青の記録 ―二つの記憶が交わる時― 作:きままに投稿
アビドス高等学校まで、そう遠くない場所まで来ていた。
砂に埋もれかけた道路の先には、乾いた荒野の向こうに校舎の輪郭が小さく見えている。
その道を進む便利屋68の後ろには、今回新たに集められた傭兵たちが続いていた。
ヘルメットで顔を隠した少女たちに、所属の分からない不良生徒。数人ずつ固まって歩く集団がいくつもあり、手にしている武器もアサルトライフルやサブマシンガン、機関銃と統一されていない。
あくまで同じ依頼のために集められただけで、一つの部隊というわけではない。
だからこそ、現場での大まかな指揮を任された便利屋68が全体の動きをまとめることになっている。
先頭を歩いていたアルは、遠くに見える校舎を黙って見つめていた。
「ねえ、アルちゃん」
「何よ」
隣からムツキが顔を覗き込む。
「本当にやるんだ?」
「……何よ、急に」
「だって昨日、一緒にあの施設から逃げたばっかりじゃん」
アルの歩調がほんの僅かに鈍った。
それを見て、ムツキの笑みが少し深くなる。
「アビドスの子たちもいたし、先生や翔くんも一緒だったし。結構いい感じに協力してたよね~」
「それとこれとは別よ」
「ふ~ん?」
「何よ、その反応!」
「別に~?」
ムツキは楽しそうに笑う。
アルは何か言い返そうとして、結局小さく息を吐いた。
「……仕事なんだから、仕方ないでしょ」
声の勢いが、少しだけ落ちる。
「私たちは最初からアビドスへの妨害を引き受けてるの。昨日の施設は、その途中で入った追加の仕事だっただけ。そこでたまたま一緒になったからって、本来の契約までなくなるわけじゃないわ」
「まあ、そうだね」
今度はカヨコが口を挟んだ。
「それに、今回は学校を潰せって仕事でもない」
「そうよ!」
アルがすぐに乗る。
「向こうを出てこさせて、継続的に圧力を掛ける。それが依頼なんだから!」
「社長、声大きい」
「分かってるわよ!」
後ろを歩いていた何人かの傭兵がこちらを見たため、アルは少しだけ声を落とした。
「……とにかく。昨日助け合ったから仕事をやめます、なんて便利屋として格好つかないでしょ」
「アルちゃん、そういうところ真面目だよね~」
「悪い!?」
「褒めてるよ?」
「絶対からかってるでしょ!」
ムツキの笑い声に、アルの眉間へ皺が寄る。
「アル様がお受けになった仕事であれば、私は最後までお供します!」
ハルカが強く頷いた。
「たとえ相手が誰であろうと、アル様の敵となるのであれば私が――」
「待って、ハルカ」
「はい!」
「昨日も言ったけど、必要以上のことはしなくていいから」
ハルカが目を瞬く。
「今回の目的は、アビドスを滅茶苦茶にすることじゃないの。こっちへ対応させて、負担を掛ける。それだけ」
「……はい」
「だから、相手を追い詰めすぎたり、余計なことをしたりする必要もないわ。分かった?」
「もちろんです、アル様!」
勢いよく返事をするハルカに、アルも頷いた。
カヨコはその横で、後方の傭兵たちへ目を向ける。
便利屋68の四人なら、互いの考え方も戦い方も分かっている。
けれど今日は違う。
依頼主が金で集めた集団の中には、便利屋68とは一度も仕事をしたことのない者も多い。昨日の説明をどこまで真面目に聞いていたのかも怪しい。
「社長」
「何?」
「もう一回、全体に確認しておいた方がいい」
カヨコの視線を追い、アルも後ろを見る。
「……そうね」
足を止めた。
「ちょっと! みんな一回止まりなさい!」
アルの声に、後ろを歩いていた集団が少しずつ立ち止まる。
「何?」
「もう着く?」
「まだでしょ」
好き勝手に声が飛んでくる。
アルのこめかみが僅かに引きつった。
「静かにしなさい!」
今度はきちんと全員がこちらを見た。
「これからアビドス高等学校へ向かうけど、その前にもう一回確認しておくわ」
アルは集まった面々を見渡す。
「今日の現場指揮は便利屋68が預かってる。細かい戦い方まで全部こっちの言う通りにしろとは言わないけど、攻める場所と退くタイミングはこっちに合わせてもらうわ」
「はいはい」
「分かってるって」
「本当に?」
アルがじろりと睨む。
「特に勝手な深追いは禁止。今回の仕事はアビドスを壊滅させることじゃないの。学校側を出動させて、対応を続けさせることが目的よ」
そこでカヨコが続けた。
「戦線を広げすぎない。必要以上に追わない。便利屋68から撤退指示が出たら、そこで終わり」
