牙狼<GARO>-継承の黄金-   作:天玄

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episode2 約束

 

 

研究所での一件から、一週間が経とうとしていた。

 

ジンには東部番犬所から、一週間の待機命令が下されていた。

 

研究所へ突入し、最深部まで踏み込んだ唯一の魔戒騎士。

 

さらに、そこで確認された未知のホラーと直接交戦し、生還した唯一の魔戒騎士でもある。

 

現場調査が一段落するまでは、追加の聴取が必要になる可能性がある。

 

そのため、ジンは通常任務から外されていた。

 

待機――といっても、休暇とは程遠い。

 

連日のように番犬所へ呼び出され、何度も事情聴取を受けた。

 

同じ質問を、言葉を変え、順序を変え、何度も何度も投げかけられた。

 

だが、ジンの答えは毎回同じだった。

 

突如として地下に蔓延した菌糸。

 

人の姿を残した、異質な一体。

 

そして、群れを成して襲い来た、菌糸に覆われた人型のホラー。

 

死体と菌糸を喰らって形成された、巨大な繭。

 

その研究所にいた謎の少年――カイリ。

 

そして、その命を狙っていた正体不明の何者か。

 

ジンは、あそこで自分が見たものを、余計な憶測を加えずそのまま話した。

 

廃墟となった研究所では現在、元老院と聖王教会の特異災害対策課――通称《特対課》による現場調査が進められている。

 

聴取の中でジンに求められているのは、あくまで調査結果と照合するための証言だった。

 

うんざりするほどの聴取を受けてもなお、ジンの頭から離れないものが一つあった。

 

研究所で起きた出来事でもない。

 

未知のホラーのことでもない。

 

培養槽の中で膝を抱えていた、カイリのことだった。

 

『――失敗作だから。』

 

周囲の大人から、そう言われ続けてきたのだろう。

 

挙げ句、自分には生きる価値すらないと思い込み、ジンへ「殺してくれ」と頼んだ。

 

ジンはカリムとシャッハにカイリを預け、別れ際に告げた。

 

『必ず迎えに行く。』

 

だが、いまだその約束を果たせていない。

 

それに――別れ際に見たカイリの顔を、ジンは忘れることができなかった。

 

自宅にいたジンは、椅子から立ち上がると予備の魔法衣に袖を通した。

 

卓上の小さな台座に置かれていたザルバが、身支度を進めるジンへ低い声を投げる。

 

『なんだジン。またあいつのところに行くのか?』

 

「……悪いか?」

 

『悪いとは言ってねぇ。ただ昨日も一昨日も、カリムやシャッハに門前払いされたばかりだろ?』

 

「今日も同じとは限らんだろうが。……それに。」

 

『それに?』

 

「あいつが、待ってるかもしれねぇ。」

 

『あのガキがお前を待ってる保証なんてあるのか?』

 

「……ねぇよ。」

 

『だったら――。』

 

「それでも行く。俺はあいつと約束した。」

 

ザルバが小さく息を吐いた。

 

『ハァ……お前はそういうところだけは律儀というか、諦めの悪い奴だな。』

 

「ほっとけ。」

 

それ以上言葉を交わすことなく、ジンはザルバを右手の中指にはめた。

 

二度追い返された程度で、諦めるつもりはなかった。

 

──────

 

ジンが向かったのは聖王教会だった。

 

その起源は、古代ベルカ戦争終結後にまで遡る。

 

聖王家を母体としていた護りし者たちの組織は、戦争終結後、表と裏――異なる役割を担う二つの組織へと分かれた。

 

その一方が元老院。

 

そして、もう一方が聖王教会だった。

 

現在も両者は互いに独立した組織として存在しながら、必要に応じて監視し、補完し合う関係にある。

 

聖王教会の内部には、ホラー事件によって生じた被害の封鎖、生存者の保護、目撃者への情報処理などを担う直属組織が存在する。

 

特異災害対策課――通称《特対課》。

 

カイリが保護されているのも、その特対課が管轄する保護施設だった。

 

聖王教会の建物内部は白い石材を基調としており、番犬所とはまるで空気が違う。

 

磨き抜かれた床。

 

高い天井。

 

回廊へ差し込む柔らかな光。

 

ここに魔獣との戦いを担う組織の一端が存在するなど、事情を知らぬ者なら想像もしないだろう。

 

ジンは昨日も、一昨日も歩いた長い回廊を進んでいく。

 

やがて、保護施設へ続く扉が見えてきた。

 

その前に立っていたのは、カリムだった。

 

「よぉ、カリム。昨日ぶりだな。」

 

「こんにちは、ジンさん。今日もいらしたのですね。」

 

カリムの表情を見た瞬間、ジンは昨日と同じ展開になることを察した。

 

「その、だな……カイリのことなんだが。」

 

「駄目です。」

 

返事は早かった。

 

「何度かお伝えしましたが、彼をジンさんに会わせることは、ゲイツ統括から固く禁止されています。」

 

「なら……せめて理由を教えてくれ。」

 

「それも……お教えできません。」

 

ジンの奥歯が噛み締められる。

 

「何でだ!? あいつに会うことも許されねぇ。その理由まで教えてもらえないって……一体どういうことだ!?」

 

声を荒らげかけ、ジンは拳を握った。

 

「おっさん……ゲイツ統括は、何考えてんだ……!」

 

カリムは申し訳なさそうに、僅かに目を伏せる。

 

「すみません……私もシャッハも、理由までは聞かされていないんです。ただ、ジンさんとカイリを接触させないように……とだけ。」

 

その言葉を聞き、ジンの怒気が僅かに薄れる。

 

「……そうなのか。」

 

「はい。ですが……ゲイツ統括にも、何かお考えがあってのことだと思います。ですから今は……私たちを信じていただけませんか?」

 

ジンは黙り込んだ。

 

握り締めていた拳を、ゆっくりと開く。

 

「……一つだけ教えてくれ。」

 

「はい?」

 

「あいつは……ちゃんと飯、食ってるのか?」

 

カリムが一瞬、目を丸くした。

 

やがて、その表情が少しだけ柔らかくなる。

 

「はい。最初はほとんど口にしてくれませんでしたが、今は少しずつ。身体検査でも、怪我や病気は確認されていません。」

 

「……そうか。」

 

ジンの肩から、僅かに力が抜けた。

 

『まあ、あの狸親父のことだ。何の考えもなしにお前を締め出してるわけじゃねぇだろ。』

 

「……分かった。」

 

ジンは踵を返した。

 

「ジンさん。」

 

カリムに呼び止められ、その足が止まる。

 

「カイリのことは、私たちが必ず守ります。」

 

ジンは振り返らなかった。

 

少しだけ間を置く。

 

「……頼む。」

 

そう答えて、その場を後にした。

 

────────

 

その日の夜。

 

聖王教会から戻ったジンは、夕食もそこそこに、自宅の居間で椅子へ深く腰掛けていた。

 

頭に浮かぶのは、結局今日も会うことができなかったカイリのことだった。

 

『まだ気にしてんのか?』

 

卓上に置かれたザルバが、呆れたように声を上げる。

 

「……別に。」

 

『お前はすぐ顔に出るからな。そんな顔で言っても説得力がねぇぞ。』

 

「うるせぇよ。」

 

ジンがそう返した、そのときだった。

 

不意に部屋の空気が微かに震え、卓上の燭台の炎が揺れる。

 

『ジン。』

 

「ああ。」

 

ジンは立ち上がった。

 

玄関の方から、人の気配がする。

 

扉を開くと、そこには東部番犬所の魔戒法師が立っていた。

 

