白い少女はただ善く生きたい ――人々の瞳に映る少女は、ひとつではない――   作:不明さん

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第4話 眩しい世界

 それから数日後、リヴィアは礼拝堂の後ろで、祈る人々を眺めていた。

 

 朝の礼拝へ集まったのは、近所に住む十人ほどの男女だった。

 

 アドリアンが経典を開き、女神アマリヴィアへの祈りを読み上げる。その声に合わせて、人々は胸の前で手を組み、静かに頭を垂れた。

 

 人々の身体は光っていない。

 

 アドリアンも、木製の長椅子も、白く塗られた壁の大部分も、普通に見えている。

 

 けれど、何も光っていないわけではなかった。

 

 祈りが続くうちに、組まれた指の間や伏せられた顔の近くから、ごく淡い光がにじむことがある。光はすぐに薄くほどけ、足元や長椅子の縁へ残った。

 

 祭壇の周りには、さらに多くの光が重なっている。

 

 床の一部には細い筋があり、女神像の足元には霞のような光が漂う。祭壇の近くに置かれた儀式用の道具にも、淡い光が残っていた。アドリアンが読み上げている厚い経典も、頁の端と表紙の紋章が淡く輝いていた。

 

 一方、リヴィアへ読み聞かせてくれる薄い教話集には、その光がない。

 

 よく使われる物だから光るのか。

 

 それとも、大切な本だから光るのか。

 

 まだ分からない。

 

 リヴィアは目を細めた。

 

 前の世界の記憶がつながってから、今まで当たり前だった光が、急に不思議なものへ変わっていた。

 

 自分の手は光っていない。

 

 けれど、隣に立つ大人たちも同じだった。淡い光がにじんでも、人の身体そのものが光っているわけではない。光は、何かをした時に現れ、使われた場所や特別な道具へ残るのだろう。

 

 少なくとも、今のリヴィアにはそう思えた。

 

 礼拝が終わると、人々は順にアドリアンへ挨拶し、教会を出ていった。

 

人が長椅子から立ち、扉へ向かって歩くたび、床や長椅子の近くに残っていた淡い光も揺れた。足や衣服の裾が触れたところから形を崩し、細く伸びたり、周囲へ薄く広がったりしていく。人が通り過ぎた後には、それまでまとまって見えていた光が少し散っていた。

 

 最後の一人が扉を閉じてからも、祭壇の周囲には薄い光が残っていた。

 

「リヴィア。今日は文字の続きをしましょうか」

 

「はい」

 

 アドリアンが経典を閉じた時、正面入口が強く叩かれ、続いて男の苦しそうな声が聞こえた。

 

「神父さま、いらっしゃいますか」

 

 アドリアンの表情が変わった。

 

「誰か来たようです。少し見てきます」

 

 アドリアンは早足で入口へ向かい、切迫した声が気になったリヴィアも少し遅れてその後を追った。

 

 扉の外にいたのは、何度か礼拝で見たことのある木工職人だった。

 

 隣家の男に肩を借り、左腕を胸元へ抱えている。前腕には布が巻かれていたが、その布は赤く染まり、端から血がにじんでいた。

 

「作業中に刃が滑ったそうです」

 

 付き添いの男が説明する。

 

「医師のところへ向かう途中でした。けれど血がなかなか止まらなくて、こちらの方が近かったので、まず診てもらえないかと」

 

「私はこのまま医師へ行けばいいと言ったんですが、こいつが聞かなくて」

 

 職人は痛みをこらえながら、付き添いの男を見た。

 

「止血だけでもしてもらった方がいいだろう」

 

「まず中へ」

 

 アドリアンは二人を礼拝堂脇の小部屋へ案内した。

 

 そこは、以前リヴィアが熱を出した時にも使ったことのある部屋だった。棚には清潔な布や薬が並び、中央に簡素な寝台と机が置かれている。

 

 アドリアンが職人を椅子へ座らせ、巻かれた布を慎重に外すと、前腕の外側に長い傷が現れた。

 

 リヴィアは思わず息を詰めた。これほどの傷を間近で見た覚えはなかった。

 

 血は流れているが、噴き出してはいない。指を動かすように言われると、職人は顔をしかめながらも、すべての指を曲げ伸ばしできた。

 

