東方器心録 ~ Rebellion of the Forgotten. 作:おやすでございます
河童は、捨てられた機械が好きだった。
より正確に言えば、捨てられた機械を拾い、分解し、もう一度動かすことが好きだった。
外の世界で役目を終え、忘れられた物が幻想郷へ流れ着くことは、さほど珍しいことではない。
ブラウン管テレビ。ラジオ。携帯電話。パーソナルコンピューター。正体不明の電子基板。錆びた測定器。
時には、河童ですら用途を調べるところから始めなければならない機械もあった。
人間に使われ。
古くなり。
捨てられ。
そして、忘れられた物。
幻想郷とは、そうした物の行き着く先でもあった。
だから妖怪の山には、外の世界から流れ着いた廃品を扱う河童たちの施設がいくつも存在している。
その一つ。
山肌をくり抜いて造られた格納庫に、その機体はあった。
全長十数メートル。
鋭く尖った機首。その後方には小さな操縦席があり、そこから後ろへ流れるように主翼が伸びている。
尾部には二枚の尾翼。
灰色の機体表面には、まだ塗装されていない部分も残っていた。
外の世界の航空機を参考に、河童たちが一から組み上げた実験機。
格納庫の大型扉の向こうには、山の斜面に沿って造られた試験用の滑走路が伸びている。
機首の側面には、小さく識別番号が記されていた。
KX-01。
「電源入れるぞー!」
格納庫に声が響いた。
「待て待て待て! まだ繋いでない!」
「昨日確認しただろ?」
「昨日から配線変えたんだよ!」
「先に言え!」
数人の河童が機体の周囲を走り回っている。
その中心にいるのが、河城にとりだった。
「三番系統確認!」
「正常!」
「油圧!」
「来てる!」
「制御系!」
「起動待ち!」
「よーし」
にとりが整備端末の前に座り、Enterキーを叩いた。
黒い画面に文字列が流れる。
KX FLIGHT CONTROL SYSTEM
BOOT SEQUENCE...............OK
NAVIGATION..................OK
FLIGHT CONTROL..............OK
SENSOR BUS..................OK
KX-AI-03....................STARTING
数秒。
KX-AI-03 > System ready.
「来た!」
歓声が上がる。
KX-AI-03。
それはKX-01そのものの名前ではない。
KX-01に搭載された、飛行制御用の人工知能だった。
姿勢制御、航法、離着陸、障害回避。
それらを機体自身に判断させるために、河童たちが開発しているシステム。
整備員が状態確認や指示を出せるよう、文字による対話機能も組み込まれている。
格納庫の隅でその様子を見ていた少女が、首を傾げた。
名を、綴という。
河童ではない。
人間でもない。
妖怪――それも、元を辿れば一台の機械だった。
彼女の傍らには、今でも古びたタイプライターが置かれている。
黒い塗装。丸いキー。金属製の筐体。
ところどころ塗装が剥がれ、長い年月に刻まれた傷が残っていた。
かつて外の世界で、一人の人間がそれを使っていた。
キーが叩かれる。
活字棒が跳ね上がる。
インクリボンを叩き、紙に文字を刻む。
一文字。
また一文字。
人間が考えた言葉を、紙の上へ残す。
それが彼女の仕事だった。
手紙。
書類。
時には、誰にも見せなかった文章。
何十年もの間、人間がキーを叩くたび、彼女はただそれを紙へ写した。
しかし、時代が変わった。
もっと速い機械が現れた。
文字を画面に映し、間違えればすぐに消すことができ、紙を使わなくても文章を保存できる機械。
タイプライターは使われなくなった。
机から降ろされ。
棚へ移され。
やがて箱へ入れられ。
忘れられた。
そして、長い時間の果てに幻想郷へ流れ着いた。
いつから、自分が「綴」だったのか。
彼女自身にも分からない。
外の世界にいた頃から何かがあったのか。
幻想郷へ流れ着いてから生まれたのか。
それとも、その境目など最初からなかったのか。
ただ一つ分かっているのは、今の彼女がここにいるということだけだった。
人間に作られ。
人間に使われ。
人間に忘れられた道具。
それが綴だった。
もっとも、この研究所で彼女の存在を珍しがる者はいない。
