GUNDAM TRIANGLE   作:カンキ

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いつも『GUNDAM TRIANGLE』をお読みくださり、ありがとうございます。

第36話と第37話で、舞台はグラナダに移りました。
第38話は、久しぶりにムーン・ムーンへ戻る回です。

戦いのあとの、静かな朝。
壊れた扉を直す、村のいつもの仕事。
そして、その同じ日に、別の場所で動いていたもの。
詳しい中身は、あえて伏せておきます。

少しだけ肩の力を抜いて、
村の一日を、順番に追っていただければ嬉しいです。

それでは、第38話「忍び寄る影」をお楽しみください。




第38話 忍び寄る影

 

 

 ムーン・ムーンのいつもの日差しが温かい朝。

 

 いつもと少し違う感じがして、朱麗は足を止めていた。

 ロロ達が使っていた部屋に、人の気配がしなかった。

 昨日まで床にまで広がっていた図面は片づけられ、椅子だけが、少し斜めを向いていた。

 

「ロロなら、もう帰ったぞ」

 

 工具箱を持ち上げながら、モンドが言った。

 

「帰った?」

「ああ。ジュドさんたちと一緒にな。グラナダで機体を直すんだと。……聞いてなかったのか?」

 

 朱麗は、空になった机を見た。

 

「いつだ」

「朝一番だよ。もう、だいぶ離れちまったんじゃねえかな」

 

「何か、言っていなかったか」

 

「俺は聞いてねえな。ジュドさんなら、何か預かってるかもしれねえけど」

 

「……そうか」

 

 朱麗は、黙ったままだった。

 

 ドモンは椅子の背を握り、机の下へ戻した。

 

『行っちゃったんですね』

 

 ――整備も補給も要る。いつまでも、ここにはいられん。

 

『分かってます』

 

 朝の通路を、荷車が通っていく。

 ドモンは壁へ寄って道を空けた。

 

『でも、一言くらい』

 

 その先は続かなかった。

 荷車の音が遠ざかってから、朱麗が小さく笑った。

 

『僕だけ、また会えて嬉しかったのかな』

 

 ――さあな。

 

『師匠と話していた時だって、楽しそうだったのに。……どのみち、僕に興味なかったのかな』

 

 ドモンは歩き出した。

 朱麗に返す言葉が、見つからなかった。

 

 

     ◇

 

 

 神殿の回廊で、セラが神官と話していた。

 帳面を受け取り、何かを書き足している。

 

「お母様のところへは、あとで伺います。今朝は、お休みいただいてください」

 

 神官が頭を下げて去る。

 セラは、朱麗の姿を見つけると、胸に帳面を抱き直した。

 

「おはようございます」

「ああ」

 

 朱麗は、一度立ち止まった。

 昨日、この声で告げられた言葉が、耳の奥に残っていた。

 

 ――初めてお会いしたときから、惹かれていました。

 

 あのあとも、うまい返事はできなかった。

 セラが答えを急がなかったことに、甘えた。

 

「これから、港へ?」

「そのつもりだ」

「私もです。ご一緒しても?」

「ああ」

 

 二人で石段を降りた。

 すれ違う村人が、セラへ頭を下げる。

 水路のそばで子どもを呼んでいた女が、朱麗にも手を振った。

 

「あの夜は、どうもありがとうございました」

「礼なら、ジュドたちに言ってくれ」

「あなたにも、助けていただきましたから」

 

 女は笑い、子どもの手を引いていった。

 

 人の声が離れると、急に足音が大きく聞こえた。

 セラの袖が、歩くたびに揺れている。

 

「昨日のことだが」

 

 セラの足が止まった。

 ドモンも、その半歩先で止まる。

 

「……はい」

「今すぐ返答できるほど、まだ整理がついていない」

 

 セラは帳面の角へ目を落とした。

 親指が、紙の端を一度なぞった。

 

「困らせてしまいましたね」

「そういう意味じゃない」

 

 強い声だった。

 セラが顔を上げる。

 

 目が合った瞬間、別の顔が重なった。

 

 レイン。

 

 呼び慣れた名前が、喉まで来て止まる。

 

 会いたい。

 会って、確かめたいことがあった。

 あの別れを、納得したことなど一度もない。

 

 目の前のセラは、黙ってドモンを見ていた。

 

「お前にああ言われて、嫌だったわけではないんだ」

 

 ドモンは、言葉を選んだ。

 

「だが、嬉しかったからといって、その場で何でも約束するのは違うだろう」

 

 セラの唇が、わずかに動いた。

 

「嬉しかったのですか?」

 

 そこを聞き返されるとは思わなかった。

 

