episode1 失敗作
──新暦63年──
夜明け前の人の姿が消えた廃墟のビル群。
その地下深く、地上から存在を隠すように一つの研究施設が築かれていた。
白い天井灯が無機質な壁と床を照らし、冷えた空間には機械の駆動音だけが響いている。
外見は人間の少年そのものだった。
だが彼は、人間ではなく一個の実験体として管理されていた。
培養槽に刻まれた識別名は――。
【kairi】
年齢で言えば少年の体格は6歳ほどの大きさ、日の光を浴びたことのない肌は雪のように白く、肩口まで伸びた淡い金色の髪が水の中をゆらゆらと漂っていた。
そこへ1人の研究員がやってくる。
研究室内に設けられたモニターにある人物が映し出される。
「やぁ、研究の進捗はどうだい?報告を聞きたいな。」
モニター越しに現れた深い紫色の髪と金色の瞳の男の問いに研究員は淡々と答える。
「kairiの魔力素性について最終結果が出ました。収束・圧縮型です。
ただし出力制御に重大な欠陥があります」
「具体的には?」
「接触対象へ過剰な魔力を流し込み、物質構造そのものを破壊します。
博士が求めていた性質とは、ほぼ正反対です」
「なるほど、彼は詰まるところ失敗作……という事だね?」
培養液越しに聞こえた失敗作というその言葉だけが、なぜか少年の耳にはっきりと残った。
「はい。この個体は、どうされますか?」
紫髪の男は研究員の言葉を鼻で笑い答える。
「処分してしまって構わないよ……使えないのなら廃棄して新しく作ってしまった方が早いだろうからね。」
「かしこまりました、ではそのように処理しておきます。」
「あ、そうそう今日でこの研究所は閉鎖する事にしたよ。」
「閉鎖、ですか?」
「最近各地の研究所が何者かに襲撃されていてね。ここも被害に遭う前に閉じることにした。
だから君達との契約も今日までだ。」
「なるほど……わかりました。
ここの実験体の処理と引き継ぎデータの作成をすませておきます。」
「頼んだよ、では。」
そう言うと紫髪の男は通信を切る、研究員はため息を付きながら処理液と書かれたボタンを押す。
制御盤には複数の処理区画が並んでいた。
研究員は迷うことなく、順番に処理命令を実行していく。
実験体の輪郭が崩れ始める。
肌も、髪も、その下の肉体すら形を失い、培養液の中へ溶けていく。
少年はその光景を自由を奪う入れ物の中でただ見ていることしか出来ない。
自分の名前も……産まれた理由も……外の世界も何も知らないまま廃棄される、ただ1つ分かったのは自分が失敗作で誰からも必要とされていない事だけだった。
研究員の指が少年の処理液投入のボタンに触れようとした。
その時だった──。
──ビィィィ!!
耳をつんざく程の警報が研究所中に鳴り響く。
赤い非常灯が点灯し、無機質な白の研究室は赤く染まっていく。
「侵入者だ!!」
他の研究室にいた別の研究員が焦った様子で自動ドアを潜り顔を覗かせる。
「何!?警備兵はどうしたんだ!?」
ボタンを押そうとした研究員はその指を引っ込めて自動ドアのある方へ振り向く。
「全滅だ!上の階の連中は化け物が来たって大騒ぎだ!」
「化け物だと?馬鹿言え!博士に連絡は?!」
研究員は動揺し叫び続ける。
「ダメだ!菌糸みたいなものが――。」
ドゴォンッ!!
「な、なんだ!?」
侵入者を阻む隔壁が破壊されたのだろう、けたたましい音が廊下に鳴り響いた。
「ヒィッ!?」
廊下から顔を覗かせていた研究員は音のした先へ視線を移す。
赤く染まった廊下の先、破壊された隔壁から人型の異形が次々と這い出してくる。
「来た! ば、化け――ッ!?」
その人型の群れから、槍状の菌糸が放たれた。
グシャァッ!!
研究員の身体が一瞬で串刺しになり、壁は返り血に染まり、床には流れ出た血が広がっていく。
研究室内にいた研究員は惨劇を目の当たりにして大急ぎで研究室の扉を閉めロックをかけた。
ドンッ、ドンッ!!
