いつも『GUNDAM TRIANGLE』をお読みいただき、本当にありがとうございます。
第56話「ガンダムファイト」をお届けします。
前回は、リーンホースとシュウたちが、ついに手を組むところまでを描きました。「高くつく捕虜」という題名に込めた二つの意味に、気づいてくださった方がいたら嬉しいです。
二隻が地球圏へ向かう長い旅のあいだ、物語はふたたびムーン・ムーンへ戻ります。
……さて、ここからは少しだけ、あの方の口調をお借りして。
皆さん、お久しぶりです。
今日は、ムーン・ムーンに来ています。
日頃の穏やかな暮らしとは違って、この港には、何やらきな臭い影が近づいているようです。
丁寧な言葉で現れる客人たち。その胸の内にあるものは、いったい何なのか。
そして、白いガンダムの前に立ちはだかるのは――。
詳しい中身は、あえて伏せておきます。
それでは皆さん、ご一緒に。
ガンダムファイト、レディー・ゴー!
「連邦が持ち去る前に、話をつけたまえ」
広い執務室の奥で、白髪の老人が言った。
窓の外には、どこかのコロニーの街並みが、整然と並んでいる。
「あの技術を、失わせてはならん」
「承知いたしました、会長」
ジレ・クリューガーは、深く頭を下げた。
手元の端末には、アナハイムから流れてきた資料が映っていた。
操縦桿を使わずに、乗り手の体の動きで機体を動かす仕組み。
そして、その仕組みを作った娘が工場を建てた、古いコロニーの名前。
ムーン・ムーン。
「護衛には、ザビーネをつけましょう」
「ドレルも連れていけ。あれにも、外の世界を見せておきたい」
ジレの手が、一瞬だけ止まった。
「……かしこまりました」
◇
ムーン・ムーンの港に、見慣れない船が着いたのは、それから十日ほどあとのことだった。
白く塗られた、品のいい船体だった。
船腹には、どこかの会社の印が描かれている。
開いた搬入口から、作業用の機械が三機、ゆっくりと降りてきた。
「作業機……か?」
管制室で、モンドが首をかしげた。
「にしちゃ、ずいぶん体つきがいいな」
イーノが、画面を拡大した。
手足は太く、肩の装甲も厚い。荷物を運ぶための機械には、少し立派すぎた。
「通信が入っています」
画面に、銀色の髪をきちんと整えた男が映った。
「ブッホ・コンツェルンの技術調査団、団長のジレ・クリューガーと申します。女王陛下に、お目通りを願いたい」
*
評議の間には、セラが座っていた。
その隣に朱麗が立ち、少し離れてラセルが控えている。
卓の向かいには、ジレが座っていた。
その後ろに、若い男が二人、立っている。
一人は、金色の髪を後ろへ流した、背の高い男だった。
右目に、色のついた片眼鏡のようなものをかけている。
もう一人は、それよりずっと若い。まだ少年と言ってもいい顔立ちで、腕を組んだまま、部屋の中をじろじろと見回していた。
「こちらは、護衛のザビーネ・シャル。それから、ドレル・ロナです」
ジレが紹介すると、金髪の男だけが、静かに一礼した。
「単刀直入に申し上げましょう」
ジレは、卓の上に書類を並べた。
「ムーン・ムーンの工場に、我々ブッホ・コンツェルンが支援をいたします。資材、部品、技術者。必要なものは、すべてこちらでご用意できます」
ラセルの片眼鏡が、わずかに光った。
「それに加えて、防衛へのご協力も。先日、連邦の部隊が無理に入港しようとしたと伺いました」
セラの指が、膝の上でぴくりと動いた。
「連邦は、諦めておりません。次の接収の準備が、すでに進んでいるはずです。そのとき、このコロニーの今の戦力だけで守りきれるでしょうか」
部屋が、静かになった。
ジレは、穏やかに微笑んだ。
「ですから、我々がお力になりたいのです」
セラは、書類に目を落とした。
一枚ずつ、ゆっくりとめくっていく。
ラセルが、横から同じ書類をのぞき込んだ。
三枚目で、セラの手が止まった。
「……この、港と工場の運営、という項目ですが」