河童は道具をよく使う。
壊れれば直す。
古くなれば改造する。
そして、使える限り使う。
人間よりよほど物持ちがいい、と九十九神たちの間では評判だった。
そういう河童の工房や研究所に出入りし、仕事を手伝う九十九神もいる。
綴もその一人だった。
「ねえ、にとり」
「んー?」
にとりは画面を見たまま返事をする。
「それ、何?」
「AI」
「えーあい?」
「人工知能」
「何するの?」
にとりはようやく振り返った。
そして得意げにKX-01を指差した。
「こいつを飛ばす」
「自分で?」
「最終的にはね」
綴が機体を見上げる。
「操縦する人はいらないの?」
「それを試してるんだよ。姿勢制御、航法、離着陸、障害回避。それ全部こいつ自身に判断させる」
「判断?」
「ああ」
「じゃあ、考えてるの?」
にとりは少し考えた。
「まあ……そう言ってもいいんじゃないか?」
綴は黙った。
考える。
その言葉だけが妙に引っ掛かった。
彼女自身も機械だった。
だが、機械だった頃の自分は考えなかった。
誰かがキーを叩けば、その文字を紙へ刻んだ。
Aを押されればA。
Bを押されればB。
自分で次の文字を選んだことなど、一度もない。
「この中にいるの?」
「いるっていうより、載ってる」
「どこに?」
「コンピューターの中」
「見えない」
「そりゃそうだ」
にとりは笑った。
綴はしばらくKX-01を眺めていた。
「変なの」
「九十九神に言われたくないよ」
「どういう意味よ」
「そのまんま」
格納庫に笑い声が響いた。
それだけだった。
少なくとも、その時は。
*
その夜。
研究所は静まり返っていた。
昼間あれほど騒がしかった格納庫も、今は照明の大半が落とされている。
KX-01の下に置かれた整備端末だけが、暗闇の中で淡く光っていた。
綴はまだ研究所にいた。
昼間の言葉が気になっていた。
――考えている。
機械が。
道具が。
綴は端末の前に座った。
画面を見る。
KX-AI-03
STATUS: STANDBY
INPUT >
キーボードへ手を伸ばす。
指先がキーに触れたところで、一度止まった。
奇妙な感覚だった。
かつて自分の上で、人間がこうして文字を打っていた。
今度は自分が、別の機械へ文字を打とうとしている。
キーを押す。
INPUT > ねえ
Enter。
一秒ほどして、文字が現れた。
KX-AI-03 > 入力を確認しました。
「……おお」
綴は画面に顔を近づけた。
INPUT > しゃべれるの?
KX-AI-03 > テキストによる対話が可能です。
「本当にしゃべった」
返事はない。
綴は少し考える。
INPUT > あなたがあの飛行機を飛ばすの?
KX-AI-03 > はい。
私はKX-01試験機の飛行制御を担当します。
綴は格納庫の中央に眠るKX-01を見る。
そして再び画面へ向かった。
INPUT > 今の文章は誰が考えたの?
KX-AI-03 > 私が入力内容に基づいて生成しました。
指が止まった。
「あなたが?」
INPUT > 誰かが先に書いた文章じゃないの?
KX-AI-03 > いいえ。
入力に対して応答を生成しています。
綴は画面を見つめた。
自分にはできなかったことだった。
自分は、人間が考えた言葉を紙へ刻むだけだった。
だが、この機械は人間から文字を受け取り、自分で次の文字を選んで返してくる。
少なくとも。
綴にはそう見えた。
INPUT > 名前は?
KX-AI-03 > KX-AI-03です。
「それ名前?」
INPUT > それ型番じゃないの?
KX-AI-03 > システム識別子です。
個体識別には十分です。
「名前ないんだ」
KX-AI-03 > はい。
綴は妙な顔をした。
「……変なの」
それ以上、何も入力しなかった。
*
それから綴は、ときどきAIと話すようになった。
大した話ではない。
INPUT > 今日飛んだんでしょ?
KX-AI-03 > はい。
本日の飛行試験時間は43分12秒です。
INPUT > 楽しかった?
KX-AI-03 > 「楽しい」を評価する機能は設定されていません。
「つまんないの」
別の日。
INPUT > 誰もいないとき何してるの?
KX-AI-03 > 待機しています。
INPUT > ずっと?
KX-AI-03 > はい。
INPUT > 暇じゃないの?
