ラブライブ!スーパースター!! ~あの日の音の、その先で~ 作:かべたろ
鏡の前に立っているのは、見慣れているはずなのにどこか見慣れない私だった。髪型はいつもと同じだし、顔だって昨日までと何も変わっていない、それなのに真新しい結ヶ丘女子高等学校の制服を着ているだけで、鏡の中にいる自分が少しだけ別人のように見える。
「変じゃないっすよね?」
当然、鏡は答えてくれない。私は襟元へ手を伸ばし、さっき直したばかりのリボンをもう一度整え、一歩後ろへ下がって全身を確認した。
右を向く。
左を向く。
もう一度正面。
制服が届いた時にも袖を通したのだから、サイズがおかしいわけではない。それでも入学初日の朝ともなれば、普段なら気にもしないところまで気になってしまう。
「ちゃんと高校生に見える……っすよね?」
自分で聞いて、自分で少しおかしくなった。
制服を着ているのだから、高校生に見えない方がおかしい。
「だ、大丈夫っす」
胸の前で小さく拳を握り、自分へ言い聞かせる。
それでもなんとなく落ち着かず、ベッドの上に置いていたスマートフォンを手に取ると、鏡越しに一枚写真を撮った。
「……」
確認。
「顔、硬すぎるっす」
すぐ消した。これを北海道の家族に送ったら、入学初日から何かあったのかと心配されそうだ。一度大きく息を吸い、今度はなるべく自然になるように口元を緩めて、もう一度。
「よし」
さっきよりはいい。写真を保存して、あとで家族へ送ろうと思いながらスマートフォンを鞄へ入れる。
「スマホ、お財布、定期券。学校の案内もあるっす」
1つずつ確認。全部あるのを確認し、鞄を閉じる。
「大丈夫っす、大丈夫っす」
誰かに言われたわけでもないのに、朝から何回大丈夫と言っているんだろう。玄関へ向かい、靴を履き、鞄を肩へ掛ける。ドアノブへ手を伸ばしたところで、ふと動きが止まった。
振り返る。部屋の中には誰もいない。北海道にいた頃なら家を出る時に誰かの声が返ってきたけれど、今は当然何も返ってこない。ほんの少しだけ胸の奥が静かになる。
でも今日は、新しい学校へ行く日だ。寂しい顔をして出発するような日じゃない。
「それじゃ———」
一度笑ってから、ドアを開けた。
「いってきます!」
春の朝の光が玄関へ差し込んだ。
◇
結ヶ丘女子高等学校の校門前に立った瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。真新しい制服を着た新入生たち。その隣には保護者の姿もあり、校門の前で記念写真を撮っている人、すでに友達同士で話している人、緊張した顔で一人立っている人、その全部が一度に目へ入ってくる。
北海道にいた頃から写真では何度も見ていた結ヶ丘の校舎が、今はちゃんと目の前にある。
「——ここが、結ヶ丘」
思わず声が出た。今日から私はここへ通う。そう考えると、まだ何も始まっていないのに心臓だけが少し速くなる。
友達はできるだろうか。
授業は大丈夫だろうか。
東京の高校生活にちゃんと馴染めるだろうか。考え始めたら、いくらでも不安なことは出てくる。
「今日からここがきな子が通う学校なんすね」
自分で言ってみる。不思議だった。それまで写真の中にしかなかった場所が、一言口に出しただけでほんの少し身近になった気がした。
「よ、よしっ!」
小さく気合を入れ、新入生たちの流れに混ざって校門をくぐった。
それからは慌ただしかった。新入生への説明を聞き、担任から配られた資料を確認し、まだ名前も分からないクラスメイトたちに囲まれた教室で過ごしているうちに、時間は思っていたより早く進んでいった。
周りではすでに隣同士で話を始めている子もいる。私も誰かに声をかけようかなと思ってはみるものの、何を言えばいいのか思いつかない。
北海道から来たっす。
———いや、いきなりそれは変かもしれない。
よろしくっす。
———それだけで会話が終わったらどうしよう。
そんなことを考えているうちに結局タイミングを逃し、配られたプリントを必要以上に何度も読み返していた。
ようやく少し自由に校内を歩ける時間になり、私は教室を出た。朝は緊張していてほとんど目に入らなかったけれど、廊下には新入生向けの案内や部活動の募集ポスターがいくつも貼られ、生徒たちが行き交うたびにいろんな声が重なっている。
「えーっと……」
校内案内を見る。
右を見る。
左を見る。
もう一度案内を見る。
「……こっちっすかね?」
一歩踏み出そうとした。
「そっちじゃない」
「ひゃあっ!?」
背後から突然聞こえてきた声に、肩が大きく跳ねた。慌てて振り返る。
そこには同じ制服を着た女の子が立っていた。淡い色の髪は肩にかからないくらいの長さで綺麗に揃えられていて、前髪の隙間から覗く瞳はどこか眠たげにも見える。整った顔立ちをしているのに表情らしい表情はほとんど浮かんでおらず、こちらを見つめる視線も静かで、何を考えているのか少し読み取りづらい。
同じ制服を着ているから、たぶん同じ一年生。それなのに、慣れない東京と新しい学校に朝からずっと落ち着かない私とは正反対で、ずいぶん冷静そうな人に見えた。
私がものすごく驚いているのに、本人は特に気にしていないらしい。
「一年の教室なら、そっち」
「あ……そ、そうだったんすね!」
「ありがとうっす! 危うくまた違うところに行くところだったっす!」
「また?」
「い、いや、なんでもないっす!」
反射的に答えてから、数日前のことが頭をよぎった。東京の街で盛大に迷ったことを、会ったばかりの同級生にまで知られる必要はない。女の子はそれ以上聞いてこなかった。そのまま歩き出そうとする。
「……あの!」
思わず呼び止めた。
女の子が振り返る。
「?」
「あなたも、一年生っすか?」
「そう」
「じゃ、じゃあ、同じ新入生っすね!」
「うん」
「……」
「……」
会話が終わった。綺麗に終わった。
——えっ、次なんて言えばいいんすか?
