「それでは行ってくる。夜までには帰るとは思う」
そう言って、士郎は玄関から出かけていった。
「えぇ、行ってらっしゃい」
行ってらっしゃいと言えることが嬉しいのは彼には内緒だ。
博麗の巫女として日々を過ごす中で、私は一人の生活に慣れていた。
玄関の戸がしまり、家の中から音が消える。
私があるけば、音はなる。
私がなにもしなければ、音は無い。
士郎が来てからというもの、士郎がいないこの時間がとても寂しい。
彼はおかえりを言ってくれて、いってらっしゃいを言ってくれた。
ただそれだけ、それだけが嬉しかった。
彼は食事を作ってくれて、たまに私が作ったりもした。
ただそれだけ、それだけが嬉しかった。
彼は私が寝転がっていると、何も言わずに毛布をかけてくれた。
ただそれだけ、それだけが嬉しかった。
恋とかじゃなく、家族という存在を自分が求めているのだと分かった。
ただそれだけ、それだけが悲しかった。
家族という存在を知らなかったわけじゃない、もちろん私にも家族は居た。
居たからこそ、家族という暖かさに再び触れることでもう一度望んでしまったのだ。
しかし、私に私の望みがあるように、彼にも彼の望みがある。
私は自分の望みを、彼に押し付けることはできない。
だって、きっと彼はその望みを受け入れてくれるから。
ある日、私は彼に言ったことがあった。
『ねぇ士郎、貴方、私の仕事を手伝わない?』
仕事、つまりは妖怪退治だ。
士郎はしばし思案した後に、快諾をしてくれた。
そしてその日の午後、人里から1km離れたところにある監視塔の老人から妖怪が出没したとの伝書を受け取った。
その時、私はかねてより準備をしていた妖怪封印の仕事が入っていたため、退治の方を士郎に任せることにした。
結果、私は後悔した。
もっとも、後悔したのは士郎が帰ってきてすぐではなく、その時の様子を監視塔の老人が語ってくれたからだ。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
赤い兄さんが駆けつけた頃には妖怪が人を傷つけていてね、
いや、傷つけてなんて表現でごまかしちゃいけないね、そう、食べてたんだ。
それを見た兄さんはどこからか弓を取り出したんだけどね、その妖怪が口元を歪めて笑うんだよ、右手に幼子を抱えてさ、
ようするに人質に取られちゃったわけだね、この点に関しては兄さんはなにも悪くないんだ。無用心に近づいていったあの子供が悪いからね。
それで、妖怪はいうわけさ「殴られろ」って、
あの兄さんは言われたとおり殴られたよ。
殴られて殴られて血を流して口元に悔しさを噛み締めて妖怪を見つめては殴られて血を流して周りはその姿に涙して感謝の言葉を告げて殴られて殴られて足蹴にされて殴打をされて叩きつけられて服は破れて肌は傷んで肉まで裂けた――
そう、そのあたりで妖怪の動きが止まった。
兄さんの体に叩き込んだ拳を見て、悲鳴を上げたんだ。
同時に兄さんが素早く動いて幼子を取り返したかと思うと、どこからか取り出した白と黒の綺麗な剣でその妖怪の頭を切り落とした。
その時、見えたんだよ。
わしらは兄さんが痛めつけられる様を見まいと目を逸らしていた。
だからその時初めて気づいたんだ、兄さんの体が変だってことに。
血だらけで、痣だらけで、見るに痛々しいその姿なのに。
兄さんは平然としていた。
体から剣を生やしてね・・・
兄さんはその視線に気づいたんだろうね、何かさみしそうな顔をすると、助けた幼子の頭をポンポンと軽くたたいてそこから去ろうとしたんだ。
去ろうとしたその背中に、石をなげつけられていたよ。
幼子の父親だった。
口から出る言葉は「触るな化物」だ。
助けられた恩ってのはどこにいっちまったのかね、周りの人まであの兄さんに向かって辛辣な言葉を言っていたよ。
そんな中で、兄さんはわしに視線を向けると、小さく会釈をして去っていった。
あの兄さんなら走って帰ることもできただろうに、なんでか歩いて帰っていったよ。
え?ちょ、ちょっとまちなよ巫女さん、その父親がどこにいるかって、そんなこと聞いて何をするつもりだい。
な、殴る?や、やめておくれよまた問題を起こすのは勘弁だ。
え?またってどういうことかって?
ははっ、なぁに、わしの拳もたまには役に立つ時があったってだけさ。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
そんなことがあったにも関わらず、士郎は私がどうしても妖怪退治の仕事ができないとき、何度かそれを手伝ってくれた。
一言の文句も、一言の苦言も呈さずに。
きっと、出来た傷は彼の言う『魔術』でどうにでもなるのだろう。
なんて馬鹿。
なんて壊れた男だろう。
そんなに辛いことがあったのなら、私に話せばいいのに。
わかっている。
話せばきっと、もう私が手伝いをお願いしないと思ったのだろう。
話せばきっと、私を助ける口実がなくなると思ったのだろう。
なんて馬鹿。
でも、ただ、ただそれだけ。
その思いやりが、嬉しいと感じてしまった。
なんて馬鹿な私、
さっきだってそうだ。
『士郎、もちろん新しい家が見つかっても食事は作りに来るのよね?』
本音は違う、新しい家が見つかっても一緒にいて欲しかったのだ。
『一人暮らしなんて士郎は寂しくてすぐにダメになっちゃうんじゃないの?』
寂しいのはどっちだ、ダメになってしまうのはどっちだ。
「はぁ」
思わず溜め息をつく。
「士郎」
思わず彼の名を呼ぶ。
「ばーか」
ほんと、馬鹿はどっちなのやら…。
博麗霊夢は一人、誰もいない家の中で膝を抱えた。
膝を抱え、目を閉じていたら眠れると思って、
そう、起きたらきっと、彼がいるだろうと望んで、
家族がいるだろうと望んで。