青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
カイザーの施設、その最奥。
窓一つない会議室には、空調の低い駆動音だけが途切れることなく流れていた。
壁面を覆う大型モニターには、アビドスで回収された記録映像がいくつも並べられている。
破壊された電磁拘束装置。外装を穿たれ、内部機構を露出させた大型兵器。撤退するヘルメット姿の少女たち。
そして中央の映像には、最大出力の衝撃波へ正面から飛び込み、そのまま黒い脚を兵器の中枢へ叩き込む仮面の戦士が映っていた。
「……以上が、今回の作戦結果となります」
室内中央に立つカイザーの幹部が、機械的な声で報告を終えた。
返事はない。
長い机の最奥。革張りの椅子へ深く腰掛けたカイザー理事は、停止した映像を眺めたまま指を組んでいた。
「黒見セリカの確保には失敗」
「……はい」
「作戦用として貸与した拘束装置は全損。実地投入した大型機も破壊された」
「はい」
「実行役も対象を放棄して撤退」
一つずつ確認されるたび、幹部の頭が僅かに下がっていく。
「ですが、想定外の要素がありました」
「想定外?」
「連邦生徒会が迎え入れたという大人――『先生』です。本人に直接的な戦闘能力は確認できませんでしたが、対策委員会の生徒たちを指揮し、我々の想定を上回る速度で――」
「それだけではないだろう」
理事が遮った。
幹部の声が止まる。
理事の視線は中央の映像へ向けられていた。
「こいつだ」
「……仮面ライダーです」
「それは知っている」
理事の声音が低くなる。
画面が切り替わった。
以前、ゲヘナで行われた人工ガイアメモリの実験。その記録の中にも、同じ黒い仮面の戦士がいる。
「人工メモリの実験へ乱入し、君を叩きのめした男だ」
「……はい」
「そして、そのせいで――」
さらに別の記録が表示される。
画面に現れた文字を見た瞬間、幹部の身体が僅かに強張った。
ICEAGE。
「真正のガイアメモリを一つ失った」
「……あの件については」
「人工メモリなら作り直せる」
理事は幹部の言葉など聞いていなかった。
「疑似メモリ兵器も同じだ。壊れたならまた作ればいい。損失額を計算して、次の売上で取り返せば済む」
そこで初めて椅子から立ち上がる。
「だが――本物は違う」
怒鳴ってはいない。
だが、その声音には先ほどまでとは違う苛立ちが混じっていた。
「今の我々に真正ガイアメモリは作れん。一つ失えば、それで終わりだ。工場へ注文して同じ物を寄越せと言うわけにはいかんのだよ」
「……」
「ICEAGEを失った時点で、君を切り捨ててもよかった」
理事がゆっくりと机の横を歩く。
「それでも私は一度だけ機会を与えた」
「……今回を、最後の機会とする、と」
「覚えていたか」
「ですが」
幹部が一歩前へ出る。
「今回得られたデータを利用すれば、次は必ず――」
「次?」
理事の足が止まった。
「君には、その『次』を今回与えたはずだが」
「……理事?」
しばらく幹部を眺めた後、理事は肩を竦めた。
「ガイアメモリ研究への貢献。人体使用を前提とした人工メモリの製造。そこまでの成果を無価値だと言うつもりはない」
幹部が僅かに顔を上げる。
「だからこそ最後の機会を与えた。君はそれに賭けた。そして――」
理事の口元が僅かに歪む。
「負けたのだよ」
その手がスーツの内側へ入った。
取り出されたのは、小さな長方形の装置。
幹部は、それが何なのかを知っていた。
研究部門が生み出した人工物ではない。疑似的な現象だけを機械へ組み込む制御媒体でもない。
ICEAGEと同じ。
遺跡から発見された、本物。
中央には、一つの文字が刻まれている。
――MONEY。
「待ってください。私はまだ利用価値が――」
「価値?」
理事の口元がさらに上がった。
「それを決めるのは君ではない」
親指がスイッチを押す。
『MONEY』
電子音が室内へ響いた。
理事はうなじに刻まれた黒い生体コネクターへMONEYメモリを差し込む。
直後、その身体を異質な力が包み込んだ。
人の輪郭が大きく膨れ、歪み、別の姿へ塗り替えられていく。
鈍い金属光沢を帯びた異形の巨体。
硬貨や財貨を思わせる意匠が全身へ連なり、何より異様なのは大きく前へ張り出した腹部だった。
金銭を、生命を、何もかもを貯め込み続けるために生まれたような姿。
マネー・ドーパント。
「理、事……」
幹部が一歩後退する。
マネー・ドーパントは急ぐ様子もなく、膨らんだ腹部へ手を添えた。
そこから取り出されたのは、一枚の奇妙な硬貨。
ライフコイン。
「自分には、まだ価値があると言ったな」
「……」
「ならば」
巨体が一歩近づく。
「最後に、その価値を回収しておこう」
「待――」
ライフコインが幹部の胸部へ押し当てられた。
「――ッ!?」
機械の身体が大きく跳ねる。
次の瞬間、幹部の内側から淡い光が引き抜かれ始めた。
単なる電力ではない。
機械の身体でありながら、その個体を一つの生命として動かしていたもの。
それが細い光となり、ライフコインへ吸い込まれていく。
「な……ぜ……」
幹部の声が急速に弱まった。
外装の艶が失われ、塗装が褪せる。関節部が軋み始め、内部から聞こえていた駆動音も不規則になっていく。
歯車も、軸受けも、モーターも。
つい数秒前まで正常に動作していた機構が、何十年も酷使され続けたかのように急速に摩耗していった。
「ま……だ……」
一歩踏み出そうとした脚部から耳障りな摩擦音が上がり、膝が折れる。
「私は……まだ……」
声が途切れた。
床へ崩れ落ちた幹部の瞳から、最後の光が消える。
ライフコインだけがその胸元から離れ、マネー・ドーパントの掌へ戻ってきた。
今まで空だった硬貨には、新たな輝きが宿っている。
マネー・ドーパントはそれを一瞥すると、張り出した腹部へ戻した。
開いた収納部へライフコインが呑み込まれ、内部から軽い金属音が響く。
チャリン。
動かなくなった幹部を前にするには、あまりにも軽い音だった。
「これで少しは返済したことになる」
マネー・ドーパントはそれだけ言った。
やがて異形の輪郭が崩れ、理事の姿へ戻る。
うなじからMONEYメモリを抜き取ると、壁際で待機していた職員たちへ視線を向けた。
「片づけろ」
職員たちが一斉に動く。
誰一人として質問しない。
停止した幹部の身体が運び出され、扉が閉じた。
再び静寂が戻る。
「相変わらず、手厳しいことですね」
部屋の奥から声がした。
理事は振り返らない。