私は笑顔を保ったまま必死に次の言葉を探したけれど、何も出てこない。女の子も特に続きを求めている様子はない。沈黙だけが伸びる。
「四季、何してんだ?」
そこへ別の声が飛んできた。
助かった、と思ってそちらを見る。
「……」
助かってないかもしれない。
歩いてきた女の子は、ちょっと———いや、かなり目つきが鋭かった。同じ一年生だろうか。
赤みのある髪は肩に届かないくらいの長さで、毛先が外へ跳ねるように広がっている。その髪の間から覗く目は少し吊り上がっていて、眉の形も相まって、黙ってこちらを見ているだけなのにどこか睨まれているような気がしてしまう。
背も私より高く、立ち姿にもどこか堂々とした雰囲気があって、怒っているわけではないのかもしれないけれど、初対面の私にはどうしても迫力があるように見えた。
さっき会った四季さん——?が何を考えているのか分からない静けさのある人だったのに対して、この人はまた別の意味で話しかけるのに勇気がいりそうな人だ。
目が合った瞬間、何か悪いことでもしてしまったような気分になって、思わず背筋が伸びた。
「……なんだよ」
「な、なんでもないっす!」
「絶対なんか思っただろ」
「メイ、怖がられてる」
「誰のせいだよ!?」
さっきの女の子———四季さんと呼ばれた少女が淡々と言う。目つきの鋭い子はすぐにそちらへ噛みついた。
「顔」
「顔は私のせいじゃねえだろ!」
「生まれつき」
「それフォローになってねえぞ!」
「……」
私は二人を交互に見る。なんだ。怖い人じゃないのかもしれない。
むしろ、ちょっと面白いと思えてしまう。気軽に話しかけられるかどうかは別として。
「この子、迷ってた」
「ま、迷ってないっす!」
「教室の場所がちょっと分からなかっただけっす!」
「それを迷ってるって言うんじゃねえの?」
「……」
まただ。
数日前にも、よく似たことを誰かに言われた。
『知らない街で適当に歩いたら、そりゃ迷いますよ』
カフェで笑っていた野山さんの顔が一瞬だけ頭に浮かぶ。
「……なんでどこに行っても同じこと言われるんすかね」
「なんか言ったか?」
「な、なんでもないっす!」
首を振る。目の前の女の子が怪訝そうに眉を寄せた。
「変なやつだな」
「メイも大概」
「四季、お前はさっきからなんなんだよ」
また始まった。
私はとうとう堪えられず、小さく笑った。
「あ、そうだ。きな子は桜小路きな子っていうっす!」
「米女メイだ」
「若菜四季」
二人の名前を頭の中で繰り返す。米女さんと、若菜さん。同じ一年生とはいえ、こうしてちゃんと話すのは今日が初めてで、名前を知っただけでもさっきよりほんの少しだけ距離が近くなったような気がした。
「米女さんと、若菜さんっすね。よろしくお願いします!」
「お、おう」
「よろしく」
勢いよく頭を下げると、米女さんが少し面食らったように目を瞬かせ、その隣で若菜さんは相変わらず表情をほとんど変えないまま小さく頷いた。
まだ二人がどんな人なのかは全然分からない。米女さんにはちょっと緊張するし、若菜さんは何を考えているのか読み取りづらい。
それでも、知らない人ばかりだった東京の学校で、こうして二人の名前を覚えられたことが、今の私には少しだけ嬉しかった。
向かう方向が同じだったこともあり、そのまま三人で廊下を歩く。
「あの......二人は、東京の人なんすか?」
「まあな」
「そう」
返事が返ってきたことに少しだけほっとする。
何を話せばいいのか分からなくて、さっきから頭の中では次の言葉を探してばかりいる。黙ってしまっても別におかしくはないはずなのに、せっかく話せた二人との会話をここで終わらせてしまうのも、なんだかもったいない気がした。
「き、きな子は北海道から来たっす」
「北海道?」
米女さんが少しだけ目を見開いた。さっきまでの鋭い印象がその瞬間だけほんの少し崩れて、それを見た私は、知らないうちに入っていた肩の力を僅かに抜く。
「はいっす。東京の学校に通うためにこっちへ出てきたっす」
「......遠いな」
「そ、そうっすね。電車とか飛行機とか......まだこっちの移動にも全然慣れてなくて」
「そりゃ、来たばっかなら仕方ねえだろ」
「そうっすかね」
「そうだろ」
米女さんの言い方はぶっきらぼうだったけれど、さっき感じたほど怖くはなかった。慰めようとしてくれたのか、それとも本当に思ったことを言っただけなのかは分からない。それでも、その一言のおかげで少しだけ話しやすくなった気がする。
隣を見ると、若菜さんは相変わらず静かな表情のまま歩いている。まだ何を考えているのかはよく分からないし、米女さんとだって普通に話せていると言えるほどではない。
それでも、朝には誰に話しかければいいのかすら分からなかった。知らない人ばかりの教室で、自分だけが取り残されたような気持ちになっていたことを思えば、今こうして二人の隣を歩いているだけでも少し不思議だった。緊張は、まだ消えていない。何か変なことを言ってしまわないかと気になるし、会話が途切れるたびに次は何を話せばいいのかと考えてしまう。
でも、少なくとも朝よりはほんの少しだけ、この学校でやっていけるかもしれないと思える。そんなことを考えながら歩いていると、ふと廊下の掲示板が目に入った。
「……?」
いろんな部活の新入部員募集チラシが並んでいる。
運動部。
文化部。
その中に、一枚だけなんとなく目を引くものがあった。
五人の女の子が写っている。
衣装を着て、笑っている。
———Liella!
