よく聞け、いいか、ここをローマ帝国とする! 作:とくめいのネロ
皇暦2017年、世界は突如としてその軸を失った。
天下を統べるはずであった神聖ブリタニア帝国皇帝、シャルル・ジ・ブリタニアの途絶。そして帝都ペンドラゴンに突如君臨した少女、「ネロ・クラウディウス・ブリタニア」による新帝国『ローマ・ブリタニア』の樹立宣言。
あの日から二か月。かつて世界の三分の一を支配した超大国の姿は、もはや北米大陸の地図の上にすら残されていなかった。
大陸の中央を流れるミシシッピ川を境に、ブリタニア本土は真っ二つに引き裂かれていたのである。
帝都ペンドラゴンを中心に、北米大陸の西半分を完全に掌握したのは「ネロ派(ローマ・ブリタニア)」であった。
彼女の放つ圧倒的な絶対者のカリスマ性と、逆らう者を容赦なく踏みつぶす“個”の軍事力に平伏した地域である。
新帝国の首都となったペンドラゴンは、世界の混迷から切り離されたかのように過剰な華やぎに満ちていた。ネロの手により旧来の特権階級制度は迅速に解体され、ネロへの忠誠を条件に下層市民やナンバーズ出身者へも「ローマ市民権」が与えられた。民衆は真紅の皇帝を「旧体制の打破者」として熱狂的に讃え、街には薔薇の装飾と絢爛な音楽が溢れている。
彼女の親衛隊によって帝都の近衛軍とインフラは完全に再編され、帝都およびその近郊における叛逆の芽は徹底的に摘み取られていた。
対する東半分の大陸には、シャルル時代の血統と権威を掲げる「旧ブリタニア派(自称・神聖ブリタニア帝国)」が結集していた。臨時首都と定めたニューヨークの会議場には、逃げ延びた皇族や大貴族たちが連日集結し、怒号と疑心暗鬼の泥仕合を繰り広げている。
「あのような小娘一人の前に、なぜ帝都が落ちたのだ!」
「クラディウス公爵の系譜だそうだ」
「しかしかつてユーロに追放されたはずだ、なぜあのような軍事力を持つ!」
「ユーロブリタニアの支援か?」
「さもありなん」
「ユーロブリタニアの恥知らずどもめ……」
「言っている場合か!」
「各エリアの総督は何をしている! 本国の危機であるのだぞ!」
「誠に皇帝陛下はお亡くなりになられたのか……」
「ナイト・オブ・ラウンズの半数が連絡不通だと!? ビスマルク卿はどうされた!」
「帝都には皇族や我らの身内である貴族が幽閉されていると聞く、うかつに手を出すのは危険である。あらゆる可能性を検討しなければ」
血脈の正統性を訴え、連日激しい痛罵を交わす彼らだが、その足元は極めて脆い。軍事力の核であったナイトオブラウンズを中心とする精鋭騎士団は消滅。数だけは揃う旧軍のナイトメアフレーム(KMF)群も、圧倒的な技術力の差により「動く鉄屑」と化す恐怖に苛まれていた。
北米大陸を東西に分断するミシシッピ川沿いでは、両勢力の盤面争いが苛烈を極めていた。
西側の「ネロ派」は、ネロおよびオリンポス時代の腹心らの指揮のもと、防衛線を構築。特別戦闘兵器開発局長アルベルトが旧ブリタニアの兵器工場群を一新し、サザーランドなどの旧世代機ではなく、最新鋭KMF『ローマン・レギオン』を量産して戦場へ惜しみなく投入していた。
しかし、この過剰な技術革新は凄惨な歪みを生んでいた。機体のあまりの出力と同調率の高さにパイロットの操縦が追いつかず、旋回Gによる精神崩壊や過負荷による自爆事故が多発。前線では敵の砲火ではなく「自機の自爆」で命を落とす旧ブリタニア軍寝返り組の騎士が後を絶たない。
だが、その自滅の惨劇を覆い隠すのが、第一騎士団長マルクス、第二騎士団長バザル、親衛隊長ジュリアスら「オリンポス勢」の圧倒的な個の武力であった。
マルクスが駆る超高性能機『グラン・ローマン・カスタム』の無慈悲な一撃が、旧派の防衛線を戦術単位で粉砕していく。
