森の奥深く、203大隊は呆然としていた。
「しょ、少佐。どうすればいいのですか?」
余りにも突然の自体にヴィーシャにはただただ慌てている。
「諸君…。申し訳ない」
「しょ、少佐!?」
ターニャが突然頭を下げる行為にヴィーシャ達は驚いている。
「私の個人的な思想の結果諸君らを巻き込んでしまった。大変申し訳ない」
「少佐。お気になさらないでください!!」
「何!?」
「あのような存在が戦争を誘発しているなんて誰が考えますか!?」
「そうです。少佐が誰よりも平和を望んでいることを私達は知っています」
「あんな存在にこびへつらうなんてできるわけありませんよ」
ヴィーシャやバイス達の言葉にターニャは驚きつつも自身を慕ってくれる部下の有難みを再び痛感した。
「まずは状況の整理だ。存在Xにより我らは未開の地に飛ばされた。この世界の文明レベルは低いとされている。我々の第一目標は知的存在、人間とのコンタクトだ」
いつもの状態に戻ったターニャははきはきと部下に命令を下した。
「「「「「はっ!!!!!」」」」」
ヴィーシャ達もその命令に従い準備を開始した。
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上空千フィートで飛行を続ける203航空魔導隊の面々は現在の世界を見渡していた。
空の色が淡いところを見るに、湿度は比較的高い場所のようだ。そして現在の気温と樹木の種類から推察するに気候はおそらく温帯、季節は夏から秋の初めといったところか。
かれこれ1時間ほどは上空を飛び回っているが、未だ目印になるようなものは見当たらない。
存在Xの言葉通り、文明の気配がないのだ。街も無ければ人もいない。目に映るのは延々と続く山々のみで、ターニャは本格的に頭を抱えたくなってくる。
「少佐。時折周囲に石像が見えます。何なのでしょうか?」
「分からん。ただ、人工的に作られたものにしては良く出来すぎている」
「確かに。何かに驚いてる表情とか色々とあるますよ」
「自然にできたものではないですし文明が確かにあったということは確定ですね」
そんな時だった。川沿いを下りながら歩く人影らしきものが視界を掠めたのは。ターニャ達は素早く地表に降り立つと、そっと包囲する形で木の影に隠れつつもまじまじと相手の様子を観察した。
年は二十代前後と言ったところだろうか。恐らくは男だろうが中性的な顔立ちで、あまり身体を鍛えている様子もない。和服なのか中華服なのか判別のつかない変わった衣服を纏っている。しかも何故か髪がツートンカラーだ。
暫く様子を伺っていると、男がいきなりこちらを振り返ってきたのでターニャ達はビクリと肩を揺らす。どうやら近くを通りすぎていった動物の立てた音に反応したようだ。驚き固まっている男と目が合う。ターニャは短く舌打ちをした。
この世界の状況もわからないまま仲間を呼ばれるのはできれば避けたい。ターニャは一瞬で迷いを捨てると飛ぶようにして男との距離を詰め、その胸元に銃口を向けたまま威嚇するように口を開いた。
『黙って質問に答えろ。答えなければ撃つ』
「えっ何、子ども!? …って銃!? 嘘でしょ待って撃たないでってば!」
「(!?日本語…)」
「あれ、もしかして言葉通じてない!? ノ、ノー!! ドンシュープリーズ!! プリーズ!!」
「少佐。このものは何とおっしゃっているのですか?」
「聞いたことも無い言語だぞ」
木陰から出てきたヴィーシャが男の言っている言葉が理解できずに悩んでいる。
近くに来てようやく気付いたが、男は靴を履いていないようだった。服は動物の皮のようなもので作られているように見える。とは言え染色が施してあるのが気になるが。縄文…にしては服飾が進みすぎだし、奈良や平安にしては遅れすぎている。
髪型や喋り方がそこはかとなく二十世紀感を帯びているのも気になる。それに何よりこの男は銃で脅されるということの意味を正しく理解していた。それは銃という物の機能を知っていなければあり得ないことだ。
文明のない世界に銃の存在を知っている二十世紀風"日本"人──なるほど、全く状況が掴めないな。
「貴様に一つ聞きたいことがある。…ここは秋津周皇国か?」
「え、日本語? あき…何?」
「……、いや、やはりいい。質問を変えよう。ここは日本であっているか?」
「え? うん。ここは日本の箱根だけど…」
「…箱根」
その言葉にターニャは懐かしい響きを舌先で転がす。
『どうやらここは“私の元いた世界とは違う世界の日本”らしい。
転生前に住んでいた日本なのか、それとも第三の世界の日本なのかは定かでないが、もし歴史に大きな差異がなければ少なくも西暦700年以降と言うことは分かった。ふむ、であれば生活できないほどではないな。文明は無いと聞いていたが、存在Xの手違いか?
