白い少女はただ善く生きたい ――人々の瞳に映る少女は、ひとつではない―― 作:不明さん
ノエラが修道女の仕事を見てみたいと話してから、しばらく経った日の朝。
教会の正面扉を開けると、見慣れた修道服の女性が立っていた。
「おはようございます、マルタ修道女」
「おはようございます、リヴィア」
リヴィアが横へ避けると、マルタは教会の中へ入り、声を聞きつけたノエラも小部屋から顔を出した。
「ノエラも、おはようございます」
「お、おはようございます」
返事が少し硬い。
今日、マルタが来る理由は聞いている。数日前、アドリアンが修道女の仕事に興味を持ち始めたノエラへ、実際の仕事を見せてもらえないかとマルタに相談してくれた。その話を聞いた時、リヴィアも一緒に見たいと改めて伝えた。
「準備はできていますか?」
「はい」
リヴィアが答えると、ノエラもすぐに頷いた。
「では、今日は二人とも見学ですね」
「お手伝いもしていいんでしょうか?」
ノエラが尋ねると、マルタは少し考えてから答えた。
「頼むことはあるかもしれません。ですが、今日は仕事を覚える日ではありません」
「はい」
「何をしているのかを見ることが一番です。自分で仕事を探さなくても大丈夫ですよ」
「分かりました」
「二人とも行く前にもう一度外套を確認してください」
アドリアンの声に振り返ると、礼拝堂の奥から歩いてきたアドリアンがリヴィアの外套へ目を向けた。リヴィアはフードの位置を指で確かめる。
「大丈夫です」
「ノエラも?」
「はい」
「今日はマルタ修道女の言うことをよく聞いてください」
「分かりました」
二人で答えた。ロランたちは教会に残り、ミアも一緒に行きたそうにしていたが、今日は遊びに行くわけではないと説明されて諦めていた。
「では、お預かりします」
「お願いします」
リヴィアはノエラと並んで外へ出た。
* * *
マルタが普段働いている教会は、リヴィアたちの教会より大きく、礼拝堂も広かった。礼拝堂の脇の廊下へ進むと、奥から大人や子供の話し声がいくつも聞こえてくる。自分たちの教会にも今は六人が暮らしているが、それよりずっと人が多い。
「こちらです」
マルタについて廊下を進む途中、何人かの子供とすれ違った。マルタを見ると挨拶をする子もいれば、そのまま走っていく子もいる。
「廊下では走らないでください」
前を走っていた二人が足を止めた。
「ごめんなさい」
「誰かとぶつかったら危ないですからね」
「はい」
二人が今度は歩いていくのを、ノエラは見送った。
「いつも、あんな感じなんですか?」
「日によりますね。もっと静かな日もありますし……もっと騒がしい日もありますよ」
ノエラが小さく目を見開いた。リヴィアはミアとテオが二人とも元気な日のことを思い出した。人数が増えれば、それだけ何かが起きる回数も増えるのだろう。
「まず、こちらへ」
通されたのは壁際に棚が並び、寝具や布、日用品らしい物がまとめられている部屋だった。一人の修道女が紙を見ながら棚の中を確認しており、マルタはその修道女から紙を受け取った。
「昨日使った分ですか?」
「はい。石鹸が少なくなっています。布はまだあります」
「分かりました。午後に確認します」
紙へ目を通した後、マルタは棚の一つを開け、中の物をいくつか確かめて紙へ何かを書き加える。ノエラはその様子を見ていた。
「これも、修道女の仕事なんですか?」
「私の仕事の一つですね」
「子供の物を数えるんですか?」
「足りなくなってから困らないようにします。服も寝具も必要になった日に全部用意できるとは限りませんから」
棚を見ていると、以前マルタが自分たちの教会へ寝具や服を運んできた時のことを思い出した。あの時も、ここにある物を確認して持ってきたのかもしれない。
「ほかにも記録があります」
マルタは紙に書かれた項目を指先で追いながら、一つずつ挙げた。
「誰がどの部屋を使っているか。食事で気をつけることがある子はいるか。体調を崩していないか。新しく必要になった物はないか」
