二、知っている人を見かけても、なるべく普通に接すること。
三、眼鏡の少女が走ってきた場合は――
……三つ目は、たぶん守れません。
第六話です。
今回は、湊が自分のために「安全な線」を引こうとします。
人間、怖い時ほどルールを作りたくなるものだと思います。
守れるかどうかは別として。
それでは。
「原作通り」、お願いします。
結論から言うと。
「何でまたいるの!?」
「失礼ですね!」
翌朝。
俺は宿の玄関を開けて三秒で、昨日作ったばかりの人生方針が崩れかけた。
通りの向こう。
眼鏡。
金髪。
小さな鞄。
そして、何かを両手で大事そうに持っている少女。
リコ。
「昨日も会ったよね!?」
「だから今日も会いに来ました!」
「因果関係がおかしい!」
「おはようございます!」
「お、おはよう……」
挨拶されたら返す。
日本人の悲しい性。
いや、この世界で日本人なの俺だけだけど。
「ミナトさん、これ!」
「何?」
リコが両手を開く。
黒っぽい小さな金属片。
端が妙に丸くて、真ん中に穴がある。
遺物。
……ではない。
たぶん。
「昨日、市場の近くで拾いました!」
「拾った物を初対面に近い男へ見せに来るな」
「初対面じゃないですよ。三回目です」
「回数の問題じゃない!」
「でもミナトさん、変な文字持ってたから」
「まだ言うの!?」
「もしかしたらこれも知らない文字かなって」
「その発想で来たの!?」
めちゃくちゃリコだった。
まだ七歳くらい。
それでも。
未知っぽい何かを拾った。
分からない。
昨日、よく分からない文字を書いていた変な男がいた。
聞きに行く。
躊躇がない。
「それ、どこで拾った?」
「市場の裏です」
「危ない物じゃない?」
「分からないから聞きに来ました」
「分からない物を素手で持つな!」
「昨日ミナトさんも触ってましたよ」
「俺は拾ってない!」
「似たようなものです」
「違う!」
宿の中から笑い声。
振り返る。
受付のミーナ。
完全に聞いていた。
「おはよう、リコちゃん」
「おはようございます!」
「知り合い!?」
「孤児院の子は市場にも来るもの」
「この街、狭すぎません?」
「昨日も言ってたわね」
ミーナが金属片を見る。
「あら。それ、ただの留め具じゃない?」
「留め具?」
「古い鞄とかについてるやつ」
「遺物じゃないんですか?」
リコが露骨にしょんぼりする。
「残念だったわね」
「……でも、何の鞄だろう」
「切り替え早っ」
「古いなら昔の探窟家のかもしれません!」
「そこから話を膨らませるな!」
「だって気になるじゃないですか」
「気にはなるけど!」
なる。
悔しい。
俺だって気になる。
市場の裏に落ちていた古い金具。
どんな鞄についていた。
誰が使っていた。
どこへ潜った。
……いやいや。
「俺、仕事だから」
「じゃあ途中まで一緒に行きます」
「何で!?」
「孤児院、こっちです」
「昨日遠回りした意味!」
「昨日?」
「何でもない!」
笑い声。
ミーナ。
おのれ。
「ミナト」
「はい」
「朝ごはん」
「忘れてた!」
「リコちゃんも食べる?」
「いいんですか!?」
「ダメです!」
「何であなたが断るのよ」
「長居するから!」
「しませんよ!」
「絶対する!」
「しません!」
◆
二十分後。
「このスープおいしいです!」
「長居してるじゃん!」
「まだ二十分です」
「二十分は長居!」
「ミナトさん細かいですね」
「君が自由すぎるんだよ!」
朝食。
俺。
ミーナ。
そして何故かリコ。
どうしてこうなった。
「孤児院の朝ごはんは?」
「食べました」
「二食目!?」
「育ち盛りだから」
ミーナが言う。
「甘やかさないで!」
「あなたも昨日パン三枚食べたじゃない」
「俺は働くから!」
「私も働きます!」
「七歳だろ!」
