美胡はその夜、比名子や汐莉に呼び出されて庭に来ていた。その日はずっと、美胡はバスケ部の練習に打ち込みながら比名子の身を案じていた。悪夢を操る男相手にどうやって戦うべきなのか、美胡も悩んでいたからだ。
そして、比名子と汐莉に呼び出されて、三人で話し合う機会を得たのだ。
美胡「比名子、どう?やっぱり一人で眠れない?」
比名子「うん。五条さんに電話で話したけど、やっぱり一人で寝ない方が良いみたい。美胡ちゃん。汐莉さん。2人が良いなら、一緒に寝て欲しい。いや、明日の朝には七海さんが迎えに来るから、それまで起きてた方が良いかな?」
美胡「……そうした方が良いかも。あんまり夜更かしさせたくないけど」
比名子「ごめんね、美胡ちゃん」
美胡「謝んなくていいって。むしろ謝るのはアタシの方」
比名子「……美胡ちゃんが?」
美胡「だってさ」
美胡は夜空を見上げる。
美胡「アタシ、比名子のことずっと守ってきたつもりだったんだよ」
比名子「……うん」
美胡「妖怪に襲われた時も、危ない依頼の時も、ずっと一緒にいた。だから今回も、アタシが何とかしてやるって思ってた」
美胡は拳を握る。その動作には、悔しさが込められているのは一目瞭然だった。
美胡「でも……夢の中じゃ呪霊操術が使えない。相手が何処にいるのかも分からない。そもそも、どうやって戦えばいいのかすら分からない」
汐莉「美胡……」
美胡「だから、今回は高専に行ってもらう。半魚人、アンタには比名子をしっかり護ってもらう」
比名子「……美胡ちゃん」
美胡「嫌だけどさ。正直、すっごく嫌だけど」
美胡は苦笑する。
美胡「それでも、比名子が無事に帰ってくる可能性が一番高いなら、アタシは送り出すよ」
比名子「…………」
美胡「五条が言ったんでしょ? 高専なら夢に関する呪術や怪異について何か分かるかもしれないって」
比名子「うん」
美胡「だったら行ってきな。アタシはここで待ってる」
比名子「……分かった」
その時、汐莉が腕を組みながら口を開く。
汐莉「私も同意見です。……まあ、比名子の事は任せてください」
美胡「お前ホントに変な事すんなよ!」
汐莉「勿論ですよ。変な事なんてしませんって、妄想炸裂しちゃってますよー」
比名子の右腕に抱き着く汐莉。
美胡「なんか不安だわ……」
比名子「……ふふ」
二人の言い争いを見て、比名子が小さく笑う。
美胡「……何笑ってんの?」
比名子「ううん。なんだかいつも通りだなって」
汐莉「そうですね」
美胡「まあ……そうね」
三人の間に、少しだけ穏やかな空気が流れる。
やがて、美胡は比名子の頭に手を置いた。
美胡「比名子」
比名子「うん?」
美胡「絶対、帰ってきてね」
比名子「……うん」
美胡「約束」
比名子「約束する」
美胡「よし」
美胡は比名子の頭を軽く撫でる。
美胡「じゃあ、明日はちゃんと七海さんに挨拶しなよ。失礼のないようにね」
比名子「分かってるよ」
翌朝までの間、三人はお互いに寝そうになれば、互いに牽制しあう。自販機で沢山購入したコーヒーを飲み、あやめに許可を貰って借りた客室で話し合ったり、深夜放送を観ながら三人で過ごした。
――――――――――――――――――――――
翌朝。合宿最終日。バスケ部の皆が朝食を食べ終えて、施設の職員に挨拶を済ませてバスに乗り込む頃だった。
合宿所の入口には、バスだけでなく一台の車が停まっていた。黒塗りのセダンだ。
車から降りてきたのは、眼鏡を掛けたスーツ姿の男と、黒スーツを着た一人の女性。一人は補助監督を務める術師だ。もう一人は比名子と美胡の知り合いであり、比名子も頼りにしてる人物、七海建人であった。
七海建人「お久しぶりです、八百歳さん」
比名子「七海さん。お久しぶりです」
