あれは腹痛の薬ではなかったのかと不死人は言う 作:カズヤミサワP
これも皆様の応援とAIと無職になったおかげです。
次回というか二部を書くかどうかは未定です。
もし、書くとしたら戦争編になると思います。
今まで読んでいただきありがとうございました。
夜が明ける頃には、真継とガレネは出発の準備を終えていた。村の井戸へ立ち寄ると、水面は昨日よりさらにわずかに下がっているように見えた。暗い井戸の底を眺めたところで、実際にどれだけ減ったのかまでは分からない。それでも、このまま雨が降らなければ困るという村長たちの話が大げさではないことくらいは分かった。
井戸のそばでは、朝早くから水を汲む村人たちが並んでいる。以前なら見なかった光景だった。人が増えた分だけ、一日の始まりに必要な水も増えている。
「急いだ方がよさそうですね」
隣でガレネが言った。
「ああ」
真継は井戸から離れた。馬には食料と水、それに旅に必要な最低限の荷物を積んである。ダモンを買い戻すための金もガレネが持っていた。真継に任せると途中で何に使うか分からないという理由である。本人としては納得していなかったが、金額の価値が分からないことについて反論の余地はなかった。
村の入口には、村長とテロンが見送りに来ていた。
「いいか。まず話をするんだぞ」
村長が念を押す。
「分かっている」
「相手はラケオン人だ。ここで奴隷狩りを相手にするのとは違う」
「ああ」
「本当に分かってるか?」
「さっきから分かっていると言っている」
テロンが真継の腰を見る。そこには新しく作らせた曲刀が下がっていた。
「その剣を持ってる奴に言われてもな」
「道中で何が出るか分からんだろう」
「今回はそっちの意味で使ってくださいね」
ガレネが横から口を挟んだ。
「俺は何をすると思われてるんだ」
「それが分からないから皆さん心配してるんです」
真継は少し考えたが、やはり納得できなかった。
「とにかく、ダモンを見つけたら一度話をしろ。本人が来たくないと言うなら、無理に連れてくるなよ」
村長の言葉に、真継は頷いた。
「それは分かっている」
ダモンを連れてくるのは、水を得るためだけではない。本人がミュレアへ来る気がないなら、無理強いするつもりもなかった。
真継が馬に跨がり、その後ろへガレネが乗る。
「じゃあ行ってくる」
「気をつけろよ」
「ああ」
「特にお前がな」
テロンの最後の一言を聞き流し、真継は馬を進めた。
♢
ラケオンへ向かう道は、以前にも通ったことがある。ただし、前とは何もかもが違っていた。あのときの真継は馬の上ではなく、鎖に繋がれて歩いていた。自分がどこへ連れていかれるのかも知らず、周囲にいる者たちと同じように、奴隷として売られるのを待つだけだった。
今は腰に自分の武器があり、馬もある。行き先も自分で決めている。街道の景色そのものは大して変わっておらず、乾いた草地が続き、遠くには低い山並みが見えた。夏の日差しは強く、馬を休ませるたびに水を飲ませなければならない。
「この辺り、前にも通ったんですか?」
後ろからガレネが聞いた。
「ああ」
「奴隷だったときに?」
「たぶんな」
「たぶん?」
「歩かされていただけだからな。道を覚える必要もなかった」
当時は、逃げようとするより周囲のことを知る方を優先していた。世界のことをほとんど何も知らなかったからだ。そのとき隣にいたのがダモンだった。
「嫌じゃないんですか?」
「何がだ」
「ラケオンへ戻るのが」
真継は少し考えた。嫌かと聞かれれば、特にそうでもない。ガレー船で漕がされたことも、足を切り落として海へ逃げたことも覚えている。楽しい思い出ではないが、それを理由に土地そのものを恐れるほどでもなかった。
「もう終わったことだ」
「そういうものですか」
「俺にとってはな」
真継は前を見る。
「それに、今度は奴隷になりに行くわけじゃない」
「そうしてください」
「何だ、その言い方は」
「念のためです」
真継は意味が分からなかったが、そのまま馬を進めた。
