今回は、ちょっと毛色の違う回。幸せの絶頂から始まって、一気に奈落へ――。朱麗(と、ドモン)にとって、これまでで一番きつい試練になったかもしれません。
新しい顔ぶれも登場します。良ければ最後まで見届けてください!
風が、レインの白いヴェールを揺らしていた。
五十階建ての式場。その屋上庭園からは、夕日に染まる街が見渡せた。
階下では、まだ祝いの声が続いている。
「やっと、二人きりになれたわね」
レインが、ドモンの腕に身を寄せた。
左手の指輪が、小さく光る。
「ああ」
「もう少し、嬉しそうな顔をしてくれてもいいんじゃない?」
「している」
「そうかしら」
顔をのぞき込まれ、ドモンは目をそらした。
レインが笑う。
「……ようやく、結婚できたな」
「ええ」
その返事を聞くだけで、胸の奥が温かくなった。
戦いも、すれ違いも、ずいぶん遠くまで来た気がした。
「これからは、勝手にどこかへ行かないでね」
「お前こそ」
「私は行かないわ。あなたが追い出さない限り」
「そんなことをするか」
ドモンは、レインの手を握った。
「何があっても、お前を離さない」
「……ドモン」
レインの指が、その手を握り返した。
次の瞬間だった。
胸に、強い衝撃が走った。
「え――」
足元が消えた。
背中が手すりを越え、空へ投げ出される。
伸ばした手の向こうに、レインがいた。
突き出された彼女の両手。
見開かれた目。
白いヴェールが、遠ざかっていく。
「ドモン……ごめんなさい!」
なぜだ。
風が耳を裂いた。
幾重もの窓が、上へ流れていく。
なぜ、突き落とした。
俺が、何かしたのか。
「レイン――!」
声は、風にのみ込まれた。
*
風の音が、葉擦れに変わった。
――ギアナ高地。名もない森の奥。
朱麗は、目を開けた。
低い天井。むき出しの梁。その隅に、小さな蜘蛛の巣がある。
「あ、起きた」
椅子に腰掛けた女が、こちらを見ていた。
そばには男もいる。二人とも、旅慣れた作業着姿だった。
「いきなり起き上がるんじゃないよ。水、飲む?」
朱麗は差し出されたコップを受け取った。
指が動く。
腕も、自分で動かせる。
あれ。
水を一口飲んでから、もう一度、手を見た。
体が、戻っている。
「草むらで倒れてたんだよ、お前。あと少し遅けりゃ、獣の餌になってたぞ」
「ビーチャ、脅かさないの」
「本当のことだろ」
朱麗は、布団の上で頭を下げた。
「お二人とも、助けてくださってありがとうございます」
「私はエル。こっちはビーチャ。あんたは?」
「朱麗です」
「朱麗ね。腹、減ってない?」
答えるより先に、腹が鳴った。
エルが吹き出した。
「よし。食べられるなら大丈夫だ」
彼女が台所へ立った隙に、朱麗は目を閉じた。
師匠。
返事はなかった。
師匠、聞こえますか。
いつもなら、すぐ声が返ってくる。
眠いだの、腹が減っただの、余計なことを考えるなだの。
今は、何も聞こえない。
朱麗は胸元を握った。
自分の手だった。
ずっと取り戻したかったはずのものが、ここにある。
なのに、静かすぎた。
「そうそう。あのでかい剣だけは運べなかったんだ」
ビーチャが、窓の外を指した。
「悪いな。お前を担ぐだけで精いっぱいだった」
「いえ。助けていただけただけで……」
「場所は覚えてる。あとでエルに案内してもらえ」
戸が開いた。
「おーい、待たせたな!」
「遅いよ、モンド!」
鍋を運んできたエルが、入口へ声を投げた。
黄色い上着を着た男は片手を上げ、朱麗に気づいて足を止めた。
「あれ。誰だい?」
「拾った」
「そんな、部品みたいに言うなよ」
ビーチャが笑い、朱麗の前へ椀を置く。
「食え食え。話はそれからだ」
*
「で? 今回だけじゃなく、これからも仕事が来るんだろ?」
ビーチャは、机に肘をついた。
窓の向こうには、運び込まれた旧式のモビルスーツが並んでいる。
「古いのなら何でも高く買うっていうからさ。二人でかき集めたんだぜ。修理して、船に積んで、宇宙からこんな奥地まで」
「わかってる。今回の分は、ちゃんと払ってもらう」
モンドは椅子に腰を下ろした。
「ただ……その先の話は、なしになりそうなんだ」
「はあ?」
エルの手が止まった。
「あんたの紹介だから来たんだよ。イエロースーツなら金払いがいい、あんたも仕事を任されてるって」
「それは嘘じゃないよ。機体を運んだり、護衛したり……俺も結構、乗ってるからさ」
「じゃあ、何で?」
モンドは、少し声を落とした。
「本拠地が、壊滅したらしい」
朱麗は、椀から顔を上げた。
「組織全体が、それどころじゃないって話なんだ。まだ人づてだから、本当かどうかわからないけど」
「ちょっと。せっかく、これで食いっぱぐれがなくなるって喜んでたのに」
「ほんと、お前って肝心なところで使えないよな」
「そりゃねえだろ! 俺が本拠地を潰したわけじゃないんだぞ!」
言い合う三人を見ながら、朱麗は椀を握り直した。
イエロースーツ。
師匠が戦っていた相手だ。
その本拠地が、なくなった?
