白い少女はただ善く生きたい ――人々の瞳に映る少女は、ひとつではない―― 作:不明さん
南東地区司教に関する調査は、すでに水の大司教の監督下で進められていた。
二回分の天罰術式の使用記録、エステルとリヴィアそれぞれから改めて確認された内容、当日施設周辺にいた者たちの証言、二回目を直接目撃したアドリアンの証言。南東地区司教が何をしたのかについては、必要な事実が集まりつつある。
一度目の天罰を受けたリヴィアが生存した後、上位の判断へ戻さず、独断で二度目を最大出力で使用したことも確認されていた。
その処分は今回の聴取とは切り分けて扱うべき問題だった。
問題は、その中に一つだけ、これまでの記録では説明できない事実が混じったことだった。
一度目。
生存。
二度目、最大出力。
それでも、生存。
しかも、固定具によるものを除けば目立った外傷すらなかった。
土の大司教は机上に置かれた記録の写しから顔を上げた。
教会本部の一室には六人がいた。机の奥には教主、その左右には火、水、土、風の四大司教が座り、向かい側にはアドリアンがいる。
およそ六年前、アドリアンが教義保全院長を退いた時、この場に風の大司教はいなかった。当時は就任したばかりであり、教義保全院の存在そのものを知らされていなかったからだ。
だが今は、前例のない事件を四大司教の一人から伏せたまま扱うのは適切ではないと教主が判断している。この場が設けられる前に、風の大司教にも教義保全院の存在とアドリアンの元院長歴が必要な範囲で開示されていた。
「南東地区司教の処分については別に進めます。今日確認するのは、リヴィアが天罰を二度受け、それでも生存した件です」
「承知しています」
続いて水の大司教が確認に入る。
「最初に可能性を一つだけ確認します。少なくともこれまでの記録上、天罰を防ぐことができる手段を確認できたことはありません。そのうえで前例のない結果が出た以上、確認記録として残す必要があります。今回、あなたが何らかの方法で術式へ干渉した、あるいはリヴィアへ天罰を防ぐための何かを与えていた事実はありますか」
「ありません」
「二度目の発動時にも?」
「何もしていません。止める前に起動されました」
「分かりました」
前例のない結果だからこそ、一度の確認は必要だった。だが、証拠のない未知の手段を並べても意味はない。
「ではもう一つ」
火の大司教が口を開いた。
「リヴィアへ教義保全院の教育をしたことは?」
「ありません」
「特殊な魔力制御や、攻撃や拘束へ対処するための訓練もか」
「教えていません」
「以前から同じ答えだな」
「事実は変わっていません」
かつて、リヴィアがアドリアンの後継者として育てられているという噂はあった。だが、その後の確認で教義保全院の教育を受けた証拠は出ていない。
「その点については以前の確認結果とも矛盾しておりません。今回新たな事実が確認されない限り、同じ質問を繰り返しても意味はないと考えます」
土の大司教の言葉に反論はなかった。
「では、リヴィア本人について確認いたします」
「はい」
「幼い頃から現在まで、今回の件と結びつくかもしれない、通常の子供と異なる点はございませんでしたか」
「……説明の難しいことなら、ありました」
「何ですか」
「保護した頃です」
「乳児の頃ですね」
「はい。通常なら乳児からは体外へ漏れる魔力を感じ取れます」
乳児の自然な魔力漏出そのものは、大司教なら知っていて当然だった。土の大司教自身、アドリアンが乳幼児を含む複数の孤児を育て、微弱な魔力を見分けるだけの経験を持つことは以前から把握している。
「リヴィアからはそれを明確に読み取れませんでした」
「魔力がなかったということか」
「そうは判断していません。当時確認したのは、私が明確に読み取れなかったということだけです」
土の大司教はその言葉を二つに分けて整理した。
「つまり観測できた事実は、通常なら感じ取れるはずの魔力を明確には読み取れなかったこと」
「はい」
「あなた自身の当時の解釈は?」
「極端に弱いのだと思っていました。自分には感じ取れないほど小さいのだと」
「その認識は今も変わっていませんか」
「……幼い頃については、今でもそれが最も自然だと思っています」
「理由は?」
「私はリヴィア以外にも乳幼児を育てています。生まれたばかりに近い子供が自分の魔力を最初から完全に制御して、一切外へ出さない。それを通常の現象として考えるのは難しいです」
「ですが、あなたが弱いと解釈したものが、本当に弱さだったと確認できたわけでもありませんね」
水の大司教の問いに、アドリアンは「はい」と答えた。
「何らかの別の性質だった可能性は?」
「否定できません」
「今回の結果を見ても?」
