いつも『GUNDAM TRIANGLE』をお読みいただき、本当にありがとうございます。
第39話「荷車の轍」をお届けします。
前回、ムーン・ムーンでは穏やかな日々が続くかと思われた矢先、静かに、しかし確かに、不穏な影が忍び寄ってきました。「つづく」で終わった前回の続きが気になっていた方も、多かったのではないでしょうか。お待たせいたしました。
今回は、これまであまり前に出てこなかった人たちに、少しだけ光を当てています。
物語を書き進めるうちに、作者自身が「この人たちは、普段どんな顔をしているのだろう」と気になり始めた人物がいます。いつも誰かの後ろに控えている人、多くを語らない人、主役の陰で黙って動いている人。そうした人たちにも、それぞれの年月と、それぞれの思いがあります。今回は、その一端を感じていただけたら嬉しいです。
そして、ある人物の「芯」の部分にも、改めて向き合いました。長い年月を経ても変わらないもの、変わったもの。その両方を、言葉よりも振る舞いで描くことを心がけています。
誰が、何を選ぶのか。
どこへ向かい、何と向き合うのか。
詳しい中身は、あえて伏せておきます。ぜひ本編でお確かめください。
それでは、第39話をお楽しみください。
牢の外で、幾つもの足音が止まった。
「セラ!」
サルガが、部隊を引き連れて入ってきた。
大柄なクガナが入口で体を横にし、その脇を、小柄なマウノが抜けてくる。
「ヘモス殿が連れ去られたというのは、本当か」
「はい、兄さん。ここからです」
セラが、牢の奥の板戸を示した。
サルガは倒れた椅子を見てから、朱麗へ目を向けた。
「誰か、見た者は」
「見張りは眠らされていた。相手の顔も、人数も分からん」
クガナが見張りの前にしゃがんだ。
「頭は打ってないか」
「はい。もう立てます」
「だったら、水を飲んで待ってろ。ふらついてるうちは仕事にならん」
立とうとした男の肩を押し戻し、持っていた水筒を渡す。
その間に、マウノは板戸の向こうを覗いていた。
腰の灯りを外し、床へ近づける。
「……車輪の跡があります」
「荷車か」
朱麗も身をかがめた。
埃を削った二本の線が、通路の奥へ伸びている。
サルガが、低く言った。
「……人を、荷物のように運んだのか」
「中は、暗いですよ」
マウノは灯りを上げた。
「私が先に見ます」
「待て。まだ一人で行くな」
サルガの声に、マウノが足を止めた。
そこへ、ラセルたちが到着した。
「遅くなりました」
サキが牢の前の衛兵たちに道を空けさせる。
リュネはラセルを追い越しかけ、入口で振り返った。
「こちらです。奥の戸が開いています」
ラセルは牢を一度見回し、板戸の前へ来た。
「こんな道が残っていたんですね」
「知っている者を、呼んでもらっています」
セラが答えたときだった。
「ラセル様!」
駆け込んできた兵が、入口で膝をついた。
「神殿へ確かめに行った者が、戻りました」
「何かあったんですか」
兵はセラを見て、言葉を詰まらせた。
「構いません。話してください」
ラセルに促され、顔を上げる。
「サラサ様と、リナート様が……男たちに連れ出されました」
サルガが振り向いた。
「何だと」
「世話係が見ております。お二人は縄をかけられ、サラサ様には刃が向けられていたと」
「今、どこにいる」
「分かりません。世話係は隠れていて、男たちが去ってから、人を呼びに……」
サルガは兵の横を通り、セラの前で止まった。
「セラ。ヘモス殿だけではない。父上と母上もだ」
セラの手から、巻物が滑りかけた。
朱麗が下から支える。
「お母様が……」
つい先ほど、あの部屋で話した。
寝台のそばへ寄せた椅子も、そのままにしてきた。
「お怪我は」
