昼:魚。たぶんまた魚。
夜:働けたら何か食べられる。
――なお、奈落の底にはまだ一歩も近づいていません。
いろいろと考えると腹が減るんですよね。
そして腹が減ると、格好いい決意なんてだいたいどうでもよくなります。
今回はそんな話です。
第七話「奈落で食う」。
お願いします。
夢の中で、俺は奈落の底にいた。
暗い。
何も見えない。
でも誰かがいる。
「遅いよ」
声だけがした。
女の子の声だった。
誰だ。
知っている気がする。
いや。
知っている。
知っているのに、顔が見えない。
「ごめん」
俺は言った。
「まだ、そこまで行けない」
「うん」
「でも、行くから」
「うん」
「だから――」
腹が鳴った。
「…………」
「…………」
奈落の底で。
盛大に。
ぐぅぅぅぅ、と。
「……腹、減ってるの?」
「今それ言う?」
◆
「腹減った」
目が覚めた。
最悪だった。
重い夢だったはずなのに、最後の最後で俺の胃袋が全部台無しにした。
「……何なんだよ」
ベッドの上で腹を押さえる。
鳴る。
もう一回。
「分かったって」
腹に返事をしてどうする。
窓の外は朝。
オースの街はすでに動き始めていた。
遠くで荷車の車輪が鳴る。
誰かが怒鳴る。
海鳥が鳴く。
そして、その向こう。
巨大なアビス。
七日目。
この景色にも、少しだけ慣れた。
慣れた自分が怖い。
「……今日もあるな」
当たり前だけど。
奈落は今日もある。
昨日、俺がノートに『原作を壊さない』と書いたことなんて知らない。
俺が悩んでいることも知らない。
勝手にそこにある。
ガンザが言った通りだ。
「まず飯」
壮大な未来の前に。
朝飯。
これが現実。
◆
「パン一枚」
「二枚」
「一枚」
「二枚」
「一枚でいいです」
「二枚食べなさい」
「金が」
「宿代に朝食入ってるから」
「二枚ください」
「変わり身早いわね」
ミーナが呆れた顔でパンを二枚置いた。
「無料なら食います」
「無料じゃない。宿代に入ってる」
「払った時点で俺のものです」
「急に逞しくなったわね」
「この街、油断すると財布が死ぬんで」
「財布持ってないでしょう」
「概念としての財布です」
薄いスープ。
固いパン。
昨日よりうまい。
人間、慣れる。
怖い。
「ミーナ」
「なに?」
「俺、今いくら持ってます?」
「自分で数えなさい」
「数字は読めます」
「昨日、四と九を間違えてたわよ」
「あれは光の加減」
「昼だったけど」
「心の光が」
「数えなさい」
俺はポケットから小銭を出した。
この世界の硬貨。
最初は全部同じに見えた。
今は少し分かる。
大きさ。
刻印。
重さ。
「……これが十」
「うん」
「これが五」
「うん」
「これが……百?」
「一」
「何で!?」
「全然違うでしょう」
「この硬貨だけデザイン思想がおかしい!」
「貨幣に文句言う人初めて見た」
結局。
ミーナに横から直されながら数える。
「……少なっ」
「昨日魚買ってたでしょう」
「ポロの情報料」
「二匹」
「値上げされた」
「九歳に?」
「九歳に」
「交渉向いてないわね」
「知ってる」
机の上。
全財産。
笑えるくらい少ない。
「これで何日生きられます?」
「宿代は?」
「……」
「食事は?」
「……」
「洗濯は?」
「……」
「字を教える代金は?」
「それ取ってたの!?」
「冗談」
「心臓に悪い!」
ミーナが笑う。
俺は机に額をつける。
「金がない」
「働きなさい」
「働いてます」
「もっと」
「ブラック!」
「港の仕事だけじゃ、ずっとここに泊まって好きなだけ魚を買うのは厳しいわね」
「魚、好きで買ってないです」
「ポロくんに貢いでるの?」