「探窟します!」
「もっとダメ!」
リコが頬を膨らませる。
「赤笛になったらちゃんと潜れます」
「まだ赤笛じゃないの?」
「今は鈴付きです」
「……」
知っている。
ベルチェロ孤児院。
孤児たちは探窟家を目指す。
最初は鈴付き。
そこから赤笛へ。
リコも。
原作開始時には赤笛。
「早く赤笛になりたいです」
スープを飲みながら。
当たり前みたいに言う。
「何で?」
「アビスに潜りたいからです!」
即答。
「深いところまで?」
「もちろん!」
「……怖くない?」
「怖いですよ?」
意外。
いや。
意外じゃない。
リコは危険を知らないわけじゃない。
「でも、怖いのと行きたいのは別です」
スプーンを持ったまま。
笑う。
「知らないものがあるなら、見たいです」
その顔を。
俺は知っていた。
何度も。
漫画で。
アニメで。
でも。
目の前で見ると。
何というか。
……怖い。
この子は。
本当に行く。
止めても。
たぶん。
「ミナトさん?」
「……何でもない」
「変な顔」
「元からです」
「自分で言うんですか?」
「先に言えば傷が浅い」
「よく分かりません」
「分からなくていい」
ミーナが俺を見る。
何も言わない。
でも。
見ている。
「リコちゃん」
「はい?」
「そろそろ孤児院戻らないと怒られるんじゃない?」
「あ」
「忘れてたの!?」
「大丈夫です!」
「何が!?」
「走れば間に合います!」
「走るな!」
「昨日も言われました!」
「学習して!」
「いってきます!」
「ちょ、リコ!」
飛び出す。
「前見ろー!」
「見てまーす!」
通りの向こうから声。
頭を抱える。
「……疲れる」
「楽しそうね」
「どこが」
「顔」
「嘘」
「本当」
「最悪だ」
俺は残りのスープを飲む。
「ミーナ」
「なに?」
「俺、あの子とあんまり関わらない方がいいと思う」
「そう?」
「そう」
「理由は?」
言えない。
あの子には決められた旅がある。
レグと出会う。
母からの手紙。
奈落へ。
ナナチ。
ボンドルド。
六層。
ファプタ。
七層。
俺が。
早く関わりすぎたら。
何が変わる?
「……俺、面倒事呼ぶんで」
「それは分かる」
「即答やめて」
◆
港。
「今日のミナト、機嫌いいな」
「そう見えます?」
「昨日よりは」
ガンザが木箱を寄越す。
「朝から子供と喧嘩してきたんで」
「何やってんだお前」
「俺も分からない」
「子供に負けたのか?」
「勝負じゃない!」
「じゃあ勝った?」
「勝ってない!」
「負けてんじゃねえか」
「何でそうなる!」
荷物を持つ。
今日は軽い。
「第二倉庫!」
「二!」
「読めたな」
「もう数字では褒められませんよ」
「じゃあ第五」
「五!」
「まだ喜んでんじゃねえか」
「反射です!」
笑われる。
俺も笑う。
平和。
今は。
こういうのでいい。
この世界へ来て。
最初は全部が怖かった。
今も怖い。
でも。
朝飯を食って。
仕事して。
字を覚えて。
リコに振り回されて。
少しだけ。
生活になってきた。
そのことが。
逆に怖くもある。
「ガンザ」
「ん?」
「もし」
「またもし話か」
「最近多いです?」
「多い」
「じゃあやめます」
「言えよ。気になるだろ」
「どっちだよ」
箱を置く。
「もし、先のことが分かってたら」
「先?」
「明日とか。一年後とか」
「占い師にでもなったのか」
「例えです」
「お前の例えは毎回面倒だな」
「すみません」
「で?」
「悪いことが起きるって知ってたら、変えます?」
ガンザは黙る。
しばらく。
「変えられるならな」
「そのせいで、もっと悪くなるかもしれなくても?」
「知らん」
「知らん」
「起きてねえことの答えなんざ知らん」
「……」
「お前さ」
「はい」
「考えても分からんこと、考えすぎじゃねえか?」
「それは」