「全部覚えるんですか?」
「覚えていることもありますが、覚えるだけにはしません。人は忘れますから、必要なことは記録に残します」
それはそうだ。リヴィアも買い物へ行く前には必要な物を書いているし、人数がこれだけ多ければ、頭の中だけで覚えておく方が危ない。
その後も、マルタはすぐに子供たちのところへ向かわず、別の修道女と短く話して今日必要な物を確認し、洗った布が足りているかを見て、具合の悪い子がいないかも尋ねた。子供たちのいる部屋へ着くまでにも、いくつもの仕事があった。
部屋の中には何人もの子供がいた。
机に向かって文字を書いている子。
床へ座って布を畳んでいる子。
何人かで話している子。
リヴィアたちに気づいて、こちらを見る子もいれば、気にせず手を動かしている子もいる。
「今日は見学の子が二人来ています。邪魔にならないようにしますから、いつもどおりで大丈夫ですよ」
近くにいた少年が尋ねた。
「見学? 修道女になるの?」
ノエラの肩がわずかに動いた。
「まだ、決めていません」
「じゃあ、なんで来たの?」
「どんな仕事なのか見てから考えたいと思って」
「ふうん」
少年がそれだけ聞いて自分の紙へ視線を戻すと、ノエラは少し息を吐いた。リヴィアは何も言わず、その隣に立った。
「二人に一つ、お願いしてもいいですか?」
マルタのそばには、畳まれた布が入った籠があった。
「この籠をあちらの棚の前まで運んでもらえますか? 一人では少し持ちにくいので、二人でお願いします」
「はい」
ノエラと一緒に籠を持ち上げた。重くはないが横幅があるため、そのまま二人で示された棚の前まで運んで下ろした。
リヴィアは籠の中の布と棚を見比べる。
「マルタ修道女。これはどこへ入れればいいですか?」
「上から二段目です」
「分かりました」
二人で布を収めていき、最後の一枚を置いたところで、近くにいた小さな少女が目に入った。両手に数枚の布を抱え、部屋の中にある二つの棚を見比べている。一方へ近づきかけて足を止め、今度はもう一方を見る。それでも決められないらしく周囲へ目を向け、少し離れたところにいるマルタを見るが、声はかけない。
ノエラは困っているように見える少女に声をかけた。
「それ、片づけるの?」
ノエラの声に、少女が振り返った。
「うん」
「場所、分かる?」
少女は布を抱え直した。
「この部屋の棚に戻してって言われた」
「どっちか分からない?」
「うん」
ノエラも二つの棚を見比べてから、マルタへ目を向けた。
「私も分からないな。じゃあ、一緒に聞こうか」
少女はすぐには動かなかった。
「怒られない?」
「分からないなら、聞いてもいいと思うよ。私も場所は分からないから、一緒に聞こう」
ノエラは少女の横に立ち、二人でマルタのところまで歩いた。
「マルタ修道女」
「どうしました?」
「この布をどちらの棚へ戻すのか分からないそうです」
マルタは少女が抱えている布を見る。
「聞きに来てくれたんですね」
少女が小さく頷く。
「あちらの棚です。下の空いているところへ置いてください」
「自分で置いていい?」
「ええ。お願いします」
少女が布を抱えて教えられた棚へ向かうのを、ノエラはしばらく見ていた。
「ノエラ?」
「うん」
「どうしました?」
「少し、思い出してた」
「何をですか?」
「私も最初、何かするたびにこれで大丈夫かって気にしてたから」
「そうでしたね」
「だから、少し分かる気がした」
「ノエラも、一緒に聞きに来てくれてありがとうございました」
「私は、一緒に来ただけです」
「それでも、一人では聞きに来られなかったかもしれませんから」
ノエラは答えず、代わりに少しだけ口元を緩めた。
* * *
昼を過ぎる頃には、リヴィアの中で子供を支える仕事の中身が朝より少し具体的になっていた。
子供と話す。
食事を手伝う。
衣服を見る。
それだけではない。
誰かが困る前に必要な物を確かめる。
同じ教会で働く人と相談する。
体調が悪い子がいないか確かめる。