「ええ」
「どなたが、運営なさるのですか」
ジレは、少しも表情を変えなかった。
「支援を円滑に進めるため、当方の者が責任を持って」
「港と工場を、あなた方が管理なさる、ということですね」
「管理、というと聞こえが悪い。お預かりする、とお考えください」
セラは、書類を閉じた。
「お気持ちは、ありがたく思います」
ジレが、頷きかけた。
「ですが、このお話は、お受けできません」
ジレの笑みが、ほんの少しだけ薄くなった。
「女王陛下。厳しいことを申し上げますが、あなた方に残されている道は、多くありません。連邦に明け渡すか、我々の庇護を受けるか。その二つです」
「どちらにも渡さない、と申し上げています」
セラの声は、静かだった。
けれど、少しも揺れていなかった。
ジレは、しばらくセラを見ていた。
それから、書類を鞄へしまった。
「……分かりました。一度、持ち帰らせていただきます」
ジレが立ち上がった。
後ろの二人も、それに続く。
出口へ向かいかけたところで、金髪の男が足を止めた。
朱麗の前だった。
「港で、君の機体を見た。拳で戦う、ガンダムだ」
ザビーネは、朱麗の顔をまっすぐに見た。
「先日の連邦の部隊を、一機も撃ち抜かずに退けたと聞いた。君ほどの力を、この小さなコロニーだけに埋もれさせるのは惜しい」
朱麗は、すぐには答えなかった。
『師匠……』
内側で、朱麗の声が小さく揺れた。
「小さい、か」
ドモンは、ザビーネを見返した。
「ここには、俺が守りたい人たちが暮らしている。大きいか小さいかで、決めるものじゃない」
ザビーネの目が、わずかに細くなった。
何か言いかけて、それから、口元だけで笑った。
「……そうか。失礼した」
ザビーネは一礼して、部屋を出ていった。
その後ろで、ドレルが朱麗をにらんでいた。
少年は、何も言わずに背を向けた。
◇
調査団の船の中で、ジレは書類を卓へ放った。
「頑固な女王だ」
窓の外では、港の作業員たちが、何事もなかったように荷を運んでいる。
「会長には、出直すとお伝えしよう。次は、もう少し条件を――」
扉が開いて、部下が駆け込んできた。
「団長。ドレル様が、格納庫の機体で出撃されました」
ジレは、窓の外へ目を向けた。
船の脇から、紫色の機体が一機、港の奥へ向かって飛んでいくのが見えた。
ベルガ・ダラス先行試作型。ドレルのために調整された、指揮官用の試作機だった。
手には、身の丈ほどもある大きな槍を握っている。
「制止しますか」
ジレは、すぐには答えなかった。
ダラスが向かう先には、あの娘が建てた工場がある。
「……ザビーネには、不測の事態に備えるよう伝えろ」
部下が、一瞬だけジレの顔を見た。
それから、何も言わずに頭を下げて出ていった。
ジレは、また窓の外を見ていた。
*
「なんだ、あいつ!」
港の奥で、警報が鳴った。
「工具はいい、人が先だ!」
ガレスが、工場の若者たちを裏の通路へ走らせていた。
作業台へ戻ろうとした一人の背を押し、自分も出口へ向かう。
エルのジェガンが、その通路と港のあいだに立った。
「こっちは私が見てる! みんな、奥へ!」
ダラスが、工場へまっすぐ突っ込んでくる。
頭には、古い兜のような飾りがついていた。
「止まれ! ここから先は、ムーン・ムーンだ!」
サルガのジェガンが、工場の前に立ちふさがった。
「どけ! お前らみたいな古い機体に、用はない!」
ドレルの声だった。
大きな槍が、まっすぐに突き出された。
サルガは盾で受けた。受けたはずだった。
盾ごと、ジェガンの体が後ろへ弾き飛ばされた。
「ぐっ……!」
ビーチャのジムが、横から組みつこうとする。
ダラスは、背中の推進器を一気に吹かした。
ジムの腕は、空をつかんだ。
「速え……!」
ドレルの機体は、もう工場の入口の前にいた。
大きな槍の先を、扉へ向ける。
そのとき、ムーンライトガンダムが、横から割り込んできた。
*