廊下にいた研究員を喰い終えた異形たちは、研究室の強化ガラスや壁、扉を叩き始める。
その力は次第に強くなり、虚しくも扉やガラスは破壊され外にいた奴らが研究室になだれ込む。
「うわぁぁぁ!!!」
研究員は恐怖のあまりへたり込んで壁へと追い詰められてしまう。
すると化け物の内の一体が研究員に歩み寄る。
「……暗いですね。」
壊れたスピーカーのような掠れた声で化け物は言葉を発した。
そいつが指をパチンと鳴らす、すると警報がやみ警告灯が消え白い天井灯が再び点灯する。
「!?っ。」
研究員は戦慄した、研究員が見たものは
人の頭に黒い花弁のようなキノコ、その中心に蠢くこちらを見る赤い無数の目玉だった。
研究員と同じ目線に屈んだそれは研究員の肩を掴むと異様に大きく開いた口を開き叫び声をあげる隙を与えずバクンッ!と研究員の頭を捕食する。
怪物は胴体には目もくれず、研究員の頭蓋を噛み砕いた。
乾いた破砕音が研究室に響く。
怪物はゆらりと立ち上がり少年の方へ視線を向ける
培養槽へ近づくと培養槽を覗き込んだ。
その時、急に培養槽の中の液体が抜け培養槽の中身が無くなり少年の感じていた浮遊感が消える。
少年は培養槽の底にへたり込み、濡れて張り付いた前髪の間から見えた物……。
先程の研究員を捕食した怪物の無数の目玉だった。
その目玉と少年の視線が合わさった瞬間少年は声にならない声を出す。
「ひっ……!あ、……あっ。」
生み出されてから感じたことがないほど胸の鼓動が早鐘を打つ。
ここから逃げなければ死ぬ、そう本能は警鐘を鳴らしている。
恐怖に支配された体は言うことを聞かず全く動こうとしない。
全身の赤黒い筋肉の上に鎧の様な甲殻を纏ったその怪物は口周りに着いた血液を舐め取り培養槽の中の少年を覗き込む。
「なるほど──、器を探して来てみれば……失敗作ですか。」
無数の赤い眼が値踏みするように少年を見つめる。
「ですが……その魔力素性は、残しておくべきではありませんね。」
怪物の右腕が軋む。
肉が裂け、赤黒い菌糸が絡み合いその腕その物が巨大な刃へと形を変えていく。
「死んでもらいましょう。私の為に」
刃がゆっくりと持ち上げられる。
怪物が刃を振り下ろそうとする。
少年は反射的に目を固く閉じた、もう逃げられない。
自分は何の為に生まれたのかも分からないまま、失敗作と呼ばれこのまま死を受け入れるしかないそう諦めかけたその時。
──キィンッ!
澄んだ金属音が鉄臭い血の匂いと死臭に満ちた研究室の空気を切り裂いた。
「……?」
いつまで経っても痛みが来ない、少年は恐る恐る目を開く。
培養槽から少し離れた壁には一振りの短剣が深々と突き刺さっていた。
どうやら怪物は振り上げた刃で投擲された短剣を弾き飛ばしたらしい。
培養槽に背を向け怪物の視線は研究室の入口に集中していた。
「よぉ化け物……2年ぶりだな。」
入口の方から低い男の声がした。
少年は恐る恐る、そちらへ視線を向ける。
怪物の身体の隙間から一人の男が見える、それは背の高い大柄な男だった。
黒い戦闘服の上から膝下まで届く白い魔法衣を纏い短く無造作に整えられた茶色の髪。
やや彫りの深い精悍な顔立ちでその中でも少年の目を引いたのは、怪物を真っ直ぐに見据える青い瞳だった。
