支部にも上げてます。
整備区画の向こうで、白い機体が静かに吊られていた。
ノブリス・オブリージュ。
四肢を固定され、両背部のレーザーキャノンを展開したまま、無数の整備アームに取り囲まれている。白い装甲の継ぎ目を作業灯がなぞり、そのたびに細い反射が翼のような砲身を滑っていく。
こうして外から眺めることには、いまだに僅かな違和感があった。
戦場では身体の延長として扱っているものが、今は巨大な構造物として他人の手に預けられている。脚部を支える架台も、腹部から垂れる点検用のケーブルも、そのどれもがノブリス・オブリージュを一つの兵器へ引き戻していた。
しばらくその姿を見てから、視線を隣のハンガーへ移す。
そこには、白い機体とは似ても似つかないネクストが収められている。
フラジール。
初めて実物を見た。
資料で構成を知ってはいた。オーメルから寄せられた戦闘記録も確認したことがある。それでも、数字や映像を通して見るのと、実際に同じ施設へ並べられた姿を見るのとでは印象が違った。
細い。
まず、それが目についた。
不要な肉を落としたというより、必要なものまで削りながら、なお速度だけを残したような機体だった。折れそうな脚部に、薄い胴。静止しているのに、その輪郭にはどこか落ち着きがない。
ノブリス・オブリージュが据えられた彫像なら、あれは飛翔する直前の昆虫の骨格に似ている。
手元の端末へ視線を戻した。
施設側の管制系に異常が見つかったのは、整備終了予定時刻の十分前だった。
復旧まで、およそ一時間。
既に調整の終盤へ入っていた機体を無理に出庫させる理由もない。リンクス側に出来ることはなく、結果として用意されたラウンジで時間を潰すことになった。
室内には低い空調音が流れている。
正面のガラスは整備区画を大きく切り取っていた。室内照明より向こうの作業灯の方が明るく、時折、ガラスへ私たちの姿が薄く浮かぶ。
端末を操作しながら、向かいの壁際に立つ男を一度だけ見た。
CUBE。
アスピナ機関のテストパイロット。
座席は空いているにもかかわらず、彼は窓際に立ったままだった。
姿勢が良いというほど意識的ではない。気を抜いているようにも見えない。腕を組むでもなく、所在なげに周囲を見るでもなく、ただフラジールを眺めている。
待ち時間というものに、特別な態度を取る必要を感じていないのだろう。
同じ空間に一時間。
互いに存在を無視して過ごすこともできたが、そこまで頑なに沈黙を守る理由もない。
「CUBEだったな。直接顔を合わせるのは初めてか」
名を呼ぶと、彼は少し遅れて顔だけを向けた。
「そうですね」
「ジェラルド・ジェンドリンだ。まあ、知ってはいるだろうが」
「はい。ノブリス・オブリージュのリンクス」
思わず目を細める。
所属でも順位でもなく、機体だった。
「そちらで覚えているのか」
「違いますか?」
悪意は感じない。
問い返しにも、相手を試すような色はなかった。
単に、自分の認識のどこが問題なのか分からないらしい。
一拍置いてから笑った。
「いや。間違ってはいない」
確かに、ローゼンタールのジェラルド・ジェンドリンより、ノブリス・オブリージュのリンクスと呼ばれる方が戦場では通りがいい。
そう考えれば、お互い様かもしれない。
視線をガラスの向こうへ戻す。
フラジールの脚部の周囲を作業員たちが行き交っていた。比較対象が巨大すぎるせいで、人間の方が妙に大きく見える。
「実物を見るのは初めてだ」
「噂以上だな」
「何がです?」
「何もかもだ。あれでネクストとして成立しているのが面白い」
彼の目が動いた。
「成立している、ではなく、優れています」
「ほう」
窓枠へ軽く肩を預けた。
ほんの僅かな言葉の違いを、その男は見逃さなかった。
「随分と高く評価しているんだな」
「実際、高性能ですから」
「謙遜する気は?」
「機体性能についてですか?」
「……いや。忘れてくれ」
笑いが漏れた。
どうやらこちらの軽口は、額面通りに受け取られるらしい。
彼は気にした様子もなく、フラジールへ顔を向けた。
「ただ」
機体を見ながら続けた。
「制御負荷が尋常ではないと聞いている」
「誰からです?」
「随分そこを気にするんだな」
「評価元は重要でしょう」
「もっともだ」
言われてみれば正論だった。
「ローゼンタールにも資料は入ってくる。過去に何人ものリンクスが扱いきれなかった、と」
「事実です」
「なら、危険な機体という評価も間違いではないだろう」
「制御できないリンクスにとっては」
返答だけが、妙に早かった。
横目で彼を見る。
「君にとっては違うのか?」
「はい」
「その自信はどこから来る?」
「結果から」
短い。
だが、虚勢には聞こえない。
腕前を誇示する人間なら、もう少し言葉を飾るものだ。