淡々とした声だったが、アルよりもむしろ傭兵たちは素直に耳を傾けていた。
「それともう一つ」
アルが指を立てる。
「黒い仮面の戦士が出た場合」
途端に、集団の中で小さなざわめきが起きた。
「仮面ライダー?」
「本当にいるの?」
「ブラックマーケットで噂になってる奴でしょ?」
「武器壊してくるってやつ?」
「そこ!」
アルが声を上げる。
「噂話は後!」
不満そうな声がいくつか漏れるものの、静かにはなった。
「依頼側からも言われてる通り、黒い仮面の戦士とは交戦しない。見つけたらこっちへ知らせて、勝手に手を出さないこと」
「向こうから来たら?」
「それでもまず報告!」
「逃げていい?」
「状況によるわよ!」
アルが頭を抱えそうになる。
ムツキは隣で楽しそうだ。
「アルちゃん、指揮官っぽいね~」
「今やってるでしょうが!」
「うんうん。頑張って~」
「他人事みたいに言わない!」
「社長」
カヨコがまた声を掛ける。
「そろそろ」
「……分かってるわよ」
アルは一度息を整えると、改めて全員を見渡した。
「とにかく、依頼された以上はちゃんと仕事をする。でも余計なことはしない。それだけ覚えておいて」
返事はやはり統一感がなかった。
それでも、最低限の方針は伝わっただろう。
アルは再びアビドス高等学校の方角を見る。
昨日、旧物流施設では先生たちと同じ出口を目指して走った。敵味方という立場をひとまず脇へ置いて、同じ警備機を相手にしながら脱出した。
その時には、今日こうして彼女たちの学校へ向かうことなど考えている余裕もなかった。
「……」
「アルちゃん?」
ムツキが横から覗く。
アルはすぐに表情を引き締めた。
「何でもないわ」
「そっか」
ムツキはそれ以上追及しなかった。
アルも狙撃銃を担ぎ直す。
「行くわよ」
「うん」
「はい、アル様!」
「了解」
便利屋68が再び歩き始める。
その後ろを、傭兵たちも続いた。
遠くに見えていたアビドス高等学校が、少しずつ近づいてくる。
つい昨日、同じ場所から逃げるために協力した相手と、今度は敵として向き合うことになる。
それでも、引き受けた仕事はまだ終わっていない。
アルは前を向いたまま、学校へ続く道を進んでいった。
* * *
その頃。
アビドス高等学校では、対策委員会室に短い警告音が響いていた。
「……これは」
端末へ向かっていたアヤネの表情が変わる。
画面に映っているのは、学校周辺を監視するために拾っていた情報の一つだった。砂漠化した市街地を通り、複数の人影がまとまってこちらへ近づいている。
最初は十人ほどに見えた。
だが、さらに後ろから別の集団が続いている。
「皆さん!」
アヤネの声に、室内にいた全員が顔を上げた。
「学校の方へ、大規模な武装集団が接近しています!」
「また!?」
セリカが勢いよく立ち上がる。
「今度は何なのよ!」
「人数は?」
シロコがすぐに尋ねた。
「少し待ってください……」
アヤネが表示を切り替え、接近してくる集団を数えていく。
「正確には分かりません。でも、少なくとも数十人います。一つの集団じゃありません。いくつかのグループがまとまって移動しているみたいです」
「数十人、かあ」
ホシノが机に頬杖をついたまま、小さく息を吐いた。
声はいつも通り眠たげだったが、目は画面から外れていない。
「ずいぶん賑やかなお客さんだねえ」
「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないでしょ!」
「分かってるって~」
ノノミもアヤネの横から画面を覗き込む。
「皆さん、かなり武装していますね~」
「はい。アサルトライフルや機関銃らしいものも確認できます。それから……」
アヤネの指が止まった。
「先頭に四人います」
映像を拡大する。
砂埃の向こう。
他の傭兵たちより少し前を歩く四人組。
画質は決して良くない。
それでも、見覚えのある姿だった。
「便利屋68」
シロコが言った。
「……あいつらなの?」
セリカが画面へ顔を寄せる。
先生も少し目を細めた。
「うん。間違いないと思う」
「昨日、皆さんと一緒に施設から脱出した方たちですよね?」
アヤネが確認する。
「そうだよ」
先生が頷いた。
「中では途中から協力してもらった」
「それなのに、今日はこんな大人数で学校に来るんですか……?」
ノノミが困ったように微笑む。