腰には赤い鞘、そして右手にはそこから抜き放たれた一振りの剣が握られている。
男は怪物を前にしているというのに少しも怯えていなかった。
「これはこれは……。
久しぶりですね、ジン・アストライア……そして魔導輪ザルバ。」
男を視認した怪物は嘲笑う様に続ける。
「ここまでにも随分と傀儡を配置したはずですが?」
ジンは答えるより早く背後へ一瞥をくれた。
そこには斬り伏せられた怪物達が床へ倒れ伏していた。
「……傀儡、ねえ。」
その言葉を聞いた瞬間、ジンの青い瞳から僅かに温度が消えた。
ジンは怪物へ視線を戻した。
青い瞳には、隠しきれない嫌悪が滲んでいる。
「全員、斬ったよ。」
「ククク、素晴らしい……。
あれだけの傀儡たちを躊躇無く斬ってここまで来たか。
……流石は黄金騎士ですね。」
挑発とも取れるその言葉を聞いたジンはギリっと歯を噛み締め表情が一気に険しくなる。
ジンがその表情のまま1歩踏み出そうとしたその時それを諌めるように何者かの声が聞こえてきた。
『相変わらず貴様らしい悪趣味な能力だな。』
「……?」
少年は目を瞬かせた、突然聞こえてきたその声の主を視線で少年は探し始める。
『人間に憑依して配下を増やし……今度は各地をコソコソと嗅ぎ回って、次は何を企んでいる?』
ジンと呼ばれた男の声でもない、怪物の声とも違う。
他に人の姿など一つも無かった。
なら、先程から聞こえる声はどこから……?
その時──。
ジンの左手で何かが鈍く光った。
「……?」
ジンの中指には、銀色の指輪が嵌められていた。
髑髏を模した顔が刻まれ、その口がカチカチと動いている。
――魔導輪ザルバ。
先ほど怪物が呼んだ名を、少年は思い出した。
少年は驚きその背中が培養槽の壁に触れる。
人間のように流暢な言葉を話すソレが何なのか少年には理解する事が出来なかった。
ザルバの問いに怪物が口を開く。
「貴方々に話す事など何もありませんよ。
ですが──。」
怪物は少年の方へグルンと瞬時に振り向く。
「この失敗作には……死んでもらいます……!」
そして右腕の刃を少年へ向けて振り降ろそうとする。
「!!っ。」
少年は両手を交差させ目を固く閉じた。
その時──。
ガキィンッ!!
突然金属音が鳴り響く、少年が目を開いたその先にはジンの魔法衣の背中があった。
ジンは瞬時に床を蹴り怪物と培養槽の間に割って入り怪物の刃を剣で受け止めていた。
ギリギリと剣と刃がぶつかり火花を散らす。
「……こんな所に子供がいるとはな……。」
バキィン!とジンは怪物の刃を弾き飛ばす。
「趣味の悪い場所だと思ってはいたが、お前の狙いはコイツか?」
「邪魔をしないでもらえますか?その失敗作には消えてもらいます。」
「嫌だね!貴様の様なホラーの考える事だ、きっとろくでもない事に決まってるだろうが……!」
ジンは剣を構え戦闘態勢に入る。
「……仕方がありませんね。」
すかさず屍人ホラーが低く身を屈める。
全身を覆う赤黒い筋肉が脈打ち、その表面を菌糸が這い回る。
「――ッ!」
床を蹴り砕き、怪物がジンへ飛び掛かる。
振り下ろされる右腕の刃、だがジンは半歩だけ身体をずらす。
ブォンッ!
鋭い刃がジンの鼻先を掠める、だがそのすれ違いざまにジンの魔戒剣が横薙ぎに走る。
ギィンッ!
