ハードモードで始めるVtuber事務所経営物語 作:天ケ谷いろは
そんなことを、あーでもないこーでもないと考え続けて。
結局、これといった答えが出ないまま数日が経った。
悲しいことに、凛がどれだけ頭を悩ませていても、時間は平等に過ぎていく。
未来の知識を使ってお金を稼ぐ。
言葉にすれば簡単なのに、肝心の方法がまるで思いつかなかった。
ぱっと思いつくもの以外にも何かないかと昔の記憶を掘り返してみたものの、出てくるのは役に立つのか立たないのかわからない知識ばかり。
というか、そもそも。
転生した時代が早すぎるのだ。
前世の凛が生まれたのは、西暦2016年の冬。
現在は2014年なのだから自分が生まれるまでまだ二年以上もある。
これがせめて、物心がつき始めた2020年代なら話は違った。
実際に自分が生きていた時代なのだから、流行っていたものや世間で話題になった出来事、その頃よく目にしていたものだって記憶に残っている。
けれど、2014年は違う。
この時代について知っていることがあったとしても、そのほとんどは後になってから知った知識でしかない。
自分の目で見たわけでもなければ、自分の生活の中で経験したわけでもないのだ。
当然、思い出せることは格段に少なくなる。
「はぁ…………」
世知辛い。
思わずため息が漏れた。
未来から来たというとんでもなく大きなアドバンテージを持っているはずなのに、いざ使おうとしてみると思っていた以上に使える知識がない。
宝の持ち腐れとは、まさにこのことだろう。
そうして今日もまた。
何一つ妙案を思いつかないまま、凛は朝を迎えていた。
◇ ◇ ◇
「おはようございます!」
カラン、と裏口の扉を開けて店内へ入る。
まだ開店前のパン屋にはお客さんの姿はなく、代わりに厨房の方から焼き上がったばかりのパンの香りが漂ってきていた。
店内はまだ少し寒い。
暖房を入れたばかりなのか、天井のエアコンが静かな音を立てながら温風を吐き出している。
「あ、おはよー凛ちゃん」
声のした方を見る。
こちらへ振り返ったのは、クリーム色に染めた柔らかな長髪を揺らす一人の女性だった。
「千夏先輩、おはようございます。今日も早いですね」
「そうかな? いつもこれくらいだよ?」
雪村千夏さん。
年齢は凛より一つ年上の21歳で、このパン屋に入ってから何かと仕事を教えてもらっている先輩だ。
第一印象を一言で表すなら、大人な女性だろうか。
いつも穏やかで、話し方も柔らかい。
仕事中も滅多に慌てないし、凛が失敗しても怒るより先に「大丈夫だよ」と笑ってくれる。
かといって物静かな人というわけでもなく、話しかければ普通によく喋るし、笑う時は明るく笑う。
なんというか、こういう人がお姉ちゃんだったら安心するんだろうな。と思わせるような人だった。
最近は以前にも増して何かと凛のことを気にかけてくれていて、休憩が被れば話しかけてくるし、仕事が終わる時間が近ければ「今日ちゃんとご飯食べるんだよ?」なんて言ってくる。
……わたし、そんなに危なっかしく見えるのだろうか。
少々納得がいかない凛なのであった。
ともあれ、この職場で一番お世話になっている人はだれかと聞かれれば、間違いなく千夏さんだった。
「ん?」
そんな千夏が、不意に首を傾げる。
凛の顔ではなく、その少し下。
視線は手元の方へ向けられていた。
「あれ? 凛ちゃん、それってスマホ?」
「あ、はい」
昨日買ったばかりのスマートフォンを少し持ち上げて見せる。
「この間お給料が振り込まれて、ようやく買えました!」
「おおー! よかったじゃん!」
まるで自分のことのように喜んでくれる千夏さん。
実際、ようやくだった。
スマートフォン自体は、こっちに来てからずっと欲しかった。
今の時代について調べるにも便利だし、連絡手段としても必要になる。
問題は、単純にお金がなかった。
これに尽きる。
働き始めたからといって、その瞬間にお金がもらえるわけではない。
先日、ようやく最初の給料が振り込まれたことで、購入するだけの余裕ができたのである。
あとは先に申し込んでいたクレジットカードのこともあった。
一応、口座振替でも契約はできるらしいが、どうせカードを作るつもりなら、それを待ってから契約した方が後々面倒がないだろうと思ったのだ。
結果として、今日までずれ込んでしまった。
先にノートパソコンを買っていたのは、中古で一万円程度で買えたし今後のことを考えればどうせ必要になると思ったからだ。