「見た限りでは、ありません。ただ、リナート様がお体を支えておられたそうです」
セラは巻物を握り直した。
「その方を、こちらへ。話を聞きます」
「はい!」
兵が駆け出すより早く、サルガが命じた。
「動ける者を集めろ。神殿から外へ出る道を、全部押さえる」
「兄さん」
「港にも知らせろ。荷を運ぶ者も止めて調べるんだ!」
「サルガ様」
クガナが呼んだ。
「何だ」
「道を全部押さえるほど、手はありません」
「ならば、あるだけ出せ」
「リナート隊長なら、ここで皆を走らせません」
サルガの顔が、クガナへ向いた。
「お前――」
クガナは目を逸らさなかった。
腕を下ろしたまま、返事を待っている。
サルガは口を閉じた。
通路の前では、マウノが灯りを持ったまま立っていた。
ほかの戦士たちも、次の命令を待っている。
サルガはラセルを見た。
「……お前は、どう見る」
ラセルは、開いた板戸へ目を向けた。
「牢も神殿も襲われたのに、表では誰も騒ぎに気づいていません。同じような裏道を使ったのでしょう」
「この先で、つながっているか」
「それを確かめたいです」
ラセルは兵を呼び戻した。
「世話係には、神殿で待ってもらってください。こちらから行きます。それと、昔の荷運びを知っている人を一人。道の話を聞ける人を」
「承知しました」
「その先に、父上たちがいるとは限らんぞ」
サルガが言うと、ラセルは頷いた。
「はい。ですから、兄上には牢から続く跡を追っていただきたい。私は神殿を調べます」
「見つけたら、どうする」
「場所と人数を知らせます。いきなり踏み込んで、母上たちに刃を向けられては困りますから。ただし、緊急の場合は別です」
ラセルは、兄をまっすぐ見た。
「兄上、頼みます」
サルガは、しばらく弟の顔を見ていた。
それから、短くうなずいた。
「……ああ。任せろ」
朱麗が通路へ顔を向けた。
「俺も、こちらへ行く」
「頼む。だが、先走るな」
「お前もな」
サルガは眉を寄せたが、言い返さなかった。
◇
「私も神殿へ戻ります」
セラが言った。
「お母様がどこへ連れ出されたのか、確かめたいのです」
「一緒に行きましょう」
ラセルが答えると、サキが入口の衛兵を呼んだ。
「二人、付いてきてください。誰かに呼ばれても、一人では離れないこと」
セラは牢番へ巻物を渡した。
「ヘモス様の解放は、予定どおり皆さんへ伝えてください。戻られたとき、また牢へ入れられることのないように」
「はい、セラ様」
「それから、港の皆さんにも。お母様たちが連れ去られたことと、一人で探しに行かないことを」
牢番が深く頭を下げる。
朱麗は、セラの前へ歩み寄った。
「そちらは、任せる」
「はい。朱麗さんも、お気をつけて」
その顔を見て、朱麗は頷いた。
◇
古い倉の壁際に、荷車が一台止めてあった。
戸が開き、ヘモスは顔を上げた。
男たちに挟まれて、サラサとリナートが入ってくる。二人とも、前で手首を縛られていた。
「椅子に座らせろ」
顔の半分を布で覆った男が、ヘモスの向かいに椅子を置いた。
リナートが、用意された椅子にサラサを座らせた。
「サラサの縄は解いてやれ。ただし、リナートは別だ」
覆面の男が、部下へ言った。
若い男が、サラサの手首の結び目をほどく。
ヘモスは二人の顔を確かめた。
「ユファは。あいつには、手を出していないだろうな」
「家には、誰も行かせていない」
ヘモスの肩から、わずかに力が抜けた。
戸口に二人。
荷車の横にも一人いる。
そして、自分の横に一人。
その間を、覆面の男が歩いてきた。
「これで、話ができる」
男はサラサの前で足を止めた。
「牢にいた男の顔を、よく見ていただこう」
サラサは男を見上げた。
「ヘモスの話を聞かせるために、私たちを連れてきたのですか」