「見た目通り……さすがに硬ぇな。」
剣は甲殻を浅く削っただけだった。
『ジン、魔力纏武を使え……!』
「あぁ、さっさと終わらせる……!!」
ジンは青い瞳を鋭く細め、意識を体内の魔力へ集中させる。
ドクン――。
ジンの鼓動と共に身体の奥底から魔力が解き放たれ
赤い光が足元を灯す。
それは一瞬で両脚を駆け上がり、腰から背へ、肩から両腕へと巡っていく。
血管へ熱が流れ込むように……筋肉の一本一本へ力を与えるように……赤い魔力光が彼の全身を包み込む。
白い魔法衣の裾が、吹き上がった魔力に煽られて大きく翻る。
培養槽の中から見ていた少年には、男の輪郭が一瞬だけ赤く燃え上がったように見えた。
炎のように見えて、それ自体が燃えているわけではない。
身体から溢れた赤い光はすぐに収束し、薄い膜のように男の全身へ纏わりついている。
そして。
キィィン――。
右手の剣にも鍔元から切っ先まで赤い魔力が迸り刃を包み込むように赤い光が定着する。
距離を詰めた屍人ホラーが刃を振り上げる。
「…………。」
ジンは目を閉じたまま動かない。
怪物が刃を振り下ろしそれがジンの首元へ迫る。
培養槽の中の少年には、ジンが逃げ遅れたように見えた。
「危な――!」
少年の声になるより早く、ジンの姿が消える。
「――!?」
次に少年がジンを見つけた時にはジンは既に怪物の懐へ潜り込んでいた。
「遅ぇよ……!!」
ザンッ!!
一閃……、赤い軌跡が暗い研究室を横切り次の瞬間には屍人ホラーの右腕が宙を舞っていた。
腕を切り落とされた怪物は後退するが、ジンは止まらない。
一歩……二歩と距離を縮め一気に間合いを詰める。
瞬時に魔力によって強化された脚力で床を踏み抜き、その勢いのまま身体を回転させ
ドゴォッ!!
強烈な回し蹴りが屍人ホラーの脇腹へめり込み怪物の巨体が横へ吹き飛び研究機材を巻き込みながら壁へ叩きつけられ、埃を巻き上げた。
少年は言葉を失っていた、先ほどまで自分を殺そうとしていた怪物を……あれほど恐ろしく見えた怪物を……。
目の前の男は、あれほど恐ろしかった怪物を生身のまま圧倒している。
少年には、そんなジンの背中がひどく大きく見えた。
「クククク……アハハハ……!!」
舞い立つ埃の中から怪物が笑い声をあげる。
「まだ生きてやがったか……!」
ジンは再び剣を強く握る。
「やはり……数だけでは届かない。」
怪物は笑う。
「ならば……群れの中に、“個”を置けばいい」
「貴様……!何を訳のわからない事を……!」
ジンは叫ぶ。
「貴方に理解など求めていませんよ。
ですが貴方には礼を言いますよ、これで……あの時と同じ失敗を、繰り返す必要は無くなりましたからね。」
怪物は左腕を地面に突き刺す、その瞬間──。
ゴゴゴゴゴッ!!
激しい地響きと共に天井や床にヒビ割れが現れそこから赤黒い菌糸が這い出す、そこには屍人ホラーや研究員の死体が混ざっている。
「なんだこりゃっ!?」
その時、培養槽の上の天井が一部崩れ落下してきた。
すかさずその瓦礫をジンは剣で両断し、培養槽のガラスを拳で叩き割る。
「無事か!?死にたくなかったらこっちに来い!! 」
ジンは少年へ手を差し伸べる。
「……?」
差し伸べられたその手を少年は見つめる、だがその手を取るべきか少年は戸惑っている。
だがジンは少年の手を掴み培養槽から引っ張り出した。
「ったく……服くらい着せろってんだ。」
ジンは少年を抱き上げると、すぐに異様な気配を放つものへ視線を向けた。
そこにあったのは蠢く菌糸が集合した一つの繭
──。
不気味なことに先程まで這い回っていた菌糸は全て消えており、研究室は見る影もなく崩れ、瓦礫と血痕だけが残っていた。
『気を付けろ、ジン。』
「あぁ、コイツぁちとやばいな。」
『奴は、厄介な事を思い付いたらしい。』
その時──。
ピシッ!
