俺が過去問を入手してから一週間が経過した。
クラスメイトたちは、役職持ちと俺が作成したオリジナルの問題集に懸命に取り組んでいる。この問題集は、入手した過去問をベースにして俺が練り上げたものだ。教わる側の生徒には問題集のみを渡し、教える側の生徒には問題に加え、解法やポイントを丁寧に記した解説付きの解答集を配っている。
今思えば、Bクラスの面々なら過去問なんて使わなくても中間テストくらい自力で乗り越えられたはずだ。だが、使える武器があるのなら使わない手はない。まあ、過去問をそのまま横流しして使わせるつもりはサラサラないがな。
現在、俺たちは図書館で勉強会を開いていた。教える側の生徒たちが熱心に指導しているからか、教わる側も必死になって喰らいついている。この熱量と流れなら、クラスから赤点が出ることはまずないだろう。
俺も教える側の一人として参加しており、今さっきまで姫野に勉強を教えていた。彼女はどちらかと言えば一人でいることを好みそうなタイプだと思っていたが、最近は以前よりもどこか熱心に取り組んでいるように見える。一体何が彼女をそこまで動かしているのだろうか。少しだけ気にはなったものの、わざわざ踏み込んでまで聞くつもりはなかった。
「上等だ、かかって来いよ!」
静まり返った図書館に、突如として不釣り合いな怒号が響き渡る。いや、ここ図書館だぞ。一体何事だ?
俺が声のした方へ視線を向けると、そこには粗暴な雰囲気を纏った赤髪の不良が立っていた。次には黒髪の美少女が言葉にした瞬間、別の男子生徒が立ちあがった。服装や雰囲気からして、あれは絶対に違うクラスの生徒だろう。
……ん? 一之瀬がそっちに向かって歩いていかないか? 揉め事を止めようとしているのだろうか。止める姿勢自体は結構だが、あまりにも不用心過ぎやしないか。
「しょうがないな……」
できれば一言相談してから動いて欲しかったが、向かってしまったものを引き留めても仕方がない。万が一、一之瀬が殴られたりでもしたら後味が悪い。俺は溜め息を一つ吐き、後を追うように歩き出した。
「はいストップストップ!」
一之瀬が間に入り、毅然とした態度で声を張る。
「んだ、てめえ。部外者が口出すなよ」
「部外者? この図書館を利用させてもらっている生徒の一人として見過ごすわけにもいかないの」
「もし喧嘩がやりたければ外でやってくれ。うるさいんだよ」
俺は一之瀬の隣に並び立ち、低い声で制した。
「黒水君? どうして?」
一之瀬は俺が追いかけてきたことに驚いたように目を丸くしている。俺だってこの図書館を利用させてもらっている生徒の一人だしな。それに、お前一人だけに任せておくのはどうにも心配だったんだよ。
「バカが移った。一之瀬はもうちょっと自分を大切にしような。……話が逸れたな。で、どうする? 俺としては今すぐにでも報告しそうでうずうずしてるんだ」
「っ。わ、分かった。おい行くぞ、こんなところで勉強してたら馬鹿が移る(俺から挑発したことがバレる前に立ち去ろう)」
まあ、全部バッチリ聞こえていたから既にバレているよ、とは親切に言ってやらない。去る気になったのなら、さっさと失せてくれ。
俺の言葉に毒気を抜かれたのか、男たちは吐き捨てるように言い残して去っていった。これでようやく、図書館の静寂が守られたわけだ。
「君達もここで勉強するなら大人しくしようね。以上」
トラブルが解決したのを確認し、俺は無言で、一之瀬は一言注意を残してからその場を離れようとした。
「待ちなさい」
後ろから鋭い声でストップを掛けられた。まだ何か聞きたいことでもあるのだろうか。これ以上面倒に巻き込まれるのは御免なので、穏便に済ませるべく会話は一之瀬に任せることにする。
「さっきテスト範囲外を勉強していると言われたわ。本当なの?」
嘘を言う理由もない。一之瀬が中間テストの範囲が変更された件について丁寧に説明している間、俺は集まっているDクラスのメンバーを観察していた。
……なんだろうな。あの茶髪の男からは何の感情も読み取れない。一之瀬の説明に驚きを隠せない周りのメンバーとは対照的に、ずっと淡々と冷静さを保っている。どこか周囲から浮いているような、不思議な違和感があった。
「……分かったわ」
納得がいったのか、黒髪の少女が静かに頷く。
「……じゃあ私達も行くね。頑張ってね。みんなが乗り越えられる方法はあるって信じてる」
一之瀬は最後にもう一つヒントを投げかけ、その場を辞した。俺もその後ろを静かに追う。