「……あ、そうだ」
エルが朱麗を見た。
「食べ終わった? 忘れ物、取りに行こうか。暗くなる前に」
「はい。ごちそうさまでした」
「あとは二人で話しといて。すぐ戻るから」
*
小屋から離れるにつれ、草が高くなった。
遠くに、切り立った台地が見える。
「この先だよ。あんた、どうしてあんなところで――」
茂みが揺れた。
低い唸り声。
朱麗が振り向いたとき、獣が草を蹴って飛び出した。
横へかわして、懐へ。
師匠なら、そう動く。
わかっているのに、迫る牙を見た途端、足がすくんだ。
「わっ!」
後ずさる。踵が石に引っかかった。
体勢を立て直す前に、銃声が響いた。
一発。もう一発。
獣は身を翻し、茂みへ逃げ込んだ。
エルが銃を下ろす。
「大丈夫?」
「……はい」
「あんた、見かけは強そうなのに、案外弱いんだね」
朱麗は、うつむいた。
「まあ、いいや。行こう。あそこ」
少し先の斜面に、怒涛剣が突き立っていた。
草の中から、柄と大きな刀身がのぞいている。
エルは柄を両手でつかみ、腰を落とした。
「んっ……!」
動かない。
もう一度力を込め、すぐ手を離した。
「よくこんなもの背負ってたね。ほら、あんたのなんでしょ。早く持って」
朱麗は、いつものように柄を握った。
これを引き抜き、肩へ担ぐ。
何度も繰り返してきた動きだった。
腕に力を込める。
剣は動かなかった。
両手で握り直した。
足を踏ん張り、息を止める。
「……っ!」
柄が、手の中で滑った。
「何してるの?」
朱麗は答えられなかった。
手のひらを見て、剣を見る。
持てない。
同じ手なのに。
同じ体なのに。
「……本当に、あんたの?」
「僕の……剣です」
「呆れたね。じゃあ今日は置いていこう。もう日が暮れるよ」
朱麗は、柄から手を離した。
振り返っても、怒涛剣はそこに立ったままだった。
*
「すまない。本当に、悪いと思ってる」
「もういいって。お前が謝ったって仕事は戻らないんだから」
小屋へ戻ると、まだモンドが頭を下げていた。
ビーチャは椅子にもたれ、天井を見上げる。
「しょうがねえ。明日、代金を受け取ったらコロニーへ戻るか」
「……帰りに、ムーン・ムーンへ立ち寄る?」
モンドの言葉に、朱麗は足を止めた。
「ラサラさんの墓前にも行きたいし。サラサさんに頼まれてた用事も、まだ果たせてないんだ。そのことも、ちゃんと話さないとな」
「ムーン・ムーンに、行くんですか?」
三人が、朱麗を見た。
「何だよ、お前さん。知ってるのか?」
「僕……あそこから来たんです」
「ええっ!」
エルが、朱麗の肩をつかんだ。
「それ、先に言ってよ! 私たちも行ったことあるんだよ」
「じゃあ、神殿も?」
「もちろん」
モンドの顔が、ふっと緩んだ。
「懐かしいなあ。今は、どんなふうになってるんだろう」
朱麗は椅子に座った。
覚えている道。家。子供の頃に走り回った場所。
三人の記憶と、自分の記憶が、少しずつ重なっていく。
「あそこ、まだあるのか!」
「あります。僕、よくそこで――」
「モンドなんかさ、そのとき……」
「おい、その話はやめろよ!」
笑い声が、小屋に満ちた。
窓の外が真っ暗になっても、話は途切れなかった。
*
翌朝。
ダカール壊滅の報せは、遠く離れたギアナ高地にも届いた。
イエロースーツの本拠地は、失われた。
逃げ出す者。連邦へ身を寄せる者。
報せを嘘だと叫び、旗を下ろさない者。
ここに来た男は、そのどれでもなかった。