繭に一筋のヒビが走る、それは毛細血管のように広がりグチャグチャと音を立てて崩れ落ちる。
「……!」
ジンは繭の中にいたモノをみて目を見張るがハッと我に返る。
ジンは少年を部屋の隅へ下ろす、そしてその上から自分の着ていた魔法衣を少年に被せた。
「ちょっとそこで待ってろ。そこから動くなよ。」
ジンは左手をかざし、結界魔法を少年を囲むように展開した。
そして繭のあった方へ振り向く、辺りには血と死臭が立ち込めており、その中心からは濃密な魔力が溢れ出し、そこには巨大な一つの影。
それは繭のあった場所から一歩踏み出す、その度に
──ズン。
重い足音ともに巨大な脚が地面を踏む。
続いて姿を表したのは2mを優に超える人型の異形。
その肉体には、人間らしい脆弱さが存在していない。
広く発達した肩。
分厚い胸郭。
引き締まった腰部。
そして全身を覆う黒灰色の外殻と、肩から垂れ下がるマントのような皮膜。
外殻の隙間には、赤黒い菌糸束が筋繊維のように走っている。
異形でありながらその体には無駄がなく異常なまでに完成されていた。
長い前腕、異様に発達した脚、全身を覆う分厚い外殻。
見ただけで分かる。
あれは、生き延びるための身体ではない。
戦うためだけに造られた身体だ。
怪物がゆっくりと顔を上げる。
キノコの笠を模した様なその頭部には1つの赤い目が光る。
「……奴か?」
ジンは呟く。
『いや、違うな……。
だが油断するな、この気配……コイツは今までのヤツらとは桁が違うぞ…!』
それ以上2人は何も言わなかった、2人は何を思い出していたのか互いに確認する必要などない。
ただ一つ確かなのは――目の前の怪物が、二人の知る“奴”そのものではないということだった。
「……。」
怪物は棒立ちのまま沈黙を貫く、先程まで聞こえていた屍人ホラーの声は全く聞こえてこない。
その時だった。
「ククク、貴方とその子供は確実に殺します。
また会いましょうジン・アストライア……いえ、黄金騎士。」
どこからともなく聞こえてきた声、それはスピーカーの壊れた様な声ではない。
だがその声を聞いたジンの表情は激しく歪んだ。
「……ふざけやがって……!」
ジンは叫ぶがザルバがそれを静止する。
『ジン!まずは目の前のヤツからだ!気を抜くな!』
怪物の赤い目がジンを捉えたと同時に怪物が腰を落とした。
発達した前腕をだらりと下げ僅かに背中を丸める。
『来るぞ……!』
ザルバが叫ぶより早くジンは剣を構え全身に魔力を纏う。
──ドンッ!!!
怪物の周囲の地面が陥没する。
「!ッ。」
怪物が一歩踏み込んだだけで十数mあった間合いを一瞬で食い潰す。
それと同時に怪物の右腕が振るわれる。
拳ではなく、前腕そのものが巨大な鉈の様にジンへ向けて叩きつけられる。
ジンはそれを剣で受け止める。
──ガギィンッ!!!
「ぐっ……!」
重い、だが単調な攻撃。
「大ぶりだな!化け物!」
ジンは剣を滑らせ右腕を外へ受け流し怪物の懐へ踏み込む。
──斬れる。
ジンがそう判断した瞬間だった。
『ジン!下だ!』
「!っ。」
怪物の腰が回り左脚が地面を離れる。
爪先だけではない、脛ごと叩き込む様な蹴りがジンへ飛ぶ。
「チィッ!」
ジンは咄嗟に剣を下げ、蹴りが剣腹へ炸裂した。
「ぐおっ!?」
一撃は防いだ。だが衝撃までは殺しきれず、ジンの身体が横へ吹き飛ぶ。
靴底を滑らせ剣を地面へ突き立ててその勢いを殺した。
だが怪物が再び地面を蹴る。
──ズンッ!
ジンが吹き飛んで開いた間合いを、怪物は一瞬で食い潰す。
右前腕が横薙ぎに走る。
受け流した直後、今度は左前腕が上方から叩き落とされた。
ガギン!
ギィン!
ガッ!
外殻に覆われた前腕の一撃は食らえばただではすまない。
ジンは剣で左前腕の軌道を反らし受け流す。
「くっ……!」
そしてまた繰り出される大振りの一撃、ジンはそれを見逃さなかった。
「!っ。」
上から飛んできた右前腕の軌道を反らし、再び懐へ踏み込み剣へ魔力を集中し
「っらあ!!」
剣を横薙ぎに振り抜く、赤い魔力光の一線が怪物の腹部に走る。
有機物の焼けた臭いが鼻を突き、怪物の腹部には一筋の傷が走っていた。
「っ。……流石に硬ぇ……!! 」
だがその傷口には黒い菌糸の塊が、心臓のように脈打っていた。
「……へぇ。」
ジンは再び踏み込む。
腹部へ向けて剣を振り上げた。
ギィンッ!
