これまで修理屋として機械に触れてきたロロが、大規模なアナハイムの施設で何を見つけ、技術者たちとどのように向き合うのか。
戦いとは少し離れた、ロロ=レイの「技術屋」としての一歩を描いた回です。
第8話「月の技術屋」、お楽しみください。
窓の外に、青い星が浮かんでいた。
ロロは額を窓へ寄せた。
あのどこかに、朱麗がいる。
やがてシャトルが向きを変え、地球は窓の端へ隠れた。
代わりに、灰色の月面が近づいてくる。
クレーターの縁を越えた先に、幾つもの灯りが見えた。
グラナダ。
「着くぞ、嬢ちゃん」
「……うん」
ロロは膝の上の工具袋を抱き直した。
◇
到着通路へ踏み出した途端、足が浮いた。
「わっ!」
慌てて床を蹴ろうとした肩を、ジュドがつかむ。
「落ち着け。地球のつもりで歩くと、どこまでも跳ねるぞ」
「分かってるよ。ちょっと試しただけ」
「ほう。じゃあ、この手は離してもいいんだな?」
「……まだ駄目」
後ろでリィナが笑った。
ロロは手すりをつかみ、ようやく靴底を床へ戻した。
ゲートを抜けたところで、カミュが足を止める。
「俺たちは市街へ向かう」
「もう捜すの?」
「ああ。カガチがこの街にいるうちに、足取りをつかみたい」
ファが荷物を持ち直した。
「落ち着いたら連絡するわ。ロロさんも、アナハイムに着いたら知らせてね」
「うん」
リンが横から付け加える。
「機械ばっかり見て、ご飯を忘れないようにね」
「忘れないよ!」
「どうかなあ」
ジュドまで笑っている。
ロロは少し頬を膨らませた。
「じゃあ、また後でな」
カミュたち三人は、市街へ向かう人の流れに入っていった。
その背中を見送ってから、ロロはジュドを振り返る。
「僕たちは、こっち?」
「ああ。今度は足元を見ろよ」
◇
アナハイム・エレクトロニクス、グラナダの施設群。
構内車の窓を、大きな作業用の腕が横切った。
その先には、吊り上げられたモビルスーツの脚。
足首だけで、ロロのいた工房の入口ほどもある。
「ジュドさん、あれ!」
「見えてるよ」
「あんな大きいのに、全然揺れてない。どうやって止めてるんだろう」
ロロは窓の端まで顔を寄せた。
脚が遠ざかると、今度は反対側を向く。
装甲を外された胴体。並んだ工作機械。忙しく走る搬送車。
『ロロ、右! ロロ、左!』
「ハロ、待って。一つずつ!」
「お前が言うか」
ジュドが笑った。
車を降りた先で、白衣の男が手を上げていた。
「お待ちしていました」
「よう、レオナージ。相変わらず忙しそうだな」
「あなたが面白い話を持ち込むので、さらに忙しくなりそうですよ」
レオナージ・メドッソはロロへ向き直った。
「初めまして。ジェガンを直した方ですね」
「あ、うん。ロロです」
「よければ、どう直したか聞かせてもらえますか」
ロロは工具袋を抱えたまま話し始めた。
電源は来ていた。配線も切れてはいなかった。
ただ、交換された部品と、古い制御装置とで、動き始める順番が合っていなかった。
「新しい方が待ってるのに、古い方も待ってて。お互いに、先に動いてくれないかなって」
「起動の条件が食い違っていたんですね」
「うん。だから、そこをつなぎ直したんだ」
レオナージは頷き、手元の端末へ書き留めた。
「どちらも故障していない。だから部品の検査だけでは見つからない、と」
「そう。もったいないよね。まだ使えるのに」
「兄も、そういうことをよく言うんです」
ジュドが白衣の肩を軽く叩く。
「アストナージさんなら、捨てる前にもう一回見ろって言うだろうな」
「ええ。僕が図面とにらみ合っている間に、もう手を入れているような人でした」
レオナージは端末を閉じた。
「では、今度は僕たちが困っているものを見てもらいましょう」
通路の先で、建造ドックを見下ろす窓が開けた。
巨大な船体が横たわっている。
いくつもの開口部。その周りに群がる作業機械。
ロロは足を止めた。
「……あれ、艦橋は?」
「ここで造っているのは、一部なんです」