自分を大きく見せるための間や、相手の反応を窺う視線もない。
結果がそうだから、そう述べる。
彼にとっては、それだけらしい。
「なるほど。分かりやすくていい」
整備アームがフラジールの肩部へ接続され、細い機体が僅かに揺れた。
「しかし、随分と思い切った設計だ。安定した機体なら他にもあるだろう」
「ありますね」
「それでもフラジールを?」
「はい」
「理由を聞いても?」
「速いからです」
あまりにも即答だった。
思わず瞬きをし、それから笑った。
純粋に興味深かった。この男も機体も。
「はは。そう来たか」
「重要でしょう?」
「リンクスにとってはな」
「私にとってもです」
「他には?」
彼は軽く首を傾けた。
「他のリンクスには扱えません」
「それも理由になるのか?」
「ええ」
「随分と自信家だ」
「そうでしょうか?」
「自覚がないなら、なおさらだな」
彼は再びフラジールを見た。
表情はほとんど変わらない。
「少なくとも、私以上にフラジールを扱えるテストパイロットは知りません」
「それを自信家と言うんだ」
「事実でも?」
「事実だから言っていい、という態度を含めてだ」
「なるほど」
どうやら納得した、というよりは、また一つ用語の定義を受け取ったらしい。
無知ではないが、テストパイロットとしての知識以外が空白のようだった。
「これまで何人ものリンクスを潰した機体だぞ」
「そうですね」
「君は、怖くないのか?」
その時初めて、彼が少し長くこちらを見た。
「何がです?」
「……フラジールに乗ることが、だ」
「私が?」
「ああ」
まさか問い返されるとは思わなかった。
彼はガラスの向こうへ顔を向ける。
フラジールの脚部には太い点検ケーブルが繋がれ、整備員がその下を歩いている。
「パイロットも構成部品の一つです」
「部品?」
「フレームも、ジェネレータも、火器も、必要に応じて交換されるでしょう」
「それと人間を同じにするのか」
「ネクストとして見て、違いがありますか?」
答えに詰まったわけではない。
だが、すぐには口を開かなかった。
理屈の上では理解できる。
機体はパイロットなしでは動かない。
AMS適性まで含めて戦闘システムとして評価するなら、人間も構成要素には違いない。
しかしそれを、当の人間自身がこれほど平坦に口にすることには、やはり異様なものがあった。
「君自身が壊れれば、別のリンクスに交換される。それでも構わないと?」
「より適したものがいるなら、それが合理的です」
そこには諦めがなかった。
むしろ、そのことの方が引っかかった。
自分など誰でもいいと言っている人間の声ではない。
摩耗したパーツの交換について説明するような、単純な事実確認。
「……随分と、自分を軽く扱うんだな」
「逆です」
否定だけが、早い。
彼が振り向いた。
「現状、交換できないから私がここにいます」
「どういう意味だ?」
「私よりフラジールに適合するパイロットがいない」
その声には、昂りもなければ謙遜もない。
「だから私が乗る。それだけです」
「それを誇っているのか?」
彼は珍しく少し考えた。
整備区画ではチェックランプが一つずつ点灯していく。
「ええ」
短い肯定。
「部品としては、かなり優秀な方ですから」
やはり、異様な男だ。しかし理解できる。
「君は本当に、妙なところで自信家だな」
「事実です」
「そういうところだよ」
今度は笑いを隠さなかった。
奇妙ではある。
だが、少なくとも哀れむ必要のある男ではないらしい。
自分を部品と呼ぶことと、自分の価値を低く見ることが、彼の中ではまるで結びついていない。
むしろ逆だった。
交換可能であることを当然とした上で、今なお交換されていないという事実そのものが、彼にとって性能の証明なのだろう。
共感はできない。
だが筋は通っていた。
それから暫く、二人の間にまた空調の音が戻った。
端末を開き直しかけた時、今度は彼から呼ばれる。
「ジェラルド・ジェンドリン」
「何だ?」
「ノブリス・オブリージュについて質問があります」
「どうぞ」
「もっと速くできますよね」
端末へ伸ばしかけた指が止まる。
「……なるほど。そこから来たか」
「フレーム構成を変更すれば機動性は上がります。武装にも最適化の余地があります」
「例えば?」
そう返すと、彼は本当に説明し始めた。
重量配分。
推進効率。
火器管制。
机上の数字だけではなく、実戦上の取り回しまで話している。少なくとも機体を見る目は確かだった。
「あのレーザーキャノンも、当然変更できます」
「そこは譲れないな」
「何故です?」
「ノブリス・オブリージュからあれを取ったら、ノブリスではなくなる」
「性能より機体の同一性を優先する?」
「場合によってはな」
「非合理的ですね」
