ラブライブ!スーパースター!! ~あの日の音の、その先で~ 作:かべたろ
その日の夜、私はベッドの中で目を閉じていた。東京へ来てまだ日が浅いせいか、夜になっても窓の向こうから聞こえてくる車の音には完全には慣れていない。
それでも、初めの頃はいちいち気になっていた音も、今では随分と遠くに感じられるようになっていた。
お風呂には入ったし、明日の学校の準備も済ませた。鞄の中身だって確認したし、目覚ましもちゃんとセットしてある。あとはこのまま眠って、朝になったら起きて、また結ヶ丘へ行けばいい。
いつもなら、それだけのはずだった。けれど目を閉じていると、今日一日の出来事が次から次へと頭の中に浮かんでくる。
朝は知り合いなんて一人もいなかったのに、米女さんと若菜さんに出会って、二人と話しながら校内を歩いた。その途中で初めてスクールアイドルというものを知り、澁谷先輩と嵐先輩に出会って、気づけば部室にまでお邪魔していた。
そして、初めて見たLiella!のライブ。昨日まで名前すらまともに知らなかったものに、たった一日で随分と近づいてしまった気がする。
高校生活の初日としては、十分すぎるくらい濃い一日だった。だからきっと疲れているし、こうして目を閉じていれば、そのうち自然と眠くなる。
そう思って、布団の中でもう一度ゆっくり息を吐いた。あとは何も考えずに眠ればいい。
———そのはずだった。
『桜小路さんも、スクールアイドルやってみない?』
「————っ」
閉じていた目を開けると、薄暗い天井がぼんやりと視界に入った。どうして今になって思い出すんすか、と誰に向けるでもなく心の中で文句を言いながら、記憶から逃げるように壁側へ寝返りを打ち、布団を少しだけ引き上げる。
もう考えない。今日は朝から色々なことがあって疲れているのだから、このまま目を閉じて寝てしまえばいい。明日になれば、きっと今ほど気にならなくなっているはずだ。
そう自分に言い聞かせ、私はもう一度目を閉じた。
『桜小路さんも、スクールアイドルやってみない?』
『無理っすううううううううっ!!』
「~~~~っ!」
ところが、今度は澁谷先輩の言葉だけでは終わらなかった。その直後に自分が上げた大声まで、まるで耳元でもう一度叫ばれたかのような鮮明さで蘇ってきて、私は堪らず布団の中で身悶えした。
思い返せば返すほど恥ずかしい。突然スクールアイドルへ誘われて驚いたとはいえ、あんな大声で断る必要なんてどこにもなかったし、そのうえ相手の返事も聞かずにその場から走って逃げてしまった。
どうしてもっと普通に断れなかったんすか。
「なんで逃げたんすか、きな子ぉ~……」
布団を頭まで引き上げ、その中で逃げ場を探すように身体を小さく丸める。今さらどれだけ後悔したところで、澁谷先輩の前で叫んだ事実が消えてくれるわけではない。それでも、せめて「きな子には無理っす」と普通に答えていれば、ここまで思い出すたびに恥ずかしくなることもなかったはずだ。
突然のことで驚いた。それは間違いない。
けれど、それを差し引いたとしても、もう少し断り方というものがあったんじゃないかと思わずにはいられなかった。
『ごめんなさい、きな子には難しいっす』
これでいい。
『ちょっと考えさせてほしいっす』
これでもいい。
なのに実際の私は、大声で無理だと叫んで、そのまま走って逃げた。
「明日、どんな顔して会えばいいんすか———」
同じ学校なのだ。
しかも相手はスクールアイドルとして活動している先輩で、昨日だって校内で偶然会ったのだから、明日から一度も顔を合わせないなんてことはないだろう。
もし廊下の向こうからかのん先輩が歩いてきたらどうする。
目が合ったら。
声をかけられたら。
「......逃げる?」
いや、ダメだ。
二日連続で逃げたら、さすがに変な後輩だと思われる。
「もう思われてるかもしれないっすけど」