痛い。
「でも考えないと」
「考えるなとは言ってねえ」
ガンザが縄を投げる。
受け取る。
「考えて、目の前の荷物落とすなら意味ねえって言ってんだ」
「またそこ」
「お前二回落としかけたからな」
「一回半!」
「半って何だ」
「ガンザが支えたから」
「俺が支えなきゃ一回だ」
「じゃあ一回!」
「増えたじゃねえか」
「算数難しい!」
「字の次は算数か?」
「日本で卒業したはずなのに!」
「ニホン?」
「あ」
「遠い土地?」
「はい」
「便利だな、その遠い土地」
「最近みんなに言われる」
ガンザが鼻で笑う。
「先の悪いことが分かるなら」
急に。
「え?」
「俺なら、自分ができる範囲だけやる」
「範囲」
「船が沈むって分かるなら乗らねえ。荷物が落ちるって分かるなら縛る」
「世界が変わるくらいのことなら?」
「知らん」
「……ですよね」
「世界変えたことねえからな」
当然。
「お前はあるのか」
「ないです」
「じゃあ同じだ」
簡単な。
答え。
でも。
その簡単さが。
少し羨ましかった。
◆
午後。
市場への配達。
今日はリコはいない。
よし。
何がよしなのか分からないけど。
よし。
「お兄ちゃん!」
「今度はポロ!」
「何その反応」
「最近、知ってる顔が向こうから来る率高い」
「嫌?」
「嫌じゃないけど予定が崩れる」
「予定あるの?」
「市場に箱届ける」
「それだけ?」
「それだけでも予定!」
「暇そう」
「働いてるの見えない!?」
ポロが横を歩く。
「魚?」
「今日はなし」
「けち」
「会うたび魚買ってたら破産する」
「仕事してるのに?」
「宿代って知ってる?」
「知ってる」
「偉い」
「子供扱いしないで」
「九歳だろ」
「ミナト兄ちゃん十九歳なのに字読めないじゃん」
「急所!」
ぐう。
「で、何?」
「古い掲示板、また新しいの入ったよ」
「新しい古い掲示板?」
「古い紙が新しく入った」
「日本語難しいな」
「ニホンゴ?」
「忘れて」
配達を終えたあと。
俺はポロについて掲示板へ。
別に。
時系列はもうだいたい分かった。
原作開始まで約五年。
だから。
昔の資料を漁る必要はない。
……ない。
「見るんだ?」
「一応」
「気になるんじゃん」
「情報は大事」
「言い訳っぽい」
「九歳に見透かされる十九歳」
束。
古い探窟記録。
失踪者。
発見された遺物。
白笛の名。
「これは?」
「深界二層で遭難」
「こっちは?」
「赤笛二人、帰還」
「……帰ってきたんだ」
「うん」
妙にほっとする。
原作で。
探窟家は。
背景で死ぬ。
名前すらない場合もある。
でも。
こうやって。
帰ってくる人もいる。
「こっち」
ポロが紙を指す。
「何?」
「黎明卿」
空気が。
俺の中だけ。
変わった。
「読んで」
「また?」
「お願い」
ボンドルド。
深界五層。
前線基地。
研究。
遺物。
探窟成果。
賞賛。
地上から見れば。
偉大な白笛。
奈落の謎へ挑む。
英雄。
「すごいよね」
ポロが言う。
「……うん」
「ミナト兄ちゃん、黎明卿嫌いなの?」
「え」
「名前出ると顔変」
「……」
子供。
怖い。
「会ったことないよね?」
「ない」
「じゃあ何で?」
「噂」
「どんな?」
「……良くない噂」
「僕は知らない」
「だろうね」
ポロが首を傾げる。
「悪い人なの?」
答え。
簡単なはず。
悪い。
いや。
その言葉だけで。
ボンドルドを説明できる?
愛情。
探究。
犠牲。
祝福。
カートリッジ。
プルシュカ。
ナナチ。
ミーティ。
「……危ない人」
「白笛はみんな危ないんじゃない?」
「それはそう」
少し笑う。
でも。
紙から目を離せない。
この時点で。
どこまで。
進んでる。
実験。
子供。
ナナチ。
ミーティ。
調べたい。
今すぐ。
でも。
どうやって?
