白い少女はただ善く生きたい ――人々の瞳に映る少女は、ひとつではない―― 作:不明さん
礼拝堂の脇にある小部屋から棚の中身が少しずつ運び出されていた。
古い記録帳、使わなくなった燭台、ひびの入った水差し。すぐに捨てるものと別の場所へ移すものをアドリアンが床の上で分けている。
リヴィアは空になった棚を布で拭いていた。
棚板には以前置かれていた物から残ったらしい淡い光がところどころ見える。布を滑らせると光は形を崩し、薄く広がっていく。
こうした光は物を動かしたり拭いたりすれば散ることがある。幼い頃から何度も見てきたためリヴィアはもう気にせずに掃除を終わらせていく。
この部屋にはこれまで書類や教会の備品が置かれていた。
だが今後は教会で暮らすことになる子供のために使うという。
まだ誰が来るのかは決まっていない。
寝具も服も足りず、棚の位置さえ決まっていなかった。
「上の段はあとで私が行います」
「椅子があれば届きます」
「椅子へ乗る必要はありません」
先に言われ、リヴィアは持ち上げかけた椅子から手を離した。
「分かりました」
下の段を拭き直す。
乾いた布に細かな埃がついたところで、正面扉を叩く音がした。
アドリアンが顔を上げる。
誰かと約束していた様子ではない。
「私が出ます」
リヴィアは布を畳んで小部屋を出ると正面扉を開いた。外には見知らぬ女性が立っている。
年齢は分からないが若すぎるようには見えない。整った顔立ちで衣服も髪も乱れていない。華やかな飾りはないが立っているだけで人の目を引きそうだった。
胸元には助祭であることを示す印がある。
「アドリアン司祭はいらっしゃいますか?」
「はい。少々お待ちください」
リヴィアがアドリアンを呼ぶと、女性は扉の外で静かに待ち、小部屋から出てきたアドリアンはその姿を認めてわずかに目を細めた。
「孤児保護の受け入れ環境を確認するため参りました」
女性はそう告げて書面を差し出した。
「南東大教会の孤児保護確認担当です」
「確認は明日の午後と聞いていましたが」
「私には本日の午前と伝えられております」
アドリアンは受け取った書面へ目を落とし、表情を変えないままわずかに間を置いた。
「こちらへ届いた通知とは日付が異なるようです」
「連絡の行き違いかもしれません」
「そのようですね」
アドリアンは書面を返した。
「まだ準備の途中です。寝具と子供用の衣類は、明日届く予定になっています」
「受け入れを始める前であれば、準備途中であること自体は問題になりません。現在の状態と予定を確認いたします」
アドリアンは、分けかけの記録帳と備品が床に並び、棚にも箱が残る片づけ途中の小部屋へ一度目を向けた。。
「どうぞ」
声は普段と変わらない。
それでもリヴィアにはアドリアンが少し困っているように見えた。
* * *
女性は最初に礼拝堂と小部屋を確認した。
窓の位置、扉の留め具、冬に暖房器具を置く場所まで一つずつ見ていく。
「何人ほど受け入れる予定ですか?」
「最初から多人数を受け入れるつもりはありません。子供の年齢と必要な世話を確認してから決めます」
「夜間の対応はどうされますか?」
「私が行います。必要であれば近隣の教会と医師へ連絡します」
「司祭が不在の場合は誰が子供を預かりますか?」
「長く教会を離れる場合は、ほかの教会へ協力を求めます。子供だけを残して外泊することはありません」
女性は紙へ短く書き込むと炊事場と洗い場へ移り、保存食の置き場所や水を温める器具、薬箱の中身まで順に確認していった。
リヴィアはアドリアンの邪魔にならないよう少し離れて二人の後を歩いた。
「あなたは普段どのような手伝いをしていますか?」
不意に女性から尋ねられた。
「礼拝堂と部屋の掃除、食事の用意と片づけ、洗濯です。重い物を運ぶことや、火を長く使う作業は神父さまが行います」
「来客への応対もしますか?」
「扉へ出ることはあります。神父さまへ用事がある方なら、お呼びします」
「相手の用件を先に聞くことはありますか?」
「いいえ。必要であれば来た方が神父さまへ話します。私が先に聞く必要はないと思います」
「相談に来た方のことをほかの人へ話したことはありますか?」
「ありません。私には話してよいことか分かりませんから」
「ほかの教会の司祭や助祭からその相談者について尋ねられた場合もですか?」
「はい。私からは話しません。必要なことであれば神父さまに確認していただきます」
女性の筆が一度止まった。
「薬箱や鍵のかかった場所を開けることはありますか?」
「頼まれた時に渡されている鍵だけ使います。執務室の引き出しやほかの箱は開けません」
「中身が必要になった時は?」
「神父さまへ聞きます」
「司祭が不在でも?」