自分で言って悲しくなった。
布団から顔だけ出す。部屋の中は暗く、カーテンの隙間から入る外の光が机や椅子の輪郭をぼんやり浮かび上がらせている。
しばらくそのまま天井を眺めていると、さっきまで頭の中を占領していた恥ずかしさが少しずつ薄れてきた。
代わりに別のものが浮かんでくる。
「......スクールアイドル」
今日までの私にとっては、ほとんど何の意味も持たなかった言葉だった。
学校で活動している高校生のアイドルで、歌ったり踊ったり、ライブをしたりする。それに『ラブライブ!』という大きな大会があることも、米女さんから教えてもらった。
話を聞いた時は、そういうものがあるんだ、としか思っていなかった。
けれど、実際にLiella!のライブ映像を見てからは、それだけでは済まなくなってしまった。
ついさっきまで同じ部屋で普通に笑っていた澁谷先輩と嵐先輩が、画面の中では眩しい光を浴びながら、大勢の観客を前に堂々と歌っていた。その隣にはまだ会ったことのない三人がいて、五人で一つのステージを作り上げている。
歌やダンスのことなんて、私にはほとんど分からない。どこが上手で、何がすごいのかを聞かれても、きっと上手く説明できないと思う。
それでも、画面から目を離せなかった。大勢に見られているはずなのに、五人は少しも怖そうには見えなくて、それどころか誰よりも楽しそうに笑っていた。
だからなのか、それとも別の何かなのか。
自分でもまだよく分からない。
ただ、あの時感じた「すごい」という気持ちだけは、こうして夜になってもまだ胸の中に残っていた。
「......キラキラしてたっす」
昼間にも口にした言葉を、もう一度小さく呟く。
たぶん、私はあの映像を見るのが楽しかった。
もっと見てみたいとも思った。
だからスクールアイドルに興味がないわけではない。
そこまでは、自分でも分かる。
問題は———。
「きな子が、スクールアイドル」
口にした瞬間、自分で言ったはずなのに妙な感じがした。
私は布団の中でもう一度目を閉じ、今日見たライブを思い浮かべてみる。眩しい照明に包まれたステージと、それを見つめるたくさんのお客さん。その真ん中で歌っているLiella!の五人。
そして、その隣に自分の姿を置いてみようとした。
「............」
けれど、どう頑張ってもそこにいる自分だけが浮かんでこない。
「全然想像できないっす」
そもそも、どんな衣装を着ればいいのかすら分からない。歌っている自分も、踊っている自分も、大勢の人に見られながらステージに立っている自分も、どうにか思い浮かべようとするたびに、頭の中の私は途中で固まってしまう。
ライブを見るのは楽しかったし、Liella!のことも素直にすごいと思った。でも、それと自分が同じことをするのは、やっぱり全然別の話だった。
考えているうちにすっかり目が冴えてしまい、私は諦めるように身体を起こして、ベッド脇の小さな照明をつけた。柔らかな光が薄暗かった部屋に広がり、そのまま何気なく机へ目を向ける。
そこに、一枚の紙が置かれていた。
今日、学校から持ち帰ってきたLiella!の部員募集チラシだった。
ベッドから降りて机まで歩き、何となくそれを手に取る。紙面にはステージ衣装を着た五人が並び、揃って笑顔を浮かべていた。
今日実際に話したのは澁谷先輩と嵐先輩だけだけれど、ライブ映像を見せてもらったおかげで、五人全員の顔はしっかり思い出すことができる。
私はしばらくチラシを眺めたあと、その五人の隣に自分が並んでいるところを、懲りずにもう一度だけ想像してみた。
「......」
やっぱり、何度考えてみても分からない。
「歌だってちゃんとやったことないっすし、ダンスなんてもっと」