「本部がなくなったなら、もう遠慮はいらねえってことだ」
黄色い服の幹部は、並んだ機体を眺めて笑った。
背後には、武装した部下とモビルスーツが控えている。
「ご苦労だったな。機体は引き取る」
差し出された金額を見て、ビーチャの顔色が変わった。
「何だ、これ」
「買い取り代金だ」
「冗談じゃないよ。輸送代にもならないじゃない!」
エルが詰め寄る。
モンドも、幹部の前に立った。
「話が違う。約束した金額を払ってくれ」
「状況が変わったんだよ」
「だったら、こっちも売らねえ。積んで帰るぞ」
ビーチャが背を向けた。
「なら、金の代わりにこれだ」
銃口が、三人へ向いた。
朱麗の喉が詰まる。
「おい……イエロースーツ同士の争いは禁止されているはずだろ」
「誰が罰する? 本部もないのに」
幹部は、モンドの黄色い服を見て鼻を鳴らした。
「潰れてくれて、ありがたいくらいだぜ。これからは、俺たちの好きにやる」
背後で、一機が踏み出した。
足元の鉄板が跳ね、土煙が上がる。
「今だ!」
ビーチャが、モンドを引いた。
エルは朱麗を機体の脚の陰へ突き飛ばす。
銃声。
弾が装甲を叩いた。
「モンド、右の機体! エルは左!」
「わかってる!」
三人は、それぞれ開いていた整備用の足場へ駆け上がった。
朝の点検を終えたばかりの機体。そのコックピットへ飛び込む。
朱麗が見上げると、エルがハッチから顔を出した。
「あんた、モビルスーツは乗れる?」
「すみません。僕は、乗ったことがないんです!」
「じゃあ下がってな! 足、引っ張るんじゃないよ!」
強い言い方だった。
けれど、伸ばした指は、敵のいない草地を示していた。
「走って! こっちは私たちで何とかするから!」
ハッチが閉まった。
朱麗は走った。
*
「機体を奪え! 操縦席以外は、少しくらい壊しても構わん!」
幹部の声とともに、敵機が動いた。
正面から二機。脇へ回り込む一機。
「欲張ると、痛い目見るぜ!」
ビーチャは機体を沈め、先頭の射撃をかわした。
返した一撃が敵の武器を弾き飛ばす。
「エル!」
「見えてる!」
横から来た敵の足へ、エルが撃ち込んだ。
膝が砕け、巨体が傾く。
その向こうで、モンドが敵の腕をつかんだ。
引き寄せ、肩から体当たりを入れる。
押し倒された機体が、後ろの一機を巻き込んだ。
「へえ。やるじゃないか、モンド!」
「俺だって、遊んでたわけじゃないんだよ!」
三機は背中を守り合い、敵を押し返した。
エルの射撃で動きを止め、ビーチャが崩し、モンドが追う。
倒れた機体の向こうから、また敵が現れた。
森の脇道からも、エンジン音が近づく。
「まだ来るのかよ!」
「文句はあと! 右、空けないで!」
ビーチャの機体に警告が鳴った。
脚部の温度が上がっている。
エルの残弾も、底が見え始めていた。
モンドが一機を倒す。
その隙に、別の二機が回り込む。
逃げ道が、塞がれた。
*
背後で、爆音が続いていた。
朱麗は草をかき分け、走った。
涙で、前が見えない。
なんで。
なんで僕は、こんなに弱いんだ。
剣を習った。
師匠の動きを、ずっと見てきた。
その感覚も、知っていたはずだった。
それなのに、剣一本持てない。
モビルスーツにも乗れない。
助けてくれた三人を置いて、逃げるしかない。
何も、成長していないじゃないか。
「くそっ……くそっ……くそっ!」
頬を打つ草を、払いのけた。
――僕の人生なんだよ!