「一部で、あの大きさ?」
「大型の実験船です。まだ、全部はお見せできませんが」
奥へ通じる扉が開き、作業員が一人入っていった。
すぐに閉まる。
ロロの仮の入館証では、その扉は開かなかった。
「こちらです、ロロさん」
「あ、はい!」
ロロは小走りで追いついた。
◇
机の上に、焼けた金属の筒が置かれていた。
「触るな」
手を伸ばしかけたロロが止まる。
数式の並ぶ画面の前で、白衣の男が振り返った。
「縁が割れている。手を切るぞ」
「……あ、ほんとだ」
ロロは手袋をはめてから、筒を持ち上げた。
内側がひどく削れ、片側へ溶け落ちている。
「ロロさん。彼がカロッゾ・ロナです。こちらの設計を担当しています」
カロッゾは、ロロとジュドを順に見た。
「例の技術者とは、この子か」
「子供だけど、直せるものは直せるよ」
「それを今から確かめる」
カロッゾが画面を切り替えた。
筒の断面と、その中を通る光の筋が映る。
「試験砲の収束部だ。同じ出力を、もっと細い範囲へ集中させたい。だが、ここまで絞ると内側を焼く」
「それで溶けちゃったんだ」
「材質も冷却も変えた。今の構造で、どこまで耐えられるかは計算できている」
レオナージが隣の台を示した。
同じ試験装置が、もう一組用意されている。
「目標は、基準の半分の太さで十秒間。試験は三日目です。ロロさんも、別の方法を考えてみませんか」
「僕も使っていいの?」
「操作は担当者と一緒に。必要な部品は申請してください」
ロロは筒の内側を、もう一度のぞいた。
「この筒、なくせないのかな」
カロッゾの眉が動く。
「外しただけでは、ビームはまとまらん」
「うん。だから、別のもので囲めれば」
「何で?」
「……まだ分かんない」
ジュドが吹き出した。
カロッゾは笑わなかった。
「分かったら図にしろ。言葉だけでは試験できない」
「うん!」
ロロは近くの椅子を引いた。
工具袋を置き、紙を探す。
「今からか?」
ジュドが呆れたように言った。
「だって、三日しかないんでしょ?」
カロッゾはしばらくその手元を見てから、自分の画面へ向き直った。
◇
翌日、グラナダの市街。
宿の主人は、ファの示した写真を見て首を振った。
「その名前の方は、お泊めしていません」
「名前は違うかもしれないわ。顔を、もう一度見ていただける?」
主人の目が写真へ戻る。
今度は、すぐには離れなかった。
「……ショルティさんなら、二晩」
「いつ出た?」
カミュが尋ねる。
「三日目の朝です。車が迎えに来ました」
「どんな車?」
「黒い車です。窓が暗くて、中は見えませんでした」
リンが写真をのぞき込む。
「この人、自分で乗ったの?」
「ええ。迎えの者と何か話して、そのまま。ほっとしたように見えましたが」
カミュはファと目を合わせた。
「忘れ物はなかったか」
「ありません。部屋も、きれいなものでした」
宿を出ると、カミュは向かいの軒先を見上げた。
小さな監視カメラが、通りへ向いている。
「まず、あの店だ」
「車が映ってるかもしれないね」
「ああ。急ぐぞ」
◇
同じ頃、アナハイムの再利用部品置場。
「嬢ちゃん。こっちだ」
ジュドが、棚の奥から金属枠を引き出した。
古い配線が束になって垂れている。
「外側はひどいが、中まで焼けちゃいねえ。試験台に使えるぞ」
「ほんとだ。端子も残ってる!」
ロロはしゃがみ込み、枠の下へ顔を入れた。
その横を、リィナが台車を押してくる。
「持っていくものは、こっちへ。札を外しちゃ駄目よ。番号が分からなくなるから」
「はーい」
返事をしながら、ロロは別の棚を見ている。
ジュドがその襟をつまんだ。
「先に、これを出す」
「あ、そうだった」
昼を過ぎても、台車はいっぱいにならなかった。
気になるものを見つけるたびに、ロロがその場で調べ始めるからだった。
やがて、ロロの手が止まった。
重い箱の中に、輪を分割したような装置が並んでいる。
札には、古い試験番号と、用途が記されていた。
