士郎が慧音に提案したお礼、というよりもお願いは寺子屋で働かせて欲しいということだった。
ここで衛宮士郎の学力について説明しよう。
文学という面であれば問題はない、というよりも多くの語学に精通している。
精通していなければ到底やっていけなかったのだから当然といえば当然だ。
体育に問題がないのはもちろん、一時期は衛宮切嗣の真似をして銃器を扱っていたこともあり、細かな計算を必要としたために数学や物理学も一般教養以上に達している。
なによりも子供たちのためになるであろうことは、彼の人を思いやる思想そのものであった。
「わかった。来週からでも働けるように手配しよう」
故に、慧音に断る理由はなく、むしろ万年の悩みであった寺子屋の人員不足が解消されるのだから願ったり叶ったりだ。
かくして、衛宮士郎は働き先を見つけたわけなのだが、衛宮士郎にはもうひとつの懸案事項があった。
そう、住宅の確保である。
現在は霊夢に気に入られているという点からも博麗神社に居候させてもらっているが、人里で職に就くとなればそういうわけにもいかない、
人は、今というぬるま湯に浸かり続けることは出来ない、
衛宮士郎に、決断の時が迫っていた。
~翌日・博麗神社~
衛宮士郎は一人、厨房にて味噌を溶かしながら悩んでいた。
自分のこれからの住まいについて。
正直、博麗神社にずっと住まわせてもらうということすら選択肢として考えていた。
おそらく霊夢は許してくれるだろう。根拠はないが、あの巫女はそういう女性なのだと確信できた。
心から頼み込めば恐らくはまじめに考えてくれる。
それはすこしの暮らしを共にして見えてきた彼女の本質と、優しさからの確信だった。
ある日のことだった。
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珍しく参拝客がやってきていて士郎は境内の掃除をしながらその男性参拝者の様子を見ていた。
歳は20も半ばといったところ、人里で見る和風な服装でこそあるのだが、どこか格式張ったというか、何か大切な時に臨もうとしている格好に見えた。
それを見てなのか、それとも珍しい参拝客を逃すまいとしてなのか霊夢が彼へと近づいていった。
霊夢の姿を見ると参拝客の彼は一瞬戸惑いを見せ、霊夢へと視線をただただ浴びせた。
その視線も気にせずに霊夢は参拝客へと話しかける。
「ようこそお越しくださいました。本日は如何様な願いをお運びいただいたのでしょうか?」
「(誰だあれ…)」
士郎が疑問に思うのも当然、普段は敬語を使うことのない霊夢が参拝客の前では敬語なのだ。
珍しいものを見たと思いながらも士郎は溜まってきた落ち葉をまとめておくための箱へと入れに行った。
こうして博麗神社で集めた落ち葉は定期的に人里の農家のひとへと肥料として渡したり、人里から離れて山奥で暮らしている人の所へと持っていくのだという。
とはいえ今は夏、落ち葉はそれほど多くなく、境内の掃除といえば石畳の細かなところに入り込んでしまった砂を除くことくらいだろう。
肥料棚に落ち葉をしまい、参拝客もいるということなのである程度服についた砂埃などを取り払ってから境内の方へと戻る。
するとどういうことだろうか、士郎の目に飛び込んできたのは土下座をする先程の参拝客だった。
霊夢はというとその参拝客の目の前で腕組をして立っている。
士郎は状況が理解できずに、その時はただひたすらに掃除に専念した。
しばらくして、参拝客が大きな声で「ありがとぉございましたぁ!」と言って帰っていった。
士郎はすぐさま霊夢の元へと走り、先ほど何を話していたのか訪ねた。