できないことを代わりにする一方で、できることまで取り上げない。
マルタはずっと動いていたが、何もかも自分一人でしているわけではなかった。子供ができることは子供に任せ、一人では難しいことは人に頼み、分からないことは確認する。
リヴィアは以前、マルタから自分がほかの子供たちを育てる責任まで背負う必要はないと教えられた。今日一日を見ていると、その理由が前より少し分かる気がした。
子供を助けることと、全部を代わりにすることは同じではない。
「疲れましたか?」
休憩のために座ったところで、マルタが尋ねた。
「少しだけ」
リヴィアが答えると、ノエラも少し考えてから頷いた。
「私も、少し疲れました」
「では、ちょうど休む時間ですね」
マルタは二人の前へ水を置いた。
「どうでしたか?」
ノエラはすぐには答えず、朝から見てきた部屋の方へ目を向けた。
「思っていたより子供と一緒にいない時間が多かったです」
「そうですね」
「紙を書いたり、物を確かめたり、ほかの人と話したり」
「それも必要な仕事です」
「もっと、ずっと子供のそばにいるのかと思っていました」
「一緒にいることも大事です。ですが、今日の夕食が足りるかを確認する人も必要ですし、明日使う物を準備する人も必要です」
「覚えることが多そうです」
「多いですよ。失敗することもあります」
「マルタ修道女もですか?」
「もちろんです」
ノエラは驚いたようにマルタを見た。
「忘れることもありますし、判断を間違えることもあります。だから記録を残しますし、分からなければほかの人にも相談します」
ノエラが少し考えながら頷くと、マルタは水を一口飲んでから尋ねた。
「今日見てみて、これからどうしたいと思いましたか?」
ノエラは自分の手を見る。
「もう少し、見てみたいです」
「それなら、また機会を作りましょう」
「いいんですか?」
「そのための見学ですから」
ノエラの肩から少し力が抜ける。
「リヴィアはどうでした?」
「私ですか?」
「あなたも見てみたかったのでしょう?」
「はい」
マルタがしている仕事を以前より多く知り、自分たちの教会でしていることと似ている部分もあれば、全く違う部分も多かった。
以前、心の片隅に縫い留めた言葉が、今日見たことで前より具体的な形を持った。修道女として誰かを支えることは、自分が将来選べる道の一つなのかもしれない。
けれど、それを自分の進む道だと決めるには、まだ知らないことが多かった。
「私も、もう少し見てみたいです」
「では、二人とも同じですね」
ノエラがこちらを見て、リヴィアも見返す。どちらも、まだ決まっていない。
それでも、次に何を知りたいかは朝より少し分かった気がした。
* * *
夕方、二人がマルタに連れられて教会へ戻り、扉を開けるとミアが真っ先に駆け寄ってきた。
「どうだった?」
「ミア、まずマルタ修道女に挨拶してください」
ミアが足を止めた。
「おかえりなさい、マルタ修道女」
「ただいま、でいいのでしょうか」
マルタが少し笑った。
「二人とも、きちんと見学してきましたよ」
奥からアドリアンが出てくる。
「ありがとうございます」
「今日は見てもらっただけです。進路を決める話はしていません」
「ええ。それで構いません」
アドリアンがノエラを見る。
「どうでしたか?」
ノエラは少し考えてから答えた。
「知らない仕事が、たくさんありました」
「そうですか」
「子供の世話だけじゃなくて、物を確認したり、記録を書いたり、ほかの人と相談したりしていました」
「ええ」
「私にできるかは、まだ分かりません」
ノエラはそこで一度、言葉を止めた。
「でも、もう少し見てみたいです」
「分かりました。次に機会があれば、またマルタ修道女へ相談しましょう」
アドリアンはそれ以上、何かを決めるようには言わなかった。
「はい」
「リヴィアもですか?」
「はい。私も、もう少し見たいです」
「では、その時はまた一緒に考えましょう」
「はい」
リヴィアが答えると、ノエラも隣で頷いた。
答えを出すのはその先でいいらしい。