七海「五条さんから事情は聞いています。高専までお送りします」
比名子「ありがとうございます」
七海は比名子の荷物を受け取る。
美胡「七海さん」
七海「はい?」
美胡「……比名子を、お願いします」
七海は一瞬だけ美胡を見る。六尾の妖狐が自分に頭を下げたのだ。それだけ、七海に比名子を託したい、という事だ。
七海「任せてください。彼女を無事に高専まで送り届けます」
美胡「……お願いします」
比名子「美胡ちゃん、そんな顔しないでよ」
美胡「だって……」
美胡は少しだけ顔を背ける。
美胡「……寂しいじゃん」
比名子「……うん」
比名子も少し寂しそうに笑う。
汐莉「始めまして、呪術師さん。近江汐莉です。呪術師らしい袴姿と思ったら、意外にもスーツ姿なんですね〜」
七海「七海です。近江さんもご同行されると聞いております。くれぐれも人間社会の中で騒ぎを起こされませんように」
汐莉「はーい」
そして、七海と共に車へ向かう比名子と汐莉。
美胡「比名子!」
比名子「?」
美胡「帰ってきたら――」
美胡は笑顔を作る。
美胡「また一緒にスイーツ食べに行こうね!」
比名子「……うん!」
比名子は手を振る。
美胡「………汐莉!比名子、しっかり護って!」
汐莉「……任せてください。美ー胡」
そして、七海が助手席に座り、比名子と汐莉が後部座席に座る。扉を閉じた後、補助監督が運転席に座り、エンジンを掛ける。
車がゆっくりと走り出す。
美胡は、セダンが見えなくなるまでその場に立っていた。
美胡「……行っちゃった」
美胡はこのような事は何度も経験していた。土地神である以上、護る土地から離れると力を発揮出来なくなる。しかし、比名子はよく大人達と共に任務先へ出向いている。
心配はしているが、信頼していた。
美胡「……絶対、帰ってきてもらわないと」
美胡は空を見上げる。
美胡「だから……変な夢なんかに負けんなよ、比名子」
そして、バスからバスケ部の女子達が顔を出す。
バスケ部女子「美胡ー!そろそろ出発だよー!」
美胡「………うん!今行く!」
この土地の人達は好きだ。そして比名子の生まれ故郷だ。比名子が留守の間、自分と留守を任された怪異達と共に護ろう。
美胡(途中で比名子の家に寄らなきゃ。ゆきおんな達が留守番してるし)
美胡はそう思いながら、バスの中でバスケ部の皆と楽しい雑談で盛り上がるのだった。
――――――――――――――――――――――
その日の夕方。美胡は比名子の家に到着した。
玄関に辿り着くと、インターホンを鳴らす。
ピンポーン
その音が鳴ると、玄関の鍵が開く音が扉の奥からした。そして、扉を開けて一人の少女が顔を覗かせる。
ゆきおんな「あら、美胡じゃない」
美胡「やっほー。留守番ありがとね。比名子の事で話があってきたの」
ゆきおんな「比名子の?上がって」
ゆきおんなは美胡を家に入れて、居間に誘導した。
伽椰子『アアアア………』
伽椰子がお茶を持ってきた。人数分のコップに冷えたお茶を入れていく伽椰子。
俊雄「ニャアアアア……」
俊雄が美胡を見つめる。
貞子『…………』
貞子はテレビを消した後、畳に座る美胡の方を向いた。
美胡はお茶を一口飲んだ後、全員の方を向いて話し始めた。
美胡「ねえ、昨日の夜って何か変なことなかった?」
ゆきおんな「変なこと?」
美胡「ほら、比名子が悪夢を見たって話。何か関係ありそうなものとか」
伽椰子『アアアア……』
伽椰子達は目を見合わせる。伽椰子や貞子は話さない上に、俊雄は泣き声しか上げないから美胡も分からない。
美胡「……まあ、アンタ達じゃ分かんないか」
ゆきおんな「……そういえば」
美胡「?」
ゆきおんな「一昨日、貞子さんがテレビを点けていたのよ」
美胡「貞子が?」