……まったく、どこまでも人に優しい少女だな。
「……気付くかな?」
「(気付いて欲しいね)さぁな」
「私達も頑張ろっか!」
「(そうだな)ふん、精々頑張れば良いさ」
自分たちの席へと戻りながら、俺と一之瀬は言葉を交わす。こうしてトラブルを後にした俺たちは、再び自分たちのクラスの勉強会へと合流するのだった。
中間テスト当日は無事に乗り越えることが出来た。教えた部分がちゃんと出題されており、問題なく解くことができたのだ。周囲のクラスメイト達も手応えを感じたようで、同じような安堵の発言を口々に残している。
そして今日は、待ちに待った中間テストの結果発表の日である。手応えがあり解けていると分かっていても、いざ現実を突きつけられるとなると緊張を隠せないクラスメイトが多くいた。
朝のホームルームの時間になった。担任の星之宮先生が教室に入ってくる。その表情は、見るからにホクホクとした満面の笑みであった。
「みんなおはよう! 早速だけど中間テストの結果を発表するわね」
星之宮先生は持ってきた結果の用紙を黒板に貼り付ける。そこには、100点を連発させた素晴らしい結果が並んでいた。
「凄いわね。みんながここまでやれるなんて、先生驚いちゃった。赤点も一人もいないから退学者はゼロよ。みんな本当によくやったわ」
星之宮先生は心からの本音でそう言っているようであった。その言葉を聞いた瞬間、教室のあちこちから多くのクラスメイト達が歓喜の声を上げた。
取りあえず、誰一人欠けることなく退学者は出なかった。それだけでも、裏で色々と画策して頑張った甲斐があったというものだ。
「次のテストでも高得点を期待しているわね」
だが、次のテストからはもう過去問という手札は使えないだろう。そのためにも、今回作った勉強会の流れは継続させたいところだ。それくらいのこと、一之瀬や神崎なら既に気付いているはずだ。
ただ今は、中間テストという最初の壁を全員で乗り越えたことを素直に受け止めさせてあげよう。
数日後。夜の時間帯に、俺達Bクラスの面々はとある店に集まっていた。
まさか一之瀬と神崎が、みんなを労うためにわざわざ店を予約して集まりを開くとは思わなかった。これには俺も心底びっくりしている。
「みんな! 中間テスト、本当によく頑張ったね!」
一之瀬が明るい声を上げる。店内の少し高くなった土台の上に立っているため、みんなからの注目を一身に浴びていた。
「今日は少しでも自分を労って欲しいな。と、いうことで……乾杯!」
「「乾杯~!」」
みんな本当に元気だな。俺なんて店端の目立たない席で、ドリンクとセルフサービスで取ってきた食べ物を静かに飲み食いしているだけだ。周りのみんなは積極的に動き回り、歓談に花を咲かせていた。
すると、一人で静観していた俺の方へと近付いてくる少女がいた。ツインテールが特徴的な少女、姫野ユキだ。彼女は俺の隣の席に腰を下ろした。手にはジュースの入ったグラスを持っている。
しばらくの間、俺と姫野は無言のままだったが、やがて姫野の方から静かに口を開いた。
「あんたの行動、意味分かんないんだけど」
それもそうか。普段の俺の口から出るのは性悪な嘘ばかりだしなぁ。疑問を感じて問い詰めたくなるのも無理はないか。
「いつもは皮肉や毒舌ばかり吐いているくせして、勉強を教える時は無駄に丁寧で、過去問まで入手してくる。その上、クラスに発破までかけて……あんたの真意が全く見えてこないんだけど」
「(俺の真意かぁ)はっ、どうだって良いだろ、そんなこと」
「誤魔化すつもり? 別にそれでも良いけど。……黒水は今のままでAクラスに上がれると思う?」
「無理」
俺は誤魔化すことなく、即座に本音を口にすることが出来た。過去問は俺達には必要なかったかもしれないが、今回の件で学校のスタンスが少し分かった気がした。単に勉強が出来るだけではなく、学校側は『実力』と称して俺達を試し続けるだろう。もしかしたらそこには、非道徳的な手段や試練も含まれているのかもしれない。
今の甘いBクラスは、そういった非道徳的な悪意に対してあまりにも無力な面がある。それはきっと近い将来、巨大な壁として俺達の前に立ち塞がるはずだ。
「無理って……アンタもそう思っているんだ」
「姫野も思っているんだ。薄情だね、俺ら」
「あっそ。……今は悪いとは言わないけど、いつかきっと躓く。それじゃ困るのよ。私はAクラスに行きたい。みんなにどう思われても、絶対に行きたいの」