運動だって得意な方ではない。今日見たライブでは、五人とも歌いながらステージいっぱいに動き回っていたけれど、私が同じことをしたら、一曲終わるより先に息が上がって動けなくなってしまいそうだ。
「———やっぱり、きな子には無理っすよ」
誰かに聞かせるためではなく、もうこれ以上考えないように、自分へ言い聞かせるつもりで呟いた。
手にしていたチラシを机へ戻す。もう自分には関係ないのだから鞄にしまってしまってもよかったはずなのに、なぜかそうする気にはならなかった。もちろん捨てようとも思わず、結局は五人の写真が見える向きのまま、さっきまで置いてあった場所へそっと戻す。
それからベッドへ戻って照明を消し、今度こそ眠るつもりで布団を肩まで引き上げた。
「———寝るっすか」
これ以上考えるのは終わり。
そう決めて目を閉じた、その直後だった。
『桜小路さんも、スクールアイドルやってみない?』
「............」
また、澁谷先輩の声が頭の中に蘇った。
「もう寝かせてほしいっす———」
小さくぼやきながらも、今度は目を開けなかった。頭の片隅にはさっき机へ戻したチラシと、その向こうにある眩しいステージがまだ残っていたけれど、それを追い払うように布団へ顔を埋めた。
◇
「......眠いっす」
翌朝。
自分の席に座った私は、机の上へ置かれたプリントを眺めながら小さく欠伸を噛み殺した。
結局、あれからすぐには眠れなかった。
何度か寝返りを打って、スクールアイドルのことを考えて、もう考えないようにしようと思った直後にまた考えて、気づけばいつの間にか眠っていた。
入学してまだ間もないのに授業中に寝るわけにはいかない。
頑張らないと。
そう思って背筋を伸ばす。
教室の中は昨日より少しだけ賑やかになっていた。
初日はまだお互いに遠慮していた新入生たちも、一日経っただけで少しずつ話す相手ができたらしい。
近くから聞こえてくる会話も、昨日より自然なものになっている。
「部活どうする?」
「まだ決めてない。見学してからかな」
「私、中学と同じのにしようかなって思ってる」
「運動部?」
「うん」
そういえば、部活もそろそろ決めなければいけない。
北海道にいた頃は、高校へ入ったら何部に入ろうなんて真剣に考えたことがなかった。東京へ来ることや初めての一人暮らし、そのための準備の方がずっと大きなことで、高校に入ってから何をするかなんて、ほとんど後回しにしていた気がする。
運動部は、たぶん私には向いていない。だったら文化部だろうかと、どんな部活があるのか考えながら手元のプリントへ視線を戻そうとした、その時だった。
「スクールアイドル部ってどうなんだろ」
その言葉が耳に入った瞬間、プリントを持つ手がぴたりと止まった。
昨日までの私なら、きっと何も気にせず聞き流していたはずなのに、今日は教室中のざわめきから、その言葉だけが切り取られたみたいにはっきりと聞こえた。
声がしたのは少し離れた席で、何人かの女の子が集まって話しているらしい。
気にはなったけれど、私はそちらを見ないようにした。わざわざ振り返ったら盗み聞きしているみたいで恥ずかしいし、そもそも自分には関係のない話のはずだ。
そう思ってプリントを読んでいるふりをするのに、意識だけはすっかりそちらへ向いてしまっていた。
「Liella!でしょ?」
「そう。ちょっと気になってるんだよね」
「でも、結構大変なんじゃない?」
「今年、本気でラブライブ優勝狙ってるって聞いたよ」
———ラブライブ。
昨日、米女さんから教えてもらったスクールアイドルの大会だ。その時は大会まであることに驚いただけだったけれど、Liella!がそこで優勝を目指していると聞くと、昨日よりもずっと大きなものに思えてくる。
「去年もかなりいいところまで行ったんでしょ?」
「だから今年こそって感じらしいよ」
「練習も結構厳しいって聞いた」
「やっぱり?」
「一年生が入って、ついていけるのかな」