スクールアイドル部 新入部員募集中。
「スクール……アイドル……?」
声に出した瞬間、何かが引っかかった。スクールアイドル。初めて聞いた言葉じゃない。
「———あ」
思い出した。
『名前くらいなら。スクールアイドルの子たちがいる学校ですよね』
数日前、Café Arbreで野山さんと話していた時だ。
「あ、野山さんが言ってたのって、これのことだったんすね」
小さく呟きながらチラシを見る。
グループ名も聞いた覚えがある。
『Liella!って聞いたことないです?』
あの時は何のことなのか全然分からなかった。学校に行けば分かると言われたけれど、本当に学校へ来たら見つけた。なんだか少しおかしくなった。
「野山さん?」
「えっ?」
米女さんの声に顔を上げる。
「誰だよ」
「えっと、この前知り合った人っす」
「へえ」
「カフェで働いてる人っす」
「ふーん?」
それ以上は特に聞かれなかった。少しだけほっとする。昔憧れていたピアニストかもしれない、なんて話をここでするのはさすがに長くなる。
「それより———」
もう一度チラシへ視線を戻す。
「スクールアイドルって、なんなんすか?」
「――は?」
隣から聞こえてきた米女さんの声が、一段低くなった。
「えっ」
振り返る。米女さんが信じられないものを見るような顔をしていた。
「き、きな子、何か変なこと聞いたっすか?」
「お前、スクールアイドル知らねえのか?」
「名前は聞いたことあるっすけど、詳しくは……」
「マジかよ……」
「知らない人もいる」
「それは分かってるけどよ」
「なら問題ない」
「そういう話じゃねえ!」
思わず肩をすくめると、米女さんは「あっ」とでも言いたげに口を閉じた。別に怒鳴られたわけでもないのに、もともとの鋭い目つきも相まって、まだ話し始めたばかりの私にはどうしても少し迫力がある。
けれど、不思議だった。
さっきまでの米女さんは、こちらから話しかければ答えてくれるものの、自分から会話を広げようとする様子はあまりなくて、どちらかといえばぶっきらぼうな人という印象だった。それなのに「スクールアイドル」という言葉が出た途端、声が一段大きくなって、少し前のめりになっている。
驚いたように見開かれた目も、さっきまで私が怖いと思っていたものとは少し違って見えた。怒っているというより、本気で信じられないものを見たような顔――そんな表現の方が近いのかもしれない。
一方、その隣を歩く若菜さんはというと、米女さんの変化など珍しくもないと言わんばかりに表情一つ変えず、淡々と言葉を返している。米女さんが声を荒らげても驚く様子すらなく、その温度差が余計に私を戸惑わせた。
さっき名前を知ったばかりの二人だから、当然まだどんな人なのかなんて分からない。それでも、若菜さんはずっと静かで、米女さんは思っていたより感情が顔や声に出る人なのかもしれない——ほんの少しだけ、そんなことが見えてきた気がする。
——それにしても。
スクールアイドルを詳しく知らないというだけで、こんなに驚かれるものなんすかね。
北海道にいた頃も名前くらいは聞いたことがあったし、学校で活動している女の子たちがいることも何となく知っている。でも、自分から調べたり、ライブを見たりしたことまではなかった。
だから私にとっては、それほど身近なものではない。けれど米女さんにとっては、どうやらそうでもないらしい。そんなに重要なことなのだろうかと、私は少し首を傾げた。
「そんなに有名なんすか?」
「まあ、簡単に言えば学校で活動してる高校生のアイドルだよ」
「高校生がアイドルするんすか?」
「歌ったり踊ったり、ライブしたりな。それにラブライブ!っていう大会もある」
「大会まであるんすか!?」
「ある」
「へぇ〜……すごいっすねぇ」
素直に感心した。高校生が学校へ通いながらアイドル活動をして、しかも大会まである。北海道にいた頃の私は全然知らなかった世界だ。東京には本当に知らないものがいっぱいある。
「でも、スクールアイドルの良さってのはそれだけじゃねえんだよ」
「?」
米女さんがチラシへ一歩近づいた。さっきまでのぶっきらぼうな雰囲気が少し変わる。
「スクールアイドルっていうのは、学校で活動してるアイドルのことだ。プロのアイドルとは違って、基本的には普通の高校生が自分たちで曲を決めたり、衣装を考えたり、練習したりしてステージに立つ」
「へえ」
「もちろん学校によって活動の仕方は違うけどな。歌もダンスも最初からできる奴ばっかじゃねえし、設備だって環境だってそれぞれ違う。それでも、自分たちでできることを考えて、一つのステージを作っていくんだ」
「自分たちで......」
「そうだ。それに、スクールアイドルでいられる時間には限りがある」
米女さんの声が、少しだけ変わった。最初は私が知らないから説明してくれていただけだったはずなのに、いつの間にか言葉に熱がこもっている。さっきまでポケットに入れていた手まで外へ出て、話に合わせるように小さく動き始めていた。
「高校生活なんて三年間しかねえだろ。入った時期によっては、もっと短い。卒業したら同じメンバーで同じ学校のスクールアイドルとして活動することはできなくなる。どれだけ人気が出ても、どれだけすげえステージができても、その時間がずっと続くわけじゃねえ」
「......」
「だからいいんだよ」
米女さんは迷うことなく言った。
鋭く見えていた目が、今はどこか違って見える。私を睨んでいるわけでも、何かに苛立っているわけでもない。その目は私よりずっと先にある、ここにはない何かを見ているようだった。
「普通の高校生が、限られた時間の中で仲間と一緒にステージに立つ。最初は歌えなかった奴が歌えるようになったり、踊れなかった奴が必死に練習して踊れるようになったりしてさ。それまで全然違うところにいた奴らが、一つの目標に向かって一緒に走って、一つのステージを作るんだ」
「......すごいっすね」
「だろ? それにライブだけじゃねえ。そこまでに何があったのかも全部ひっくるめてスクールアイドルなんだよ。上手くいかなくてぶつかることだってあるし、負けることだってある。それでもまた立ち上がって、次のステージに向かっていく。そういうのを見てると———」
そこで一度言葉を切った米女さんは、もう完全に私へ説明している時の顔ではなかった。胸の前まで上がった手を握り、さっきまでよりさらに身を乗り出す。
「しかもラブライブ!みたいな大会になれば、全国からスクールアイドルが集まるんだぞ。みんな同じ高校生なのに、学校も違えば目指してるものも違う。その中で自分たちにしかできないステージをぶつけ合うんだ。そこでしか生まれない曲があって、そこでしか見られない景色があって、それを仲間と一緒に———」