操縦席の中で、立体映像のハロがくるくると回っていた。
「テキ、イッキ! ヤリ、オオキイ! ミナトノナカ! シャセン、チュウイ!」
「分かっている」
ドモンは、膝を沈めた。
ムーンライトガンダムが、ダラスの前に立った。
「……お前か」
ドレルの声に、苛立ちが混じった。
「拳で戦うガンダム、か。ザビーネが、やけに気にしていたな」
大きな槍が、突き出された。
ドモンは、半歩だけ横へずれた。
槍の穂先が、肩のすぐ横を通り抜ける。
ドレルは、すぐに槍を引こうとした。
けれど、大きな槍は、引き戻すのにも力がいる。
そのわずかな間に、ムーンライトの足が、槍の柄を下から蹴り上げていた。
槍が、ダラスの手を離れた。
くるくると回りながら、誰もいない空き地へ落ちていく。
「なっ……!」
ドレルの機体が、後ろへ跳んだ。
「貴様……! 貴様ごときが……!」
ダラスの背中で、何かが動いた。
背負っていた推進器のようなものが、いくつも外れて、四方へ飛び出していく。
その一つ一つに、砲口がついていた。
*
「ファンネルかよ!」
工場脇へ下がったジムの中で、ビーチャが叫んだ。
昔、何度も見た光景だった。
四方から、見えない何かに狙われる。あの女が操っていた、空飛ぶ砲台。
砲の一つが、火を噴いた。
光ではなかった。重い音とともに、弾が飛ぶ。
ムーンライトガンダムの足元で、地面がはじけた。
「ダンガン! ビーム、チガウ!」
ハロの映像が、跳ねるように揺れた。
ドモンは、飛んでくる弾をかわしながら、浮かぶ砲を目で追った。
一つ、二つ、三つ、四つ。
どれも、ばらばらの方向から、こちらを狙っている。
『師匠』
内側で、朱麗の声がした。
『糸が見えます』
――糸?
『砲から、紫の機体まで。光が当たると、細く光るんです』
ドモンは、目を凝らした。
コロニーの光の中で、何かが一瞬、きらりと光った。
髪の毛ほどの、細い線だった。
それが、浮かぶ砲の一つ一つから、ダラスの背中へと伸びている。
――よく見つけた。
ムーンライトが、腰からビームサーベルを抜いた。
一番近い砲へ向かって、踏み込む。
砲口が、こちらを向く。
その前に、光の刃が、細い線だけを断ち切った。
糸を切られた砲は、止まらなかった。
推進の勢いのまま、ふらふらと村の方へ流れていく。
ドモンは、それを追った。
追いついて、横から蹴った。
砲は、誰もいない空き地の地面へ叩きつけられ、そこで止まった。
二つ目。三つ目。
同じように、糸を斬り、蹴り落とす。
「くそっ……! なんで、見えてる……!」
ドレルの声が、裏返った。
残った砲は、一つだけだった。
ドレルは、その砲をムーンライトの後ろへ回り込ませた。
「これで――!」
砲口が、ムーンライトの背中を追う。
ムーンライトが横へ動けば、砲口も横へ動く。
その射線の先に、家並みがあった。
ドモンには、分かった。
あの砲は、次の瞬間、撃つ。
そして、自分がよければ、弾は後ろの家へ飛ぶ。
ムーンライトは、よけなかった。
逆に、砲の正面へ、自分から体を割り込ませた。
重い音がした。
ムーンライトの左肩の装甲が、火花を散らして弾けた。
「ヒダリカタ、ダメージ!」
ハロの映像が、赤く点滅した。
ドモンは、肩を押さえもしなかった。
ただ、砲の前に立ったまま、動かなかった。
ドレルが、もう一度、引き金に指をかけた。
そのとき、黒い影が、上から降ってきた。
*
黒い機体だった。
ベルガ・ギロス先行試作型。ザビーネのためだけに仕立てられた、もう一機の試作機だった。
手にした槍が、残った最後の砲を、横から貫いていた。
砲は、槍の先に刺さったまま、動かなくなった。
背中で、翼のように広がった推進器が、ゆっくりとたたまれていく。
その背中に、光でできた旗が灯っていた。
見たことのない、家の紋章が描かれていた。
「射線の先を見ろ」
ザビーネの声だった。
「ここを手に入れるつもりか。それとも、壊すつもりか」