法師は一礼し、一通の封書を差し出す。

 

「東部番犬所より預かっております。」

 

ジンは黙ってそれを受け取った。

 

赤い指令書。

 

だが、封蝋に刻まれていた紋章を見た瞬間、その目が僅かに細くなる。

 

「……元老院か。」

 

『随分と遅い時間にお呼びが掛かったもんだな。』

 

法師はそれ以上何も言わず、一礼して夜の闇へ消えていった。

 

扉を閉じたジンは、指令書を卓上へ置く。

魔導火を灯し、その端へ近づけた。

赤い紙が炎に包まれる。

 

やがて、その中から淡い光を帯びた魔導文字が浮かび上がった。

 

――黄金騎士・牙狼、ジン・アストライア。

 

――明朝、元老院への出頭を命ずる。

 

内容は、それだけだった。

 

出頭の理由も、目的も記されていない。

 

文字が消え、炎も静かに収まる。

 

「……明朝、ねぇ。」

 

『研究所の件だろうな。』

 

「十中八九な。」

 

ジンは椅子へ座り直す。

 

だが、その脳裏に浮かんだのは研究所ではなく、昼間のカリムの言葉だった。

 

――ゲイツ統括にも、何かお考えがあってのことだと思います。

 

ジンはしばらく黙ったあと、指令書の残滓へ視線を落とす。

 

「……面倒な話じゃなきゃいいがな。」

 

『そう思ってる時点で、大抵面倒な話だ。』

 

「違いねぇ。」

 

その夜、ジンはいつもより少し早く床へ就いた。

 

────────

 

翌朝。

 

まだ街に朝靄が残る頃、ジンは自宅を出た。

 

昨夜届いた指令書には、元老院へ出頭せよという簡潔な命令しか記されていない。

 

研究所の一件についてなら、これまでのように東部番犬所へ呼び出せば済む話だ。

 

それをわざわざ元老院まで呼びつける。

 

その事実だけで、ただの追加聴取ではないことくらいは察しがついた。

 

「……面倒なことにならなきゃいいが。」

 

右手から、ザルバが鼻で笑う。

 

『元老院から呼び出されといて、面倒じゃねぇと思えるお前の頭が羨ましいぜ。』

 

「朝からうるせぇぞ、ザルバ。」

 

『俺様は親切で言ってやってんだよ。』

 

「……そうかい。」

 

短くあしらい、ジンは歩みを進める。

 

向かう先は東部番犬所。

 

そこから元老院へ向かう手筈になっていた。

 

普段の任務であれば、指令を受けた魔戒騎士が単独で現場へ向かうことも珍しくない。

 

だが、今回ばかりは違う。

元老院からの正式な召集。

 

そして東部番犬所からも神官が一人、同席することになっている。

 

番犬所へ着く頃には、朝日はすでに建物の屋根を照らし始めていた。

 

中へ入ると、見慣れた神官が待っていた。

 

年齢はジンよりいくらか上。

 

普段は東部一帯のホラー出現情報や、魔戒騎士への任務割り振りを担っている男だ。

 

「来たか、ジン。」

 

「ああ。」

 

挨拶もそこそこに、ジンは周囲を見回した。

 

「で? 何の話なんだ?」

 

「私に聞くな。」

 

返答は素っ気なかった。

 

「お前と同じだ。元老院から出席せよとしか聞かされていない。」

 

「神官まで呼びつけといて、内容は秘密かよ。」

 

『随分と用心深い連中だな。』

 

ザルバの声に、神官が僅かに眉を動かす。

 

「元老院とはそういう場所だ。だが、大体は想像がつく。お前もそうだろう?」

 

「……ああ。」

 

ジンの聴取内容を知っている神官も、今回の召集の意図をある程度は察しているようだった。

 

現場で剣を振るう魔戒騎士にとって、元老院は決して身近な存在ではない。

 

番犬所から指令を受け、ホラーを狩る。

 

通常であれば、それで事足りる。

 

元老院が一人の騎士を名指しで召集するなど、そう頻繁にあることではなかった。

 

「時間だ。行くぞ。」

 

神官に促され、ジンはその後へ続いた。

 

二人が向かったのは、番犬所の最奥。

 

普段、ジンが立ち入ることのない区画だった。

行き止まりに見える石壁の前で、神官が足を止める。

 

壁面には、複雑な魔戒文字が円を描くように刻まれていた。

 

神官が掌をかざす。

 

魔戒文字が淡く光り始めた。

 

やがて石壁の中央が揺らぎ、薄暗い回廊がその向こうに姿を現す。

 

人界と元老院を繋ぐ転移路。その先は、魔界へと通じている。

 

『相変わらず、気味のいい場所じゃねぇな。』

 

「同感だ。」

 

ジンと神官は、揺らめく境界を越えた。

 

――元老院――

 

魔戒騎士と魔戒法師。

 

そして、各地の番犬所を統括する護りし者の中枢。

 

組織として現在の形となったのは、古代ベルカ戦争終結後。

 

だが、その系譜はさらに古い。

 

前身となった対ホラー組織まで辿れば、その歴史は古代ベルカ以前にまで遡る。

 

魔界に存在し、幾重もの結界によって守られた元老院。

 

昨日訪れた聖王教会とは、その佇まいからしてまるで違っていた。

 

白い石壁と陽光に満ちた聖王教会に対し、元老院の内部は薄暗い。

 

壁面を照らしているのは、一定の間隔で灯された青白い魔導火だけ。

 

窓らしい窓はほとんど存在せず、外界から切り離されたような静けさが長い回廊を覆っていた。

 

ジンと神官の靴音だけが、石造りの床へ規則的に響く。

 

ジンは歩きながら、周囲へ静かに視線を巡らせた。

 

回廊を行き交う魔戒法師。

壁際に控える使者。

 

そして、ときおりすれ違う魔戒騎士。

その誰もが無駄口を叩かない。

 

こちらへ一瞥を向けても、すぐに視線を戻していく。

 

研究所の件がどこまで伝わっているのか、ジンには分からない。

 

ただ一つ分かるのは――自分がここへ呼ばれた事実を知る者は、決して少なくないということだった。

 

角を曲がり、さらに奥へ進む。

 

やがて、周囲の人影が減っていった。

代わりに、壁へ刻まれた魔戒文字が増えていく。

 

一つではない。

 

幾重にも重ねられた結界術式だった。

 

『随分と厳重だな。』

 

ザルバが、先ほどまでとは違う低い声を出す。

 

「……そうだな。」

 

ジンも短く答えた。

 

元老院の中でも、この辺りは上層部が使用する区画なのだろう。

 

神官が一つの大扉の前で足を止める。

 

その左右には、二人の魔戒騎士が控えていた。

 

「東部番犬所所属神官、及び黄金騎士ジン・アストライア。召集に応じ参上した。」

 

神官が告げると、騎士の一人が静かに頷く。

 

「確認しました。お入りください。」

 

重い音を立て、大扉が内側へ開いていく。

 

その先には、さらに短い廊下が続いていた。

その突き当たり。

 

議場へ続くもう一つの扉の前に、二人の人影がある。

一人は、白髪の混じった短髪に、深い皺の刻まれた初老の男。

 

聖王教会直属・特異災害対策課《特対課》統括責任者――ゲイツ・レーゲンス。

 

白髪も皺も、ジンが若かった頃に比べれば随分と増えた。

 

だが、こちらを真っ直ぐ射抜いてくる鋭い眼だけは、昔から何も変わっていない。

 

「……ゲイツ統括。」

 