一方、東側の「旧ブリタニア派」は、数に頼った重装防衛陣地と従来のサザーランド部隊をミシシッピ川東岸にズラリと並べ、必死の抵抗を試みていた。
旧ブリタニア派は広大な支配地域を保持し、兵数こそ勝っていたものの、その足元は極めて危険な変質を遂げつつあった。サンフランシスコ海軍基地をはじめ、東側の各駐屯地では、若い士官たちの間で密かに帝都から流出した声明の映像データが熱狂的に流行していく。
「あの方の演説を聞いたか? 『神聖』などという虚飾を捨て、己の美学で世界を統べると仰ったのだ……!」
シャルル皇帝時代の冷酷な優生人類主義に歪みを感じていた若き軍人や民衆にとって、ネロの圧倒的なカリスマと「美学に従え」という明快な力強さは、狂信的な救済として響いていた。
旗本は違えど同じブリタニア人には違いなく、シャルルも掲げていた『強いブリタニア』の象徴になりつつあるネロに惹かれる者は多かった。東部各地では“隠れネロ派”と呼ばれる若手軍人を中心とした派閥が形成される有様であり、内部からの易姓革命の足音が確実に高まっていた。
世界はさらに混迷を極めていた。
ブリタニア本国の混乱に乗じ、属領であった「ユーロブリタニア」は本国からの完全なる離脱・独立を宣言。大公オーガスタ・ヘンリ・ハイランドは独自の大公国を樹立した。
ネロのローマ・ブリタニア帝国に続き、ブリタニアの系譜から新たにユーロブリタニア帝国が建国されたのである。
しかし、この独立は宿敵であるE.U.(ヨーロッパ連合)に勝利ではなく恐慌をもたらした。本国からの圧力がなくなったユーロブリタニア軍は、E.U.東部戦線への攻勢を極限まで強めていた。
最前線のパワーバランスが崩壊し、自由となったユーロブリタニア軍の猛攻に対し、E.U.の中央議会があるパリは過度な混乱に陥る。民主主義議会は空転を繰り返した。
「速やかにユーロブリタニアと和睦を結ぶべきだ!」
「馬鹿を言え! 今の奴らは本国からの支援がなくなった虚構の軍に過ぎん! 弱体化した今こそ叩き潰す好機だ!」
開戦派と和平派の議論は平行線をたどり、前線の兵士たちは明確な戦略もないまま、ユーロブリタニアのナイトメアフレーム部隊によって磨り潰されていく。攻勢に出るどころか防衛線の再構築すらままならぬ混迷の極みに達していた。
世界の巨人の崩壊は、海を隔てた東の大国をも激しい泥沼へと引きずり込んだ。
中華連邦の象徴である朱禁城では、大宦官たちが血走った眼で密議を凝らしていた。天子の存在を棚上げにした大宦官たちの主権争いが、ブリタニアの瓦解によって決裂。「今こそ衰退した旧ブリタニア領域へ侵攻し版図を広げるべき」とする軍部タカ派と、「今こそ国内の経済混乱を収束させるべく内政を優先すべき」とする鳩派の対立が激化。
卓を叩く怒号。だが、麒麟児としてすでに頭角を現す黎星刻の瞳は、大宦官たちの醜悪な権力闘争を冷ややかに見据えていた。ブリタニアの突然の瓦解は、好機などではない。世界中の秩序という重石が外れ、底なしの混沌が溢れ出したのだ。
天子様をお守りするためには、この腐敗した大宦官どもを排除し、早急に国家のタガを締め直さねばならなかった。各地の星刻ら有能な軍人たちの思惑も絡み合い、中華連邦各地ではタカ派の将軍たちが独自に兵を動かし始め、国家を二分する深刻な内紛状態へと突入していた。中央の統制は崩壊の兆しを見せていた。
さらに混迷を極めるのは、世界各地に点在する「エリア」の動向であった。
大半の総督は、新皇帝ネロの正体不明さに警戒感を抱き、旧来の貴族社会の権力を守るため旧勢力へ支持を表明。旧ブリタニア派が7割を占めた。
一方、どちらが覇権を握るか確信を持てず、形としては周囲に合わせるため、旧ブリタニア派を謳うも、ネロ派に転れるように根回しをする、潜在的中立派が1割。
