西側の葉へ戻った光が、少しずつ隣の枝へ広がっていた。広場にいる人々もそれには気づいているようだったが、喜ぶ声はまだ遠慮がちで、暗いままの東側を振り返っては声を落としている。私も同じだった。試料皿へ落ちてくる雫の間隔を確かめながら、明るくなった場所より、まだ変わらない場所へ目を向けていた。
東側用の薬を送り始めてから、すでに何度かの待ち時間を挟んでいる。根の中へ重なっていた乳白色の反応は細くなり、途切れがちだった緑色も繋がり始めていた。それでも枝を支える力は戻らず、低い屋根の上では、ガレスが立ち入りを禁じた縄が風に揺れている。
「この根は、さっきよりよくなっているんですよね」
リオが記録板を差し出した。隣り合う二つの欄には、棒へ現れた色の形が描かれている。色そのものを写す絵具はないため、白い輪を丸で、緑が途切れた場所を点線で表していた。後の欄ほど点線が減っているのは、見比べればすぐに分かった。
「ええ。供給したものを受け取ることは、できるようになってきています」
「でも、上は暗いままです。もう少し待てば、出発した朝みたいになりますか?」
私は大樹を見上げた。あの朝は樹冠全体が青緑色に輝き、白い花と鳥に覆われていた。しかし、あれは健康だった頃の姿ではない。第三管理槽から突然大量の供給を受け、根が処理しきれないまま咲かせた花でもあった。
私たちは、最も派手に変化した姿を見たせいで、戻るべき場所までそこだと思いかけている。薬の量を増やす前に、根へ入った力がどこで使われているのか確かめる必要があった。
「第三管理槽。東側の根から送られた供給物について、消費先を表示してください。枝全体の合計ではなく、使っている場所ごとに見せてもらえますか」
井戸の上に浮かぶ図が変わり、根から幹を通って枝先へ伸びる細い線が現れた。その先には葉や枝を支える組織とは別に、幾つもの小さな点が集まっている。枝の状態を映す窓を開かせると、まだ落ちていない花と、開きかけた蕾が表示された。
『開花維持および花粉媒介誘引系への供給を確認しました。独立運転時の処理要求が保留され、根圏循環の再開に伴って順次実行されています』
最初に地下へ入った時、動物を集めていた誤作動を止めようとして、権限不足と断られたことを思い出した。全体の供給が止まったことで花も沈黙していたが、処理そのものが取り消されたわけではなかったらしい。
私は地図を拡大し、薬を使った根から伸びる線を追った。ようやく受け取れた力の一部が、弱った枝を支える前に、新しい花へ回されている。根へ薬を足し続けても、その使い道が変わらなければ、同じことの繰り返しになるだろう。
「花を維持する処理と、新しく咲かせる処理を休止してください。誘引も止めて、まず根と枝の循環を保つ方へ回します」
『未完了の開花処理を中断します。現存する花の脱落が進む可能性があります』
「そのために、枝まで失う必要はありません。花は、咲かせられる状態になってからで構いません」
数日前には受けつけられなかった指示が、今度は携行認証子の白い輪とともに受理された。大層な名前の権限を受け取ったものだと思っていたが、疲れた木に花を休ませるためにも必要だったらしい。少なくとも、展示室で勇者にされかけた時よりは、納得できる使い道だった。
管理人の老人が、散った花弁を靴先から払いながら大樹を見上げた。今夜の見回りから戻ったばかりで、外套の肩にはまだ何枚も白いものがついている。
「花は、なくなるのか」
「今ついているものは、かなり落ちると思います。残しておきたい気持ちは分かりますが、今は花にまで力を使わせない方がよいでしょう」
老人はしばらく黙っていたが、やがて足元の花弁を一枚拾った。破れていないところを指で確かめてから、胸の内側へしまう。
「孫が欲しがっとったからな。あとは、来年でも待たせる」
来年また咲くとは、私にも約束できなかった。しかし、それを今訂正する必要はない。木が残れば、待つことはできる。私は老人へ頷き、マルタに、これから花の光が弱まっても治療を止めたわけではないと、見回りの者へ伝えてもらった。