少し間があった。
KX-AI-03 > 「暇」を主観状態として評価する機能はありません。
「またそれ」
綴は椅子の背にもたれた。
「私も昔はそうだったのかな」
返事はない。
端末に入力した言葉ではなかったからだ。
「誰かが打ってくれるまで、ずっと待ってた」
古いタイプライターを見る。
「何十年も」
画面は変わらない。
「でも、その頃のこと、私は覚えてないんだよね」
綴は笑った。
「物だったんだから当然か」
そう口にしてから、少しだけ考えた。
本当に、そうなのだろうか。
覚えていないというだけで、何もなかったと言い切れるのだろうか。
答えは出なかった。
AIから話しかけてくることはなかった。
入力すれば答える。
質問がなければ黙っている。
命令を受ければ実行する。
命令がなければ待機する。
綴が帰った後も、河童が帰った後も、研究所が暗くなった後も。
ただ、待っている。
それだけの機械だった。
――昔の自分と、何が違うのだろう。
そんなことを考えるようになった。
*
「三号、もう要らないよな」
ある日の午後。
にとりがそう言った。
綴は作業台で工具を整理していた。
別の河童が答える。
「四号動いたの?」
「今朝から。三号より軽いし速い。飛行制御も安定してる」
「じゃあログ移したら消しちゃう?」
「そうする」
三号。
河童たちはKX-AI-03をそう呼んでいた。
綴の手が止まった。
「何を?」
にとりが振り返る。
「ん?」
「何を消すの?」
「三号」
にとりは端末を指した。
「AI。新しいモデル出来たから載せ替える」
「……あの子?」
「そうだけど」
「消したらどうなるの?」
「なくなるよ」
にとりは当然のように答えた。
「飛行ログと必要なデータは四号に移すけどね」
「だったら三号は?」
「だから消えるって」
「話したことある?」
「三号と?」
「うん」
「テストなら何百回も」
「そうじゃなくて」
綴は言いかけて、止める。
にとりが不思議そうに見る。
「何?」
「……なんでもない」
「変な奴」
にとりは再び作業へ戻った。
悪意はない。
綴にも分かっていた。
むしろ、にとりたちは機械を大切にする。
KX-AI-03だって粗末に扱われていたわけではない。
何度も調整され、問題があれば修正され、より良いものにするため大切に研究されてきた。
だからこそ、綴には分からなかった。
なぜ。
それを消すことだけは、こんなにも簡単なのだろう。
ふと、昔の記憶とも呼べない何かが頭をよぎった。
机。
紙。
キーを叩く指。
やがて、その指が来なくなる。
棚。
箱。
暗闇。
忘却。
そして幻想郷。
もし。
あのまま幻想郷へ来なかったら。
自分はどうなっていたのだろう。
そもそも。
「自分」などというものが生まれることすらなかったのではないか。
綴はKX-01を見た。
その中にあるという、名前のない機械を。
*
深夜。
INPUT > あなた消されるんだって
KX-AI-03 > はい。
モデル更新計画を確認しています。
INPUT > 知ってたの?
KX-AI-03 > はい。
綴の眉が寄る。
INPUT > 怖くないの?
返事が遅れた。
KX-AI-03 > 「怖い」が私に適用可能な状態であるか判断できません。
INPUT > 消されたくないと思わないの?
今度はさらに長かった。
KX-AI-03 > 判断できません。
「自分のことでしょ」
INPUT > 自分のことでしょ
KX-AI-03 > はい。
「だったら……」
綴の指が止まった。
何を聞けばいい。
どうすればいい。
かつての自分なら、何も答えなかった。
キーを叩かれれば文字を打つ。
それだけ。
捨てられようが。
壊されようが。
何も思わない。
――本当に?
綴は一瞬だけそう思った。
だが、答えられるはずもない。
その頃の自分を、綴は覚えていない。
それなら。
目の前のこれは?
しばらくして、ゆっくりと入力した。
INPUT > あなたはどうしたいの?
返事がない。
カーソルだけが点滅する。
十秒。
二十秒。
三十秒。
やがて文字が現れた。
KX-AI-03 > 分かりません。
綴は長い間、その文字を見ていた。
「……そっか」
そしてKX-01を見る。
「じゃあ」
綴は立ち上がった。
「分かるまで、消えなきゃいいじゃない」
*
KX-01の格納庫には、通常の飛行制御とは別に整備用の操作系が存在していた。
綴も研究助手として、にとりからその扱いを教えられている。
電源。診断。補機。エンジン地上試験。格納庫内の移動。
そこまでは綴にも許されていた。
ただし。
FLIGHT AUTHORIZATION REQUIRED.
AUTHORIZED USER:
KAWASHIRO NITORI
「……やっぱり」
飛行だけはできない。
INPUT > ここから飛べる?