まあいい。』
「今は西暦何年だ?」
「え? えっ…と、確か5739年…だと思うけど」
「………は?」
予想の遥か斜め上を行く返答に、私は一瞬瞬きを忘れてしまう。
もしかしてこの世界では5000年ほど早くキリストが生まれているのか? ま、まああり得なくはない。まさか、まさかとは思うが二十世紀の高度な文明が既に滅びているなんてことは…。
「ていうか君、ジーマーで何者? 最近石化から復活した子…ではないよね、見た感じ…」
「少佐。何故驚いているのですか?」
「こいつ今は西暦5739年だと言っているのだ…」
「「「「「えぇ!?」」」」」
今がいつの時代なのかという答えに203航空魔導隊は驚きの声を隠せなかった。
「石化? 復活? …何の話だ?」
「あ、そこからな感じ? うーん、これ言っちゃっていいのかな…」
男は両腕を組んで広い袖の中に隠しながら、困ったように眉を下げた。
恐らくは、素性のわからないこちらを警戒しているのだろう。まあこんなあからさまな武装をしていれば当然かもしれないが。何にせよ、この世界にも色々と事情があるらしい。
しかし事情があるのはこちらも同じなのだ。
いくら相手の警戒心を解けるからと言って、状況もわからないままのこのこ武装を解くような自殺行為はしたくない。こちらは武器と魔力が無ければただの非力な幼女なのだ。
そのまましばらく膠着状態が続いていたが、やがて時間の無駄を確信した私が銃を構え直すのが先だった。
「話したくないのなら別に構わないが…」
「わーっ、タンマタンマ!! 分かった話すから! 息するように銃向けるのジーマーでやめて!?」
大袈裟に慌てている男に多少の胡散臭さを覚えながらも、ターニャは大人しく銃を下げる。
彼は恐らく善良な一般市民だ。
それがわかっているためこちらも端から撃つ気などないのだが、こうも平和ボケした反応を返されると扱いやすくて助かるというものだ。これが戦場慣れしている兵士だったらそうはいかない。
とりあえず、情報源は手に入れた。
あとはこの男に洗いざらい吐かせればこの世界の状況は一通りわかるはずだ。
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「つまり、3700年前に謎の光が全人類を石化させ今は運よく目覚めた人間だけで文明を復興していると?」
「ざっくり言えばそういうことになるかなぁ。まぁ俺としてはターニャちゃん達が異世界からきたってことの方が信じられないんだけどね…。あと貴様じゃなくて名前で呼んで欲しいかなぁ」
あさぎりゲンという男から聞いた情報をターニャは信じられずにいた。『全人類石化』。SF小説のような現象。だが、周囲にある石像が石化した当時の人間ならある意味合点がいく。彼らの表情が圧倒的にリアルなのはいきなり体が徐々に石化したからであろう。
「少佐。少佐は彼の言語が理解できるのですか?」
「あぁ。私には前世の記憶があると存在Xが話していたろ。この国は私が前世で暮らしていた国のなれの果てらしい」
「そ、そうなのですか!?」
ゲンの案内でターニャ達は彼の拠点である科学王国へ向かっている。話によるとそこのには優秀な科学者がいるらしく石化を解く復活液を作ることができるらしい。
「それにしてもターニャちゃんって、ここに来る前何してたの?」
科学王国とやらへ向かう道すがら、あさぎりゲンは不意にそんな質問を投げかけてきた。
最初はビビり散らしていたくせに順応性の高いことだ。そもそも二度も銃を向けてきた相手に対して警戒心が薄すぎやしないか?と疑問に思いつつも今さら隠すことではないと考え答えた。
「戦争だ。ここ最近は毎日のごとく最前線に駆り出されいてな。殺さなくてもいい人間を相手にするのは久しぶりだ」
「ウン、格好で何となく察してはいたけど予想してたのの100億倍はハードだった…。今のはジーマーで聞いてごめん」