ドレルの機体が、びくりと止まった。
「ザビーネ……! 貴様、邪魔を――」
「下がれ、ドレル」
ザビーネの声は、静かだった。
「後始末は、私がやる」
しばらく、ダラスは動かなかった。
それから、背を向けて、港の外へと飛んでいった。
ギロスは、槍の先から砲を振り落とした。
それから、ムーンライトへ向き直った。
肩の装甲が、えぐれている。
それでも、ムーンライトは、家並みの前から一歩も動いていなかった。
「……今のを、わざと受けたな」
ドモンは、短く答えた。
「後ろに、人がいる」
ギロスの中で、ザビーネはしばらく黙っていた。
それから、後ろへ顔を向けた。
港の入口に、調査団の作業機が三機、並んでいた。
どの機体も、いつの間にか、腕から銃を出していた。
「全機、銃を下ろせ」
作業機たちが、ためらうように顔を見合わせた。
「聞こえなかったか。下ろせ」
三機の銃口が、ゆっくりと下を向いた。
ザビーネは、ムーンライトに向き直った。
「私は、ブッホの者として、このコロニーを手に入れに来た。それは変わらない」
「だろうな」
「だが、君とは、こういう形で決めたくない」
ギロスが、槍を構え直した。
「私を退けられたなら、部隊を引こう」
ドモンは、ギロスを見た。
「その約束、お前に守らせるだけの権限があるんだろうな」
ザビーネは、少しだけ笑った。
「確かめてみよう」
ギロスから、調査団の船へ、通信が飛んだ。
短いやりとりのあと、ザビーネの声が戻ってきた。
「団長は、了承した。私が負ければ、調査団は全員、このコロニーから引き揚げる」
ドモンは、ゆっくりと拳を握った。
「……いいだろう」
◇
管制室では、誰も口をきかなかった。
画面の中で、ムーンライトとギロスが、港の前の広場で向き合っている。
まわりには、誰もいない。
サルガたちも、モンドの指示で、家並みの前へ下がっていた。
セラは、画面の前に立っていた。
胸の前で、両手を握り合わせていた。
「……朱麗さん」
ラセルが、セラの隣に立った。
何も言わずに、画面を見ていた。
*
ギロスが、槍を構えた。
ドモンは、正面から踏み込んだ。
穂先が、胸へ伸びてくる。
半歩だけ身をずらし、槍の横腹へ右手を添えた。
払える。
そう見えたときには、もう槍が引かれていた。
柄の根元で、マシンガンが火を噴いた。
ムーンライトは踏み込みを止め、身を沈める。
背後の無人の作業場で、土が跳ねた。
顔を上げると、また目の前に穂先があった。
「……なるほど」
ドモンは、一度だけ息を吐いた。
ドレルのダラスとは違う。
こちらが詰めた分だけ下がり、追おうとすれば撃つ。
止まれば、槍が来る。
次は、正面を追わなかった。
ドモンは穂先を右手で外へ払い、その腕の下へ身を入れた。
左足を軸に、ギロスの脇へ回る。
右の拳を返す。
そこへ、光る盾が割り込んだ。
ドモンは、拳を止めた。
左肩を引き、盾の縁をかわす。
えぐられた装甲がこすれ、操縦席に警告音が響いた。
「ヒダリカタ、カドウカノウ! フカ、ジョウショウ!」
「分かっている」
ギロスの背で、翼のような推進器が開いた。
右と左が、別々の方を向く。
機体が横へ滑りながら、こちらへ向き直った。
回り込んだはずのドモンの前に、また槍があった。
「……あの背中、別々に向きが変わってる」
管制室で、イーノが画面へ顔を寄せた。
モンドが、黒い機体を目で追う。
「ムーンライトが追う前に、もう向き直ってやがる」
ザビーネの指は、休まなかった。
推進器を切り替え、盾を寄せ、ランサーを引く。
反応を鋭くしすぎた試作機は、わずかな操作にも機首を振ろうとする。
その動きを抑え、必要な分だけ機体を滑らせた。
――速い。
指先の操作を一つ遅らせれば、あの拳が届く。
先ほど、盾の内側へかけられた白い手が、まだ目に残っていた。
ザビーネは、槍をわずかに下げた。
ムーンライトが、それに合わせて腰を沈める。
