いつも『GUNDAM TRIANGLE』をお読みくださり、ありがとうございます。
第35話では、ムーン・ムーンでの戦いと、ロロの気持ちの転機を描きました。
第36話は、そこから舞台を月面に戻す回です。
第28話で連れ去られたあの人は、いま、どこで何をしているのか。
長く物語を追ってくださっている方には、お待たせしたお話になります。
詳しい中身は、あえて伏せておきます。
どんな別れ方をして、どんな道を帰るのか。
ひとりひとりの表情を、ゆっくり追っていただければ嬉しいです。
それでは、第36話「帰る男」をお楽しみください。
フォン・ブラウンの修理ドックに、《暁》が戻っていた。
艦橋へ届く報告を聞いていたシュウが、顔を上げた。
入口に、カミュとファが立っている。
二人とも、出発の支度を済ませていた。
「帰還の挨拶に来た」
カミュが言った。
「蒼天の整備は終わった。ファを連れて、グラナダへ戻る」
シュウは、手元の端末を置いた。
しばらく、カミュを見ていた。
「グラナダは、混乱しているだろう」
「だから、戻らなければならん」
カミュは答えた。
「向こうには、俺たちを待っている仲間がいる。留守を預けたままにはできん」
壁際に立つクワトロは、口を挟まなかった。
「考えが変わる余地はないか」
「ない」
シュウの指が、端末の縁に触れた。
やがて、その手を離す。
「分かった。ナナイ、出発の手配を」
「承知しました」
ナナイが管制へ連絡を入れる。
カミュは、まだその場に立っていた。
「蒼天は、どうする」
「持っていけ」
返事は短かった。
「あれだけの機体だ。費用もかかっているはずだが」
「もともと君の機体だ。君が乗って帰るに決まっているだろう」
シュウは、まっすぐにカミュを見た。
「君は立派に約束を果たしてくれた。俺も守る」
カミュは、わずかに顎を引いた。
「……感謝する」
ファが、その隣で頭を下げた。
二人が出口へ向かうと、シュウはナナイへ目を向けた。
「蒼天の識別番号を全軍へ通達しろ。同機への攻撃は、一切まかりならん。全軍に徹底させろ」
「承知しました」
ナナイは、蒼天の識別番号と攻撃禁止の命令を全軍へ通達した。
◇
「行かせるんですか」
格納庫へ向かう通路で、ヤザンがシュウを待っていた。
「約束だ」
「あれだけ金をかけた機体まで、土産につけて?」
「前からそのつもりでいた」
シュウは立ち止まった。
「不満か」
「……いや」
ヤザンは壁から背を離した。
「ずいぶんと、気前のいい大将だと思ってな」
シュウの横を通り抜けていく。
その足は、格納庫へ向いていた。
蒼天の胸元で、ヨハネスが最後の点検を終えていた。
カミュが昇降機へ乗ると、機体の横からクワトロが声をかけた。
「ファのジェガンは、置いていくのか」
「ええ。今回は、一緒に帰ります」
ファが答えた。
カミュの隣から、格納庫の奥へ目を向ける。
連れてこられたときのジェガンが、整備台に残っていた。
「そちらの扱いは、あとで相談させてください」
「分かった。預かっておこう」
クワトロは、カミュへ目を移した。
「君を迎えに行く役は、私だったな」
「最初は、目付け役でしたね」
「そうだった」
二人の口元が、少しだけ緩んだ。
「ではフォン・ブラウンに出るまで見送らせてもらおう」
「ええ。世話になりました」
昇降機が動き出した。
カミュはファを先に乗せ、操縦席の脇で身体を固定させた。
普段、一人で使っている場所だ。二人が収まると、肩が触れ合った。
「窮屈だろう」
「別々に連れていかれるより、ずっといいわ」
カミュはファを見た。
彼女は、固定したベルトを確かめている。
「帰りましょう。リンが待ってる」
「ああ」
ハッチが閉じた。
◇
フォン・ブラウンの灯が、背後へ遠ざかっていく。
蒼天は低く月面を離れ、グラナダへ向かう進路に乗った。
眼下には、掘削の跡が残る灰色の大地が続いている。
人の暮らす灯も、作業車の光も、もう見えなかった。
「帰ったら、まず謝らないとね」
ファが言った。
「リンにか」
「あの子にも。ジュドにも」
カミュの手が、操縦桿を握り直した。
