鳥たちの囀りは消え去り、宵闇が肌を撫でた。
一緒に山菜狩りに来ていたユウヤの手を握りながら、私は人里への道を急いだ。
ユウヤの手は震えていて、その震えを感じた私まで震えてしまいそうになる。
それでも、そこは堪える。私は先生だから、私はユウヤの手を強く握って、また一歩人里への道を踏み出した。
重い、それでいて何かの音がした。
聞こえたのは茂みが揺れる音だった。それも、茂み全体が揺れる音だ。
少なくとも小型の動物が隠れていて出る音ではない、大型、それも私よりも大きなサイズが隠れている。
ユウヤもその音に気づいたのか、私の方を見上げてきていた。
恐怖に染まったその目を見て、私は覚悟を決めた「守ろう」と、
茂みが大きく動き、そこから何かが飛び出してきた。
「わぁっ!」
ユウヤの驚きの声が暗い森にこだまする。
私に見えたのは銀色に光るナニか、それは正確にユウヤの肩口を狙いするどく切り込まれていた。
防がなくてはいけない、そう思いユウヤの手を思い切りこちら側に引き寄せる。
鋭い摩擦音にも似た何かが裂ける音がしてユウヤが自分の懐へと倒れ込んでくる。
見れば、ユウヤの肩に傷が出来ていた。少し深めに切り裂かれた傷に、私は怒りを覚えた。
「せ、せんせ・・・」
ユウヤの弱々しい声が私の心を動かした。
「ユウヤ、逃げなさい」
私はユウヤを庇い飛び出してきた大きな影に対する。
「で、でも」
逡巡するユウヤに、私は声を荒げた。
「行きなさい!」
それが効いたのか、ユウヤの去っていく足音が聞こえた。
どうか無事で、そう祈りながら、目の前に居る大きな影を見据える。
「はっはっはっはっは、なんだいドうしたイ先生さんよォ、俺の餌ヲ逃がすなんてヒどいじゃねェかよ!」
大きな口に大きな牙、上半身は人のそれではなく、成人男性と比べれば並外れた筋肉をしている。女性の胴ほどもあるその腕、そしてその腕の先端の手にさらに先端、指の先には鋭い爪が見えている。
間違いなく、狼男だ。
何が面白いのか挑発でもするかのように笑いを誘う狼男に、私は空を見上げた。
森は暗かれど、空にはまだ月が上がっていなかった。
それでも私は戦わなくてはいけない、教え子のために!
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目を覚ますと、私は自分の家の居間で眠っていた。
手に暖かさを感じて見てみれば、眠るユウヤが私の手を強く握っていた。
無事であることに安心を覚え、思わず笑みがこぼれる。
黒い髪に手櫛を通して、そのままユウヤの頭を撫でた。
居間に置いてある長テーブルの上に、何やら紙が置かれているのが見えた。
それを取ろうかと足腰に力を入れてみるが、鋭い痛みが走りうまく力が入らない、
「・・・ッ!」
筋肉痛にも似たその痛みに思わず目元に涙が溜まる。
ちなみに歳から来る物では無い、私はまだまだ若い。
そういえばと思い、自分の体を、というよりも全体を見てみると服装から体についた汚れまで、すべてが綺麗になっていた。
服装は寝巻きとして使っている浴衣に、昨日山菜狩りの時に髪に付着した小さな草木までもが消えていた。
恐らくはあの後、ユウヤが呼んできれくれた誰かしらが助けてくれたのだろう。
人里に来ていて狼男を倒せるほどの実力者となると博麗の巫女あたりだろうか、
「(今度お礼に向かわなければな・・・)」
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後になって、ユウヤが目を覚ましたので彼にテーブルの上の紙をとってもらった。
そこには綺麗な文字で、『お大事に』とだけ書かれていた。
ユウヤはそれを見ると嬉しそうに「兄ちゃんだよ!」と言った。
ユウヤのいう『兄ちゃん』が誰なのかはわからないが、男性ということは博麗の巫女ではない。
さらに、ユウヤから聞いた話によると私を抱きかかえて運んでくれたというではないか、
私は眠っていてどうしようもなかったとはいえなんとも恥ずかしい、
さらにさらに、ユウヤは喜ばしげに我が家のキッチンへと向かうと、嬉しさを全面に表しながら手にお皿を持って帰ってきた。
そこに置かれていたのはサンドイッチだった。ふかふかのパンに包まれたレタスとスライスされたトマト、そしてツナを口の中で堪能した私は胸の中に広がる感謝の心を抑えてはいられなかった。
また、いつか会えるのだろうか、そんな期待をしてしまう。
私を助けたという『兄ちゃん』さん、
あなたは今、何をしていますか?