「……否定はできません」
それ以上、可能性を並べて追及する者はいなかった。何らかの別の性質だったとしても、今それを裏付けるものは何もない。
「一つ、よろしいでしょうか」
それまで大きく発言していなかった風の大司教が口を開いた。
「何ですか」
「これまで、リヴィアが何らかの方法で天罰を防いだ可能性を確認していました。ですが、一つ確認させてください。天罰は罪人や異端者を裁く術式とされていますね」
「はい。教会では、罪を積み重ねた者ほど強く作用すると解釈されてきました」
「でしたら、何かが天罰を防いだから生存したと考えるだけではなく、天罰そのものがあの少女を死に至らせなかった可能性も考えるべきではありませんか」
「罪がないとでも言うつもりか」
「そこまでは申し上げていません。人が生きてきて、一つの過ちも、一つの罪もないと断言するつもりはありません」
「なら同じことだ」
「いいえ。罪が一つでもあることと、死を与えられるほど罪を積み重ねていることは同じではないでしょう」
「……過去には十歳前後の対象も死亡している」
「承知しています」
「なら年齢や幼さだけでは説明できない」
「年齢で説明しているのではありません。その者が何をして生きてきたか、です」
筋の通らない意見ではなかった。
天罰が本当に、教会が長く解釈してきたように罪に応じて作用するのであれば、生存そのものを術式の失敗と決めつける理由もない。
「その可能性はございます。しかし、それだけで今回の結果が説明できたとも言えません」
「分かっています」
「一度生存しただけなら、教会の解釈に沿って、死に至るほどの罪ではなかった可能性を考えることはできます。ですが二度目です」
土の大司教は机上の記録へ指を置いた。
「しかも最大出力を受け、目立った外傷すらなかった」
「仮に罪が軽かったことが生存理由の一部だとしても、天罰そのものによる外傷が確認できなかったことまで同じ理由で説明できるかは分かりません」
「そうですね」
少なくとも、外から何かで防いだという見方とは別に、教会自身の解釈に沿う道筋が一つ残った。確定はできないが、最初から退ける理由もない。
「アドリアン」
教主が呼んだ。
「はい」
「あなたは今の話をどう考えますか」
「……私は、リヴィアが何の罪もない人間だとは言いません。本人もそんなことは言わないでしょう。……ですが、あの子が天罰によって命を奪われなければならないほどの人間だとも思いません」
「育てたお前の評価だろう」
「そうです。私はあの子を拾った頃から見ています。経典を理解する前から、不必要に他者を傷つけることを嫌う子供でした」
アドリアンの声は穏やかなままだった。
「幼い頃から困っている者を見れば気にかけます。何でも自分で背負い込むわけではありません。できないことはできないと考えます。……それでも、自分にできることがあるなら、そのまま見なかったことにはしない子です。今回も同じです」
エステルとは面識がなかった。それでも助けを求める声を聞いて室内へ入り、事情も分からないまま司教へ敵意を向けるのではなく、まず何が起きているのかを確かめた。エステル本人が助けを求めていると分かるとその間へ立ち、帰るよう命じられても彼女を残さなかった。
「その結果、異端者とされました。一度目の天罰を受けても、司教を攻撃していません」
「拘束されていたからではないのか」
「では、拘束を外された後は?」
火の大司教から返答はない。
「二度目の後、司教が倒れそうになった時、リヴィアは心配して声をかけています」
土の大司教はその記録を覚えていた。南東地区司教自身はその行動を別の意味に受け取ったようだったが、リヴィア本人の説明は違った。
倒れそうだったから、声をかけた。
それだけだった。
「自分を異端者と呼び、拘束し、二度天罰を使った相手にです。今も南東地区司教への報復を求めていません」
「……よく話すな」
「育てた子供のことですので」
「開き直るのか」
「危険な人間かどうかを判断する材料になると思っています」
聞きようによっては、養親が育てた子供について事実を並べているだけにも聞こえる。
だが、普段のアドリアンは誰かを褒めるために言葉を重ねる人物ではない。必要な事実を必要な分だけ淡々と伝える。
そのアドリアンがここまで長く一人の少女について語っていることに、土の大司教は違和感を覚えた。少なくとも彼には、その長さそのものが別の意図を含んでいるように聞こえた。
分からないからという理由だけで危険視するな。
拘束するな。
利用するな。
必要のない調査の対象にするな。
「アドリアン」
教主が再び呼んだ。
「あなた自身は、天罰の結果をどう受け止めていますか」