「昨日の話を聞いた時は、少しくらい状況が変わるのかなと思ってたんですけど~……」
「仕事は続けるってことなんだろ」
翔が画面を見ながら答えた。
旧物流施設を出る前、アルたちは依頼主へ事情を確認すると言っていた。
今日こうして現れたということは、少なくとも契約そのものは続いているらしい。
しかも、昨日とは人数が違う。
「でも、あの人数まで便利屋68の仲間ってわけじゃないよね」
先生が尋ねる。
「たぶん」
翔は画面に映る集団を見る。
「昨日は四人だけだったし、装備もまとまりがなさすぎる。どこかから別に集められた連中じゃないか?」
「はい。それなら複数の集団が一緒に動いているように見える、というのとも合います」
アヤネが頷いた。
「便利屋68が連れてきたのか、それとも依頼した相手が用意したのかまでは分かりませんが……」
「どっちにしても」
ホシノがゆっくりと立ち上がった。
壁際に置いていた盾を手に取る。
「こっちに向かって来てるなら、放っておくわけにはいかないねえ」
「当然よ!」
セリカもすぐに武器へ手を伸ばした。
「学校まで好き勝手させるつもりなんてないんだから!」
「ん」
シロコもアサルトライフルを手にする。
ノノミはいつもの柔らかな笑みを残しながら、武器を確かめた。
「それじゃあ、今回も頑張りましょう~」
「待って」
先生の一言で、全員の動きが一度止まる。
「向こうが武装して来てる以上、迎撃の準備はする。でも、便利屋68とは昨日一緒に行動したばかりだから」
「話してみる?」
シロコが聞く。
「うん。できるなら」
先生は頷いた。
「何をしに来たのか、まず本人たちから聞きたい」
「どうせ襲いに来たんじゃないの?」
セリカは納得していない様子だった。
「武装した数十人を連れてきてるのよ?」
「その可能性は高いと思う」
「じゃあ――」
「でも、撃ち合いになる前に確認できるなら、その方がいいでしょ?」
先生の声は穏やかだった。
セリカは一瞬言葉に詰まり、それから渋々腕を下ろす。
「……それは、そうだけど」
「向こうがいきなり撃ってきたら?」
ホシノが尋ねた。
「その時はこっちも守るよ」
先生は迷わなかった。
「話をすることと、無防備になることは別だから」
「それならいいかな」
ホシノが盾を肩へ預ける。
「おじさんも、できれば昨日一緒に逃げた相手といきなり撃ち合いたくはないしねえ」
「同感」
シロコも短く頷いた。
翔はその会話を聞きながら、画面に映る便利屋68を見る。
昨日は同じ警備機を相手にした。
今日は敵として来るのか。
妙な話だが、彼女たちにも彼女たちなりの事情があるのだろう。
だからといって、アビドスへの攻撃を見過ごす理由にはならない。
「アヤネ」
先生が振り返る。
「ここから全体を見ててもらえる?」
「はい!」
アヤネがすぐに姿勢を正す。
「接近してくる部隊の位置と動きを随時お伝えします。通信も繋いでおきますね」
「お願い」
「任せてください!」
先生も立ち上がった。
「じゃあ、学校の前へ出よう。できるだけ校舎から離れたところで止めたい」
「賛成」
シロコが答える。
「学校まで撃ち込まれるのは困るものね」
セリカも頷いた。
全員が動き始める。
翔もその後を追おうとしたところで、先生が振り返った。
「翔」
「何?」
「もし戦闘になったら、後ろへ下がってね」
「……先生も残るだろ」
「私は指示を出さないといけないから」
「だったら俺だって、何かできるかもしれないだろ」
「翔くん」
ホシノが横から口を挟んだ。
「先生は何を言っても残りそうだからねえ」
「ちょっと」
先生が抗議する。
「違う?」
「……否定しづらい」
「ほら」
ホシノは少し笑ってから、翔へ向き直った。
「でも翔くんは、今回は調査で来てるんでしょ?」
「ああ」
「だったら、わざわざ銃撃戦の中に残る必要はないよ」
「……」
「先生も翔くんも、撃たれたら普通に危ないんだからさ。危なくなった時に二人とも前にいたら、おじさんたちも困るよ」
冗談めかした口調ではあったが、言っていることは真面目だった。
シロコも翔を見る。
「先生だけでも心配」
「シロコ?」
「二人になったらもっと心配」
「……そこまで言われると反論しにくいな」
翔が息を吐く。
「分かった。戦闘になったら下がるよ」
「うん」
先生が頷いた。
「学校の裏手に、壁で囲まれた場所があるから。そこなら前からも見えにくいし、アヤネとも通信できる」
「了解」