斬り落としたダブルゼータの腕が、目に浮かんだ。
「……そうだな」
そのとき、接近警報が鳴った。
前方の岩陰から、黒い機体が上がってくる。
長い柄を抱え、その先に湾曲した光が伸びた。
デス・ハンムラビ。
「ヤザンか」
カミュは減速した。
『よう。ずいぶん急ぐじゃねえか』
「何の用だ」
『忘れ物だよ』
黒い機体が、大鎌を持ち上げた。
『俺との勝負が、まだ済んでねえ』
ファが、画面を見つめた。
「カミュ……」
カミュは送信を切り替えた。
「こちら蒼天。《暁》、応答しろ。ヤザンが航路を塞いでいる」
短い雑音。
艦からの返事を待たず、前方の黒い機体が動いた。
『よそ見してんじゃねえ!』
光の大鎌が迫る。
蒼天は右へ身を流した。
刃先が、肩のすぐ脇を抜けた。
「シュウから帰還の許可は出ているはずだ。聞いていないのか」
『聞いたさ。だから、ここで待ってた』
鎌が返った。
今度は、逃げる先を塞ぐように。
カミュはバスターライフルを背部へ固定し、ビーム偃月刀を抜いた。
二つの刃が、月面の上でぶつかる。
衝撃に、ファの肩が跳ねた。
彼女はベルトを掴み、歯を食いしばった。
「ヤザン、あんたとはできれば戦いたくないんだ」
『大将への義理なら、遠慮はいらねえ』
ヤザンは笑った。
『ゼータのカミュ・ビダン。あんたの話は、子供の頃から聞かされてる』
カミュの眉が動いた。
『うちの親父が、何度もな』
◇
「デス・ハンムラビが、蒼天と交戦しています!」
《暁》の艦橋に、報告が飛び込んだ。
シュウが立ち上がった。
「何だと」
「出発前に、外周の確認へ出ると言っていたのですが……」
ナナイが、二機の位置を表示した。
フォン・ブラウンから、すでに離れている。
「回線を開け」
シュウは、席へ戻らなかった。
「ヤザン、やめろ。カミュは俺が送り出した。道を開けろ」
返事はない。
戦闘の記録だけが、断続的に届いてくる。
「ヤザン!」
『聞こえておる』
別の声が割り込んだ。
『大将、俺が行く。鉄嵐なら、まだ補給が済んだばかりだ』
ガランだった。
「頼む。あいつを止めてくれ」
『承知した』
◇
黒い機体が、蒼天の懐へ飛び込んだ。
大鎌の柄を短く持ち、胸へ押しつける。
押し返そうとした蒼天の脚へ、海蛇のケーブルが伸びた。
カミュは、足を引くより先に機体を沈めた。
ケーブルが膝の上を抜ける。
偃月刀を斜めに差し込み、デス・ハンムラビの胴へ刃を走らせた。
ヤザンは、機体を捻った。
脇腹の装甲が薄く削れ、溶けた破片が散る。
『そうだよ。それだ』
声が、近かった。
大鎌が、蒼天の背後へ回る。
カミュは柄を立てた。
受けた衝撃で、機体が横へ流れる。
ヤザンは離れなかった。
蒼天が向き直る、そのわずかな遅れへ踏み込んでくる。
左肩が弾けた。
追加装甲の一部が、鎌に引き剥がされて飛んでいく。
「っ……!」
カミュは噴射を逆へ切った。
重い機体が、その指の動きに追いついた。
次の刃が胸へ届く前に、偃月刀の柄を相手の腕へ叩きつける。
デス・ハンムラビが離れた。
ヤザンは、歯を見せて笑っていた。
『ゼータガンダム。名前も伊達じゃないらしい』
「お前もな」
蒼天の肩に、赤い損傷表示が灯っている。
ファは、それを見てからカミュへ目を向けた。
「私は大丈夫。前を見て」
カミュは短くうなずいた。
ヤザンの耳には、遠い声が残っていた。
たまに帰ってくる父は、いつも長居をしなかった。
食事が終われば、また荷物をまとめている。
その背中へ話しかけると、気の向いたときだけ、昔の戦いを語った。
何機落とした。
どんな相手を追い詰めた。
口の悪い、自慢ばかりの話だった。
だが、白いガンダムの話になると、父の口調が変わった。
――ゼータか。
笑っていた顔から、笑いが消えた。
ヤザンは、その顔を覚えていた。
『親父は、あんたの話ばかりしやがった』
デス・ハンムラビが、再び加速した。
『もう聞き飽きたってのに、帰ってくるたびにだ!』
鎌と偃月刀が噛み合った。
「それで、俺に何をしろという」
『俺が倒す』
ヤザンの声が低くなった。
