、アベル」
「でも……」
そのとき、外で銃声がした。
洞窟の入口で石が弾けた。
子供たちが悲鳴を上げ、裏の通路へ駆け込む。
松明の光が、いくつも揺れた。
「そんなに慌てなくてもいいだろう」
ダガンが、仲間を引き連れて入ってきた。
銃を持った男たちの後ろに、ゲドもいた。
「少しばかり、驚かせちまったか」
ルルは動かなかった。
「子供たちを、怖がらせないでください」
「だから、話をしに来ただけだよ」
ダガンは笑った。
逃げていく小さな影へ目をやったが、追えとは言わなかった。
「うちのカガチも朱麗も、あんたたちのことが気に入っていてね。町へ来てくれりゃ、あいつらも喜ぶ」
ゲドが、洞窟の奥へ視線を走らせた。
「朱麗は、ここに来ていないか」
ルルは答えなかった。
「娘はどうした?」
ダガンが一歩近づいた。
「ロロも一緒でいい。何も、離れ離れにしようって話じゃないんだ」
その声を、アベルは岩の裂け目で聞いていた。
手を引いていた子が、前の幼子を抱き上げた隙に、戻ってしまったのだ。
細い隙間から、ルルの横顔だけが見える。
「あなた方が、こうして来られることは、前から感じていました」
ルルが言った。
ダガンの笑みが、わずかに止まる。
「だったら、話は早いじゃねえか」
「そして、私はここで命を奪われるのでしょう」
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
松明が、ぱちりと鳴った。
「……何を言ってやがる」
ダガンは眉を寄せた。
「殺すなんて、誰が言った。俺は町へ来てほしいだけだ」
ルルは、男たちを静かに見つめていた。
「何してる。連れていけ」
二人が前へ出た。
その足が、不意に止まった。
ルルの背後で、岩壁が白く光った。
一つ、また一つ。
壁に埋まった鉱石が、洞窟の奥から淡い光を返してくる。
松明とは違う、冷たい白。
ルルの衣も、髪も、その光に包まれていた。
「な……何だ、これは」
一人が銃を持ち上げた。
ルルは手を伸ばさなかった。
ただ、そこに立っていた。
「やめろ!」
ゲドの声と、銃声が重なった。
最初の一発に驚いた男が、引き金を引いた。
さらに、もう一人。
狭い洞窟に、耳をつんざく音が跳ね返った。
ルルの身体が、揺れた。
白い衣の胸元へ、赤が広がる。
膝が折れ、その姿がアベルの視界から消えた。
「……母さん?」
声になったのかどうか、分からなかった。
光が薄れていく。
石床の上に、ルルの手が見えた。
いつもアベルの頭を撫でていた手だった。
「誰が撃てと言った!」
ダガンが怒鳴った。
「俺は連れてこいと言ったんだぞ!」
「だ、だって……今、何か……」
銃を持った男が、震えていた。
ゲドがルルのそばへ膝をつく。
肩へ触れ、顔を覗き込み、それきり動かなくなった。
ダガンは足元を見つめていた。
やがて顔を上げ、洞窟の奥へ目を向ける。
「……娘はどこだ」
誰も答えない。
「母親は死んじまった。せめて娘だけでも捕まえるんだ!」
「は、はい、頭領!」
男たちが駆け出した。
アベルの口元を、小さな手が塞いだ。
戻ってきた年長の子が、涙を浮かべながら首を振っていた。
アベルは、動かない白い手を見ていた。
引きずられるように通路へ戻されても、その手から目を離せなかった。
◇
「……お母さん?」
ロロが立ち止まった。
胸元のペンダントが、白く光っていた。
ほんの一瞬。指で包むと、光はもう消えていた。
「どうした、ロロ」
「今……」
ロロは、山の上を振り返った。
ここから洞窟は見えない。
遠くで、かすかな音がした。
「急ごう」
朱麗はロロの手を引いた。
谷川へ下りる道は、思っていたより険しかった。