「Iフィールド発生器……」
「ビームを曲げるやつだな」
ジュドが肩越しに見る。
「これも試験用か。ずいぶん古いぞ」
ロロは端末で、その番号を呼び出した。
残されていた試験映像が動き出す。
短い光が、見えない何かに沿って曲がった。
ロロは映像を戻した。
もう一度。
そして、画面の光を指で囲む。
「どうした?」
「これ、借りたい」
「動くのか?」
「調べる。動くところだけでも、使えないかな」
ジュドが箱を持ち上げた。
「ほら、反対側を持て。腰を据えて見るなら、向こうに戻ってからだ」
◇
その夜。
宿舎へ戻ったロロは、食事の間も紙に輪を描いていた。
「ロロ。スープ、冷めるわよ」
「あ、ごめん」
リィナに言われ、ようやく匙を取る。
だが、食べ終わるとすぐに立ち上がった。
「ちょっと、試験棟に戻ってくる」
「今から?」
「寸法だけ。見たら帰る」
ジュドは呆れたように笑った。
「戻る前に連絡しろよ。迎えに行くからな」
「分かった!」
◇
試験棟の廊下に、軍服の男が立っていた。
ロロの足が止まる。
襟元まできちんと留めた制服。白いものの混じる髪。
目元を覆う黒いアイマスクの下で、口が固く結ばれていた。
男が、こちらへ顔を向ける。
「ここは関係者以外、立ち入り禁止のはずですが」
低い声だった。
ロロは思わず工具袋を抱え直した。
「あの……試験砲を、見に」
「許可は取っていますか?」
ロロは入館証を差し出した。
男は一瞥して、窓の向こうへ視線を戻す。
「レオナージ主任の関係者でしたか……」
「うん。課題を出されたから、寸法だけ見にきたんだ」
返事はなかった。
ロロは少し離れて窓へ近づいた。
中では、昼間外した収束部が台の上に置かれている。
端末の図面と見比べ、紙に線を引く。
「……何をしているのですか?」
「あ、この筒の代わりに、別のものをつけたいんだ」
「そうですか」
また、黙ってしまった。
怒ってはいないらしい。
それでも、隣に立っていると落ち着かなかった。
ロロは紙へ目を戻す。
「ビームを曲げられる装置があって。それを周りに置けば、筒に触らせずに通せると思うんだけど」
「ふむ」
「でも、同じ向きで並べるだけじゃ駄目なんだ。こっちへ押すと、反対側が押し返しちゃうから……」
話すうちに、紙の上の線が増えていく。
ロロは男の顔をうかがった。
男は試験砲を見たままだった。
「……ごめんなさい。うるさかった?」
「いいえ」
短い返事。
ロロは口を閉じた。
やがて男が、紙の端を指した。
「そこを外すと、支えがなくなりますよ」
「え?」
「筒を外すのでしょう。後ろの配管も、そこで留まっています」
ロロが図面を拡大する。
取付金具。その裏に通った、細い配管。
「あ、本当だ。これも動かさなきゃ」
男は、もう別の方を向いていた。
「先に確かめてみるといい」
「うん。ありがとう、おじさん」
言ってから、ロロは少し身を固くした。
男の顔がこちらを向く。
だが、何も言われなかった。
『ロロ、ジュドカラ通信!』
額のゴーグルから、ハロの声がした。
「あ、もうそんな時間?」
ロロは慌てて紙を畳んだ。
「僕、帰るね」
「ああ」
数歩進んでから振り返ったが、男は見送ってはいなかった。
それでもロロは小さく頭を下げ、廊下を戻っていった。
角を曲がる頃、背後で靴音がした。
「大佐。お待たせしました」
エイデン・クロウだった。
ブラッド・レイは頷き、窓から離れた。
「先ほどの子は?」
「技術者だそうです」
エイデンが、ロロの消えた廊下を見る。
「あの年で、ですか」
「レオナージ主任が入れたそうですよ。私に聞かれても困ります」
ブラッドは歩き始めた。
◇
翌朝、グラナダの市街。
ファは端末を机へ置いた。
映像の中で、黒い車が宿の前に止まる。
小さく映った男が乗り込んだ。
カミュが映像を止める。
「カガチだ」
「ここまでは、向かいの店が残していたわ」
「その先は?」
ファが別の画面を開く。