地上の資料には出ない。
五層。
届かない。
そして。
もし。
俺がこの時点で何かして。
ボンドルドの行動を変えたら。
どうなる。
ナナチは。
リコたちは。
原作の道から。
大きく外れる。
「……原作通り」
「げんさく?」
「あ」
「何それ」
「遠い土地の言葉」
「また?」
「またです」
「便利だね」
「本当に」
俺は紙を戻した。
「今日はもういい」
「魚は?」
「読んでくれたから一匹」
「二匹」
「値上げやめろ!」
◆
帰り道。
俺はずっと考えていた。
原作通り。
この世界に来てから。
何度も。
頭に浮かんだ言葉。
原作通りなら。
リコはレグと出会う。
旅立つ。
オーゼンに会う。
四層でナナチに救われる。
五層。
ボンドルド。
六層。
全部。
少なくとも。
俺が読んだところまでは。
道がある。
苦しい。
酷い。
でも。
結果を知っている。
結果を知っていることは。
安全だ。
俺にとって。
……本当に?
「ミナトさん!」
「うわっ!」
横から。
リコ。
「心臓止まる!」
「ごめんなさい」
「何でいるの!」
「帰り道です!」
「ああ、普通の理由!」
「普通じゃなかったら何です?」
「最近君に会うと何か起こるから」
「失礼です!」
「事実!」
並んで歩く。
逃げない。
もう。
逃げる方が不自然だ。
「今日、何してたんです?」
「仕事」
「その後」
「ポロに古い資料読んでもらってた」
「何の?」
「探窟記録」
眼鏡の奥が光る。
「どんな!?」
「近い近い!」
「白笛ですか!? 遺物ですか!? 原生生物!?」
「全部ちょっとずつ!」
「見たい!」
「今から戻らない!」
「明日!」
「何で俺と行く前提!」
「一人でも行きます」
「じゃあ俺いらないじゃん!」
「一緒の方が面白いです」
「……」
困る。
そういうこと。
言うな。
「ミナトさんって」
「何」
「探窟家にならないんですか?」
また。
その話。
「分からない」
「なればいいのに」
「軽い!」
「アビスのこと好きですよね?」
「何でそう思うの」
「聞くとき、すごく真剣だから」
好き。
……好きだ。
元の世界で。
作品として。
アビスが。
怖くて。
美しくて。
謎だらけで。
「好き、だった」
「だった?」
「今は……分からない」
「変なの」
「君には言われたくない」
「私はアビス好きですよ」
「知ってる」
「え?」
「……見れば分かる」
危ない。
口が。
「ミナトさんも潜れば分かります」
「何が」
「好きかどうか」
「命懸けの好き嫌い判定やめて」
「一層ならそんなに危なくないです!」
「君の『そんなに』信用できない!」
「えー」
この子は五年後行く。
俺が何をしても。
たぶん
止めるのは違う。
止めても無理。
なら原作通り。
レグと旅立つ。
それが一番だろう。
「……ミナトさん?」
「何」
「また遠い顔」
「みんなに言われるな、それ」
「どこ見てるんです?」
君の未来なんて言えない。
「穴」
アビスを指す。
リコも見る。
「綺麗ですよね」
「……うん」
「下、何があるんでしょう」
「さあね」
知っている。
少しだけ。
でも。
知らないふり。
その方がいい。
「ミナトさん」
「ん?」
「一緒に行きません?」
「どこへ」
「アビス!」
「行かない!」
「即答!」
「今の俺は死ぬ!」
「じゃあ強くなってから!」
「その勧誘、長期契約なの!?」
「はい!」
「はいじゃない!」
◆
宿。
夜。
ミーナが洗ったコップを並べている。
「今日は何を悩んでるの?」
「顔に出てます?」
「出てる」
「最近プライバシーがない」
「顔に書く方が悪い」
カウンター。
俺は紙を広げる。
「ミーナ」
「うん」
「決まった道って、外れない方がいいと思います?」
「道?」
「例えば」
「また例えば?」
「またです」
「どうぞ」
「山道で」
「うん」
「危ないけど、先人が通って生還した道がある」
「うん」
「でも途中で誰かが怪我するのも分かってる」
ミーナの手が止まる。
「それでも、その道を使います?」
「他の道は?」
「分からない」
「なら使うかも」
「怪我するのに?」
「死ぬかもしれない知らない道よりは」
「……」
合理的。
そう。
合理的。
「でも怪我する場所が分かってるなら、そこだけ対策する」
「……」
「何?」
「いや」
そうだ。
そういう。
やり方もある。
原作の大筋は変えない。
危険だけ避ける。
死ぬ人だけ救う。
できる?