夜露に濡れた草が足へ絡み、石の隙間に靴先が取られる。
ロロは文句を言わなかった。
転びかけても、朱麗の手を握り直し、ついてきた。
やがて、木々の間から空が見え始めた。
黒かった空の端が、わずかに白んでいる。
「もう少しだ。川まで下りれば――」
「いたぞ!」
背後で声がした。
朱麗が振り向く。
見覚えのある男が三人、藪を分けて現れた。
町で、何度も一緒に飯を食べた顔だった。
「なんだ、朱麗じゃねえか」
男が息を弾ませながら笑う。
「お前も一緒だったのか。捜したぞ」
朱麗はロロを背にかばった。
「来るな」
腰の小刀を抜く。
刃先が、朝の薄明かりを拾った。
男たちは足を止めた。
だが、すぐに顔を見合わせて笑った。
「はいはい。朱麗、やめな」
「そんなもん振り回したら、危ねえだろ」
「ロロには近づくな!」
「俺たち、仲間だろうが」
正面の男が、両手を広げた。
「その子だって、一緒に町へ来た方が幸せじゃねえか。飯もある。寝る場所もある」
ロロの指が、朱麗の服をつかんだ。
その指先が震えていた。
「嫌だって、言ってるだろ!」
朱麗は踏み込んだ。
男は軽く身を引き、伸びてきた腕を横へ払った。
朱麗の身体がよろめく。
その隙に、一人がロロの腕をつかんだ。
「いや……!」
「暴れるなよ。怪我するぞ」
ロロの背中へ腕が回る。
朱麗は歯を食いしばり、もう一度小刀を構えた。
「離せ!」
刃は届かなかった。
手首をはたかれ、小刀が石の上へ落ちる。
「ほら。もう終わりだ」
男が、それを足で遠ざけた。
ロロの腕へ、縄が回されていく。
朱麗には、その光景しか見えなくなった。
「ふざけるなあっ!」
全身でぶつかるつもりで、男へ突っ込んだ。
「おっと」
男が横へ避けた。
その背後に、道はなかった。
朱麗の足が、何もないところを踏んだ。
縁の土が崩れる。
「あ――」
伸ばした手が、草をすり抜けた。
「朱麗!」
ロロの声が、頭上へ遠ざかった。
◇
「おい……」
男が崖の縁へ駆け寄った。
眼下では枝が揺れ、折れた小枝が谷底へ落ちていった。
「あいつ、勢いつけすぎだろ……」
誰も笑っていなかった。
「やばいぞ。ゲドさんに、何て言うんだよ」
「朱麗! おい、返事しろ!」
返ってくるのは、川の音だけだった。
「下りるぞ。生きてるか確かめねえと」
「道は?」
「向こうから回れる。急げ!」
ロロを押さえていた男が、縄の端を握り直した。
「歩けるな。お前も来い」
ロロは何度も頷いた。
「お願い……朱麗を、助けて」
男たちは、少女を連れて斜面の向こうへ回り込んだ。
◇
ネオジャパン。
高層ビルの屋上を、強い風が吹き抜けていた。
眼下には、無数の窓の光。
道路を走る車が、小さな点のように見えた。
「レイン?」
ドモン・カッシュは、目の前の女へ声をかけた。
レインは、何かを言おうとしていた。
唇が開き、また閉じる。
「どうした」
ドモンが一歩、近づいた。
レインの手が、その胸へ触れた。
「……ごめんなさい」
次の瞬間、強く押された。
足が、屋上の縁を離れた。
「――レイン!」
伸ばした手は、空をつかんだ。
女の姿が遠ざかる。
窓が、壁が、凄まじい速さで頭上へ流れていく。
掴まるものがない。
蹴る足場もない。
「なぜだ……レイン!」
声は、風に引き裂かれた。
落ちていく。
光の粒が滲み、やがて何も見えなくなった。
◇
水の音がした。
頬に触れているのは、冷たい砂利だった。
ドモンは指を動かした。
掌で地面を押し、ゆっくりと身体を起こす。
岩。木々。細い川。
見上げても、ビルはなかった。
「……どこだ、ここは」
自分は、落ちたはずだ。
あの高いビルから。
砂利を踏む音がした。
三人の男が、斜面を下りてくる。
その間に、両腕を縄で縛られた少女がいた。