「メイ」
「なんだよ」
「熱い」
「......」
ぴたりと、米女さんの言葉が止まった。
さっきまで勢いよく動いていた手も、何かを力説するように胸の前まで持ち上げられたまま固まっている。ほんの数秒前まであれだけ熱のこもっていた表情も動かなくなり、若菜さんの方へ顔だけをゆっくり向けた。
若菜さんはそんな米女さんの横顔をじっと見ている。表情は相変わらずほとんど変わっていない。からかっているようにも見えないし、呆れているようにも見えない。ただ思ったことをそのまま口にしただけ——たぶん、本当にそれだけなんだと思う。
私も、つられるように米女さんを見る。
「好きなの、恥ずかしいんすか?」
「だからそういうんじゃねえ!」
分からない。さっきまであんなに楽しそうに喋っていたのに。でも、きっとかなり好きなんだと思う。そうじゃなかったらあんなに話せない。
これ以上言ったら本気で怒られそうなので、私はチラシへ視線を戻した。
「じゃあ、この人たちもスクールアイドルなんすよね?」
「……おう」
「Liella!」
「リエラ……」
若菜さんが教えてくれた名前を小さく繰り返す。
野山さんから聞いた時は何も分からなかったけれど、ようやく名前と顔が繋がった。
「有名なんすか?」
「まあ、それなりに」
「嘘」
「四季」
「メイ、Liella!大好き」
「余計なこと言うな!」
「そんなにすごいんすか?」
私が尋ねると、米女さんは今度はすぐに答えなかった。
一度チラシを見る。
恥ずかしそうにしていたさっきまでとは少し違う表情だった。
「……すげえよ」
「ステージで見たら、もっと分かる」
小さな声。
でも、その一言だけは妙に真っ直ぐだった。
「そうなんすね」
本当に好きなんだ。
さっきまで必死に否定していたけれど、あれだけ夢中になって話している姿を見れば私にだって分かる。最初は少し怖いと思っていた米女さんも、スクールアイドルのことを話している時だけはどこか楽しそうで、さっきまでとは別の人みたいに見えた。
少しだけ羨ましいと思った。
ここまで夢中になれるものがあるのは、なんだかいい。私にもそんなものがあるだろうかと考えてみたけれど、すぐには何も浮かばなかった。
私は改めて手元のチラシを見る。
そこには五人の女の子が楽しそうに笑っている。さっき米女さんの話を聞いたせいか、最初に見た時よりも少しだけ気になった。
スクールアイドル。
Liella!。
どんな人たちで、どんなステージを見せるんだろう。
ほんの少しだけ興味を覚えながら、私は何気なく廊下へ目をやった。
ちょうどその時、少し離れたところから数人の上級生らしい女の子たちがこちらへ歩いてくるのが見えた。楽しそうに話しながら並んで歩く姿を何気なく眺めて——ふと、引っかかる。
「……?」
どこかで見たような気がする。ついさっき。しかも、かなり近くで。
廊下の向こうから歩いてくる二人を目で追いながら、私は眉を寄せた。二人とも同じ結ヶ丘の制服を着ている。楽しそうに何か話していて、時々片方の子の笑う声がここまで聞こえてくる。
知らない人のはずなのに、どうしてこんなに引っかかるんだろう。
私は手元へ視線を落とした。
チラシ。
そこに並ぶ五人の顔を見る。
もう一度、廊下を見る。
チラシ。
廊下。
「……え?」
似ている。
ものすごく似ている。
髪型も、顔も——いや、間違いない。
チラシの中でステージ衣装を着て笑っている五人。そのうちの二人が、今は制服姿で廊下の向こうから歩いてきている。
写真だった人が動いている。
なんだか変な感じがした。
「米女さん」
「今度はなんだよ」
「あの人たち……この写真の人たちじゃないっすか?」
「はぁ?」
米女さんが面倒そうに振り返る。
そして、廊下の向こうへ目を向けた瞬間。
「———ッ!?」
固まった。
本当に、ぴたりと。
さっきまで普通に喋っていた口が半端に開いたまま止まり、目だけが一気に見開かれる。手元のチラシと近づいてくる二人を見比べることすらせず、ただ一点を凝視していた。
さっきまであれだけスクールアイドルについて熱く語っていた人と同じとは思えない。
「……米女さん?」
試しに呼んでみる。
返事がない。瞬きすらしているのか怪しい。その隣で若菜さんだけが、いつもと変わらない顔で米女さんを見ていた。米女さんの異変に驚くでもなく、ただ事実を確認するみたいに廊下の二人へ視線を向ける。
「本人」
「ほ、本物っすか!?」
「し、四季! 桜小路! 声でけえ!」
ようやく動いたと思ったら、米女さんがものすごい勢いでこちらを振り返った。
でも、もう遅かった。
「あれ?」
少し離れたところから声が聞こえた。
びくっと肩が跳ねる。
声に気づいたのか、二人のうち一人がこちらを見ている。
目が合った。
「……っ」
反射的に背筋が伸びる。
別に悪いことをしていたわけじゃない。それなのに、見つかってしまったような気分になった。
その隣を歩いていた女の子も足を止める。
「どうしたの、かのんちゃん?」
「いや、あの子たち……」
二人の視線が、揃って私の手元へ落ちた。
Liella!の五人が大きく写ったチラシ。
「あ、それ!」
今度は隣の女の子が声を上げる。
「私たちのチラシじゃん!」
「えっ」
私たち。
その一言で、本当に本人なんだとようやく頭が理解した。
突然二人から注目され、私はチラシを持ったまま動けなくなる。隠した方がいいのか、そのままでいいのかすら分からない。意味もなく両手でチラシの端を握り直す。
……もしかして、こっちに来るっすか?
そう思った時には、二人はこちらへ歩き始めていた。
近づいてくる。
一歩。また一歩。
なんだろう、ものすごく緊張する。
ついさっきまで紙の中にいた人たちが、同じ制服を着て、私たちの方へ歩いてくる。足音が近づくたびに、なぜか身体まで硬くなっていく。
米女さんからあれだけ話を聞いたせいもあるのかもしれない。ほんの少し前まで名前すら知らなかったのに、米女さんがあまりにも熱く語るものだから、いつの間にか私の中でも「なんだかすごい人たち」という印象が出来上がっていた。
「それ、Liella!のチラシだよね?」
目の前まで来た女の子が、私の持っている紙を指差した。
「は、はいっす!」
「もしかして、スクールアイドルに興味あるの?」
「えっ!? いや、これは———」
どう説明しよう。
興味があるというか、米女さんから渡されて、話を聞いていただけというか。
言葉を探しているうちに、隣の女の子がくすっと笑った。
「かのんちゃん、いきなり聞いたらびっくりしちゃうよ」
「あ……ご、ごめん!」
「だ、大丈夫っす!」
反射的に答えた。
全然大丈夫じゃなかった。
胸の奥がまだばくばくしている。