『あんたを倒せば、あの親父でもできなかったことを、俺がやったことになる』
カミュは、黒い機体の顔を見た。
刃を押しつける力が、強くなる。
『二代目で終わる気はねえんだよ!』
海蛇が放たれた。
正面ではなく、横へ。
カミュはケーブルの先を追った。
視界の外へ回った先端が、蒼天の背へ向かって戻ってくる。
偃月刀は、大鎌に押さえられている。
蒼天の左手が、柄を離した。
腰から抜いたサーベルが、背後を払う。
ケーブルが切れた。
火花を散らす先端が、肩の装甲へぶつかり、流れていく。
その瞬間、ヤザンが鎌を引いた。
片手になった偃月刀の柄が、外へ弾かれる。
『もらった!』
黒い機体が、胸から飛び込んできた。
カミュは逃げなかった。
左手のサーベルを相手の鎌へ当て、蒼天の肩を前へ出す。
分厚い装甲が、黒い胸へ激突した。
ファの息が詰まった。
カミュの身体も、座席へ押しつけられる。
だが、蒼天は崩れなかった。
増設された推進器が、さらに光を噴く。
押し返そうとするデス・ハンムラビの姿勢が、浮いた。
カミュの右手が動いた。
外へ流されていた偃月刀が、短く返る。
黒い機体の背部が裂けた。
「なっ……!」
ヤザンの画面に、警告が重なった。
片側の推進器が消え、機体が傾く。
蒼天は、すでにその上へ回っていた。
月面が迫る。
ヤザンは鎌を振り上げた。
偃月刀の柄に受けられ、そのまま横へ押し流される。
姿勢を戻せない。
灰色の斜面へ背中から叩きつけられた。
砂と岩が、ゆっくりと広がっていく。
『終わりだ、ヤザン。武器を捨てろ』
蒼天が、眼前にいた。
ヤザンは、荒い息を吐いた。
警告音がうるさい。
握った操縦桿が、汗で滑った。
「まただ。貴様、手加減しているな、ふざけるな!」
機体を起こす。
残った推進器を吹かし、大鎌を下から突き上げた。
蒼天が半歩、横へずれた。
空いた。
ヤザン自身にも分かった。
鎌を突き出した胸元が、無防備になっていた。
青い巨体の右腕が、静かに動く。
偃月刀の刃が、正面の画面いっぱいに広がった。
――戻せ。
腕が、間に合わない。
◇
「ヤザンッ!」
横から、巨体が飛び込んだ。
鉄嵐の肩が、デス・ハンムラビを押し倒した。
カミュは咄嗟に刃を返した。
光が二機の頭上を抜け、月面の斜面へ深い線を刻んだ。
ガランは、黒い機体の手首を掴んでいた。
『何をしておる! 大将の放送が聞こえんのか!』
機体を通じて、声が響いた。
ヤザンは、奥歯を噛んだ。
「放せ、ガラン!」
『もう終わっておる!』
「勝手に決めるんじゃねえ!」
左腕で鉄嵐を押す。
掴まれた手首を捻り、力任せに振りほどいた。
「俺には、まだやることがある!」
大鎌を構え直した。
蒼天は動かなかった。
ただ、偃月刀の先が、こちらを向いている。
残った推進器へ、出力を回す。
鉄嵐の手が、今度は胸の装甲を掴んだ。
ガランは、《暁》からの通信を、触れ合った機体へつないだ。
「どけって言ってるだろうが!」
『ヤザン』
聞こえてきたのは、ガランの声ではなかった。
シュウだった。
『やめろ。帰ってこい』
ヤザンの足が、ペダルの上で止まった。
「……大将。悪いが、これだけは」
『お前を死なせるわけにはいかない』
息を吸った。
言い返そうとした言葉が、出なかった。
『俺には、お前が必要なんだ』
ガランの機体越しに、声だけが届いていた。
『戻ってこい、ヤザン』
ヤザンは、正面の画面を見ていた。
蒼天がいる。
父が、何度も語った相手が。
今なら、まだ動ける。
鎌も握っている。
それなのに、ペダルを踏み込めなかった。
「ずるいぜ大将……言い方が大げさなんだよ」
やっと出た声は、ひどく掠れていた。
「そんなこと、今まで言わなかったくせによ」
シュウは、返事を急がなかった。
大鎌の光が、消えた。
「大将が、そこまで言うんなら……仕方ねえな」
ガランの手から、黒い胸を押さえる力が抜けた。
ヤザンは、操縦桿へ額を近づけた。
「帰るよ」
『ああ。待っている』
◇
カミュは、偃月刀を下ろした。
隣で、ファがゆっくり息を吐く。
ベルトを掴んでいた指を、一本ずつ開いた。