「情報料!」
「同じでしょう」
「違う!」
俺は小銭をまとめる。
現実。
すごく現実。
五年で四層へ届く。
原作を壊さない。
悲劇だけ可能なら避ける。
そんなことを書いている男が。
今は宿代で悩んでいる。
格好つかない。
でも。
これを無視したら死ぬ。
「ミーナ」
「うん」
「探窟家って稼げます?」
「当たれば」
「怖い言い方」
「遺物持ち帰ればお金になるし、依頼もある。でも装備代もいるし、怪我もするし、死ぬ人もいる」
「収入の説明に死亡リスク混ぜないで」
「事実でしょう」
「……そうなんだけど」
「それに、あなたまだ探窟家じゃないし」
「はい」
「字も怪しいし」
「はい」
「体力も普通」
「はい」
「土地勘なし」
「はい」
「装備なし」
「もうやめて!」
「現実確認」
「朝から刺しすぎ!」
ミーナが楽しそうだ。
「じゃあ、もっと稼げる仕事あります?」
「ガンザさんに聞けば?」
「港以外?」
「顔広いから」
「なるほど」
「ただし」
「まだある?」
「怪しい仕事は断りなさいよ」
「俺、そんなに騙されそう?」
「九歳に魚二匹」
「その話強すぎない!?」
◆
「もっと金が欲しい」
「朝一番に言う台詞じゃねえな」
港。
ガンザは木箱の釘を打ちながら言った。
「生活がかかってます」
「今の仕事じゃ足りねえか」
「宿に住み続けるなら、ちょっと」
「もっと安いとこ行け」
「正論」
「終わりか?」
「でもミーナの宿、字教えてくれるし」
「お前、十九だよな?」
「そこを刺さないで」
「飯も出る」
「重要」
「洗濯も頼める」
「重要」
「居着いてんじゃねえか」
「もうちょっとだけ!」
ガンザが笑う。
「で。仕事か」
「何かあります?」
「あるにはある」
「危ない?」
「お前の基準による」
「死ぬ?」
「たぶん死なねえ」
「採用」
「判断早えな」
「今の俺、『たぶん死なない』が最高評価なんで」
ガンザが釘を打ち終える。
「遺物の荷整理」
「遺物?」
身体が勝手に前へ出る。
「近い近い」
「どこ!?」
「食いつきだけは探窟家だな」
「遺物ですよ!?」
「だから落ち着け」
「本物?」
「偽物の遺物って何だ」
「模造品とか!」
「市場にはあるな」
「あるんだ……」
「今回のは、探窟家が持ち帰った品の選別補助。遺物そのものを勝手に触る仕事じゃねえ。箱運びと洗浄と記録札の整理だ」
「やる」
「説明最後まで聞け」
「はい」
「割れたら弁償」
「やめる」
「早えよ」
「いくら!?」
「物による」
「一生働いても返せないやつある?」
「ある」
「怖っ!」
「だから触るのは管理人の指示した物だけだ」
「……それなら」
「日当は港より少し高い」
「やります」
「現金だな」
「貧乏なんで」
「あと」
「まだ?」
「遺物に夢見んなよ」
「え?」
「下から上がってくるもん全部が、光って飛んで願い叶えるわけじゃねえ」
「知ってます」
答えた。
知っている。
遺物には等級がある。
すごいもの。
危険なもの。
便利なもの。
用途不明のもの。
そして。
たぶん。
誰にも見向きされないもの。
「……たぶん」
「何がだ」
「何でもない」
◆
倉庫は港から少し離れた坂の途中にあった。
外見。
地味。
石壁。
分厚い扉。
窓が少ない。
「もっとこう」
「何だ」
「神秘的な感じ想像してた」
「倉庫だぞ」
「そうなんだけど」
「遺物に花でも飾るか?」
「それは違う」
扉。
ガンザが三回叩く。
「婆さん!」
「誰が婆さんだい!」
中から怒鳴り声。
「元気だな」
「怖い予感」
扉が開く。
小柄な老婆。
白髪。
片目に古い単眼鏡のようなものをかけている。