「見ていたのか」
「ええ。せっかくお招きいただいたのですから」
暗がりから黒服が姿を現した。
不自然なほど長身の黒い影。
その視線は運び出された幹部ではなく、理事の手に残るMONEYメモリへ注がれている。
「ライフコイン。生命そのものを一枚の硬貨へ換え、取り立てる……何度見ても興味深い」
「毎回それだな、君は」
「仕方ありません。我々にとって、未知への興味は重要なものですから」
「こちらにとって重要なのは、金になるかどうかだ」
「存じていますとも」
黒服がくつくつと笑う。
理事はMONEYメモリを指先で弄びながら、モニターへ視線を戻した。
「もっとも、あの程度ではICEAGEの損失には到底釣り合わんがな」
「やはり、随分と惜しんでおられる」
「当然だろう」
返事は早かった。
「真正のガイアメモリだぞ。製造ラインを回せば補充できる商品と一緒にするな」
「なるほど」
理事が画面を切り替える。
人工ガイアメモリ。
生体コネクター。
人体への投与試験。
そして、これまで積み重ねられてきた実験記録。
「最初は、本物と同じように人へ使える物を作ろうとしていましたね」
「一人を怪物に変えられる力だ。利用しない理由がどこにある?」
「ですが、生徒への使用は上手くいかなかった」
黒服がモニターへ視線を向ける。
「我々が共同で行った解析でも、結果は一貫しています。彼女たちが内包する『神秘』と、ガイアメモリが宿す『地球の記憶』。異なる体系の力が同一の器に存在すると――」
「長い」
「おや」
「要するに、生徒には使えんのだろう?」
黒服は一拍置いてから頷いた。
「現状では、そういうことになります」
「なら、それで十分だ」
「理由には興味がない?」
「興味を持ったところで金になるのか?」
「場合によっては」
「金になると分かった時に聞こう」
理事は鼻で笑った。
「生徒に使えないなら、生徒以外へ使えばいい。それだけの話だったはずだ」
「しかし、それも簡単ではなかった」
モニターへ生徒以外を対象とした試験結果が並ぶ。
「適合率。毒性。精神への影響。そして暴走」
「実に面倒な商品だ」
「商品ですか」
「他に何だと言う?」
理事は当然のように返した。
「一人使うたび適合する者を探し、生体コネクターを用意し、暴走しないか監視する。しかも壊れる時は周囲まで巻き込む」
「強力ではありますよ」
「強いだけでは駄目だ」
過去の実験映像の中で、異形へ変じた被験者が施設内部を破壊している。
理事はそれを眺め、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「こんなものを百人へ売れるか?」
「難しいでしょうね」
「一人を怪物にしたところで、そいつが勝手に暴れて壊れれば一度きりだ」
そこで理事の口元が上がる。
「だが、百人が同じ兵器を使えるなら話は違う」
画面が切り替わった。
一丁の銃。
内部には、ガイアメモリ研究から派生した小型制御機構が組み込まれている。
「壊れれば次を売れる。弾薬も部品も必要になる。新型を出せば買い替えさせることもできる」
「なるほど」
「兵士一人を怪物にするより、百人に特殊兵器を持たせた方が遥かに儲かるではないか」
衝撃波を撃ち出す銃。
異常な出力を発揮する火器。
特殊な電磁場を生み出す装置。
次々と試作品が表示される。
「しかも、こちらなら身体へ直接作用させる必要がない」
黒服が続けた。
「生徒の神秘とも衝突しない。生体コネクターも不要。適合率にも大きく左右されない」
理事が手を振る。
「つまり?」
「規格化と量産が可能です」
「売れるのだな?」
「ええ」
「なら問題ない」
黒服が僅かに肩を揺らした。
「実にあなたらしい」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「では、人工メモリの方は?」
「続ける」
そこだけは即答だった。
「使える者がいるなら使えばいい。一人で大きな破壊力を出せること自体は事実なのだからな」
「特殊工作や、通常戦力では難しい任務へ?」
「何でもいい。価値を生める場所へ放り込め」
「使い捨てでも?」
「使い捨てて利益が出るなら、それの何が悪い?」
理事は笑う。
「もっとも――猛獣にも使い道はあるということだ」
黒服もまた、楽しそうに笑った。
「そして、商品として売るのはこちら」
画面には複数の流通記録が表示される。
ただし、そこにカイザーの名はない。
幾つものダミー企業。
仲介業者。
その先に広がるブラックマーケット。
「すでに試験投入したロットから、十分な結果が出ているようですね」
「ああ。想像以上にな」
理事は満足そうだった。
「研究所へ閉じ込めて試すより、金を払って使わせた方が遥かに多くのデータが取れる。実に都合がいい」
「特にゲヘナ方面へ多く流れていますね」
「武器が必要な場所へ武器が流れた。それだけだ」
「あなた方が直接配ったわけではない、と」
「そんな手間を掛ける必要があるか?」
理事が呆れたように言う。
「ブラックマーケットへ流してしまえば、後は勝手に売れる。転売されようが、横流しされようが、別の自治区へ持ち出されようが知ったことではない」
「その過程で改造までされている」
「結構なことではないか」
理事は記録を眺めながら笑った。
「どう改造するか。どの能力が好まれるか。いくらなら買うか。壊れやすい部分はどこか。こちらが金を払うどころか、連中が金を払って調べてくれている」
「なるほど」
「疑似メモリ兵器は商品だ」
理事は得意げに言った。
「誰でも使えるようにし、売れるだけ売ればいい。キヴォトス中で武器を必要としている連中がいる限り、買い手に困ることはない」
「では」
黒服の視線がゆっくりと理事の手元へ落ちた。
「それも、いずれ市場へ?」
理事の指に挟まれているMONEYメモリ。
それまで浮かんでいた笑みが消えた。
「……一緒にするな」
「おや」
「これは我々が作った模造品ではない」
理事はMONEYを持ち上げる。
「兵器へ現象の一部を再現した玩具でもない」
その視線がメモリへ落ちた。
「本物だ」
「本物だからこそ、高値で売れるのでは?」
「君は分かっていないな」
今度は黒服ではなく、理事の方が笑った。
「金で買える物をいくら並べたところで、それは商品に過ぎん」
「それをあなたが仰いますか」
「だからこそ分かるのだよ」
MONEYメモリを指先でゆっくり回す。
「金を出せば誰でも買える物と、どれだけ金を積んでも同じ物を用意できない物では、価値が違う」