変化はすぐには起こらなかった。第三管理槽は花への供給を急に断つのではなく、残っているものを使い切らせながら、少しずつ配分を変えていった。私はその間、新しい薬を足さず、根が受け取る速さと戻ってくる液体の状態を見続けた。
リオが一つの欄を書き終えた頃、頭上から白い花が落ちてきた。花弁だけではなく、付け根から離れた一輪が地図の端へ載り、内側にあった青い光をゆっくり失っていく。ほぼ同時に、東の枝先へ点々と残っていた輝きも暗くなった。
広場の向こうで誰かが声を上げた。マルタがそちらへ歩き、控えていた衛兵も見物人を縄から離れた場所へ誘導している。作業台のそばでは、リオが筆を止めたまま花と私を見比べていた。
「消えました」
「記録してください。花の光が消えた時刻と、その時の根の反応を、別々に」
リオは小さく頷いたが、紙へ向き直るまでには少し時間がかかった。治すためにしていることが、見た目には悪化と区別しにくい。それを頼りない灯りの下で書き留めるのは、思っていたより不安な作業なのだろう。
私は新しい試料皿を彼の見える位置へ寄せ、黒い棒を浸した。根から戻った液体には、緑色が途切れずに広がっている。白い輪はまだ残っていたが、先ほどよりも薄く、固まっていたところから少しずつほどけていた。
リオは棒へ顔を近づけ、今度は筆を動かした。花の光が消えた、と書いた行の下へ、根の色は消えていない、と続ける。私はその二行を見てから、第三管理槽へ枝を支える組織の状態を照会した。
『東側主要枝の組織内圧が安定し始めています。構造保持率の低下速度は減少しています』
まだ回復とは言われなかった。それでも、落ち続けていたものが踏みとどまり始めている。私は供給の速さを変えず、次の確認まで待つよう指示した。
その後も花は落ちたが、根から戻る流れは細く保たれていた。セラが東側の見回りから戻り、同じ場所から向かいの屋根と見比べても、枝先がそれ以上は下がっていないと教えてくれた。地面や家の戸口にも新しい変化はなく、染物屋の床板も、先ほど確かめた位置から動いていないという。
私は試料皿を交換し、三度同じ状態が続くのを待った。最後の皿で緑色が均一に広がった時、第三管理槽の図から、東側の根へついていた警告の一つが消えた。
『主要枝の構造保持率低下が停止しました。現行供給条件での継続観察を推奨します』
ようやく息を吐くと、思っていたより肩へ力が入っていたことに気づいた。ディンが椅子を少し近くへ寄せてくれたので、私は立ったまま検査を続ける理由を考えるのをやめ、腰を下ろした。試料皿には同じ距離で手が届き、座ったからといって根の働きが悪くなる様子もない。
「これで、家へ戻っても大丈夫ですか」
様子を聞きに来たマルタへ、私はまだ避難を続けてほしいと答えた。枝が下がらなくなったことと、その下へ人が戻ってよいことは別である。明るくなってから傷んだ場所を確かめるまで、少なくとも今夜は無理をさせたくなかった。
マルタは頷き、神殿へ毛布を追加で運ばせるために戻っていった。街の人々も大樹と同じで、一度落ち着いたからといって、すぐに普段どおりへ戻せるわけではないらしい。
作業台の端では、リオが落ちてきた花を記録紙から持ち上げ、空いている皿へ移していた。光を失った花は薄い布のようで、触れれば破れてしまいそうだったが、彼はそれ以上弄らず、時刻を書いた紙片を添えた。
「また咲くところは、見たいです」
「その時には、もっとのんびり見られるとよいですね。私も、試料皿を持たずに済む方が助かります」
リオは少し笑い、次の頁を開いた。私は花ではなく、その上に残っている葉へ目を向けた。東側の枝はまだ暗かったが、先ほどまで下向きに丸まっていた葉の一枚が、風を受けてゆっくり裏返った。
そこに戻った色を確かめるには、灯りを近づける必要があった。管理人の老人が柄を高く持ち上げると、光る花の代わりに、ごく普通の緑が夜の中へ浮かび上がった。