昼を過ぎた頃から、街道にはラケオンの兵士らしい姿が増えた。槍と盾を持った男たちが数人で歩き、遠くの平地では若者たちが走り込みをしている。アテライのような雑多な賑わいはない。人の往来はあるが、武器を持った者の割合が明らかに多かった。
ガレネもそれに気づいたらしく、真継の背中越しに周囲を見ている。
「本当に兵士が多いですね」
「そういう国らしい」
「怖くないんですか?」
「何がだ」
「もういいです」
なぜか呆れられた。
♢
神託で示された場所は、ラケオンの北西にある大きな農園だった。三本の柏が並ぶ丘、広い麦畑、川から少し離れた土地。特徴だけ聞けば簡単に見つかりそうだったが、実際にはそうでもなかった。農園はいくつもあり、丘も珍しくない。途中で何度か土地の者に道を尋ね、そのたびにガレネが神殿で聞いた特徴を説明した。
真継が最初に、
「三本の木がある農園はどこだ」
と聞いたときは、ガレネに止められた。
「それだけじゃ分かりません」
「木は三本だぞ」
「三本の木くらい他にもあります」
「……それもそうか」
「そうです」
それからはガレネに任せた。
しばらく進むと、一人の農民が「あそこではないか」と教えてくれた。指された方角へ馬を進めると、やがて乾いた丘の上に三本の大きな柏が見えてきた。
「本当にありましたね」
ガレネが呟いた。
「神が言ったんだからあるだろう」
「そうなんですけど……」
丘の向こうには広大な麦畑が広がっていた。ミュレアの小さな畑とは比べものにならない。収穫を待つ麦が夏の日差しを受けて揺れ、その間を大勢の人間が働いている。畑の端には倉庫や住居らしい建物が並び、家畜を囲う柵もある。少し離れた場所には井戸があり、その周囲で何人もの奴隷が水を運んでいた。
「大きいですね」
「ああ」
「ここならダモンさんの恩寵を欲しがるのも分かります」
真継も同じことを考えていた。これだけの土地があれば、水は重要になる。地中の水を引き寄せられる男を手放したくないと思っても不思議ではない。
農園の入口で用件を告げると、最初に出てきた管理人は露骨に警戒した。真継の腰の剣を見ている。
「奴隷を買いに来た」
真継が言う。
「名前はダモン」
「ダモン?」
「デメテルの恩寵を持っている」
管理人の表情が変わった。
「……少し待て」
男が農園の奥へ消えていく。
ガレネが横から小声で言った。
「いるみたいですね」
「ああ」
それだけでも来た意味はあった。
♢
農園主は、五十歳に届くかどうかという男だった。日に焼けた肌に短く刈った髪。農園の主人にしては身体が大きく、肩や腕にはまだ兵士の名残がある。腰に剣こそ差していなかったが、立ち方を見れば戦いに慣れていることくらいは真継にも分かった。
「俺がこの農園の主人だ」
男は椅子に座り、真継とガレネを見た。
「ダモンを買いたいそうだな」
「ああ」
「なぜだ」
「水が必要だからだ」
農園主の眉がわずかに動く。
「恩寵が目当てか」
「それもある」
「それも?」
「知り合いだ」
男はしばらく真継を見ていた。
「どこで知り合った」
「一緒に奴隷だった」
今度ははっきりと興味を示した。
「ラケオンで?」
「ああ。俺はガレー船に回された」
「なら、なぜここにいる」
「船が沈んだから逃げた」
説明として間違ってはいない。農園主は声を上げて笑った。
「面白い奴だな」
「そうか?」
「普通はそんな顔で戻ってこない」
真継にはよく分からなかった。
「ダモンはいるのか」
「ああ」
「会わせてくれ」
農園主は近くにいた男へ命じた。
「呼んでこい」
真継は黙って待った。思ったより長く感じた。
やがて外から足音が聞こえ、一人の男が入ってきた。日に焼けており、以前より少し痩せたようにも見える。粗末な衣服を着て、足には土がついていたが、顔は覚えていた。
ダモンだった。
ダモンは部屋へ入った直後、農園主へ頭を下げ、そのあと真継を見た。しばらく動かなかった。
「……マツグ?」
「久しぶりだな」
ダモンの目が大きくなる。
「どうして……」
「迎えに来た」
「迎えに?」
ダモンはガレネを見る。それから再び真継を見る。
「生きていたんですか」
「ああ」
正確には何度か死んでいるが、今それを説明する必要はない。