独立したユーロブリタニア帝国周辺のエリア総督や、ユーロブリタニアに系譜を持つ貴族が治めるエリアはユーロブリタニアへの帰属を表明。そうしたユーロブリタニア迎合派と言われるエリアが2割と続いた。
様々な思惑を孕みつつも、世界各地のエリアはおおむねそのように分断される形となった。
いずれも、ネロに従属するエリアは現れず、ネロの支配地域は北米大陸の西半分のみである。
だがしかし、政治的な判断と、現状の力関係はまた別の話である。
ネロの今後の動向によっては情勢はどちらに転がるかはわからない。
皇族や名門公爵家の総督たちのもとで、「ネロ派」「旧ブリタニア派」「ユーロブリタニア派」の踏み絵を迫られ、否応なしに血沼の内戦へと引きずり込まれていく。
しかし、極東の地「エリア11」だけは、奇妙な均衡と奇跡的な静寂に包まれていた。
ネロによる帝都ペンドラゴン陥落のわずか前日。この地では、総督クロヴィス・ラ・ブリタニアが何者かによって暗殺されるという大事件が勃発していた。
本来であれば、本国からの補給途絶と絶対的指導者の不審死が重なり、真っ先に崩壊してもおかしくない状況であった。しかし、その破滅を瀬戸際で食い止めたのは、ジェレミア・ゴットバルト率いる「純血派」の軍人たちであった。
「クロヴィス殿下の仇討ち、そして軍の誇りを守るため、我らがこの地を死守する!」
ジェレミアは殿下暗殺の失態と混迷を背負いながらも、果断な軍法会議によって臨時執政体制を即座に確立。迅速な戒厳令と治安維持網の再構築を成し遂げていた。
エリア11には主導権を握る皇族が存在しなかった。それが奇しくも、この地を「ブリタニア帝国の分裂」という最大の暴風雨から不可侵のまま切り離すこととなる。
クロヴィスを失ったショックで一時は活気づいた「扇グループ」などの現地(旧日本)のテロリスト勢力であったが、彼らを待っていたのは指揮系統の崩壊した愚連隊ではなく、ジェレミア指揮のもとで冷徹に研ぎ澄まされた純血派部隊の苛烈な返り討ちであった。
テロの芽は徹底的に摘み取られ、租界の市民生活は驚くほど平穏に維持されている。人々はテレビで流れる本国の異常事態を「遠い異国の出来事」のように見つめ、純血派の兵士たちは租界の境界線を血眼で警備する。
世界中で最も荒波が少なく、最も静かで、そして最も奇妙な平和。
だが、この「純血派による代理執政」という強固な維持こそが、帝都の玉座で優雅に笑うネロ・クラウディウスの思惑通りであり、やがて彼女の救済を呼ぶための絶対の舞台装置となっていた。
帝都ペンドラゴン、かつてシャルル・ジ・ブリタニアが座した場所からほど近い、最高執務室。
真紅と黄金で彩られたその部屋は、今や『ローマ・ブリタニア帝国』の心臓部となっていた。ローマ・ブリタニア初代皇帝であるネロは、ホログラムで空間に浮かび上がった巨大な世界地図を、退屈そうに、しかし冷徹な瞳で見つめていた。世界中から吸い上げられた情報は、彼女の頭脳で瞬時に処理され、盤上の動向として整理されていく。
「フム……なるほど、……うむ」
世界はこの混乱の真の理由を知らない。前皇帝シャルルが消え、謎の絶対者たる「ネロ」が現れ、世界の物理法則すら無視するような暴威で帝都を屈服させた——ただその事実だけに恐怖し、困惑しているのだ。
そして、ネロは深く、誰にも気づかれぬほど微かなため息をついた。その視線は地図ではなく、己の肉体の深層——安らかな眠りについている「もう一人のネロ」へと向けられる。
(まったく……世界をこれほどの混沌の坩堝に叩き落とした張本人が、余の腕の中で泥のように眠りこけているとはな。貴様が目を覚ました時、この世界がどのような形になっているか、我が贋作者よ)
ネロは空間に浮かぶ情報をすべて消し去った。