「そうかもしれない」
そこで彼が黙った。
ようやくこちらが予想外の返答をしたらしい。
「意外か?」
「少し」
「君のフラジールほど割り切った設計を見た後では、なおさらそう見えるだろう」
「ローゼンタールの象徴だからですか?」
「それもある」
「象徴であることは戦闘性能を向上させません」
「その通りだ」
また僅かな沈黙。
その反応が少し可笑しかった。
「だが、戦闘性能だけでネクストの価値が決まるわけでもない」
「私にはよく分かりません」
「だろうな」
ノブリス・オブリージュを見る。
自分が乗る以前からこの機体には名前があり、役割があり、ローゼンタールの中で占める場所があった。
それをすべて取り外し、性能表の数値だけへ還元することは出来ない。
「ノブリスは受け継がれてきた機体だ。ローゼンタールにとって意味がある。私にとってもな」
「意味」
「そうだ」
「あなたはあの機体を気に入っているんですね」
思わず笑った。
「ずいぶん簡単にまとめるな」
「違います?」
「いや。間違ってはいない」
白い装甲を、作業灯がゆっくり横切る。
「だが、それだけでは少し軽い。誇りと言った方が近い」
「同じでは?」
「似てはいる」
「違うと言うかと思いました」
「君と話していると、厳密な定義を要求されそうだからな」
「要求しても?」
「遠慮する」
彼が首を傾けた。
「ですが、分かりません」
「何が?」
「より優れた部品があるなら、交換すべきでしょう」
「君ならそうする?」
「当然です」
「フラジールでも?」
「フラジールだからです」
彼を見る。
声音にも姿勢にも迷いがない。
「私より適したリンクスが見つかれば、私も交換すればいい」
「……それを平然と言うんだな」
「問題があります?」
「君自身は?」
「私もフラジールの一部です」
また、何でもないことのように言った。
「部品の一つだけを特別扱いする理由がありません」
腕を組む。
「だが、その割には随分と自分の性能を誇るじゃないか」
「優れた部品なら、優れていると評価するでしょう」
「自分自身でも?」
「自分自身だから評価を変える方が不正確です」
数秒、彼の顔を見る。
やはりそこには自嘲も陶酔もなかった。
ただ一つ妙なのは、自分を機械と同列へ置くその考え方が、彼自身を縮めていないことだった。
自分が一部であることを、彼は恥じていない。
むしろ、その一部が現在もっとも優秀なのだということを誇っている。
「なるほど。ようやく君の言っていることが分かってきた気がする」
「そうですか?」
「ああ。共感はしないが」
「必要ありません」
「そこまで一貫していれば、いっそ清々しいな」
復旧予定時刻を知らせるアナウンスが流れた。
残り十五分。
窓際から身を離した。
「だが、フラジールでは一撃の重さに欠ける」
「当たらなければ問題ありません」
「典型的な高速機の言い分だな」
「正しい言い分です」
「こちらが当てれば?」
「当たりません」
振り返る。
「言い切ったな」
「フラジールですから」
「ならこちらも言っておこう。ノブリスの射線から、いつまでも逃げ切れると思うな」
「追いつけるんですか?」
「それは挑発か?」
「疑問です」
「ますます質が悪いな」
彼は答えなかった。
表情は変わらない。
だが、ここまで話していれば、完全に額面通りに受け取るほど私も鈍くはない。
少なくとも半分ほどは、こちらの反応を見ているのではないか。
証拠はないが。
「ノブリス・オブリージュとの戦闘データには興味があります」
「結局そこへ行くのか」
「実際に比較するのが一番早いでしょう」
「私に模擬戦を申し込んでいるのか?」
「ええ」
「ランク17がランク5に。いい度胸だ」
「ランクは結果でしょう」
「そうだな」
「なら、次の結果はまだ決まっていません」
その言い方は嫌いではなかった。
「その通りだ」
「機体だけではありません」
「何?」
「比較するなら、私まで含めてください」
彼はフラジールを見る。
「私を外したフラジールは、現在のフラジールではありません」
今度は私が一拍黙らされた。
先程まで、彼は自分を交換可能な部品だと言っていた。
それとこの言葉は矛盾しない。
交換可能であることと、現在その位置を占めている部品が何であるかは別だ。
「なるほど。君とフラジールを分けて評価するな、と」
「分ける必要があります?」
「いや。君の場合はないのかもしれん」
ジャケットの裾を整える。
「ただし、泣きを見ても知らんぞ」
「その可能性は低いですね」
「本当に謙遜というものを知らないんだな」
「必要ですか?」
「ない。少なくとも戦場では」
その時、ハンガー側の表示が赤から緑へ切り替わった。
整備終了。
二人ともほぼ同時にそれを見る。
