白い少女はただ善く生きたい ――人々の瞳に映る少女は、ひとつではない――   作:不明さん

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第9話 艶やかな女

 アドリアンの古い知人と街で出会ってから、何日かが過ぎた。

 

 昼前の礼拝が終わり、集まっていた近所の住民たちが帰った後も、礼拝堂の後方には一人の女性が残っていた。

 

 アドリアンは相談に来た住民と話すため、礼拝堂の奥にある小部屋へ入っている。

 

 リヴィアは長椅子の周囲を見回し、置き忘れられた物がないか確かめていた。

 

 その途中で目が合ったのは、これまで礼拝で見かけた覚えのない女性だった。

 

 長椅子に座ったまま、ゆったりと脚を揃えている。髪はきれいに整えられ、目元にも薄く色が添えられていた。

 

 近所の女性たちも、礼拝の日には身なりを整えてくる。

 

 それでも、目の前の女性はどこか違って見えた。

 

 服が特別に派手なわけではない。大きな飾りもなく、目立つ宝石を身につけているわけでもなかった。

 

 けれど、髪から靴まで、すべてが一つの姿にまとまるよう整えられていた。

 

 きれいな人だ。

 

 リヴィアは素直にそう思った。

 

「何か御用でしょうか」

 

 リヴィアは女性の近くまで進み、尋ねた。

 

「ええ」

 

 女性は微笑んだ。

 

 目元に添えられた色のためか、笑っているのに少しだけ強い印象が残る。

 

 ただ、怒っているようには見えなかった。

 

「リアン神父に会いたいのだけれど、取り込み中かしら」

 

「今は相談の方とお話ししています。もう少しすれば終わると思います」

 

「なら、ここで待たせてもらうわ」

 

「お約束はありますか」

 

「約束はしていないの」

 

「お名前を伺ってもよろしいですか」

 

「名前を言わなくても、私が来たと伝えれば分かると思うわ」

 

 アドリアンをリアン神父と呼んだ。

 

 以前からの知人なのだろう。

 

「分かりました。神父さまのお話が終わりましたら、お伝えします」

 

「ありがとう」

 

 女性は座ったまま、リヴィアを見た。

 

 リヴィアも女性の顔を見る。

 

 整えられた髪に、化粧の施された目元。唇にも淡い色がある。

 

 自分で化粧をしたことはない。

 

 教会を訪れる女性の中には化粧をしている者もいるが、これほど自然に見える人は珍しかった。

 

 視線を少し下げる。

 

 衣服の胸元には、自分とはまるで違う、大人の女性らしい豊かな線があった。

 

 思わず目が止まった。

 

 すぐに、他人の身体をじっと見続けるのは失礼だと気づく。

 

 リヴィアは気まずくなり、慌てて視線を下げた。

 

 衣服は腰の辺りで細くまとまり、そこから下へ滑らかに広がっている。

 

 座っているため、布の下にある脚の形までははっきり見えない。

 

 それでも、膝から足元までの長さだけで、背の高い人なのだと分かった。

 

「ずいぶんよく見るのね」

 

 女性が言った。

 

 声は穏やかだったが、リヴィアは自分が見すぎていたことに気づいた。

 

「すみません」

 

「怒ってはいないわ」

 

 女性は長椅子に片手を添え、流れるような動きで立ち上がった。

 

 何気ない動作なのに、大人の女性らしいしなやかさがあり、自然と目を引いた。

 

 座っていた時に感じたとおり、背が高い。

 

 立ち上がる動きに合わせて、腰から下の布が形を変えた。

 

 片方の脚が前へ出る。

 

 リヴィアの目は、動いた布と脚を自然に追った。

 

 女性が衣服の裾へ軽く手を添える。

 

 それから、先ほど前へ出した脚を戻し、今度は反対の脚へ身体を預けた。

 

 布の形がもう一度変わる。

 

 リヴィアもその動きを目で追った。

 

 長い脚と衣服の形がよく合っている。

 