「ああ。今度は、聞かなかったでは済まされん」
「俺は、頼んではおらんぞ」
ヘモスが言った。
「俺を助けに来たと言いながら、なぜこの二人を縛って連れてきた」
「そうしなければ、ここへ来たか?」
男はヘモスへ目を戻した。
「あんたのためでもある。言いたいことがあるだろう。人を助けたのに、罪人にされたんだ」
「俺が牢へ入れられたのは、エルド殿の頃だ」
「だが、この娘が引き継いでからも、牢に入れられたままではなかったのか」
凛とした表情で、サラサがその問いに答えた。
「あなたの言う通りです。私にも、責任があります」
男が言い募るのを止めるように、ヘモスが言った。
「あの頃の掟なら、罪人にされても仕方がなかった。俺は、それを受け入れている」
男の目が、ヘモスへ向いた。
「何年たったと思っている。その年月を、誰が返す」
「返せるものではありません」
サラサが言った。
ヘモスは、首を振った。
「返してもらうも何も。俺は牢で、やることが山ほどあった。不自由はしていなかったからな」
男は、言葉を返さなかった。
サラサがヘモスへ向き直った。
「今日、セラがあなたを牢から出すと決めました。私にも、伝えに来ました」
ヘモスの目が動いた。
「……セラ様が」
「はい。今ごろ、牢へ、朱麗さんとお迎えに行っているはずです」
ヘモスは、男を見た。
「お前さん。今日、俺が牢を出ると聞いても、驚かんな」
「……神殿で聞いた」
「それを聞いても、俺を帰そうとはしなかったのか」
戸口の若い男が、わずかに顔を動かした。
覆面の男は、その方を一度見てから答えた。
「あんたが家へ帰れば、それで終わりにされる」
男は荷車の縁に手をついた。
「俺たちが隠れて機械を使っていた頃、何と言われた。掟を破る者だと、村を汚す者だと。今は港で堂々と動かして、皆で笑っている」
ヘモスへ、顔を寄せる。
「あんたには、機械を使ったことで捕まった者の代表として、その話をしてもらいたいのだ」
サラサが口を開いた。
「掟を変えたのは、私です。けれど、変える前に罰せられた者のことを、私は置き去りにしてきました」
男が、サラサを見た。
それから、ヘモスへ目を戻す。
「聞いたな。あんたが話せば、皆も納得する」
「機械が許されたなら、それでいいじゃないか」
ヘモスが言った。
「俺は、君たちの恨み言を擁護するために、皆の前へ立つつもりはない」
倉の中が、静まった。
荷車の縁を掴んだ男の指に、力がこもった。
「……それでも、話してもらう」
男はサラサへ向き直った。
「あなたにもだ。あの掟で何をしてきたか、認めてもらう。ここだけで頭を下げて、済ませるつもりはない」
「その通りだ」
戸の外から、声がした。
次の瞬間、戸口のそばに控えていた部下が、戸ごと倉の中へ吹き飛ばされた。
舞い上がった埃の向こうに、サルガが立っていた。
「済ませるつもりがないのは、こっちも同じだ」
その後ろから、クガナとマウノが踏み込んでくる。
「父上、母上!」
サルガが一歩、前へ出た。
覆面の男が動いた。
腰の帯から短剣を抜き、椅子のサラサの肩を引き寄せる。
刃が、その喉元で止まった。
「動くな」
サルガの足が、止まった。
「サラサ様!」
リナートが前へ出かけた。
両手は縛られたままだった。
「来るな。お前もだ」
短剣の先が、わずかに沈む。
サラサが、小さく息を呑んだ。
リナートは、そこで止まった。
倉の中で、誰も動けなかった。
男は、サラサを引き立たせた。
短剣を突きつけたまま、じりじりと後ろへ下がる。
「前へ出ろ」
残っていた部下たちが、男とサルガたちの間へ割り込んだ。
荷車の横の一人も、ヘモスの横の一人も、男の前に壁を作る。
「サルガ」
サラサの声だった。
震えては、いなかった。