「ガンザ。何だいそいつ」
「荷運び」
「細い」
「知ってます」
「字読める?」
「……少し」
「帰りな」
「待って!」
扉が閉まりかける。
「運べます! 数字読めます! 家と鳥も読めます!」
「最後の二つ何だい」
「俺の成長の証!」
老婆が止まる。
俺を見る。
「変なの連れてきたね」
「だろ」
「ガンザ、同意しないで」
「名前」
「湊です」
「ミナト」
「はい」
「私はネル。ここでは私が触れと言ったもの以外に触るな。箱の印を勝手に剥がすな。匂いを嗅ぐな。舐めるな。振るな。叩くな。火に近づけるな」
「舐める人いるんですか?」
「いた」
「過去形怖い!」
「死んじゃいないよ」
「よかった」
「舌の色が三日戻らなかっただけ」
「嫌だ!」
「遺物に夢を見ると、まず余計なことをする」
ネルが中へ戻る。
「入んな」
「はい」
倉庫。
中。
息を止めた。
木箱。
棚。
布で包まれた何か。
金属。
石。
奇妙な瓶。
形の分からない塊。
札。
札。
札。
その全部が。
アビスから上がってきたもの。
「……すげえ」
「声小さくしな」
「はい」
でも。
すげえ。
本当に。
アニメの資料集じゃない。
ゲームのアイテム欄じゃない。
目の前に。
ある。
遺物。
「それはただの石」
「え」
俺が見ていた棚。
「遺物じゃないんですか」
「違う」
「すげえ雰囲気あったのに」
「深層から付いてきた石ころ」
「深層産の石!」
「石ころ」
「ロマンが!」
「売れない」
「現実が!」
ガンザが腹を抱えて笑う。
「お前ここ向いてるかもな」
「どっちの意味?」
「知らん」
◆
最初の仕事。
箱運び。
俺はネルの指示通りに、印のついた箱を棚から棚へ移す。
「赤印、右!」
「右!」
「青印、下段!」
「下段!」
「白印は触るな!」
「了解!」
「その箱逆さ!」
「うわっ!」
「動くな!」
「はい!」
固まる。
ネルが来る。
箱をゆっくり戻す。
「危なかった……?」
「中は皿だよ」
「皿!?」
「遺物じゃない」
「心臓返して!」
「注意書き読めないあんたが悪い」
「ぐう」
字。
また字。
人生の敵。
「明日までにこの札覚えな」
「多い!」
「嫌なら港戻りな」
「覚えます」
「よろしい」
次。
洗浄。
洗うのは、遺物そのものではなく容器や付着した土の入った袋。
地味。
ひたすら地味。
でも。
土。
アビスの土。
層によって色も匂いも違う。
「これ、何層?」
「二層」
「こっち?」
「一層」
「違う」
「色」
「色だけで見るな。混じる」
「じゃあ?」
「札」
「結局字!」
「当たり前だよ」
ネルは冷たい。
でも教えてくれる。
ありがたい。
仕事の合間。
俺は棚を見る。
「ミナト」
「触ってないです!」
「見過ぎ」
「見るのもダメ?」
「仕事止まるならね」
「すみません」
「興味あるのかい」
「めちゃくちゃ」
「正直だね」
「元の……遠い土地では、こういうのなかったから」
「そりゃ世界中から人が来るわけだ」
ネルが布を一枚めくる。
中。
灰色の円盤。
手のひらくらい。
「これは?」
「遺物」
「何する?」
「触ると少し温かくなる」
「……それだけ?」
「それだけ」
「等級は?」
「大したもんじゃない」
「売れる?」
「安い」
「温石みたいに使える?」
「持続が短い」
「何分?」
「さあ」
「試さないの?」
「値がつかない物に一日使うほど暇じゃない」
「……」
その言葉が。
少し。
引っかかった。
「値がつかない」
「何だい」
「いや」
円盤。
触ると温かい。
それだけ。
単体では。
たぶん。
役に立たない。
でも。
温度が必要な場面なら?