「え?さっきの参拝客?あぁ、この辺に住んでる木こりの人みたいでね、あの人なら告白の前の縁起担ぎってことでここに来たみたいね」
「縁起担ぎか・・・うちって恋愛成就で有名だったりするのか?」
「いいえ、どちらかというとなんでもかんでもぶっ壊す方が得意な神様でも祀られてると思うけれど」
その言い方に、士郎は疑問を感じた。
「思う・・・霊夢、自分の神社で祀ってる神様では?」
今の言い方ではまるで祀られている神様を知らないかのように聞こえたのだから質問せずにはいられない
「だって、私興味ないもの、祀ってる神様なんて」
「…神仏というのは馬鹿にしない方がいいぞ、彼らは意外と嫉妬深い所があるからな」
「あーもう、わからないことをグチグチ言っても仕方ないのよ、今はあの参拝客の話でしょ!」
「あ、あぁ」
語気の強くなる霊夢に押されて思わず頷く士郎、
もちろん心中では「(巫女・・・巫女か、幻想を抱き過ぎていたということか)」と疑問が生まれているわけなのだが、
「なんでも、告白する前に勇気が欲しいとかでうちに来たみたいなんだけどさ、色々とまくし立てられて心の中曝け出しました!って感じだったんだけどさ、男だったらそのくらい神頼みじゃなくてビシッと自分の気持ち伝えて自分だけのチカラで物にしろってモンなのよ!だからそれをそのまま伝えてやったらいきなり土下座されてさ、
『巫女の身でありながらすべてを神に任せるのではなく人の身に備わる心という物を大切にせよということですね!なんてありがたいお言葉だ!ありがとうございます!』
なんて勝手な解釈されちゃってさ、まぁ向こうが納得したなら別にいいんだけどさ、ただどうにも、自分の考えを言っただけで感謝されるっていうのは変な感じね」
驚いた。
霊夢というこの女性が持つ価値観と、そのぶつけ方に、
口調は彼を罵倒しているようにも聞こえるものだ。
しかしその実、彼女は彼の心からの悩みに心からの返答をしている。
「私は、すごいと思うがな」
どこに、自分の意見ばかりを言う人間に対して感謝をする人間がいるだろうか、
どこに、自分の意見ばかりを言って人から感謝してもらえる人間がいるだろうか、
だから、
「あの参拝客も霊夢も、すごいと思うがな」
言葉が少なすぎただろうか、霊夢は士郎を見つめて怪訝な顔をしている。
「とにかく私が言いたいのは、またひとつ霊夢の素敵なところを発見できたってことだ」
「は?士郎どうしたの?私のこと口説きたいの?」
ド直球にぶち込まれる言葉に度肝を抜かれるも、反撃を返す。
「もしも口説くつもりなら、前置きなんか無しに正面から告白するさ」
「あらそう」
会話はそこで終わり、
二人は自分のしていた作業へと戻っていく。
「それは、少し残念ね」
霊夢のつぶやいた言葉に気づかぬままに、時は刻まれて行く。
言葉は無く、静かな空間。
だが二人にとっては、その静けさが落ち着きを運んでくれる。
在るべき時間がそこには在った。
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心からの言葉に、霊夢は心からの言葉で返す。
心からのお願いであればきっと、霊夢もまた心からの返答をするだろう。
深い考えの先で答えを出してくれるだろう。
だからこそ、彼女には頼めない、
自分で見つける必要がある。住む場所を、
そこで、思い返してみた。
自分が今知っているのは人里と博麗神社の2つの場所でしかない、
魔理沙はどこに住んでいる?
私は知らない、
人里から続くあの森の先には何がある?
私は知らない、
あの日見た空はどこまで広がっている?