「勝手に出てこないでね」
「分かったって」
「本当に?」
「先生、信用なさすぎないか?」
「翔が危ないことしそうだから」
「先生にだけは言われたくないんだけど」
「……」
「……」
二人の間に微妙な沈黙が落ちる。
ホシノがそれを見て、小さく笑った。
「どっちもどっちだねえ」
「ん。どっちも危ない」
シロコまで頷く。
「シロコまで……」
先生が少し肩を落とす。
その様子に張っていた空気が僅かに緩んだが、アヤネの声がすぐに現実へ引き戻した。
「皆さん。接近速度が上がっています」
全員の表情が戻る。
「学校まで、もうあまり距離がありません」
「分かった」
先生が頷いた。
「行こう」
校舎を出る。
外には乾いた風が吹いていた。
砂混じりの風の向こう、学校へ続く道にはいくつもの人影が見え始めている。
その先頭。
昨日とは違う立場で、便利屋68の四人がこちらへ近づいていた。
* * *
アビドス高等学校から少し離れた正面道路。
砂に覆われた舗装路を挟み、二つの集団が向かい合っていた。
学校側に立つのは、ホシノ、シロコ、ノノミ、セリカ。そして、その少し後ろに先生と翔。
対するのは便利屋68の四人。
さらに後方には、ヘルメット団をはじめとする大勢の傭兵たちが、それぞれ武器を手に散開している。
数だけを見れば、差は歴然としていた。
それでも、すぐに銃声が響くことはなかった。
便利屋68が足を止めたのを見て、後ろの傭兵たちも少し遅れて動きを止める。
「……やっぱり来たわね」
セリカが警戒を隠さず睨む。
アルは一瞬だけそちらを見たものの、すぐに先生へ視線を移した。
「久しぶり――って言うには早すぎるわね」
「昨日ぶりだね」
先生が返す。
「……本当に早いわね」
アルの口元が僅かに引きつった。
その隣でムツキが楽しそうに笑う。
「まさか次の日にこんな形で会うとは思わなかったね~」
「そっちが来たんでしょうが!」
セリカが即座に突っ込んだ。
「それはそうだけど」
「認めるのね!?」
「まあまあ」
ノノミがセリカを宥める。
「でも、本当に大勢ですね~」
その言葉に、ホシノも便利屋68の後方へ目を向けた。
見覚えのない生徒が何十人もいる。
昨日、施設で見た便利屋68の四人だけとは明らかに事情が違う。
「いやあ、随分とお友達が増えたねえ」
「友達じゃないわよ!」
アルが反射的に返す。
「今回だけ一緒に動く傭兵よ。現場の指揮を私たちが任されてるだけ」
「へえ」
ホシノの目が僅かに細くなる。
「指揮まで任されてるんだ」
「そ、そうよ」
アルが少し胸を張った。
「私たちの実力が評価された結果なんだから!」
「アルちゃん、そこ強調するんだ?」
「ムツキは黙ってて!」
昨日とほとんど変わらないやり取り。
それだけに、両者の間に並ぶ銃器の存在が余計にちぐはぐに見えた。
先生が一歩前へ出る。
「それで、アル」
「何よ」
「一応、本人から聞いておきたいんだけど」
先生の視線が、便利屋68からその後ろの傭兵たちへ移る。
「今日は何をしに来たの?」
「……見れば分かるでしょ」
「ちゃんと聞きたい」
穏やかな声だった。
責める調子でも、威圧する調子でもない。
だからこそ、アルの方が少し答えづらそうに眉を寄せた。
「……仕事よ」
「昨日の依頼、続けることにしたんだ」
「元々、終わってなかったの!」
アルが言い返す。
「あの施設の件は途中で追加された別件。こっちが最初から引き受けてた仕事は、まだ残ってるのよ」
「アビドスへの妨害?」
翔が尋ねた。
アルがそちらを見る。
「そうよ」
「依頼人には昨日のこと、聞いたのか?」
「聞いたわ」
「何て?」
「……そこまであなたに話す義理はないでしょ」
一瞬だけ詰まったところを見る限り、完全に納得できる答えが返ってきたわけではないのだろう。
翔もそれ以上は聞かなかった。
「そっか」
先生が小さく頷く。
それから便利屋68の四人を順番に見る。
「じゃあ、本当にやるんだね」
「……」
今度はアルがすぐに答えなかった。
昨日。
閉ざされた旧物流施設で、同じ警備機を相手にした。
先生の指示を受けて。
ホシノやシロコと一緒に出口まで走った。
翔とも同じ場所から脱出した。
それからまだ一日しか経っていない。
「先生、そういう聞き方ずるくない?」
ムツキが横から口を挟んだ。
「ずるい?」
「アルちゃん、来る途中でもちょっと気にしてたのに」
「ムツキ!」
アルが勢いよく振り返る。