「……理由は分かりません」
「それは承知しています」
「ですが――天罰を女神の前で人の罪を裁くものとして扱うのであれば、私は女神がリヴィアを断罪したとは思えません」
すぐには誰も答えなかった。
「今の風の大司教の話と同じか」
「近いと思います」
「善良だから生きたと?」
「断定はできません。ですが、可能性の一つとしては、私には最も受け入れやすい考えです」
「なぜだ」
「私が知っているリヴィアと、今回起きたことが矛盾しないからです。ただ、二度とも傷すら負わなかった理由までは分かりません」
そこを混ぜないことが重要だった。
アドリアンが語った、リヴィアの善良さ。
天罰が罪に応じて作用すると教会が解釈してきたこと。
リヴィアが生き残ったこと。
この三つを重ねれば、一つの説明は作れる。だが、それが術式の本当の仕組みだと証明されたわけではない。
最大出力を含む二度の発動を受けて、外傷すらほとんどなかったことまで説明できるわけでもなかった。
「現時点で確認できた内容を整理いたします」
土の大司教は記録を確認しながら続ける。
「第一に、アドリアンによる術式への干渉、または天罰を防ぐ目的で外部から与えられた手段は確認されておりません。第二に、リヴィアへ教義保全院の教育を行った証拠も確認されておりません」
さらに次の項目へ移る。
「第三に、乳児期には通常なら感じ取れるはずの魔力をアドリアンが明確に読み取れなかったという事実があります。ただし、それが当時の解釈どおり極端な弱さによるものなのか、別の性質によるものなのかは判断できません」
「第四に、天罰が罪を裁き、罪の蓄積に応じて強く作用するという従来の教会解釈に従えば、リヴィアが死に至るほどの罪を積んでいなかったため生存した、その可能性を否定する根拠はございません」
「ただし、それで二度の発動をほぼ無傷で終えた理由まで説明できたことにはなりません」
水の大司教の補足を受け、土の大司教は頷いた。
「したがって、生存については教義上説明可能な一つの道筋がある。しかし、作用の全容については不明。そう記録するのが妥当と考えます」
「ほかにありますか」
教主の確認に、風と水の大司教から異論は出なかった。火の大司教だけがしばらくアドリアンを見ている。
「……仮に、その解釈が正しいとしても、何が起きたのか分からない部分が残っていることに変わりはない」
「そのとおりです。ですから記録は残します」
「何もせず戻すのか」
「何をするべきだとお考えですか」
返答を待たず、土の大司教は続けた。
「今回確認されたのは、リヴィアが誰かへ危害を加えた事実ではございません」
事件の始まりは逆だった。調査で確認された経緯では、リヴィアは助けを求めたエステルを庇った。南東地区司教は、その件をアドリアンへ報告されれば自分の立場が危うくなると考え、告発を封じるためにリヴィアを異端者として天罰へ付した。そして二度使用しても、リヴィアは生き残った。
「分からない性質を持つ可能性があることと、拘束や処罰を必要とすることは別の問題です。新たな措置を行うのであれば、それを必要とする新たな事実が必要だと考えます」
「私も同意します」
「異論はありません」
水と風の大司教も賛同し、残る火の大司教へ教主の視線が向いた。
「……記録を残すことには異論はない」
それ以上の言葉はなかった。
「では、二度の天罰生存と本日の確認内容を、知る者を限定した記録として保管します」
教主が結論を告げる。
「生存理由については、天罰の従来解釈から、対象の罪が死に至るほどではなかった可能性を一つの解釈として残します。ただし、二度とも外傷をほぼ受けなかった理由を含め、作用機構は特定できないものとします」
「はい」
「現時点で、リヴィア本人へ新たな拘束、処罰、強制的な調査は行いません」
アドリアンの肩から、ごくわずかに力が抜けたように見えた。
「あなたについても、今回確認された内容だけを理由として新たな制限は設けません」
「承知しました」
「新しい事実が確認された場合は、改めて判断します」
「当然です」
「以上です」
アドリアンは立ち上がって一礼し、そのまま扉へ向かった。
扉が閉じ、室内には教主と四人の大司教だけが残った。
土の大司教は最後にもう一度、机上の記録へ目を落とした。
二度の天罰。
二度の生存。
教会が天罰を人の罪を裁く術式として扱う以上、生存を説明する一つの道筋は残った。
それでも、十歳前後の対象すら死亡した例がある天罰を、最大出力を含め二度受けてほぼ無傷だった理由は分からない。
分かったことと推測できることを混ぜてはならない。
土の大司教は記録を閉じた。
少なくとも今、この結果を理由に少女を罪人へ変えることはできなかった。