「慌ててはなりません」
サルガの拳が、白くなった。
男の背が、倉の奥の板戸に当たった。
片手で戸を押し開けると、暗い通路が口を開ける。
「話は、まだ終わっていない」
覆面の下で、男が言った。
「次は、皆の前でだ」
男はサラサを抱えるようにして、戸の向こうへ消えた。
「追え!」
サルガが叫んだ。
クガナとマウノが、部下たちの壁へ飛び込む。
サルガも、一人を肩で弾き飛ばした。
だが、板戸に手をかけたときには、向こう側で閂の落ちる重い音がしていた。
サルガが、戸に体をぶつけた。
厚い板が、鈍く鳴っただけだった。
「……くそっ」
背後では、クガナとマウノが、最後の部下を床へ押さえ込んだところだった。
サルガは、閉じた板戸を見つめていた。
拳を握ったまま、動かなかった。
その後ろで、リナートが膝をついた。
縛られた両手を、床についたまま。
第39話「荷車の轍」、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
ヘモスに続いて、サラサとリナートまでが連れ去られる。ムーン・ムーンの夜は、一気に慌ただしくなりました。
今回、作者がいちばん描きたかったのは、サルガとラセルの兄弟が「初めて一緒に動く」瞬間です。
これまでの二人は、同じ母を持ちながら、どこかすれ違ってばかりでした。兄は自分で何でも引き受けようとし、弟は兄より先に答えを用意してしまう。どちらも相手を頼りにしていないわけではないのに、うまく噛み合わない。
そんな兄弟の間に、今回は一つの言葉が投げ込まれました。
「リナート隊長なら、ここで皆を走らせません」
サルガの父の名を出して、あえて痛いところを突いたクガナ。言い返しかけて、口を閉じたサルガ。そして、初めて弟に向けた「……お前は、どう見る」。それを受けたラセルの「兄上、頼みます」。
ほんの短いやり取りですが、二人にとっては大きな一歩だったと思います。
また今回から、兄弟に仕える四人にも、少しずつ顔が見えるようになってきました。
水筒を見張りに渡して、黙って様子を見るクガナ。
誰より先に、床の轍に気づくマウノ。
衛兵に一言で指示を通すサキ。
ラセルを追い越しかけてしまうリュネ。
原作をご存じの方には懐かしい名前もあるかと思います。あの頃から長い年月が過ぎ、それぞれが大人になって、今の主のもとで働いている。そんな姿として描いていけたらと考えています。
一方、倉の中では、ヘモスがついに覆面の男と向き合いました。
「機械が許されたなら、それでいいじゃないか」
男はヘモスを、機械を使って罰せられた者の「代表」として、皆の前に立たせたかった。けれどヘモスは、恨みを語るための旗印になることを、静かに断りました。長い年月を牢で過ごしながらも、彼の心は、誰かを責めることには向いていなかったのです。
その一方で、サラサは男の言葉から逃げませんでした。掟が変わる前に罰せられた人たちを、置き去りにしてきたこと。それを自分の責任として、まっすぐに認めました。人質となってもなお「慌ててはなりません」と息子を制する姿に、統治者としての覚悟を感じていただけたなら幸いです。
題名の「荷車の轍」は、マウノが見つけた二本の線から取りました。古い道に残された、まだ新しい跡。それは、連れ去られた人たちへと続く道しるべであると同時に、この村が置き去りにしてきた過去へと続く跡でもあります。
さて、サラサは再び連れ去られ、閉ざされた戸の前には、拳を握ったままのサルガと、膝をついたリナートが残されました。
覆面の男が言い残した「次は、皆の前でだ」という言葉。
神殿へ向かったラセルとセラは、何を見つけるのか。
そして、別の道を進んだ者たちは。
次回も、どうぞよろしくお願いいたします。