56話 9階層への扉。
家に帰ると、まだキレているユウガから、『ちゃんと休め』と怒られた。
いつになく強い口調だったので、俺は、素直に頷いた。
「わかったわかった。今日はもう大人しくしてるよ」
そうして、この日は、家でゆっくり過ごすことにした。
★
夕方、協会の綾大路から連絡が来た。
『できれば明日にでも、9階層に向かいたい』
という要請だった。
俺は正直、行きたかったよ。
9階層に何があるか見たいもん。
体の問題も、正直、大したことないし。
……問題は、ユウガの説得だった。
「今日退院したばかりだと理解できていますか?」
夕飯の席、味噌汁を置く手つきに、明らかに苛立ちが滲んでいる。
小言が始まると長いのなんの。
いかに俺がダメな人間か……それと、あらゆる角度から、えんえんと繰り返す。
だが、マジで、今回はそこまで体に大きな障害が出ていないので、
「見てくれよ、これ」
俺は、左手の指を、軽く握ったり開いたりしてみせる。
「小指と薬指は多少動かしづらいけど、日常生活に支障が出るほどじゃない。左耳もちょっと聞こえづらいだけ。前回に比べたら、正直、めちゃくちゃマシなんだよ」
「……ほんと、頭おかしいですよね、先生って」
本気で引いた目で俺をさげすむ。
最初は、『退院したばかりで未知の9階層に行くなんてダメにきまっているでしょう』というスタンスを崩さなかったユウガだが、
俺が、『いや、問題ないから』というスタンスを崩さなかった結果、
「……はぁ……ほんとに……」
俺が『言い出したら聞かないタイプだ』ということは、そろそろ理解できてきたのだろう。
立て続けに、
「……はぁ」
深いため息を連射してから、ユウガは、諦めたように、
「無茶はしないでくださいね。本当に危なくなったときは、時空旅団のメンバーを盾にして帰ってきてください」
「俺は最初から、あいつらのことを肉壁としか思っていないよ」
「……」
★
翌日、昨日のメンツが、8階層の神殿に集まっていた。
人類初の9階層到達。
その記念的な意味合いもあるが……『9階層に降りた途端、いきなり襲われる』という可能性もある。
だから、念のため、全員で、最大限の警戒をしながら9階層へと続く階段を降りようという話になった。
ぞろぞろと階段を下りている間、みな、それぞれ、思い思いの会話をしている。
「9階層が最深部の可能性もあるよね」
「基本は、キリのいい10だけど……そんな保証はないもんねぇ」
「でも、あれだけ強いガーディアンが、8階層を守っていたから……9がラストって可能性もあるよな」
「9階層は宝物庫です……みたいなオチ希望」
誰かが、そんな軽口を叩く。
だが、その後に続いた声は、少し重たかった。
お調子者の坂田が、ため息交じりに、
「正直、もう戦いたくねぇよ。雑魚を相手に無双するならともかく、クロノスみたいな強いやつと、命の取り合いなんてしたくねぇ……」
誰も、その言葉を否定しなかった。
猛田は鼻で笑っていたが。
猛田はマジで性格が終わっている……と思っていると、
その猛田が俺の方に近づいてきて、
「先生、この前、病院にいた『褐色で黒髪の中学生』……あれ、なんすか? なんか妙に親し気だったすけど」
「何って……副担だった蝉原先生の娘さんだよ。よく見りゃ激似だろ。……蝉原先生は亡くなったから、今は、彼女を引き取って保護者をしている」
「は? 同棲してるってことすか?」
「耳、死んでる? 色々あって大変な状況だから、後見人になったと言っている」
「うわぁ……マジなんだ。やっば。女子中学生と同棲とか、きっしょ。終わってる。これ、警察に電話していいすか」
やばい……むちゃくちゃ殴りたい。
こいつの担任になってから、色々なことでからかわれて、何度も殴りたいと思ったが、
今日ほど本気で殴りたいと思ったのは初めてだ。
「ずっとオレのことをいやらしい目で見てきておいて、手ごろな若いのを見つけたら、すぐそっちに乗り換えるとか……倫理観、どうなってんすか。きしょいわぁ」
ゴキブリを見る目で、そう吐き捨てながら、俺から離れていく。
やばい……『これ以上、あいつのことを嫌いになることはないだろう』と思っていたけど、完全に勘違いだった……
嫌悪感がどんどん増加する……
あいつ、殺したいぃ……
その後、静かな沈黙が、階段の壁に反響する足音の合間に、しばらく続いた。
――そうしているうちに、一番下に着いた。
そこには、見上げるほどに大きな、石造りの扉があった。
表面には、他の階層では見かけなかった、複雑な紋様が刻まれている。
「では、全員で押しましょうか」
時空旅団の委員長『琥珀《こはく》』の提案に反対する者はいなかった。
みんなで、扉に手をかけ、力を込めて押し開ける。
重い音を立てて、扉が、ゆっくりと開いていった。