「早朝からの出頭、すまないな。神官殿、それにジン。」

 

ゲイツの少し後ろでは、昨日までジンを保護施設の前で追い返していたカリムが立っていた。

 

「あ……ジンさん。」

 

カリムがこちらに気づく。

 

ジンはゲイツとカリムを交互に見た。

 

「カリムまでいるってことは……やっぱり研究所の件か。」

 

「……。」

 

ゲイツは答えない。

 

「なんで、ずっと答えてくれねぇんだよ。」

 

ジンの声に、僅かな苛立ちが混じる。

 

「ここで話すことは何もない。そのための席を、この先に用意してある。」

 

ゲイツはそれを意に介した様子もなく、ジンを真っ直ぐに見た。

 

「ジン。一つだけ言っておく。」

 

「……なんだよ。」

 

「中で何を聞いても、まず最後まで話を聞け。」

 

ジンの表情が変わる。

 

「……それは、どういう意味だ?」

 

「そのままの意味だ。」

 

ゲイツは淡々と言葉を返した。

 

「おっさん――!」

 

「ジンさん。」

 

さらに問いを投げようとしたジンへ、カリムの声が割って入る。

 

彼女は少し困ったような、それでいて昨日よりも真剣な表情をしていた。

 

「お願いします。」

 

その一言で、ジンは問いを飲み込んだ。

 

昨日。

カイリに会わせることはできない。

理由も話せない。

そう告げたのも、この二人だった。

 

そして今日。

 

二人とも、この元老院の議会へ呼ばれている。

 

「……分かった。」

 

『どうやら本当に、あのガキが無関係ってわけじゃなさそうだな。』

 

ザルバが呟く。

 

ゲイツの視線が、一瞬だけジンの右手へ向いた。

だが、何も言わなかった。

そのとき、議場へ続く扉が静かに開いた。

 

「お入りください。」

 

中から声が響く。

 

神官が先に歩き出し、ゲイツもそれに続く。

 

カリムが一歩進んだところで、ジンは僅かに足を止めた。

 

開かれた扉の向こうには、広い円形の議場が見える。

中央には重厚な円卓。

 

その周囲には、すでに何人もの人間が席についていた。

 

各地の番犬所を預かる神官。

 

元老院上層部から選ばれた議員たち。

 

ジンが足を踏み入れた瞬間。

 

いくつもの視線が、一斉にこちらへ向けられた。

 

警戒。

 

値踏み。

 

興味。

 

歓迎するような目ではない。

 

『朝からお偉いさん方が揃い踏みとは……随分と豪勢なことだな。』

 

ザルバの軽口とは裏腹に、ジンの眼差しは鋭くなっていた。

 

研究所で何が起きたのか。

 

あの未知のホラーは何者なのか。

 

そして――

 

なぜ、自分はカイリに会うことを禁じられたのか。

 

その答えが、この場所にある。

 

ジンは円卓へ向けて、一歩を踏み出した。

 

指定された席へジンが着くのを待ち、上座に座る議長役の神官が静かに口を開いた。

 

「全員、揃ったようだな。」

 

それまで議場を満たしていた低い話し声が止む。

 

円形に造られた広い議場。

 

中央には重厚な円卓が置かれ、その周囲を、今回の一件を審議するために選ばれた元老院議員と、各地の番犬所を預かる神官たちが囲んでいる。

 

聖王教会側から出席しているのは、特異災害対策課《特対課》統括責任者――ゲイツ・レーゲンス。

 

その隣には、カリムの姿もあった。

 

ジンは指定された席へ腰を下ろすと、円卓を囲む面々を一瞥した。

 

向けられている視線は様々だった――警戒、値踏み、興味。

 

少なくとも、歓迎されているようには見えない。

 

ゲイツは何も言わず、腕を組んだままジンを見つめていた。

 

「では、始めよう。」

 

議長役の神官のその一言で、議場の空気が変わる。

 

「議題は、一週間前、ミッドチルダ東部廃棄区画地下の研究施設で発生した事案についてだ」

 

議長役の神官が、円卓中央の魔導具へ手をかざす。

 

淡い光が広がり、研究所内部の見取り図が宙へ浮かび上がった。

 

崩落した通路。

 

破壊された研究区画。

 

そして、地下最深部の培養区画――ジンがカイリを見つけた場所だ。

 

「元老院及び聖王教会特異災害対策課による合同調査は、昨日をもって一通り終了した。」

 

議長役の神官が資料へ目を落とす。

 

「施設内部から確認された少数の遺体については損傷が激しく、現在も身元照合を継続中だ。研究設備及び記録媒体の大半も損傷しており、施設の正確な運用目的については、いまだ調査中である。」

 

一人の議員が口を開く。

 

「例の菌糸状組織は?」

 

答えたのはゲイツだった。

 

「すでに採取した。ごく微量だったがな。」

 

ゲイツは手元の報告書を開く。

 

「施設外へ持ち出したものは急速に活性を失い、その後、崩壊した。通常の保存処置、魔導処置、いずれも効果はない。」

 

「ホラー由来のものか?」

 

「その可能性は高い。」

 

ゲイツは一度、言葉を切る。

 

「ただし、元老院が保管する既知のホラーの身体組織とは一致しない」

 

円卓の一角で、小さなどよめきが起こる。

 

議長役の神官が手を上げ、それを制した。

 

「次に、施設内部で確認された人型個体についてだ。」

 

映像が切り替わる。

 

青黒く変色した身体。

 

その至るところから菌糸が伸び、顔の中央には黒い花弁のようなキノコと、無数の赤い目。

 

中には、辛うじて人間だった頃の顔を僅かに残したものもいる。

 

その映像を見て、ジンの目が細くなった。

 

「合同調査班では便宜上、これらの個体を《屍人ホラー》と仮称している。」

 

『……嫌なもん見せやがる。』

 

ザルバの声からも、先ほどまでの軽さが消える。

 

議長役の神官の視線がジンへ向く。

 

「黄金騎士ジン・アストライア。」

 

「……何だよ。」

 

「お前は研究所へ突入した際、早い段階でこれらをホラーの一種と判断している。」

 

「ああ。それがどうした?」

 

「その根拠を聞きたい。」

 

ジンは映し出された屍人ホラーを、しばらく見つめた。

 

「……過去に見たことがある。」

 

何人かの視線がジンへ向く。

 

「どこでだ?」

 

「今から六年前――」

 

ジンの声から、完全に軽さが消えた。

 

「キンブリーが運営していた孤児院で。」

 

この場にいる者たちの空気が僅かに変わる。

 

東部の神官が資料へ目を落とした。

 

「……キンブリー・レイスの運営していた孤児院で発生した事件か。」

 

「ああ、そうだ。」

 

キンブリー・レイス。

 

孤児院を運営していた、もと元老院直属の魔戒法師。

 

六年前、孤児院の子供たちを惨殺した疑いを残したまま、その姿をくらませている。

 

ジンの脳裏に、嫌でもあの日の光景が蘇る。

 

不気味なほど静まり返った孤児院。

 

薄暗い屋敷に満ちた血と死臭。

 

床や壁を這う細い菌糸。

 

子供たちは、この映像と同じように変わり果てていた。

 

呼びかけても答えず、ジンへただ殺意のままに襲いかかってきた。

 

「そこにいた孤児たちが、同じような状態になっていた。」

 

「当時の記録では遺体はなく、残されていたのは今回の研究所と酷似した菌糸のみ。子供たちは調査後、死亡したものと判断されていたようだが?」

 

「多分、死んでたさ。」

 

ジンが低く答える。

 