怪物が初めて明確な防御行動を取る。
「……今まで避けもしなかったくせに、そこだけは守るのか?」
『なるほどな。あの菌糸塊――核かもしれん。』
ギリギリと火花を散らしているが怪物は右前腕を振り払う。
ジンは後方へ飛び退く、怪物の腹部を再び見る。
先程つけた傷は飛び出た菌糸同士が絡み合い塞がり始めている。
『牙狼を喚ぶのか?ジン。』
「あぁ。」
ジンは右手の剣を再び強く握り剣を上空へ振り上げ円を描く様に虚空を斬る──。
その瞬間、怪物は何かを察知したのか、再び地面を蹴りジンとの間合いを詰め、右前腕を叩き込もうとする。
円環の向こうから黄金の輝きが迸り、光とともに黄金の装甲が次々と降下する。
籠手、胸甲、脚甲、そして獣を象った兜――それらが一瞬のうちにジンの全身へ装着されていく。
怪物の右前腕が届くその寸前──、黄金の奔流がジンを包み込んだ。
──ガギィンッ!!
怪物のあの重い一撃が止められた。
あの黒い前腕を止めていたのは、人の腕ではない。黄金の籠手だった。
その手は怪物の前腕を掴み込む。
黄金の光が晴れ、そこに立っていたのは先ほどまでの男ではない。
獣を思わせる鋭利な兜、全身を覆う黄金の装甲。
闇の中にあってなお、自ら光を放っているかのように輝くその姿。
そして兜の奥には赤い双眸が灯っている。
ジンはザルバが牙狼と呼ぶ鎧を身に着け光の中から現れた。
少年は瞬きすら忘れていた。
黄金という色の名すら知らない。
それでも、自分と怪物の間に立つその背中から、なぜか目を逸らすことができなかった。
怪物は掴まれた右前腕を引き抜く為に力を込めるが、牙狼は離さない。
鎧の奥からジンの声が低く響く。
「少し焦ってるな?お前。」
牙狼は怪物の右前腕を掴んだまま、勢いよく手前へ引いた。
──ドゴォッ!!
牙狼の膝がメリメリと怪物の腹部へめり込む。
「――――ッ!!」
怪物は激痛で目玉をギョロギョロと動かし声にならない声を上げる。
そして掴んでいた左手を離し黄金の剣、牙狼剣で怪物の右前腕の肘から先を叩き斬った。
赤い炎熱魔力を纏った牙狼剣の刃はいとも簡単に怪物の装甲を溶解し筋肉のように束になった太い菌糸束を焼き斬り、切断され床に落ちた腕は傷口から炎が周り炭化する。
「――――ッ!!」
本能的に危機を察知した怪物は雄叫びを上げながら後方へ飛び退き牙狼と距離を取る。
牙狼はゆっくりと眼前の怪物へ向けて歩き始める。
一歩、二歩。
歩を進める度、ガシャンガシャンと鎧の音が響く。
そして足元から赤い魔力光が迸る、揺らめく炎の様に牙狼の全身を纏うように覆っていく。
「──よく覚えておけ。」
右手に握られた牙狼剣に魔力が集中する。
「俺達がいる限り……!」
牙狼は一歩踏みしめる、踏みしめた足元はヒビ割れ陥没する。
そして地を蹴り爆発的な加速力で怪物との間合いを詰め
「人の命はてめぇらの餌じゃねぇ!」
──ザンッ!!!
牙狼剣を両手に持ち魔力が迸る牙狼剣の刃を怪物の腹部の弱点へ向けて一閃、斬り抜ける。
「……終いだ。」
怪物を背に牙狼は怪物の血液が付着し熱で蒸発し始めている牙狼剣を一振りする。
──ボゥッ!!