 立ち上がる時にも、脚を動かす時にも、布の形がきれいに変わるよう作られた服なのかもしれない。

 

「何か気になる?」

 

 女性が尋ねた。

 

 先ほどまでより、目が少し細くなっている。

 

 やはり、不快にさせてしまったらしい。

 

「すみません。見すぎました」

 

 リヴィアはもう一度謝った。

 

 見すぎてしまったのは確かだった。これ以上何か言えば、言い訳になってしまう気がした。

 

 リヴィアは少しばつが悪そうに、小さく笑みを浮かべた。

 

 女性は答えず、リヴィアの目と口元を順に見た。

 

「リアン神父を呼んでいただける?」

 

「はい。お待ちください」

 

 リヴィアは女性へ背を向け、礼拝堂の奥へ進んだ。

 

 相談に来ていた住民は、ちょうど小部屋から出てきたところだった。

 

 アドリアンは入口まで見送りながら、次に困ったことがあれば早めに来るよう伝えていた。

 

 住民が礼を言って帰った後、リヴィアはアドリアンへ近づいた。

 

「神父さま。お客様です」

 

「誰ですか」

 

「女性の方です」

 

「お名前は」

 

「伺いましたが、お名前はおっしゃいませんでした。ご自分が来たと伝えれば分かると。リアン神父へ会いに来たそうです」

 

 アドリアンの表情が、わずかに変わった。

 

「どのような方ですか」

 

「髪とお化粧をきれいに整えた、背の高い方です」

 

 ほかに説明できる特徴を探したが、胸が豊かで脚が長いとは言いにくかった。

 

「とてもきれいな方です」

 

「……そうですか」

 

 アドリアンは何かを察したらしい。

 

 机の上に置いていた書類を伏せ、立ち上がった。

 

「礼拝堂で待っているのですね」

 

「はい」

 

「分かりました。あなたはここにいてください」

 

「神父さまをお待ちだと思います」

 

「すぐに行きます」

 

 アドリアンは小部屋を出て、礼拝堂へ向かった。

 

 リヴィアは言われたとおり、その場に残った。

 

     * * *

 

 少女の姿が礼拝堂の奥へ消えてからも、女はしばらく同じ場所に立っていた。

 

 右脚に掛けていた重心を、元の位置へ戻した。

 

 衣服の下、右の太ももの外側には、短い刃を収めた薄い鞘が固定されていた。

 

 服の上から形が浮かばないよう、身体に沿わせてある。

 

 普通に立ち、普通に歩く限り、外から存在を知ることはできない。

 

 少女の視線は、最初から暗器へ向いていたわけではなかった。

 

 顔を見て、髪を見た。

 

 次に胸元へ目を止めた。

 

 そこまでは、華やかな装いを珍しがる子供の反応に見えた。

 

 女の身体つきへ関心を持っただけだと考えることもできた。

 

 少女は自分が見ていることを恥じたように、視線を下げた。

 

 その視線が腰を過ぎ、右の太ももで一度止まった。

 

 女が右脚を引くと、細められた白い瞳も同じ方向へ動いた。

 

 反対側へ重心を移すと、視線は一度足元へ落ちた後、再び暗器を収めた位置へ戻った。

 

 偶然にしては、よく合っていた。

 

 見つけたと悟られたくなかったのなら、最初に胸元へ目を向けたことまで含めて、自然な視線に見せたことになる。

 

 そこまで考え、女は小さく息を吐いた。

 

 最初に報告を聞いた時には、二人とも子供を警戒しすぎているのだと思った。

 

 一人目は、何もしていない子供へ威圧を向けたうえで、それが通じなかったと言った。

 

 少女は彼の腕や肩、身体の大きさを順に見ていたという。

 

 怖がるどころか、相手を安心させるように笑ったとも聞いた。

 

 二人目は街中で偶然会い、買い物と昼食へ同行した際、親しげに会話を続けながら、リアン神父の仕事、夜の活動、教会への来訪者について探った。

 

 少女は自分の生活については普通に話した。

 

 だが、知らないことを想像で補わず、誰が教会を訪れたのかも話さなかった。

 