男の一人が、後ろからその身体を押さえつけている。
「朱麗……!」
少女が顔を上げた。
――何をしている。
ドモンの眉が吊り上がった。
その頭の奥へ、幼い声が飛び込んだ。
『ロロを助けて!』
先頭の男が、ほっとした顔で近づいてきた。
「朱麗! よかった、生きて――」
言い終わるより早く、拳が男の頬へ炸裂した。
男が吹き飛ぶ。
残る二人が、言葉を失った。
その間へ、ドモンは踏み込んでいた。
少女を押さえる腕を外へ払い、一人の鳩尾へ拳を入れる。同時に身体をひねり、もう一人の顎を蹴り上げた。
二人の男が、ほとんど同時に地面へ崩れ落ちた。
一瞬の出来事だった。
ロロは、動けなかった。
目の前にいるのは朱麗だ。
さっきまで、何度向かっていってもあしらわれていた、あの朱麗だった。
ドモンは着地した足へ目を落とし、拳を握り直した。
「……おかしい。スピードが足りない」
「え……?」
「威力もない。どうなっている」
ロロを振り返り、その縄へ手をかける。
結び目をほどく間も、眉間の皺は消えなかった。
「一体、俺はどうしてしまったんだ……」
縄が砂利の上へ落ちた。
ロロは手首を押さえながら、少年の顔を見つめていた。
「朱麗、大丈夫なの?」
ドモンは返事をしなかった。
「だいたい、あの高さから落ちて……なぜ生きている」
喉がひどく渇いていた。
川べりへ歩き、岩の陰の静かな水面へ膝をつく。
水をすくおうと、両手を伸ばした。
その手が止まった。
水面の中から、見知らぬ少年がこちらを見ていた。
頬へ触れる。
少年も、同じところへ手を当てた。
「……誰だ、こいつは」
『それは、こっちの台詞ですよ』
ドモンが振り返った。
「誰だ!」
そこには、ロロしかいなかった。
『あなたこそ、誰なんです?』
声は、頭の中から聞こえていた。
さっき、少女を助けてくれと叫んだ声だった。
『どうして、僕の身体を動かしているんですか』
ドモンは再び、水面へ目を落とした。
「お前が……この顔の?」
『僕は朱麗です』
少し離れたところで、ロロが困ったように眉を寄せた。
「朱麗……誰と話しているの?」
「いや、ちょっと君、黙っていてくれるか」
「……うん、ごめん」
ロロは口を閉じた。
ドモンは額を押さえた。
「俺は、ドモン・カッシュだ」
『ドモンさん……』
「ネオジャパンにいた。高いビルから落ちて、気がついたらここだ」
『ネオジャパン? 日本のことですか?』
「それ以外に何がある。……今は何年だ」
朱麗が答えた年号を聞き、ドモンの顔が曇った。
「宇宙世紀? 未来世紀ではないのか」
『未来世紀……?』
しばらく、川の音だけが聞こえた。
『なるほど。ということはですよ、ドモンさん』
「何だ」
『これは、異世界転生ってやつじゃないですか』
「異世界転生?」
ドモンは、水面の自分を睨んだ。
「何だ、それは」
『くう……これは、たぎりますよ。ドモンさん!』
「朱麗。お前の言っていることが、よく分からんのだが」
『違う世界の人が、こっちの世界で生まれ変わるんですよ。ほら、物語なんかで――』
「俺は今、物語の話をしているのではない!」
ロロが、びくりと肩を揺らした。
ドモンはそちらを見て、少し声を落とした。
「……お前に言ったのではない」
ロロはますます困った顔になった。
『やっぱり、チート能力とかあるんですか?』
「チート?」
『普通じゃ考えられないような、すごい力ですよ。さっきみたいな!』
「あんなもの、鍛えればできる」
『できませんよ! 僕、さっき全然駄目だったんですよ!』
ドモンは返そうとして、口を閉じた。
ロロが、遠慮がちに手を上げていた。
「……もう、いいかな」
「何だ」
「あの人たち、起きちゃうかもしれないから……早く、逃げよう」