「研究所にいた奴らを斬って、改めて実感した。身体は動いてる。だが……もう人間じゃねぇ。」

 

議員の一人が眉を寄せた。

 

「どういう意味だ?」

 

「アイツらからは、痛みや恐怖といった感情を読み取れなかった。

あったのは、獲物を殺すための獣と同じ殺意だけだ。」

 

ジンの拳が僅かに握られる。

 

「……今回の奴らも同じだった。」

 

『それに、普通の憑依型とも違ったな。』

 

ザルバが続ける。

 

『人間の中にホラーが入り込んでるっていうより、死体そのものを別の何かに作り変えてる感じだった。』

 

ゲイツがジンに問う。

 

「ジン。この菌糸は、孤児院にあったものと同一だと断定できるか?」

 

「それは分からねぇ。」

 

ジンは首を横に振る。

 

「見た目と性質が酷似してる。ただ、それだけだ。」

 

「……そうか。」

 

議長役の神官が資料を一枚めくり、ジンに視線を送った。

 

「次は、今回の研究所で確認された、もう一つの異常についてだ。」

 

映像が切り替わる。

 

菌糸が幾重にも重なり合い、巨大な塊を形成していた地点。

 

「お前の証言では、屍人ホラーとの戦闘後に異常な現象が発生した。そうだな?」

 

「ああ。」

 

ジンの表情が険しくなる。

 

「倒した屍人どもの死体に、周囲の菌糸が集まり始めて――」

 

ジンは当時の光景を思い返す。

 

倒れた屍人ホラーや研究員の死体を次々と取り込んでいく菌糸。

 

肉を覆い尽くし、骨を包み込み、複数の死体を一つへまとめ上げていく。

 

「そのまま巨大な繭を作った。」

 

円卓に座る何人かが顔を上げた。

 

議長役の神官が問いを投げかける。

 

「破壊は試みたのか?」

 

ジンよりも早く、ザルバが応答した。

 

『並の攻撃じゃ、まず壊せねぇ。俺様から見ても、洒落にならねぇ量の魔力が中で渦巻いていた。』

 

「高威力の一撃ならどうだ?」

 

『破壊できる可能性はある。だが、何が出てくるかも分からねぇ繭を相手に、鎧の制限時間と魔力を食い潰す気か? 割に合わねぇよ。』

 

一瞬、議場が静まり返る。

 

ザルバが続けて補足する。

 

『それに、中の何かが完成するまで、外からは絶対に触らせねぇって感じだったからな。』

 

ゲイツが資料を見ながら発言する。

 

「現場でも、繭が形成されていた地点から高濃度の魔力反応が確認されている。」

 

「残骸は?」

 

「ない。」

 

淡々と答えるゲイツに、議員が眉を寄せる。

 

「ないだと?」

 

「あの繭が周囲の死体と菌糸を取り込み、現場にはほとんど何も残していない。それに、役目を終えた組織の大半は急速に活性を失い、崩壊している。」

 

議場にざわめきが広がる。

 

議長役の神官は構わず議題を続けた。

 

「そして、その繭から出現したのがこの個体だ。」

 

映像が切り替わる。

 

映し出されたのは、調査班がジンの証言をもとに再現した大型個体。

 

全高は二・五メートルほど。

笠のような頭頂部。

赤黒い巨体。

大きく発達した両腕と強靱な脚部。

 

頭部には赤い単眼が灯り、腹部には肉塊に近い異様な組織が存在している。

 

議長役の神官がジンを見る。

 

「ジン。この個体について、お前の考えを聞きたい。」

 

ジンの眼差しが鋭くなる。

 

「正直、今まで戦ったどのホラーとも違った。」

 

「戦闘能力は?」

 

「高い。」

 

ジンは即答した。

 

「見た目ほど鈍重じゃねぇ。二足のまま強靱な脚力で一気に間合いを潰し、腕だけじゃなく蹴りまで使ってくる。」

 

「生身での撃破は?」

 

「魔力纏武を使っても、長時間は持たないと判断した。

だから鎧を呼んだ。」

 

再び議場が静まり返る、黄金騎士が鎧を必要とした。

その意味を理解できない者は、ここにはいない。

 

ゲイツがジンへ尋ねる。

 

「核……要は弱点はあったのか?」

 

ジンは映像の腹部を指した。

 

「ここだ。」

 

「その肉塊か?」

 

「ああ。」

 

「どうやって突き止めた?」

 

「偶然だ。奴の動きが変わった」

 

「どういうことだ?」

 

「それまで攻め続けてた奴が、腹部を狙ったときだけ初めて防御へ回った。」

 

ジンは当時の動きを思い返す。

 

「剣筋を逸らした……いや、腕で庇った。奴は明らかに、そこを守ろうとしていた。」

 

「それで核と判断した、と?」

 

「そうだ。だが、斬るのは容易じゃない。

並の騎士じゃ太刀打ちできないだろうな。」

 

東部の神官が資料へ何かを書き加える。

 

「つまり、腹部に核を有する可能性が高い。」

 

「少なくとも、俺が戦った奴はな。」

 

ジンはすぐに付け加えた。

 

「全部が同じかは知らねぇ。それに、どう見ても奴は生まれたばかりの怪物だ。次に出てきたとき、また同じ姿や性質とは限らない。」

 

ゲイツが僅かに口元を緩める。

 

「少しは、証言の仕方を覚えたらしいな。」

 

「……誰のせいだと思ってんだ。」

 

ゲイツに悪態をつくジンをよそに、議長役の神官が問う。

 

「六年前のキンブリーの孤児院にも、この大型個体はいたのか?」

 

ジンは即座に首を横に振った。

 

「いや、見てない。」

 

「間違いはないか?」

 

「ああ。」

 

ジンは断言する。

 

「六年前にいたのは、菌糸と屍人になった子供たちだけだ。こんなデカブツはいなかった。」

 

ゲイツが腕を組む。

 

「あるいは、こちらが確認できなかっただけか。」

 

一人の番犬所の神官が言う。

 

「いずれにせよ、今回初めて、屍人ホラーの死体から別種の個体が生成される現象を確認したことになる。」

 

「そうなるな。」

 

ゲイツが答える。

 

議長役の神官が資料を閉じた。

 

「正式な分類は保留する。現時点では、調査上の呼称として――」

 

術式図の横に文字が浮かぶ。

 

《ヴァルグ》

 

この部屋にいる全員が、その文字を見る。

 

『ヴァルグ、ねぇ。旧魔戒語で“巨人”といったところか?』

 

「名前をつけたところで、厄介なのは変わらねぇけどな。」

 

「その通りだ。」

 

ゲイツが答える。

 

「問題は、あれが本当に一体だけなのかどうかだ。」

 

ジンの目が僅かに細くなった。

 

「……嫌なこと言うな、おっさん。」

 

「最悪の事態を考えるのが我々の仕事だ。ジン、お前に聞きたいことがある。」

 

ゲイツはジンへ鋭い視線を向けた。

 

「あの研究所で、お前は“何者か”と接触しているな?」

 

「ああ。」

 

ジンの表情が険しくなる。

 

議長役の神官が続けた。

 

「ジン。六年前の事件について、改めて一点確認する。お前はあの孤児院の地下で、キンブリーの姿をした正体不明の存在と接触しているな?」

 

ジンは、あのときの光景を思い出す。

 

屍人ホラーと化した子供たちを退け、その奥へ踏み込んだ地下室。

 

そこにいた、キンブリーの姿をした何者か。

姿形も、声も、話し方も彼そのものだった。

だが、ジンはすぐに分かった。

 