「二つとない物を持つことに意味がある?」
「当然だろう」
答えに迷いはなかった。
「誰もが欲しがる。だが、誰もが手にできるわけではない。だからこそ価値がある」
「では、それを所有するべきなのは?」
「価値の分かる者だ」
「例えば――あなたのような?」
「当然だろう」
理事はMONEYメモリを掲げた。
「本物のガイアメモリは、誰にでも扱える代物ではない。そして私は、こうしてこの力を使っている」
「それが資格の証明だと?」
「他に何が必要だ?」
理事は鼻で笑う。
「こういうものは、私のように選ばれた者が持っていればいい。価値も分からず、使いこなすこともできない連中へ配る理由などない」
「随分とご自分を高く評価されている」
「評価ではない。事実だ」
当然のことを告げるような声音だった。
黒服はしばらく理事を眺め、それから小さく笑った。
「なるほど。随分とそのメモリをお気に召しているようで」
「何が言いたい」
「人工メモリについて話す時のあなたは、どれだけ利益を生むかしか見ていない」
「当然だ」
「疑似メモリ兵器についても、市場と売上の話ばかりだ」
「それの何が悪い?」
「ですが、そのMONEYについて語る時だけは――」
黒服が僅かに首を傾ける。
「少々、楽しそうに見える」
短い沈黙。
「……馬鹿馬鹿しい」
理事は切り捨てた。
だが、MONEYメモリをしまおうとはしなかった。
「これは本物だ。それだけの違いだ」
「そういうことにしておきましょう」
黒服はそれ以上追及しない。
だが、その声音には明らかに愉快そうな響きがあった。
本物だから価値があるのか。
本物を所有する自分に価値があると思いたいのか。
あるいは、すでに理事自身がその二つを区別する必要さえ感じなくなっているのか。
元から抱いていた傲慢さへ、MONEYという力が形を与えただけなのかもしれない。
いずれにせよ、黒服にとっては興味深い観察対象だった。
「それより」
理事が不機嫌そうに話を切った。
画面には再び、アビドスで破壊された兵器群が表示される。
「市場へ流した疑似メモリ兵器そのものは上手くいっている」
「では、今回の問題は?」
「こちらが自分で使いすぎたことだ」
セリカの拘束に用いられた装置が映る。
ブラックマーケットへ試験投入されている物より新しい。より整理された構造を持ち、実戦で使用するために調整された型式。
「市場で誰かが買った商品を使う分には構わん。どこから流れてきたのか調べるだけで何人もの仲介を辿らねばならんからな」
「ですが今回は違った」
「ああ」
理事の声音に苛立ちが戻る。
「裏の仕事に、自分たちの手元から新しい装備をまとめて放り込んだ。あれでは『ここを調べろ』と看板を立てたようなものではないか」
「技術を辿る手掛かりが増えた」
「しかも」
中央の画面へ、再びジョーカーが映し出される。
「こいつまで現れた」
「人工メモリ実験の時と同じ仮面ライダー」
「あの時は人工メモリ。今回は疑似メモリ兵器だ」
「共通するのは、ガイアメモリに由来する技術」
理事が机を指で叩いた。
「気に入らんな」
「何がでしょう?」
「こいつが何を追っているのか分からんことだ」
黒い仮面を睨む。
「我々を嗅ぎ回っているのか。メモリに関係する物へ寄ってくるのか。それとも、アビドスの連中と繋がっているのか」
「確かめますか?」
「そのために次は、余計な物を使わん」
理事が別の資料を表示する。
四人の生徒。
陸八魔アル。
鬼方カヨコ。
浅黄ムツキ。
伊草ハルカ。
便利屋68。
「外の人間を使う」
「疑似メモリ兵器は?」
「与えない」
「通常の武装だけで?」
「ああ」
理事は満足そうに頷いた。
「アビドスへぶつける。それでも仮面ライダーが出るなら、あの学校と繋がっている可能性が上がる」
「出なければ?」
「メモリ由来の技術を追っている可能性が上がる」
「なるほど」
「どちらに転んでも情報にはなる」
「便利屋68へ本当の目的を知らせる必要は?」
「あると思うか?」
「いいえ」
「なら聞くな」
理事は四人の資料を一瞥する。
「金を払う。連中は仕事をする。それで十分だ」
「実に分かりやすい」
「世の中の大半は、それで動くのだよ」
黒服は画面に映る便利屋68の四人を眺めた。
「さて」
楽しそうな声音だった。
「今度は何が起きるのでしょうね」
理事は答えない。
その手にはまだ、MONEYの文字が刻まれた真正のガイアメモリが握られていた。
* * *
「だから! もう大丈夫だって言ってるでしょ!」
翌朝。
アビドス高等学校の対策委員会室には、昨日とは打って変わった賑やかな声が響いていた。
「大丈夫なわけないでしょう! 昨日何時間も拘束されてたんですよ!?」
机越しにアヤネが反論する。
「それは昨日の話!」
「まだ一日しか経ってません!」
「怪我自体は大したことなかったし!」
「拘束されて何時間も連れ回された人の台詞ではありません!」
「うっ……」
セリカの勢いが僅かに落ちる。
その隙を逃さず、ノノミが柔らかく笑った。
「今日はもう少しゆっくりしていてもいいんですよ~?」
「ノノミ先輩まで……」
「セリカが休むなら、私も一緒にいる」
シロコが横から口を挟む。
「何でシロコ先輩まで休むのよ!」
「一人だと抜け出すかもしれないから」
「私を何だと思ってるの!?」
「セリカ」
「即答しないで!」
少し離れた席では、ホシノが机へ頬杖をつきながらその様子を眺めている。
「いやあ~、愛されてるねえ、セリカちゃん」
「ホシノ先輩も他人事みたいに言わないでください!」
「無理したら、おじさんが担いでベッドまで連れていってあげるよ~」
「絶対嫌!」
「残念」
昨日、旧物流施設で見せた張り詰めた姿は、もう表には出ていない。
それでも先生は知っていた。
拘束されたセリカを目の前にした時、ホシノがどれほど自分を抑えていたのか。
今の気の抜けた声音だけを聞いていれば、とても同じ人物には思えない。
「じゃあ」
先生も手を上げた。
「私からも一つ」
「……何?」
「今日は無理しないこと」
「先生まで言わなくていいでしょ」
「昨日あれだけのことがあったからね」
「……それは、そうだけど」
セリカは少し不満そうに視線を逸らした。
先生が心配していること自体を拒むつもりはない。
昨日、自分を助けるために危険な場所まで来たことも知っている。
だからといって、それだけで何もかもを信用できるほど単純でもなかった。