 教え込まれた者の対応に見えたという。

 

 二人目は、自分が少女の返答をまとめると、意味が違うとすぐに説明を補われたとも話していた。返事を止めると、自分がおかしなことを言ったかと確かめられたという。

 

 同じ少女についての報告とは思えなかった。

 

 一方では威圧を意に介さず、もう一方では親しげに接しながら情報を渡さない。

 

 そして今日は、服の下へ隠した刃の位置を目で追い、気づいていないように笑った。

 

 女が少し目を細めると、少女は自分の視線を不快に思われたと考えたように、すぐに謝った。女が答えずに見ていると、今度は悪意がないことを伝えるように笑った。

 

 威圧を受けても冷静さを失わない。会話の意味がずれれば、すぐに説明を補う。相手の視線や沈黙が変われば、自分の言動に問題がなかったか確かめる。

 

 それぞれは別の対応だった。

 

 だが、状況が変わった時に、それを見落とさず、すぐ自分の態度を変えている点は共通していた。

 

 単に気の回る子供というには、反応が早すぎるように思えた。

 

 相手の警戒が強まる兆しを察し、それ以上刺激しないよう振る舞うことも、暗部の人間には必要な資質だった。

 

 女は少女が消えた通路へ目を向けた。

 

 細められた白い瞳からは、どこを見ているのか分かりにくい。

 

 笑顔も崩れなかった。

 

 自分で何かをしようとはせず、リアン神父を呼びに行った。

 

 女には、暗器を見つけたうえで、相手を刺激せず、発見したことを悟らせないまま、判断できる者へ任せたように見えた。

 

 教義保全院の候補へ最初に教える対応としては、間違っていなかった。

 

 足音が近づき、アドリアンが礼拝堂へ現れた。

 

「何の用ですか」

 

「久しぶりに会ったのだから、もう少し歓迎してくれてもいいでしょう」

 

「連絡もなく教会へ来た者を歓迎することはできません」

 

「前に来た二人から、あの子については聞いたでしょう」

 

 アドリアンの表情が硬くなった。

 

「その話ですか」

 

「ええ。あの子の話」

 

「執務室へ」

 

 アドリアンは短く告げた。

 

 二人は礼拝堂の奥へ移った。

 

 執務室へ入ると、アドリアンは廊下に人がいないことを確かめ、扉を閉じた。

 

「何を聞いたのですか」

 

「一人目からは、威圧しても怯えなかったこと。身体を観察され、笑顔を返されたこと」

 

 女は机の前へ立ったまま答えた。

 

「二人目からは、何を聞いても必要以上のことは話さなかったこと。知らないことと、話してはいけないことを分けていたこと」

 

「本人は、話してはいけないことを選別したつもりなどありません」

 

「そうかもしれないわね」

 

「それを確認するために来たのですか」

 

「確かめておきたかったの」

 

 女は自分の右脚を軽く指した。

 

「この服の下に、刃を隠しているわ」

 

 アドリアンの目が鋭くなった。

 

「あの子へ何をしたのですか」

 

「何もしていない。立っていただけよ」

 

「それなら、なぜ今その話をするのですか」

 

「あの子が見つけたから」

 

「何を」

 

「右の太ももに隠した暗器を」

 

 アドリアンは答えなかった。

 

「最初は、私の顔や服を見ていたわ。胸元にも目を止めていた。けれど、その後で視線が太ももへ移ったの」

 

「子供が珍しい服装を見ていただけでしょう」

 

「私もそう思った。だから脚の位置を変えたの」

 

「試したのですね」

 

「確かめただけよ。刃へ手を掛けてもいないし、取り出してもいない」

 

「同じことです」

 

 アドリアンの声が低くなった。

 

「あの子を試すようなことはしないでください」

 

「分かったわ」

 

 女は素直に答えた。

 

 これ以上続ければ、話そのものを打ち切られる。

 

「でも、視線は動いた暗器を追った。見つけたことを口にせず、笑顔のまま、あなたを呼びに行った」

 