あれはキンブリーではない。

 

身体へ絡みつく拘束術を破るのに手間取り、解いたときには、すでにその姿は消えていた。

 

「……あいつはキンブリーなんかじゃねぇ。ホラーだ。」

 

『奴は一度、キンブリーの姿から本来の姿を現している。あのヴァルグとかいう奴と、よく似た姿をしていたな。』

 

議長役の神官はザルバにも問いを投げる。

 

「魔導輪ザルバ。孤児院の地下室にいた存在に、見覚えはあったか?」

 

『奴の気配には覚えがある。だが、俺様は大昔に一度、記憶を失ってる。ホラーであるのは確かだが……どういった奴なのかは、俺様にもよく分からん。』

 

ゲイツが資料をめくり、口を開いた。

 

「ジン。お前の見解を聞かせろ。今回の研究所襲撃と六年前の孤児院惨殺事件、そして、あのホラーらしき存在に関連性はあると思うか?」

 

「あの屍人ホラーと菌糸。状況的には、ほぼ全てが酷似してる。だから、関係してる可能性は高いと思う。」

 

ジンはそこで言葉を切る。

 

「だが、確証がねぇ。」

 

「理由は?」

 

「研究所では奴の声しか聞いてない。話し方は似ていても、同じ奴だとは限らねぇ。だから確定とは言わなかった。」

 

「そうか……では、私から一つ情報を提供しよう。」

 

円卓中央へ、新たな術式図が浮かび上がった。

 

「調査の過程で、研究所からごく微量の魔力残滓が検出された。」

 

ゲイツは資料を開く。

 

「研究所内の菌糸や繭から確認された反応とは似通っているが、別物だ。」

 

ジンの目が細くなっていく。

 

「元老院に保管されている過去のホラー関連事件、及びその他の資料と照合した際、一つだけ一致したものがあった」

 

二つの反応波形が空中へ並ぶ。

 

それらは、ほぼ同じ数値を示していた。

 

「一致したのは、六年前の――」

 

ゲイツの声が少し低くなる。

 

「キンブリー・レイスの孤児院。その地下室から採取された魔力残滓と、記録されていたキンブリー本人の魔力波形だ」

 

ジンの表情が止まった。

 

「両者は、ほぼ一致している。」

 

「……待ってくれ。」

 

ジンは身を乗り出した。

 

「間違いないのか?」

 

ジン自身、ほとんど確信していた。

キンブリーに何かが起きたことを。

六年前、地下室で対峙したあれが、もはや自分の知る友人ではなかったことを。

 

それでも――どこかで受け入れきれない自分がいた。

 

「完全一致と断定できる精度ではない。」

 

ゲイツはジンを真っ直ぐに見て答えた。

 

「だが、無関係な別人と考える方が不自然な程度には一致している。」

 

さらに術式図の一部が拡大される。

 

波形の一部だけが、異様に濁っていた。

 

「さらに、研究所側の残滓には異常があった。」

 

議長役の神官がゲイツに問う。

 

「異常とは何だ、ゲイツ統括。」

 

「……ホラーの邪気だ。ただ同じ場所へ邪気が残っていたわけではない。今回検出された魔力と邪気は、分離できない状態にある。」

 

「どういう意味だ?」

 

「仮にこの魔力がキンブリーのものだとして、どこまでが本人の魔力で、どこからがホラー由来のものなのか、判別できないほど絡み合っている。」

 

六年前、地下室にいたキンブリーの姿をした何者か。

今回、研究所に現れた屍人ホラーとヴァルグ。

そして、カイリを殺そうとした何者か。

 

ジンの中で別々だったものが、一気に繋がり始めた。

 

議場がざわめき始める。

 

議長役の神官が静かに口を開いた。

 

「一度、元老院側で協議する必要がある。一時間後に議会を再開する。」

 

議会は一時中断され、元老院議員や議長役の神官が別室へと移動していく。

 

ジンとゲイツ、カリムも部屋を出た。

 

「……おっさん。」

 

「何だ。」

 

「俺をカイリに会わせなかった理由は、さっきの話と繋がりがあるのか?」

 

ゲイツがジンを見る。

 

「お前とキンブリーが旧知の間柄だったことは、元老院や番犬所……多くの者が知っている。

無論、私もだ。」

 

ゲイツは続ける。

 

「今回の研究所から、六年前にキンブリーへ擬態していた存在へ繋がる痕跡が出た。その直後に、お前が事件の中心にいる子供へ繰り返し接触していたら、どう見える?」

 

「俺まで疑われるってか?」

 

「お前だけならまだいい。」

 

ゲイツの声が少し低くなる。

 

「カイリの処遇にも影響する。」

 

ジンは黙った。

 

「カイリの存在について、元老院側は懐疑的だ。

お前が感情のまま先に動けば、カイリを元老院管理下へ置くべきだという意見に、余計な根拠を与える。」

 

「……だから、俺をカイリに会わせなかった、と。」

 

「ああ。」

 

「そういうことなら、最初から言ってくれよ。」

 

「言えば、お前は大人しく待ったか?」

 

「……。」

 

黙り込むジンを、ザルバが鼻で笑う。

 

『無理だろうな。』

 

「……お前は黙ってろ!」

 

「ザルバの言うとおりだ。」

 

一時間後。

 

議会は再開され、各々が議席へ着いた。

 

議長役の神官が口を開く。

 

「元老院側の暫定見解を伝える。」

 

ゲイツは資料を閉じ、議長役の神官を見る。

 

「キンブリー・レイス本人、あるいはその肉体や魔力を利用する何者かが、六年前の事件以降も活動を継続している可能性は極めて高い。」

 

さらに議長役の神官は続ける。

 

「また、失踪前後に何らかの陰我によってホラーに憑依された可能性も否定できない。

元老院や特対課が派遣した調査要員も、数人が行方不明となっている。」

 

議長役の神官はゲイツを見る。

 

「よって元老院は、キンブリー・レイスを名乗る、あるいはその姿を取る存在を正式な討伐対象として指定する方向で進める。ゲイツ統括、異論は?」

 

「ない。

何らかの目的を持って活動していることは明らかだ。

引き続き、我々も調査に協力する」

 

ジンは、議長役の神官とゲイツの会話を黙って聞いていた。

 

「承知した。正式な討伐命令は後日、各番犬所に通達する。

では、最後の議題へ移る」

 

議長役の神官が、最後の資料へ目を落とした。

 

「研究所でジン・アストライアが保護した少年。識別個体名【Kairi】と呼ばれる少年についてだ。

特対課から改めて報告を聞こう。」

 

ゲイツに促され、カリムが報告書を開く。

 

「ここからは、私、カリム・グラシアが報告いたします。

保護後一週間にわたり、当該少年の身体検査及び経過観察を行いました。」

 

「結果は?」

 

「生命活動に異常はありません。

菌糸組織の付着、ホラーによる侵食、憑依を示す反応も確認されていません。」

 

安心からか、ジンの肩から僅かに力が抜けた。

 

「ただし――」

 

カリムの声が少し変わる。

 

「別の検査から、重大な事実が判明しています。」

 

「何だ?」

 

「カイリの生体情報を、聖王教会及び元老院が保管する古代ベルカ期の聖王家に関する記録と照合しました」

 

議長役の神官が眉を寄せる。

 

「なぜ、その少年と聖王家の記録を照合した?」

 

カリムは一度、息を整えた。

 

「遺伝情報の照合結果、古代ベルカ聖王家に残された聖王の生体記録と、極めて高い一致率を示したためです。」

 

「血縁ということか?」

 