「経験ある子ならともかく、初心者だと大変そうだよね」
その会話を聞いているうちに、「初心者」という言葉だけが妙に耳に残った。
歌った経験もなければ、ダンスだってやったことがない。運動も得意とは言えないし、昨夜ベッドの中で自分には無理だと思った理由を、今度は誰かの口から一つずつ並べられているような気がした。
もちろん、あの子たちは私のことを話しているわけじゃない。それくらい分かっているのに、なぜかその言葉を聞き流すことができなか
「......やっぱり」
考えていたことが、そのまま声になって小さく漏れた。
やっぱり、私には無理だったんだ。
Liella!はただ楽しく歌ったり踊ったりしているだけじゃない。ラブライブで優勝するという目標があって、そのために本気で練習を重ねている。
そんな場所に、昨日初めてスクールアイドルという言葉を知ったばかりの私が入ったところで、いったい何ができるんだろう。歌もダンスも経験がないのだから、何かをするどころか、みんなについていくだけでもきっと大変だ。
そう考えれば、昨日断ったことは間違っていなかったように思える。
もちろん、大声を出して逃げたことは別だ。あれはもう少し普通に断るとか、他にいくらでもやりようがあったと思う。
でも、スクールアイドルをやらないという判断そのものは間違っていない。
そこまで考えると、昨夜から胸の奥に引っかかっていたものが、ほんの少しだけ軽くなった。
「そうっすよね」
自分には向いていないから、やらない。それだけのことだ。
昨夜は何度考えても落ち着かなかったのに、今はちゃんと「できない理由」がある。そう思えば、もう澁谷先輩の言葉を何度も思い返して悩む必要だってないはずだった。
これでいい。
そう自分に言い聞かせるように、私はもう一度手元のプリントへ視線を落とした。
「......」
これでもう悩まなくていい。そう思ったはずなのに、手元のプリントへ視線を戻しても、なぜかさっきまでのようには文字が頭に入ってこなかった。
軽くなったはずの胸の奥に、何かがまだ引っかかっている。
痛いわけでも、悲しいわけでもない。ただ、綺麗に片づけたつもりのものが、ほんの少しだけ残っているような妙な感覚だった。
気づけば、昨日見たライブがまた頭に浮かんでいた。眩しいステージの上で楽しそうに歌っていた五人と、昨夜何度も眺めて、結局机の上へ置いたままにしたチラシ。
「なんなんすかね」
自分でも、この引っかかりが何なのか分からない。
私には無理で、やらないと決めた。それならもう、それで終わりにしてしまえばいいはずなのに、どうして何度もスクールアイドルのことを考えてしまうんだろう。
私は考えを振り払うように小さく首を振った。
もう考えるのはやめよう。自分には関係のないことなんだから———。
「......」
そう言い切ろうとしたのに、なぜか最後のところだけが胸の奥でつかえて、最後まで言葉にすることができなかった。
◇
放課後になり、私は今日は寄り道せずにまっすぐ帰ろうと決めていた。
朝から少し眠かったし、昨日はいろんなことがありすぎた。家へ帰ったら夕飯を食べて、お風呂に入って、今夜こそ余計なことを考えずに早く寝る。それが一番いい。
そんなことを考えながら鞄を持って廊下を歩く。まだ入学して二日目とはいえ、昨日一日校内を歩き回ったおかげで、少しずつ学校の中も分かるようになってきた。少なくとも教室から昇降口までなら、もう一人でも迷わず辿り着ける。
「桜小路さん!」
「———っ!」
不意に背中から名前を呼ばれた瞬間、反射的に足が止まった。
聞き覚えがあるどころではない。昨夜、眠ろうとするたびに何度も頭の中で聞いたばかりの声だった。
振り返らなくても、誰なのか分かってしまう。
さっきまで今日はまっすぐ帰ると決めていたはずなのに、背中越しにその声を聞いただけで、心臓が一度だけ大きく跳ねた。