毒を温める?
薬?
保温?
凍結?
夜?
「仕事」
「はい!」
頭を戻す。
まだ。
今は。
考える段階じゃない。
◆
昼。
倉庫の外。
「ほら」
ガンザが包みを投げる。
「何?」
「飯」
開く。
魚。
「また魚!」
「港町で何期待してんだ」
「肉」
「稼げ」
「結局金!」
パン。
干し魚。
水。
「ネルさんは?」
「中で食う」
「遺物の横で?」
「慣れてんだろ」
「俺は怖い」
「お前朝は目輝かせてたじゃねえか」
「好きと怖いは両立するんです」
「面倒だな」
「リコにも同じこと言われた」
「またあのガキか」
「ガキって言うな」
「もう庇ってんじゃねえか」
「違う!」
「何が」
「……何だろ」
ガンザが笑う。
「で。どうだ」
「仕事?」
「ああ」
「楽しい」
「港より?」
「……ちょっと」
「裏切り者」
「給料も高い」
「最低だな」
「生活が!」
「まあ、いい」
ガンザが魚を噛む。
「ネルの婆さんに気に入られりゃ、たまに使ってくれる」
「気に入られてます?」
「帰れって言われなかったろ」
「基準低い!」
「十分だ」
俺も魚を食う。
「ガンザ」
「ん」
「この街って」
「ああ」
「アビスなくなったらどうなる?」
少し。
間。
「何だ急に」
「いや。港もそうだし、この倉庫もそうだし」
探窟家。
遺物。
宿。
食堂。
装備。
運送。
孤児院。
市場。
全部。
アビスへ繋がっている。
「穴があるから街があるのか、街が穴にしがみついてんのか。俺には分からんな」
ガンザが言う。
「でも、なくなりゃ困る奴は多い」
「怖い場所なのに」
「海だって人殺すぞ」
「……ああ」
「でも漁師は海出る」
簡単。
でも。
分かりやすい。
「奈落で食ってるんだよ」
「奈落で」
「俺も。ネルの婆さんも。ミーナも。お前も今はな」
俺。
「俺も?」
「港の荷物、どこから来てると思ってんだ」
「……」
「探窟家がいなきゃ減る。遺物がなきゃ商人も減る。見物人も来ねえ」
「そうか」
俺は。
もう。
アビスで食っている。
潜ってないのに。
その周りで。
生活している。
原作を読んでいた時。
そんなこと。
あまり考えなかった。
オースは舞台。
アビスへ出発する街。
でも。
ここで。
暮らしている人がいる。
アビスへ行かない人も。
アビスのおかげで飯を食う人も。
アビスで家族を失った人も。
それでも。
街は続く。
「……すごい場所だな」
「今さらかよ」
「今さらです」
◆
午後。
記録札の整理。
地獄。
「読めない!」
「覚えな!」
「似た字多い!」
「似てない!」
「ミーナと同じこと言う!」
「誰だい」
「宿の人!」
ネルが紙を俺の前へ置く。
「これは?」
「一層」
「これは?」
「二層」
「これは?」
「……三層」
「正解」
「やった」
「これは?」
「四層」
口にした瞬間。
手が止まった。
四層。
ナナチ。
ミーティ。
「どうした」
「……何でも」
「顔に出るねえ、あんた」
「最近全員に言われます」
「じゃあ直しな」
「直せる?」
「知らないよ」
ネルが次の札を出す。
「五層」
今度は。
ボンドルド。
プルシュカ。
また。
手が止まる。
「……あんた」
「はい」
「深い数字ほど顔悪くなるね」
「……」
「深層に知り合いでもいるのかい」
「いません」
嘘。
いや。
本当。
知り合いではない。
知っているだけ。
「なら、何を怖がってる」
「知識」
口から出た。
「知ってるから怖い」
ネルが片眉を上げる。
「変なこと言うね」
「自分でもそう思います」
「知ってるなら避けられるだろ」
「……全部は」
「全部避けたいのかい?」
答え。
すぐ出ない。
「分かりません」
「なら今は札を覚えな」
「はい」
「四層」
「四層」
「五層」
「五層」
「六層」
喉が。
一瞬。
動かなかった。
「……六層」
「声小さい」
「六層」
「よし」
ただの文字。
ただの数字。
でも。
その先に。
俺は。
知っている顔を見てしまう。