私は知らない、
私は、この幻想郷でどこを家と呼べばいい、
私は知らない、
・・・なら、探そう。
この幻想郷という土地で、衛宮士郎の身を置くべきところを。
IFルート
「これはお願いに近いのだが…慧音、君と住まわせてもらう事は出来ないか?」
衛宮士郎のお願いは突拍子も無い事だった。
告白と受け取ってもおかしく無い言葉に、慧音は思考が停止した。
思考の停止した慧音の脳に自然と何処かからダウンロードされる不思議な光景、
………………………………
自分はいつも通りの蒼を基調とした服を身に纏っていて、ちゃぶ台を前にして腕の中に誰かを抱いている。
『もうこんな時間、もうすぐでお父さんが帰ってくるからな』
言い聞かせるようにして呟いた言葉を理解出来る年齢では無いその腕の中の幼子は、まるで言葉が分かっているかの様に笑顔になった。
幼子は他者の副交感神経に影響され易い、実際は慧音が笑顔になっているのを見て影響されて微笑んだその事実に気付かぬまま、慧音は慈愛の乙女として微笑んだ。
少しして、ガラガラと戸が開けられる音がした。
『今帰った』
厳格な声、しかし文字通りに厳しさだけが含まれているのでは無い、そこには優しさも含まれている。
『あぁおかえり、今日もお疲れ様』
出迎える慧音の声も弾んでいる。
何度も繰り返したやりとりだというのに、慣れはこなかった。
むしろ、回数を重ねるだけ共に過ごした日々を実感出来て嬉しさばかりが募っていった。
『今日は久しぶりに同僚から君の事を聞かれたよ、元気でやっているのか、とね』
ネクタイを緩めながら慧音に語りかける男性は褐色の肌を黒いスーツで覆っている。
そのスーツを脱いで玄関にある上着掛けにやると、白いワイシャツが見えた。
『何て答えたんだ?』
弾んだ調子で問い掛ける慧音に、男性は口元にニヒルな笑みを浮かべて返す。
『私の知る限り、夜中に時折閨を共にする位には元気ですよ…と』
その答えに紅潮した慧音はポカポカと男性の胸元を叩きながら、段々と勢いを弱めていき遂には男性の胸元に顔を埋めた。
『悔しいけれど正解だ』
『あぁ』
互いに背中に腕を回して抱きしめ合う。
幸せを実感し、実感した事でその幸せが増幅する。
まるで魔法だ。
幸せがどんどん膨らんでいく。
その幸せが器から漏れ出て、形となった存在が居間で鳴き声を上げた。
『あぁ、音嗣にも挨拶をしないとな』
『ふふっ、お父さんが待ち遠しかったんじゃないか?』
実際その通り、幼くとも頼れる存在は分かるものだ。
『…その、君はどうだったんだ』
いじらしい、そう感想を抱いた慧音を誰が責められようか。
嬉しい、そう感想を抱いた慧音を知れば男性は愛しく感じるだろう。
『良い事を教えよう、子は、親に似る物だよ』
遠回しな答えだが答えには他ならない、今日も日々は過ぎて行く。
幸せな時間を歴史に刻みながら。
……………………
「はわわはわ…はわわ」
暗号文を口にしているわけでは無い、混乱だ。
「…駄目、だったか?」
捨てられた子犬、衛宮士郎の瞳が寂しさを物語った。
「そ、そんなことはない!少し変な想像をしてしまっただけだ!」
「そ、そうか」
正直とは美徳なのか、この質問に返す答えがあるとするならば「むしろデザートです」と意味不明な物になるだろう。
「(一体どんな想像を繰り広げたのか…)」
乙女の胸中を察する事が苦手な男、衛宮士郎。
検定を受けさせれば合格するのでは無く試験管の乙女心を打ちぬく程の手練だというのにどうしてこうも鈍いのか。
「今の答えからすると、共に暮らしても構わないということか?」
「あ、あぁ、色々と任せてくれ」
何処まで想像が進んでいるのか記載する事は可能だが、それを記載した場合、安楽椅子探偵のミステリー小説一冊と同じ分量になる為控えておく事にしよう。
「それじゃあ、細かい所はまた今度話し合おう、それと…」
「それと?」
「その…出来れば働き口を紹介してもらえると助かる」
働き口の紹介、足す事の一緒に住む事のお願い、イコールすることの養う為、導き出された答えに二乗することのイコール結婚。
「お、ぉぉお、ぉお、おぉ、お任せあれだ」
くるみ割り人形の様な動きをしながら答えた慧音に、士郎は思わず笑みが零れた。
「ふ…楽しくなりそうだ」
「あ…あぁ!」
二人の生活が始まるのはそれから一週間後のこと、人里で盛大に祝われた二人の結婚式は話題になり、多くの人が数カ月はそのネタで寺子屋に新しく入ってきた新任の教師をからかったという。
これは、もしかしたらあったかもしれないIFの世界の物語。