倒れた男の一人が、小さく呻いた。
ドモンは立ち上がった。
「……そうだな」
『ドモンさん、それでチートの――』
「その話は後だ」
またロロが口を閉じかけたので、ドモンは慌てて首を振った。
「君じゃない。……行こう」
◇
川沿いに歩きながら、ロロが道を説明した。
白い岩のところで東へ。
尾根を越えた先の村へ。
「お母さんが、そこなら大丈夫だって」
ドモンは頷いた。
『ロロを、その村へ連れていくところだったんです』
朱麗の声が、今度は静かに続いた。
『あの人たちに、捕まる前に』
「分かった」
ロロは不思議そうに振り返ったが、尋ねなかった。
日が高くなるにつれ、岩場の熱が足元から上がってきた。
ロロの歩幅は、小さくなっていた。
水を飲ませ、日陰で息を整えさせる。そのたびにロロは、すぐに立ち上がろうとした。
「まだ、歩けるよ」
「急がなくていい」
ドモンはそう答え、歩調を緩めた。
だが、細い坂道へ入ったところで、足を止めた。
後ろを振り返る。
風に混じって、石を踏む音がした。
一つではない。
「……また来たか」
「え?」
「二人。いや、三人だ。こっちへ向かっている」
ロロの顔が強張った。
ドモンは道の先へ目を走らせた。
まだ尾根は遠い。
少女の足では、追いつかれる。
「ロロ。悪いが、少し隠れていてくれ」
道から外れ、岩が重なった場所へ入る。
低い藪の奥に、人が一人うずくまれる隙間があった。
ドモンは中を確かめ、ロロを座らせた。
「俺が、あいつらを引き離す」
「一人で?」
「大丈夫だ」
短い答えだった。
ロロはその顔を見上げた。
強がっているようには見えなかった。
「もし、日が傾いても俺が戻らなかったら、先に村へ行け。暗くなるまで、ここで待つ必要はない」
ドモンは、藪の切れ目から見える道を指した。
「追っ手がいないのを確かめてからだ。分かったな」
ロロが頷く。
「それから、村ではロロと名乗るな」
「どうして?」
「あいつらは、ロロという娘を捜している。名前は変えておいた方がいい」
「じゃあ……何て、名乗ればいいの」
ドモンは少し考えた。
「ミリアだ」
「ミリア……」
ロロが繰り返す。
「村の人には、そう名乗れ。俺も、ミリアという名で君を捜す」
その言葉に、ロロの肩から少し力が抜けた。
立ち上がりかけたドモンの袖を、細い指がつかんだ。
「待って」
「どうした」
ロロは首へ手を回し、紐を外した。
「少し、かがんで」
言われるまま、ドモンが身をかがめる。
ロロはその首へ、トライアングルペンダントをかけた。
衣の上に収まるよう、指先でそっと直す。
「これは……お守りか?」
「うん。きっと、朱麗を守ってくれるから」
ロロは顔を上げた。
「……戻ってきてね」
ドモンは胸元の石へ触れた。
「ああ。必ず戻る」
そのまま身を翻し、藪を抜けていった。
ロロは、袖をつかんでいた手を胸へ引き寄せた。
◇
『あの、ドモンさん』
走り出してすぐ、朱麗が言った。
「何だ」
『それ、ルルさんがロロに渡した、大切なペンダントなんですけど』
「……母親のものだったのか?」
『はい。ずっと身につけていたもので……僕も、まさか渡すとは思わなくて』
ドモンの足が、一瞬鈍った。
背後には、ロロを隠した岩場がある。
前方からは、人の近づく気配。
今、引き返すわけにはいかなかった。
ドモンはペンダントを衣の内側へ入れた。
「なら、戻って返す」
『……はい』
小さくなった朱麗の声を聞きながら、ドモンは道へ飛び出した。
「いたぞ! 朱麗だ!」
三人の男が立ち止まった。
「娘はどうした!」
ドモンは答えず、ロロのいる岩場とは反対の斜面へ駆けた。
「逃がすな。あいつが知ってる!」
足音が追ってくる。