「余計なこと言わなくていいの!」
「え~? でも本当でしょ?」
「本当でも言わなくていいことがあるの!」
「否定はしないんだ」
「カヨコまで!?」
思わず声を上げたアルに、先生が小さく笑う。
「そっか。ちょっと安心した」
「何でよ!」
「昨日のことを何とも思ってないわけじゃないんだなって」
「……」
アルが言葉に詰まる。
「当たり前でしょ」
今度の声は少し小さかった。
「昨日は昨日よ。助けてもらったことまでなかったことにするつもりはないわ」
アルは先生を見た。
「でも、仕事は仕事。それもなかったことにはできないの」
先生は少しだけ黙った。
その横でホシノが肩に盾を預ける。
「世知辛いねえ」
「こっちだって好きでこうなってるわけじゃないのよ!」
「うん。それはなんとなく分かるかな」
ホシノの返事に、アルが僅かに目を瞬く。
「昨日一緒に逃げた相手と、次の日には撃ち合いだもんねえ。おじさんも、できれば遠慮したいところだけど」
そこでホシノの視線が学校へ向く。
「こっちにも、引けない理由はあるからさ」
眠たげな笑みは変わらない。
ただ、その手はしっかりと盾のグリップを握っていた。
シロコもアルたちを見る。
「昨日は協力した」
「……ええ」
「今日は敵?」
短い問い。
アルは一瞬だけ迷ってから、頷いた。
「少なくとも、この仕事が終わるまではね」
「分かった」
シロコはそれだけ答えた。
責めるでもなく、不満を口にするでもない。
ただ、アサルトライフルを持つ手が僅かに上がる。
「ちょっと待ちなさいよ!」
それまで黙っていたセリカが堪えきれずに前へ出た。
「何でそんな普通に話が進んでるのよ!」
「セリカ?」
「私は納得してないんだから!」
先生が振り向く。
「昨日、先生たちと一緒に危ないところから逃げてきたんでしょ!? なのに次の日には大人数連れて学校を襲いに来るって、どういう神経してるのよ!」
「だから仕事なのよ!」
アルも反射的に言い返す。
「仕事だったら何してもいいわけ!?」
「そんなこと言ってないでしょ!」
「じゃあ帰りなさいよ!」
「帰ったら仕事にならないでしょうが!」
「だったらその仕事やめなさいよ!」
「簡単に言わないでよ!」
「何でよ!」
「二人とも」
先生が間へ入る。
「これ、放っておいたらいつまでも続きそう」
「だって先生!」
「気持ちは分かるよ」
先生はセリカへ向き直る。
「でも、アルたちにはアルたちの事情があるみたいだから」
「……」
「もちろん、それで学校を攻撃されてもいいって意味じゃないよ」
そこはきっぱりと続けた。
アルも黙る。
「向こうには向こうの仕事がある。こっちにはこっちで、アビドスを守る理由がある」
先生は再び便利屋68へ視線を戻す。
「だったら、しょうがないね」
「……ずいぶんあっさりしてるのね」
アルが言う。
「ここで説得して帰ってくれる?」
「それは……」
「帰らないでしょ?」
「……ええ」
「なら、こっちも準備するしかないよ」
アルは何とも言えない顔をした。
ムツキが横から笑う。
「先生って、やっぱり面白いね~」
「今それ言う?」
「だって、もっと怒るかと思ってたし」
「怒ってないわけじゃないよ」
先生は笑みを残したまま答えた。
「でも、怒ったら話を聞かなくていいわけじゃないから」
カヨコの視線が僅かに動く。
昨日と同じだった。
柔らかい。
妙なところで軽い。
なのに、肝心なところだけはぶれない。
「……先生」
翔が横から声を掛ける。
「ん?」
「そろそろ俺は下がった方がいいか?」
両陣営の間に漂う空気は、先ほどまでより明らかに張り詰めている。
話が終われば、そのまま戦闘になってもおかしくない。
「そうだね」
先生が頷いた。
「約束通りお願い」
「ああ」
翔は便利屋68へ一度目を向けた。
「アル」
「何?」
「昨日の施設の件、まだ気になるならちゃんと調べた方がいいと思う」
「……言われなくても、そのつもりよ」
「ならいい」
それだけ言って、翔は踵を返した。
学校裏手の避難場所へ向かって歩いていく。
アルはその背中を少しだけ見送った。
「……本当に風紀委員会に報告したのかしら」
「気になる?」
ムツキがすぐに反応する。
「気になるに決まってるでしょ!」
「今からそっちの心配?」
「ヒナが来たらどうするのよ!」
「社長、今は目の前」
カヨコの一言に、アルがはっとする。
「……分かってるわよ!」
ホシノがその様子を見て苦笑した。