都合よくそんな。
……でも。
「それなら」
口から出る。
「道は変わらない」
「何の話?」
「何でもない」
「また?」
「はい」
ミーナはため息。
「あなた、最近どんどん秘密が増えてない?」
「減らしたい」
「じゃあ喋れば」
「喋ったら多分もっと面倒になる」
「もう十分面倒よ」
「ひどい!」
でも笑える。
ありがたい。
俺は紙に日本語で書く。
『原作通りに進める』
手が止まる。
「……」
「何書いてるの?」
「自分用のルール」
「また?」
「また」
「この前も書いてなかった?」
「増えました」
「ルール好きね」
「怖いと増えるんですよ」
自分で言って気づく。
怖い。
そう。
俺は。
原作を変えるのが怖い。
知っている未来が。
消えるのが。
怖い。
だから。
ルール。
『大きな流れには介入しない』
『原作で生き残る人は、その道を壊さない』
『目の前の危険は助ける』
『死亡・不可逆の悲劇だけ、可能なら対策する』
書く。
四つ。
綺麗。
理屈が通っている気がする。
「……よし」
「決まった?」
「決まった」
「じゃあ顔上げなさい」
「え?」
「スープ冷める」
「また飯!」
「悩んでても腹は減るでしょう」
「はい」
◆
翌日。
港。
新しい仕事。
今日は探窟家向けの荷物。
縄。
保存食。
薬。
簡単な工具。
赤い笛を下げた若い探窟家が二人。
一人は男。
一人は女。
二人とも。
俺より少し年上くらい。
「これで全部?」
「はい」
男が箱を確認。
「軽いな」
「食料減らしたから」
女が言う。
「二層まで行くんでしょ?」
「一泊だけだ」
「戻れなかったら?」
「その時は食料あっても一緒」
「縁起でもない」
笑っている。
普通に。
「二層」
思わず。
「ん?」
二人が見る。
「行くんですか」
「そうだけど」
「危なくないです?」
「危ないよ」
女が笑う。
「だから潜るんじゃん」
「その理屈、どっかで聞いたな……」
「何?」
「何でも」
リコ。
似た。
いや。
探窟家。
そういう人が。
多いのか。
「兄ちゃん探窟家じゃないの?」
「まだ」
「なる予定?」
「……たぶん」
「じゃあそのうち下で会うかもね」
「死なないでくださいよ」
「初対面でそれ言う?」
「すみません」
「まあ、ありがと」
男が箱を持つ。
「帰ってきたら、土産話してやるよ」
「名前、聞いていいです?」
「俺? ハイル」
「私はセナ」
「ミナトです」
「覚えた」
「俺も」
二人が去る。
赤笛。
若い。
原作にいない。
少なくとも。
覚えてない。
この二人の未来を。
俺は知らない。
「……」
ガンザが横に来る。
「何だ」
「いや」
「また遠い顔」
「流行ってるんですかその言い方」
「お前が毎日やるからだ」
ハイルとセナ。
二人。
二層。
戻る?
知らない。
もし。
原作に出ていないから。
何もない?