ラウンジを出ると、通路の先に二機のNEXTが並んでいた。
白く、重く、翼を背負ったノブリス・オブリージュ。
細く、黒く、速度以外の何かを一つずつ削り落としたようなフラジール。
「こうして並べると壮観だな」
「そうですか?」
「君にはそう見えないか」
彼は二機を見比べた。
「フラジールの方が綺麗ですね」
思わず笑う。
「そこまで言うのか」
「あなたもノブリス・オブリージュの方が綺麗だと思っているでしょう」
「当然だ」
「同じですね」
「……そこだけは認めよう」
通路は途中で左右へ分かれる。
ここで別れれば、恐らく次にいつ顔を合わせるかも分からない。
それでも一時間前よりは、目の前の男について知ったことが増えている。
「今日は退屈せずに済んだ。礼を言うよ」
「私も有益でした」
「君の場合、本当にデータでも取っていそうで怖いな」
「取っていません」
そうか、と言いかける。
「今のところは」
「……やめてくれ」
笑いながら背を向けた。
数歩進んだところで、後ろから名前を呼ばれる。
「ジェラルド・ジェンドリン」
振り返る。
「何だ」
「模擬戦の件」
「まだ言うのか」
「忘れないでください」
「機会があれば受けよう」
「ありがとうございます」
「ただし」
ノブリス・オブリージュへ視線を送る。
「勝つのはノブリスだ」
彼は間を置かなかった。
「それは違いますね」
「なら、その時に証明しろ」
「そのつもりです」
二人は別れた。
やがて通路を隔てる防壁が閉まり、フラジールの姿は見えなくなる。
ノブリス・オブリージュの昇降機へ近づく。
足元から見上げれば、白い装甲はラウンジから眺めていた時より遥かに巨大だった。
手摺へ手を掛け、一段目へ足を置く。
そこで一度だけ、閉じた隔壁の向こうを振り返った。
CUBE。
妙な男だった。
自分を一つの部品だと言う。
より性能のいいパイロットが存在するなら、自分など交換すればいいと、何でもない顔で口にする。
それだけを聞けば、自らの価値に無頓着な人間にも思える。
実際はまるで逆だった。
彼は自分を部品へ落としているのではない。
部品であるという前提そのものを、低い位置へ置いていない。
フレームも。
ジェネレータも。
火器も。
リンクスも。
フラジールという一つの戦闘機械を成立させるために存在する、同列の構成要素。
そしてその中で、自分という部品が現在もっとも優れていると、何の疑いもなく認識している。
交換可能でありながら、交換する理由がない。
その事実を誇っている。
私には、恐らく一生同じようには考えられない。
ノブリス・オブリージュの腕を別のものへ交換することと、自分自身が別のリンクスへ交換されることを、同じ尺度へ置く気にはなれなかった。
だが。
誇りの形が違うからといって、誇りそのものまで見落とす必要はない。
「……変わった男だ」
そう呟いたところで、ハンガーの空気が変わった。
整備を終えた作業員たちが、白い機体の周囲から次々と離れていく。
代わって管制側の人員が入り、機体へ接続されていた検査線を一つずつ確認していった。表示灯が切り替わるたび、ノブリス・オブリージュを縛っていた機材が、役目を終えた蜘蛛の糸のように外されていく。
離れた場所では、コジマ関連設備の最終確認が始まっていた。
警告灯が点く。
それまで整備場だった空間が、徐々にネクストを動かすための場所へ変わっていく。
その光景を見慣れていた。
見慣れているからこそ、軽く扱う気にもならなかった。
これから自分が乗るものは、象徴でも、ローゼンタールの看板でもある。
同時に、ひとたび動けば周囲の空気も大地も容易に汚し得る兵器だった。
係員がこちらへ歩いてくる。
「ジェンドリン。リンクス側の準備に入ります」
「ああ」
短く答える。
その先には、まだいくつもの確認がある。
機体状態。
環境条件。
AMS接続。
そして、自分自身。
ネクストはリンクス一人がコックピットへ座れば完成するような代物ではない。
無数の人間と設備と手順が、一機の兵器を戦場へ押し出すために動いている。
ふと、先程の言葉が蘇った。
――私を外したフラジールは、現在のフラジールではありません。
白い機体を見上げた。
「それはこちらも同じだ、と言ったら」
低く独り言を落とす。
「君はどう評価するんだろうな」
ノブリス・オブリージュは答えない。
ただ、作業灯を受けた白い装甲が、静かに光を返している。
隣の区画でも、きっと同じように準備が始まっている。
フラジールという機械へ、CUBEという部品を組み込むための準備が。
こちらも行かなければならない。
機体へ背を向け、リンクス用の準備区画へ歩き出した。
その背後で、ノブリス・オブリージュを拘束していた最後の整備アームが、ゆっくりと機体から離れていった。