「いいえ。自然出生では説明できない一致率です。人工的な操作痕も確認されています。」

 

カリムは一度、言葉を切った。

 

「聖王の遺伝情報を基に造られた人工生命――クローンと判断するのが妥当です。」

 

議場が静まり返る。

 

「ただし、魔力素性については、聖王の記録と一致しない部分があります。」

 

『……聖王だと?』

 

ザルバが低く呟く。

 

ジンの頭に、培養槽の中で膝を抱えていたカイリの姿が浮かんだ。

 

「……だから、あんなところにいたのか。」

 

誰に聞かせるでもなく呟く。

 

「報告書を読んだが――」

 

一人の議員が口を開いた。

 

「あの少年は元老院管理下へ移し、隔離すべきだと考える。」

 

ジンの視線が、その議員へ向く。

 

「聖王のクローンであり、正体不明のホラーから明確に命を狙われている。」

 

「だから、閉じ込めるってのか?」

 

「野放しにすれば、新たな災禍を呼ぶ火種にもなりかねん。」

 

「……まだ何もしてねぇ、六歳のガキだぞ?」

 

「あの子供が何もしていないことと、危険ではないことは同義ではない。」

 

さらに別の議員が静かに言った。

 

「隔離で不十分な場合、処分も選択肢から外すべきではないな。」

 

その場の空気が凍った。

 

「……処分だと?」

 

ジンがゆっくりと顔を向ける。

 

「今、あいつを殺すって言ったのか?」

 

『ジン、やめろ。』

 

ザルバの声が低くなる。

 

「今すぐにという話ではない。将来的な危険性が看過できない場合の話だ。」

 

「ふざけんな!!」

 

ジンは椅子を鳴らして立ち上がる。

 

「……座れ、ジン。」

 

ゲイツが落ち着いた声で制止する。

 

「おっさん! 今の聞いてただろ! 何で黙ってるんだよ……!」

 

「聞いている。だから座れ。」

 

ジンはゲイツを睨む。

 

やがて舌打ちし、腰を下ろした。

 

「私はその逆だ。」

 

今度は別の議員が口を開いた。

 

「報告書では、この少年の魔力素性はホラーに対して高い有効性を示す可能性がある。

これほど稀少な存在をただ隔離することは、我々にとって大きな損失ではないかと考えている。」

 

その議員が、カイリの検査資料を持ち上げる。

 

「聖王のクローンであり、加えて特異な魔力素性を持つ。」

 

カリムの表情が僅かに曇る。

 

「あの少年の力を解析し、制御できるなら、対ホラー戦力として――」

 

「……兵器として利用するってか?」

 

ジンが言葉を遮る。

 

議員は否定しなかった。

 

「その通りだ、黄金騎士。戦力として利用する。それが私の考えだ。

延々と続くホラーとの戦いで、失われる騎士と法師が一人でも減るのなら、検討する価値はある。」

 

「……利用、ねぇ。」

 

ジンが冷たく吐き捨てる。

 

「役に立たなきゃ失敗作。危険なら殺す。」

 

あのときのカイリの言葉が、脳裏に蘇る。

 

怒りが込み上げた。

 

「役に立ちそうなら、今度は兵器にする。」

 

ジンの声がさらに低くなる。

 

「やってることは……あいつを作った奴らと変わらねぇじゃねぇか!!」

 

怒声が議場へ響き渡る。

 

だが、それをゲイツが一蹴した。

 

「それはお前の感情論だ。」

 

「……!」

 

「感情としては理解する。だが、それだけでは、この場にいる者を説得することはできない。」

 

「……かもしれねぇ。」

 

ジンは否定しなかった。

 

「でもな、誰もあいつ本人に聞いてねぇだろうが!」

 

「何をだ?」

 

「あいつがこの世界で何をして、どう生きていきたいかだ!」

 

ジンは円卓を睨む。

 

「カイリがどんな存在だろうが、俺には関係ねぇ! カイリはカイリだ!」

 

議長役の神官が口を開いた。

 

「ゲイツ統括。

少年の件を、あなたはどう見る?意見を問おう。」

 

議場の視線がゲイツへ集中する。

 

少しの沈黙のあと、ゲイツは円卓の上に置かれた報告書へ目を落とした。

 

そして、隔離と処分を口にした議員。

兵器としての利用を唱えた議員。

最後に、いまだ怒りを隠そうともしないジンへ視線を移す。

 

「……まず、事実関係を整理する。」

 

低い声でゲイツは続けた。

 

「現時点で、我々が事実として確認している事項は三つある。」

 

指を一本立てる。

 

「第一に、カイリの身体からホラーによる侵食、憑依、菌糸組織の寄生は確認されていない。」

 

二本目。

 

「第二に、聖王の遺伝情報を基に人工的に造られた存在である可能性が極めて高く、聖王とは異なる特異な魔力素性を有している。」

 

最後に三本目。

 

「第三に、研究所を襲撃した未知の存在は、明確な意図をもってカイリの命を狙った。」

 

ゲイツは指を下ろした。

 

「以上が、現時点で確認されている事実だ。」

 

隔離処分派の議員が眉を寄せる。

 

「それだけでも、十分に危険ではないのか?」

 

「危険である可能性はある。それは否定しない。」

 

ゲイツは淡々と答える。

 

「だが、“可能性がある”ことと、“危険な存在である”ことは同義ではない。」

 

隔離処分派の議員が言葉に詰まる。

 

「少年自身がホラーを呼び寄せた証拠はあるのか?」

 

議場の誰も答えない。

 

「少年が自ら何らかの災害を引き起こした記録は?」

 

再び議場を沈黙が包む。

 

「ない。ならば、現時点で処分を論じる根拠にはならない」

 

今度は、兵器利用を唱えた議員へ顔を向ける。

 

「そして、そちらも同様だ。」

 

「どういう意味だ?」

 

「報告書に記載された魔力素性が、ホラーとの戦闘に有効である可能性――それ自体は否定しない。」

 

「ならば――」

 

ゲイツは言葉を遮った。

 

「だが、利用できる可能性があるという理由だけで、人間を兵器として扱ってよい根拠にもならない。」

 

兵器利用派の議員の表情が僅かに険しくなる。

 

「我々は太古からホラーと戦ってきた。利用可能な力を活用することの、何が間違っている?」

 

「本人がその道を選んだのであれば、私は止めない。」

 

ゲイツは即座に続ける。

 

「だが、あの少年は六歳だ。」

 

議員の口が止まる。

 

「あの子供自身が魔戒騎士になると決めたわけでもない。戦うことを望んだわけでもない。

それどころか、まともな生活さえ知らない子供だ。」

 

ゲイツの声に怒気はない。

 

だからこそ、一つ一つの言葉が重く議場へ落ちた。

 

「その子供に先に役割を与え、後からそれを本人の選択だったことにするのであれば――それは、もはや育成ではない。」

 

ゲイツは僅かに声を落とす。

 

「それに我々護りし者は、年端もいかない子供を兵器として利用しなければならないほど、貧弱な組織ではない。」

 

兵器利用派の議員は何も返さなかった。

 

ゲイツは、そこでジンを見る。

 

「そして、お前もだ。ジン。」

 

「……。」

 

「お前が、あの子供を一人の人間として見ていることは分かっている。」

 

ジンの眉が僅かに動く。

 

「だが、“カイリはカイリだ”という主張だけでは、この場の者たちを説得できない。」

 

「……分かってるよ。」

 

「ならば、感情だけで声を荒らげるな。守りたいのであれば、守るに足るだけの理屈を持て。」

 