「少佐。もしよろしければ我々にもこの国の言語を学ばせてください」
「あぁ。いずれな」
丘の下り道に差し掛かると、程なく視界が開け、眼下に一面の青が飛び込んでくる。キラキラと太陽光を反射するその贅沢な資源の宝庫は、帝国にいる間はあまり身近に目にする機会のなかったものだ。
岬の先には橋がかかっており、その先の小島には集落のようなものがあった。どうやら人間は本当に存在しているようだ。だが、分かってはいたが、その縄文時代のような作りの家屋を一目見た時のターニャの落胆具合は筆舌に尽くしがたい。
ターニャが苦々しい顔でため息を吐けば、前の男にまで聞こえてしまったようで、不思議そうな顔がくるりとこちらを振り返った。
「どうしたの?」
「いや…。文明を二十世紀の水準に戻すのにどれほどの時間がかかるのかと試算してウンザリしていただけだ」
「えぇ〜まあ確かに、現代は便利で派手で楽しかったけどさあ。この世界の暮らしも案外悪くないもんよ?」
「貴様の感想など聞いていない。私はさっさと元の時代で健康で文化的な余生を謳歌したいのだ」
「そ、そう…。ていうか余生って…、9歳の女の子の口から出る言葉じゃ無いでしょ」
坂道も終わりに近づき、段々と傾斜が緩くなってきている。
前方斜め右に先ほどとは別の集落のような物が見えかかったところで、目の前の男は足を止めた。
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「ヤッホー千空ちゃん。ただいま〜」
あさぎりゲンの気の抜けるような声に振り向いた少年を見てまず私が思ったことは、細い、だった。申し訳ないが、自分の隊にいれば入隊初日に死にそうなほどには貧弱に見えた。
「やーっと帰って来やがったかメンタリスト。どこほっつき歩いてたんだテメー」
「いやーメンゴメンゴ。ちょーっと色々あってね。で、急で悪いんだけど千空ちゃんに会わせたい子達がいてさ〜」
「会わせたい子達ぉ?」
男の面倒くさそうな声をものともせず、あさぎりゲンは背後に立つにターニャに道を譲る。
そうしてガーネットの瞳が私を捉えた瞬間、その目には困惑と微かな警戒心が浮かんだ。まるで宇宙人でも見るかのような表情で私の姿を凝視してくる男に多少の居心地の悪さを感じながらも、私は数歩前に進み出る。
「…貴官がここのトップと聞いたが本当か?」
「ああ…あ゙? 貴官?」
「そうか。では単刀直入に言う。異世界から来たターニャ・フォン・デグレチャフだ。後ろにいるのは私の部下だ。元の世界に帰れないのでしばらくここで世話になりたい。もちろん相応の労働力は提供する」
ターニャのその言葉に隣の男はあちゃーとでも言わんばかりの顔で空を仰ぐがもちろん彼女の知ったことではない。要点を簡潔に述べて時間を節約するのは社会人として当然のタイムマネジメントだ。
しかし残念なことに目の前の男には伝わらなかったのか、作業の手を中断したままポカンとした顔で静止していた。
「いや、なん……は?? わりぃもっかい言ってくれ」
「ほら言わんこっちゃない! いくら千空ちゃんの脳が高性能だからってそれは負荷かけすぎだから! もうちょっと順を追って説明してあげて!」
「ふむ、そうか。合理的な男だと聞いたので冗長すぎる説明は好まないかと思い敢えて省略したのだが」
「いやさすがにそれは省略しすぎデショ…」
そう言って力なく目元を覆うあさぎりゲンに、ふむ、としばし考えもう一度自己紹介をやり直すことにする。
「では改めまして。帝国軍航空魔導部隊所属ターニャ・フォン・デグレチャフ魔道少佐だ。先ほども言ったがとある事情により気が付いたらこの世界に飛ばされていた、いわゆる異世界人だ。全人類石化の経緯と、貴官がこの世界で文明の復興を目指していることについては先ほどそこの男に説明を受けた。ついては私の保有する知識と労働力を提供することを見返りに、しばしの間衣食住の保証を頼みたい」