「ガレー船に送られたと聞いていたので、もう会うことはないと思っていました」
「俺もここにいるとは思わなかった」
「それは……そうでしょうね」
少しだけ、以前と同じ困ったような笑い方をした。真継はそれを見て、わずかに肩の力が抜けた。生きていた。それで十分だった。
「それで、本当に迎えに?」
「ああ。ミュレアという村にいる。そこで水が足りなくなった」
「水?」
「人が増えすぎた」
「……どうしてそんなことに?」
「色々あった」
横でガレネが小さく咳払いする。
「ものすごく色々ありました」
「そうですか……」
ダモンはまだ理解できていない様子だった。
「お前の恩寵で地下水を探してほしい」
「私の恩寵は、水を作るものではありませんよ」
「ああ。地中に水がなければ使えん」
ダモンが驚いた顔をする。
「覚えていたんですか」
「必要なことだからな」
「……そうでしたか」
ダモンは少し嬉しそうだった。
農園主が椅子の背にもたれる。
「話は終わったか」
真継が振り返る。
「ああ。ダモンを売ってくれ」
「断る」
即答だった。
♢
ガレネが前へ出た。
「金額を聞いても?」
「金額などない。売らん」
「ですが――」
「こいつの恩寵がどれほど役に立つか、お前たちも知っているから来たんだろう」
農園主がダモンを顎で示す。
「この辺りは雨が少ない。井戸を掘るにしても、外せば人手も金も無駄になる。だが、こいつがいれば地下の水を探せる。それを売れと言われて、はいそうですかと渡すと思うか?」
もっともな話だった。真継もそう思う。
「なら、いくらならいい」
「話を聞いていたのか?」
「金で困ってないなら別のものでもいい」
農園主は真継を見た。
「随分と簡単に言うな」
「欲しいものを言え」
「マツグ」
ガレネが小声で止める。
「何だ」
「何でも出すみたいな言い方はやめてください」
「出せるものなら出せばいい」
「そういうところです」
農園主がまた笑った。
「お前、本当に変な奴だな」
「よく言われる」
「それは納得だ」
男は立ち上がった。近くで見ると、やはり大きい。真継より少し背が高い。
「お前、兵士だったと言ったな」
「昔な」
「どこでだ」
「日の本」
「知らんな」
「遠い」
「剣は使えるのか?」
「使える」
農園主の目が、真継の腰の曲刀へ向く。
「なら、一つ賭けをしよう」
ガレネの顔が嫌そうになった。
真継は聞く。
「何を賭ける」
「ダモンだ」
「条件は?」
「俺と戦え。お前が勝てばダモンを渡す」
「分かった」
「待ってください」
ガレネが割り込んだ。
「まだ条件の半分しか聞いてません」
「そうだったな」
真継は農園主を見る。
「俺が負けたら?」
男は笑った。
「お前が俺の奴隷になれ」
「いいぞ」
「よくありません!」
ガレネの声が部屋に響いた。ダモンまで驚いている。
「マツグ、何を言ってるんですか」
「条件としては分かりやすいだろう」
「分かりやすければいいわけじゃありません!」
「俺一人とダモン一人だ」
「そういう問題ではありません」
「なら何が問題だ」
ガレネが本気で怒った顔をした。
「あなたが奴隷になることです」
真継は少し黙った。
「負ければな」
「負けたらどうするんです?」
「奴隷になる」
「だから!」
ガレネは額を押さえた。
ダモンがおずおずと口を挟む。
「マツグ、私のためにそこまでする必要はありません」
「お前のためだけじゃない」
「え?」
「村に水がいる」
「……そうでしたね」
「それに、来たいんだろう」
ダモンは農園主を気にしながら、少し迷ったあと頷いた。
「もし、自由になれるのなら」
「なら問題ない」
「問題あります!」
ガレネが再び言った。
真継は彼女を見る。
「勝てばいい」
「簡単に言わないでください」
「簡単ではないだろうな」
真継は農園主を見る。身体の使い方を見れば強いことは分かる。だが、それで断る理由にはならなかった。
「それでもやる」
ガレネはしばらく真継を睨んでいた。
「……負けたら私は一人でミュレアに帰れって言うつもりですか?」
「ああ」
「嫌です」
「なぜだ」
「嫌だからです」
それ以上の説明はなかった。真継もそれ以上聞かなかった。