「霊夢、頼みがある」
紺色の作務衣を身にまとった士郎が、霊夢へと声をかけた。
何を隠そう自作の作務衣、幻想郷に来てから少しばかりの数を
人里での一件から1週間が経った頃、博麗神社での暮らしにも慣れてきて、そろそろ本格的に自分の収入源の確保に乗り出すかと考えていた士郎はそれ以上の問題・・・というよりも気になる事を抱えていた。
同居人である霊夢は士郎の言葉を受けて貪っていた煎餅を置いて士郎へと向き直った。
「何よ、料理当番なら変わらないわよ、あんたのご飯食べたら自分の料理なんて恥ずかしくて出せないわよ」
現在、博麗家における調理場の主は士郎となっている。
霊夢が妖怪退治の依頼とやらで帰りが遅くなったある日、霊夢も疲れて帰ってくるだろうと思って士郎は近くの山で採ってきた山菜を使った天ぷらと、その山で捕れた鹿を使って簡単な燻製焼きを用意した。
盛り付けにまでこだわった士郎の料理を見た霊夢は士郎に抱きつき頬ずりしてくるほどだった。余程お肉が嬉しかったのだと思えた。
その次の日、霊夢が土下座をしながら士郎に頼み込んだのだ。
「どうか、私の食生活を管理してください」
さすがの士郎もこの申し出には大変参った。一緒にいた魔理沙にあらぬ誤解をされたが無事に誤解は解け、士郎も霊夢のために出来ることが出来たということで喜んだ。
それ以来、士郎は博麗家の財布のヒモと調理場を任されることとなった。
とはいえ、今回のお願いはその事とは全く関係がない、
「いや、そうじゃなくてさ、その・・・明日半日ほど家を空けて人里に行こうと思ってるんだ」
理由は調味料の調達とこの前の慧音という女性のお見舞いだ。
ここで、人里に一人で行けるのかという疑問があがるだろう。
あれから、士郎は自分の体の動かし方について研究した。
それというのも、生前のカラダとサイズがおかしくて、どうにも筋肉を余分に動かしている気がしたのだ。
そのせいで力が拡散して、本来のこの身体の出力を引き出せていないような気がしたのだ。
そして、解析と実践(というのも歩いてみたり弓を射てみたり)を繰り返した結果、こちらに来たばかりの時の5倍以上の出力を出すことに成功していた。
とはいえ、それは本来のこの体の使い方に戻ってきているというだけで、正確には今までマイナスだったのがゼロへと向かっているのに過ぎない・・・
現在の士郎の身体のスペックはどうもサーヴァントクラスの物と判断していいようだ。
少し前に狼男と戦った時に本来のスペックが取り戻せていたら恐らくは狼男の汚いミンチが出来上がっていただろう。
魔理沙との模擬戦が何よりも気づくきっかけとなったので、魔理沙への感謝は尽きない、
「ダ・メ」
霊夢の答えに、士郎は霊夢への困惑を覚えた。
しかし、ダメと言われた理由に思い当たる節がある士郎としてはその困惑を表に出すことはためらわれた。
理由はこの前、全くの無断で人里で一泊したからだろう。
あの日は灼熱お味噌汁を飲んだとい記憶でその日の思い出が埋め尽くされている。ほかにも色々とあったはずなのに、それだけが記憶を支配していた。
「魔理沙と模擬戦してたわよね」
思考を中断させるかのように、霊夢がニヤケ面で質問をしてきた。
嫌な予感がしつつも、士郎は「お、おう」と応える。
「じゃ、私ともしなさい」
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模擬戦を始めて1分、既に士郎と霊夢の実力差は如実に現れていた。
「よっと、結界術…定縛結界」
博麗の巫女に代々伝わる基本的結界術の一つ、定縛結界は定められた領域内の生物の行動を阻害するもので、込めた巫力によっては完全に相手の筋繊維の働きを封じ込めることもできる。
正方形の4つの角に当たる部分に突き刺さった針が『白い光』とともに結界を作り出し、正方形の内部にいた士郎の動きが少し鈍る。
「ほっと」
鈍れども、士郎の動きを霊夢は目で追えない、
その速さは人間のそれを超越しており、気がついたときには結界から抜け出していた。