「痺れはありますか」

 

「ありません。痛いだけです」

 

「刃は欠けていませんでしたか」

 

「たぶん、大丈夫です」

 

「たぶんでは困ります」

 

 アドリアンは厳しい声を出したが、手つきは落ち着いていた。

 

 水で傷を洗い、付着した木屑や汚れを確かめる。清潔な布を押し当て、出血が弱まるまで待つ。

 

 リヴィアは少し離れたところから見ていた。

 

 自分も何かした方がよいのではないかと思う。

 

 けれど、傷へ不用意に近づけば邪魔になる。

 

「神父さま。お手伝いはありますか」

 

 アドリアンは一度こちらを見た。

 

「棚の下から、新しい布を二枚持ってきてください。傷には触れないように」

 

「はい」

 

 リヴィアは言われた棚へ向かい、畳まれた布を両手で運んだ。

 

 アドリアンは礼を言い、一枚を机へ置き、もう一枚で傷の周囲の水分を拭った。

 

 傷をもう一度確かめた後、職人へ視線を戻す。

 

「深い部分までは達していません。縫わずに済むでしょう。ただ、傷が長い。このままでは塞がるまで、しばらく仕事へ戻れません」

 

 職人の表情が曇った。

 

 指は動く。けれど、傷が開かないよう左腕を休ませるなら、木材を押さえることも、道具を支えることも難しい。

 

「治癒器を使います」

 

 アドリアンが告げると、職人は驚いたように顔を上げた。

 

「そこまでしていただくほどの傷ではありません」

 

「軽い傷ではありません。命に関わらないというだけです」

 

「ですが、あれは教会の大切な道具でしょう。使える回数にも限りがあると聞いています。私などのために、石まで使っていただくのは……」

 

 職人は左腕へ目を落とした。

 

「何日か休めば治るのでしたら、それで構いません」

 

「何日で済むかは分かりません」

 

 アドリアンは傷の周囲をもう一度確認した。

 

「治癒器を使っても、今日から働けるわけではありません。少なくとも数日は腕を休めてもらいます。ただ、使わなければ、その期間はさらに延びます」

 

「それは……」

 

「仕事を休む日が増えれば、あなた一人の問題では済まないでしょう。家の者にも、工房の者にも負担がかかります」

 

 職人は答えなかった。

 

 アドリアンは、責める様子もなく続けた。

 

「治療に使うために、この教会へ置かれている器具です。貴重だからと必要な時にも使わず、治るまでの苦労を増やしては意味がありません」

 

「ですが、神父さまのお力も使うのでしょう」

 

「私の疲労まで、あなたが心配する必要はありません」

 

 静かな声だった。

 

 職人はしばらく迷った後、それ以上は断らず、傷をかばいながら深く頭を下げた。

 

「……ありがとうございます。お言葉に甘えさせてください」

 

「はい。では、動かずに待っていてください」

 

 アドリアンは壁際の戸棚から鍵を取り出した。

 

 中から、小さな木箱を慎重に運び出す。

 

 机の上で蓋を開けると、内部には金属製の板と、それを囲む細い枠が収められていた。端には透明な覆いのある窪みがあり、その中へ小さな石を収められるようになっている。

 

 器具そのものには、ほとんど光がなかった。

 

 アドリアンが別の箱から取り出した石には、器具とは対照的に、淡いながらもはっきりとした光が宿っていた。

 

「リヴィア。もう少し下がっていてください」

 

「危ないのですか」

 

「正しく使えば問題ありません。ですが、治療中の器具へ子供が近づく必要はありません」

 

「分かりました」

 

 リヴィアは壁際まで下がった。

 

 アドリアンは石を器具の窪みへ入れ、透明な覆いを閉じた。それから職人の腕を金属板の上へ置き、傷の位置に合わせて細い枠を動かす。

 

「動かさないでください」

 

 職人がうなずく。

 

 アドリアンは器具の端へ右手を添えた。

 

 その瞬間、光が増した。

 

 それまで光っていなかったアドリアンの指先に、淡い輝きが集まる。

 

 光は掌を通って器具へ流れ込んだ。窪みに収められた石が強く輝き、金属板の表面に刻まれていた細い筋が、一つずつ浮かび上がる。

 

 眩しい。

 