ジンは反論しかける。

だが、すぐにやめた。

舌打ちを一つ漏らす、それだけだった。

 

ゲイツは再び円卓全体を見渡す。

 

「私は、少年が無条件に安全だと言うつもりはない。」

 

議員の何人かが顔を上げる。

 

「同時に、危険だと決めつけるつもりもない。そして、戦力として有用かどうかなど、今決めるべき事項ですらない。」

 

ゲイツは言葉を続ける。

 

「現時点におけるカイリは、研究施設から救出された、たった六歳の子供であり、被害者だ。」

 

一度、言葉を切る。

 

「まずは、それ以上でもそれ以下でもない。」

 

しばし議場に沈黙が続いた。

 

議長役の神官が静かに問う。

 

「ならば、特対課としては保護を継続する――そういう方針か?」

 

「それが基本方針となる。」

 

「しかし、あの少年を狙った存在が再び現れる可能性は?」

 

「高いと考えるべきだろう。」

 

ゲイツはそこで、隣に座るカリムへ視線を向けた。

 

「そして、その件について、もう一つ判断材料がある」

 

議長役の神官が眉を寄せる。

 

「判断材料?」

 

「カリム。」

 

「はい。」

 

カリムは議席から立ち上がる。

 

ゲイツが口を開いた。

 

「彼女は《予言者の著書》と呼ばれる特殊な予言能力を持つ。」

 

何人かの神官が僅かに表情を変えた。

 

「先に断っておく。

これは未来を確定するものではない。

《予言者の著書》は極めて難解で、解釈によって意味が変わる。実用性だけを見れば、“よく当たる占い”程度のものだ。」

 

ジンが眉を寄せる。

 

「予言者の……著書?」

 

カリムは手元にある別の資料へ手を伸ばした。

 

「数日前、《予言者の著書》に新たな記述が確認されました。」

 

「その内容は?」

 

カリムは僅かに息を整える。

 

「解釈には不確定な部分があります。ですが――」

 

カリムは一度、ジンを見る。

 

「一年以内に、“護りし者”たちへ大きな災厄が訪れる。その可能性を示す内容です。」

 

一瞬議場がざわめいた。

 

「静粛に。」

 

議長役の神官が声を上げる。

 

ざわめきが収まるのを待ち、ゲイツが続けた。

 

「この予言だけを根拠に動くつもりはない。」

 

ゲイツは隔離処分派へ視線を向ける。

 

「予言を根拠に少年を殺すつもりもない。」

 

そして今度は利用派へ。

 

「兵器として育てるつもりもない。」

 

最後に円卓全体を見渡した。

 

「だが――無視できるほど楽観視もしていない。」

 

ゲイツの視線が鋭くなる。

 

「六年前の事件と今回の事件には、同じ菌糸と屍人ホラーが現れた。

今回はそこから、ヴァルグという新たな個体まで生成されている。

研究所からはキンブリーへ繋がる痕跡が見つかり、その何者かはカイリを明確に狙っていた。」

 

一度、言葉を切る。

 

「そこへ、この予言だ。」

 

議場の誰も口を挟まなかった。

 

「全てが繋がっていると断定する気はない。だが、偶然と切り捨てるには重なりすぎている。」

 

カリムも静かに口を開く。

 

「予言そのものを確定情報として扱うことはできません。

ですが、現在までに確認された事象と照らし合わせれば、警戒すべき内容だと私は考えています。」

 

カリムは僅かに目を伏せた。

 

「だからこそ……私は、この予言を理由に誰かを裁いてほしくありません。」

 

議場へ静かな沈黙が落ちる。

 

ゲイツがジンへ視線を向けた。

 

「ジン。」

 

「……何だよ。」

 

「お前は、カイリをどうするつもりだ?」

 

「どうって……どういう意味だ。」

 

「お前はカリムとシャッハへカイリを預けたとき、必ず迎えに行くと約束したそうだな。」

 

ジンの眉が寄る。

 

「……ああ。」

 

「なぜだ?」

 

「……約束したからだ。」

 

「それだけか?」

 

「……何が言いてぇ?」

 

「過去に失ったものの代わりを、あの子供に求めてはいないと言い切れるか?」

 

ジンの目が見開かれた。

 

「……あいつは、誰かの代わりじゃねぇ!」

 

感情のこもった声が議場に響く。

 

「その言葉に、嘘偽りはないな?」

 

ジンは一度、息を吐いた。

 

「……ああ、やましいことなんて何一つねぇ。」

 

「ならば、なぜあの子供にそこまでしようとする?」

 

ジンは暫く黙った。

 

やがて、静かに口を開く。

 

「……二人に約束したからだ。」

 

「二人?」

 

「一人はカイリだ。」

 

ジンは僅かに目を伏せる。

 

「もう一人が誰かまで、この場で話す気はねぇ。」

 

ゲイツは数秒、ジンを見つめたが何も追及しなかった。

 

ジンの胸の奥には、一人の女の姿が浮かんでいた。

 

――エルザ。

 

死に際に交わした約束を、ジンは今も忘れていない。

 

この先、牙狼として、一人の人間として。

この手で救える命があるのなら、何をしてでも助け出す。

 

「あのとき、カイリは俺に自分を殺してくれと言った。」

 

ジンが続ける。

 

「俺はそれを否定して、生きろって言った。聞こえのいいことを、あいつに沢山言ったと思う。」

 

そして拳を握る。

 

「だから俺は、あのとき言ったことを、ただの言葉として終わらせる気はねぇ。」

 

ゲイツはジンの視線を正面から受け止めた。

 

「質問を変えよう。」

 

声が僅かに低くなる。

 

「仮にカイリの力が暴走し、周囲の人間を傷つけたとしよう。そのとき、お前はどうする?」

 

「……。」

 

「“約束したから”という理由だけで、あの子を庇い続けるのか?」

 

ジンは拳を握り締めた。

 

「……そんなことはしねぇ。」

 

「なら、どうする?」

 

「まずは俺が止める。」

 

ジンは即答する。

 

「傷つけた奴がいるなら、その責任から逃げさせねぇ。俺も一緒に頭を下げる。」

 

「力を制御できない場合は?」

 

「できるようになるまで、俺が付き合う。

方法がなけりゃ探す。死にもの狂いでな。」

 

ゲイツはジンを見据える。

 

「……では、最後に聞こう。」

 

今までにないほど鋭い眼光がジンへ向けられた。

 

「もし、カイリがあのホラーに捕らえられたとしよう。」

 

カリムの表情が強張る。

 

「そのとき、カイリ自身がホラーに堕ちていたら、お前はどうする?」

 

「ゲイツ統括……。」

 

カリムが思わず声を上げる。

 

「今はいい、カリム。」

 

ゲイツは視線をジンから外さない。

 

「お前はそれでも、“助けると約束したから”“カイリだから”と、剣を収めるのか?」

 

ジンはすぐには答えられなかった。

 

培養槽の中にいた、虚ろな目をした少年。

 

殺してくれと頼まれたときの光景、抱き上げたときの軽すぎる身体、別れ際、服の裾を掴んだ小さな手。

その全てを、今でも鮮明に覚えている。

 

議場全体が静まり返る。

 

「答えろ、ジン」

 

長い沈黙のあと、ジンは口を開いた。

 

「……そのときは、俺が斬る。」

 

カリムが僅かに目を伏せた。

 

ジンは拳を握る。

 

「その前に、死ぬ気で連れ戻す。それでも駄目だったときは――俺が斬る。」

 

ゲイツを真っ直ぐに見る。

 

「ほかの誰にもやらせねぇ。」

 