「............」
できることなら、このまま気づかなかったふりをして逃げたい。
そんな考えに引っ張られるように右足がほんの少し後ろへ動いたけれど、すぐに踏みとどまった。昨日は大声で断った挙げ句、そのまま澁谷先輩を置いて逃げてしまったのだ。さすがに今日まで同じことをするわけにはいかない。
私は一度小さく息を吸い、意を決して振り返った。
「し、澁谷先輩......」
そこには予想通り、澁谷先輩がいた。こちらへ歩いてくるその顔にはいつも通りの笑みが浮かんでいて、昨日のことを怒っているようには見えない。
当たり前なのかもしれないけれど、そのことが分かっただけで、強張っていた身体から少しだけ力が抜けた。
『無理っすううううううううっ!!』
「〜〜〜〜っ」
安心したのも束の間、今度は昨日の自分の叫び声が鮮明に蘇ってきて、別の意味で顔が熱くなる。
なんで今思い出すんすか。今はいいっす。昨日のことは、今だけ忘れていたいっす。
「桜小路さん?」
「こ、こんにちはっす!」
不思議そうに顔を覗き込まれ、誤魔化すように勢いよく頭を下げた。
「えっ? あ、こんにちは」
勢いよく挨拶したせいか、澁谷先輩の方が少し驚いた顔をしていた。
でも、今はそれどころじゃない。昨日のことをちゃんと謝るなら、きっと今しかない。
私は顔を上げると、少しだけ姿勢を正してから、もう一度深く頭を下げた。
「昨日はごめんなさいっす!」
「え?」
「せっかく誘ってくれたのに、きな子、大声出してそのまま逃げちゃって......本当にごめんなさいっす!」
「ちょ、ちょっと待って! 謝らなくていいよ。私の方こそ、昨日会ったばっかりなのに急に誘っちゃったし」
「でも、逃げたのはきな子っす!」
「びっくりさせちゃったのは私だから!」
「それでも、あんな逃げ方しなくてもよかったっす!」
お互いに一歩も引かないまま言葉を重ねていたけれど、そこでふと会話が途切れた。
私も澁谷先輩も、相手に謝ろうとして少し頭を下げたままになっている。
なんだかおかしなことになっている気がして、そろそろと顔を上げると、ちょうど同じように顔を上げた澁谷先輩と目が合った。
「......」
「......」
数秒、そのまま見つめ合う。
どうやら澁谷先輩も、同じことを思ったらしい。
「......ふふっ」
先に吹き出したのは澁谷先輩だった。さっきまであんなに真剣に謝り合っていたのに、こうして向かい合っている状況がおかしくなったのかもしれない。その笑顔を見ているうちに、私も堪えきれずにつられて笑ってしまう。
「なんか、変っすね」
「うん。謝り合ってどうするんだろうね」
二人で笑っていると、昨日からずっと胸のどこかに引っかかっていたものが、ようやく少しだけ軽くなった気がした。
少なくとも、澁谷先輩は昨日のことを怒ってはいない。それが分かっただけで、次に顔を合わせたらどうしようと昨夜から考えていたのが、少し馬鹿らしく思えてくる。
「それで、昨日のことなんだけど」
「......はいっす」
ほっとしたのも束の間、その一言を聞いた途端、緩んでいた身体にまた少しだけ力が入った。
やっぱり、スクールアイドルの話だろうか。
そう思うと、今朝教室で耳にした会話まで頭に浮かんでくる。Liella!はラブライブ!で優勝を目指していて、そのための練習も決して楽なものではないらしい。歌もダンスもやったことのない初心者がついていくのは、きっと簡単なことではない。
もし、また誘われたら。
今度こそ昨日みたいに逃げたりせず、ちゃんと自分の言葉で断ろう。
そう決めて、私は澁谷先輩の次の言葉を待った。
「返事は気にしなくていいからね」
「え?」
てっきりもう一度誘われるものだと思って身構えていたから、返ってきた言葉が予想と違って、思わず澁谷先輩の顔を見返した。