「俺にとってはどうでも良いことだ。Aクラスに行こうが行けまいが」
どうでも良いと言い捨てたが、Aクラスで卒業したいという彼女の気持ちは痛いほど分かる。むしろ俺自身、Aクラスに行かないと何もかも上手くいかないかもしれないのだから。
でも、それ以上に俺は成長したい。そしてみんなと分かり合って、出来ることならクラス全体を成長させたいんだ。
「だけど俺にも野望はある。……だから協力してやる。俺のやり方じゃ誰も幸せになれないかもしれないけどね」
「……意外と協力的ね。でもその言葉、絶対に忘れないでね」
「(うん、分かったよ)さて、どうでしょうかね。……そうだ、俺からも1つだけ聞きたいことがあるんだった」
「……なに?」
「お前、本来は一人を好むタイプだろ。どうして今回の勉強会にあんなに熱心だったんだい?」
姫野はクラスの和を乱すことはしなくても、自ら輪に加わるようなタイプじゃない。むしろ大勢で集まっている今この瞬間だって、それなりにストレスを感じているはずだ。
「……よく見ているわね」
姫野は少し驚いたように目を見開いていた。
「ムカついたからよ、アンタの発言に。誰も信じてないなんて言われたし、私だってBクラスの一員だし」
「ムカつくって、姫野は意外と短気なのか?」
「全員ある程度はムカついていたわよ。……やっぱりアンタのことは分からないわね。そうやって嫌われていても、自分から手を伸ばそうとするんだから」
「(嫌われること自体、無理もないからね)気にしないし、慣れた」
「……あっそ。……言いたいことは言えたから。これから協力してね」
「(分かったよ。出来る限り力になるからね)勝手にこき使えば良いさ。俺もお前をこき使ってやるよ」
こうして俺と姫野の間に、密かな協力関係が結ばれた。一之瀬達に協力したり、姫野と協力することを確約させられたりと、俺って意外と忙しいポジションにいるな。
「黒水君! 姫野さん!」
そこへ明るい声を掛けながら網倉がやってきた。他の女子達と会話の花を咲かせてきたのだろう、満足そうな微笑みを浮かべていた。
「ねえ、あっちで帆波ちゃんと神崎君が呼んでいるからちょっと来て。姫野さんはどうする?」
「うーん、私はパス」
「分かった。行こう、黒水君!」
「(そんなに慌てなくても付いて行くよ、網倉)俺は強制かよ、網倉」
あっさりと断った姫野を置いて、網倉にグイグイと手を掴まれて引っ張られていく俺。連れていかれた先には、一之瀬と神崎が待っていた。
「……それで要件は何かな?」
「にゃっ、そんな固くならないで」
「そうだ、俺達はお前に感謝している。過去問を入手し、それを利用してクラス全体の学力を向上させる。見事としか言えん手腕だ」
たまたま時間だけは余っていたからね。それに、俺の憎まれ口に反応してやる気を出してくれたみんな自身の成果だ。
「(俺がしたことなんて些細なことだよ)ふん、当たり前だ。だがこれで満足されると困るな」
「……そうだな。恐らく過去問という手が使えるのは今回だけだろう。それにこの先も全てが上手くいくとは限らないからな」
「もう、せっかく中間テストを乗り越えたんだからそんな堅苦しい話しないでよ~」
網倉は俺と神崎の醸し出す重い空気感を聞きたくないみたいだ。一之瀬も困ったように苦笑いしている。
「だがな、この先Aクラスに上がるにはこういった現実的な話も必要なんだがな。それに競争相手のDクラスもかなり成績が良かったと聞く。侮れない者達ばかりだ」
一之瀬の発言から勘づいたか、それとも担任の先生が何かしら匂わせていたか。……やっぱりDクラスにも、過去問の存在に気付いて動いた存在がいるな。
だが今は、せっかくの祝勝パーティーだ。神崎と姫野は意外と気が合うかもしれないという収穫を得られただけでも、今日は十分かもしれない。
「まぁ神崎君の言いたいことは分かるよ。だけど今日はこの夜を楽しもう! たまには息抜きも必要だしね」
「……そうだな」
一之瀬のフォローに神崎も素直に頷いた。俺は騒がしくも温かい周りの景色を見渡す。
「黒水君、どうしたの?」
「いや……。(頑張って良かったなって思っただけだ)頑張ったことだけは認めてやるよ」
俺の口から出た捻くれつつも優しめな嘘を聞いて、網倉は嬉しそうに笑った。
「もう、相変わらず素直じゃないんだから」
今回の嘘は、割と本音に近いものだったということには、口が裂けても言えなかったのだった。
・Bクラスは成長路線に乗せます。
・主人公は嘘を重ねつつも、Bクラスのために奔走します。