今までアビドスが苦しい時に助けてくれる大人などいなかった。それなのに、突然現れたばかりの相手をすぐ信用しろと言われても無理がある。
本人としては、その辺りがどうにも落ち着かなかった。
やがてアヤネとノノミが資料をまとめ始め、ホシノが次の話題へ移ろうとしたところで。
「……先生」
「ん?」
セリカが呼び止めた。
少しだけ視線を逸らしている。
「昨日のことなんだけど」
「うん」
「助けに来てくれたことは……その、ちゃんと感謝してる」
言い終えるまでに妙な間があった。
先生は急かさず待っていた。
「でも」
セリカが顔を上げる。
「それと、いきなり信用できるかどうかは別だから」
「そっか」
「……何よ」
「いや。それでいいと思うよ」
予想していなかった返事だったのか、セリカが眉を寄せる。
「いいって……」
「信用って、頼んだからしてもらえるものでもないし」
「……」
「だから、セリカが自分で決めればいいよ」
先生はそれ以上何も求めなかった。
昨日助けたことを持ち出すこともない。
セリカはしばらく先生を見つめたあと、僅かに顔を背けた。
「……変な大人」
「それ、悪口?」
「自分で考えなさいよ」
突き放すような言葉だったが、その声から強い拒絶は消えていた。
先生もそれ以上距離を詰めず、ただ小さく笑った。
そんな二人を見ていたアヤネが一度咳払いする。
「と、とにかく。セリカさんも戻ってきたことですし、今日は今後のことを改めて話し合いましょう」
「今後?」
先生が尋ねる。
アヤネは頷き、机の上へ一冊のファイルを置こうとして――。
「ちょっと待って」
セリカが口を挟んだ。
「これ、先生にも見せるの?」
「え?」
「学校の借金の話でしょ」
セリカの視線が先生へ向く。
「昨日来たばっかりなのに、そこまで話す必要ある?」
「セリカさん……」
「別に、追い出せって言ってるわけじゃないわよ」
少しだけ言葉を選ぶ。
「助けてもらったのは分かってる。でも、それと学校の事情を全部話していいかは別でしょ」
先生は反論しなかった。
「うん。セリカがそう思うなら、無理に聞かなくてもいいよ」
「……またそういう返しする」
「だって、本当にそう思ってるから」
「むう……」
セリカが困ったように眉を寄せる。
そこへホシノが頬杖をついたまま口を挟んだ。
「まあまあ。少なくとも昨日、セリカちゃんを助けに来てくれた人ではあるしねえ」
「それは分かってるけど……」
「それに先生は、アビドスの支援要請を受けてここまで来てくれたわけですから」
アヤネも続ける。
「これからどうするか相談するなら、今の状況は知っておいてもらった方がいいと思います」
「……」
セリカは少し迷ったあと、腕を組んだ。
「……分かったわよ」
完全に納得したわけではなさそうだった。
「でも、何でもかんでも先生任せにするのは反対だからね」
「うん。それは私も嫌かな」
「……そうなの?」
「みんなの学校だからね。私が勝手に決めることじゃないよ」
「……」
また言葉に詰まる。
「ほんっと、調子狂う……」
「何か言った?」
「何でもない!」
アヤネはそんな二人を見てから、改めてファイルを机の上へ置いた。
「では、現在の状況から説明します」
先生がファイルを開く。
数字を見る。
もう一度見る。
念のため、一番左の桁から数え直した。
「……これ」
「はい」
「本当に高校の借金?」
「残念ながら」
アヤネが力なく答える。
ホシノがにこにこしながら補足した。
「立派な高校の借金だよ~」
「立派って付けるところかな……」
先生は改めて数字を見る。
「これ、普通に返していける金額じゃなくない?」
「だから困ってるんです!」
アヤネの切実な声が響いた。
「現在も毎月返済していますが、それだけでは追いつきません。このままでは利息だけでも――」
「だったら!」
セリカが勢いよく手を上げる。
「もっと効率よく稼げばいいのよ!」
「具体的には?」
「これ!」
どこから取り出したのか、一枚の紙が机へ広げられた。
健康。
幸運。
金運。
そしてゲルマニウム。
派手な文字が所狭しと並んでいる。
先生がじっと見た。
「……健康器具?」
「ただの健康器具じゃないわ! これを知り合いに紹介して、その人がさらに知り合いへ――」
「却下です」
「まだ最後まで説明してない!」
「聞かなくても分かります!」
アヤネが即座に紙を取り上げる。
「そんな怪しいものに手を出したら、借金が増えるだけです!」
「じゃあアヤネは何か案あるの!?」
「今それを考えるために会議してるんです!」
「だったら~」
今度はホシノがのんびり手を上げた。
「生徒が増えれば、もう少し色々楽になるんじゃない?」
「確かに生徒数は問題ですが……」
「他校のスクールバスを待ち伏せして、まとめて連れてくるとか」
「誘拐です!」
「転入のお誘いだよ~」
「銃を持って囲んだ時点でお誘いじゃありません!」
「難しいねえ」
「難しくありません!」
先生は口元を押さえて笑いを堪えていた。
「先生も笑わないでください!」
「ご、ごめん」
「ん」
シロコが手を上げる。
「私はもっと現実的な方法があると思う」
アヤネの目に一瞬だけ希望が宿った。
「シロコさん……!」
「銀行を襲う」
「どうしてそうなるんですか!?」
希望は一秒で消えた。
だがシロコは真剣だった。
「現金輸送の時間帯を調べて、警備が薄い場所を――」
「待って」
先生が思わず口を挟む。
「そこまで具体的に考えてるの?」
「うん」
「ルートは?」
「三つ候補がある」
「なるほど……」
「先生!?」
「いや、作戦として妙に完成度が高いから……」
「評価しないでください!」
「ごめんなさい」
「では~」
ノノミが楽しそうに手を合わせる。
「みんなでスクールアイドルになるのはどうでしょう~?」
数秒。
全員が黙った。
「……アイドル?」
セリカが聞き返す。
「はい。ライブをしたり、グッズを売ったり、動画を配信したり~」
「衣装は?」
先生が興味を示した。
「先生?」
「いや、重要かなって」
セリカがじっと先生を見る。
「……先生、意外とこういうの好きなの?」
「ちょっと気になる」
「そこで普通に答えるんだ……」
「先生まで話を広げないでください!」
アヤネの声が飛ぶ。
「でも、一番犯罪じゃないよ?」
「基準がそこまで落ちたことが問題なんです!」
アヤネの両手が机へ置かれる。
肩が震えていた。
「どうして……」
「アヤネちゃん?」
「どうしてまともな案が一つもないんですかぁっ!!」
ガタンッ!