「というか、昨日は本当に急だったし、無理に入ってほしいわけじゃないんだ」
「そうなんすか?」
「うん。桜小路さんがやりたいと思ってないのに、無理に誘っても違うと思うから」
その言葉を聞けば、安心するはずだった。
もう断るための言葉を考えなくてもいいし、昨日みたいに慌てる必要もない。それなのに、「やりたいと思っていない」と澁谷先輩の口から言われた瞬間、胸の奥に小さな引っかかりが残った。
もちろん、私はやるとは言っていない。自分には無理だと思っているし、今朝だって、やらないという判断は間違っていなかったと納得したばかりだ。
だったら、その通りだと頷けばいいだけなのに、なぜかすぐにはそうできなかった。
そんな私の様子に気づいたのか、澁谷先輩が一度こちらの顔を窺うように見つめる。それでも理由を尋ねたり、もう一度答えを求めたりはせず、そのまま静かに次の言葉を続けた。
「ただね」
「?」
「もし、ちょっとでもスクールアイドルに興味があるなら、いつでも練習見に来て」
「練習を?」
「うん」
「見るだけでもいいんすか?」
「もちろん。昨日ライブ見てくれた時、桜小路さんすごく楽しそうだったから」
「そ、そんな顔してたっすか?」
「してたよ。ずっと画面見てた」
そう言って笑われると、昨日の自分を思い出して急に恥ずかしくなった。自分ではそんなに分かりやすい顔をしていたつもりはなかったけれど、映像が始まってからほとんど画面から目を離せなかったことは覚えているし、楽しかったことだって否定できない。
「だから、入るとか入らないとかは抜きにして、興味があるなら見に来てほしいなって」
「......見るだけなら」
思わずそう呟いてから、慌てて口を閉じた。
澁谷先輩はそんな私を見て少しだけ笑ったけれど、ここぞとばかりに誘ってくることはなかった。
「うん。気が向いた時でいいから。それじゃ、またね」
「あ......はいっす。またっす!」
澁谷先輩は軽く手を振ると、そのまま廊下の向こうへ歩いていった。
私はすぐに帰ることもできず、遠ざかっていく背中をしばらくその場から見送っていた。
入らなくてもいい。ただ、興味があるなら見に来てもいい。
昨日とは少し違うその言葉が、妙に頭の中に残っていた。
「———見るだけ」
澁谷先輩の言葉を確かめるように、小さく口にしてみる。
部に入る必要もなければ、スクールアイドルになると決める必要もない。ただ、Liella!が練習しているところを見るだけなら、それは昨日誘われた時とは随分と違う話に思えた。
そこで、今朝教室で耳にした会話がふと蘇る。Liella!はラブライブ!で優勝を目指していて、普段の練習も厳しく、初心者がついていくのは大変らしい。
「......きな子、見たことないっすね」
考えてみれば当たり前だった。昨日初めてスクールアイドルを知ったばかりなのだから、Liella!が普段どんな練習をしているのかなんて何も知らない。
今朝聞いた話だって、全部誰かから聞いただけのものだ。それなのに私は、それを聞いただけで「やっぱり自分には無理なんだ」と納得して、少し安心までしていた。
そのことが、今になって妙に引っかかった。
本当に自分には無理なのか。それを確かめたいとまでは思わないけれど、実際にはどんなことをしているんだろうという興味は、どうしても消えてくれない。
「見るだけなら......」
もう一度そう呟きかけて、私は小さく首を振った。
別に今ここで決める必要はない。澁谷先輩だって、気が向いた時でいいと言ってくれたのだから、今日はこのまま帰ればいい。
「———帰るっす」
誰に言うでもなくそう呟いて、私は再び昇降口へ向かって歩き始めた。
それでも頭の片隅には、「練習を見るだけ」という選択肢が、さっきまでよりも少しだけはっきりと残っていた。