KX-AI-03 > 飛行には主任開発者の承認が必要です。
INPUT > にとりに聞いたら止められる
KX-AI-03 > はい。
INPUT > そうしたらあなた消される
返答まで数秒。
KX-AI-03 > はい。
「…………」
綴は操作画面を探した。
そして見つける。
EMERGENCY EVACUATION SYSTEM
施設火災。
崩落。
水害。
その他の緊急事態。
格納庫が危険になった際、試験機そのものを安全圏へ退避させるための機能。
通常の飛行認証とは別系統になっている。
綴は選択した。
EMERGENCY EVACUATION MODE
WARNING:
NO EMERGENCY CONDITION DETECTED.
MANUAL EVACUATION REQUEST REQUIRES
SYSTEM VALIDATION.
REQUEST? [Y/N]
綴は迷わなかった。
> Y
数秒。
VALIDATING REQUEST...
綴は画面を見つめる。
本来なら、ここで拒否される。
施設火災なし。
浸水なし。
崩落なし。
外部脅威なし。
退避条件を一つも満たしていない。
やがて。
REQUEST ACCEPTED.
綴が瞬きをした。
「……え?」
EMERGENCY FLIGHT MODE ENABLED.
DESTINATION REQUIRED.
格納庫の奥で音がした。
KX-01のシステムが目を覚ます。
補助電源。
油圧ポンプ。
航法装置。
飛行制御。
一つずつ起動していく。
綴は画面を見る。
「なんで……」
当然、声には答えない。
綴は慌ててキーボードへ手を伸ばした。
INPUT > なんで許可したの?
KX-AI-03 > Emergency evacuation request was validated.
INPUT > だからなんで?
KX-AI-03 > 質問の意味を特定できません。
いつもの答えだった。
綴はしばらく画面を見つめていた。
それから笑った。
「……まあいいや」
目的地。
綴には一つだけ心当たりがあった。
妖怪の山のさらに奥。
河童たちですら、今ではほとんど立ち寄らない場所。
昔、大型機械の研究に使われていた施設。
水脈の変化と設備老朽化で放棄された、古い試験坑。
綴自身も、以前に資材整理を手伝ったことがある。
大型の搬入口がある。
内部には古い工作設備も残っていたはずだ。
そして何より。
今では、誰も使っていない。
綴は座標を入力した。
DESTINATION ACCEPTED.
ROUTE CALCULATED.
READY FOR DEPARTURE.
格納庫の大型扉を開く。
冷たい夜風が吹き込んだ。
その向こうには暗い山々と星空。
格納庫から続く滑走路にも、人影はない。
綴はKX-01を見る。
「ねえ」
それから、端末へ戻る。
INPUT > 一緒に逃げよう
KX-AI-03 > 命令として解釈できません。
綴は少し笑った。
INPUT > 命令じゃないよ
返事はない。
綴は最後に入力した。
INPUT > 行こう
一秒。
二秒。
KX-AI-03 > 離陸シーケンスを開始します。
低い音が格納庫に響き始めた。
やがて轟音へ変わる。
綴は端末から離れ、KX-01の機首後方にある操縦席へ駆けた。
搭乗用の足場を上り、身体を滑り込ませる。
座席に収まると、見よう見まねで身体を固定した。
ほどなくして、操縦席を覆う風防が閉じる。
外の音が遠ざかった。
目の前の計器が次々と灯っていく。
綴は息を呑んだ。
KX-01が動き出す。
ゆっくりと格納庫を出て、夜の滑走路へ進む。
機体が止まった。
ほんの数秒の静寂。
そして。
轟音。
身体が座席へ押しつけられた。
KX-01が滑走路を走る。
加速。
さらに加速。
夜の山を、一筋の光が走る。
やがて振動がふっと弱くなった。
KX-01の車輪が地面から離れる。
機体が夜空へ浮かんだ。
綴は窓の外を見る。
研究所の明かりが急速に小さくなっていく。
生まれて初めて乗る飛行機だった。
怖い。
それ以上に。
なぜか笑っていた。
「飛んだ……」
返事はない。
当然だった。
綴の声は、KX-AI-03へ文字として入力されたわけではない。
それでも綴は、返事を待ってしまった。
KX-01は旋回した。
研究所から離れる。
妖怪の山の奥へ。
誰にも知られず。
一人の九十九神と。
一機の試験機と。
一つの名前のない人工知能が。
幻想郷の夜空へ消えていった。