街の交通記録だった。
黒い車が進んだ時間帯だけ、映像が欠けている。
「点検中、だそうよ」
リンが椅子の背へ寄りかかった。
「都合のいい点検だね」
カミュは消えた時刻を手帳へ写した。
「故障か、誰かが消したか。まだ決めるな」
「でも、怪しいよ」
「ああ。だから調べる」
ファが上着を取る。
「映像のことを聞いて回れば、向こうにも気づかれるかもしれないわね」
「宿の主人にも、これ以上は話すなと伝えておこう」
カミュは手帳を閉じた。
「誰が迎えに来たのか。まずは、そこだ」
◇
約束の三日目。
試験棟の観覧室で、ハサン・ヴェイルは背筋を伸ばしていた。
膝の上には、まだ何も書かれていない手帳。
その隣へルチルが座る。
「早かったんですね」
「はい! 見逃したくなかったので!」
声が大きすぎた。
向こうの席でアークが振り返る。
ハサンは首をすくめた。
「……おはようございます、少尉」
「おはようございます」
ルチルが微笑む。
ハサンは手帳へ視線を落とした。
そのまま、同じ日付を二度書いてしまった。
「ここ、重複していますよ」
「あっ」
慌てて消そうとして、筆記具を落とす。
拾ってくれたのはルチルだった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
受け取る指先が触れ、ハサンの手が止まる。
「ハサン。試験が始まるぞ」
エイデンの声で、ようやく前を向いた。
アークは口元を緩めたが、何も言わずに資料を開いた。
◇
カロッゾの試験は、静かに始まった。
隔壁の向こうで、砲の先端が光る。
計測係が数値を読み上げた。
「基準の三分の二。十秒、安定しています」
「半分へ絞る」
光が細くなる。
画面の温度が、一気に上がった。
「二秒。停止」
カロッゾの指示で、光が消える。
装置は壊れていなかった。
「今の構造では、ここまでだ。これ以上続ければ、内側がもたない」
レオナージが記録へ目を通す。
「前回より、熱が偏っていませんね」
「流路を変えた。冷やせる部分は、すべて使っている」
ロロは画面をのぞき込んだ。
細い配管が、装置の周りを巡っている。
「……こんな所まで通してるんだ」
「通しただけではない。どこへ流し、どこから出すかで変わる」
カロッゾはロロへ向き直った。
「君の装置を見せてもらおう」
◇
ロロの試験砲からは、焼けた筒が外されていた。
代わりに、三つの発生器が砲口を囲んでいる。
古い金属枠へ取り付けられたそれらを見て、ジュドが頷いた。
夜遅くまでかけて、ロロとジュドが組み上げたものだった。
「うまく収まったな」
「ジュドさんの枠、ぴったりだったよ」
「寸法を測って選んだんだ。当然だろ」
ロロはゴーグルを下ろした。
操作卓へ手を置く。
「低い出力から、お願いします」
最初の光は、すぐにばらけた。
三つの発生器の間で揺れ、標的の手前へ散ってしまう。
ロロは記録を戻した。
「ハロ、ここ。三つ目だけ、少し遅らせて」
『調整スル!』
「なぜ遅らせる」
カロッゾが尋ねた。
「同時だと押し合っちゃう。前から順番に受け渡したいんだ」
ロロは画面を指でなぞった。
カロッゾは少し考え、計測係を見る。
「記録の間隔を細かくしろ。次は、ここを測る」
二度目。
細い光が、試験室の奥へ伸びた。
「径、目標値以内」
ロロの手が止まる。
「そのまま、出力を上げてください」
光が強まった。
それでも、太さは変わらない。
「三秒――」
警告音が鳴った。
「発生器の温度、上昇!」
「止めて!」
光が消えた。
記録は四秒を示している。
観覧室で、ジュドが身を乗り出した。
「通ったぞ」
ロロも頷いた。
だが、顔はまだ画面へ向いていた。
「筒は要らなくなった。でも、今度はこっちが熱くなるんだ……」
カロッゾが操作卓へ近づく。
「発生器を三つ使って、この間隔か」
「もっと離した方がいい?」
「いや。収束はできている。問題は、その裏だ」
指先が、発生器の取付部で止まる。