我ながら、20歳の女の買い物事情とは思えない。
「じゃあさ」
千夏さんが、何やら嬉しそうに自分のポケットを探り始める。
そしてスマートフォンを取り出すと、そのままこちらへ一歩近付いてきた。
「LINE交換しようよ!」
「LINEですか?」
「そうそう。凛ちゃん、まだ入れてない?」
「あー……買ったばかりなので」
昨日から色々と触ってはいるが、まだ必要最低限の設定しかしていない。
「じゃあ入れよう!」
「はい」
距離が近い。
息がかかるくらい、ぐいっと顔を寄せられて少し照れる。
普通に可愛いんだよな、千夏先輩。
そんなことを考えながら凛はスマホを開き、ポチポチとLINEをダウンロードしていった。
そうして千夏さんに教えてもらいながら操作を進めること数分。
無事、初めての友達が登録された。
画面に表示された名前は『ちなつ』。
『よろしくー!』
そんなメッセージと一緒に、キャラクターが笑顔で手を振っているスタンプが送られてきた。
ぺたっ、と。
「おー」
なんだか感慨深いものがある。
前世では両親としかLINEのやり取りをしていなかったので、こうして他の人からメッセージが送られてくるというのは少し新鮮だった。
「これでいつでも連絡できるね」
「はい! ありがとうございます」
そう言って、凛は笑顔を浮かべてスマートフォンをポケットへしまう。
いつまでもスマホを弄っているわけにもいかない。
もうすぐ開店時間だ。
「じゃあ、今日も頑張ろっか」
千夏さんと一緒に残っていた開店準備を済ませて。
それからは、いつも通り。
店頭にパンを並べ、レジに立ち、減ってきた商品を補充する。
そうして仕事をこなしているうちに、気付けば昼休憩の時間になっていた。
◇ ◇ ◇
昼休憩。
凛はいつも通り休憩室の椅子に腰掛けると、昨日買ったばかりのスマートフォンを眺める。
別に何か目的があるわけではない。
ただ、新しく買った物というのは意味もなく触りたくなるものだ。
ホーム画面を眺めてみたり、設定を開いてみたり。
そんなことをしながら弄っているうちに、ふと今朝入れたばかりのLINEのアイコンが目に入った。
アプリを開いてみると、当然ながらトーク一覧には千夏先輩しかいない。
そこには朝送られてきた『よろしくー!』というメッセージと、笑顔で手を振るキャラクターのスタンプが残っていた。
「あ……そういえば」
スタンプ。
こうして見ると、なんだか懐かしく感じる。
前世で体調が悪化してからはスマホを触る機会もほとんどなかったし、こちらに来てからも2カ月ほど、忙しかったりお金がなかったりで手にすることができなかった。
だからだろうか、スマホ世代だった凛としてはこうして何気なく画面を眺めているだけでも、なんだか久しぶりに日常へ戻ってきたような気分になる。
前世では無料でもらえるスタンプをなんとなく使ったり、好きなキャラクターのものをいくつか買ったりもしていた。
そういえば、今はどんなのがあるんだろう。
特に深い意味もなく、スタンプショップを開いてみる。
「おー……?」
画面いっぱいに、いくつものスタンプが並んだ。
LINEのキャラクターに、アニメや漫画。
どこかで見たことのある有名なキャラクターも多い。
適当に画面を下に滑らせていく。
一度、二度、三度。
そうして何度かフリックしたところで、指が止まった。
「……なんか、少なくない?」
もう一度、上から眺めてみる。
アニメ、漫画、有名なキャラクター。
うん、普通だ。別におかしいところは何もない。
けどなんだろう。どことなく違和感を覚える。
そうしてウンウン悩んだ末に、凛は違和感の正体に気付いた。
「あっ!」
知らないキャラクターが、ほとんどいないのだ。
前世で使っていたLINEには、もっとよく分からないスタンプが大量にあったはずだ。
妙にゆるい動物だったり、腹の立つ顔をした人間だったり、使いどころの分からないネタに全振りしたようなスタンプだってあった。
企業でも、有名な作品でもない。
誰かが自分で描いたキャラクターのスタンプ。
「えっと、確か……クリエイターズスタンプだっけ?」
たしかそんな名前だった。
前世ではあって当たり前だったので、いつ始まったサービスなのかなんて考えたこともない。
けど、それらのスタンプが無いということは。
「まだ、始まってない……?」
凛はスマートフォンを見つめたまま考える。
いつだった? 2014年? あるいはそれよりずっと後?