「帰るまで待てないことなら近くの教会か医師へ相談します。勝手に箱を開けて違う物を使う方が危ないと思います」
女性は炊事場の壁に掛けられた鍵へ目を向けた。
リヴィアが使うことを許されている食料庫の鍵である。
「アドリアン司祭が夜遅くまで起きていることは多いですか?」
「毎晩かどうかは分かりません。夜に目を覚ました時、執務室に明かりがついていたことは何度かあります。朝はお疲れのように見える日もありました。最近は夜まで続ける仕事が前より減ると聞いています」
「どのような仕事ですか?」
「分かりません」
女性は穏やかな笑みを浮かべたまま、すぐには紙へ視線を戻さなかった。なぜ見られているのか分からず、リヴィアは答え方を間違えたのかと思った。
「何か問題がありましたか?」
「いいえ」
女性はそこで紙へ視線を戻した。
「よく教えられていますね」
「普通の生活に必要なことを教えているだけです」
アドリアンの声は先ほどよりわずかに硬い。
リヴィアが二人を見比べると、褒められたように聞こえたにもかかわらず、アドリアンはあまり嬉しそうではなかった。
女性はそれ以上質問せず、小部屋へ戻った後はアドリアンが明日運び込まれる予定の寝具と衣類について説明した。
孤児保護に長く携わっている修道女から譲り受けること。
寝台は、受け入れる子供の人数と年齢が決まってから追加すること。
それまでは、現在ある一台と予備の敷物を使える状態にしておくこと。
女性は部屋の入口から中を見渡した。
「受け入れ開始前の準備として重大な不足はありません」
アドリアンの肩からほんの少し力が抜けたように見えた。
「不足している物品については受け入れ前に揃えたことを記録へ残してください」
「承知しました」
「本日の確認結果は南東大教会へ報告します」
女性は書面を閉じた。
帰り際リヴィアへ視線を向ける。
「新しい子供が来ても、あなた一人で世話をしようとしないように」
「はい」
なぜそのようなことを言われたのか分からなかったが、リヴィアは頷いた。
正面扉が閉じる。
女性の足音が遠ざかるとアドリアンは手元の通知をもう一度確認した。
「やはりこちらには明日の午後と書かれています」
「間違えて早く来たのでしょうか?」
「そうかもしれません」
アドリアンは通知を折り直した。
「あるいは向こうで予定が変わったのでしょう」
「私の答え方は問題ありませんでしたか?」
「ええ。何も問題はありません」
「お役に立てましたか?」
「十分に」
アドリアンは小部屋の床へ並べた物を見た。
「ですが今日は予定より早く確認が終わりました。明日までにここをもう少し片づけておきましょう」
「はい」
リヴィアは布を取りに戻った。
* * *
片づけが一区切りつき、外が薄暗くなり始める頃、リヴィアとアドリアンは使わなくなった木箱を教会裏の物置へ運んでいた。
木箱の中身は空だったがリヴィアが一人で持つには幅が広い。
アドリアンが重い側を持ち、リヴィアは反対側へ手を添えている。
「足元を見てください」
「見ています」
「箱ではなく、地面をです」
言われて視線を下げる。
石敷きの端に小さな段差があった。
それを越えて物置の前まで運び、箱を下ろす。
リヴィアが息を整えている間にアドリアンは物置の扉を開けた。
夕暮れの街には家々の明かりと魔力石を使った器具の光が少しずつ増えている。
その中に一つだけ異様に強い光があった。
教会の横を通る道の先。
いくつかの屋根と細い路地を隔てた、遠い壁の辺りである。
人の姿を見分けられるような距離ではない。
壁の端からはみ出すような強い輝きに、リヴィアは目を細めた。
何か大きな魔法器具でも置かれているのだろうか。
これまであの場所に光る物があったかは覚えていない。
見ていると壁の端から光の一部がゆっくりと外へ出てきた。
人なのか物なのかも分からない。
強い輝きに輪郭が埋もれ、ただ光の塊が少し大きくなったように見える。
そのまましばらく動かない。
何なのか気になり、リヴィアは目を細めたまま光から目を離せなかった。
やがて光が突然壁の向こうへ引っ込んだ。
「あ」
次の瞬間、強い輝きが壁沿いに素早く動いた。
屋根の陰へ入り、細い光だけを残してすぐに見えなくなる。
リヴィアは光が消えた辺りを見つめた。
「リヴィア、扉を押さえてください」
物置の中から聞こえたアドリアンの声に、リヴィアは一度だけ遠い壁を見直した。
家々の明かりは残っている。
先ほどまで壁から漏れていた強い光だけがどこにも見当たらず、何の光だったのかは気になった。
けれど、魔力のことを話せばアドリアンを心配させるかもしれない。普段から見えている光のことも、これまで話せずにいた。
「はい」
リヴィアは物置へ向かい、アドリアンが木箱を入れる間は開いた扉を押さえた。