「もう一回」
「はい」
◆
日が落ちる前。
仕事終了。
ネルが小袋を投げる。
「日当」
「おお」
重い。
港より。
少し。
本当に少し。
多い。
「やった!」
「子供みたいに喜ぶんじゃないよ」
「今の俺には大金!」
「明日も来るかい」
「いいんですか?」
「字が読めるようになるまで雑用はある」
「長期雇用!」
「勘違いするな。一日ごとだ」
「十分!」
「遅刻したら終わり」
「何時?」
ネルが札を見せる。
「……」
「読め」
「試験!?」
「読めなきゃ来られないね」
「えっと……朝、七?」
「六」
「危なっ!」
「もう一回」
「六!」
「よし」
ガンザが横で笑う。
「寝坊すんなよ」
「絶対起きる」
「人間に絶対はねえ」
「またそれ!」
◆
市場。
仕事終わり。
財布。
いや、まだ財布はない。
小袋。
中に金。
今日は少しだけ余裕がある。
「肉……」
肉串。
匂い。
うまそう。
値段を見る。
読める。
読めるからこそ。
「高っ」
文字を読めるようになった弊害。
昔なら買ってから泣いていた。
「お兄ちゃん!」
「今日は魚買わないぞ!」
「まだ何も言ってない!」
ポロ。
「何で先回りしたの」
「君を見ると財布が警戒する」
「財布ないじゃん」
「概念!」
「何それ」
「俺も分からない」
ポロが肉串を見る。
「食べたいの?」
「今日は頑張ったから」
「買えば」
「高い」
「けち」
「生活!」
「じゃあ半分こ」
「……」
「僕、半分払う」
「え」
意外。
「魚二匹男が?」
「今日は情報売ってないから」
「ちゃんとしてる!」
「僕を何だと思ってるの」
「九歳の商人」
「合ってる」
「合うんだ」
二人で。
一本。
買う。
半分。
「うまっ」
「うん」
「肉だ」
「肉だね」
「この世界来て初めてちゃんと肉食ったかも」
「また『この世界』って言った」
「遠い土地の言い回し」
「絶対嘘」
「九歳鋭いな」
「で、今日は何してたの?」
「遺物の倉庫」
「えっ!?」
ポロの声。
でかい。
「近い近い!」
「本物!?」
「本物」
「何見た!?」
「触ると温かくなる灰色の円盤」
「すごい!」
「いや、すごくないらしい」
「何で?」
「温かくなるだけ」
「すごいじゃん」
「だよな?」
「うん」
子供。
だからか。
価値。
値段。
等級。
そんなものより。
触ると温かくなる石。
それだけで。
「何に使えるかな」
ポロが言う。
「……」
「何?」
「俺も同じこと考えた」
「じゃあすごいじゃん」
「……そうかも」
頭の中。
円盤。
温度。
他の何か。
組み合わせ。
単体。
単体で。
役に立たないなら。
「お兄ちゃん?」
「……何でもない」
「また遠い顔」
「本当に全員同じこと言うな!」
◆
宿。
「ただいま!」
「おかえり」
「見て!」
「何?」
日当。
机。
並べる。
「昨日より多い!」
「子供ね」
「生活費!」
「何の仕事?」
「遺物の倉庫」
「へえ」
「明日も!」
「よかったじゃない」
「はい!」
「宿代払えるね」
「……」
笑顔。
消える。
「現実に戻さないで」
「払って」
「はい」
金。
減る。
「あああ……」
「何その声」
「俺の労働が!」
「宿になったのよ」
「そう考えると悪くない」
「でしょう?」
「飯も」
「出る」
「字も」
「教える」
「ミーナ」
「何?」
「ここ、良物件」
「今気づいた?」
「もうちょい安く」
「出てっていいわよ」
「ごめんなさい」
笑う。
夕食。
今日は魚じゃない。
豆。
「魚じゃない!」
「そんなに嫌だった?」
「嫌じゃないけど連続は」
「贅沢」
「働いたから許して」
◆
夜。
ノート。
収入。
支出。
宿代。
食費。
ポロ。
「ポロが項目になってる」
笑う。
その下。
『遺物倉庫』
書く。
『低価値品でも、用途がないとは限らない』
今日見た。
灰色の円盤。
触ると少し温かくなる。
安い。
役に立たない。
そう言われていた。
でも。
本当に?
