車窓を眺めている。
厳密には、眺めているフリをしている。
窓の先には、高速で通り抜けていく外壁。その奥には海が白く輝いている。
そう、私には、それらが全部モノクロの立体に見えている。
――見えている、というのも正確ではない。私の眼は、開いていないからだ。
物心ついた頃には、すでにそうなっていた。
昔、私の世話をしてくれた先生から、こういう話を聞いたことがある。
人間の眼には、光の波長を感じ取る細胞があって、それによって色を見分けている。
ただ、自分にはそれが無いらしい。
「今日の服、似合ってるね」
「ちょっと日焼けしちゃった。」
そういう会話を、今まで何度も聞いてきた。赤いとか、青いとか、
似合っているとか、似合っていないとか。日焼けしたとか。
私には、そういうものがいまいち分からない。
だから、たぶん私は他人が見ている世界を知らない。代わりに別のものが”見える”。
電磁波――電気の流れ、磁場、光。
そういうものに対する感覚だけが、普通の人よりずっと敏感らしい。
だから、目が見えない代わりに私は周囲を認識することができる。
人がどこにいるのか。二列前の席にはどんな人が座っているのか。
電車がどのくらいの速度で走っているのか。
全部、白黒の立体になって、頭の中に浮かんでいる。
だから私は、こうして窓の外を眺めている。
見えているフリをするために。
――たぶん、それが一番普通だからだ。
隣に座っているのは、私の監視役を務める青龍班隊長、
無口でぶっきらぼうに感じる、が別に話すのが嫌いとか、そういうわけじゃない。
むしろ喋りたくてたまらない、コミュニケーション欲の塊みたいな男だ。
今は相も変わらず黙々と本を読んで語彙を収集している。
”視える”といっても解像度には限界がある。だから、文字は読めない。
小説なんてものは、私にはインクの染みた紙の束にしか視えない。
ただ、長年の付き合いから何を読んでいるのかはだいたい分かる。
今は分厚い表紙の本を読んでいる。
たぶん、エスペラントとかいうよく分からない言語で書かれた文学作品だ。
エスペラント
......分かる人、居るの?
今はページをめくる速度が少しだけ速い。
それに、口角が上がっているような気がする。本の厚みも、右側のほうが少し薄い。
きっと、山場に差し掛かったところだろう。
車内にアナウンスが流れた。
「——掛川を出ますと、次は浜松に停まります。」
こうして関東を離れるのは、何年ぶりだろう。
島根と北九州には行ったことがある。どちらも
今抱きかかえている刀は、十歳の頃に島根で打ってもらったものだ。
無論、そのまま持ち歩くわけにはいかない。
刀は
私の任務は、東京を中心とした政治の中枢を
怪異や
だから、関東を離れる機会はめったに無かった。
今回の配置転換は、そんな私にとって珍しいものだった。
――京都拠点。
なぜ私がそこに行くことになったのか、理由は聞かされている。
ただ、私にはあまり関係がない。
必要とされる場所へ行き、必要とされる任務をこなす。
窓の外を流れていく景色に、改めて目を向ける。
もちろん、色は分からない。
それでも、いつもと違う街並みや地形を眺めていると、
本当に遠くへ来たような気がした。
――数日前、
物静かな会議室。
カチッ...カチッ...と薄暗い部屋の中で、時計の音だけが心なしか
大きく響いているような気がする。
長机の上座側には、三人の長官が並んで座っている。
その正面に座るのは、
そして、スクリーンの脇には一人の男が立っていた。
三人の長官と
涼しい顔を崩していなかった。
「配置転換だと?なぜだ。」
三人の長官のうち、一人が口を開く。
「結界です。」
「結界?」
兼村はスクリーンに地図を写す。
「近畿管区をカバーしている
地図上の二箇所が赤く示される。
「現時点では機能そのものに問題はありません。しかし、このまま放置すれば京都拠点の加護能力が基準値を下回る可能性があります。」
別の長官が手を組み、身を乗り出す。
「理由はそれだけですか?」