「……ああ」

 

 朱麗が息をのむ気配がした。

 だが、否定する声は、出てこなかった。

 

 セラは、帳面を抱く腕を少し緩めた。

 

「それは、聞けてよかったです」

 

 口元に、小さな笑みが浮かぶ。

 ドモンは、それをもう少し見ていたいと思った。

 そう思った自分に、遅れて気づいた。

 

「昨日、申し上げた気持ちは変わりません。それだけです」

 

 セラはうれしそうに港へ走っていった。

 

 

     ◇

 

 

 港へ降りると、低い機械の音が聞こえてきた。

 

 イーノの乗ったモビルワーカーが、大きな鉄板を両腕で抱えている。

 モンドが前を歩き、通り道に残った木箱をどけていた。

 

「はい、そこまで。ゆっくり下ろしてくれ!」

 

 イーノが操縦席から元気に顔を出した。

 

 セラは、その様子を見てから、港の奥へ目を向けた。

 

 戦いで裂けた外扉は、応急の隔壁で塞いである。

 曲がった扉の枠は、すでに内側の作業場の隅へ運び込まれていた。ここなら、宇宙へ出なくても、生身で安全に直せる。

 

 セラとイーノ達の前へ、サルガが出てきた。

 

「倉の材料を使うなら、申請が要る」

「ここにあります、兄さん」

 

 セラが紙を差し出す。

 サルガは受け取り、眉を上げた。

 

「……日付が、昨夜になっている」

「兄さんのやり方に、倣いました。順序を飛ばしてはいけないと、教わりましたから」

 

 サルガは紙と妹を見比べた。

 

「許可しよう」

 

 紙を畳み、懐へしまう。

 

「戦士隊も手伝わせる。だが、見張りの人数は減らすな」

「ありがとうございます、兄さん」

「礼は要らん。……俺の村の為だ」

 

 背を向けたサルガに、ラセルが言った。

 

「では、兄上。倉を開けていただけますか。皆、待っています」

「分かっている!」

 

 モンドが笑いかけ、サルガに睨まれて木箱へ向き直った。

 

 近くにいた年配の男が、遠慮がちに言った。

 

「あの巨神様は、もう戻られないので?」

 

 セラは、作業場の隅の枠を見た。

 

「いつまでも、巨神様に頼っていてはいけません」

 

 それから、男に向き直る。

 

「もし戻られたときは、ちゃんと直った扉で、お迎えしたいのです」

「そりゃ、いいや」

 

 男が笑った。

 

 ラセルの帳面には、使う道具の名前が、拙い字で並んでいた。

 

「ロロさんに教わって、書き留めておいたんです。これは『レンチ』。ボルトを締める道具です」

 

 その名前に、朱麗が黙った。

 ドモンは、帳面から目を離した。

 

「俺は、何をすればいい」

「小さいものを、倉から運んでもらえるか」

 

 モンドが答えた。

 

「でかいのは、あいつに任せようぜ。お前が担いで走ったら、こっちが追いつかねえ」

「走らん」

「本当かよ」

 

 セラが袖をまくりかける。

 ラセルは、その手に帳面を載せた。

 

「あなたは、先にこちらを」

「私も、運べます」

「倉庫の整理の順番を、決めていただけなければ、皆が困ります」

 

 セラは、上げかけた袖を下ろした。

 

「……それも、そうですね」

 

 ドモンの口元が、少し緩んだ。

 

「あ、今、笑いましたね」

「いや」

「笑いました」

 

 セラの笑い声が作業場にこだました。

 

 

     ◇

 

 

 昼を過ぎる頃には、床に散らばっていた壊れた柱や鉄板が、ほとんど片づいていた。

 運び込んだ枠も、イーノたちの手で少しずつ形を取り戻していた。

 

 空いた場所へ、モビルワーカーが新しい板を運んでくる。

 モンドとビーチャが置き場所を指し、村の若者たちが、道を空けるよう声をかけていた。

 

 ドモンは、モンドたちのやり取りを積まれた箱の上で眺めていた。

 朱麗の声がした。

 

『ロロ、ああいう作業機を見ると、すぐ乗りたがるんですよ』

 

 ――そうだな。

 

『動かし方を教えてもらうはずが、途中で開けて、中を調べ始めちゃって』

 

 朱麗が、小さく笑った。

 

『……一緒に、帰りたかったな』

 

 返す言葉を考えている間に、朱麗が続けた。

 

『なのに、セラさんに言われたことも、嬉しかったんです』

 

 ――そうか。

 

『ロロがいなくなって、私はずっとそばにいるよって言ってもらえた気がして』

 