ターニャの言葉にまた男は沈黙する。ついで難しそうな顔で頭を抱えたかと思うとそのまま横を向いて、腕を組み直して、また頭を抱える。
そんなことを繰り返しながらざっくり20秒くらいは思案していただろうか。ようやく考えがまとまったらしい様子の男は再びこちらに向きなおるとやや頭の痛そうな声で口を開いた。
「あ゙ー……、ツッコミてえ所が山ほどあるんだが、とりあえずテメーの話は分かったわ。いいぞ」
「いいの!?」
男の返答に今度は私が驚かされる番だった。
自分で言い出しておいて何だが、さすがにここまであっさりとした反応で終わるとは予想だにしていなかった。男は相変わらず納得行かなさそうな表情こそしているものの、それ以上追求してくる気配もない。突然現れたイレギュラーの解明よりも目の前の作業を優先しているからかもしれないが、淡白にも程があるだろう。
「軽くない!? それで終わりなの!? いいのそれで!?」
「あ゙ー、ひとまずはマンパワーになるんならまあ…。別に敵意があるわけじゃなさそうだし」
「判断基準そこ!? なんか、もっとこう…異世界のこととか銃持ってることとかについての突っ込みはないんだ!?」
「あ゙? 銃だ?」
言うと男は今気付いたのかターニャの抱える自動小銃に目をやり、あ゙ーとやや面倒くさそうな声を漏らす。心なしか表情も引き攣っている気がする。
「…マジでか」
「マジだよ! って、思わず俺まで素になっちゃったじゃん!」
「いやわりぃ、正直話が奇想天外すぎてまだ5割くらいは手の込んだジョークの線を疑ってた」
「あ、ウン、最初から信じてなかったパターンね、納得〜」
「で、こいつらはお前の部下なのか?明らかに年上だろ」
「あぁ。私は通常よりも早く兵士に志願し、成績を上げたからな。左からセレブリャコーフ中尉、バイス大尉、ノイマン中尉、ケーニッヒ中尉、グランツ中尉だ」
男に紹介されていると気づいたのか敬礼をするヴィーシャ達。
「んでテメーは…異世界から来た、だったか?」
「そうだ」
「…一応聞いとくが原因に心当たりは?」
「存在Xだな」
「存在X?」
「自称神だ」
「ジショウカミ」
「最も私はあのクソッタレを神とは認めていないので敢えて存在Xと呼んでいるわけなのだが」
ターニャの言葉に男は男は死ぬほど面倒くさそうな表情で神……と漏らし眉間を押さえる。
「……とりあえず突っ込まねーわ、そんで?」
「元来やつは私が奴に対する信仰心を持たぬことを嘆いていたのだが、つい先日何をトチ狂ったのか、今より過酷な環境に放り込めば信仰心が芽生えるはずなどと言い出してだな。その巫山戯た理論の証明に付き合わされる羽目になったというわけだ。全く迷惑千万極まりない話だが」
「……あ゙ー分かった。ちょっと待て」
男は死ぬほど面倒くさそうな表情で神……と漏らし眉間を押さえる。
「……とりあえず突っ込まねーわ、そんで?」
「元来やつは私が奴に対する信仰心を持たぬことを嘆いていたのだが、つい先日何をトチ狂ったのか、今より過酷な環境に放り込めば信仰心が芽生えるはずなどと言い出してだな。その巫山戯た理論の証明に付き合わされる羽目になったというわけだ。全く迷惑千万極まりない話だが」
「……あ゙ー分かった。ちょっと待て」
「テメーはその存在Xとか言う奴の存在を証明できるか?」
不意に頭上から降ってきた声に、ターニャは一瞬で思考を切り替え視線を戻す。
「貴官にか? それなら無理だな。まず第一に、私は奴の声を聞いているだけで姿を一度も見たことがない。第二に、私が奴に干渉を受けている間物理現実の時間はストップするからだ。第三者が何らかの科学的分析を試みようにも、その現実が存在しなかったことになっている以上まず不可能だろう」
「よーし、じゃあこの話は終わりだ。作業の続きやんぞ〜」
「ちょっとォ!?」
まあこの反応は想定内なので特に驚きもしないが、仮にターニャの話を100%信じたとして、どちらにせよ証明することができないからだ。むしろ科学者にしてはこんな荒唐無稽な話をよく黙って聞いていたなとさえ思う。