低い声が響く。

 

「あいつを生かすと言った責任も、最後に剣を向ける責任も、俺が背負う。」

 

ゲイツは何も言わない。

 

「あいつが望まない限り、俺は剣を教える気もねぇ。

騎士にさせるつもりもない。この先、あいつが何になりたいのかは――あいつ自身が決めることだ。」

 

ゲイツが静かに息を吐く。

 

僅かに、その雰囲気が柔らかくなったように見えた。

 

「……そうか。それでいい。」

 

「は? どういうことだよ?」

 

ジンが眉を寄せる。

 

「今の答えが聞ければ十分だ。」

 

ゲイツは淡々と答えた。

 

「お前が、“護る”という言葉を履き違えていないか確認した。」

 

ジンの目が細くなる。

 

「このっ……! たぬきおやじっ!!」

 

『どうやら、落第は免れたようだな、ジン。』

 

「うるせぇ!」

 

ゲイツは二人を無視して、円卓へ向き直る。

 

「私は、カイリの生活上の保護と監督を、ジンに委ねることを考えていた。」

 

議場が僅かにざわめく。

 

「“約束したから、何があっても庇う”と言うのなら、私は反対していた。逆に、“危険なら即座に斬る”という答えでも同じだ。」

 

ゲイツの声が低くなる。

 

「護ることは、目を逸らすことではない。」

 

ジンが黙る。

 

「責任を引き受けることだ。」

 

ゲイツの言葉が、静かに議場へ落ちた。

 

「子供の人生を背負うということは、騎士や法師が自分の子へ剣や魔導筆を託すこととは、わけが違う。」

 

議長役の神官が問う。

 

「ゲイツ統括、あなたの考えは理解した。

しかし、ジン・アストライアへ少年を委ねることには、他にも理由があるのだろう?」

 

「その通りだ。」

 

ゲイツは頷いた。

 

「《予言者の著書》の記述を、現在確認されている事象と照合した場合、一年以内に何らかの異変が起こる可能性は無視できない。

それが明日なのか、一か月後なのかまでは分からんがな。」

 

隔離を主張していた議員が口を開いた。

 

「ならば、なおさら少年を厳重に秘匿するべきではないのか?」

 

「敵はすでにカイリの存在を知っている。」

 

「だからこそ――」

 

「隠し続ければ安全だと考えられる段階は、とうに過ぎている。」

 

ゲイツは即座に返した。

 

ジンが目を細める。

 

「……要は、俺たちを囮にするってことか?」

 

「言い方は気に入らんが、間違ってはいない。」

 

ジンの発言にゲイツは鼻を鳴らす。

 

「ただし、無防備に晒すわけではない。」

 

ゲイツは議長役の神官を見る。

 

「議長殿、ミッドチルダの地図を」

 

円卓中央へ地図が投影された。

 

「現在、ミッドチルダには、クラナガンを管轄する中央番犬所をはじめ、東部、西部、南部、北部の五つの番犬所が存在する。」

 

五つの地点が赤い光を灯す。

 

「ジンとカイリの所在については、情報経路ごとに内容を変える。」

 

地図上で、複数の光が点滅した。

 

「東部へ移送したという情報。西部で保護しているという情報。

中央へ移したという情報――それぞれ異なる所在情報を、ごく限られた経路だけへ流す。」

 

「俺達の本当の居場所の情報はどうすんだよ?」

 

ジンがゲイツに問う。

 

「知る者を最小限に限定する。」

 

ゲイツの眼差しが鋭くなる。

 

「敵がキンブリーの記憶を保持しているのであれば、各番犬所の所在地や旧来の構造、元老院への経路まで知っている可能性がある。」

 

議場の何人かが表情を強張らせる。

 

「所在を完全に秘匿するだけでは足りん。

こちらから複数の情報を与え、どの情報に反応するかを見る。」

 

ジンが目を細めた。

 

「……奴が、どこからこっちの情報を拾ってるか調べるってことか。」

 

「ああ。」

 

ゲイツは頷く。

 

「どの情報へ敵が反応するかによって、奴がどの経路から我々の情報を得ているのかも絞り込める。」

 

「相手が乗ってくる保証は?」

 

「ない。」

 

ゲイツは迷わず答えた。

 

「だからこそ、罠だけに頼るつもりはない。こちらから追跡できない以上、相手が動く可能性を作りながら、同時に最悪の場合へ備える。」

 

東部番犬所の神官が眉を寄せる。

 

「待て。」

 

地図に表示された五つの番犬所を見る。

 

「もし敵が情報の真偽を確かめるのではなく――全ての番犬所を襲撃した場合は?」

 

議場の空気が張り詰める。

 

ゲイツは即答した。

 

「無論、その可能性も考慮する。」

 

ゲイツは五つの番犬所を示す光へ視線を向ける。

 

「本日をもって各番犬所の警戒水準を引き上げる。騎士と法師の配置を見直し、襲撃に備える。

特対課も元老院と情報を共有し、即応態勢へ移行する。」

 

「それでも襲われた場合は?」

 

「迎え撃つ。」

 

ゲイツは淡々と言い切った。

 

「我々が想定できる最悪を全て想定した上で、それでも上回ってくるのであれば――そのときは、現場にいる護りし者が全力で止めるしかない。」

 

議場へ沈黙が落ちる。

 

やがて、議長役の神官が口を開いた。

 

「……では、研究所で保護された少年、カイリについては、引き続き特異災害対策課の保護対象とする。」

 

隔離処分派と兵器利用派の議員が、僅かに眉を寄せる。

 

「定期検査及び経過観察は継続。実生活上の保護及び監督については――」

 

議長役の神官の目が、ジンへ向く。

 

「黄金騎士ジン・アストライアへ委ねる。」

 

ジンが静かに息を吐いた。

 

「異常が確認された場合は、直ちに元老院議会へ報告すること。これを条件とする。特対課とそちらだけで、内々に済ませることのないように。」

 

「ああ、分かった。」

 

「また、ゲイツ統括より提示された未知の敵への対処案についても採用する。」

 

議長役の神官は淡々と続ける。

 

「少年の実際の所在は秘匿し、限定された経路を用いて複数の偽情報を流す。各番犬所は本日より警戒水準を引き上げ、襲撃に備える。」

 

そして円卓全体を見渡す。

 

「敵が動いた場合は、被害を最小限に抑えつつ、これを撃破する。」

 

完全に納得した者ばかりではない。

それでも、すぐに反対の声は上がらなかった。

 

「この方針に異論がある者は?」

 

円卓の面々は沈黙していた。

 

「では、以上を現時点での決定とする。」

 

その一言で、長い会議が締められた。

 

ジンは椅子に座ったまま、しばらく何も言わなかった。

 

昨日まで、扉一枚向こうにいるカイリへ会うことすら許されなかった。

 

それが今――ようやく迎えに行ける。

 

『ジン。』

 

ザルバが静かに呼ぶ。

 

「ああ。」

 

『今度こそ、約束を守れるな。』

 

ジンは僅かに目を伏せた。

 

六年前のキンブリー孤児院惨殺事件。

一週間前の地下研究所襲撃。

二つの場所で確認された菌糸と屍人ホラー。

今回、初めて姿を現したヴァルグ。

ホラーの邪気と絡み合った、キンブリーの魔力。

そして、カイリの命を狙う正体不明の何者か。

 

何一つ終わってはいない。

 

むしろ――

 

全ては、ようやく一つに繋がり始めたばかりだった。

 

 

──to be continued

 




第2話になります、お楽しみ頂けると幸いです。
よろしくお願いします。
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