ドモンは振り返らなかった。
もう少し離す。
ロロが、安心して道へ戻れるところまで。
尾根を一つ越え、谷を回った。
三人の息が乱れ始めたところで、ドモンは足を止めた。
追いついた男が腕を伸ばす。
その腕を取った瞬間に、勝負は決まった。
三人を倒し終え、来た道へ向き直る。
だが、一歩踏み出した膝が、がくりと折れた。
「……今度は、足か」
岩へ手をつき、息を整える。
気持ちは先へ行くのに、脚がついてこない。
『昨日から、ずっと走ってましたから……』
ドモンは唇を噛み、立ち上がった。
引き離すために下った急斜面を、今度は登り返さなければならなかった。
◇
岩陰が、少しずつ涼しくなっていった。
ロロは膝を抱え、細い隙間から空を見ていた。
何度か、足音が聞こえた気がした。
そのたびに顔を上げたが、朱麗は戻ってこなかった。
やがて、向かいの岩へ長い影が伸びた。
――日が傾いても俺が戻らなかったら、先に村へ行け。
ロロはそっと外を覗いた。
誰もいない。
しばらく待っても、話し声は聞こえなかった。
「……先に、行ってるね」
小さく告げて、岩陰を出た。
村へ続く道を、一人で歩く。
いつも胸に触れていた石は、もうなかった。
代わりに、首へかけてあげたときの朱麗の顔を思い出した。
「朱麗って……あんなに強かったっけ」
三人が倒れたところは、ほとんど見えなかった。
気がついたら、朱麗が目の前にいた。
縄をほどいてくれた手。
一人で追っ手の方へ走っていった背中。
「……かっこよかったな」
口に出してから、ロロは慌てて周りを見た。
誰もいない。
それでも恥ずかしくなって、唇を結んだ。
結んだはずなのに、また少し緩んでしまう。
村に着いたら、何て言おう。
ありがとう、だけでは足りない気がした。
でも、ほかの言葉を考えると、余計に顔が熱くなった。
足元で、石が鳴った。
「え――」
踏み出した足が滑った。
道の縁が、重さを支えきれずに崩れる。
身体が、横へ投げ出された。
ロロは岩へ手を伸ばした。
指が届かない。
空と崖が、ぐるりと入れ替わった。
「朱麗――助けて!」
叫び声が、谷へ落ちていった。
身体が斜面を打つ。
次の岩角が額をかすめ、視界が白く弾けた。
伸ばしていた手が、ゆっくりとほどけた。
◇
夜。
松明の火が、岩肌を照らした。
朱麗が、藪をかき分けて戻ってきた。
服の袖は裂け、靴には土がこびりついていた。
「ロロ」
返事はなかった。
松明を低くし、岩の隙間へ差し向ける。
そこに、少女の姿はなかった。
『……ロロ、いませんね』
ドモンは、村へ続く道を見た。
「先に行けと、言っておいたからな」
松明の炎が、風に揺れた。
「きっと、あの村へ逃げおおせたんだろう」
『そうですね。……早く、追いつきましょう』
「ああ」
ドモンは胸元へ手を添えた。
衣の下に、三角形の石があった。
それを確かめ、歩き出す。
松明を片手に、朱麗はロロの後を追った。
(つづく)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
三話にわたってお送りした朱麗編は、今回で完結です。
朱麗とドモンの出会い、ロロが「ミリア」という名を与えられた理由、そしてトライアングルペンダントが朱麗へ託された経緯が、ようやく明らかになりました。
重い出来事が続く中、出会ったばかりの朱麗とドモンによる「異世界転生」や「チート」を巡る会話も、二人の長い関係の始まりとして楽しんでいただければ幸いです。
第1話で朱麗がペンダントを見つけた場面も、今回の話を踏まえて読み返すと、少し違った意味に見えるかもしれません。
今後とも『GUNDAM TRIANGLE』をよろしくお願いいたします。