勢いよく立ち上がった拍子に机が大きく揺れた。
書類が滑り、セリカが慌てて押さえる。
「ちょ、アヤネ!」
「私は真面目に借金をどうにかしようとしてるんですよ!?」
「私だって真面目よ!」
「あの紙のどこがですか!」
「銀行強盗は真面目に考えた」
「それが一番駄目です!」
「おじさんの案も――」
「ホシノ先輩は黙っててください!」
「は~い」
「先生もです!」
「私まだ何も言ってない!」
その時だった。
校舎の玄関側から、古びた電子音が鳴った。
全員の動きが止まる。
「……来客?」
ノノミが首を傾げる。
「こんな時間に?」
セリカも扉を見る。
アヤネが慌てて机を戻した。
「ちょ、ちょっと見てきます!」
そのまま部屋を飛び出していく。
* * *
少し前。
アビドス高等学校の正門をくぐった翔は、広い校舎を見上げていた。
宿にはバイクと大半の荷物を置いてきた。
今日持っているのは携帯端末と、風紀委員会から支給された最低限の調査機材くらいだ。
校舎の規模に対して、人の気配があまりにも少ない。
知識として分かってはいた。
それでも実際に目の前へすると、その静けさは想像以上だった。
玄関まで来ても受付らしい人影はない。
だからといって勝手に校舎の奥まで入る気にはならず、翔は入口脇に残っていた来訪者用の呼び出しボタンを押した。
少し待つ。
やがて慌ただしい足音が近づいてきた。
「お待たせしました!」
扉の向こうから現れたのは、眼鏡を掛けた少女だった。
奥空アヤネ。
アヤネも、玄関先に立つ来訪者を見て一瞬だけ目を瞬かせた。
黒に近い髪の、自分たちとそう歳の変わらなそうな少年。
キヴォトスでは、それだけでも十分に珍しい。
「こんにちは。突然すみません」
「いえ。えっと……どちら様でしょうか?」
「突然の訪問失礼します。俺は、風間翔。ゲヘナ風紀委員会から正式に依頼を受けて、最近出回ってる特殊兵器の流通を調べています」
「ゲヘナ風紀委員会……?」
「俺自身は風紀委員じゃないんですけど、外部の協力者みたいな立場です。調査のことで、アビドスの人たちに少し話を聞ければと思って」
アヤネは少し警戒するように翔を見る。
無理もない。
昨日、仲間が誘拐されたばかりだ。
「身分を確認できるものはありますか?」
「あります」
翔はすぐに携帯端末を取り出した。
風紀委員会から発行された調査権限と依頼情報を表示する。
アヤネはそれを確認し、ようやく少し表情を緩めた。
「確認しました。すみません、昨日ちょっと色々あったばかりで……」
「大丈夫です。当然だと思います」
「では、こちらへどうぞ。ちょうど先生もいらっしゃいます」
「先生も?」
「はい」
翔はその言葉に僅かに反応したが、すぐに頷いた。
「分かりました」
アヤネの後について校舎を歩く。
やがて一つの部屋の前へ辿り着いた。
「こちらです」
「ありがとうございます」
アヤネが扉を開ける。
その向こうにあったのは、微妙に位置のずれた机と散らばった書類。
怪しい健康器具のチラシ。
地図へ引かれた不穏な線。
何故かアイドルについて書かれたメモ。
そして、その周囲に集まっている少女たちだった。
翔は数秒だけ黙った。
「……あの」
「はい?」
アヤネが振り返る。
「本当に今、入って大丈夫だった?」
「大丈夫です!」
やや強めの返事だった。
(大丈夫じゃなさそうだな……)
そう思いながら、翔は室内へ足を踏み入れた。
セリカ。
シロコ。
ノノミ。
ホシノ。
ゲームの画面で何度も見た顔が、すぐそこにいる。
そして。
「こんにちは」
一人の女性が笑いながら手を上げた。
「私は先生だよ」
「……」
昨日。
戦場で一瞬の変化も逃さず、生徒たちへ指示を飛ばしていた人物。
自分がジョーカーとして大型兵器へ突っ込む直前、その意図を即座に理解して攻撃の機会を作った大人。
(……やっぱり、この人が先生か)
風紀委員会から「外部から大人が来た」とは聞いていた。
しかし、実際に顔を見るのは昨日が初めてだった。
そして今は、戦場で見た姿とはあまりにも雰囲気が違う。
「えっと?」
「あ、すみません」
翔は我に返った。
「風間翔です。ゲヘナ風紀委員会から正式な依頼を受けて、この辺りで調査をしています」
「そっか。よろしくね、翔」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
先生が翔を見る。
「……」
「何ですか?」
「翔、ちょっと無理してない?」
「え?」
「敬語」
「いや、別に苦手ってわけじゃないですけど……」
「あ、また」
「……」
先生が少し笑った。
「さっきから、丁寧にしようとするたびにちょっと喋りにくそう」
「そんなに分かります?」
「ちょっとだけ」
翔は少し迷ったあと、肩の力を抜いた。
「初対面ってのもあるし、今は正式に調査を頼まれて来てるから。あんまり適当なことするのもまずいかなって」
「真面目だね」
「あと」
「あと?」
「アコに、アビドスの人たちと先生への対応はちゃんとしろって散々言われた」
「アコ?」
「風紀委員会の行政官。後で何か言われるの面倒だから、ちゃんとしとこうと思って」
「……そっちが本音?」
「半分くらい」
先生が小さく笑った。
「じゃあ、私にはそんなに固くしなくていいよ」
「いや、でも先生だろ?」
「先生だけど、話しにくい方が困るし」
「そういうもんなのか?」
「少なくとも私はそうかな。それに、ちゃんとしようとしてるのはもう分かったから」
「……なら、まあ」
「うん。翔が話しやすい方でいいよ」
翔の肩から少しだけ力が抜ける。
「じゃあ、そうさせてもらう」
「その方が自然」
「……そんなに分かりやすかった?」
「ちょっとだけ」
「マジか……」
「ほら、今の方が自然」
「見てるところ細かいな、先生」
「先生だからね」
「それ便利な言葉じゃない?」
「便利だよ?」
「認めるのかよ」
そのやり取りを見ていたセリカが、少し呆れたように眉を上げる。
「何よ。先生にはもう普通に喋ってるじゃない」
「先生がいいって言ったからな」
「じゃあ私たちにも、そんなに固くしなくていいでしょ。同じくらいの歳なんだし」
「……まあ、それもそうか」
「何よ、その間」
「いや、会ってまだ数分だぞ?」
「先生にはもっと早かったじゃない」
「あれは先生が崩してきたんだろ」
「私?」
「他に誰がいるんだよ」