怪物の太い胴体に一筋の線が走りそこから炎が噴き出す。
燃え盛る傷口からは黒い菌糸が飛び出てくるが時既に遅し。
怪物の体は両断され、下半身は立ったまま上半身は力無く床へ崩れ落ちる。
怪物の赤い目からは光が徐々に消えていく。
巨大な上半身、下半身共に炎が燃え移り炭化し塵になっていく。
「ふぅ。」
ジンは牙狼を解除し息を吐く。
『厄介な相手だったな。』
「核を見つけられたから助かった。見抜くのが少し遅れてたら面倒な事になっていた。
……上に報告しなきゃいけねぇな。」
ジンは少年を保護している結界魔法を解除し少年の元へ歩み寄る。
「よっ坊主、怪我してねぇか?」
ジンはニッと白い歯を見せて少年へ笑みを向ける。
「……。」
ジンの魔法衣を羽織った裸の少年は不安そうな表情でジンを見つめる。
「どうした?どこか痛いのか?」
少年はフルフルと顔を横に振る。
「……して。」
少年は小さく声を発する。
「……?」
「僕を殺して……。」
少年の発言にジンはギョッとするが少年を真っ直ぐに見つめる。
「何でだ?」
「僕は、失敗作だから。」
「失敗作?」
少年は小さく「うん。」と顔を縦に振る。
「僕は……魔力をうまく使えないんだ。触ると、壊しちゃうから……。」
「……だから死んだ方がいいってか?」
「……あの人たちも、僕はいらないって言ってたから。」
「……。」
ジンは「ハァ〜。」と深い溜息をつき、少年のおでこに右手を伸ばして少し強めにデコピンを当てた。
「いたっ!?」
少年は赤くなったおでこを抑え涙目でジンを見る。
「馬鹿野郎、お前が失敗作だなんて俺はそう思わねぇがな。」
「でも……僕は、何をしても――」
「出来ねぇなら覚えりゃいい。生き方が分からねぇなら一緒に探してやる。」
ジンは少年と目線を合わせた。
「だから自分を殺してくれなんて、そんな事言うな。」
「……うん。」
少年はギュッと羽織った魔法衣を掴む。
「よし!じゃあ行こうぜ。」
ジンは少年を立たせて足元の埃を払う。
「そーいやお前、名前は?」
「……名前?」
少年は首を傾げる。
「ま、まぁそうだよな。
こんなとこに産まれてからずっといたんだもんな。」
ジンは周囲を見渡し、ある物が目に入る。
少年の入っていた培養槽──そこには
【Kairi】
「……カイリ。」
「?」
「ここにそう書いてある。お前の名前なんじゃねぇか?」
少年は初めてその言葉を自分で口にした。
「……カイリ。」
「俺はジン。こっちはザルバだ。よろしくな、カイリ」
「……うん。」
ジンはカイリを抱き上げ、研究所を後にした。
──────────────
外へ出た瞬間、冷たい風がカイリの頬を撫でた。
「……。」
カイリは目を細める。
東の空が白み始めていた。
地平の向こうから差し込んだ光が、初めて少年の肌を照らす。
眩しい。
それが太陽というものだと、この時のカイリはまだ知らなかった。
「……。」
ジンは腕の中へ視線を落とす。
研究所から助け出した少年、カイリ。
研究所内にあった廃棄された培養槽の中の実験体の数々……、彼が実験体の一人である事は明らかだった。
そして奴がカイリを付け狙う理由、それは今のところ分からなかった。
「ジン!無事か!」
声に顔を上げる。
研究所の周囲には既に数人の魔戒騎士と法師が集まってきており、周囲を警戒し調べる者、結界を貼る者、各々が任務を全うしていた。
そしてその中から二人の女性が駆け寄ってくる。
一人は長い金髪の少女、もう一人は明るい紫色の短髪の少女、どちらも聖王教会の騎士服と修道服を纏っている。
カリムは真っ先にジンの状態を確かめ、シャッハは足を止めると同時に研究所へ警戒の視線を向けた。
「よぉカリムとシャッハ。
こんな時間にすまねぇな。」