凛がまだ生まれていない時代なので、具体的にいつ始まったのかは覚えていない。
けど少なくとも、物心がつく頃には始まっていたはずだ。
現時点では存在していないサービス。
そして自分は、それがいずれ始まることを知っている。
「……あれ? これ使えるのでは?」
思わず、そんな言葉が口から漏れた。
正確な時期までは分からない。
来月かもしれないし、来年かもしれない。
けれど、もし近いうちに始まるのだとしたら。
凛はじっとスマートフォンを見つめる。
前世では、それこそ数え切れないほどのクリエイターズスタンプが存在していた。
ということは、一部の企業やプロだけに許されたサービスではなかったはずだ。
自分でも参加できる可能性は十分にある。
そうなれば、まだ誰もスタートラインにすら立っていない市場へ、最初期から飛び込めることになる。
「……いけるかも」
ここ数日。
どれだけ考えても見つからなかった、未来の知識を使ったお金稼ぎ。
その糸口がようやく見えた気がした。
ただ、問題は――
「スタンプ、かぁ」
凛は自分の手を見て、少しばかりため息をこぼす。
当然ながら、この手から素晴らしいイラストが生み出されたりはしない。
前世でも暇を持て余したときに絵を描いたことくらいはあった。
試しに、その頃の自分の絵を思い返してみる。
「……いや、無理だな」
即座に諦めた。
趣味、それもごく稀に思い出したように描く程度。
お世辞にも上手いとは言えないし、ましてやお金を取れるような絵だったかと聞かれれば、全力で首を横に振るしかなかった。
となれば。
「誰かに描いてもらう?」
自分で描けないなら、描ける人に頼むしかない。
幸い、イラストを描ける人なんて世の中にはたくさんいる。
お金を払って依頼して、そのイラストを使ってスタンプを作る。
そうすれば、別に難しい話ではない。
――はずなのだが。
そこで、ふと一つの疑問が浮かんだ。
依頼を受けてくれる人さえ見つかれば、スタンプを作ること自体はできる。
けれど。
「それ、描く人に何の得があるんだろう……?」
ぽつりと呟く。
クリエイターズスタンプは、個人でも販売できるサービスだったはずだ。
つまり、絵を描ける人なら凛から依頼なんて受けなくても、自分で描いて、自分で販売できる。
凛から受け取れるのは、一度きりの依頼料。
一方で、自分で販売すれば、売れた分だけその人自身の利益になる。
しかも、もしサービス開始直後から参入できるのなら、なおさら自分で販売した方が魅力的に思える。
少なくとも、凛が描く側ならそうする。
仮にこれが未来なら、大量のスタンプがひしめく中で売り上げることが難しくなり、依頼を受ける人もいるだろう。
けれど今は違う。
考えれば考えるほど、わざわざ自分の依頼を受けてもらえる理由が分からなくなってくる。
「うーん……」
さっきまで見えていたはずの光明が、急に怪しくなってきた。
できそうではある。
けれど、どうすればいいのかが分からない。
ようやく見つけたお金稼ぎの種を前にして、凛はスマートフォンを片手にまた頭を悩ませることになるのだった。