先生が首を傾げる。
「私、何かした?」
「してるしてる」
セリカはそんな二人を見比べる。
先生に対する自分の距離感とはだいぶ違う。
けれど、翔と同じように接する必要があるとも思わなかった。
先生がどういう大人なのかは、これから見ればいい。
今はそれで十分だった。
少し前まであった翔の堅さも、いつの間にかかなり薄れていた。
「じゃあ翔くん、一つ聞いていい?」
ホシノがゆっくりと口を開いた。
「ん?」
「翔くん自身はゲヘナの生徒じゃないんだよね?」
「ああ。風紀委員会から仕事を頼まれてるだけ」
「でも、今回はその風紀委員会の依頼でアビドスまで来てる」
「そうなるな」
「ふうん……」
ホシノはいつもの眠たそうな笑みを浮かべたまま、翔を見ていた。
「だったら、おじさんとしてはちょっと気になるかな~」
「何が?」
「翔くんに協力することが、そのままゲヘナに協力したことになるのかってこと」
その言葉に、アヤネが僅かに表情を変えた。
セリカもホシノを見る。
「ホシノ先輩……」
「だって大事でしょ?」
口調そのものは柔らかい。
けれど、冗談で言っているわけではなかった。
「うちは見ての通り、他の学校と何か取引できるほど余裕があるわけじゃないからねえ」
「……」
「今ここで翔くんに情報を渡したり、調査に協力したりして――後になってゲヘナから『あの時こっちが力を貸したんだから、今度はそっちが何かして』って言われても困るんだよね」
「そんな……」
セリカが何か言いかける。
だが、翔は否定しなかった。
「……その可能性が絶対ないとは、俺からは言えないな」
「翔?」
「俺は風紀委員会に、ましてやゲヘナに所属してるわけじゃない。今回の調査について任されてはいるけど、ゲヘナ全体が何を考えるかまで決められる立場じゃないから」
ホシノの目が僅かに細くなる。
「じゃあ、翔くん自身は?」
「俺?」
「後から何か要求したりする?」
「それはしない」
今度は迷わなかった。
「俺が調べたいのは疑似メモリ兵器がどこから流れてきてるかだ。アビドスに協力してもらえれば助かるけど、それを貸し借りにするつもりはない」
「……それを信じていい?」
翔は一瞬だけ黙った。
その問いに、都合のいい証拠を出すことはできない。
「最終的には、信じてもらう以外ないと思う」
「……」
「俺に悪意がないって、今ここで証明できるようなものもないし」
翔はそう言ってから、少しだけ肩を竦めた。
「だから、俺にどこまで話すかはそっちで決めてくれていい」
「え?」
「調査に必要だからって、アビドスの事情を全部教えてくれなんて言うつもりはないよ。外に出しても問題ないと思ったものだけでいい」
「それで調査できるんですか?」
アヤネが尋ねる。
「情報が多い方が助かるのは確かだけど、それは俺の都合だろ」
「……」
「そっちが困るようなことまで聞き出して、その後で『仕事だから報告しました』じゃ意味ないし」
先生は二人のやり取りを聞いていたが、そこで口を開いた。
「それなら、今はそれでいいんじゃないかな」
ホシノが先生を見る。
「先生?」
「翔に渡していいと思った情報だけ渡す。翔も、それ以上を無理に聞かない」
先生は翔へ目を向ける。
「それならできるよね?」
「ああ」
「それで、もっと共有しても大丈夫だって思えたら、その時にまた考えればいい」
「……なるほどねえ」
ホシノはしばらく先生を見てから、再び翔へ視線を戻した。
「翔くんは、それでいい?」
「むしろその方がいいよ。会ったばかりなのに全部信用しろって言う方が無茶だろ」
「……そっか」
ホシノは小さく笑った。
「じゃあ、今のところはそれでいいかな~」
「今のところ、ね」
「当然でしょ。まだ会ったばっかりなんだから」
「それはそうだな」
それ以上、ホシノは追及しなかった。
警戒が解けたわけではない。
ただ少なくとも、翔がゲヘナの名を使って何かを押しつけようとしているようには見えなかった。
ホシノがそのまま、のんびりと声を出す。
「それで~、翔くんはうちに何の用なのかな?」
声音は軽い。
だが、その目から警戒が消えたわけではない。
翔もそれを理解している。
「最近、ゲヘナを中心に出回ってる特殊な兵器があるんだ」
携帯端末を取り出す。
「最初はゲヘナ周辺だけだと思ってた。でも、流通を追ったらブラックマーケットを中心に別の自治区にもかなり流れてることが分かった」
「アビドスにも?」
アヤネが尋ねる。
「その可能性が高い」
画面へ複数の記録を表示する。
「製造元からアビドスへ一本の輸送路がある、みたいな単純な話じゃない。仲介を何度も挟んでるし、ブラックマーケットに入った後は転売や横流しも多い。全部の行き先を追うのは難しい」
「どんな兵器なの?」
先生が端末を覗き込む。
「種類はばらばら。衝撃波を出す銃もあれば、出力がおかしいくらい高い火器もある。似たような機構を使ってるのに、能力だけ違うものもある」
アヤネが僅かに表情を変えた。
「先生」
「うん」
「もしかしたら……」
アヤネは棚へ向かい、小さなケースを取り出した。
「昨日の現場から回収したものがあります」
翔の指先が僅かに止まった。
「昨日?」
何気ない調子で聞き返す。
セリカが腕を組む。
「私、昨日誘拐されたのよ」
「……誘拐?」
「そう。ちょっとね」
「ちょっとで済ませないでください!」
アヤネが即座に突っ込んだ。
「分かってるってば!」
先生が苦笑する。
「その時に、ちょっと変わった装置を使われたの」
アヤネがケースを開ける。
中には焦げた外装片と、破損した内部機構の一部が収められていた。
「見てもいい?」
「どうぞ」
翔は破片を手に取る。
外装。
配線。
制御部。
そして市場で回収してきた物とは僅かに違う部品配置。
端末に保存された既存データと照合する。
「……これ」
「分かる?」
先生が尋ねる。
「同じ系統だ」
翔は破片を指す。
「ゲヘナで回収した物と基本設計が似てる。ただ……」
「ただ?」
「こっちの方が新しい」
アヤネたちの視線が集まる。
「市場で出回ってる型より、作りが整理されてる。部品配置も規格化されてるし、後付け改造された感じも薄い」
「つまり?」
「ブラックマーケットで誰かが買った物を持ち込んだっていうより、製造元に近いところから直接出た可能性がある」
室内の空気が少し変わった。
