いつも『GUNDAM TRIANGLE』をお読みくださり、ありがとうございます。
第30話から、物語の舞台はムーン・ムーンへ移りました。
第31話は、その村で迎える、ひとつの日を描く回です。
詳しい中身は、あえて伏せておきます。
登場人物たちの表情や、ふとした仕草を、
ゆっくりと追いかけていただければ嬉しいです。
それでは、第31話「探していた手」をお楽しみください。
継承の儀の翌朝。
神殿の回廊には、朝の光が斜めに差し込んでいた。
セラは、神官が運んできた帳面の束を前に、小さく息をついた。
昨日まで、ここに座っていたのは母だった。
「水路の割り当てについてですが、北の畑から願い出が三件ほど……」
「ええ。順に聞かせてください」
ヘモスのことは、まだ答えを出していない。
記録を読み終えるまでは決めない。そう自分に言い聞かせている。
それでも今朝、一つだけ許したことがあった。朱麗が祖父のもとで、時間を気にせず話せるようにすること。
彼は夜明け前から、牢へ向かっていた。
そのとき、回廊の端に衛兵が駆け込んできた。
「ご報告します。港に、所属不明の小型艇が着きました」
「所属不明?」
傍らで帳面を追っていたラセルの手が止まる。
「乗っているのは、女性が二人です。モンド殿が間に入っておりますが」
「外から来た艇を、そのまま村へ入れるのは感心しません。まず私が確かめましょう」
「いいえ」
自分でも驚くほど、はっきりした声が出た。
「迎えるのは、私の務めです。ここへ通してください」
ラセルは、少しだけ目を細めた。
「……承知しました。お客人のもてなしは、女王のお役目ですね」
彼は一礼して、席を外した。
◇
少し前、港では。
小型艇の扉が開いても、ロロはすぐには降りなかった。
胸元のペンダントに手を添え、港の奥を見つめている。
髪の輪郭に、淡い白い光が残っていた。
「ロロ。着いたわよ」
リィナが声をかけると、ロロは小さくうなずいた。
「……ここに、朱麗がいるんですね」
リィナは、その問いに答えられなかった。
ロロが示した座標まで来た。
けれど、朱麗がここにいると確かめて来たわけではない。
「まず、聞いてみましょう」
二人が通路へ降りると、槍を持った兵が進路を塞いだ。
「ここから先へは、許しなく入れぬ。来訪の目的を聞かせてもらう」
「人を探しに来たの。朱麗という――」
「リィナ?」
兵の後ろから聞こえた声に、リィナが顔を上げた。
駆けてきた男が、数歩手前で止まる。
互いの顔を見て、それから、同じように笑った。
「モンド!」
「おい、どうしてここへ……ジュドも来てるのか?」
「兄さんはグラナダよ。……そのうち、騒がしく来るでしょうけど」
「やっぱりか」
モンドは頷き、隣のロロへ目を向けた。
ロロは二人の再会を待ってから、静かに頭を下げた。
「あの。朱麗は、どちらにいらっしゃいますか」
「朱麗を知ってるのか?」
ロロの指が、胸元で重なった。
「会わせてください。お願いします」
モンドは、その顔から笑みを引いた。
リィナが、そっと彼の袖を引く。
「詳しいことは、あとで話すわ」
「……分かった」
モンドは兵へ向き直った。
「俺が保証する。セラ様にも会わせる」
◇
入ってきた二人を迎えようとして、セラはロロのところで視線を止めた。
髪に、白い光が薄く重なっている。
継承の儀で、自分の手から広がった光が胸をよぎった。
けれど、それが何を意味するのかは分からなかった。
「朱麗さんに、お会いになりたいのですね」
「はい」
ロロは立ったまま答えた。
「どちらにいらっしゃいますか」
「今は、お祖父様のところへ。迎えを出しましたから、もう少しで戻られると思います」
ロロが、扉を振り返った。
セラは椅子を引いた。
「こちらで、お待ちください」
「……ありがとうございます」
腰を下ろしても、ロロの目は何度も扉へ向かった。
差し出された水を両手で受け取ったが、口には運ばない。
セラは向かいに座った。
「長い旅だったのでしょう」
「分かりません」
ロロは答え、それから申し訳なさそうに目を伏せた。
「すみません。私……」
「無理にお話しにならなくても、大丈夫です」
セラは、それ以上尋ねなかった。
リィナが隣に座り、ロロの手元を見た。
器の中の水が、わずかに揺れていた。