「いいえ、理由はもう一つ。」
兼村は手元の資料をめくった。
「オノゴロを名乗るテロ組織の動向をキャッチしました。」
三人の長官がわずかに顔を見合わせる。
「......例の連中か。」
「ええ。複数の構成員が京都へ向かっていることを確認しています。ただ、目的までは掴めていません。」
「京都拠点が狙われている、と?」
「断定はできません。ただ、結界の弱体化と活動地域の一致——これらを偶然で片付けるには少々出来すぎています。」
「しかし、タタラは関東圏守護の要です。」
「他地域の
「確かに京都にも優秀な
「ならばなぜタタラだ?」
「索敵能力と機動力です。」
兼村は即答した。
「この二つにおいて、タタラの右に出る者はいません。」
「だからといって、東京を手薄にするのか?」
兼村は、三人を順に見た。
「彼らの目的は、おそらく国家転覆ではありません。」
「......何?」
「我々そのものが狙いでしょう。」
「根拠は?」
「これまでの活動記録です。」
兼村がリモコンを操作する。
スクリーンに、過去の事件記録が次々と映し出された。
「駐屯地や公共施設への攻撃は、すべて陽動です。彼らが一貫して狙っているのは、先ほど話したような結界点とそれらを守る
四人は黙ってスクリーンに映る資料に目をやる。
兼村は続ける。
「それに――」
ほんのわずかに、口元が緩んだ。
「あなたがたが最優先で守りたいものは、政府そのものではないでしょう?」
空気が変わった。
「......何が言いたい。」
「京都がなぜ
兼村はスクリーンから三人の長官へ視線を移した。
「ご存じでしょう?」
「当然だ。」
「ならば、話は早い」
兼村は資料を閉じた。
「京都には、政府には存在すら知られていないものが多すぎる。」
誰も口を挟まなかった。
「だからこそ、タタラを送る価値があります」
しばしの沈黙。
「......裁羽奈戦略部長。君はそれで良いのかね?」
「私はタタラの配置転換を支持します。」
裁羽奈戦略部長は、間を置かずに答えた。
「兼村の予測は、外れない。」
「まもなく、浜松です。お出口は左側です―—」
アナウンスが聞こえてから数分後、電車が停止する。
その後、前の席に二人の男性が座ってきた。大まかな骨格、服装しか分からないが、声や話し方、会話の内容から推測するに二人とも旅行中の大学生なのだろう。
そのうち一人はテーブルを出して雑誌を広げる。
もう一人がそれを見て呆れたような口調で話しかける。
「お前またそれ読んでんのかよ。ほんと飽きねぇなあ。」
「あ?何言ってんだ。今回のは陰陽庁特集だぞ?」
「あーはいはい、いつものね。どうせ陰陽道は明治で途切れた迷信だろ?」
「ちげーよ。陰陽道は科学だっつーの。」
うん、その通り。
しかしなるほど。都市伝説系の雑誌か。
因妖庁?陰陽庁?
私たちはどっちも「おんみょうちょう」と読んでいるが
雑誌の表記はどっちだろう?少し気になる、が文字は視えない。
京都に着いたら隊長に聞いてみよう。
”視界”が全体的に暗い。トンネルに差し掛かったらしい。
私はふとこめかみあたりでラジオの
回すようなポーズをする。手持ち無沙汰になると、ついやってしまう癖だ。
こうしてつまみを回すことで、感知する電磁波の帯域を切り替えられる。
たまに本物のラジオ放送を拾うこともあるから、結構楽しい。
そんなふうに”エアつまみ”をいじっていたら一瞬ノイズが走る。
天井あたり。
つまみを止める。
もう一度、同じ帯域を探る。
――居る。
新幹線の車体越しに
仰角は10度。直線距離は約119.2メートル。
「何か居る」
隊長の眉が一瞬ぴくっと動く。そして、トントンと指で肘掛けを叩いて
モールス信号を私に送る。
「-・-・・ --・ ・-・・ ---・- ・・」(距離と数は?)
「五両先、屋根に
再びつまみを回す。
周波数帯を低い方向へと調整していく。
「......その直下に二人。
隊長は本をパタンと閉じ、素早くハンドサインを送る。
――行動開始の合図だ。