「なんだ? まだなんかあんのか?」
「え、ちょ、だから…それで終わりなの!? 千空ちゃんそれで納得してるの!?」
「納得はしてねえよ。でもこいつが言った通りなら今はこれ以上話聞いても埒あかねーだろ。現状解明できねーもんに時間割いてどうすんだ」
「そ、りゃまあ、そうだけどさ…。いいの? こんなイレギュラー放置しといて」
「つってもどうすんだよ。神に祈りでも捧げますってか? んなんことしても何にも──」
「!…ああ、それなら有効かもしれん」
「……は?」
「言い忘れていたが、私は奴への祈りを口にした分だけ奴の力を顕現することができる。俗に言う“奇跡の発現”という奴だな。それを奴の存在証明としていいのかは微妙なところだが、少なくとも私の言葉よりは説得力があるだろう」
「…………マジか」
その言葉に何かを閃いた様子の男が奥にある小屋の方へと走って行く。そしてまたすぐに戻ってきたかと思うと、その手には鳥の形をした石像のようなものが握られていた。
「…これは?」
「石化したツバメだ。本来こいつを石化から復活させるには特殊な液体がいるんだが…。テメーが“奇跡”を起こせるってんならちょうどいい。こいつで存在Xの存在証明をしてやる」
「つまり石化を解除しろと? …言っておくが私はこの力を戦いでしか使ったことがないのだ。発動の条件があるのかも知れんし、そう普遍的に使える力かどうかはわからんぞ」
「じゃあそれもついでに実験すればいいじゃねーか。力の及ぶ範囲は知ってて損はねーだろ?」
「……実験」
確かに言われてみればそうなのだ。今まで考えたこともなかったがこの力がもし軍事以外に使えれば大きなメリットになる。何よりターニャは空中爆発が通常運転の試作宝珠で高度一万を目指す時のような命の危険もないのだ。試しておいて損はない。
「分かった、やろう」
ターニャは数歩前に出ると、丸太の上に横たえられたツバメの石像に向かってそっと手をかざす。
…了承した後になって気付いたが、これはもし何も起こらなかったらかなり間抜けな絵面になるのではないか? まあ、その時は従来通りに術式を展開すればいいか…。
「──主は我々をお見捨てにならず」
ターニャが聖句を口にすれば、予想に反し、エレニウム九十五式には魔力の光が灯った。そのことにほんの少しだけ安堵するも、側でその様子を見ていた二人がギョッと身体をこわばらせる気配を感じる。が、生憎今はそちらに気を遣うほどの余裕がない。膨張するエネルギーは全身を巡り、石像にかざした掌へと凝縮されていく。
「運命を嘆くなかれ。遥かなる道の果て、我らは約束された地に至らん」
紡がれる言葉に合わせ、徐々にその光はエネルギーを増していく。そしてその力が満ちるその瞬間、七色に輝く幻想的な光が石像全体を覆い尽くす。
ピキッ
「!」
硬いものにヒビが入るような音。見れば、石像の一部が欠けている。そしてその音の発生源が増えるにつれ亀裂は石像全体へと広がり、最後には砕け散った石片の下からツバメが現れた。それは音もなくふわりと舞い上がると、まるで自由を喜ぶかのごとく、優雅に頭上を旋回する。
「本当に石化していたのか…!」
「……っ」
「うっそ!? ジーマーで石化解けちゃったの!?」
その驚きの矛先は違えど、三人が三人とも驚愕の表情のまま空を仰ぐ。
「少佐!!凄いです!!」
「まさか本当に石像が生き物に戻るなんて…!」
ヴィーシャ達もこの事実に驚きを隠せない様子だった。
「マジもんのファンタジーじゃねえか……!」
「ふむ、これは興味深いな……今まで考えもしなかったがこういう使い道があるのか。まああまり常用したくはないが」
「あ゙? 何でだ?」
「この力は使えば使うほど精神が汚染されるからだ。祈るたびにじわじわと神を信仰するよう心を作り替えられる。あと疲れる」
「……なあ、さっきからずっと思ってるんだがそれ百歩譲っても神じゃねえだろ。むしろ悪魔だろ」