「会えますよ」
セラの声に、ロロが顔を上げる。
「朱麗さんは、ここにいらっしゃいます」
ロロは唇を結び、うなずいた。
そのときだった。
「ロロ」
扉の方から、声がした。
◇
背の高い男が、入口に立っていた。
赤い衣。背に負った大剣。
ロロの記憶にある少年とは、違っていた。
椅子から立ち上がる。
器を置こうとして、底が卓に小さく触れた。
「……朱麗?」
朱麗は一歩近づいた。
その胸の奥で、声が上がった。
『ロロ……?』
ドモンは答えず、目の前の顔を見た。
霊山を離れ、一人で村へ向かった少女。
あの時の呼びかけが、今の声に重なっていた。
「来たのか」
ロロは動かなかった。
顔を見上げ、目を見て、確かめるように、もう一度名を呼んだ。
「朱麗……なんですか」
「ああ」
差し出された手へ、ロロが指を伸ばす。
触れたところで、一度止まった。
それから、両手で握った。
「……よかった」
息がほどけた。
「どこにも、いなくて……」
朱麗は、その手を握り返した。
「ここにいる」
ロロの肩が落ちた。
俯いた髪から、白い光が静かに薄れていく。
セラは、立ち上がりかけたまま見守っていた。
ロロが、目を閉じた。
長い息を吐き、もう一度顔を上げる。
「……朱麗?」
今度は、声の調子が違った。
握っている手を見て、朱麗の顔を見た。
それから、部屋の中へ視線を巡らせる。
「え。リィナ……ここ、どこ?」
リィナが椅子から立った。
「ムーン・ムーンよ」
「ムーン・ムーン?」
ロロの目が、朱麗へ戻った。
「ギアナ高地に行ったんじゃ……」
「事情があって、このムーン・ムーンに来ている」
「そう、なんだ」
言葉が途切れた。
ロロはそこで初めて、自分が朱麗の手を両手で握りしめていることに気づいた。
リィナの視線。知らない少女の視線。
次の瞬間、ロロは朱麗を突っぱねた。
「ちょ、ちょっと。みんなの前で、何やってんのよ、朱麗」
ロロの顔が、真っ赤に染まる。
朱麗は、突き放された手を見下ろして、きょとんとしていた。
胸の奥で、少年が息を漏らした。
笑ったのか、泣きそうになったのか、分からない声だった。
『ロロだ……いつものロロです』
――ああ。
ドモンは、それ以上は言わなかった。
◇
「あなたは、ずっと朱麗を探していたのよ」
リィナの説明に、ロロは眉を寄せた。
「僕が?」
「座標を教えてくれたのも、あなた。覚えていない?」
ロロは首を振った。
思い出せるのは、グラナダの工房だった。
作業台に向かっていた。
突然、頭の中へ流れ込んできた光景。
霧の山道を登る男。母の笑顔。
あの人が、父だった。
そこまで思い出して、ロロは胸元へ手をやった。
その先は、ぷつりと途切れていた。
「ロロ?」
朱麗に呼ばれ、顔を上げる。
「……ううん」
ペンダントから手を離した。
「あとで、聞いてほしいことがあるんだ」
「分かった」
その返事に、ロロは少し笑った。
モンドがリィナへ声をかける。
「艇の手配をしてくる。しばらく置いておくんだろ?」
「ええ。私も行くわ」
リィナはロロを見た。
今度は、ロロの方から頷いた。
二人が出ていくと、ロロはようやくセラへ向き直った。
「あの。僕、ちゃんと挨拶もしていなくて……」
「セラです」
セラは微笑んだ。
「どうぞ、ゆっくりなさってください」
「ありがとう。僕はロロ」
朱麗のそばで、安心した顔をしていた。
セラは、卓の上の器を見た。
水は、まだほとんど減っていない。
「お水を、替えてきますね」
器へ手を伸ばすと、ロロが慌てた。
「そんな、まだ――」
「私も、喉が渇きましたから」
器を持ち上げた、その向こうで、朱麗がロロに言った。
「少し痩せたか」
「そうかな。朱麗こそ、また大きくなったんじゃない?」
「変わらん」
「変わってるよ。僕、見上げなきゃいけないもの」
ロロが笑った。
朱麗も、わずかに口元を緩めた。
セラは扉へ向かった。
敷居の手前で、二人の声をもう一度聞く。
自分の前では、あまり言葉を重ねない人だった。
けれど今は、何を言えばよいか探しているようには見えなかった。
器を持つ指に、少しだけ力が入った。
水面が揺れた。
セラはそれが収まるのを待ってから、廊下へ出た。
◇
セラが出ていくのを見送ってから、朱麗は廊下にいた若い神官を呼び止めた。