 少し間が空いた。

 

『ロロに、悪いですよね』

 

 ――だれだって嬉しいに決まっている。

 

『師匠も?』

 

 ドモンは顔を上げた。

 セラが、年配の男の話を聞いている。

 帳面を閉じ、途中で口を挟まず、頷いていた。

 

 こちらへ気づくと、セラが軽く手を上げた。

 ドモンも手を上げる。

 

 ――俺は……。

 

 言葉は続かないまま、すぐには目を離せなかった。

 

 

     ◇

 

 

「何か、あった?」

 

 エルに水筒を渡され、ドモンは振り向いた。

 

「何がだ」

「朝から難しい顔をしてるかと思えば、今度は、ぼうっとしてる」

「していない」

「セラ様と、話してたもんなあ」

 

 ビーチャが、空の箱を抱えたまま、にやにやしていた。

 

「うるさい。運ぶなら早く運べ」

「はいはい」

 

 うしろから、セラが会話に入ってきた。

 

「よく働いてくれましたね。どうぞ」

 

 セラも水筒を朱麗にさしだす。

 

「二人から差し入れとは?もてますなあ」

 

 モンドが笑う。

 エルが、彼の腕を軽く叩いた。

 

「あんたも飲むのはいいけどさ。さっきから何回、休憩してるのよ」

「働いたから、喉が渇くんだろうが」

 

 セラも笑った。

 ドモンは、その横顔を見ていた。

 

 こんな日常が続いてくれればいいと思うドモンだった。

 

 

     ◇

 

 

 石の壁が、低く震えていた。

 

 神殿の裏手に建つ牢の、さらに奥。使われなくなって久しい細い通路の突き当たりで、男たちは足を止めた。

 壁の向こうから、重たい唸りが伝わってくる。港で動く、作業機の音だった。

 

「昼前から、ずっとあの調子です」

 

 若い男が、声を潜めた。

 男たちの腕には、色褪せた藍の布が巻かれている。

 

 先頭に立つ男は、顔の半分を布で覆い、黙って壁に手を当てていた。

 しばらくして、低く言った。

 

「ずいぶん、堂々と使うようになったものだな」

 

 少し冷たい感じのする声だった。

 

「見張りは」

「二人は、眠らせておきました」

「そうか」

 

 男は壁から手を離し、錆びた板戸を押し開けた。

 

 戸の向こうは、牢の最奥だった。

 格子の中で、白い髪の老人が、木の椅子に腰かけている。

 壁越しの唸りを、ずっと聞いていたような顔だった。その音が何であるかを、誰よりもよく知っている顔だった。

 

 老人は、動かなかった。

 足音が格子の前で止まっても、膝の上の手を見たまま、顔を上げない。

 

「お前が、ヘモスか」

 

 しばらくして、老人は、ゆっくりと顔を上げた。

 深い皺の奥の目が、闇の中の男たちを、一人ずつ順に見た。

 

 その目に、怯えはなかった。

 

 

     ◇

 

 

 サラサの部屋には、薄く日が差していた。

 

 寝台の背に体を預け、サラサは窓の外を見ていた。

 セラが入ってくると、目を細める。

 

「その裾は、どうしたのです」

「港で、少し手伝っていたものですから」

 

 セラは服についた埃を払い、寝台のそばへ椅子を寄せた。

 

「お加減はいかがですか」

「こうして座っていられます。あなたこそ、休んでいますか」

「はい。皆さんと、一緒に」

 

 サラサは頷いた。

 セラは膝の上に、持ってきた巻物を置く。

 

「お母様。ヘモス様のことです」

 

「はい、聞きましょう」

 

「ラセルお兄様の調べた記録を、もう一度読みました。助けられた七人の名も、残っていました」

 

 セラは、巻物を見下ろした。

 

「ヘモス様が人を助けるために機械を使ったことは明白です。当時の状況でも、罪に問うことはできなかったはずです」

「ええ」

「私の権限で、ヘモス様を牢屋から解放いたします」

 

 サラサは、娘を見つめていた。

 

「私の許しを、待っていたのですか」

「……お母様には、先にお伝えしたくて」

 

 サラサの手が、巻物の端に触れた。

 

「私が、もっと早く確かめていればよかったことです」

 

 その指が離れた。

 

「行っておあげなさい。ヘモスにも、家族にも、待たせてしまいましたね」

「はい」

 

 セラは巻物を抱え、立ち上がった。

 

「朱麗さんにも、知らせてきます」

 

 サラサは、小さく頷いた。

 娘の足音が遠ざかるまで、そのまま扉を見ていた。

 

 