次に肩へ穂先を寄せると、傷のある左腕を引いた。
「村を守るためなら、自分が傷ついても構わんか」
「お前を止めれば済むことだ」
「その機体、ビームサーベルを持っていたな。なぜ使わない」
ドモンは、答えなかった。
斬る場所を誤れば、近くの家まで巻き込む。
武器だけを落とせればいい。
だが、ギロスは槍を引くたび、銃と盾を間に置いていた。
「後ろの家が、気になるか」
ザビーネは、地面へ銃口を下げた。
マシンガンが短く鳴り、ムーンライトの進路に土煙が上がる。
家並みの方へは、一発も飛ばなかった。
「安心しろ。私は、住む者を撃つつもりはない。撃つのは、立ち向かってくる者だけだ」
「……それで、騎士のつもりか」
「騎士とは、そういうものだ」
土煙の脇を、槍が抜けてきた。
ドモンは半歩退き、右手を伸ばしかけた。
つかむ前に、穂先が引かれる。
追えば、また盾に阻まれる。
「君は、強い。だが、甘い」
ザビーネの声が、通信に入った。
「守るべきものに心を奪われて、勝つべき戦いを落とす。私情を抑えて、任務を果たせ。それが、力を持つ者の務めだ」
「守りたいから、振るう拳だ」
ドモンは、槍から目を離さなかった。
「それを私情と呼ぶなら、好きに呼べ!」
踏み込みかけた右足を、止める。
銃口が、その先へ振られていた。
槍を払うだけでは、届かない。
盾の脇へ回っても、向き直られる。
必要なのは、相手が向き直る前に、その内側へ入る一歩だった。
*
ドモンは、一度、大きく後ろへ跳んだ。
ギロスとの間合いを、取り直す。
そのとき、操縦席の中で、立体映像のハロの目が赤く光った。
ピピピッ。
「シャイニングフィンガーモード、ハツレイ!」
ドモンの動きが、一瞬だけ止まった。
「……今、なんて言った?」
「ドモン・カッシュ。シャイニングフィンガーモード。ジブンガ、イママデ、ヤッテイタ、カンカクデ、ヤッテミテ」
この世界で、誰も知らないはずの名前だった。
「……この機体で、あれができるのか?」
「ドモン・カッシュノ、ノウハレベル、ソクテイ。デキルト、ハンダン!」
ドモンは、一呼吸置いた。
「朱麗」
『はい、何でしょう、師匠』
「今から俺が口に発することは、ここだけにしてくれ。以後、忘れるように」
『え、師匠、何を言ってるんですか?』
ドモンは答えず、右手を握った。
ムーンライトの指の隙間から、光が漏れ始めた。
ギロスが、槍を引いた。
穂先が、まっすぐにムーンライトの胸を向く。撃ち出すつもりだ。
右へ動けばマシンガン、左へ動けば盾。どちらへかわしても、次の一手に捕まる。
穂先は、まだ動いていなかった。
けれど朱麗には、その先だけが、静かになったように感じられた。
葉を離れる前の、あの水滴と同じだった。
『師匠、今です!』
穂先が、槍を離れた。
ムーンライトは、ほんのわずかに身をずらし、撃ち出された穂先をかすめて、槍の脇を抜けた。
ザビーネが、目を見開いた。
銃口を振ろうとする。
ムーンライトの左手が、槍を持つ手首を押さえた。
傷ついた肩から火花が噴く。それでも、放さなかった。
ピピピッ。
「オンセイニンショウ。オンセイパスワードヲ、ニュウリョクシテクダサイ」
ドモンは、右腕を振りかぶりながら、もう一歩、踏み込んだ。
ギロスの盾が、白い胸へ迫る。
その腕の内側へ、体を入れた。
ザビーネが後退しようとした。
槍の手首を押さえた左手が、それを引き止める。
ドモンは右の拳を握った。指の一本一本に、力を込める。
ムーンライトの右手が、それに応えた。
指の隙間から漏れていた光が、一気にあふれ出した。
手のひら全体が、まばゆく輝く。
光は手首から腕へと走り、ムーンライトの右腕そのものが、燃えているように見えた。
ドモンは、腹の底から叫んだ。
「俺のこの手が光って唸る!! お前を倒せと、輝き叫ぶっ!! 必殺! シャイニングッ! フィンガァァァァッ!!!」
光の塊となった右手が、まっすぐに突き出された。