♢
決闘は口約束では済まされなかった。農園主は書記を呼び、条件を書かせた。証人として農園の管理人が立ち、ガレネも書かれた内容を一つずつ確認する。
真継は横から文書を眺めた。当然ながら読めない。
「何て書いてある」
「あなたが負けたら、本当に奴隷になると書いてあります」
「そうか」
「そうかって……軽すぎます」
ガレネは内容を読み上げた。武器は木剣で、双方同じ種類のものを使う。防具は簡単な胸当てと籠手のみ。降参するか、戦闘続行不能となれば敗北。故意に相手を殺した場合は勝負そのものを無効とする。真継が勝てばダモンの所有権を農園主から真継へ移し、農園主が勝てば真継が奴隷となる。
「問題ない」
「私は問題だらけなんですけど」
「何か文字がおかしいのか?」
「そういう意味でもありません」
ガレネが疲れた顔をする。署名の代わりとなる手続きを済ませ、勝負はその日のうちに行われることになった。
♢
農園の空き地には、いつの間にか人が集まっていた。奴隷もいれば、管理人や農園で働く自由民らしい者もいる。ラケオン人にとって、戦いは見世物にもなるらしい。
農園主は上着を脱ぎ、簡単な防具を身につけていた。年齢の割に身体は締まっており、太い腕には古い傷がいくつも残っている。真継も渡された木剣を振ってみた。重さは真剣より軽いが、十分に人を倒せる。
「殺さないでくださいね」
ガレネが言った。
「木だぞ」
「木でも死にます」
「そうなのか?」
「どうしてそこで初めて知ったみたいな顔するんです?」
真継は木剣を肩に乗せた。
「強そうですよ」
「ああ」
「大丈夫ですか?」
「たぶん」
「たぶん?」
農園主が盾を持って構える。ラケオンらしい構えだった。
真継は少し笑った。
「楽しそうですね」
「そうか?」
「ええ、楽しそうです」
「強そうだからな」
「あなた、自分が何を賭けてるか覚えてます?」
「ああ」
ガレネは何か言いかけて、諦めた。
合図が出ると、農園主が先に動いた。年齢から想像したよりはるかに速い。盾を前へ出しながら踏み込み、その陰から木剣が伸びる。真継は身体を反らして避けたが、すぐに次が来た。受けた木剣を通して腕が痺れるほど重い。
「強いな」
「ここでは強さこそ名誉だ!」
農園主がさらに踏み込み、盾を真継の胸へ押しつけるように迫る。真継は横へ逃げながら木剣を振り、農園主はそれを盾で受けた。乾いた音が響き、周囲から声が上がる。
数合、さらに数合。農園主は力だけではなかった。盾を単に攻撃を防ぐためではなく、真継の視界と動きを塞ぐために使っている。
真継は距離を取った。
「逃げるのか?」
「見てる」
「何をだ」
「お前を」
農園主の眉が動き、再び攻めてくる。盾を上げ、その陰から木剣を振るう。先ほどと同じように見えるが、踏み込むときに右足へ少し重心が寄る。
真継は受けず、わざと半歩遅れて下がった。農園主がさらに前へ出たところで身体を沈め、木剣を盾の下へ滑り込ませて足を払う。
「な――」
農園主の体勢が崩れる。それでも倒れず、盾を捨てて木剣を振り下ろしてきた。真継は横へ抜けながら手首を打つ。木剣が地面へ落ちた。
次の瞬間には、真継の木剣が男の喉元にあった。
周囲が静かになった。
「終わりだな」
真継が言う。
農園主はしばらく黙っていたが、やがて大きく息を吐いた。
「……ああ。俺の負けだ」
真継が木剣を下ろすと、その言葉と同時に周囲からどよめきが起きた。
♢
農園主は約束を守った。負けたことを言い訳せず、書記を呼んでダモンの所有権を移すための手続きを始めた。
「ダモンはお前のものだ」
農園主が言った。
真継は首を振る。
「俺のものではない」
「何?」
「自由にする」
農園主が眉を寄せた。
「それなら、なぜ所有権を欲しがった」
「自由にするためだ」
「……変な奴だな」
「よく言われる」
横にいたガレネが少し笑った。
「私のときも同じでした」
農園主がガレネを見る。
「お前も奴隷だったのか?」
「少しだけ」
「こいつに買われた?」
「その言い方はやめてください」
真継が口を開こうとすると、ガレネが先にこちらを見る。