そして、脈絡なく言葉を発する。
「東で抗う、旧ブリタニア派はのモノどもは、支配地域や軍の人数こそ多いが、所詮は烏合の衆。ユーロブリタニアはE.U.を喰らいながらも背後にいる余たちの伏兵に気がついておらず、間抜けを晒しておる。中華連邦は権力争いの内紛で動けぬ。
余にとっての問題は、この盤上の駒ではない……。問題は、駒を動かす『意志』だ……」
ネロは言葉を一区切りさせると、目の前に立つ“男”に目を向けた。
「……さて。貴様は余の盤上で、どのような駒として振る舞うつもりだ?」
彼女の視線は、執務室の入り口近くにゆったりと佇む一人の男——シュナイゼル・エル・ブリタニアへと向けられた。
神聖ブリタニア帝国の宰相であり、シャルルの血を引く皇族。ネロの異母兄。そして、この世界で最も底の知れない知略を持つ男。
帝都陥落のあの日、ネロが圧倒的かつ不可解な力でペンドラゴンを平定した際も、彼は狼狽することなく、こうして「妹」であり「新皇帝」であるネロの前に姿を現していた。
シュナイゼルは皇帝としての彼女に洗練された敬意を払い、優雅に一礼する。しかし、その立ち振る舞いには一切の不必要な平伏はなく、どこか手のかかる妹の破天荒な振る舞いを見守るような、底知れぬ余裕が漂っていた。
「相変わらず壮大な盤上遊戯だね、ネロ。……いや、今はネロ・クラウディウス・ブリタニア陛下とお呼びするべきかな」
シュナイゼルは柔らかな笑みを崩さず、静かに歩み寄る。その瞳には過剰な恐怖も盲目的な信奉もなく、ただ冷徹で深遠な観察眼だけが宿っている。
「畏れながら陛下。私はただ、我が妹が打ち立てたこの新しき帝国が、どこへ向かおうとしているのか……その『真意』を見極めに来たに過ぎないよ」
「ほう? この余を試そうというのだな、シュナイゼル。余の兄ならば余の偉大さにただ感服していれば良いものを」
ネロは玉座に深く腰掛け、不敵な笑みを浮かべて不遜に言い放った。
シュナイゼルは、妹の尊大な態度をまるで受け流すかのように言葉を継ぐ。
「試す、か。そう見えるかもしれないね。君は既存の軍事体系を無視する力を振るい、一夜にして帝都を平定してみせた。そして『神聖』の名を捨て、『ローマ』を名乗った……。父上が求めた世界とも、従来の貴族制とも違う、あまりにも常軌を逸した『暴君の道』だ。……だが、君はただ世界を壊して満足するような、愚かな子ではない」
彼にとって、ネロの力や背景は「未知のテクノロジー」でしかない。
だが、シュナイゼルはそれを恐れるのではなく、この暴れ回る「妹」が世界をどこへ着地させようとしているのか、その思想と器量を測ろうとしていた。
「君たちが旧ブリタニア派と呼んでいる貴族たちは、君の力を恐れ逃げ出した。だが、私から見れば、君のやり方は強引で、あまりに破天荒で……そして、実に興味深い。もし君のその『我儘』の先に、旧体制よりも合理的な『新しい秩序』があるというのなら……私は兄として、そして臣下として、君の『ローマ』に肩入れしてあげるのも悪くないと思っているのだがね?」
シュナイゼルは柔和な微笑の裏に牙を隠し、ネロという存在が「ただの制御不能な災厄」なのか、それとも「新しい世界を委ねるに値する器」なのかを、言葉のナイフで探っていた。
「フフ……ハハハハ! 実におもしろい! 臣下としての敬意を払いながら、旧ブリタニアの皇族として、兄としての余裕を崩さず、余の器量を値踏みにきたか!」
ネロは、シュナイゼルの洗練された物腰の奥にある冷徹なまでの合理的思考を見透かし、高らかに笑った。
「シュナイゼルよ。余を測ろうなど、百年早いわ! 貴様がどれほどの知恵を巡らせようと、余の描く劇場の美しさは理解できん。余はこの世界を、余の気まぐれと美学によって、最高に美しく、最高に絢爛な舞台へと塗り替える。……貴様が、余の最高の手駒としてその腕を振るうというなら、舞台へ上がることを許してやろう!」