「正式名称は分からないけど、風紀委員会では便宜上『疑似メモリ兵器』って呼んでる」
「疑似……メモリ」
先生の反応が少しだけ変わった。
翔は気づく。
「何か?」
「昨日の仮面ライダーも、それを壊してたなって」
セリカが僅かに眉を寄せた。
「……先生、その仮面ライダーの話まだ気にしてるの?」
「今回はちゃんと事件の話だよ?」
「本当に?」
「……七割くらい」
「三割趣味じゃない」
「三割だけだよ?」
「あるじゃない……」
翔は黙って先生を見る。
(昨日、戦闘中はあんなに頼もしかったのにな……)
この落差は何なのだろう。
先生がこちらへ向き直る。
「翔は仮面ライダーについて何か知ってる?」
一瞬だけ思考が止まった。
「何で俺に聞くんだ?」
「ゲヘナで最初に出たんでしょ?」
「噂くらいは聞いてるよ」
「何か情報は?」
「……まぁ、少なくとも、あの手の技術と何か関係があるんじゃないかとは思ってる」
「なるほど……」
先生の目が妙に輝いた。
「変身するところとか――」
「先生」
アヤネの声が低くなる。
「……はい」
「話を戻してください」
「はい」
翔は少しだけ安心した。
改めて破片を見る。
「これ、一台だけだったのか?」
「まさか」
セリカが答えた。
「似たようなのが何台もあったわよ」
「何台も?」
「最初に襲われた時はもっとあった。何台か壊したけど……最後まで残ってたのは四台」
「一人捕まえるのに、そこまで持ち込んだのか」
「悪い?」
「逆だよ」
翔はセリカを見る。
「何台か、自分で壊したんだろ?」
「……そうだけど」
「よくそこまで抵抗したな」
「え?」
セリカが少し目を丸くした。
「こういうの、普通の武器と勝手が違う。初見で何台も相手にして壊せたなら十分すごいだろ」
「べ、別に!」
セリカが顔を逸らす。
「あれくらい当然よ! 私だってアビドスの生徒なんだから!」
「そっか」
「何よ、その普通の返し」
「じゃあ何て返せばいいんだよ」
「知らないわよ!」
先生が横で小さく笑った。
それに気づいたセリカが先生を見る。
「……何で笑ってるのよ」
「いや。元気そうだなって思って」
「……余計なお世話」
素っ気なく返したものの、先生は気にした様子もない。
セリカもそれ以上は何も言わなかった。
その間に、シロコは翔の端末へ視線を向けていた。
「翔」
「ん?」
「この経路」
指差されたのは、ブラックマーケットからアビドス方面へ伸びる複数の流通記録の一つ。
「ここは今、ほとんど使われない」
「道路として?」
「うん。砂が深いから、普通の車は避ける」
翔は地図を拡大した。
「じゃあ、大型車両がここを通ったなら?」
「跡は残ると思う」
「どの辺りまで?」
シロコが画面を指でなぞる。
「この辺。この先は舗装がほとんど砂に埋まってる」
「……なるほど」
翔は頷いた。
「助かる。地図だけ見てても、そこまでは分からなかった」
「ん」
シロコは短く返した。
ホシノはそのやり取りを見ながら、まだ翔を観察していた。
「翔くん」
「ん?」
「一つ聞いていい?」
「何?」
「翔くんって、ヘイローないよね?」
唐突な問いに、翔は一度瞬いた。
「……ないけど」
「それで、こういう危ない兵器を追ってるの?」
ホシノが机の上の破片へ視線を落とす。
「ブラックマーケットにも一人で行ってるみたいだし」
「まあな」
「おじさんたちとは違って、撃たれたら普通に危ないんじゃない?」
「……それは、まあ」
「なのに?」
柔らかな声だった。
けれど、ただの世間話ではないことくらいは翔にも分かった。
「仕事だからってのもあるけど」
「それだけ?」
翔は少し考えた。
「……危ないものが出回ってるって分かってるのに、そのままにするのが嫌なんだよ」
「自分が危なくても?」
「危なくないようにはしてるつもり」
「答えになってないねえ」
「……そうか?」
「うん」
ホシノはいつものように笑っていた。
「まあ、無茶するタイプなんだなってことは分かったよ」
「そんなつもりはないんだけどな……」
「無茶する人って、だいたいそう言うんだよねえ」
それ以上、ホシノは追及しなかった。
ただ、翔を見る目には、先ほどまでとは僅かに違うものが混じっていた。
「それで」
先生が机の上の破片と端末を見比べる。
「翔は、この兵器を作ってる相手に心当たりはある?」
翔は一瞬だけ黙った。
端末へ視線を落とし、ここまで集めた記録を開く。
「カイザーコーポレーション」
その名前が出た瞬間、対策委員会の空気が僅かに変わった。
「……カイザー?」
最初に聞き返したのはセリカだった。
「ちょっと待って。それって、カイザーローンと同じカイザー?」
「系列としては同じだ」
翔が答える。
アヤネの表情も曇る。
「私たちが返済しているところです……」
「そうなのか?」
「はい。昔のアビドスが抱えた借金を、今もカイザーローンへ返済しています」
「……」
先生が先ほど見たばかりの借金資料へ目を向ける。
セリカも腕を組んだ。
「じゃあ何? 昨日私を捕まえるのに使った兵器まで、カイザーが作ってるっていうの?」
「まだそこまでは断定できない」
翔はすぐに答えた。
「流通経路はかなり隠されてる。ただ、仲介業者を何段階か追った先でカイザー系の企業と接点がある。部品の調達先にも同じ系列へ繋がる痕跡があった」
端末へいくつかの記録を表示する。
「それに、昨日使われたこいつは、市場で出回ってる物より製造元に近そうだ」
「借金を返してる相手と、兵器を作ってるかもしれない相手が同じ……」
アヤネが小さく呟く。
「偶然じゃないの?」
セリカが訊いた。
「その可能性もある。だから今は『怪しい』以上のことは言えない」
「ふうん……」
ホシノも端末へ目を向けている。
先ほどまでの気の抜けた表情は僅かに薄れていた。
翔は画面へ並ぶ痕跡を見つめる。
(問題は、ここから先だ)
(知っている通りに進んでいるのか。それとも、疑似メモリ兵器が加わったことで別の形に変わっているのか)
すでに、ゲームの中には存在しなかったものがいくつも動き始めている。
知識があるからこそ、同じだと思い込む方が危険だった。
「じゃあ」
先生が口を開いた。
「カイザーが関わってる可能性は高い。でも、今の時点では確定じゃない」
「そういうこと」
「分かった」
先生はすぐに頷いた。
「なら、これから情報を共有しよう」
「え?」