「ここへ熱が溜まっている。借りてきた時の冷却では足りん」
「うん。そこ、僕も困ってた」
「なぜ言わない」
「試してみないと、どのくらい熱くなるか分からなかったから」
カロッゾは記録をもう一度見た。
隣へ、自分の設計図を呼び出す。
「……この流路なら、使えるか」
ロロが顔を上げた。
「カロッゾさん。それ、つけられる?」
「そのままでは無理だ。取付部から造り直す」
「教えて。僕もやる」
カロッゾは、そこで初めてロロを見た。
「勝負はどうした」
「だって、あと六秒だよ」
ロロは画面と設計図を交互に指さす。
「僕の装置だけじゃ、まだ足りない。カロッゾさんの冷却と合わせてみたいんだ」
「私が勝つかもしれんぞ」
「うん。でも、どっちが勝つかより、ちゃんと動く方が面白いじゃん」
カロッゾは黙った。
レオナージが、二人の後ろへ来る。
「試験室は、午後も使えます。加工班も空けましょう」
「……話が早すぎませんか」
「必要でしょう?」
カロッゾは小さく息を吐き、白衣の袖をまくった。
「冷却部は私が決める。寸法を勝手に変えるな」
「分かった!」
◇
昼食は、作業机の端に置かれた。
リィナが持ってきたパンを、ジュドが二つに割る。
片方を差し出しても、ロロは気づかなかった。
「嬢ちゃん。口」
「え?」
「食え」
ロロはようやくパンを受け取った。
その向かいでは、カロッゾも図面を見たまま食べている。
「こっちにもいたか」
ジュドが呟く。
リィナは空いた包みをまとめながら笑った。
午後、造り直した取付部が届いた。
ジュドが枠を支え、ロロが位置を合わせる。
カロッゾは配管を一本ずつ確かめた。
「その管は曲げすぎだ」
「ここ、枠に当たるよ」
「枠の方をずらせ」
「ジュドさん、ちょっと右!」
「さっき左って言っただろ!」
文句を言いながらも、枠はぴたりと収まった。
◇
再試験の時刻になった。
アークは、観覧室へ戻ったハサンの手帳を見た。
午前中には白かった紙が、小さな図で埋まっている。
「何か分かったか」
「全部は、まだ。でも、二人とも相手の装置をよく見ていました」
「ほう」
「自分だったら、負けたくないと思って、手元のばかり見てしまいそうです」
アークが頷いた。
「それが見えたなら、今日は来た甲斐があったな」
ハサンは嬉しそうに手帳を閉じた。
隣でルチルが、自分の資料を少し寄せる。
「後で、分からなかったところを一緒に見ましょう」
「いいんですか?」
「ええ。私も、全部分かったわけではありませんから」
ハサンが笑った。
今度は、声は裏返らなかった。
ルチルも微笑み、試験室へ目を向ける。
◇
「冷却、正常」
『同期、完了!』
ロロが頷く。
カロッゾも、画面から手を離した。
「始めよう」
細い光が、標的へ届いた。
四秒。
午前中に上がった温度は、まだ低い。
五秒。六秒。
ロロは息を詰めた。
「八秒」
カロッゾの指が停止スイッチの近くへ動く。
だが、触れない。
「九秒――十秒。目標達成!」
「停止」
光が消えた。
冷却装置だけが、低い音を立てて動いている。
ロロは画面を確かめた。
太さ。出力。時間。
どれも、目標に届いていた。
「……できた」
カロッゾを見る。
彼はもう、次の記録を開いていた。
「ばらつきを調べる。もう一度、同じ条件で――」
「カロッゾさん!」
「何だ」
「できたよ!」
カロッゾの手が止まった。
そして、わずかに頷いた。
「ああ。見ている」
ロロが笑う。
観覧室の向こうで、ジュドが大きく親指を立てていた。
◇
廊下でレオナージに結果を尋ねていたブラッドは、報告を聞き終えると端末を返した。
「実機でも使えますか」
「まだ試験機での成功です。大型化と、繰り返し使った場合の確認が必要です」
「予定への影響は?」
「検証して、改めて報告します」
ブラッドは短く頷いた。
アークが隣で腕を組む。
「技術者たちは、随分と楽しそうだったな」
「そうですか」
ブラッドの返事は、それだけだった。