「忙しそうだねえ」
「誰のせいよ!」
「おじさんたちのせいではないと思うけどねえ」
「ぐっ……」
言い返せない。
先生は、翔が十分に離れていくのを確認してから一歩下がった。
「アヤネ、聞こえる?」
『はい、先生!』
通信機からすぐに返事が来る。
「こっちは話し合い終了。たぶん、始まるよ」
『分かりました。全体の動きはこちらで確認します!』
「お願い」
ホシノが盾を正面へ下ろす。
シロコが銃を構える。
セリカも不満そうな顔のまま、自分の位置へ戻った。
ノノミは機関銃を構えながらも、便利屋68の四人を少し残念そうに見ている。
一方。
アルも後ろへ視線を送った。
傭兵たちがそれぞれ武器を構え始める。
「最後にもう一回言うわよ!」
声を張る。
「必要以上に追わない! 勝手なことはしない! こっちの指示に合わせなさい!」
ばらばらな返事が返ってきた。
アルは一度だけ目を閉じる。
そして、狙撃銃を構えた。
「……悪く思わないでよね」
先生が少し笑う。
「それはこっちの台詞かな」
「何でよ!」
最後まで締まらない。
けれど。
互いに武器を構えた以上、もう言葉だけで終わる段階ではなかった。
乾いた風が、両者の間を吹き抜ける。
一瞬の静寂。
アルと先生の視線が交わった。
「便利屋68!」
「みんな!」
二人の声が、ほとんど同時に響く。
「作戦開始よ!」
「行くよ!」
次の瞬間。
アビドス高等学校の前に、いくつもの銃声が重なった。
* * *
最初に動いたのは、便利屋68側だった。
「正面はそのまま! 左右の部隊は少し間隔を空けて!」
アルの声が飛ぶ。
数十人を一斉に押し込ませることはしない。
正面から圧力を掛けながら、左右へ展開した傭兵たちを少しずつ前へ出す。学校側の意識を散らし、守る範囲を広げる狙いだった。
「ムツキ!」
「分かってるよ~」
ムツキが楽しそうに笑いながら、前方へ複数の爆薬を放る。
狙っているのは生徒ではない。
アビドス側が使っている遮蔽物の手前。
連続して爆発が起こり、砂と煙が大きく巻き上がった。
「今! 正面、前へ!」
アルの指示を受け、数人の傭兵が一気に距離を詰める。
煙で視界が遮られている間に射程へ入り、数の差を押しつける。
単純だが、有効な手だった。
『先生、正面が動きました!』
通信機からアヤネの声が響く。
「見えてるよ」
先生は砂煙の向こうを見ながら答える。
「ホシノ、少し前へ。シロコはまだ撃たなくていい」
「はいよ~」
「ん」
ホシノが盾を構えて前へ出る。
直後。
砂煙を突き抜けるように銃弾が飛んできた。
乾いた連射音。
盾へ次々と弾丸が叩きつけられ、金属音が連続する。
「うへ~。結構撃ってくるねえ」
口調はいつも通り。
だが、足は止まらない。
ホシノは盾の角度を僅かに変えながら、後方へ抜ける射線まで塞いでいく。
傭兵たちは、その姿を見てさらに銃口を集めた。
「今」
先生が短く言う。
シロコが動いた。
ホシノの左後方から横へ抜け、まだ煙の薄い場所へ移動する。
アサルトライフルを構えた。
狙うのは人そのものではない。
前進してきた傭兵たちの足元。
短い連射。
砂が跳ね上がり、先頭の数人が反射的に足を止める。
「何!?」
「横から来た!」
視線がシロコへ向く。
「ノノミ」
「はい~♪」
待っていたように、ノノミの機関銃が火を噴いた。
広く撒かれた弾幕が、前へ出ていた集団の進路をまとめて塞ぐ。
「うわっ!」
「下がって!」
「正面無理!」
前進が止まった。
倒すためではなく、出てきたところを押し返す。
先生が最初から狙っていたのはそれだった。
* * *
「正面、止められた!」
傭兵からの報告に、アルが眉を寄せる。
「まだよ! 右側を前に出して!」
『了解!』
「左は動かさないで。そのまま撃って注意を引いて!」
正面が止まったなら、別の場所を使う。
アルはすぐに切り替えた。
右側に配置していた部隊が、崩れた建物の陰を利用しながら前進を始める。
「ハルカ!」
「はい、アル様!」
「右側に回って! 前を開けてちょうだい!」
「お任せください!」
ハルカがショットガンを抱え、一気に駆ける。
彼女の後ろを数人の傭兵が続いた。
「アルちゃん、左は?」
「まだ動かさないわ。正面と右を見せてからよ」
「へえ~」
ムツキの笑みが少し深くなる。
「ちゃんと考えてるね」
「当たり前でしょ! 私を何だと思ってるのよ!」
「アルちゃん」