「私たちは昨日の事件と、アビドスで起きてることを調べたい。翔は疑似メモリ兵器の流通を追ってる」
先生が笑う。
「別々にやるより、分かったことを共有した方が早いでしょ?」
翔は対策委員会の面々を見る。
アヤネは考え込んでいる。
ノノミは穏やかに微笑んでいる。
セリカはまだ警戒を残したまま翔を見ている。
シロコは反対する様子もない。
最後にホシノ。
「まあ」
椅子へ身体を預けたまま、ホシノが言う。
「セリカちゃんを狙った兵器について知ってるなら、こっちとしても聞きたいことはあるしねえ」
「ホシノ先輩」
「ただし」
ホシノの視線が翔へ向く。
「さっきの話は忘れないでね」
「ゲヘナのこと?」
「うん。何でもそのまま持っていかれるのは困るから」
「ああ。それでいい」
翔は頷いた。
「風紀委員会への報告に必要な内容と、アビドスだけの事情は分ける。判断に迷うものがあったら、俺の判断だけで勝手には出さない」
「翔くんが決めるの?」
「少なくとも、俺から好き勝手に話すことはしないよ」
「じゃあ」
先生が口を挟む。
「共有する時に、みんなで確認しよう」
「みんなで?」
「うん。翔に渡していい情報も、翔が風紀委員会へ報告する情報も、必要ならその都度確認する」
先生は穏やかに笑った。
「最初から全部信用しなくてもいいし、全部隠す必要もないでしょ?」
「……なるほどねえ」
ホシノは少しだけ考えたあと、肩の力を抜いた。
「それなら、おじさんも異論はないかな~」
「何か分かったら、お互いちゃんと教える。それでどう?」
翔はほんの少しだけ間を置いた。
「ああ」
翔は頷く。
「調べて分かったことは、ちゃんと伝える」
「うん。それならよろしくねえ、翔くん」
完全に信用されたわけではない。
それでいい。
会ったばかりなのだから、その方が自然だった。
少なくとも翔が、ゲヘナの名前を使ってアビドスの弱い立場につけ込もうとしているわけではない。
今のホシノに分かるのは、そこまでだった。
その時。
「では!」
アヤネが勢いよく手を叩いた。
「とりあえず今日のところは、これで――」
その視線が机の上へ落ちる。
怪しい健康器具のチラシ。
銀行周辺の地図。
スクールアイドル案。
借金返済資料。
そして疑似メモリ兵器の破片。
「……」
アヤネの表情が遠くなった。
翔が恐る恐る尋ねる。
「……大丈夫か?」
「大丈夫です」
「声が大丈夫じゃないけど」
「大丈夫です!」
先生が翔へ小声で話しかける。
「アビドスではよくあることだから」
「そうなのか?」
「先生!」
「違ったみたい」
「早いな、訂正」
翔は思わず笑った。
知っていた。
名前も、性格も、彼女たちに何が起こるのかも。
それでも、実際に同じ部屋で話せば、画面越しに知っていた情報だけでは全然足りない。
セリカは思っていた以上に、自分の意見をはっきり口にする。
シロコは静かだが、必要なことは迷わず言う。
アヤネは本気で全員を支えようとしている。
ノノミは柔らかく笑いながら、周囲をよく見ている。
ホシノは――まだ、よく分からない。
そして先生は。
(……やっぱり変な人だな)
昨日とはまったく別の意味で、強く印象に残った。
* * *
同じ頃。
ゲヘナ自治区の一角にある、小さな事務所。
「来たわ……!」
アルが一枚の依頼書を両手で掲げた。
「ついに来たわよ!」
「何が?」
ソファへ座っていたカヨコが顔を上げる。
ムツキはすでに楽しそうに笑っていた。
「アルちゃんの顔見れば分かるじゃん。仕事でしょ?」
「その通り!」
アルは胸を張った。
「しかも、今までとは格が違うわ!」
「か、格が違う……!」
ハルカが目を輝かせる。
「アル様、ついに……!」
「ええ! 便利屋68が一流のアウトローとして認められた証よ!」
「報酬は?」
カヨコだけが淡々と聞いた。
アルが数字を見せる。
カヨコの目が少し細くなった。
「……高いね」
「でしょ!?」
「高すぎる」
「何言ってるのカヨコ! 高いならいいじゃない!」
「依頼人は?」
「仲介業者を通してるわ」
「直接連絡は?」
「不要だそうよ!」
「……」
カヨコは依頼書を受け取った。
内容そのものは単純だった。
アビドス高等学校への圧力。
活動の妨害。
可能ならば、自治区での活動継続を断念させる。
手段については便利屋68へ一任。
だが。
「これ」
「何?」
「付帯条件」
カヨコが一行を指した。
アルが読み上げる。
「現地にて黒い仮面を装着した戦士を確認した場合……」
続きへ目を走らせる。
「交戦を避け、出現地点、時刻、行動内容のみを報告すること?」
ムツキが楽しそうに首を傾げた。
「なにそれ。変なの」
「黒い仮面って何でしょう……」
ハルカが不安そうにする。
「さあ?」
アルは依頼書を取り返した。
「でも、私たちの仕事には関係ないわ!」
「そうかな」
「そうよ!」
アルが胸を張る。
「アビドス高等学校へ圧力をかける。それだけ!」
「相手は学校だよ?」
「だからこそよ! ここで成功すれば、便利屋68の名前はもっと広まる!」
カヨコはまだ依頼書を見ていた。
報酬は妙に高い。
依頼人は姿を見せない。
目的に対して、やけに細かな報告条件が付いている。
「……何か、別の目的がありそうだけど」
「カヨコは考えすぎなのよ!」
「そう?」
「そう!」
ムツキがにやにやしながらアルの肩へ腕を回した。
「まあまあ。お金入るならいいじゃん」
「さすがムツキ! 話が分かるわね!」
「これで久しぶりにちゃんとしたもの食べられるかもね」
その一言で、四人の視線が事務所の片隅に積まれた空の食品容器へ向いた。
沈黙。
「……まずは成功報酬を受け取ってからよ」
アルが小さく言った。
「前金は?」
カヨコが聞く。
「少しあるわ!」
「じゃあラーメン」
「何で即ラーメンなのよ!?」
「食べたいから」
「私も賛成~」
「わ、私も……アル様がよければ……」
三対一。
「……分かったわよ!」
アルは依頼書を机へ叩きつけた。
「でも、その前に仕事!」
紙面の中央。
依頼対象の欄には、はっきりと一つの名前が記されている。
アビドス高等学校。
カヨコはその文字と、奇妙な付帯条件をもう一度だけ見た。
「黒い仮面、ね……」
小さな呟きは、騒ぎ始めた三人には届かなかった。
今後も翔の「知っているのに知らないふり」は、基本的にこのくらいの含ませ方で統一できる。