ネロは自らの手の内を明かすことなく、ただ絶対者としての肯定感でシュナイゼルを力強く見下ろした。
シュナイゼルは一瞬だけ瞳を細め、やがて満足したように口元に微かな笑みを浮かべた。計り知れない度量を持つこの「妹」——彼女の存在こそが混迷する世界を最も素早く収束させ、自らの求める安寧へと導く「最高の切り札」になり得ると、彼は結論付けたのだ。
「……ふふ、やはり君は素晴らしいよ、
皇帝陛下の仰せのままに。私、シュナイゼル・エル・ブリタニアは、君の『ローマ』に私の知略を貸し出すとしようか。なに、……妹の描く絢爛な舞台が途中で台無しにならないよう、陰ながら支えさせてもらうよ」
シュナイゼルは静かに、しかし優雅な臣下の礼をとってみせた。それは降伏や服従ではなく、対等なプレイヤーとして「ネロのローマ」という盤面に参加することを選んだ男の微笑みであった。
「言うではないか、シュナイゼル! いいであろう、存分に余を興じさせるが良い!」
真紅の皇帝は高らかに笑い、シュナイゼルという頭脳を自らの陣営へと引き入れた。
○
シュナイゼルが退出したあとの重厚なドアを見つめながら、ネロ・クラウディウスは玉座の肘掛けに深く背を預けた。
「……なんと、醜い化かし合いであったな」
誰もいなくなった最高執務室で、彼女は小さく息を吐いた。
シュナイゼル・エル・ブリタニア。あの男の瞳に宿る静かな情熱と、己の美学すら飲み込もうとする洗練された合理性は本物だ。ネロを「妹」であり「唯一無二の皇帝」として認め、臣下として知略を捧げると誓ったその言葉に偽りはない。だが、だからこそ恐ろしい。
(あの男は、余の威厳と覇道を心底認めながらも、同時に余という『劇場』そのものを世界の安寧のための歯車として組み込もうとしている……。余を王として戴きながら、盤面そのものを密かにコントロールせんとする狸よ。油断すれば、この余すらあの男の思惑に閉じ込められるやもな)
だが、今のローマ・ブリタニアにとって、あの男の頭脳は絶対に不可欠であった。北米東部に逃れた旧ブリタニア派の掃討、自壊しつつあるユーロブリタニアと混乱するE.U.への外交工作、そして内紛に揺れる中華連邦の抑え込み。シュナイゼルという頭脳があればこそ、ネロは世界中の瑣末な政務から解放され、真の目的に集中できるのだ。
「使ってやろう、シュナイゼルよ。貴様が余を最高の皇帝として立てるというのなら、余はその期待以上の黄金の舞台を用意してやろう。どちらが主導権を握るか、互いに笑顔で騙し合うのもまた、一興というものだ」
ネロは不敵に微笑むと、右手をそっと自らの胸元へと当てた。真紅のドレスの下、自らの魂の深層で静かに眠り続ける「もう一人のネロ(贋作者)」の鼓動が伝わってくる。
世界をどれほど混乱させようと、シュナイゼルとどれほど化かし合おうと、ネロの真の目的はたった一つ。シャルルのギアスの汚染によって眠りこけているこの少女の魂を護り抜き、覚醒させることだ。
そのためには世界を混迷させつつも完全に崩壊させず、あの一点へと事態を誘導せねばならない。
「そして……エリア11か」
エリア11には、ギアスの謎を紐解くための要素が凝縮されている。そして何より、あの地に潜む「ギアスを打ち消す力(ギアスキャンセラー)」の芽こそが、贋作者の魂を救う鍵となるはずだ。
「シュナイゼルには世界の盤面を泳がせ、余は余の目的を果たさせてもらおう。……ふむ、我ながら実によくできたシナリオではないか!」
ネロは玉座から立ち上がり、豪華絢爛な執務室の窓から、黄昏に染まる帝都ペンドラゴンを見下ろす。
真紅の外套を力強く翻し、ネロは人知れず、次なる仕掛けへと動き出すのだった。