「マツグも言わないでくださいね」
「まだ何も言ってない」
「分かります」
手続きには少し時間がかかった。ガレネが文書の内容を確認し、ダモンの名前と身分、農園主から真継へ所有権が移ったこと、そしてその直後に解放されたことを一つずつ確かめていく。
やがてガレネが顔を上げた。
「終わりました」
「そうか」
ダモンはまだ信じられないように立っていた。
「……私は、自由なんですか?」
「ああ」
ガレネが頷く。
真継はダモンを見る。
「自由らしいぞ」
「他人事みたいに言わないでください」
ダモンが笑った。ほんの少しだったが、以前よりずっと自然な笑い方だった。
「マツグ」
「何だ」
「ありがとうございます」
「まだだ」
「え?」
「ミュレアに来るか」
ダモンは少し目を見開いた。
「嫌なら別にいい。自由なんだから好きにしろ」
「……行っていいんですか?」
「ああ」
「水のためでしょう?」
「それもある」
「それも?」
「知り合いだからな」
ダモンはしばらく黙っていた。それから、深く頷いた。
「では、行かせてください」
「分かった」
ガレネが二人を見て、小さく笑った。
♢
帰る頃には日が傾き始めていた。農園主は古い馬を一頭用意させた。
「持っていけ」
真継が馬を見る。
「なぜだ」
「勝者を徒歩で帰らせたとあっては、俺の面子が立たん」
「そういうものか」
「そういうものだ」
ダモンが遠慮しようとしたが、農園主は聞かなかった。
「それに、お前はもう俺の奴隷ではない。好きにしろ」
ダモンは少し驚いたあと、頭を下げた。
「お世話になりました」
農園主は返事をしなかった。ただ、背を向ける前に一言だけ言った。
「次は負けんぞ」
真継が答える。
「またやるのか?」
「お前が来るならな」
「考えておく」
「考えなくていいです」
ガレネが横から言った。
♢
三人になった帰り道は、行きより少しゆっくりだった。ダモンは農園で馬を扱ったことがあるらしく、借りた馬にも問題なく乗っている。
「ミュレアというのは、どんな村なんです?」
「漁村だ」
真継が答える。
ガレネがすぐに続けた。
「それだけですか?」
「他に何がいる」
「色々ありますよ」
「海がある」
「漁村なんですからあります」
「人もいる」
「村ですから」
ダモンが笑う。
「変わってませんね、マツグ」
「そうか?」
「ええ」
ガレネが頷く。
「昔からこんな感じだったんですね」
「こんな感じとは何だ」
「安心しました」
真継だけが分からなかった。
それでも道中でダモンにミュレアの話をした。テロンのこと、村長のこと、海賊が来たこと、ガレネのこと、奴隷狩りを倒して人が増えたこと、さらに増えたこと、そして増えすぎて水が足りなくなったこと。
話しているうちに、ダモンが妙な顔になった。
「その……かなり色々ありましたね」
「ああ」
「マツグが来る前は普通の漁村だったんですよ」
ガレネが言う。
「そうなのか?」
「そうです」
「今も普通だろう」
「どこがです?」
真継には答えが分からなかった。
♢
ミュレアが見えてきた頃には、空が夕焼けに染まっていた。最初に気づいたのは子供たちだった。
「マツグだ!」
「帰ってきた!」
「一人増えてる!」
最後の一言に、真継は少しだけ嫌な予感がした。案の定、テロンがやってきて、真継の隣にいるダモンを見る。
「……増えたな」
「今回は増やすために行った」
「そうだったな」
テロンもさすがに文句は言わなかった。
「こいつがダモンだ」
「ダモンです。よろしくお願いします」
テロンが手を差し出す。
「テロンだ。話は聞いてる。水を出せるんだって?」
「正確には、地中に存在する水を引き寄せて、地表へ湧かせることができるだけです。水そのものを作るわけでは――」
「それはもう聞いた」
真継が言った。
ダモンがこちらを見る。
「でも説明はさせてください」
「そうですよ。大事なところです」
ガレネまで加わったので、真継は黙った。
村長も出てきた。ダモンに事情を説明し、まず水場を見てもらうことになる。日暮れまで時間はあまりなかったが、ダモンはすぐに村を歩き始めた。