違う。
原作に出ていないから。
俺には分からない。
「ガンザ」
「ん」
「さっきの二人、よく来る?」
「たまにな」
「帰還率は?」
「何だそれ」
「無事に帰ってくる?」
「今のところな」
「……そっか」
「何を心配してんだ」
「知り合ったから」
「今?」
「名前聞いたから」
「お前」
ガンザが笑う。
「面倒な性格してんな」
「最近自覚してきました」
◆
三日後。
二人は。
帰ってこなかった。
その日には。
まだ。
◆
宿。
「ただいま」
「おかえり」
「今日、肉あります?」
「ある」
「やった」
「珍しく機嫌いいじゃない」
「字のテスト受かった」
「何の?」
「港の札」
「そんなテストあるの?」
「ガンザが勝手に作った」
「何点?」
「八十」
「微妙」
「高得点!」
「家と鳥は?」
「……」
「まだ?」
「何でそこだけ覚えられないんだろう」
ミーナが笑う。
俺も。
今日は。
平和。
「ミナトさん!」
扉。
「また来た!」
「こんばんは!」
「リコちゃん、いらっしゃい」
「ミーナ、受け入れ早すぎ!」
「だってもう来るでしょう」
「常連化!」
「これ!」
リコが紙を持つ。
「何?」
「孤児院の文字練習!」
「俺に見せてどうする!」
「一緒にやりましょう」
「七歳と勉強会!?」
「私はこれ読めます」
「マウント!」
「まうんと?」
「何でもない!」
「ミナト、ちょうどいいじゃない」
「よくない!」
結局。
勉強会。
リコ先生。
「これは?」
「鳥」
「正解!」
「やった!」
「十九歳が七歳に褒められてる」
「ミーナ黙って!」
「じゃあこれは?」
「家」
「正解!」
「勝った!」
「誰に?」
「過去の俺!」
「変なの」
リコが笑う。
原作にはない。
たぶん。
でもこれくらいいいだろ。
大筋は変わらない。
原作通り。
リコは五年後レグとアビスへと行く。
俺はそこへ必要以上に触らない。
そう決めた。
「ミナトさん」
「ん?」
「赤笛になったら、最初に何したいですか?」
「まだなるって決めてない」
「なる顔してます」
「どんな顔だよ」
「穴を見る顔」
「分からない」
「私は分かります」
リコは。
自信満々。
「じゃあ君は?」
「遺物いっぱい見つけます!」
「知ってた」
「何で!?」
「……そういう顔」
「真似した!」
「バレた」
◆
夜。
机。
ノート。
昨日書いた四つのルール。
『大きな流れには介入しない』
『原作で生き残る人は、その道を壊さない』
『目の前の危険は助ける』
『死亡・不可逆の悲劇だけ、可能なら対策する』
何度読む。
悪くない。
合理的。
俺は物語を知っている。
なら。
知識を活かす。
でも。
世界を壊さない。
必要なところだけ。
直す。
そう。
それでいい。
ミーティ。
プルシュカ。
ヴエコ。
救えるなら。
救う。
でも。
リコの旅は。
レグとの出会いは。
ナナチとの出会いは。
壊さない。
原作には。
必要な痛みも。
ある。
……必要?
「……」
ペンが止まる。
必要な痛み。
誰にとって。
物語にとって?
読者にとって?
俺にとって?
ナナチにとって。
ミーティの苦しみが。
必要?
プルシュカにとって。
あの結末が。
必要?
「違う」
小さく。
言う。
必要なんじゃない。
起きた。
結果として。
物語になっただけ。
でも。
そこを変えると。
ナナチは。
ナナチじゃなくなる?
ミーティとの時間。
ボンドルドへの感情。
全部。
……分からない。
「だから」
ペンを握る。
「今は、触らない」
まだ。
届かない。
四層。
五層。
だから。
今考えても。
答えは出ない。
今日できること。
字。
仕事。
体。
情報。
それだけ。
「原作通り」
言う。
安心する。
その言葉を言うと。
未来が。
もう一度。
地図になる。
知っている道。
苦しいけど。
知っている。
暗いけど。
先がある。
「……これでいい」
ノート。
最上段。
大きく。
『原作を壊さない』
書いた。
その下。
今日の小さな記録。
『リコ:家と鳥を覚えさせてきた。腹立つ』
少し笑う。
「……寝よ」
スマホ。
電源は入れない。
今日は。
必要ない。
灯りを消す。
窓の外。
アビス。
夜。
巨大な穴。
俺は。
この時。
本気で。
自分が一番安全な答えを選んだと思っていた。
知っている未来を。
なるべく壊さない。
目の前だけ。
少し助ける。
それなら。
全部。
うまくいく。
――そんなに。
都合よく。
人の人生を。
切り分けられるはずもないのに。
今回の湊は、悪い答えを選んだわけではありません。
怖いから。
分からないから。
今の自分には何もできないから。
いったん線を引いただけです。
自分は、こういう「その時点ではちゃんと正しそうに見える考え」が、後から少しずつ崩れていく話が好きです。
なのでノートの一番上に、
かなり大きく書いてもらいました。
『原作を壊さない』
消す時に、ちゃんと痛くなるように。
第六話、ありがとうございました。