○
ネロのいる執務室を出たシュナイゼルは、歩き慣れた城内の廊下を歩きながら、繊細な手袋をはめた指先をそっと顎に当て、深い沈思の海へと没入していた。その穏やかな表情には一切の波風も立っていない。しかし、その頭脳の中では、世界という巨大な盤面が恐ろしい精度と速度で再演算されていた。
(……やれやれ。我が妹は、やはり私が認めた通りの鳳凰の雛だったようだ)
シュナイゼルはネロの執務室の扉を振り返り、温かな、しかし底知れぬ敬意の籠もった眼差しで見つめた。
かつて帝都ペンドラゴンの宮廷において、異母妹であるネロの存在は、シュナイゼルにとっても際立って眩しい観測対象であった。
皇族という不自由な檻の中にありながら、彼女はあまりにも自由奔放であり、豪放磊落。その行動は常に既存の規律を無視し、誰にも予測不能な軌跡を描いていた。
しかし——彼女がひとたび何かに手を伸ばせば、学問であれ、芸事であれ、軍術であれ、すべてを完璧に修めて見せる。他者を置き去りにする完璧な天稟。
だが、シュナイゼルが真に彼女から目を離せなかった理由は、その圧倒的な才能の裏側にあった。
年端もいかない少女の瞳の奥。完璧な笑みの最中に時折のぞく、誰も立ち入ることができない深淵のような「闇」。血統や権力闘争とはまったく次元の異なる、自らの存在そのものを削るかのような謎の葛藤。シュナイゼルはその正体をつき止めることはできなかったが、彼女こそが、いずれ父シャルルの停滞した世界を打破し得る唯一の存在だと、昔から誰よりも高く評価していたのだ。
(あの日、ペンドラゴンを一夜で陥落させたあの圧倒的な力……。そして『神聖』を捨て『ローマ』を打ち立てたあの決断。胸の奥に抱えていた暗雲を閉じ込め、覚悟を決めたようだ)
彼にとって、目の前の少女がなぜ異質な技術を持ち合わせているのかは、どうでもよいことだった。彼が見ているのは、彼女が示してみせた圧倒的な「威厳」と「結果」のみだ。
シュナイゼルは、自分が皇帝という冠を戴くことに執着していない。彼が求めているのは、この愚かな世界に確かな「安寧と秩序」をもたらすことだ。
だからこそ、彼は試した。
ただ暴力で他者をねじ伏せるだけの暴君なのか。それとも、世界すべての混沌と責務をその背に背負う覚悟を持った、真の皇帝なのかを。
(言葉を交わして分かったよ。君の瞳に迷いはなかった。私という人間の計算や企みすらすべて飲み込んだ上で、己の美学で世界を包み込むと言ってのけた……。見事というほかない)
彼女の放つ爛爛とした黄金の光は、シャルル父上の冷酷な理屈とも、他の皇族たちの矮小な欲望とも違う。世界を惹きつけ、従わせる絶対の皇帝としての器。自分が持たない「世界を惹きつける熱量」を、ネロは完璧に備えていた。
(君がそれほどの覚悟と器を示したのであれば、私も少しはやるべきことを見せないといけないね)
シュナイゼルは静かに確信していた。この不世出の妹が主役として立つ『ローマ』という舞台ならば、自分がずっと追い求めていた「平和な世界」を真に完成させられるかもしれない、と。
自らが王になる必要などない。この誇り高き美しき妹が世界を統べ、自分がその最高の参謀として盤面を整える。それこそが世界にとって最も合理的であり、そして何より——胸が躍る未来であった。
シュナイゼルはゆっくりと向き直り、執務室を後にした。
「しかし……もう、私のことを兄上とは呼んでくれないのだね」
小さく、そう呟かれた一言は、ブリタニア帝国時代の面影を未だ多く残す城内の廊下に、小さく、誰にも聞かれることなく空気に消えていった。
土地名等は、コードギアス世界の言い方がわからないので、現実世界ベースでお考えください。違和感があるようであれば後々修正入れるかもです。