「あなたの服と脚を見ていただけです」

 

「三人とも、同じように見間違えたというの?」

 

「見間違いです」

 

 アドリアンは迷わず答えた。

 

「なら、一つだけ聞くわ」

 

 女はアドリアンの顔を見た。

 

「あの子は、教義保全院の候補なの?」

 

「違います」

 

 否定は即座だった。

 

「正式な候補ではない、という意味?」

 

「適性を確認する対象としても扱っていません」

 

 女はわずかに眉を上げた。

 

「そう」

 

「あの子に、暗部の教育は何一つしていません。威圧された時の対応も、情報を守るための技術も、隠された武器の探し方も教えていない」

 

「一つも?」

 

「教義保全院の教育は、一切していません」

 

 アドリアンはそこで一度言葉を切った。

 

「あの子は、この教会で育てている子供です。教義保全院とは関係ありません」

 

 嘘をついているようには見えなかった。

 

 少なくとも、アドリアン本人は、あの少女に暗部の教育をしていないと認識しているようだった。

 

「分かったわ」

 

「本当に分かったのですか」

 

「あなたが何も教えていないと主張していることは」

 

「主張ではありません」

 

「では、事実として覚えておく」

 女は扉へ向かった。

 

「ほかに用がないなら帰ります」

 

「ええ」

 

「もう一度言います。あの子を試さないでください」

 

 女は振り返った。

 

 

「分かっているわ」

 

 その答えだけを残し、執務室を出た。

 

 礼拝堂脇の小部屋の前を通ると、中に少女がいた。

 

 机へ向かい、紙に書かれた文章を読んでいる。

 

「リヴィア」

 

 女が呼ぶと、少女は顔を上げた。

 

「はい」

 

「帰る前に一つ聞いてもいい?」

 

「何でしょうか」

 

「さっき、私をずいぶん見ていたでしょう」

 

 少女の顔に、わずかな困惑が浮かんだ。

 

「すみません」

 

「怒ってはいないわ。何が気になったのか知りたいだけ」

 

 少女は少し迷った後、言葉を選ぶように口を開いた。

 

「髪と、お化粧と、服がきれいだと思いました」

 

「それだけ?」

 

 少女の視線が一度、女の胸元へ向かい、すぐに逸れた。

 

「胸元も、少し見てしまいました。すみません」

 

「脚も見ていたわね」

 

「はい」

 

「どうして?」

 

「きれいだったので、つい目で追ってしまいました」

 

 少女はそう答え、もう一度頭を下げた。

 

「見すぎてしまって、すみません」

 

 女は少女を見下ろした。

 

 飾り気のない答えだった。

 

 髪も、化粧も、服も、胸元も、脚もきれいだった。

 

 だから目で追った。

 

 ただそれだけなら、何も不自然ではない。

 

 だが、きれいだから見ていたにしては、少女の視線は右の太ももの辺りへ何度か戻っていた。女が脚の位置を変えた時にも、同じ場所を追うように動いた。

 

 少女は嘘を言っていないのだろう。

 

 暗器へ気づいていなかったのなら、見たままを答えただけである。

 

 気づいていたとしても、女の姿をきれいだと思い、脚の動きを目で追ったこと自体は嘘ではない。

 

 どちらの場合でも、今の言葉は同じように成立する。

 

 少女がそこまで考えて答えたのか、何も知らずに正直な感想を述べただけなのか。

 

 女には判断できなかった。

 

「そう。ありがとう」

 

「怒っていませんか」

 

「ええ。きれいだと言われて、怒る理由はないでしょう」

 

 少女は安心したように笑った。

 

「よかったです」

 

「また会いましょうね」

 

「はい」

 

 少女は穏やかに答えた。

 

 女は礼拝堂を抜け、教会の外へ出た。

 

 アドリアンは何も教えていないと言った。

 

 それが本当なら、教えられずにあれだけのことができるということになる。

 

 生来の適性が高いのだとすれば、むしろその方が厄介なのかもしれなかった。

 

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