そこへ、工具袋を抱えたロロが出てきた。
ブラッドを見て、一瞬足が鈍る。
それから、思い切ったように近づいた。
「あの、おじさん」
レオナージが口を開きかけた。
ブラッドが先に応じる。
「何でしょう」
「十秒、できたよ」
「聞きましたよ」
「あの配管も、別の場所に留めたから。ちゃんと通った」
「そうですか」
会話が止まる。
ロロは工具袋の持ち手を握り直した。
「……じゃあ、僕、片づけてくるね」
「ええ」
通り過ぎかけた背中へ、声がかかった。
「次に外す時は、残った圧を抜いてからにしなさい」
ロロが振り返る。
「うん。それはカロッゾさんにも言われた」
「なら、忘れないように」
ロロは頷き、今度こそ歩いていった。
アークがブラッドを横目で見る。
「よく見ているじゃないか」
「配管の話です」
ブラッドはエイデンを伴い、廊下の奥へ進んだ。
レオナージはその背中を見送り、ロロのいる試験室へ戻っていった。
◇
ロロは外した発生器の前で、まだしゃがんでいた。
隣にはカロッゾがいる。
「ここ、もう少し小さくできないかな」
「まず今日の記録をまとめろ。次の話はそれからだ」
「でも、思いついちゃった」
「なら書いておけ。忘れる前に」
ロロが紙を探す。
カロッゾは自分の机から一枚取り、差し出した。
「ありがとう」
「私にも見せろ」
「うん!」
レオナージは二人のところへ来て、机の端に社員登録の書類を置いた。
「ロロさん。改めて、ここで働いてもらえませんか」
ロロの鉛筆が止まった。
「……僕が?」
「ええ。今回だけで終わらせるのは、惜しいと思っています」
「でも、知らないこともいっぱいあるよ」
「今日も、一つ覚えたでしょう」
ロロはカロッゾを見た。
彼は紙へ目を向けたまま言った。
「冷却だけではない。図面の書き方もだ」
「読めるでしょ?」
「君に聞かなければ分からん図面では、他の者が造れない」
「……それは、そうだね」
レオナージが笑う。
「覚えることも、試せることもあります。どうしますか」
ロロは書類を両手で受け取った。
「やる。ここで働きたい」
背後でジュドが、満足そうに頷いた。
◇
夜。
宿舎の机には、明日から使うノートが開かれていた。
ロロは最初のページに、三つの輪を描く。
その横へ、細い冷却管を書き足した。
窓の向こうには、灯りのともった施設が並んでいる。
地球は、ここからは見えなかった。
ロロは端末を開いた。
到着前に撮った、青い星の写真。
「朱麗」
小さく呼んでみる。
「僕、ここで働くことになったよ」
知らない機械があった。
難しいことを言う技術者がいた。
少し怖い、軍服のおじさんもいた。
話したいことが、もうたくさんある。
「今度会ったら、見せたいものができてるかも」
ロロは写真をしばらく眺めた。
やがて端末を机へ置き、開いたままのノートを手元へ寄せる。
もう一つだけ、描いておきたかった。
(つづく)
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
今回は、ロロがアナハイムの技術者たちと出会い、自分の発想を形にしていく物語でした。
新しい部品と古い部品がお互いに待ってしまうこと。力を同時に加えれば押し合ってしまうこと。そして、順番に受け渡せば一つの流れになること。
それは今回の試験装置だけでなく、ロロとカロッゾの関係にも重なるように描いています。どちらが勝つかではなく、それぞれの技術を合わせて、きちんと動くものを作る。技術者としてのロロらしさが表れた場面になりました。
レオナージ・メドッソは、グラナダ施設群の主任であり、現場の最高責任者です。亡き兄アストナージへの敬意を受け継ぎながら、ロロの才能を見いだし、新しい場所へ迎え入れる人物として登場しました。
そしてロロは、正式にアナハイムで働き始めます。
地球に残してきた朱麗への思いを胸に、月で何を学び、何を作り上げていくのか。次回もよろしくお願いいたします。