「答えになってない!」
騒がしくても、アルの視線は戦場から外れていない。
右側。
ハルカが前へ出る。
ショットガンの広い制圧力を使えば、狭い進路ではかなり厄介なはずだった。
「行きます!」
ハルカが引き金を引く。
散弾が前方へ広がる。
「セリカ、下がらなくていい!」
先生の声が飛んだ。
「え!?」
セリカは咄嗟に遮蔽物へ入りかけていた。
「そのまま中央を見て!」
「でも右から来てるわよ!」
「そっちはシロコが行く!」
言われるより早く、シロコが走っていた。
低い姿勢で建物脇へ入り、ハルカたちの進路へ回り込む。
『シロコさん、右側の後ろからさらに六人来ています!』
「聞こえた」
アヤネの報告。
シロコは走りながらドローンを飛ばす。
上空へ出た機体が建物の向こうを映し、敵の位置が共有される。
「先生」
「見えた。手前だけ止めて。奥には手を出さなくていい」
「ん」
シロコが手榴弾を取り出した。
投擲。
ハルカたちの少し前で爆発する。
「っ!」
ハルカが咄嗟に足を止め、腕で顔を庇う。
爆風そのものより、巻き上げられた砂と粉塵が視界を奪った。
その瞬間。
「セリカ、今度は右!」
「もう!」
文句を言いながらも、セリカの反応は速い。
中央から射線を右へ移し、煙の外側へ回ろうとした傭兵たちへ牽制射撃を浴びせる。
「そっち行かせないわよ!」
「うわっ!」
「見えてる!?」
「見えてるから撃ってんのよ!」
敵が止まる。
ハルカも無理には進まない。
「ハルカ、戻って!」
アルの指示が届いた。
「ですが、アル様!」
「今そこで押しても囲まれるわ! 一回下がって!」
「……はい!」
ハルカはすぐに従った。
周囲の傭兵にも撤退を促しながら、前線を離れる。
その判断を見ていたカヨコが、小さく頷く。
「いい判断」
「当然よ」
アルが答える。
直後。
「左側、今!」
止めていた別部隊を動かした。
* * *
『左から来ます!』
アヤネの声。
「人数は?」
『八……いえ、後ろにもいます! 十人以上!』
「ノノミはそのまま中央。セリカ、左をお願い」
「分かった!」
「ホシノは?」
シロコが尋ねる。
「まだ中央」
先生は迷わない。
「正面を空けたら、アルたちがそこを使う」
その予想は正しかった。
左側の部隊が動き始めたのとほぼ同時に、正面で後退していた傭兵たちが再び姿勢を整えている。
数で劣るアビドス側が左へ戦力を寄せれば、正面を一気に押すつもりなのだろう。
「……やるね」
先生が小さく呟いた。
「褒めてる場合?」
セリカが言う。
「相手がちゃんと考えてるって分かるのは大事だよ」
「そういうもの?」
「そういうもの」
先生は答えながら、周囲を見る。
正面。
左。
さらに右側では、先ほど退いたハルカたちがもう一度位置を変え始めている。
全てに同じ人数を割く余裕などない。
ならば。
「セリカ」
「何?」
「左の先頭だけ止めて。奥は追わない」
「でも後ろも来るわよ?」
「来させていいよ」
「え?」
「ホシノ」
「はいはい~」
「正面を一度空けよう」
ホシノが僅かに眉を上げた。
「いいの?」
「うん」
それだけで意図を察したのか、ホシノが小さく笑う。
「了解~」
盾を構えたまま、ゆっくりと後退する。
正面に隙間が生まれた。
* * *
「正面開いた!」
傭兵の声。
アルもすぐに気づいた。
「今よ! 正面、一気に――」
「社長」
カヨコの声が割り込む。
「待って」
「え?」
アルの指示が一瞬止まる。
前方を見る。
ホシノが退いた。
確かに正面が開いている。
けれど。
「……わざと?」
カヨコが呟いた。
次の瞬間。
正面から前へ出ようとしていた傭兵たちの横へ、ホシノが回り込んだ。
「うへ~。いらっしゃい」
「え?」
盾が一人の進路を塞ぐ。
同時にショットガン。
至近距離からの一撃が地面際へ叩き込まれ、前進していた集団が反射的に散った。
「ノノミ!」
「はい~!」
正面奥。
ホシノが横へずれたことで、そこに一直線の射線が開いている。
ノノミの機関銃が鳴った。
「うわあっ!?」
「下がって!」
前へ出た集団がまとめて押し戻される。
そこへ。
「シロコ、左の奥」
「ん」
右側から戻ってきていたシロコのドローンが、高度を取る。
左側を進んでいた後続部隊の前方へ小型ミサイルが着弾した。
直接狙うのではなく、進路そのものを爆発で塞ぐ。
「ちょっ、前止まった!」
「後ろ詰まってる!」
左翼の流れも止まる。