ギロスの頭を、正面からつかむ。
古い兜のような、その頭を、五本の指がわしづかみにした。
つかんだところから、光があふれた。
兜の飾りが、光の中でゆがむ。
装甲が、内側へ、内側へと潰れていく。
指が、深く、深く食い込んでいく。
港の前の広場が、真昼のように白く照らされた。
管制室の画面が、光でいっぱいになった。
モンドが思わず顔をそむけ、セラは、画面から目を離さなかった。
ムーンライトの指の奥で、何かが砕ける音がした。
ギロスの目から、光が消えた。
*
ギロスは、膝をついていた。
頭は、ひしゃげていた。
けれど、胴体には、傷一つなかった。
ドモンは、つかんでいた右手を離した。
槍の手首を押さえていた左手も、ゆっくりと放した。
しばらく、どちらも動かなかった。
「……なぜ、コクピットを狙わない?」
ザビーネの声が、通信に入った。
補助のカメラは、まだ生きていた。機体は、まだ動く。
それでも、ザビーネには分かっていた。
あの光る手は、胸にも届いていた。頭ではなく胸をつかんでいたら、自分はもう、ここにいなかった。
ドモンは、静かに答えた。
「それが、ガンダムファイトというものさ」
しばらく、返事はなかった。
「……ガンダムファイト?」
ドモンは、それ以上何も言わなかった。
ムーンライトは、ギロスに背を向けた。
家並みの方へ、ゆっくりと歩いていった。
やがて、ギロスの通信が、調査団の船へつながった。
「ザビーネより、全機へ。勝負は、ついた」
ザビーネの声には、もう乱れはなかった。
「約束どおり、引き揚げる」
◇
調査団の船の前で、ジレは、セラと向き合っていた。
「このたびは、こちらの若い者が、とんだご迷惑を」
ジレは、深く頭を下げた。
「ですが、あれは私の命令ではありません。ドレルの、独断でした」
セラは、ジレを見ていた。
「ええ。あなたが命じたのではないのでしょう」
ジレが、顔を上げた。
「ですが、あなたには、止められたはずです」
港の風が、二人のあいだを吹き抜けた。
ジレは、何も言わなかった。
しばらくセラを見ていた。
それから、もう一度だけ頭を下げて、船の中へ消えていった。
セラの手が、震えていた。
それに気づいたのは、隣に戻ってきた朱麗だけだった。
朱麗は、何も言わずに、その手を握った。
*
その夜、ドモンは、修理を待つムーンライトの操縦席にいた。
外では、イーノたちが、えぐられた左肩の装甲を見上げて、修理の段取りを話している。
港の灯りが、操縦席の小さな窓から差し込んでいた。
『師匠』
内側の朱麗が、ぽつりと言った。
――なんだ。
『セリフ、長すぎじゃないですか? 攻撃の前に、あれだけ喋るんですか?』
ドモンは、黙っていた。
――……忘れろと言ったはずだ。
『忘れられませんよ。あんなに大きな声で』
「……パスワードだ。仕方ないだろう」
思わず、声に出ていた。
「ソウダ! パスワードダカラ、シカタナイ!」
立体映像のハロが、耳をパタパタさせながら言った。
内側で、朱麗が小さく笑った気がした。
ドモンは、それ以上何も言わなかった。
*
調査団の船が、ムーン・ムーンから離れていく。
格納庫の奥で、ギロスが固定されていた。
頭は、ひしゃげたままだった。
ザビーネは、その前に立っていた。
あのガンダムの、光る手。
村を背にして、弾を受けた姿。
そして、あの言葉。
聞いたこともない言葉だった。
それなのに、耳から離れなかった。
「……ガンダムファイト、か」
(つづく)
第56話「ガンダムファイト」、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回ムーン・ムーンにやって来たのは、ブッホ・コンツェルンの技術調査団です。