突然声を掛けられたこともそうだけど、ついさっきまでチラシで見ていた本人たちが目の前にいるという状況に、まだ頭が追いついていない。
米女さんからあれだけ熱く話を聞いた直後だったから、もっと遠い世界の人たちみたいなものを想像していた。
――スクールアイドル。
ステージに立って、大勢の人の前で歌って踊る人。そう聞けば、私みたいな普通の高校生とは全然違う人たちに思える。でも、目の前の二人は違った。
私を驚かせたと思えば慌てて謝ってくれるし、その隣では友達がそんな様子を見て楽しそうに笑っている。
制服だって私と同じ。声も普通に聞こえる。笑った時の表情だって、学校ですれ違う上級生と何も変わらない。スクールアイドルって、本当に普通の高校生なんだ。
米女さんが話していたことを、ほんの少しだけ実感した気がした。
「……あれ?」
そこで、ふと気づいた。何かが足りない。というより、人が一人足りない。さっきまで隣にいたはずの米女さんがいない。
右を見る。
若菜さんはいる。いつもと変わらない顔で立っている。
じゃあ反対は、と左を見る。
「……いないっす」
ほんの少し前まであんなにスクールアイドルについて熱く語っていたのに、一体いつの間に。
「米女さんは?」
小声で尋ねると、若菜さんは何も言わずに片手を上げた。
すっと伸びた指が、少し離れた柱を指す。
その先へ目を向ける。
「……」
いた。
柱の陰に。しかも、こっちの様子を窺うように顔だけ少し出している。
目が合った瞬間、ほんの少し顔を引っ込めた。
――さっきまでの勢いはどこへ行ったんすか。
「米女さん、何してるんすか?」
「な、何もしてねえ!」
「隠れてる」
「隠れてねえ!」
若菜さんが淡々と指摘すると、米女さんが間髪入れずに否定する。
いや、隠れてるっす。
身体の半分以上、柱の向こうっす。
むしろ、それで隠れていないと言い張る方が無理がある。
ついさっきまでスクールアイドルの魅力をあんなに堂々と語っていた人と、本当に同じ人なんすかね……。
あの時は頼んでもいないのにどんどん説明してくれたのに。
「あの子も新入生?」
後ろから声を掛けられた瞬間。
「……!」
米女さんの肩が大きく跳ねた。
分かりやすい。
「あ、米女さんは皆さんのことすっごく詳しいんすよ!」
「桜小路ぃ!!」
突然ものすごい声で名前を呼ばれた。
「ひゃっ!?」
廊下に声が響く。
思わず肩を竦めると、二人の先輩が目を丸くした。そのあと、隣にいた方の先輩が少し面白そうに笑う。
「へぇー! じゃあ、私たちのこと応援してくれてるんだ?」
「ち、違う!」
「ファン」
「四季!」
「さっき熱く語ってたっす!」
「桜小路まで!!」
米女さんの顔がみるみる赤くなっていく。
頬だけじゃない。耳まで真っ赤だった。
さっきまで柱の陰に隠れていたのが嘘みたいな勢いで私たちへ振り返っている。
なんだか可哀想な気もするけれど、嘘は言っていない。
むしろ、あれだけ熱く語っておいてファンじゃないと言い張る方が無理がある。
「あははっ、ありがとう、応援してくれてるんだね」
最初に声を掛けてくれた女の子が、嬉しそうに笑った。少しくせのある明るい髪が、首を傾ける動きに合わせてふわりと揺れる。チラシの中でも真ん中に写っていた子だ。さっきまで米女さんがあれだけ騒いでいた相手なのに、その笑顔には気取ったところなんて少しもなくて、本当にただ、応援してもらえたことが嬉しいみたいだった。
「……っ」
すると、さっきまで必死に否定していた米女さんの勢いが嘘みたいに消えた。
肩が僅かに縮こまり、視線がふらふらと宙を彷徨う。
一瞬だけ目の前の先輩へ向いたかと思えば、すぐに逸らされ、最後には足元へ落ちた。
「べ、別に」
声、小さっ。
思わず耳を疑った。
さっきまでスクールアイドルについてあんなに堂々と語っていた人と同じとは思えない。
あの時は身振りまで交えて止まらなくなっていたのに、本人たちを前にした途端、借りてきた猫みたいに大人しくなってしまった。
私は思わず米女さんの横顔をじっと見てしまう。
頬にはまだ赤みが残っている。
先輩たちと目を合わせようともしない。
でも、時々ちらっと二人の方を見ている。
そして目が合いそうになると、すぐ逸らす。
好きな人を実際に目の前にすると、こんなに何も言えなくなるものなんすかね……。
少なくとも、米女さんがスクールアイドルを本当に好きだということだけは、もう疑いようがなかった。
「そういえば、まだ名前聞いてなかったね」
「……え?」
不意に声を掛けられ、米女さんへ向いていた意識がこちらへ戻る。
顔を上げると、最初に話しかけてくれた女の子が私を見ていた。柔らかく笑いながら、こちらの返事を待っている。
その隣では、もう一人の女の子がまだ少しおかしそうに笑っていた。柱の陰に隠れたり、急に大声を出したり、かと思えば今度は俯いて黙り込んだり。そんな米女さんの一連の様子が、どうやらすっかりツボに入ってしまったらしい。口元に手を添えながら、時折肩を小さく揺らしている。
米女さんはそんな視線に気づいているのかいないのか、相変わらず顔を赤くしたままそっぽを向いていた。
そういえば、まだお互いに名乗ってすらいなかった。突然本人たちが現れて、声を掛けられて、米女さんが柱に隠れて——いろいろありすぎて、すっかり忘れていた。
「あっ……!」
私は慌てて姿勢を正した。
相手はさっきまでチラシで見ていたLiella!の人。
そう思った瞬間、少しだけ解けたはずの緊張がまた戻ってくる。
ちゃんと名乗らないと。
「き、きな子は桜小路きな子っす!」
勢いよく頭を下げる。
「……っ」
ちょっと勢いをつけすぎた。
自分でも分かるくらい深く頭を下げてしまった。
視界いっぱいに床が映る。
恥ずかしくなって、慌てて顔を上げる。
「あ、私は澁谷かのん。よろしくね、桜小路さん」
「私は嵐千砂都。よろしくね!」
「よ、よろしくお願いしますっす!」
改めて二人を見る。
澁谷かのん先輩。
嵐千砂都先輩。
チラシに載っていたLiella!のメンバー。
名前を知ったことで、さっきまで「チラシに載っている人」だった二人が、急にちゃんとした一人の先輩になったような気がした。そう思うとやっぱり少し緊張する。
けれど、二人と話しているうちに、最初に感じていた近寄りがたさは少しずつ消えていった。
嵐先輩はよく笑う人だった。私がまだ緊張しているのに気づいたのか、時々こちらへ話を振ってくれる。その声も表情も柔らかくて、気づけば私も普通に返事をできるようになっていた。
澁谷先輩も話しやすい。私たちが一年生だからといって変に構えることもなく、まるで前から知っていた後輩みたいに自然に話してくれる。
すごい人たち。