「怪我は」
「大丈夫」
カミュが、その手に一度触れた。
前方では、鉄嵐がデス・ハンムラビを支えていた。
黒い機体の背から、小さな破片がこぼれている。
『カミュ』
ヤザンの声だった。
『……次は、こうはいかねえぞ』
カミュは、しばらくその機体を見た。
「ああ、分かっている」
ヤザンは答えなかった。
鉄嵐の肩へ、機体の重みを預けた。
ガランが、蒼天へ顔を向ける。
『手間をかけたな』
「シュウに伝えてくれ。俺たちは帰る」
『承知した。気をつけて行け。次会うときは敵同士だ』
二機が、来た道へ向き直る。
ファは、遠ざかる黒い機体を見送っていた。
やがて、カミュの肩へ手を添える。
「私たちも」
「ああ」
蒼天が、月面を離れた。
背部の推進器が光を伸ばし、青い機体を先へ運んでいく。
◇
《暁》の艦橋で、シュウは帰投する二機の信号を見ていた。
「デス・ハンムラビ、推進系に大きな損傷。鉄嵐が補助して帰還中です」
「搭乗者は」
「応答は正常です。命に別状はありません」
シュウは、ようやく息を吐いた。
「整備班を待たせておけ。医務室にも連絡を」
「はい」
ナナイが指示を出す。
その声を聞きながら、シュウはもう一つの信号へ目を移した。
蒼天は、グラナダへ向かっていた。
「……やはり、欲しい男だ」
小さな声だった。
そばにいたクワトロが、同じ表示を見た。
「惜しいか」
「ああ。これだけのことがあっても、まだ惜しい」
シュウは、背もたれへ身体を預けた。
「だが、帰ると決めたあいつを縛りつけても、俺が欲しかった男にはならん」
クワトロは、黙って聞いていた。
通信が鳴った。
ナナイが、シュウを振り返る。
「ヤザンからです。『医務室は要らねえ。機体だけ頼む』と」
シュウは目を閉じ、短く笑った。
「医務室へ行かせろ。命令だ」
蒼天のコクピットでは、ファが帰還先への通信を準備していた。
「グラナダ管制、こちら蒼天。カミュ・ビダン、ファ・ユイリ。これより帰還します」
カミュは、暗い地平の先を見ていた。
帰れば、話さなければならないことがある。
顔を合わせなければならない仲間がいる。
操縦桿を、わずかに前へ押した。
ファの肩が、そっと触れた。
(つづく)
第36話「帰る男」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、カミュとファがシュウのもとを去り、グラナダへ帰る回でした。
第28話で交わした「ブラッド・レイを止めるまで」という約束は、すでに果たされています。
ですから、カミュには残る理由がありません。
一方のシュウも、約束を守る人です。
引き止めたい気持ちを表には出さず、蒼天を渡して送り出しました。
その人柄が、少しでも伝わっていれば嬉しいです。
シュウが全軍に出した命令は、小さな場面ですが、
彼がカミュをどう見ているのかを表すつもりで入れました。
最後のひと言も、読み返したときに、違って聞こえるかもしれません。
ヤザンについては、今回、初めて「二代目」の内側を少し書きました。
めったに家に帰らなかった父が、帰ってくるたびに語った話。
その中の、ある機体の話だけが、ずっと頭に残っていた。
ヤザンにとって、カミュは、ただの敵ではありません。
父への思いが、反発と憧れのどちらなのかは、あえて決めずに書いています。
戦いの場面では、ヤザンの勢いと、カミュの静かな強さを、できるだけ正面からぶつけました。
そこに割って入ったガランと、シュウの言葉。
ヤザンが何に引き止められたのか、読み返して確かめていただけたらと思います。
タイトルの「帰る男」は、
カミュのことであり、
そして、「帰ってこい」と呼ばれたヤザンのことでもあります。
それぞれが帰る場所を、思い浮かべていただけたら幸いです。
カミュが帰った先で、何が待っているのか。
そして、ジュドとの間に残ったものは。
次回以降も、お付き合いいただければ幸いです。
感想や応援のお言葉は、いつも執筆の大きな励みになっています。
今後とも、『GUNDAM TRIANGLE』をよろしくお願いいたします。