セリカが先頭へ牽制を続けているため、簡単には抜けられない。
右側ではハルカたちもまだ再配置の途中。
三方向の攻撃が、一度に噛み合わなくなった。
* * *
「……また」
アルが狙撃銃を握る手に力を込めた。
「また止められた……!」
「アルちゃん、落ち着いて~」
「落ち着いてるわよ!」
「声大きいよ?」
「誰のせいよ!」
「先生じゃない?」
「それはそう!」
即答した後、自分で何を言ったのか気づいてアルが顔をしかめる。
カヨコは戦場を見たまま口を開いた。
「先生、こっちの動きを全部止めようとはしてない」
「え?」
「わざと入れてる」
アルも前を見る。
「左は先頭だけ止めた。正面も一回こっちを前に出した」
「……それで、出たところを潰した?」
「多分」
カヨコの視線が細くなる。
「人数差があるから、全部を同時に相手にしないようにしてる」
こちらは数十人。
向こうは四人。
普通なら、その差を埋めることなどできない。
だから先生は、こちらの全員を一度に戦わせない。
前へ出る者を限定させ。
進路を狭め。
動くタイミングをずらす。
一度に相手をする人数そのものを減らしている。
「……昨日で分かってたつもりだったけれど」
アルが呟く。
「敵に回ると本当に面倒ね、先生!」
「後で本人に言ってみたら?」
「絶対言わない!」
ムツキが笑う。
だが、すぐに表情を戻した。
「じゃあ、どうする?」
アルも息を整える。
「まだ終わってないわ」
視線を戦場へ戻す。
「カヨコ、空いてる道は?」
「南側。少し遠回りだけど、学校側から見えにくい」
「何人回せる?」
「今なら七、八人」
「じゃあそこへ回して。正面は止めない。ムツキは中央で揺さぶって」
「は~い」
「ハルカは右をもう一回。ただし今度は前に出すぎないで」
「はい、アル様!」
アル自身も狙撃銃を構えた。
「こっちだって、簡単に終わらせる気はないんだから」
照準の向こう。
先生がこちらを見ているような気がした。
* * *
『先生、また動きました!』
アヤネの報告が入る。
「どこ?」
『南側へ七人! 建物の陰を回っています!』
「そっちか」
先生がすぐに周囲を見る。
ホシノは正面。
シロコは左寄り。
セリカも左。
ノノミは中央。
南側まで誰かを回せば、別の場所が薄くなる。
「先生?」
シロコがこちらを見る。
「大丈夫」
先生は短く答えた。
「まだ動かなくていい」
『でも、このままだと学校側へ回り込まれます!』
「うん。だから、もう少し来てもらう」
『え?』
アヤネが戸惑う。
先生は南側の地形を見る。
壊れた壁。
細い通路。
その先には、砂が厚く積もった旧道路。
人数を活かしづらい。
「シロコ」
「ん」
「ドローンだけ南へ」
「分かった」
「本人は?」
「そのまま左」
先生は前方から視線を外さない。
「場所が分かれば十分だから」
シロコのドローンが飛んでいく。
セリカが横目で先生を見る。
「……ねえ」
「何?」
「本当にこれ、五人と先生だけで何とかなるの?」
「五人じゃないよ」
「え?」
先生は耳元の通信機を軽く指で示した。
「アヤネもいる」
『せ、先生……!』
通信の向こうでアヤネの声が少しだけ上ずる。
「だから六人」
「そこ数えるの!?」
「大事だよ?」
「今そういう話!?」
ノノミが小さく笑う。
ホシノも盾の向こうから声を飛ばした。
「先生、余裕あるねえ」
「余裕はないよ」
先生は即答した。
「でも、まだ崩れてない」
その言葉通り。
便利屋68側の攻撃は止まっていない。
むしろ先ほどより、少しずつ連携が整い始めている。
けれど、アビドス側もまだ崩れてはいない。
数では圧倒的に不利。
それでも先生は、一度に戦う敵の数を絞り続けている。
便利屋68が作った波を、その都度小さく分けて受け止めていた。
ただ。
戦闘が長引けば、消耗するのはこちらだ。
弾薬も。
体力も。
集中力も。
先生はそこまで分かっている。
だからこそ、ただ守るだけでは終われない。
「……次で、一回崩そう」
先生が小さく呟いた。
「何か言った?」
ホシノが聞く。
「ううん」
先生は前を見る。
「みんな、もう少しだけお願い」
「ん」
「任せて」
「もちろんです~」
「もう、やるしかないでしょ!」
それぞれの返事が返る。
その向こうでは、便利屋68と傭兵たちも次の攻撃へ向けて動き始めていた。
まだ、どちらも退く気配はない。
戦いは、少しずつ長引き始めていた。