 リヴィアはさらに目を細めた。

 

 目を逸らせば、少しは楽になる。それでも、光の中で何が起きるのか確かめたくて、顔までは背けなかった。

 

 光は器具の中を巡り、枠に囲まれた傷へ集まっていく。

 

 職人の腕そのものが光っているのではない。傷口と、その周囲だけが白く霞んで見えた。

 

 祭壇の周りに残っていた淡い光は、動かなかった。

 

 礼拝用の経典にまとわりつく光も、その場に残っている。

 

 器具へ流れているのは、石とアドリアンの手から出た光だけだった。

 

 なぜ違うのかは分からない。

 

 考えている間にも、傷の縁が少しずつ寄っていく。

 

 すべてが消えるわけではない。長い赤い線は残り、周囲の皮膚も腫れている。それでも出血は止まり、先ほどより浅い傷に見えるようになった。

 

 器具の光が弱まった。

 

 アドリアンが手を離す。

 

 石は、取り出した時より明らかに暗くなっていた。

 

 アドリアンも一度深く息を吐き、指を軽く握ってから開いた。

 

「今日はこれで十分です」

 

「もう痛みがだいぶ違います」

 

「治ったわけではありません」

 

 アドリアンは新しい布と包帯で傷を覆った。

 

「少なくとも数日は、その腕で仕事をしないでください。熱が出る、痛みが強くなる、傷の周りが赤く広がる。そのどれかがあれば医師へ。器具を使ったからといって、汚れや病まで消えるわけではありません」

 

「分かりました」

 

 職人は何度も礼を言った。

 

 付き添いの男とともに教会を出るまで、アドリアンは同じ注意を二度繰り返した。

 

     * * *

 

 扉が閉じると、礼拝堂は再び静かになった。

 

 職人の傷が軽くなったことには、ほっとした。けれど、使う前より暗くなった石も、治療の後に深く息を吐いたアドリアンの様子も気になった。

 

 小部屋には、治療の後の光が残っている。

 

 職人が座っていた椅子の近くと、器具の金属板、アドリアンの右手に、ごく淡い輝きがまとわりついていた。

 

 やがて消えていくのだろう。

 

 祭壇や経典の光は、それよりも古く、薄いものが何度も重なっているように見えた。

 

 アドリアンは使用済みの石を取り外し、器具を布で拭いている。

 

布が金属板をなぞるたび、表面に残っていた淡い光も形を崩した。薄く引き延ばされるように広がっていく様子は、先ほど人々が歩くたびに床の光が散っていった時とよく似ていた。

 

「神父さま」

 

「どうしました」

 

「今のが、魔法ですか」

 

 アドリアンの手が止まった。

 

 驚いたようだったが、すぐにいつもの穏やかな表情へ戻る。

 

「ええ。治癒魔法と呼ばれるものです」

 

「神父さまが使ったのですか」

 

「私一人で使ったわけではありません」

 

 アドリアンは、拭き終えた器具を示した。

 

「この治癒器が、魔力を傷の回復へ使える形に整えます。先ほどの石にも魔力が蓄えられています。私は器具を動かし、傷へ合わせるために、自分の魔力を加えました」

 

「石にも、魔力があるのですか」

 

「あります。魔力石といいます。厨房の加熱器具や照明にも使われています」

 

 リヴィアは、部屋の奥にある照明器具へ目を向けた。

 

 器具の内側にあるのは、治癒器へ入れた石より弱い、前から見えていた光だった。

 

「魔法は、火と水と、土と風ですか」

 

「よく覚えていましたね」

 

 以前、髪と瞳の色について、短く教えてもらったことがある。

 

 赤は火。青は水。黄は土。緑は風。

 

「神父さまは、黄色と緑です」

 

「私の髪は土、瞳は風の属性を示しています」

 

「さっきの魔法は、土ですか。風ですか」

 

「治癒器の働きは、どちらか一つの属性へ当てはめるものではありません。私の魔力を使いましたが、傷を治す形にしたのは器具です」

 

 リヴィアは自分の髪を一房つまんだ。

 

 赤は火。青は水。黄は土。緑は風。

 

 それなら、白にも何かがあるはずではないだろうか。

 

 先ほど傷を包んでいた光は、目を細めなければ見ていられないほど明るかった。

 