ゆきおんな「ええ。怪談番組を見ていたわ。『呪いのビデオ』と……『エルム街の噂』について」
ここで美胡の表情が変わる。
美胡「…………エルム街?」
ゆきおんな「ええ」
美胡「それ、詳しく聞かせて。アタシも、合宿所で何があったか話すから」
美胡達は、それぞれの3日間について話し始めた。比名子が見た悪夢と、悪夢を自由自在に操るフレディ・クルーガーという男と、比名子が力を発揮出来なかった話。ゆきおんな達は驚いていた。伽椰子と俊雄は目を大きく開き、貞子から耳鳴りのような音が強く響き始める。
呪霊操術の恐ろしさを知る者達から見ても、異常な出来事だったようだ。
ゆきおんな「……それは、普通の悪夢ではないでしょうね」
美胡「やっぱり、そう思う?」
ゆきおんな「ええ。少なくとも、比名子が普段見るような夢とは思えないわ」
伽椰子『アアアア……』
俊雄「ニャ……」
伽椰子と俊雄も、いつものような気の抜けた様子ではない。
二人とも目を大きく見開き、比名子が無事に戻ってくるのかを案じるように美胡を見る。
美胡「……呪霊操術を使えなくするって、相当ヤバいよね」
ゆきおんな「ええ。比名子の強さを知っている私達だからこそ、余計にそう思うわ」
美胡「それに……」
美胡は腕を組み、考え込む。
美胡「貞子がテレビを点けてたのって、一昨日なんだよね?」
ゆきおんな「そうよ」
美胡「で、比名子が悪夢を見たのが昨日の夜」
ゆきおんな「……ええ」
美胡「だったら、偶然じゃないかもしれない」
その言葉に、ゆきおんなが黙り込む。
美胡「テレビで『エルム街の噂』が取り上げられた。そこでフレディって奴の話がされた」
美胡「その次の日に、比名子がフレディに襲われた」
美胡は自分の膝に肘を置き、額に手を当てる。
美胡「……もし、噂された事そのものが何かの切っ掛けになったんだとしたら?」
ゆきおんな「人々がその存在を再び認識したことで、眠っていた何かが目覚めた……という事?」
美胡「分かんない。でも、そう考えた方が辻褄が合う」
その時だった。
貞子『―――』
美胡「……貞子?」
いつの間にか、貞子がテレビの前に立っていた。
貞子は何も言わない。ただ、テレビ画面をじっと見つめている。
美胡「何か分かるの?」
貞子『―――』
返事はない。しかし、貞子の周囲から、僅かに異様な気配が漂い始める。
美胡「…………」
貞子がテレビに手を伸ばす。テレビの電源が入った。画面には何も映らない。ただの砂嵐。
ザザザザザ――――
美胡「……?」
砂嵐が一瞬だけ消える。
そこに映ったのは――暗い廊下だった。
美胡「……これ」
ゆきおんな「比名子が見た夢の……?」
画面の奥に、何者かの影が立っている。
しかし、次の瞬間には画面が再び砂嵐へ戻った。
ザザザザザ――――
美胡「…………貞子」
貞子『―――』
美胡「アンタ、何か知ってるの?」
貞子は答えない。ただ、長い黒髪の隙間から覗く顔を、テレビへ向けたまま動かさない。美胡はその姿を見つめる。
そして、ようやく一つの事を理解した。
美胡「……比名子だけの問題じゃないのかもしれない」
ゆきおんな「え?」
美胡「貞子がこんな反応するなんて、普通じゃない」
美胡は立ち上がる。
美胡「比名子が帰ってくるまで、絶対に油断しちゃ駄目だ」
ゆきおんな「……ええ」
伽椰子『アアアア……』
俊雄「ニャ……」
美胡「それに――」
美胡はテレビを見つめる。
美胡「アタシ達も、出来る事を探さないと」
そう言って、美胡はスマートフォンを取り出した。
美胡「比名子。早く帰ってきてよ……」
その頃、比名子はまだ知らなかった。
自分が見た悪夢が、ただの悪夢ではなかった可能性を。
そして、自分の家に残してきた怪異達もまた――その存在を警戒し始めている事を。