「奇遇だな。私もそう思っている」
「ともあれ、これでひとまず私の話を信じる気にはなったか?」
「あ゙ーまあ、さすがに目の前で見せられりゃな……すでに起こってる現象を否定しねえのは科学の大前提だからな」
「それは結構だ」
正直なところ、こんな力の使い道があるとは思っていなかったので個人的にも大きな収穫だ。使い所は選びたいが。
「つっても、だから今すぐどうこうできるって話でもねえが。こっちには存在Xより先に相手しなきゃいけねえ奴が控えてっし……」
「?」
「司ちゃんっていう、千空ちゃんとは別の復活者が石化復活液の原料を握っちゃっててさあ……早いところその子を説得しないと科学王国はジリ貧ってわけなのよ」
「……なるほど。確かに、寿命を終える前に現代文明にたどり着きたければ労働力の確保は最優先だろうな。この人数で文明を復興できるとは到底思えん」
「それもあるけど、司ちゃん達は文明復興に反対してて千空ちゃんの命を狙ってるんだよね。だからあまり時間をかけすぎて向こうの復活者が増えちゃうと、俺らは総攻撃を受けて一網打尽にされちゃうっていう」
「貴様らは馬鹿なのか?」
「それで説得などと生ぬるいことを言っているのか? 明らかに始末一択な案件だろう。命を狙われているなら正当防衛だし、何より人類文明の発展を妨害するなどそれだけで人類にとって害悪だ。それともそいつを盲信する兵士の反乱を恐れているのか? ならば私がもろとも始末してやってもいいが──」
「え? いやいやいやダメに決まってるでしょ!? 何言い出してんのこの子!? 司ちゃんより物騒なんだけど!?」
「あ゙ー……そういやテメー、帝国軍がなんとかとか言ってたな。半分聞き流してたがもしかして軍人か?」
「もしかしなくても軍人だ。正確には魔導士だが」
「ターニャちゃん。確か通常よりも早く兵士に志願したんだよね。今更だけど何で?」
ゲンの質問はもっともだった。女がしかも子供が九才で軍の少佐になっていることに疑問が隠せなかった。
「私がこの年で兵士に志願したのは単にキャリアのためだ。どうせ徴兵されるならできるだけ早く参謀本部の椅子を手に入れて安全な後方生活を満喫しようと思ってだな」
「アッハイ」
「それで、この王国は今現在どれ程の文明水準になっているのだ?」
「あぁ。これからサルファ剤作りの最終工程に入るところだ」
「は?」
千空の言葉にターニャは絶句した。
「ま、まさかこの石器時代で抗生物質を作る気なのか!?」
「少佐?何を驚いているのですか?」
余りの驚き様にヴィーシャも驚いている。
「この者達はこの石器時代に薬品を作ろうとしているらしいのだ」
「「「「「えぇ!?!?!」」」」」
「はぁ!?この原始的な村で!?」
「ありえないだろ」
「だな」
「驚くのは無理ないよ。鉄さえなかったけど本当に地道に必要な素材を集めてさ」
「半年かかったが必要素材は全部そろった。ゲンが持ってきた炭酸水で後少しだ」
「こいつが持っていた物の中身は炭酸水だったのか!?」
「あぁ。昨日の夜に調合したこの薬を炭酸水と水酸化ナトリウムで作った重曹で洗えば万能薬サルファ剤の完成だ!!!」
「「「おぉ!!!!」」」
薬が調合される瞬間を目の当たりにし、周囲に集まっている科学王国の住民であろう人々は歓声を上げた。
いまいち実感の湧かないターニャ達はただ立ち尽くすだけだった。だが、彼らの表情を見るにこの半年間長くつらい日々だったのは見て取れた。
「これで、やっとルリ姉が…!」
「まさか抗生物質を作っていたのは…」
「あぁ。こいつの姉が病気らしくてな。村の信頼を得るために必死で調合した」
人手を手に入れるためとはいえ千空のひたむきさにターニャは達観した。
「それじゃぁ薬をルリに飲ませに行ってくる。お前らはここで待っててくれ」
「あぁ、わかった」
千空達が村に向かっていくのをターニャ達はただ見送るのだった。