 前の世界で見聞きした物語でも、白や光は、傷を治したり、悪いものを遠ざけたりする力と結びついていた気がする。

 

 根拠があるわけではない。

 

 それでも、自分の白い髪と瞳にも、あの力と似た意味があるのかもしれないと思った。

 

「白は、何の属性ですか」

 

 アドリアンは答えなかった。

 

 ほんの短い間だった。

 

 けれど、普段ならすぐに返ってくる言葉が来ない。

 

 視線が、リヴィアの髪から白い瞳へ移り、それからわずかに逸れた。

 

「白は、四大属性のどれにも当てはまりません」

 

 やがて、慎重な声で答える。

 

「銀に近く見える色ではありますが、白と銀は同じではありません。あなたの力がどのようなものなのかは、まだ分かっていないのです」

 

「治す魔法でもないのですか」

 

 尋ねた声は、自分で思っていたより小さくなった。

 

 つまんでいた髪を離すと、白い髪は何の光も残さず肩へ落ちた。

 

「治癒魔法は、髪の色だけで使えるものではありません」

 

 アドリアンの返答は優しかった。

 

 それでも、リヴィアは少しだけ肩を落とした。

 

 もしかしたら、自分にも人の傷を治せる何かがあるのではないか。

 

 そう考えた時間は短かったが、その期待が外れたのは少し残念だった。

 

 アドリアンは、その様子を見ていた。

 

「治癒器を扱うには、傷について学び、器具を動かす訓練を受けなければなりません」

 

「勉強すれば使えますか」

 

 リヴィアはもう一度、わずかな期待を込めて尋ねた。

 

 アドリアンは再び黙った。

 

 先ほどより、少し長かった。

 

 右手を見下ろし、次に暗くなった魔力石を見る。

 

「それだけではありません。器具を安定させるためには、扱う者自身の魔力も必要です」

 

 アドリアンはそこで言葉を切り、リヴィアの顔を見てから、さらに慎重な声で続けた。

 

「ですが、あなたが扱えないと決まったわけではありません。今は、まだ判断できないのです。もう少し大きくなり、あなたの祝福がどのように現れるか分かってから考えましょう」

 

 できるとは言わなかった。

 

 できないとも言わなかった。

 

 けれど、アドリアンが答えに困っていることは分かった。

 

 これは、詳しく聞かない方がよいことらしい。

 

 リヴィアはそう判断した。

 

 本当は、ほかにも聞きたいことがあった。

 

 なぜ魔力は光って見えるのか。

 

 アドリアンにも、同じ光が見えているのか。

 

 どうして魔法を使った後も、傷や手に光が残るのか。

 

 祭壇や礼拝用の経典にある光は、なぜ治癒器へ流れなかったのか。

 

 なぜ、ほかの人は眩しそうにしないのか。

 

 けれど、どの質問も、魔力や祝福の話につながりそうだった。

 

 疑問は残った。それでも、これ以上アドリアンを困らせることの方が嫌だった。

 

「分かりました」

 

 リヴィアがうなずくと、アドリアンは少しだけ安心したように見えた。

 

「まだ急ぐ必要はありません」

 

「はい、神父さま」

 

 それ以上は尋ねなかった。

 

     * * *

 

 夜になると、礼拝堂の照明は落とされた。

 

 普通の灯りがなくなっても、リヴィアの視界から光がすべて消えることはない。

 

 祭壇の周囲には、朝の祈りが残したらしい淡い霞がある。

 

 礼拝用経典の表紙には細い光がまとわりつき、小部屋では、昼間に治癒器を使った場所がかすかに輝いていた。

 

 寝台脇の棚に置かれた幼児向け教話集は光っていない。

 

 普通の本と、光る本。

 

 普通の道具と、内側に光を持つ道具。

 

 魔法を使う前には光らなかった人の手と、使った後に残る光。

 

 違いは見える。

 

 けれど、その意味を説明する言葉を、リヴィアはまだ持っていなかった。

 

 文字を読めるようになれば、いつか自分で調べられるかもしれない。

 

 そう考え、リヴィアは目を閉じた。

 

 世界のすべてが光っているわけではない。

 

 それでも、この世界には、彼女の知らない光があまりにも多かった。

 

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