役目を失った針が乾いた音を立てながら転がる。
結界術を霊夢がといただけで、針自体にはまだ込められた霊力が残っている。これだけでは実にもったいない使い方だと士郎は思った。
霊夢は表面上は冷静を装いながらも、頭の中で必死に対策を練っていた。
「(士郎がここまで強いとは思ってもなかったわね…しかも全然余力を残してるし、 私の結界術だけじゃ今の士郎を止めることは難しいかもしれないなぁ)」
懐から護符を取り出し、霊夢はそれを足元へ貼り、
「ッ!」
何かを避けるかのように前転した。
「(いい勘だ)」
すると、元々霊夢のいたところへと小石が投げ込まれた。
小石といえども侮るなかれ、勘で対応しなくてはいけなかったその小石には速度が乗っていた。
そして、その速度は威力に直結する。
小石は的確に霊夢の貼った護符を削り取った。小石のぶつかった石畳がまるで小型隕石の落下地点とでもいうかのようにクレーターを作った。
その様子に霊夢は(金銭的な辛さと威力の恐ろしさに)舌打ちをしながらも新しい護符を懐から取り出す。
数枚を士郎に対して投げつけるも、士郎は手に持った小石を護符にぶつけることで相殺する。
紙片となった護符を見て、霊夢は何かを思いついたかのように護符を取り出した。
「なら・・・これでどう!」
霊夢は護符を破いて息吹に乗せて風に躍らせる。
「ほう、拡散させたというわけか」
風に乗った護符は『淡い光』をもっており、士郎はそれに警戒の意を含めて触れないようにした。
当たればなんらかの効果を発揮するものではあれど、
「当たらなければ」
現在、士郎は一切の強化を施していない、ただ効率的な筋肉の使い方をしているだけだ
筋肉の収縮と爆発を最大限に有効的な場面で使用することで己の身体能力の限界値を引き出しているのだ
士郎の自己決定した手加減の内容は『魔術の不使用』である。
強化はもちろん、投影においても使用しないと決めている。
そして今も、士郎は移動の際に可能な限り身を低くして足の筋肉を収縮し、爆発的にそれを戻すことで一瞬で霊夢の横へと移動した。
「どうということはない!」
胸の前でクロスを組んでガードの姿勢をとる霊夢、それに対して士郎は極めて冷静を務めてゆっくりと動いた。
人体の急所、そう聞いてまず思い浮かぶのは金的や鳩尾、目や鼻などの外部からの攻撃に弱い場所だろう。
ここで士郎がとった行動は極めてシンプル、超高速で何度も突く。
士郎は霊夢の胸部に中指で優しく触れると、少し、しかし芯に響くように突いた。
骨に伝わった振動がその奥にある肺へ、そして振動は呼吸のリズム、血液の流れ、供給のシステムに異常を発生させた。
まず最初に来るのは痛みだった、振動によって無理やり流れを加速させられた血液が体の中を燃えるような痛みを伴って巡る。
そして次に圧迫、振動によって崩れた呼吸のリズムを戻そうと一度すべての息を吐き出そうとした霊夢は、振動によって強制的に『息を吸う』という行為を行い、それが意図した動作ではなかったがために脳が混乱、吸うことはままならず、振動に従うようにして続いて『吐く』の動作に移行する。
「ぐっ・・・ひゅ・・・!」
肺に入っていた空気が全て抜き出たのを感じた霊夢は新たな酸素を求めて思わず上を向く。
「(息がッ…だめ、上を向いたらガードが)」
攻撃をしようと霊夢は新たな護符を取り出した。
そこに、士郎は追撃をかけるように顎に指を添えると思い切り横に弾いた。
「あっ」
それによって脳震盪を起こした霊夢は、意識が途切れるのを感じた。
士郎はふらりと揺れる霊夢を見下ろしながら受け止めるためにか、それとも追撃のためにか、掌をひらいて差し出していた。
戦闘中に掌をひらく、それは打撃を使用している士郎しか知らない霊夢にとって、戦闘の終了を告げているように思えた。
「(まだ・・・!)」
左手で懐から護符を取り出し、差し出された士郎の手を払いのける。
右手を前に、中指だけを地面へと向けて言霊を紡ぐ。
「風然三式…ッ小縛結界!」