「頼みがある。リィナとロロに、休める部屋を貸してもらえないか」
「客間でしたら、すぐに用意を……」
「待て」
廊下の角から、足音が近づいた。
サルガだった。
「港の艇の件で来た。……客人は、あの二人か」
彼の目が、朱麗の後ろにいるロロへ向いた。
「モンドの知人なのは、リィナ殿だけだと聞いた。その娘の素性まで、誰が保証できる」
「ロロは俺の連れだ」
「お前の、か」
サルガは、短く息を吐いた。
「お前自身、この村へ来て日が浅い」
朱麗は、何も言い返さなかった。
「先ほど、神殿へ入ってくるところを見た。その娘の髪が、白く光っていた」
ロロの手が、無意識に自分の髪へ触れた。
「理由の分からぬものを、継いだばかりの妹の足元に置くわけにはいかん」
「あの……」
ロロが、一歩前へ出た。
「僕なら、艇で休めるから。朱麗、気にしないで」
「ロロ」
朱麗が呼んでも、ロロは小さく首を振った。
迷惑をかけたくない。その気持ちが、顔に出ていた。
「お兄様」
廊下の向こうから、声がした。
器を手にしたセラが、そこに立っていた。
息が少し乱れている。急いで戻ってきたのだと分かった。
「事情は伺います。ですが、疲れた方を追い返す理由にはなりません」
「セラ。素性も分からぬ者を――」
「確認は受けていただきます」
セラは、兄の目を正面から見た。
「ラセルお兄様にも、お願いしましょう。それが済むまでは、艇を港に預かります。お二人には、神殿の客間を使っていただきます」
サルガの眉が、わずかに動いた。
「滞在は、私の責任で認めます」
「……何かあれば、責めを負うのはお前だぞ」
「承知しています」
サルガは何か言いかけて、口を閉じた。
それから朱麗を一度だけ見て、踵を返した。
足音が遠ざかるのを待って、ロロが頭を下げた。
「ありがとうございます。……あの、すみません。僕のせいで」
「いいえ」
セラは首を振った。
「兄は、この村を守ろうとしているだけです。悪い人ではありません」
それから、器を抱え直して微笑んだ。
「落ち着かれたら、村を案内させてください。しばらくお過ごしになるなら、見ておいていただきたい場所があるの」
「いいんですか」
ロロの顔が、ぱっと明るくなる。
そして、その視線が、ほんの一瞬だけ朱麗へ流れた。
一緒に来てほしい。そう顔に書いてあった。
セラは、その視線の行き先に気づいた。
胸の奥が、小さく鳴った。
それでも、口は先に動いていた。
「朱麗さんも、ご一緒にいかがですか。村の人たちも、あなたに会いたがっていますから」
「ああ」
朱麗が答える。
ロロが、安心したように笑った。
その笑顔に、セラも微笑み返した。
◇
身元の確認と、艇を預ける手続きが済む頃には、日が傾いていた。
客間に通されたのは、その後だった。
神殿の裏手にある部屋は、小さいが清潔で、窓から夕方の光が差していた。
リィナは、モンドに連れられて食事に出ている。
ロロは寝台の端に腰かけ、窓の外を見ていた。
朱麗は、戸口の近くの壁に背を預けている。
しばらく、どちらも口を開かなかった。
「……あのさ」
ロロが、先に口を開いた。
「さっきの、聞いてほしいこと」
「ああ。聞こう」
ロロは、胸元のペンダントを両手で包んだ。
指先が、わずかに震えている。
「……僕のお父さん、分かったんだ」
朱麗は、何も言わなかった。
ただ、壁から背を離して、ロロの隣に腰を下ろした。
(つづく)
第31話「探していた手」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
題名の「手」には、いくつか意味を込めました。
誰の手が、誰を探していたのか。
読み返したときに、また違った場面に見えてくるかもしれません。
今回は、セラが女王として最初に下した判断を描きました。
兄の警戒にも向き合いながら、自分の責任で客人を迎える。
その姿がどう映ったか、感想でお聞かせいただければ嬉しいです。
サルガの警戒にも、彼なりの理由があります。
どちらの立場も、少しでも分かっていただけていれば幸いです。
そして、ロロが朱麗に伝えようとしていること。
次回、その続きを描きます。
感想や応援のお言葉は、いつも執筆の大きな励みになっています。
今後とも、『GUNDAM TRIANGLE』をよろしくお願いいたします。