『機動戦士ガンダムF91』をご存じの方は、ジレ・クリューガー、ザビーネ・シャル、ドレル・ロナという名前を見て、思わず身を乗り出されたかもしれません。F91の物語は宇宙世紀0123年。TRIANGLEの時代は、そのほんの少し前にあたります。まだ表に出る前の彼らが、どんな思惑で動いていたのか。そんな想像をふくらませて描きました。
「連邦に明け渡すか、我々の庇護を受けるか」
「どちらにも渡さない、と申し上げています」
54話では連邦の役人に、今回はブッホの団長に。セラは、どちらに対しても、ここで暮らす人たちの側に立ちました。条件を一枚ずつ確かめてから、静かに断る。女王として、また一歩強くなったセラを描けたと思います。
ザビーネは、交渉の場で朱麗にこう言いました。
「君ほどの力を、この小さなコロニーだけに埋もれさせるのは惜しい」
朱麗の答えは、「大きいか小さいかで、決めるものじゃない」。
相手の力を認めているのに、相手が大切にしているものは見えていない。二人の食い違いは、戦う前から始まっていました。
そして、ドレルの独断。
「ドレル様が出撃されました。制止しますか」
「……ザビーネには、不測の事態に備えるよう伝えろ」
止めろとも、攻めろとも言わない。止められたのに、止めなかった。ジレという男の怖さは、この一言に詰まっています。
「ファンネルかよ!」
ビーチャの叫びは、『機動戦士ガンダムΖΖ』でハマーンのファンネルと戦ってきた仲間だからこそ。正体は、細いワイヤーで操る砲でした。その糸に最初に気づいたのは、内側の朱麗です。
『師匠、糸が見えます』
村へ向いた砲口の前に、ムーンライトガンダムは自分から体を割り込ませました。
「……今のを、わざと受けたな」
「後ろに、人がいる」
この短いやりとりで、ザビーネは相手の見方を変えます。そして、撤退を懸けた一騎打ちへ。
ザビーネの乗るベルガ・ギロス先行試作型は、マシンガンとショット・ランサー、光る盾で、ドモンの拳を一度も届かせませんでした。ドモンの腕が劣るのではなく、近づくまでが難しい。コロニーの中で、村を背にして戦うからこそ、使える手は限られていました。
そこで、ついに。
「シャイニングフィンガーモード、ハツレイ!」
54話からずっと取っておいた、あの技です。
ハロが手段を教え、内側の朱麗が機会を捉え、ドモンが決める。
朱麗が感じた「穂先が離れる前の静けさ」は、54話の森の修行で、水滴が葉を離れる前に感じたものと同じでした。修行は、ちゃんと実を結んでいたのです。
そして、あの口上。
「俺のこの手が光って唸る!! お前を倒せと、輝き叫ぶっ!!」
『機動戦士Gガンダム』をご覧になっていた方なら、きっと一緒に叫んでくださったと信じています。
初めての一撃は、やはりこれでなければいけません。音声パスワードという、少し情けない理由つきではありますが。
「なぜコクピットを狙わない?」
「それが、ガンダムファイトというものさ」
「……ガンダムファイト?」
頭部を潰されたら負け。ドモンにとっては当たり前の決まりでも、宇宙世紀のザビーネには聞いたこともない言葉でした。命を取れたのに、取らなかった男。その言葉は、きっとザビーネの耳から離れないでしょう。
「ですが、あなたには、止められたはずです」
ドモンが拳で勝ち、セラが言葉で責任を問う。
そのあと、震えていたセラの手を、朱麗は黙って握りました。強く言い切ったセラにも、怖さはあったのです。
最後は、操縦席での小さな反省会。
『セリフ、長すぎじゃないですか?』
「……パスワードだ。仕方ないだろう」
「ソウダ! パスワードダカラ、シカタナイ!」
Gガンダムを見ていた頃、一度は思ったことを、朱麗が代わりに言ってくれました。
今回の一騎打ちは、構想の段階から、二人の共作者と一緒に何度も組み直しました。ザビーネの戦い方、シャイニングフィンガーまでの順番、決め手の一瞬。その積み重ねで、ようやくこの形になりました。楽しんでいただけていたら、これ以上の喜びはありません。
次回も、どうぞよろしくお願いいたします。