風然、名の通り風を利用した巫術の一つで一式から二七式まで種類を持つ、主に一式から一二式までが結界術や行動阻害を目的としたもので、それ以外は全て攻撃か応用力の高い物が揃っている。
言霊が意味を成し、外界へと働きかける。
まるで逆風、士郎の知覚する全方向から風が押し寄せてきた。
初めて見る結界術に驚きながらも士郎は払いのけられた手で再び霊夢の顎を掠めた。
「(まだっ…!)」
膝から崩れ落ちるように意識を失いかけた霊夢は最後の維持で手に持った護符を士郎の体へと貼り付けた。
「結界術…爆連鎖・破」
そして、呟いたその言葉に反応したかのように今しがた貼り付けられたその護符が赤く光った。
士郎はその護符を思い切り剥がして小さく丸め、空中へと放った。
護符が熱を発し、その内側から大きなエネルギーが感じられた。
巻き込まれないため、士郎は大きくバックステップを取る。
空中で護符が爆発を起こしたが、士郎は一切の傷を負ってはいなかった。
「いいセンスだ」
だが、込められた霊力が足りない、それでは発揮できる威力も限られてしまう。
「片《へん》」
霊夢のその言葉の後だった。
士郎の体、その至るところが『淡く光った』
士郎の脳裏に先ほど霊夢が使用した護符の破片の紙吹雪が思い出される。
そして、先ほどの風の結界、周囲からの逆風ということは士郎を中心として周囲の風が集まっていたということ。
そうなれば軽い護符の破片は士郎の元へとやってくる。
体中に張り付いた護符の紙片、感じ取ってみればその紙片からは少なからずの霊力を感じた。
「なるほどな、これは一本取られた」
士郎の体の『淡い光』を伴った部分が小さく、しかし確実に熱量を持った爆発を起こした。
「グッ・・・」
よく練りこまれた霊力が牙を剥き、士郎の肌を赤黒く焼いていく
爆発に次ぐ爆発、なおも続いている風然三式の結界は周辺の紙片を逃すことなく集めている
「はぁああぁぁあぁあぁあ!」
霊夢の咆哮の後、風がさらに強くなり士郎へと鋭い何かが飛来した。
四方から迫るそれを止めようと構えると、それは途中でとまり『白い光』を放った。
「結界術・・・定縛結界!」
最初に使用された針を用いた結界、士郎はふと使用後にまだ霊力が残ったまま放置されてしまった針を思い出した。
自分の体の自由が若干奪われたことに驚きを感じながらも、士郎は霊夢から繰り出される全力であろう一連の攻撃を受け続けた。
紙片の多さから爆砕音はしばらく続いたが、『淡く光る』紙片がまだあるというのにその音は止んだ。
「夢想…」
何かくる、士郎は悟った。
爆発で起きた砂埃が風前三式によって士郎へと集まり、士郎は視界の宜しくない状況にある。
見えない、それでも今の霊夢はとてつもない量の霊力を練り上げて何かを狙っている。
「(強化を使うか…?)」
そんな考えが過る程に、その霊力の質は高く、警戒に値した。
「ふ…うぐっ」
霊夢の嗚咽が聞こえ、士郎を取り巻く結界が解かれる。
「(どうしたんだ?)」
と士郎は考えるも、砂埃が晴れたことによってその理由は分かった。
理由は、倒れ伏す霊夢が何よりも証明していた。
「もう、護符がない…」
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確かに、実力差は証明されたが、それ以上に士郎は霊夢の持つバトルセンスと発想の柔軟さに感心していた。
そして、それと同時に結界術に対する興味を持ち出していた。
博麗神社、この地は幻想郷において霊脈の集まる場所にあり、また、そこに住む巫女は必然的に類まれなる巫力の持ち主となる
博麗霊夢はその典型である。彼女の場合は元から持ち合わせた類まれなる才能とその土地による恩恵によって天才の名を欲しいままにしていた
それでも、敗北は知っていた
時には妖怪に、時には概念に、時には時間という流動に
博麗霊夢の人生は決して勝利に満ち溢れたものというわけではなかった
そして今日、またひとつの敗北を得た
それがこれから先の彼女の人生を大きく左右する敗北であったことを、彼女はまだ知らない。
改訂作業中
ご飯食べてから慧音(中)慧音(下)を改訂更新します。