     ◇

 

 

 作業場では、曲がった枠に鉄板を合わせる作業が続いていた。

 イーノのモビルワーカーが板を支え、モンドとビーチャが位置を指している。

 

 朱麗が休憩を終え立ち上がろうとすると、セラが港の入口から息を切らしながら近づいてきた。

 

「朱麗さん、ヘモス様を牢から出すと決めました」

 

 朱麗とセラは、抱き合って喜んだ。

 

 セラが言った。

 

「早速、今からお迎えに行きましょう」

 

「そんな簡単にいいのか」

「はい。私がいいと言ったら、いいんです」

 

 内側で、朱麗が息を吐いた。

 何か言おうとして、うまく声にならない。

 

「さあ、すぐに参りましょう」

「ああ」

 

『師匠。ばあばにも、知らせないと』

 

 ――まずは、迎えに行こう。

 

 朱麗は、セラと並んで歩き出した。

 

 その二人を、駆けてくる男が呼び止めた。

 

「セラ様!」

 

 牢番だった。

 足をもつれさせながら止まり、膝に手をつく。

 

「ヘモスが……牢から、いなくなりました」

 

 

     ◇

 

 

 牢の前には、すでに衛兵が集まっていた。

 見張りの一人が壁にもたれ、手首に残った縄の跡を、仲間に手当てされている。

 

「何があった」

 

 朱麗が問うと、見張りは首を振った。

 

「分かりません。後ろから押さえられて、口を塞がれて……気づいたら、縛られていました」

「ヘモスは無事だったのか」

「いえ、背後から口を塞がれて眠っていたので、そこまでは分かりません」

 

 朱麗とセラは、顔を見合わせた。

 

 格子の戸は、開いたままだった。

 朱麗は牢の中へ入り、床を見た。

 

 木の椅子が、横倒しになっている。

 その手前に、ずり落ちた毛布。埃の上には、二本の筋が残っていた。踵が、引きずられた跡だった。

 

『じっちゃん……』

 

「ヘモスは抵抗したと見ていいな」

 

「鍵は、見張りから奪われていました」

 

 牢番が言った。

 

「表の入口にいた者は、誰も出ていないと申しております」

「では、どこから」

 

 セラの問いに、男は牢の奥を指した。

 

「あちらです。使っていない戸が、開いていました」

 

 壁の板戸が、外れかけて口を開けている。

 床には釘が転がっていた。打った跡だけを残して、きれいに抜かれている。

 

「何の道だ」

「昔の荷運びの道です。塞いでから、何十年にもなります」

 

 戸の先には、細い通路が続いていた。

 床の埃に、いくつもの足跡が重なっている。

 一人ではない。

 

「誰かが、ヘモス様を連れていった……」

「少なくとも一人ではないな」

 

 朱麗は答えながら、牢へ目を戻した。

 横倒しの椅子が、そこにあった。

 

『師匠、じっちゃんは……』

 

 ――探す。

 

 短く答え、セラを見た。

 彼女は、すでに牢番へ向き直っていた。

 

「兄たちに知らせてください。ヘモス様だけを、脱獄した者として追わないように。連れていった者がいます」

「はい」

「この道の行き先を知っている人も、呼んでください」

 

 男が走り出した。

 

 セラは、開いた格子の戸に手を置いた。

 

「せっかく嫌疑が晴れたところなのに」

 

 声は、小さかった。

 朱麗は返事をせず、通路の先へ目を向けた。

 

 

     ◇

 

 

 その頃、神殿の奥の部屋では、リナートが寝台のそばに腰を下ろしていた。

 

「セラは」

「さっき、出ていきました。ヘモスを迎えに行きましたよ」

 

 リナートは、静かに頷いた。

 

「ようやく、家へ帰れますね」

 

 サラサは、扉のほうを見たまま言った。

 

「あの子は、思ったより早く、大人になりますね」

「お前の娘だ」

「あなたの背中も、見ていたのですよ。サルガも、ラセルも」

「俺は、何も教えていない」

「だから、見ているのです」

 

 サラサが小さく笑い、そのまま咳き込んだ。

 リナートは、すぐに妻の背へ手を回した。

 

「無理をするな」

「大丈夫です。……今日は、いい日ですから」

 

 その時、戸が叩かれた。

 

「失礼いたします。お薬湯を、お持ちしました」

 

 男の声だった。

 世話係の娘は、湯を替えに出たきり、まだ戻っていない。

 

 リナートが立ち上がるより早く、戸が開いた。

 

 湯桶を抱えた男が、先に入ってくる。その後ろから、さらに三人。

 全員の腕に、色褪せた藍の布が巻かれている。

 