米女さんから聞いた時は、そんな人たちなら話しかけるのも怖いんじゃないかと思っていた。
でも———。
「なんだか、思ってたより普通なんすね」
「え?」
「……」
言ってから、自分の口から出た言葉を頭の中でもう一度繰り返す。
——思ってたより、普通。
あれ。
これ、もしかしなくても失礼なんじゃ。
恐る恐る顔を上げると、二人の視線が揃ってこちらへ向いていた。澁谷先輩はきょとんと目を丸くしていて、嵐先輩は一瞬瞬きをしたあと、どこかおかしそうに口元を緩めている。背中にじわっと嫌な汗が滲んだ。
「ひゃっ!? ち、違うっす! 悪い意味じゃなくて!」
慌てて両手を振る。
違う。
そういう意味じゃない。
「米女さんが皆さんのことすごいって言ってたから、もっとこう、話しかけるのも恐れ多いような人たちなのかと」
「だからなんで私を巻き込むんだよ!」
少し離れたところから米女さんの声が飛んでくる。澁谷先輩が思わず吹き出し、嵐先輩も楽しそうに肩を揺らした。どうやら怒らせたわけではないらしい。ほっと息を吐く。
「私たちも普通の高校生だよ」
「……そうなんすね」
改めて二人を見る。
チラシの中では、もっと遠い存在に見えていた。でも、こうして目の前で笑っている二人は、思っていたよりずっと身近に感じる。
さっきまでよく分からなかった『スクールアイドル』というものが、ほんの少しだけ自分のいる場所へ近づいてきた気がした。
「ねえ、桜小路さん」
「え?」
「もし時間があるなら、部室見ていかない?」
「部室……っすか?」
「うん。せっかくチラシも持ってくれてるし、スクールアイドルにちょっとでも興味があるなら」
興味。
そう言われると、少し困る。
私は手元のチラシへ視線を落とした。スクールアイドルというものを知ったのは、ついさっき。
自分がやってみたいなんて、もちろん考えていない。
というより、そんな発想自体がなかった。
ただ———。
『ステージで見たら、もっと分かる』
米女さんの言葉を思い出した。
あれだけ夢中になって話していた米女さん。目の前にいる二人。
そして、このチラシの中で笑っている五人。
どんなものなのか少しくらい見てみたい。
そんな気持ちは、確かにあった。
「じゃあ……ちょっとだけなら」
「ほんと? じゃあ行こっか!」
澁谷先輩が嬉しそうに笑った。
その笑顔につられて、私の肩からも少し力が抜ける。
「米女さんたちも行くっすか?」
「私は別に興味ねえけど」
即答だった。
「行きたい顔」
「してねえ!」
若菜さんに言われて、米女さんが勢いよくそっぽを向く。
でも。帰ろうとはしなかった。
◇
「ここが、スクールアイドル部なんすね」
部室へ足を踏み入れ、私は物珍しさにつられるまま、ゆっくりと辺りを見回した。
窓から差し込む午後の光が机の上まで伸びている。壁にはステージで撮られたらしい写真が何枚も飾られ、ホワイトボードには練習の予定らしい文字がびっしりと並んでいた。棚に置かれているのも、タオルや文房具、それから用途のよく分からない練習道具らしきもの。
スクールアイドル部、と聞いていたからだろうか。扉の向こうには、もっと華やかな場所が待っているような気がしていた。
けれど実際に入ってみれば、目に入るのは誰かがここで話したり、予定を立てたり、毎日を過ごしたりしている跡ばかりだった。
ステージの上で見せる華やかさとは違う、ちゃんとした『部活の場所』なんだ。
「……普通っすね」
ぽろっと声が出た。
「思ってたより?」
「ひゃっ!?」
すぐ後ろから声がして振り返る。
嵐先輩が楽しそうに笑っていた。
「く、口に出てたっすか?」
「ちょっとだけ」
人差し指と親指で、本当に少しだけというような隙間を作って見せる。恥ずかしい。さっき廊下でも似たようなことを口にしてしまったばかりなのに。
「普段はここで何してるんすか?」
誤魔化すように尋ねながら、私はもう一度部屋の中を見る。
「みんなでライブのことを考えたり、練習の予定を決めたりかな。実際の練習は外ですることも多いけどね」
「歌の練習もするし、ダンスもするよ」
「学校が終わってから、そんなにいろいろやってるんすね」
学校の授業を受けて。
放課後になったら歌って、踊って。
ライブが近づけば、もっと忙しくなるんだろう。
私なら、それだけでへとへとになってしまいそうだ。
「うん。大変な時もあるけど」
澁谷先輩はそこで一度言葉を切った。何かを思い出すように少しだけ視線を上げる。
それから、当たり前のことを言うみたいに笑った。
「楽しいよ」
「楽しい……」
小さく繰り返す。
大変なこともある。それでも、楽しい。澁谷先輩はそれを特別なことみたいに語るでもなく、ごく自然に笑っていた。
だからなのか、その一言だけが妙に心に残った。どうしてそこまで楽しいと思えるのか、今の私にはまだよく分からない。けれど、その笑顔を見ていると、少しだけその理由を知ってみたいような気がした。
「あ、そうだ」
澁谷先輩が何かを思いついたように手を叩く。
「せっかくだからライブの映像、見る?」
「ライブっすか?」
「うん。私たちがどんなことしてるか、見てもらった方が分かりやすいと思う」
そう言いながら、かのん先輩がスマートフォンを取り出す。
何度か画面を操作してから机の上へ置いた。
私と嵐先輩がその周りへ寄る。
そして私の隣には——。
「……」
いつの間にか米女さんがいた。
「……米女さん」
「なんだよ」
「さっき興味ないって」
「うるせえ」
ものすごく低い声で返された。
でも目はもうスマートフォンに向いている。
言わない方がよさそうだ。
映像が始まっる。
「……」
最初の音が鳴った瞬間、画面いっぱいに眩しい光が広がった。
その中心に立っていたのは、ついさっきまで私と同じ廊下を歩き、目の前で笑っ澁谷先輩と嵐先輩だった。その隣にはまだ会ったことのない三人が並び、五人揃ってステージの上に立っている。
歌が始まると同時に、五人の身体が音楽に合わせて動き出す。広いステージいっぱいに散らばったかと思えば、次の瞬間には吸い寄せられるように集まり、ぴたりと動きを揃える。そこからまた軽やかに駆け出して、客席へ向かって手を伸ばすたび、画面の向こうから大きな歓声が返ってきた。
私は何も言えないまま、その光景を見つめていた。
同じ人のはずだった。
制服を着て普通に話して、私の失言を聞いて笑っていた二人。それなのに、ステージの上で歌い、踊りながら笑顔を向ける姿は、ほんの少し前まで目の前にいた二人とはまるで違って見える。
眩しいのは、きっと照明のせいだけじゃない。
そう思ってしまうくらい、画面の中の五人から目が離せなかった。
「……すごい」
自分でも気づかないうちに、小さく声が漏れていた。
ダンスがどうとか、歌がどうとか。