最初は井戸の近くで地面へ手を触れる。
「ここにも水はあります。ただ、かなり下がっていますね」
少し離れた場所でも調べる。
「ここは駄目です」
さらに移動する。
「少しありますが、村で使うには足りません」
真継たちは黙ってついていった。恩寵があるからといって、どこからでも水を出せるわけではない。ダモンは何度も場所を変え、やがて村の端にある少し高くなった土地で足を止めた。
地面へ膝をつき、両手を土へ置く。しばらく動かなかったが、やがて顔を上げた。
「ここです」
「あるのか?」
真継が聞く。
「あります。かなり深いですが、量も多い」
村長が目を見開く。
「本当か」
「ええ」
ダモンは再び地面へ手を置いた。
「少し引き上げます」
しばらくすると、乾いていた土の一部が黒く湿り始めた。さらに待てば、小さな水溜まりができる。
村人たちの間から声が上がった。
「水だ」
「本当に出たぞ」
ダモンが手を離す。
「これ以上は、掘った方がいいです。水を上まで引き続けるより、井戸にした方が安定します」
「なら掘るぞ!」
誰かが声を上げ、大工や農民たちが道具を取りに走る。真継も加わった。
人手だけはある。
そこは、この数か月で増えすぎるほど増えていた。
♢
完全な井戸になるまでには、まだ時間がかかる。それでも、ダモンが示した場所を掘っていくと、やがて土ははっきりと湿り始めた。さらに掘れば、底から水が滲んでくる。最初は泥で濁っていたが、確かに水だった。
歓声が上がった。
村長が大きく息を吐く。
「これなら何とかなりそうだ」
「すぐ全部使わない方がいいです。しばらく水量を見た方がいい」
ダモンが言う。
「分かった。お前さんの言う通りにしよう」
テロンが真継を見る。
「本当に出たな」
「言っただろう」
ダモンが横から言う。
「言ったのは私ですけどね」
真継は少し考えた。
「そうだったな」
ガレネが笑い、村人たちもつられるように笑った。
♢
日が沈む頃には、作業はいったん終わった。
真継は少し離れたところから村を眺めていた。以前より家が増え、人も増え、仕事も増えた。揉め事も増えた。そして今日は、水まで増えた。
初めてこの村へ来たとき、真継はほとんど何も持っていなかった。海から這い上がり、腰に布を巻いただけの姿で浜を歩いていた。行く場所もなかった。
テロンに会い、村長に話を聞かれ、魚を食わせてもらった。酒を飲み、古着を渡され、空いていた家を借りた。それから海賊が来て、アテライへ行き、ガレネが来た。奴隷狩りを倒して人が増え、さらに増え、そしてダモンまで連れて帰ってきた。
真継自身は、村をどうにかしようと思っていたわけではない。ただ、そのとき必要だと思ったことをしてきただけだった。その結果、ミュレアは以前とは少し違う村になっている。
「何を見てるんです?」
ガレネが隣へ来た。
「村だ」
「それは見れば分かります」
「前にも似たことを言われた気がする」
「たぶん何度も言われてますよ」
ガレネも村を見る。少し離れたところでは、ダモンが村長やテロンと話をしている。
「これで、しばらく水は大丈夫そうですね」
「ああ」
「だから、もう人を連れてこないでくださいね」
「善処する」
ガレネが真継を見る。
「それ、守る気がない人が言うやつですよね?」
「そうなのか?」
「そうです」
テロンもこちらへ歩いてきた。
「絶対また増えるぞ」
「なぜそう思う」
「今までを見てるからだよ」
後ろからダモンもやってくる。
「いつもこんな感じなんですか?」
「だいたいそうです」
ガレネが答えた。
「何の話だ」
三人とも答えなかった。
真継はもう一度、村へ目を向けた。
かつて何一つ持たず、この浜へ流れ着いた。あのとき真継は、次にどこへ行くのかは自分で決めようと思った。その結果、今ここにいる。
これから先、どれだけこの村にいるのかは分からない。一年かもしれない。十年かもしれない。百年かもしれない。真継自身にも分からなかった。長すぎる生の中では、この村で過ごす時間さえ、いつかは一瞬のことになるのかもしれない。
それでも今は、帰ってくる場所がある。待っている者がいる。
それは悪くなかった。