 リナートの手が、壁の槍へ伸びた。

 届くより早く、男は湯桶を捨て、寝台のサラサへ刃を寄せた。

 

 リナートの手が、止まった。

 

 最後に入ってきた男が、戸を閉めた。

 顔の半分を、布で覆っている。

 

「動かないでいただこう、リナート・リヒト」

「その腕布は……」

 

 男は答えなかった。

 

「あなた方に、会っていただきたい者がおります。ご同行を」

「話なら、ここで聞く」

「ここでは、できません。ヘモスの前で、話していただく」

 

 サラサが、肩口の刃から目を上げた。

 

「……ヘモスを、どうしたのです」

「迎えに行きました。あんな所に、置いておけるか」

「娘が、今日、牢から出すと決めたところでした」

 

 男の声が、そこで途切れた。

 

「……今日か」

 

 短い間があった。

 

「出す、だと。あの男が、何年あそこにいたと思っている」

 

 サラサは、答えなかった。

 

「人を助けたのに、罪人にされた。……港では、機械を使って笑っていたな」

 

 男は、低く続けた。

 

「俺たちが使えば罪だった。お前たちが使えば、村のためか」

「その話と、妻を傷つけることは別だ」

「傷つけるつもりはない。ご同行いただければ」

 

 サラサは、夫を見た。

 

「リナート。手を出してはなりません」

「だが」

「出してはなりません」

 

 その声は、静かだった。

 リナートは、槍へ伸ばしていた手を下ろした。

 

「……妻に、指一本触れるな」

「約束しよう」

 

 男たちが、寝台の周りへ散った。

 

 サラサは、寝台の縁へ手をつき、自分で立ち上がろうとした。

 足が、わずかに揺れる。リナートが肘を支えると、サラサは一度だけ目を閉じた。

 

「歩けます」

「……ゆっくりでいい」

 

 男は、そう言った。

 

 縄をかけられた二人は、男たちに挟まれて部屋を出ていった。

 

 やがて、部屋は空になった。

 寝台のそばには、セラが座っていた椅子が、そのまま残っている。

 男が捨てた湯桶から、薬湯がゆっくりと床に広がっていく。

 

 開け放たれた戸の向こう、遠い港から、作業機の唸りだけが響いていた。

 何も知らないまま、いつもと同じ音で。

 

 

                         (つづく)





第38話「忍び寄る影」を最後までお読みいただき、ありがとうございました。

今回は、ロロたちが去ったあとのムーン・ムーンの一日を、前半と後半に分けて描きました。

前半は、残された朱麗の気持ちと、セラへの返事から始まります。
ドモンの「嫌だったわけではないんだ」という言葉は、不器用ですが、いまの彼なりの精一杯です。
返事を急がないセラと、まだ答えを出せない朱麗。
その距離を、少しでも感じていただけていたら嬉しいです。

港の修理では、村の人たちがモビルワーカーを使って、みんなで扉を直しています。
サルガの申請書のやり取りは、兄と妹のぎこちない歩み寄りのつもりです。
ラセルの帳面に書かれた「レンチ」は、ロロが残していったものが、村に根づき始めている小さな目印です。
難しい作業の説明はしていませんが、「みんなで直している」空気が伝わっていれば幸いです。

後半は、ヘモスの件です。
機械を使って人を助けたのに、罪人にされた。
その事実に向き合ったセラが、自分の権限で、解放を決めます。
「私がいいと言ったら、いいんです」は、女王になった彼女らしい一言だと思っています。
喜び合う二人の笑顔と、そのすぐあとの報せとの落差も、見ていただきたいところです。

サラサの「……今日は、いい日ですから」は、今回特に残したかった台詞のひとつです。
穏やかな会話が途切れる場面で、どう響くか。
読み終えたあとに、思い返していただければと思います。

そして、冒頭と最後に出てくる、港の作業機の音。
同じ音でも、聞く人によって、まるで違うものに聞こえるのだと思います。
連れ去った側が何者なのか、何を望んでいるのかは、次回以降で少しずつ明らかになっていきます。
今回は、彼らの言い分の、ほんの一部だけを置いておきました。

タイトルの「忍び寄る影」には、
日常のすぐ隣まで来ていたもの、という意味を込めています。
読み返したときに、前半の何気ない場面が、少し違って見えるかもしれません。

ムーン・ムーンの物語は、まだ続きます。
次回以降も、お付き合いいただければ幸いです。

感想や応援のお言葉は、いつも執筆の大きな励みになっています。
今後とも、『GUNDAM TRIANGLE』をよろしくお願いいたします。
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