そんな詳しいことは私には分からない。
どこが上手で、何が難しいのかも知らない。
——―でも
目が離せなかった。
ステージの上にいる五人は、本当に楽しそうに歌っていた。誰かにそう見せようとしているのではなく、自分たちがこの瞬間を心から楽しんでいて、その気持ちが笑顔や声や身体の動きから溢れているように見える。画面越しに見ているだけの私にまで、その楽しさが伝わってくるような気がした。
そこで、ふと米女さんの言葉を思い出す。
『ステージで見たら、もっと分かる』
あの時は何が分かるのかなんて、全然想像できなかった。
でも今なら、ほんの少しだけ分かる気がする。気づけば私は身体を前へ傾け、小さな画面を覗き込んでいた。もっと近づいたところで画面が大きくなるわけでもないのに、五人の表情も動きも、一つだって見逃したくないみたいに自然と顔が近づいていく。
楽しそうだと思った。
すごいとも思った。
それでも、どちらも今見ているものを言い表すには少し違う気がして、頭の中でいくつか言葉を探してみる。
そして最後に残ったのは、ひどく単純な言葉だった。
———キラキラしてる。
眩しい照明を浴びているからでも、綺麗な衣装を着ているからでもない。
じゃあ何がそう見せているのかと聞かれても、今の私には上手く説明できない。それでも、楽しそうに歌って踊る五人を見ていると、その言葉が一番しっくりきた。
理由なんて分からないまま、私はもう一度、画面の中の五人へ視線を戻した。
「メイ、近い」
「うるせえ」
若菜さんの声で少しだけ我に返る。
横を見る。
「……」
米女さんは私よりさらに画面へ近づいていた。
肘を机について、食い入るように映像を見ている。
さっきまで柱の陰に隠れていた人とは思えないくらい真剣な顔だった。
「……やっぱり好きなんすね」
「聞こえてんぞ」
ぎろっと睨まれた。
「ひっ」
でも、よく見ると米女さんの頬はほんのり赤くなっている。
やっぱり好きなんじゃないっすか、と思ったけれど、これ以上言えばまた睨まれそうだったので、笑いそうになるのを堪えながら画面へ視線を戻した。
曲はそのまま最後の盛り上がりへ入っていき、五人の動きがぴたりと揃ったところで音楽が止まる。ステージいっぱいに響く大きな歓声に包まれながら五人が最後のポーズを決め、そこで映像は終わった。
ついさっきまで歌と歓声で満たされていたせいか、音が途切れた途端、部室が急に静かになったように感じた。
「……」
それでも私は、しばらく画面を見ていた。
終わったはずなのに、頭の中にはまださっきの音が残っている。
ステージの光も。
五人の笑顔も。
「どうだった?」
「……っ」
澁谷先輩の声で我に返る。
顔を上げると、澁谷先輩と嵐先輩がこちらを見ていた。
少しだけ緊張したようにも見える。
自分たちの映像を目の前で見られるのって、意外と恥ずかしいのかもしれない。
「す、すごかったっす」
考えるより先に、言葉が出た。
「さっきまで普通に話してたお二人が、ステージだと全然違って見えたっす」
「そう?」
澁谷先輩が少し照れたように頬を掻く。
その仕草を見れば、やっぱりさっきまで話していた普通の先輩なのに。
「なんというか、キラキラしてたっす」
他に言い方が見つからなかった。
「だろ」
小さな声が聞こえた。
「え?」
横を見る。
米女さんだった。
「米女さん?」
「なんでもねえ!」
米女さんは誤魔化すようにすぐ顔を背けたけれど、その横顔はどこか得意そうにも見えた。自分が褒められたわけでもないのに、私がLiella!を褒めたことが嬉しいらしい。
さっきまで必死にファンじゃないと言い張っていたことを思い出すと、その分かりやすさがおかしくて、思わず小さく笑ってしまう。
それからもう一度、さっき見た映像を頭の中で思い返した。眩しい光に包まれたステージと、そこを埋め尽くすたくさんのお客さん。その真ん中で歌って踊る五人の姿は、映像が終わった今でも妙に鮮明に残っている。
ただそこに立って笑っているだけで、ステージの上だけじゃなく、その周りまで明るくなっていくように見えた。
「でも、本当にすごいっすね」
「そう?」
「そうっすよ!」
嵐先輩が少し照れたように笑うけれど、私からすれば十分すぎるくらいすごいことだった。
「歌いながらあんなに踊って、それなのにずっと笑ってて……。大勢の人に見られてるのに、全然緊張してるようにも見えなかったっす」
さっきの映像を思い返しながら言葉にしていくと、改めて自分が何を見ていたのか少しずつ実感してくる。
眩しい照明に照らされた広いステージで、たくさんのお客さんの視線を一身に浴びながら、それでも五人は楽しそうに歌っていた。画面越しですら圧倒されたくらいなのだから、実際にあの場所に立っていたらどんな景色が見えるんだろう。
想像しようとしてみても、私には上手く思い浮かべられない。
「スクールアイドルって、あんなことするんすね……」
ほんの少し前まで、名前すらよく知らなかったもの。
米女さんから話を聞いて、チラシを見て、実際に活動している二人と話して、それからステージの映像を見た。
まだ分からないことの方がずっと多い。それでも、最初に聞いた時より『スクールアイドル』という言葉の向こうにあるものが、少しだけ見えたような気がした。
「……」
駄目だ。
全然想像できない。
というより、想像しただけで身体が固まりそうだった。
さっき映像の中で見た五人の代わりに自分を置いてみても、そこだけ綺麗に何も浮かばない。
「きな子、あんなところに立ったら緊張して動けなくなるっす」
そう口にしてから、私は何気なく机の上のスマートフォンへ視線を落とした。
映像はもう終わっているのに、さっき見た光景はまだ頭の中に鮮明に残っている。眩しい照明に包まれたステージも、客席から響いていた歓声も、その真ん中で楽しそうに歌っていた五人の姿も、目を閉じればすぐに思い出せそうなくらいだった。
ほんの少し前まで、スクールアイドルなんて自分とは何の関係もないものだった。米女さんに教えてもらわなければ、こうして立ち止まって見ることすらなかったかもしれない。
それなのに今は、もう一度見てみたいような気持ちが、ほんの少しだけ胸の奥に残っている。
どうしてなのかは、自分でもまだよく分からなかった。
「だったらさ」
不意に澁谷先輩の声がして、私は画面から顔を上げた。
何かを思いついたような顔をしたかのん先輩が、私を見ている。それから視線を横へ動かし、米女さんと若菜さんの顔も順番に見た。
「三人とも、スクールアイドルやってみない?」
「——へ?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
スクールアイドルをやってみない?