自分の声が、よみがえる。
体を取り戻せず、泣き喚いた。
師匠のすることに、片端から反発した。
ロロが、この体に抱きついたとき。
喜ぶより先に、嫉妬した。
彼女が見ているのは自分ではなく、ドモンなのだと思った。
師匠なんか、いなければ。
そんなことまで、思った。
今、声が返ってこない。
手も足も、自分のものだ。
なのに。
「……師匠」
足がもつれた。
膝をつきかけ、また立ち上がる。
あのときも。その前も。
自分の知らないところでさえ、この人は守ってくれていた。
「師匠……ごめんなさい……」
涙が、顎から落ちた。
不意に、視界が白く抜けた。
目が裏返り、体から力が消える。
朱麗は、草の中へ倒れた。
*
「もう逃げ場はねえぜ」
幹部の機体が、三機の前へ出た。
銃口が、順番に操縦席をなぞる。
「さっき言ったことを承諾するなら、生かしといてやる。取引するかい?」
ビーチャは、操縦桿を握り締めた。
「……お断りだ」
「あんたに渡すくらいなら、こっちで壊すよ」
エルの声に、モンドも続いた。
「俺も、もうあんたの言うことは聞かない」
一瞬、通信が静まった。
「じゃあ、死ね」
三人は、顔を伏せた。
草が、裂けた。
斜面を駆け抜ける人影。
土に立つ大剣へ、手が伸びる。
怒涛剣が、軽々と抜けた。
白い裾が翻る。
倒れた機体の肩を蹴り、人影が跳んだ。
刃が、振り下ろされた。
金属が裂ける音。
幹部機の両腕が、銃ごと地へ落ちた。
返す刃が膝を断つ。
巨体が前へ崩れ、地面を揺らした。
「……へ?」
モンドが顔を上げた。
撃たれていない。
機体も、まだ動く。
「何が……あったんだ?」
土煙の向こう。
倒れた敵機の背に、男が立っていた。
「朱麗……?」
エルは、モニターへ身を乗り出した。
昨日は動かせなかった大剣を、男は片手で握っていた。
その男が、誰にともなく呟いた。
「朱麗。お前は俺の弟子だ」
剣を、肩へ担ぐ。
「師匠に甘えて何が悪い。気にするな」
内側で、声がはじけた。
『師匠ーっ!』
泣き声だった。
ドモンは、少しだけ口元を緩めた。
『……師匠、起きるのが遅い!』
「お前な……」
ため息を一つ。
「……すまん」
敵の一機が、銃を向けた。
ドモンの姿が、機体の背から消える。
「足元だ! 撃て!」
叫びが終わる前に、銃を握った腕が落ちた。
続いて、脚。
倒れかけた巨体を避け、白い影が次の一機へ走る。
「何だよ、あいつ……!」
ビーチャが息をのんだ。
モンドの機体を狙っていた敵が、こちらを振り向く。
「今だ、モンド!」
「あ、ああ!」
三機が、再び動いた。
エルが敵の武器を撃ち落とし、ビーチャが退路を押さえる。
モンドは逃げようとする一機を組み伏せた。
その間にも、怒涛剣は止まらなかった。
腕を断つ。脚を断つ。
操縦席を残したまま、黄色い部隊が地に伏していく。
最後の機体が膝をつくと、ドモンは刃を下ろした。
「降りろ。まだやるなら、付き合うぞ」
誰も、動かなかった。
やがて一つ、ハッチが開いた。
*
幹部も部下も、銃を取り上げられ、縄で縛られた。
倒れたモビルスーツのそばに並んで座らされ、もう威勢のいい声は聞こえない。
エルが、朱麗の腕をつついた。
「あんた。昨日は何だったの?」
「昨日?」
「剣も持てなかったじゃない!」
ドモンが言葉を探す間に、内側から声がした。
『その話は、やめてください……』
「……少し、調子が悪かった」
「少しで済む違いじゃないよ」
ビーチャが笑った。
モンドは、縛られた幹部を見ている。
「本部がなくなったら、こんなものか」
黄色い上着を脱いだ。
「約束まで勝手に変えられて、銃を向けられてさ。これじゃ、仕事にもならない」
「今頃気づいたのかよ」
「……ああ。もう、ここにいる意味はないな」
モンドは、上着を脇へ置いた。
「俺も帰るよ。二人と一緒に」
「ムーン・ムーン経由?」
エルが尋ねる。
モンドは、うなずいた。
「墓前にも行く。サラサさんにも、ちゃんと顔を見せる」
それから、朱麗を振り返った。
「朱麗、お前も来るだろ?」
ドモンは、ほんの少し目を伏せた。
『師匠。僕も……帰りたいです』
顔を上げる。
「もちろんだ」
*
旧式の機体を載せた運搬車が、土の道を進んでいく。
荷台の隅で、朱麗は怒涛剣を抱えていた。
ビーチャが運転し、モンドが隣で道を教える。
エルは荷の固定を確かめ、朱麗の向かいへ座った。
「宇宙港まで、まだあるよ。眠るなら今のうち」
「いや。もう十分寝た」
「そう。じゃあ、荷物がずれないか見てて」
車が揺れた。
朱麗の手が、自然に剣を押さえる。
『今度は、僕にも教えてください』
内側の声に、ドモンが目を細めた。
『自分で、あの剣を持てるように』
「……ああ」
風が、白い裾を揺らした。
草地の向こうへ道が延び、その先に宇宙港がある。
ムーン・ムーンへ。
四人を乗せた車は、ギアナ高地を離れていった。
第19話、お疲れさまでした〜!
今回の核は、やっぱり「自分は何も成長していなかった」と思い知る朱麗のところだったかなと思います。剣も持てない、モビルスーツにも乗れない――ずっと師匠に甘えていたことに、自分で気づいてしまう瞬間です。
そこから、ドモンの「お前は俺の弟子だ」で救われるの、何度見てもいいですね
次はムーン・ムーンへ。サラサさんやお兄さんたちとの対面、そして……という展開が待っています。次回もお付き合いいただけたら嬉しいです〜