金髪の少女 カリム・グラシア がジンの前で足を止めた。
「ご無事でしたか!ジンさん。」
「あぁ、何とかな。」
その隣で シャッハ・ヌエラ が研究所を見上げている。
「内部で異様な魔力反応を検知しました。
先程のものはホラーのものでしょうか?」
「ご名答、流石だな。」
ジンの返答は短い。
『ただし、普通のホラーじゃないがな。』
シャッハがザルバを見る。
「普通ではない……?それはどういう……?」
ジンはそれに答えず背後の研究所を振り返る。
脳裏に蘇る無数の異様なホラーと這い回る黒い菌糸 。
周囲のものを吸収し現れた新種のホラーと思われる怪物。
そしてある存在がジンの中でよぎる。
「ホラーには違いねぇ。ただ、周囲の死体と菌糸を取り込んで、戦闘用の個体をその場で作り出しやがった。」
シャッハの顔が強張る。
『しかも並のホラーとは比較にならん戦闘力だ。』
ザルバの言葉を聞いたカリムは息を飲む。
「その個体は、既存のホラーとは別種なのですか?」
「さぁな、あの野郎がその場で作り出したのは間違いねぇ。」
ジンは短く答える。
「さっさと報告に行かなきゃな、思ったよりマズいことになるかもしれん。」
ジンはカリムとシャッハを見る。
「すまん2人とも、俺は今から番犬所に行かなきゃならん。」
カリムとシャッハは顔を見合わせる。
「だからこいつ、お願い出来ないか?」
2人はジンに抱き抱えられた少年を見る。
二人の視線が改めて、ジンの腕の中の少年へ向いた。
「ジンさん、その子は……?」
カリムが少年を見る。
ジンは少し表情が険しくなりながら答える。
「この研究所の最深部にいたんだ。」
カリムの顔から血の気が引いていく。
「まさか……。」
「あぁ、殺されそうになってた所を俺が助けた。」
シャッハも少年の体を見る。
細い手首には、幾つもの採血痕が残っていた。
「こんな小さな子供を……。」
シャッハは唇を噛む。
「その子、怪我は……?」
「目立った外傷はねぇ。ただ、今すぐちゃんと診てもらった方がいい」
シャッハの問いに、ジンはカイリへ目を落とした。
「意識はある、ただ今はまともに話をさせる状態じゃねぇ。
だから聖王教会の病院で診てやって欲しい。」
その言葉を聞いてカイリの指がジンの戦闘服を掴んだ。
「……。」
ジンは無言で服を掴むカイリを見る、弱々しいがそれでも離されまいと必死に服を握っている。
ジンはしばらく黙っていたが、やがて
「すまんなカイリ。」
ジンは服を掴むカイリの指を優しく解く。
「……!」
カイリは不安そうな表情を浮かべそれでもしがみつこうとする。
「……今はお前を連れ回す訳にはいかねぇんだ。」
ジンはゆっくりとしゃがむとカイリを地面に下ろした。
「……。」
カイリは顔を俯かせる。
「大丈夫だ、お前を絶対に迎えに行くから。」
「……!」
俯いたカイリはジンの言葉を聞いて顔をあげる。
「分かりました。この子は私達がお預かりします。」
カリムがカイリを抱き上げ、その隣にシャッハが立つ。
「頼んだ。」
ジンは3人に背を向ける。
「ああ、そうだ。そいつの名前はカイリだ。そう呼んでやってくれ。」
数歩進んでから、ジンは振り返らずに続けた。
「あと、報告が終わったらすぐ迎えに行くって、あんたらの上司にも伝えといてくれ。」
ジンの言葉を聞いてカリムは少し微笑む。
「わかりました、伝えておきます。
お待ちしてますねジンさん。」
ジンは振り向かず手を振りながらその場を後にする。
カイリはその背中を、カリムの腕の中からいつまでも見つめていた。
自分を捨てるのではなく、迎えに来ると言ってくれた――初めての人を。
── to be continued.
かなり久しぶりの投稿になります。
拙い文章とは思いますが、楽しんで頂けると幸いです。
よろしくお願いいたします。