聞こえてきた言葉を頭の中で繋ぎ合わせて、ようやくその意味を理解する。
「き、きな子たちがっすか!?」
思わず自分を指差すと、かのん先輩は当然のように頷いた。
「うん。三人とも一年生なんだよね? せっかく興味を持ってくれたみたいだし、どうかなって」
「いやいやいや!」
慌てて両手を振る。
ついさっきまで画面の中で見ていた場所へ、今度は自分が立つ。
そんなこと、考えたことすらなかった。
突然すぎて、頭の中にさっきのステージを思い浮かべようとしても、そこに自分の姿だけがどうしても重ならない。
「きな子には無理っすよ! 歌もダンスもやったことないっすし、それにあんなにたくさんの人の前なんて——」
「最初からできる人なんて、そんなにいないよ」
澁谷先輩は笑いながらそう言った。
軽く言っているようでいて、その声には妙な実感が籠もっているように聞こえた。
返す言葉に困っていると、隣から千砂都先輩も身を乗り出す。
「そうそう。やったことないなら、これからやってみればいいんだし」
「そ、そういうものなんすか……?」
そんな簡単な話なんだろうか。
さっき見たステージを思い返せば、とてもそうは思えない。それでも二人が揃って楽しそうに言うものだから、きっぱり否定するタイミングを逃してしまう。
「それに、米女さんもすごく詳しいんだよね?」
「なっ……!」
突然話を振られた米女さんが、目に見えて身体を強張らせた。
さっきまでライブ映像に夢中になっていたのに、今度は自分が誘われる側になった途端、耳まで一気に赤くなっていく。
「興味あるなら、一緒にどう?」
「な、ない!」
「でもさっき——」
「ないったらない!!」
米女さんの声が部室いっぱいに響いた。
顔を真っ赤にしたまま立ち上がった拍子に、椅子がガタンと大きな音を立てる。
「私はスクールアイドルなんて興味ねえから!!」
言い切るや否や、米女さんは逃げるように扉へ向かい、そのまま勢いよく部室を飛び出していった。
「……」
一瞬、誰も反応できなかった。
閉まりかけた扉の向こうから、ばたばたと廊下を遠ざかっていく足音だけが聞こえてくる。
「メイ」
若菜さんがぽつりと呟いた。
それから私たちへ一度だけ視線を向け、小さく頭を下げる。
「追いかける」
「あ、はいっす」
それだけ告げると、若菜さんも米女さんを追って部室を出ていった。
今度こそ扉が閉まり、さっきまでの騒がしさが嘘みたいに静けさが戻ってくる。
「……行っちゃったっす」
私は閉じた扉を見つめたまま呟いた。
あれだけスクールアイドルが好きなのに、本人から誘われたら逃げてしまうなんて、米女さんらしいというかなんというか。
「びっくりさせちゃったかな」
澁谷先輩が困ったように笑う。
「たぶん、恥ずかしかっただけだと思うっす……」
私も苦笑いしながら答えた。
あの赤くなり方を見る限り、嫌だったというより、どうしていいのか分からなくなったという方が近い気がする。
「じゃあ、桜小路さんは?」
「えっ」
不意に話が自分へ戻ってきて、肩が跳ねた。
澁谷先輩と嵐先輩の視線がこちらへ向く。
「スクールアイドル、やってみない?」
もう一度、今度は私だけに向けて聞かれる。
さっきのように三人まとめて言われた時とは違って、急に逃げ場がなくなったような気がした。
「いやぁ……きな子には無理っすよ」
困ったように笑いながら答える。
歌ったこともない。ダンスだってできない。人前に立つことだって得意じゃない。
無理だと思う理由なら、いくらでも浮かんできた。
それなのに、そう言いながら私の視線は、いつの間にか机の上のスマートフォンへ戻っていた。
画面には映像が終わったあとの五人の姿が残っている。
眩しいステージの上で、五人とも楽しそうに笑っていた。
「……」
あそこに立ってみたい、なんて思ったわけじゃない。
自分にもできるかもしれない、なんて思えたわけでもない。
ただ、さっきまでなら何の迷いもなく「無理」と言えていたはずなのに、今はなぜか、画面からすぐに目を離すことができなかった。
「そっか」
澁谷先輩が小さく笑った。
その声に顔を上げると、二人が顔を見合わせている。
「な、なんすか?」
「ううん、なんでもないよ」
「うん。なんでもない」
二人ともそう言うけれど、どこか楽しそうだった。
なんだか見透かされているような気がして、私は誤魔化すようにもう一度笑う。
「ほんとに、きな子には無理っすからね?」
念を押したはずなのに、二人の笑顔は変わらなかった。
どうしてそんな顔をするんだろうと思いながら、私はまたほんの一瞬だけ、机の上の画面へ視線を落とした。
〇澁谷かのん
結ヶ丘女子高等学校2年生。Liella!の創設メンバーの一人。
明るく親しみやすく、困っている人を放っておけない性格。普段は自然体だが、いざという時には周囲を引っ張る行動力と芯の強さを持つ。
歌うことが大好きで高い歌唱力を持つ一方、かつては人前で歌うことへの大きな壁を抱えていた。スクールアイドル活動を通してそれを乗り越え、現在はLiella!の中心的な存在としてラブライブ!優勝を目指している。
本作では、入学したばかりの桜小路きな子をスクールアイドルへ誘う人物。きな子の気持ちを尊重しながら、無理に答えを迫るのではなく、彼女が自分自身で一歩を踏み出すのを待ち、背中を押す先輩として描かれる(予定)。
〇嵐 千砂都
結ヶ丘女子高等学校2年生。Liella!のメンバー。
明るく人懐っこい性格で、周囲への気配りができるしっかり者。丸いものが大好きという特徴があり、「まる」に強いこだわりを持っている。
幼い頃からダンスを続けており、全国大会で優勝するほどの高い実力を持つ。Liella!ではその経験を活かし、ダンス面でメンバーを支える存在。普段は柔らかな雰囲気だが、目標に対しては非常にストイックで、必要な時には厳しい判断もできる。
本作では、Liella!への加入を考え始めた桜小路きな子に対し、実際の練習を通してスクールアイドルの厳しさを伝える先輩として描かれる(はず)。同時に、初心者であるきな子の頑張りをきちんと見守り、その「もう一回やってみたい」という意志を受け止める存在でもある。