単体なら。
そうかもしれない。
じゃあ。
単体じゃなかったら。
「……」
ペンが止まる。
俺は。
別に発明家じゃない。
科学者でも。
技術者でも。
工作が得意だったわけでもない。
でも。
ゲームなら。
弱い効果を組み合わせるのが好きだった。
漫画でも。
強い一発より。
弱い能力を使い倒すやつが好きだった。
「いや」
自分で笑う。
「現実なんだよ」
ゲームじゃない。
失敗したら。
怪我。
死ぬ。
だから。
今すぐ何か作る。
そんなことはしない。
まず。
知る。
遺物を。
この世界の道具を。
力場を。
生物を。
文字を。
値段を。
「値段……」
最後だけ急に現実。
でも。
大事。
金がなければ。
装備は買えない。
飯も食えない。
宿にも泊まれない。
探窟家にもなれない。
誰かを助ける以前に。
俺が。
生きられない。
ノートの端。
『五年』
書く。
その横。
『一日目:飯代を稼ぐ』
「……」
地味。
あまりにも。
でも。
「これでいい」
ガンザ。
ミーナ。
ネル。
今日。
何度も。
同じことを教えられた。
アビスの中だけが。
冒険じゃない。
下へ行くために。
今日を生きる。
それも。
たぶん。
探窟の一部なんだ。
◆
翌朝。
「遅い!」
「六時って読んだ!」
「今六時一分!」
「一分!」
「遅刻は遅刻!」
「ネルさん厳しい!」
「帰るかい?」
「働きます!」
「なら走る!」
「倉庫で走っていいの!?」
「入口まで!」
「はい!」
荷物。
札。
土。
遺物。
今日も。
奈落の底には。
一ミリも近づいていない。
でも。
昨日より。
文字を一つ多く知っている。
昨日より。
金が少しある。
昨日より。
アビスから上がってくる物を知った。
そして。
昨日までなら。
価値がないと思っていた物を。
少しだけ。
違う目で見始めた。
「ミナト!」
「はい!」
「灰色円盤、棚の下!」
「これ?」
「それ!」
布越しに持つ。
軽い。
安い。
大したものじゃない。
触ると。
少しだけ温かくなる。
それだけ。
「……」
「何してる!」
「今行きます!」
棚へ運ぶ。
置く。
まだ。
何にもならない。
でも。
この時。
たぶん初めて。
俺は。
遺物を。
『強いか弱いか』ではなく。
『何ができるか』で見た。
小さな。
本当に小さな。
始まりだった。
書き終えてみると、第七話はずいぶん地味な回になりました。
でも、自分はこういう回がかなり好きです。
湊もまだ一度も本格的に潜っていないのに、気づけばもうアビスに飯を食わせてもらっている。
その感じが書けたのが嬉しかったです。
そして灰色の円盤。
今は、本当に大したものではありません。
こういう「誰も欲しがらない物」が、後でどうなるのか。
自分も楽しみにしながら置いておきます。
では、今日のところは黒字ということで。
第七話、ありがとうございました。